|
レオポルド・ストコフスキー(指)国際フェスティヴァル管弦楽団 |
|
Cameo
CC9007CD(1CDR)
|
録音年:1973年8月(19日?) ロイヤル・アルバート・ホール(プロムス) 【ステレオ・ライヴ】 |
|
演奏時間: |
第1楽章 |
14:35 |
/ |
第2楽章 |
12:18 |
/ |
第3楽章 |
5:42 |
/ |
第4楽章 |
12:49 |
|
カップリング/チャイコフスキー:交響曲第5番のリハーサル(34:43) ※トータル収録時間:79:48 |
|
“死の四年前!華で彩られたストコフスキー最後のチャイ5!” |
市販されたストコフスキーの「チャイ5」の最後の録音。あの幻のレーベル“CAMEO”が、当時のプロデューサーの手で復活しました!
チャイコフスキーの「第5番」に夢中になり始めた高校生の頃、この録音の存在は何かの本で知ってはいましたが、幻のLPとされ、現物を目にすることは殆ど諦めていました。そんな時ふと立ち寄った中古店でなんとこのLPを発見!しかも未開封!あまりの予期せぬ発見にしばし呆然としましたが、値段が3万円と高校生にはあまりにも高額で愕然。しかしここで諦めたら一生再会できないと思うと我慢しきれず、どうやって工面したのかさっぱり憶えていませんが、とにかく3万円を手にして入手することができたのでした。しかし買ったのはいいのですが、あまりにも恐れ多く、傷をつけては大変という思いが先に立って無心で聴き入ることができないままCD時代へ突入。ますますLPの棚から引っ張り出すことなく今日に至ってしまった次第です。あれから何十年経ったことか…。遂に手にした気軽に聴けるCD。LPで聴いたときの漠然としたイメージは残っていたものの、今のイメージが当時のものより悪くなってしまったらきっと悲しいだろう、などとまた余計なことを考えながら、とにかく試聴開始。結果は好転!
ストコフスキーの演奏を聴くたびに思うことですが、「芸術的」と呼ぶかどうかはともかく、ストコフスキーは、空前絶後の根っからの音楽家であったことは間違いないでしょうし、どんな批判にも屈せず、「天国へ行ったら作曲家に詫びたい」と本人も語ったように、自身の行なっている行為を十分自覚しながらも、最後まで「華やかさ」という単純明快なモットーを守り通したその心意気!それを個人的な独りよがりに終わらず明確に音楽に注入できた、音楽家の中の音楽家だと、これを聴いて改めて確信しました。この期に及んでは今までになかった斬新なアレンジこそ見られませんが、強烈で個性的な改変が年代と共にどのように醸成され、オーケストラの響きの操作加減でいかに聴き手に大きなインパクトを与えるか、それに全霊を傾けてきたことか、それを知るには、やはり彼の初の全曲録音(1934年盤)から少なくとも10年スパンくらいでチェックしておく必要があるようです。
さてこの録音、あのロイヤル・アルバート・ホールという巨大なホールで行われているので、万全のスタジオ録音のような細部の明瞭さには欠けますが、それでもストコフスキーの極彩色の威力を最も体感できるものであり、有名なDECCAの人工的なバランスの録音では分からなかった大胆なアレンジの意図がリアルに伝わって来る点が最大の特徴でしょう。それを最も痛切に感じるのが、終楽章の全休止を無視してモデラートに突入する例の壮麗なシーン。こういう場面で変なプロ意識や恥ずかしさが出てしまってはただシラケるだけです。その意味でこの演奏の快挙には、ストコフスキー自身も狂喜したに違いありません。全体を通じてもやはりこの終楽章が最も強烈で、特に、完全に緊張から解き放たれた開放感がそのまま直情型の推進力に転じる後半は、トランペットの極限の強奏といい、弦の放射力といい、ストコフスキーの威光が溢れんばかりです。しかも91歳です!人間は年をとれば例外なく肉体の機能が衰えます。その衰えが、音楽表現に直結する人とそうでない人がいます。日本に限らず前者を特にありがたく崇める傾向が強いようですが、こうでなければならないテンポ、どうしも妥協できないビート感が体にしっかり宿っていれば、たとえ手足が動かなくてもオケに対する指示は可能なはずですし、またそれをするのが指揮者の仕事です。体の衰えと共にその意欲まで失い、「枯れた芸風」などという評判に甘んじていられる人を、私は指揮者とも音楽家とも呼びたくありません。
◆この録音について
Cameo Classicsは、デイヴィッド・ケント・ワトソン氏が1972年に創設したイギリスのレーベルで、青少年オーケストラの演奏を最良の形で記録することを主な目的として活動していました。特に、ハル青少年オーケストラによる英国の作曲家の世界初演録音は特筆すべき仕事といえます。LPの生産終了を経て、2004年からインターネットを通じてCD-R仕様での販売を開始。最近は、ザロモン・ヤーダスゾーンやイグナツ・ブリュルのような20世紀にナチ・ドイツで禁止したユダヤ人のドイツの作曲家や、無視され続けてきた傑作を掘り起こすことに力を注いでいます。
国際ファスティヴァル管弦楽団は、青少年オーケストラ国際フェスティバルの一貫として組織されたオーケストラで、このプロムスの演奏会のため集められた若手演奏家はなんと140人!ストコフスキーは、生涯を通じて才能のある若い音楽家との仕事に情熱を傾けていましたが、1969年の第1回の国際ファスティヴァルからこのオーケストラとの活動を続けていました。
その中での最大のハイライトともいえるこのコンサートをリハーサルまで含めて録音することを許可されらのが、カメオ・クラシックスだったのです。
◆リハーサルの主な内容
和気愛愛とした楽しい雰囲気は皆無で、淡々と指示を出し続けるのは、一流オケとのリハーサル風景映像の様子と全く同じです。
1、第1楽章序奏部(途中からファゴットが加わりますが、完全にクラリネットとユニゾンで合わせているようです。このファゴットの音量が大きすぎると注意。もっとソフトに演奏するよう要求。)
2.第1楽章提示部(第2主題の直前でホルンに明瞭さを要求。)
3、第1楽章提示部、副次主題。
4、第1楽章展開部の最後
5、第1楽章、終結部
6、第2楽章冒頭(「エスプレッシーヴォ」を要求。
7、第2楽章中間部、クラリネット・ソロ
8、第2楽章終結部
9、第3楽章冒頭(癇癪爆発!指揮台を叩いて「指揮者を見ろ」と大声。)
10、第3楽章終結部
11、第4楽章序奏部
12、第4楽章70小節からのホルン(ベルを上に向けて大きな音量を出すように要求)
13、第4楽章436小節以降〜モデラートの冒頭
「何か質問は?」と呼びかけて、終了。
★リハーサル写真(独特な楽器配置を確認できます)
|
|
|
第1楽章のツボ |
ツボ1 |
冒頭のクラリネットは倍増しているだけでなく、サックスを重ねているように聞こえる。フレージングは素直だが巨大なホールのせいか、ややムーディ。 |
ツボ2 |
全休止をほとんど置かずにそのままそっと滑り出す。テンポはごく普通で、今までのストコフスキーになく色彩よりもアンニュイさが付きまとう。 |
ツボ3 |
他の録音も多かれ少なかれ独特のクセを感じるが、これは最もあからさま!最初の8分音符を約半拍ほど早く弾かせる悩殺モード!76〜79小節をカット。 |
ツボ4 |
エネルギーを減衰させず、意思を持ち続けたまま下降。 |
ツボ5 |
幾分テンポを落として官能的に歌い上げる。決して強弱の振幅を滑らかにせず、発作的な感情の揺れを再現しているのがいかにもストコ流。 |
ツボ6 |
アニマートに転じた直後の129小節に驚愕!第2ヴァイオリンが半音ずつ上下降を繰り返す、そのなんと幻想的な空気!この世のものとは思えぬニュアンスをふんわりと醸し出した究極のニュアンス! |
ツボ7 |
まさに、ストコフスキー・ピチカートと呼びたい豊穣なニュアンスを湛えた弾き方!このピチカートと、直後のアルコによる合いの手の噴出力とのコントラストの強烈。 |
ツボ8 |
表面的には普通の表現だが、夢と憧れでこれほど胸を焦がし、居ても立ってもいられない衝動に駆られたような切迫したフレージングはそうそう聴けるものではない。ここまでやって初めて「共感」していると言えるのではないだろうか。 |
ツボ9 |
快速テンポ。502小節最後の音の引き伸ばしは他のどの録音よりも長く、元のテンポに復帰できないほど音楽が膨張! |
|
第2楽章のツボ |
ツボ10 |
間を置かずアタッカで弾き始める。粘ることなくサラッとし感触で流れるが、繊細な味わいがある。ホルンは、広いホールの距離感がこのフレーズのニュアンスに相応しく、実に美しい。技術的な破綻もなく安心して聴き入ることができる |
ツボ11 |
意外にも派手さはないが、深みを湛えたティンパニと共に手応えのあるフォルティディディモを築いている。エネルギーを溜め込んでから噴出するのではなく、前の段階から高揚を持久しながらなだれ込むストコフスキー流の大きなうねりを堪能できる。 |
ツボ12 |
クラリネットは、ブレスによる間断を感じさせない素晴らしいフレージングが感動的!翳りのあるニュアンスも素晴らしく、後半の消え入り方など孤独感一杯! |
ツボ13 |
今まで何もなかったような恐ろしく淡白なピチカート。アルコのヴァイオリンの出だしが若干戸惑う。 |
ツボ14 |
トランペットによる機関銃連続音は他のどの録音よりも明瞭かつ露骨。精力全開のパワーも驚異的。 |
ツボ15 |
ここも表面的にはごく普通の優美なフレージングだが、音が立っているというか、「共感しても耽溺しない」ストコフスキーのアプローチの特色を痛感させられる。 |
|
第3楽章のツボ |
ツボ16 |
2楽章から3楽章の移行もアタッカでいきなり弾き出すのは珍しい。第2楽章最後の最弱音を徹底的に引き伸ばしていることからも分かるように、意図的に全体の一体感を狙った証拠(リハーサルでも、第2楽章の最後の弦を美しく引き伸ばしたうえで第3楽章に移ることを要求している)。かつての録音同様、単にテンポを落とすだけでなく、細かくニュアンスを付加。 |
ツボ17 |
こういう無窮動的な弦の動きでその量感を出すのも、ストコフスキーの真骨頂。木管は多少もたつく |
ツボ18 |
マイクから遠く不明瞭だが、緊張を持って一本のラインを築いている。 |
|
第4楽章のツボ |
ツボ19 |
ここはアタッカではない。やや速めのテンポで颯爽と進行。 |
ツボ20 |
ホルンはほとんど裏方。 |
ツボ21 |
他の録音同様、直前の52〜54小節はカット。56〜58小節は、管パートを全てカットして弦楽のみ(もしくはフルートだけを残して)に変更。ティンパニはクレッシェンドを行わず一定音量でトレモロ。他のニュアンスは'42年盤などと類似。大太鼓の一撃はそれほど大きな衝撃はない。 |
ツボ22 |
完全に無視。184〜199小節までカット。 |
ツボ23 |
コントラバスはマイクから遠い。続く木管との掛け合いにズレが生じる。 |
ツボ24 |
80小節と同様の高速テンポを設定するが、すぐに304小節で大きくテンポ・ルバートし、TempoTから再び高速へ。 |
ツボ25 |
響きは鈍い。 |
ツボ26 |
80小節と同様の高速テンポに戻る。 |
ツボ27 |
極端にテンポは速くないが渾身の猛進。 |
ツボ28 |
全休止前後の467〜472小節をごっそりカット。その直後の大太鼓のド派手連打からそのままモデラートへなだれ込む例の大アレンジを敢行するが、これはストコフスキーが狙った効果を最も発揮し尽くした実例だろう。 |
ツボ29 |
疲れ知らずの漲るパワー!アンサンブルは極上とはいえないが、それを上回る表現欲と闘志で有無を言わせぬ進軍を続ける。 |
ツボ30 |
トランペットが最強音を連発!弦は明快に切るが、トランペットは多少スラーがかかる。 |
ツボ31 |
'42年盤のコメントと同様の独自アレンジ。やはり後半からトランペットを浮上させている。 |
ツボ32 |
強烈ではあるが、前後のトランペットのインパクトの方が凄い。 |
ツボ33 |
557〜559小節をカットし、最後の2小節は荘重なテンポで締めくくる。 |