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協奏曲T〜チャイコフスキー


レーベルと品番、ジャケット写真は管理人が所有しているものに拠っていますので、現役盤と異なる場合があります。



チャイコフスキー/TCHAIKOVSKY


CALLIOPE
CAL-9375(1CD)
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、懐かしい土地の思い出Op.42(グラズノフ編)、
憂鬱なセレナードOp.26、ワルツ・スケルツォOp.34
レジス・パスキエ(Vn)、サンクトペテルブルク管弦楽団のソリスト、エマニュエル・ルドゥック=バローム(指)バルティック・チェンバー・オーケストラ
録音:2007年
“コンディション絶頂!哀愁と気品を兼ね備えたチャイコフスキー”
フランス的な洒落たセンスが息づく瑞々しいチャイコフスキー。濃厚に粘着質に迫る演奏とは対極的で、フレージングも弓圧も実に軽やか。しかし音楽自体は決して軽くは流れず、共感の限りを尽くしながら美しい幻想世界を築きあげるのです。第1楽章、最初の出だしの肝の部分。この美しさにまずウットリ。ヴィブラートとノン・ヴィブラートの巧妙な使い分け、アーティキュレーションが練りに練られていますが、それが教条的にならずにフワッとした呼吸感のうちに自然に湧き上がるので、実にしなやかに音楽が流れます。第2主題の呼吸の息の長さとなんという艶やかさ!第2楽章はヴィブラートそのものが胸に染み、冒頭主題の消え入りそうな弱音も繊細な心の襞を如実に反映。第2主題のフレージングの熟成ぶりはまさにベテランならでは。余計なことは一切行なわず、一息で気品溢れるフレージングを実現。心の底から溢れ出る悲哀を笑顔で隠すような切なさ、はかなさ…。まさに熟練の味です。終楽章もガリガリとがなり立てることはありませんが、リズムのエッジは美しく立ち、音楽全体のフォルムの美しさを保持しながら推進力溢れる演奏を展開。
カップリングの小品がこれまた必聴。見せかけのすすり泣きではなく、旋律の美しさの核心部分を完全に消化した上で、内面から香ってくるその切ないニュアンスは、聴き手の心をがっちりと捉えて離さない求心力があるのです。「懐かしい土地の思い出」1曲目の最後に登場する高音でのロングトーン!その艶やかさには言葉を失います!

RPO HYBRID
RPO-222884
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲憂鬱なセレナードOp.26、懐かしい土地の思い出Op.42〜メロディ
ジノ・ヴィンニコフ(Vn)、ユーディ・メニューイン(指)RPO
録音:1994年デジタル
“ヴィオラのような独特のトーンが作品の魅力を倍加!”
このレーベルの協奏曲録音中でも特に異彩を放つ名演奏!ヴィンニコフはレニングラード音楽院でミハイル・ヴァイマンに師事。1966年のチャイコフスキー・コンクールで第5位(1位はトレチャコフ)、翌年のエネスコ国内コンクール優勝などの実績を持つ名手ですが、メジャー・レーべルとの契約のないアーチストの常で、ヴィンニコフも一般的には知られていない存在です。しかし、この協奏曲の第1楽章の滑り出しを聴けば、その独特の音色に誰しもがハッとすることでしょう。まるでヴィオラかと思わせるほど暗くくすんだトーンは、甘く可憐に囁くニュアンスを期待する方は一瞬たじろぐかもしれませんが、そのトーンを最後まで保持し、決してアクロバット的な名人芸に傾かない真摯な演奏ぶり、心のひだに触れるような一途なフレージングに次第に魅了されることでしょう。そのほの暗い音色には常にデリカシーが宿り、音楽はどこまでも内向するので、チャイコフスキー特有の感傷味が痛いほど聴き手に迫るのです。クラリネット・ソロが入る第1楽章4:32からオケの壮麗なトゥッティに至るまでのやるせなさはどうでしょう!第2楽章の弱音も感覚的な美しさを超えた琴線の震えそのもの。そこには凛とした品格が備わっているので、無理に人の同情を買うような嫌らしさが付きまとわず、チャイコフスキーの心の深層を癒す真の力を感じずにはいられません。この第2楽章だけでもこの録音の価値は不滅と叫びたいほど、あまりにも感動的。終楽章はもちろんリズムに乗りすぎず、あくまでも作品の心を丹念に引き出すことの終始。音符に書かれている以上にリズムに乗り、高音を華麗に切り上げすぎることで、いかに多くの大事なものを置き去りにしてしまうことか、逆に思い知らせれます。
メニューインの指揮も決して起用に立ち回らないのがかえって効果的で、ヴィンニコフのヴァイオリンと見事とな融和を見せています。カップリングの2つ小品も、気軽に聴けないほど、ひしひしと胸に迫ります。  


Pentatone
PTC-5186610
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲憂鬱なセレナード、ワルツ・スケルツォOp.34、なつかしい土地の思い出Op.42
ユリア・フィッシャー(Vn)、ヤコフ・クライツベルク(指&P)、ロシア・ナショナルO
“緻密かつ豊穣!フィッシャーの資質とぴったりのチャイコフスキー!”
チャイコフスキーの協奏曲は、待望久しい感動的な録音!この作品からこんな瑞々しい衝撃を与えられるとは思ってもみませんでした。第1楽章のヴァイオリンの滑り出しからイチコロ!気品のフォルムに丁寧なフレージングが深々と息づき、一音一音が心を捉えて離しません。第2主題のノスタルジックな共感もひしひしと胸に迫り、4:11からの繊細なニュアンスはには思わず息を殺して引き寄せられてしまいます。展開部突入直前のパッセージは相当速いテンポを採用していますが、持ち前の美音と激しいパッションのバランスが絶妙この上なし。カデンツァの技巧の安定ぶりは言うまでもありませんが、そのニュアンスたるや緻密かつ豊穣で、これ以上の味わいなど想像もできません。フィッシャーがドイツ出身であることなど完全に脳裏から去り、その一途な共感の揺るぎなさに、ただただ身を委ねるのみです。第2楽章は、冒頭のオケの管楽器の内声の充実にまずびっくり。クライツベルクはどんな作品でも深く掘り下げるタイプですが、その資質の高さをここでも再認識。フィッシャーのヴァイオリンは闇雲に泣き続けるものではなく、暗いトーンを持続させながら、凛とした気品を湛えています。つかの間の明るさが差し込む中間部での心情の変化にも自然でスムースに対応。その一連の流れが実に美しいのです。終楽章は、かなり速いテンポで開始しますが、クライツベルク共々、急緩のメリハリがバシッときまり、胸のすくような快演。特に注目すべきは第2主題。その凛々しいリズムの拍節感と、決然としたインテンポの魅力、そのエネルギーが次第に減衰し、急激に速いパッセージに突入するまでのなんと鮮やかな運び!鳥肌ものです!後半は一気呵成にみ掛けますが、その推進力たるやまさに手に汗握る迫真の妙技で、しかも音楽的な深みを維持しているのですから、驚異的と言う他ありません。これは単にヴァイオリニストのお約束のレパートリーとして組まれた録音ではなく、クライツベルクとのコンビネーションの妙も含め、ユリア・フィッシャーの唯一無二の音楽性とチャイコフスキーの音楽性が完全に融合したかけがえのない逸品です!なお、オケはヴァイオリンを両翼に配置。【湧々堂】


OPUS蔵
OPK-2007

ヴァイオリン協奏曲、ラロ:スペイン交響曲*
ブロニスワフ・フーベルマン(Vn)、
ウィリアム・スタインバーク(指)ベルリン・シュターツカペレ、ジョージ・セル(指)VPO
*
録音:1929年、1934年(モノラル)
“名復刻が伝えきるフーベルマーン・トーンの真の魅力!”
チャイコフスキーは世界初録音!ヴァイオリン弾き始めの溜息交じりの囁きからウットリ!ポルタメントをふんだんに効かせながらチャーミングで愛くるしい表情となって語りかける第1主題の説得力は、ヴァイオリンが最も良く響く術と、人の心に触れる音楽性を兼ね備えた芯の名人のみが持ち得るもので、スタイルの古さなど問題にしている場合ではありません。第2主題の郷愁たっぷりの節回しには思わずもらい泣きしそうです。そのニュアンスに影響されてか、メカニックな響きを出すことの多いスタインバーグも、オケので演奏される箇所で明らかなように、濃厚なアゴーギクを駆使しながらフーベルマンと同質の共感溢れる指揮を展開。第2楽章の肉声による告白を聴くような甘美な悲しみの空気も他では聴けないもの。特にトレモロをこんなにも聴き手の心にひたひたと迫るように奏でるヴァイオリニストが他にいるでしょうか?そして、第2主題の高音域から下降する音型に込められた万感の思い一途な思い!終楽章はテンポこそ現代ヴァイオリニストと同様な小気味良さがありますが、常に歌と一体で、メカニックな音はどこにもないので感動もひとしお。第2主題冒頭で音をずり上げるのも、嫌らしいどころか、最高級のお菓子のような芳醇さ!なお、このような演奏の魅力は、CDではこのOPUS蔵盤で聴かない限り、ほとんど伝わってこないと言っても過言ではありません。過去にもPealやClassical COLLECTIONといったレーベルからも復刻されてはいますが、高域がきつく金属的に耳に刺激をもたらす部分が多かったのに対し、ヴァイオリンのトーンの持ち味を本当の意味で捉えきったこの盤の魅力は計り知れません!


OTAKEN
TK-5036(1CDR)
ヴァイオリン協奏曲、ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番*
リッカルド・オドノポソフ(Vn)、ワルター・ゲール(指)ネーデルランドPO
録音:1953年/原盤:英コンサートホール、米ミュージカルマスターピースソサエティ*
“オドノポソフ、究極のシルバー・トーン!”
オドノポソフは1914年,ブエノスアイレス生まれで、ロシア移民の二世に当たります。 ウィーン・フィルのコンサートマスターを務めた人であることはご存知の方も多いと思いますが、まだまだ彼の芸風については広く認識されているとは言えないようです。そんな中、この盤は彼の魅力を知るにうってつけ!チィコフスキーは、第1主題がメゾフォルテで朗々と鳴らされ、濃厚に歌い上げながら求心力の高い音楽を一瞬で築いているところから衝撃的。肌に吸いつくような甘美なフレージングと絶妙な呼吸感を携えながら進行しますが、音色のセンスも抜群!中間のオケのみによる斉奏後、第1主題を変奏させる箇所での重音の色合いの何と多彩なこと!カデンツァの音楽的内容量も破格で、ウィーン流儀の音の立ち上がりのまろやかさに加え、オドノポソフ特有の気品を感じさせます。高音域での持続音がピーンと張り詰めながら、温かみを持って流れる様は、フーベルマンのような超人的なトーンとは好対照。随所で即興的な節回しも聴かれますが、古臭さは皆無で、美しいいフォルムの中で音楽が息づいている点も特徴的です。第2楽章は、彼の端麗なフレージングの宝庫!不用意に弱音を多用せず、感傷のニュアンスをはっきり打ち出しています。1:03でほんの一瞬下行ポルタメントが掛かりますが、この切なさとヒューマンな温かさには言葉も出ません!また、オドノポソフのヴィブラートのセンスもこの楽章ではたっぷり堪能することができ、4:09から主題を高音で再現する箇所の自然なヴィブラートは、指先で操作していることを感じさせない究極の逸品!決して一時代前の古いスタイルにとらわれていないことは、終楽章への入る方にも象徴されています。テンポを揺らしてそれらしく聴かせる事など眼中になく、インテンポのまま一音ごとの意味を明確に刻印。しかも、第1主題に入る直前の最後の一音をクレッシェンドしながらポンと滑り込む何という粋な計らい!力で押しまくるのではなく、音色のニュアンスと呼吸の振幅で最後まで魅了し続けるのです。ブルッフも同曲のベスト演奏の1つ。第1楽章の最初の主題が渾身の深い呼吸で奏でら、弓が上下行するたびに溢れんばかりの音楽的結晶が零れ落ちます。第2主題は打って変わって、音色トーンを変え、別の次元に聴き手を誘います。第2楽章は、長い旋律線に自然な起伏をこめながら深々と歌いぬき、随所で胸をキュントさせる表情が登場。美しい旋律の意味を感じ取ることができる人だけが可能な、訴求力の高い歌が気品を持って流れます。終楽章のテーマのうねらせ方も、これしかないと思わせる説得力。思い切りリズムを溜め込み大きく揺らすフレージングにノックアウト!やや遅めのテンポで一貫しながら内面から込み上げる情熱をしっかり凝縮した形で歌いつくし、チャイコフスキーの終楽章同様、表面的なスリルなど狙わない芸術的な佇まいに、心の底からヴァイオリンという楽器の魅力を感じていただけることでしょう。音質は2曲とも同等レベルで聴きやすいもの。ところで、この盤でもう1つ忘れてならないのは、ワルター・ゲールの棒!コンサートホールレーベルを中心に録音を遺していますが、彼の芸風そのものが大きく取り上げられたことはほとんどなく、今後もCD化は期待できそうもありませんが、ここでのチャイコフスキーの導入で、一気にノスタルジックな空気を醸し出し、しかもヴァイオリン・ソロへ自然に繋げる手腕は只事ではありません。第2楽章の第2主題を導く直前の優しげな表情とアゴーギクの妙!ブルッフ終楽章における、ピチカートの瑞々しいはじけ方等々、伴奏としての立場を弁えながら、さり気なく全体のニュアンス作りを行なうセンスを持っている指揮者がどれだけいるでしょうか?コンサートホールに録音した、クナも真っ青の大スケールの「くるみ割り」や自己流フレージングで押し通した「チャイ5」等でも、彼の音楽性は比類なきものでした。


Concert Artists
CACD-9195
取扱中止
ピアノ協奏曲第1番、プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番、トッカータ、バラキレフ:イスラメイ*
ジョイス・ハット(P)、レーネ・ケラー(指)ナショナル・フィルハーモニックSO
録音:1997年、1999年*(デジタル)
“ホール全体を包み込む圧倒的な包容力!”
ハットは、ブゾーニの孫でシアにあたり、コルトーやブーランジェの薫陶も受けた女流ピアニスト。作曲もヒンデミットから学んでいます。このチャイコフスキーは、終止力で圧倒するのではなく、音色の魅力と音楽の懐の深さで満たした逸品です。桶の導入を引き継いで醸し出されるピアノの跳躍から、その輝きに満ち溢れた響き逞しさを兼ね備えたタッチの味わいにイチコロ!そして、最初に現れるカデンツカのなんと神々しいこと!その結尾2:25からの半音階の下行音価で、実に艶やかな感触を示すのも印象的です。第2主題がこんなに気品を持って聴き手に寄り添ってくる演奏も稀少。副次主題に入る前の急速に畳み掛けるシーンは力任せではなく、音の末端まで響かせて大きな包容力を発揮。コーダでのオケの雄渾の響きと融合した芸術的なスケール感もたまりません!第2楽章は、最初の主題が慈しみをこめたタッチで常に潤いを湛えて囁くので、これまたウットリ…。伴奏との呼吸感が見事にマッチしているのも特筆もの。単なる分散和音でも常に気品を絶やしません。この楽章をこんな入念に描ききった例も他に思い当たりません。終楽章は性急なテンポをとらず、音のニュアンスを丹念に示しながらの風格溢れる進行。コーダに至って、遂に隠し玉登場。ヴォルテージを見事に高めるオケのパワーを全身で受け止め、最高の強打鍵を披露。しかし音は最後まで割れず、暴力性は皆無。朗々と鳴り渡る音像の風格美で圧倒して締めくくります。ピアニスト次第でこの作品の通俗性を吹き飛ばし、格調を取り戻すことを再認識していただけると思います。カップリオングのプロコフィエフは、曲の持ち味を生かして、よりリズムの切れを強調。それでも火必要に騒ぎ立てず、高貴な佇まいが全体を支配しているのはチャイコと同様。ところが、「トッカータ」の最後の追い込みの凄さたるや、火に油を注いだような燃え立ち方!ジョイス・ハットの底知れぬピアニズムをこの1枚でたっぷり堪能できます。
※Concert Artistsレーベルは、演奏者の実体が不明な点が多いため、現在は取り扱いしてりません。

Chandos
CHAN-9913

ピアノ協奏曲第1番、プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番
テレンス・ジャッド(P)、アレクサンダー・ラザレフ(指)モスクワPO
録音:1978年(ステレオ・ライヴ)
“この1年半後、ジャッドは壮絶な死を遂げます…”
テレンス・ジャッドは、1957年英国生まれ,1975年のブゾーニ国際コンクールに優勝、1978年のチャイコフスキー・コンクール4位入賞して将来を嘱望されていましたが、1979年12月16日にロンドンの自宅を出てヴィクトリア駅でイーストボーン行きの片道切符を買って乗車した後に行方不明となり、1年後にサセックス州東部のビーチイ・ヘッドのふもとで全裸死体で発見されたのでした。享年22歳。自殺か他殺か、未だに真相は明らかではありません。しかし、そんな事実を知らなくても、心ある方ならチャイコの冒頭でジャッドが打ち鳴らす鋭い響きが、この世以外の世界に放射されているような異常な凄みを孕んでいることに驚かれることでしょう。悪魔に突き動かされているようなハイテンションぶりは、テンポの異常な速さと無慈悲な打鍵に反映され、技巧に酔っているだけのピアニズムとも次元が異なるのです。
一方のプロコ。これがまたチャイコを上回る激演!もはやこれ以上のことを人間に望むのは無理というものです!!これほど神経を極限まで擦り減らして没入し切った凄演を聴くと、この1年後の彼の死も偶然とは思えなくなってきます。ちなみに、この時のコンクール優勝者はプレトニョフでした。


AUDIOPHILE
APC-101024

BOMBA-PITER
CDMAN-120
ピアノ協奏曲第1番、ピアノ協奏曲第2番
アレクサンドル・スヴャトキン(P)、アンドレイ・アニハノフ(指)サンクト・ペテルブルク国立SO
録音:1992年〜1993年(デジタル)
“伝統のロシアン・ピアニズム健在!巨大にそびえる豪奢な音彩!!”
日本では全く無名のスヴャトキンは、レニングラード音楽院出身。現在の活動は、同校での後進への指導が主なようなので、録音もほとんど存在しませんが、これを聴くと、音楽院の無名な教師でさえ独自の威光を誇るピアニズムを堅持していることに、ロシアという国の底力を痛感せずに入られません。第1番の第1楽章は、あえて悠然としたテンポを選択。ロシア独自のメソッドを体験した人間にしか表出し得ない、硬質に結晶化したタッチが怒涛のごとく切り込み、キラキラと輝く音彩を放射しまくります。音の立ち上がりの明晰さも尋常でなく、安易な感傷など入り込む余地なし!第2楽章でも甘さは一切なく、タッチの高潔さ、弱音から立ち昇るきらめきだけで勝負する様は、若き日のクライネフやペトロフを思い起こさせます。終楽章はコーダが圧巻!鋭利な刃物を連射するような戦慄のフォルティッシモで圧倒し、巨大スケールのアニハノフの指揮と共に、壮絶なエンディングを築きます。より民族色の濃厚な第2番は、恐ろしいことにその第1番以上にテクニックの凄みを増し、第1楽章の第2主題では、高潔タッチを絶やさずに郷愁をふんだんに盛り込むなど、フレージングも一層入念さを増しています。一方、忘れられないのが、大伽藍を思わせるアニハノフの指揮!その圧倒的造型力は、同レーベルに録音したチャイコフスキーの交響曲全集でも十分に窺い知ることができますが、これほど豪奢なピアニズムを引き立てながら巨大なドラマを確立する手腕は、まさに巨匠芸で、1965年生まれとは全く信じがたく、この先彼がどう変貌していくのか楽しみです。


OTAKEN
TKC-302
ピアノ協奏曲第1番* 、ショパン:ピアノ・ソナタ第2番、バラード第1番、夜想曲第5番、
リスト:泉のほとりで、ハンガリー狂詩曲第6番
ウラディミール・ホロヴィッツ(P)、ジョージ・セル(指)NYO
録音:1953年1月12日(カーネギーホール・ライヴ)*
“ホロヴィッツの同曲録音中、ダントツの神々しさ!”
極上プライベート盤からの復刻!この音源は米RCA社が発売すべく正式録音したものの、何らかの理由で発売中止となり、外部流出してしまったそのオリジナルテープから作られたとのこと。ホロヴィッツのチャイコフスキーの第1協奏曲は他にも録音がありますが、全盛期の超人的な技巧の威力に加え、セルとの相乗効果と思われる高潔に引き締まった直截なダイナミズムがバランスよく調和し、単にド迫力でノックアウトするだけでない、深い味わいを残してるくれる点でトップクラスと思われます。それでも、第1楽章、副次主題登場直前の7:35からの息もつかせぬ畳み掛けの凄み、燃焼力はやはり尋常ではなく、コーダの脇目も振らぬ直進ぶりも、指揮とピアノが完全に融合した強靭さ。第2楽章は、ピアニッシモの可憐なニュアンスが聴きもの。ホロヴィッツのピアニズムには晩年に至るまで一貫して独自の「コントラスト」への配慮が窺えますが、第1楽章の白熱と、第2楽章の甘美は空気の明確な描きわけが、それぞれの存在を一層際立たせているのに気付かされます。したがって、中間部の跳躍リズムの確信的なおどけ方も、他に類のないほど鮮烈に迫ります。コーダの美しいフォルムも心を打ちます。この日のホロヴィッツの演奏は技術的にも鉄壁であったことは終楽章でも明らか。ライヴの興に任せて弾き飛ばすそぶりがどこにもなく、セルが寸分の狂いもなく縦の線を合わせ尽くしているのですからたまりません。コーダの追い込みは例によって狂気の沙汰ですが、この瞬間、改めてこれがライヴであることに気付かされるほど、フォルムが完璧。最後の数秒で、ふとした間の取り方に互いの意地のぶつけ合いが垣間見られのも興味深いところです。なお、原盤の保存状態が極上だったらしく、プチノイズがほとんど聞こえないのもありがたい限り。併録ソロ作品は米RCAビクター盤からの復刻ですが、こちらもマスタリングを施さない自然なサウンド。 ※OTAKENはCD-Rも制作していますが、これは通常のCD盤です。


EMI
3596062
ピアノ協奏曲第1番 、ムスルグスキー:組曲「展覧会の絵」
上原彩子(P)、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(指)LSO
録音:2005年3月、5月(デジタル)
“既に完熟の味わい!聴きなれた曲に新風を吹き込んだ快挙!”
チャイコフスキー・コンクール当時の完璧なバランス感覚に支えられた見事な協奏曲の演奏は、超ポピュラーなこの曲に新たな生命を吹き込んだ衝撃的な名演でしたが、今回の録音は、そのときの魅力が更にスケールアップして繰り広げられ、指揮者共々、老練とも言えるほどのコクを湛え、さらに感動も倍増!まず第1楽章のテンポの遅さにビックリ!オケの導入の低速感にどうやって追随するかのかとハラハラしますが、このテンポを上原が心から欲したものであることがすぐに分かります。このテンポでなければ湧き上がらない呼吸の深さ、スコアを更に自分の中に消化した上での繊細極まりない強弱の配分が、恣意的になる寸前まで徹底的に織り込まれ、特にカデンツァの表現の幅は驚異的。第2楽章でストーリー性を感じさせる見事なメリハリ感にも感服!艶やかな美音でテーマがしっとりと語られ、それを引き立てる細やかな情感息づく伴奏がまた見事。コーダでテーマがオーボエで戻ってくるあたりからの余情はたまらない魅力です。終楽章も勢いに任せることなく、リズムとフレーズのニュアンスが最大に発揮されるテンポを採用。同じ音型リズムが、単調に水平に流されることなく、音楽の核心一点に集中する緊張感がじりじりと高揚し、コーダでは風格溢れるピアニズムを羽ばたかせ、感覚的な痛快さとは無縁の感銘をもたらしてくれるのです。
「展覧会の絵」
も絶品!先のメージューエワの表現力にも腰を抜かしましたが、この演奏では上原独特の天才的なフレーズ対比、遠近感、和声の中に潜むムスルグスキーの天才的な閃きを抽出する能力などが、最初の“プロムナード”に全て詰まっています!テーマが単音で弾かれる部分と和声を伴うフレーズ同士で対話させ、次第に音の厚味を増す中で、低音部の一部をさり気なくスパイス的に強調するのは、知情意の完璧な融合以外の何物でもありません!“こびと”の発作的なレスポンスと、タッチ滲む脂肪分までも瞬時に変化するように感じられる演奏は他に例を見ません。“チェイルリーの庭”のメランコリックな囁きも、上原の感性の鋭敏さを象徴。優しいタッチで撫で上げるだけでは飽き足らず、刻々と変わる音楽のニュアンスの変化の全てを汲み上げようとする意気込みに打たれます。“ビドロ”ではペダリングのの妙にご注目!“サミュエルゴールドベルクとシュミイレ”の貧乏人の溜息の生々しいこと!音価をあえて不均衡に散らし、息も絶え絶え。“キエフの大門”の設計力の凄さは圧巻。コーダでもテンポを速めず緊張を持続する精神力、最後のトレモロの最後に一撃を追加して、決然と締めくくる手法も破格の手応えです!


Pentatone
PTC-5186.022
(1SACD)
ピアノ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲
ニコライ・ルガンスキー(P)、クリスティアン・テツラフ(Vn)、ケント・ナガノ(指)ロシア・ナショナルO
録音:2003年2月(デジタル)
“派手でカッコイイだけの演奏に飽き足らない方必聴!”
特にピアノ協奏曲がオススメ!第1楽章の冒頭の各和音をこんなにじっくり育みながら奏でた演奏はめったに聴けません。技巧に物を言わせて痛快に駆け巡る演奏が多い中で、遅めのテンポ設定でルガンスキーの音楽観を終始貫徹させ、音楽の内面を丁寧に汲み上げようとする真摯な姿勢が、ケント・ナガノとの絶妙なコンビネーションによって味わい豊かな演奏となって結実しています。ルガンスキーのそのような姿勢は時に音楽を地味なものにし過ぎることもありますが、この演奏に限っては、一級のモーツァルトの名演に接するような閃きと味わいが連綿と紡ぎ出されるのです。力で押すだけの演奏は、第1楽章第2主題のような少ない音符で繊細に語り掛けるシーンでピアニストの音楽性のそこの浅さが露呈するものですが、ルガンスキーのまろやかなタッチと共感に満ちたフレージングはとことん心に染み入ります。その後、副次主題へと導く急速な走句でも発作的な激高など見せず、安定感抜群!カデンツァはルガンスキーの内面志向の音楽性が磐石の形で繰り広げられます。第2楽章2:05から延々と続く主題の変奏形の、中間部のタッチの粒の見事な揃い方も必聴。なんと艶やかで憧れに満ちていること!終楽章は生命力に満ちていますが、決してリズムが最優先ではないので、音楽のニュアンスが次々よ立ち上がってくるのが耳で追うことができほどで、一音たりとも聴き逃せません。最後の追い込みではついに最高の強打鍵を披露しますが、鍵盤を「叩く」のではなく全身全霊で「奏でて」いることをこれほど認識できる演奏も少ないでしょう。ギトギトのロシア臭でも痛快な気持ちよさでもなく、この超有名曲の内面じっくり味わい直してみようという方に是非ともお勧めしたい演奏です。

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