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| 真空管オーディオの専門家で、SP復刻に一家言を持つ新
忠篤氏の協力を得て製作されたCD-Rレーベル。氏の自作直熱管フォノイコライザを使用して行われる復刻は、これまでの復刻ものとはまったく違った音質でSPが再現されます。SP復刻は、世界中で様々の専門化がそれぞれの見識で行っており、どれが最高とは決して言うことは出来ません。ラインナップは極端に弦楽器に偏っていますが、どうぞ御自身の耳でその音の真価を確かめてみてください。 ※各アイテムのコメントは、メーカー作成のものをそのまま記載しています。 ■SPレコード本来の音を追求したダイレクト・トランスファー CD-R SPレコードの真の音は残念ながら、これまで市販された復刻CDではなかなか聴くことができません。それはSPレコードの音ミゾに刻まれた音声信号を拾い出すプロセスで、重要な情報が失われているからです。このCD-Rシリーズは復刻プロセスを最短にしてSPレコードのありのままをお届けするダイレクト・トランスファーです。LPとは比較にならない強大な音響勢力を持つSPレコードのために、専用のカスタムメイド真空管式フォノイコライザをの使用しています。またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最も気を配り、一切のノイズリダクションを排除してあります。従来のSP復刻CDよりノイズの量は多くなりますが、ノイズの奥に演奏者の確かな息づかいが聴き取れます。プレスCDより音の鮮度の点で優位と判断し、CD-Rを採用しました。 収録はSPレコード3枚から5枚の初発売時のアルバム単位を基本としています。また、録音時に原盤に混入したノイズが大きく再生されることもございますが、一切修正をしておりません。ケースには録音データ(オリジナル・レコード番号、マトリクス番号、テイク、録音年月日等)を記載してありますが、曲目解説はありません。ジャケット等の仕様は簡素なものです。 ■ご注意 CD-Rを使用していますので、再生機器によっては再生が出来ない場合もございますので、ご了承下さい。編集作業を一切行っておりませんので、曲はつながっていません。1トラックはSP盤片面分となります。トラック間の空白部分は統一されていません。リードアウト部分の短い盤は、終わりの部分のノイズが入る場合があります。一部のCDプレーヤーにおいて、ディスクの最終トラックの音楽が終了した後で無音部分が終了する際に、デジタル信号が切れることによるノイズが発生する場合がございますが、ご了承下さい。(以上メーカー・コメント) |
| 品番 | 内容 | 演奏者 |
| 78CDR-1000 | ショパン:ピアノ協奏曲第2番 | アルフレッド・コルトー(P)、 ジョン・バルビローリ(指)管弦楽団 英HISMASTER'SVOICEDB8658/61 (1935年7月8日アビー・ロード第1スタジオ録音) |
| ピアニストのアルフレッド・コルトー(1877-1962)がどんなに輝かしい音を出していたか、どの復刻盤(LPを含 めて)も再現していなことが、このCD−Rを聴くと分かる。オーケストラの録音もいささかも古さを感じさせない。 |
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| 78CDR-1001 | ショパン:エチュードOp.10(全12曲) | アルフレッド・コルトー(P) 英HISMASTER'SVOICEDB2207/09 (1933年7月4&5日,ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| アビー・ロードに設置されたEMIの自社開発による録音システムが稼働しはじめて間もなくの録音(原盤番号の 後に□のマークで区別)だが、今は聴けないエラール社のピアノの音が光輝いている。コルトーは曲順を楽譜通 りではなく配列して曲の相互に関連性を持たせているのも聞きどころ。 |
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| 78CDR-1002 | ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番、 ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」* |
フリッツ・クライスラー(Vn)、 フランツ・ルップ(P) 英HMVDB3068/70(1936年2月6日ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音)、 英 HISMASTER'SVOICEDB3071/74(1936年6月17,18,19日,11月8日ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音*) |
| フリッツ・クライスラー(1875-1962)は1935年と1936年にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集を録音し た。SPレコードで27枚が4巻のアルバムで発売された。ソナタ第7番ハ短調と第9番イ長調「クロイツエル」はア ルバム第3巻(7枚組)として発売された。1935年に60歳を迎えたクライスラーのベートーヴェンソナタ全曲は、 人生経験を積んだ音楽家のもつ深い思慮で紡ぎ出された演奏。クライスラーの音色もまたこれまでの復刻盤では、 十分に再現できていなかったことが、お分かりいただけると思う。 |
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| 78CDR-1003 | ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 | ジネット・ヌヴー(Vn)、 イザイ・ドブローウェン(指)フィルハーモニアO 英HISMASTER'SVOICEDB9126S/9130(1946年8月16-18日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音) |
| フランスの女流ヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴー(1919-1949)はアメリカに向かう航空機の事故で30歳の命 を失った。ピアニストで実弟のジャン・ヌヴーも同乗していた。彼女の天才ぶりは1930年に11歳でパリ音楽院で 一等賞を得たことでも推し量れる。第2次世界大戦が終わり占領下のパリが解放され、世界に羽ばたく緒端の期 の録音である。原録音は磁気テープと思われるが78回転SPで発売され、LPでは味わうことのできない実在感のあ るヴァイオリンが聴ける。 |
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| 78CDR-1004 | バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番/第3番 | パブロ・カザルス(Vc) HISMASTER'SVOICEDB8414/19(1936年11月23日ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| パブロ・カザルス(1876-1973)のJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。この第2番と第3番 はアルバムの第1巻として発売された。この2曲だけがアビー・ロードでの録音。他の4曲は1938年と1939年に録 音された。この録音の生々しさは1930年の半ばにしてEMIの録音技術は完成していたことの証である。 |
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| 78CDR-1005 | ルクー:ヴァイオリン・ソナタ ト長調 | アンリ・コック(Vn)、 シャルル・ファン・ランケル(P)、 日本ポリドール80104/7(1932年録音) |
| この名曲の世界初録音盤である。この曲が日本で未だに人気があるのは、このSP盤に端を発している。アンリ・ コックはフランコ=ベルギー派の名手でルクーのスペシャリストでもあった。骨太の筆致で奏でるルクーはSP時 代のメニューインやLPのリュミオーと一味違う。この演奏はLP時代も復刻盤がなかった初復刻。 |
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| 78CDR-1006 | ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」 | ブロニスワフ・フーベルマン(Vn)、 イグナツ・フリートマン(P) 仏Parlophone59.532/5(英ColumbiaLX72/5と同一演奏) 1930年9月12日ウィーン,ミッテラー・コンツェルトザール録音 |
| フーベルマンは「快刀乱麻」とあらえびす(1882-1963)が評した演奏である。荒々しいまでのフーベルマンの演 奏は復刻盤では古臭く聞こえるが、SPダイレクトでは圧倒的な力で迫ってくる。 |
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| 78CDR-1007 | ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 | フリッツ・クライスラー(Vn)、 サー・ジョン・バルビローリ(指) ロンドン・フィルハーモニーO 英HISMASTER'SVOICEDB2927/31(1936年6月16日録音) |
| フリッツ・クライスラーは初期の電気録音時代の1926年にベートーヴェンを録音していて、この曲の決定盤と評 価されていた。1936年のこの録音は61歳のクライスラーの録音。ヴァイオリン・ソナタ全集と同一時期のもので、 ここでも人生経験を積んだ音楽家だけが持つ演奏を繰り広げてきる。EMI録音の完成期の見事な音はSP時代の再 生法では再生不可能だった。 |
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| 78CDR-1008 | サン=サーンス:ピアノ協奏曲第4番 | アルフレッド・コルトー(P)、 シャルル・ミュンシュ(指)パリ・フィルハーモニー協会O 英HISMASTER'SVOICEDB2577/9(1935年7月9日アビー・ロード第1スタジオ録音) |
| 1936年作曲家サン=サーンス(1835-1921)の生誕100年記念演奏会がパリとロンドンで開かれた。ロンドンの演 奏会の直後にアビー・ロードのEMIスタジオで録音された。ソリストはコルトー、オーケストラはパリで活躍し ていたソリストや音楽院教師などで特別に編成され、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)が(指)者に起用された。 前出の78CDR-1000のコルトーによるショパン:ピアノ協奏曲第2番の翌日の録音。フランス人指揮者とフラン スのオーケストラによるこの曲とイギリス人指揮者とイギリスのオーケストラによる比較ができる。SPレコード 録音の極致とも言える音がダイレクト・ランスファーで聴ける。 |
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| 78CDR-1009 | ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」 | アルフレッド・コルトー(P)、 ジャック・ティボー(Vn)、 パブロ・カザル(Vc)、 英HMV DB1223/7△(1928年11月18日ロンドン小クイーンズ・ホール録音) |
| まさに人類の遺産とも言えるかけがいのない名演奏。アルフレッド・コルトー(1877-1962)、ジャック・ティ ボー(1880-1953)、パブロ・カザルス(1876-1973)のピアノ・トリオは電気録音の初期に数曲の録音をした。SP 時代最高品質と言われたHISMASTER'SVOICE盤は盛大な雑音があるが、楽音の彫りの深さも圧倒的。ダイレク ト・トランファーで3人の巨人の妙技に浸れる。原盤番号の末尾の△は電気録音の開発者ウェスタンエレクトリ ックの録音機を使用した記号。 |
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| 78CDR-1010 | パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番 | グィラ・ブスターボ(Vn) フリッツ・ツァウン(指)ベルリン市立O 独COLUMBIALWX354/5(1942年ベルリン録音) |
| グィラ・ブスターボ(1919-)はアメリカのウィスコンシン州生まれのイタリア系女流ヴィオリニスト。第2次世 界大戦中ドイツで活躍した。ドイツ・コロンビアにシベリウスとパガニーニの協奏曲を録音していた。他に小品 が数曲英コロンビアにあった。彼女は晩年インスブルックの音楽院で後進の指導にあたっていた。 |
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| 78CDR-1011 | ハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調Hob.VIIa-1 | ミシェル・オークレール(Vn) ジャック・ティボー(指)パリ音楽院O 仏DISQUE"GRAMOPHONE"W1579/80 (1943年10月7日パリ、アルベール・スタジオ録音) |
| パリ音楽院の名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)について学んだミシェル・オークレール(1 924-2005)が1943年のロン=ティボー・コンクールで優勝し、そのお祝いとして師の一人のジャック・ティボー の(指)で録音した記念レコード。こぼれるような初々しい表情のヴァイオリンに父親のように暖かい手をさしの べるティボーが微笑ましく感じる。 (お詫び:トラック2の終了時にボコノイズがあります) |
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| 78CDR-1012 | フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調 | ジョアン・マッシア(Vn) ブランシュ・セルヴァ(P) 英COLUMBIADX239/242(1930年6月3&6日パリ録音) |
| ブランシュ・セルヴァ(1884-1942)はパリ音楽院でピアノを学び1895年に11歳で一等賞、1904年にJ.S.バッハの クラヴィーア曲集を全曲ピアノで演奏した。ヴァイオリンのジョアン・マッシアはカタロニア出身で1923年にセ ルヴァとデュオを組み演奏活動を始めた。セルヴァは1930年11月のコンサート中に卒中に襲われステージ活動を 離れた。仏マリブラン(CDRG177)にこのフランク以外のセルヴァの全録音が復刻されている。 |
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| 78CDR-1013 | ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番 | アルフレッド・デュボワ(Vn) デジレ・ドゥフォー(指)ブリュッセル王立音楽院O 仏COLUMBIALFX14/6(1929年9月27日ブリュッセル録音 |
| アルフレッド・デュボワ(1898-1949)はフランコ=ベルギー派の中核のヴァイオリニスト。ウジェーヌ・イザイ (1858-1931)を師に仰ぎ、アルテュール・グリュミオー(1921-1975)を弟子に持った。作曲家のアンリ・ヴュー タン(1820-1881)はまたイザイの師にあたる。ハイフェッツの名演奏で知られるこの第5番の世界初録音であっ た。フランコ=ベルギー正統派の演奏が聴ける貴重盤) |
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| 78CDR-1014 | ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、 ヴァイオリン・ソナタ第4番/第8番 |
フリッツ・クライスラー(Vn) フランツ・ルップ(P) 英HISMASTER'SVOICEDB8054/60 (第4番&第5番=1935年4月,第8番=1936年2月ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| フリッツ・クライスラー(1875-1962)が1935年と1936年に録音したベートーヴェンヴァイオリン・ソナタ全曲の 第2巻とした発売されたSPレコード7枚組のセット。60歳を越えたクライスラーの深い音楽的心境が聴く者の心を 打つ。 |
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| 78CDR-1015 | ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」 | ジャック・ティボー(Vn) アルフレッド・コルトー(P) 英HISMASTER'SVOICEDB1328/31(1929年5月27&28日パリ,プレイエル音楽堂サル・ショパン録音) |
| ジャック・ティボー(1880-1953)とアルフレッド・コルトー(1877-1962)が電気録音初期に録音したベートーヴ ェン:ヴァイオリン・ソナタの唯一の録音。ベートーヴェンの「大公」トリオと同様天馬空を行くごときの名演奏。 |
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| 78CDR-1016 | ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 | フリッツ・クライスラー(Vn) ジョン・バルビローリ(指)LPO 英HISMASTER'SVOICEDB8127/31(1936年6月18&22日ロンドン,アビー・ロード第1スタジオ録音) |
| フリッツ・クライスラー(1875-1962)が1936年に再録音したもの。録音が優れ、深みを増したクライスラーの心 の襞を恐ろしいほど捉えている。ソロ・ヴァイオリンとオーケストラのバランスも最高。 |
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| 78CDR-1017 | シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 | ジネット・ヌヴー(Vn) ワルター・ジュスキンド(指)フィルハーモニアO 英HISMASTER'SVOICEDB9007/10 (1945年11月21日ロンドン,アビー・ロード第1スタジオ録音) |
| ジネット・ヌヴー(1919-1949)の極め付きの演奏で、彼女の初の協奏曲録音でもあった。SPレコードでの発売だ がオリジナル録音はテープだと思われる。 |
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| 78CDR-1018 | ショーソン:詩曲Op.2 | ジョルジュ・エネスコ(Vn) サンフォード・シュルッセル(P) 日本コロムビアJ7880/1 (1929年ニューヨーク録音) |
| ヴァイオリニスト、ピアニスト、指揮者、作曲家の全能音楽家だったエネスコ(1881-1955)がアメリカ・コロン ビアに録音した電気録音6枚の中の一曲である。全霊精根を傾けてひたすら弾くこのアーティストのベストフ ォームで、ヴァイオリン・レコードの最高峰。 |
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| 78CDR-1019 | バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 | ジョコンダ・デ・ヴィート(Vn) (1950年&1947年ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| ジョコンダ・デヴィート(1907-1994)はイタリア最高の女流ヴァイオリニスト。1944年ローマのサンタ・チェ チーリア音楽院の終身教授に任命された。1947年からEMIに録音を始めた。最初に「シャコンヌ」が、残りの4つ の楽章は3年後の1950年に録音された。燃える炎のようなバッハが聴ける。オリジナルテープ録音と思われる。 |
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| 78CDR-1020 | ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 (カデンツァ:レオナール) |
アンリ・メルケル(Vn) ウジェーヌ・ビゴー(指) コンセール・ラムルーO 仏DISQUE"GRAMOPHONE"W1508/12 (1941年11月10-11日パリ、アルベール・スタジオ録音) |
| アンリ・メルケル(1897-1969)はスペイン交響曲やサン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番のSPレコード録音 で知られているフランスのヴァイオリニスト。1929年からパリ音楽院Oのコンサートマスターを勤めた後 ソリストに転向した。このベートーヴェンはフランスがドイツの占領下だった1941年11月の録音である。フラン スの名ヴァイオリニストだったレオナール(1819-1890)のカデンツァが聴ける唯一のレコードであろう。レオ ナールはティボー(1880-1953)、フレッシュ(1873-1944)、エネスコ(1881-1955)を弟子に持った名教師マルシ ック(1848-1924)の師にあたる。 |
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| 78CDR-1021 | モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 (カデンツァ:フーベルマン) |
ブロニスワフ・フーベルマン(Vn) イッサイ・ドブローウェン(指) ウィーン・フィルハーモニーO 英COLUMBIALX494/6 (1934年6月14日ウィーン録音) |
| ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランドのヴァイオリニスト。6歳よりヴァイオリンを学び、189 2年10歳の時ベルリンに出て大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)の下で8ヵ月学び、師のヨアヒムの(指) でデビューした。その後ヨーロッパ各地で演奏し天才少年として名を高めた。名ソプラノ、アデリナ・パッティ (1843-1919)が彼の演奏を聴いて感心し、ウィーンで1895年に開かれた「パッティ告別演奏会」に招かれ演奏し た。また同年ブラームスのヴァイオリン協奏曲を作曲家の前で弾いて驚かせたという逸話もある。フーベルマン は活動拠点をウィーンに置き演奏会を開きながら子弟の育成をした。1933年にフルトヴェングラーからベルリ ン・フィルの独奏者として招かれたとき、書簡でナチ専制国では演奏する意思のないことを表明した。1935年に はパレスチナを訪問しドイツを追われたユダヤ系の音楽家のためにオーケストラを組織した。それが現在のイス ラエル・フィルである。このSPレコードの生々しい演奏を聴くとフーベルマンが当時のヨーロッパの聴衆に受け 入れられたのがよく理解できると思う。 ※復刻に使用した盤の第1面が他の面に比べて状態が良くないため、ノイズが多めになっています。 |
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| 78CDR-1022 | モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 (カデンツァ:ヨアヒム) |
ヨーゼフ・ヴォルフシュタール(Vn) フリーダー・ヴァイスマン(指) ベルリン国立歌劇場O 英PARLOPHONEE10921/4(原録音:独ODEONO-7635/8) (1928年9月15日&19日ベルリン録音) |
| ヨーゼフ・ヴォルフシュタール(1899-1931)はウクライナのレンブルク(現リヴォフ)に生まれた。1912年13歳 の時ベルリンの名教師カール・フレッシュ(1873-1944)につき厳格な指導を受け、3年後にデビュー。フレッシュ は彼をオーケストラに入れることにし、ゲオルグ・クーレンカンプ(1898-1943)の後任としてブレーメン・フィ ルのコンサートマスターに就いた。1921年にはスウェーデンのオーケストランのコンサートマスターを務めた後、 1922年からフレッシュのアシスタントとしてベルリンで後進の指導にあたった。1928年オットー・クレンペラー (1885-1973)がベルリンのクロル・オペラの指揮者に就任した時、彼をコンサートマスターに招いた。1930年11 月にインフルエンザに感染、それをこじらせて翌1931年2月、32歳で他界した。レコード録音は機械式録音の後 期1925年と電気式録音初期1928年にベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲をドイツ・ポリドールに録音している。 このモーツァルトはベルリン・クロル・オペラのコンサートマスター就任の頃のもので、この曲の世界初録音だ った。透明で銀色に光るヴァイオリンはSPレコード・ダイレクト・トランスファーだけで聴くことができる。 |
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| 78CDR-1023 | モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 (カデンツァ:ピエルネ) |
マルグリット・ロン(P)、 フィリップ・ゴーベール(指)パリSO 米COLUMBIA68566D/68D(原録音:仏COLUMBIALFX408/10) (1935年12月13日パリ録音) |
| マルグリット・ロン(1874-1966)はフランスのニームに生まれた。17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、1893年 19歳でコンサート・デビュー。1906年32歳で母校パリ音楽院の教授に就任した。弟子にはサンソン・フランソワ (1924-1970)、イヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)、リュセット・デカーヴ(1906-)、ジャン・ドワイヤ ン(1907-1982)、ジャック・フェブリエ(1900-1979)、ニコール・アンリオ=シュワイツァー(1925-)等初期LP の時代に活躍した人がいる。1943年ヴァイオリニストのジャック・ティボー(1880-1953)と共に若い優秀な音楽 家を発掘する国際音楽コンクールをパリに創設した。ロンは高名な割に録音が少ない。2006年のモーツァルト生 誕250年にSP録音のモーツァルトを復刻した。SP原盤に小傷が多いのをご容赦願いたい。 |
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| 78CDR-1024 | メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調 | フリッツ・クライスラー(Vn) ランドン・ロナルド(指)LPO 英HISMASTER'SVOICEDB2460/62 (1935年4月8日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音) |
| フリッツ・クライスラー(1875-1962)はウィーン生まれの20世紀前半に活躍した大ヴァイオリニスト。メンデル スゾーンのヴァイオリン協奏曲は電気録音初期の1926年に録音していたが、これはクライスラーが60歳の時の2 回目の録音。サー・ランドン・ロナルド(1873-1938)はロンドン生まれ。ベルリナーの平円盤レコード の黎明期から、当時ピアニストとして務めていたロンドンのコヴェントガーデン・オペラに出演した大歌手たち にレコード録音を薦めた功労者でもある。1909年にロイヤル・アルバート・ホールOの指揮者となり、機 械式録音の時代にも多くの録音を残している。電気録音になってからは協奏曲の指揮をとり、コルトー(1877-1 962)とシューマンのピアノ協奏曲を1924年(機械式録音)、1927年と1934年の3回録音している。 |
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| 78CDR-1025 | ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第6番/第10番 | フリッツ・クライスラー(Vn) フランツ・ルップ(P) 英HISMASTER'SVOICEDB3296/3301 (19362月4日=第6番,6月19日=第10番ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| フリッツ・クライスラー(1875-1962)は1935年と1936年にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全10曲を録音 した。これらはSPレコード27枚で"ベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ・ソサイエティ"として4巻のアル バムで発売された。この第6番と第10番は第4巻にあたる。ここでのクライスラーは楽譜に書かれた一つ一つの音 に生命の息吹が込めて音楽を創りあげている。さすがに60歳の大演奏家の芸術と言える。 |
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| 78CDR-1026 | モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第42番イ長調K.526 | ユーディ・メニューイン(Vn) ヘフツィバー・メニューイン(P) 仏DISQUE"GRAMOPHONE"DB2057/8 (1933年9月29日パリ、アルベール・スタジオ録音) |
| ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ、サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを 習いシグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事した。1924年6歳の時アルフレッド・ヘル ツ(1872-1942)(指)サンフランシスコSOでラロのスペイン交響曲を弾いてデビュー、神童として評判にな った。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ドイツでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の手ほどき をうけた。1928年には12歳で初レコード録音を行い、同年ベルリンでブルーノ・ワルター(1876-1962)指揮ベル リン・フィルでバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの"3大B"のヴァイオリン協奏曲を弾いた。このモーツァ ルトは17歳の録音。ピアノは妹のヘフツィバー・メニューイン(1920-1981)で当時彼女は13歳だった。この屈託 のない生き生きとした演奏を聴いているとモーツァルトの生き写しのように思えるから不思議だ。 |
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| 78CDR-1027 | モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調K.454 | マグダ・タリアフェロ(P) ドゥニーズ・ソリアーノ(Vn) 英COLUMBIADX856/7(原録音:仏PATHEPAT84/5) (1937年4月22日&1937年5月11日パリ録音) |
| マグダ・タリアフェロ(1893-1986)はブラジル生まれのピアニスト。サンパウロ音楽院を経て1906年13歳でパリ 音楽院に入り、9カ月後に一等賞を得た。その後コルトー(1873-1962)に師事した。ソリストとしての活動だけ でなくジャック・ティボー(1880-1953)、ジュール・ブーシュリ(1878-1962)、パブロ・カザルス(1876-1973) などの弦楽器奏者、エドゥアール・リスレル(1873-1929)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)らとピアノ・デ ュオを組んだこともある。ヴァイオリンのドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)はエジプトのカイロ生まれ。パ リ音楽院でジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事した。ブーシュリのクラスは女流ヴァイオリニストを多く 輩出している。ソリアーノは音楽院でブーシュリ教授の助手を務め、1958年に結婚しブーシュリ夫人となった。 タリアフェロとは1934年に録音したフォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番(仏PATHE)があり、1934年の第1回 ディスク大賞をとった。 |
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| 78CDR-1028 | ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、 バッハ:アダージョ・マ・ノン・トロッポ |
ジョアン・マッシア(Vn) ブランシュ・セルヴァ(P) 仏COLUMBIALFX105/8 (1929年3月13日&1930年6月2日=ベートーヴェン、1929年1月2日=バッハ、マドリッド録音) |
| ピアノのブランシュ・セルヴァ(1884-1942)はパリ音楽院で学び、1895年に11歳で一等賞を得た。13歳でコン サート・デビューした後スコラ・カントルム音楽院でヴァンサン・ダンディ(1851-1931)のクラスで作曲を学ん だ。1902年から同校で教鞭をとるようになり、彼女の死の1942年までつづいた。ジョアン・マッシアはカタロニ ア出身のヴァイオリニスト。1923年からセルヴァとデュオを組み演奏活動を始めた。セルヴァは1930年11月のコ ンサート中に卒中に襲われステージ活動を離れた。 |
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| 78CDR-1029 | ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ ニ長調Op.1-13 | ミシェール・ブーシノー(Vn) モーリス・フォール(P) 仏PATHEPDT246/7 (1951年6月16日パリ、アルベール・スタジオ録音) |
| ミシェール・ブーシノー(1929-)はパリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事し、1953年の ロン=ティボー国際コンクールのヴァイオリン部門で入賞した。この年のコンクールの創設者のジャック・ティ ボー(1880-1953)が審査員を務めた最後の年になった。同年の9月に東南アジアから日本に向かう飛行機の事故で ティボーは73歳の命を落としたからだ。コンクールの審査員の一人だったダヴィッド・オイストラフ(1908-197 4)はブーシノーをソ連政府を説得し助手にした。この録音はコンクールの2年前のものでSPレコード末期の貴重 なもの。ブーシノーのSPはこのヘンデルだけでLP時代の録音もごく僅かしかない。ジョルジュ・プレートル(指) のサン=サーンス:死の舞踏(EMI)の中でソロを聴くことができる。 |
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| 78CDR-1030 | ボッケリーニ:チェロ協奏曲変ロ長調G.482 | パブロ・カザルス(Vc)、 サー・ランドン・ロナルド(指)LSO 英HISMASTER'SVOICEDB3056/8) (1936年11月29日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音) |
| パブロ・カザルス(1876-1973)がHISMASTER'SVOICEで初めてのソロ協奏曲録音である。録音はJ.S.バッハの 無伴奏チェロ組曲第2番と第3番(78CDR-1004)の6日後に行われた。録音時カザルスは60歳。サー・ランドン・ ロナルド(1873-1938)はイギリス指揮界の長老で、コルトーやクライスラーの協奏曲録音も務めたベテラン。 録音当時63歳だった。 |
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| 78CDR-1031 | モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 (カデンツァ:G.エネスコ) |
ドゥニーズ・ソリアーノ(Vn) ジュール・ブーシュリ(指)管弦楽団 仏PATHEPAT127/9 (1937年6月3-4日パリ録音) |
| ドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)はパリ音楽院の名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事 したカイロに生まれたフランスの女流ヴァイオリニスト。1932年16歳でパリ音楽院の一等賞を得た。1934年には ピアノのマグダ・タリアフェロと録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番がディスク大賞を受賞した。ソリアーノは ソリストとしての活動の傍ら、ブーシュリ教授の片腕として後進の指導にあたった。ソリアーノは2006年3月5日パリ の病院で90歳の生涯を閉じた。この録音は師のブーシュリが愛弟子のために(指)棒を取った唯一の録音。ヴァイ オリニストとしてのブーシュリは機械式録音時代に録音はあるが、電気録音になってからは録音をしなかった。ソリ アーノはモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調K.454(78CDR-1027)をピアニストのタリアフェロと録音 している。 |
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| 78CDR-1032 | ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲 | アルフレッド・コルトー(P) シャルル・ミュンシュ(指)パリ音楽院O 英HISMASTER'SVOICEDB3885/6) (1939年5月12日パリ、アルベール・スタジオ録音) |
| モーリス・ラヴェル(1875-1937)は第1次世界大戦(1914-1918)で負傷し右手を失ったオーストリアのピアニスト、 パウル・ヴィットゲンシュタイン(1887-1961)の依頼で「左手のためのピアノ協奏曲ニ長調」を作曲した。初演 はヴィットゲンシュタインのソロ、ロベルト・ヘーガー(1886-1978)(指)で1931年ウィーンで行われた。ヴィッ トゲンシュタインは力量不足で楽譜通りに弾ききれず勝手に手を加えて演奏した上にピアノがあまりにも難技巧 のため音楽性がないと曲を非難した。そのため以降このピアニストとラヴェルの仲は険悪となった。楽譜通りの 初演は1933年にジャック・フェヴリエ(1900-1979)によってパリで行われた。アルフレッド・コルトー(1877-196 2)の演奏は、彼のあらゆる録音の中の最高傑作ではなかろうか。この曲はSP時代にコルトーを含めて3種類の録 音があり、そのいずれもシャルル・ミュンシュ(1891-1968)が(指)をしていた。録音時コルトーは62歳だった。 |
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| 78CDR-1033 | ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1番〜第3番 | フリッツ・クライスラー(Vn) フランツ・ルップ(P) 英HISMASTER'SVOICEDB2554/60 (1935年4月2日=第1番,4月3日=第2番,4月3-4日=第3番ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| フリッツ・クライスラー(1875-1962)はウィーン生まれの20世紀最高のヴァイオリニスト。1935年と1936年に ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全10曲をSPレコード27枚に録音し、HISMASTER'SVOICEは"ベートーヴ ェン・ヴァイオリン・ソナタ協会"としてアルバム4巻で発売した。 |
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| 78CDR-1034 | フランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調 | カペーSQ リュシアン・カペー(第1Vn) モーリス・エウィット(第2Vn) アンリ・ブノワヴァ カミユ・ドゥロベール(Vc)、 日本コロムビアJ8242/6 (1928年10月パリ録音) |
| カペー弦楽四重奏団の最後の録音。この録音の数週間後リーダーのリュシアン・カペー(1876-1928)が急逝した のだった。享年52歳。カペー弦楽四重奏団は1893年に結成された。途中メンバーの交代があったが、1927年と19 28年にフランス・コロンビアに録音した時は1919年以来のメンバーであった。ピアノのマルセル・シャンピ(189 1-1980)はパリ生まれ。パリ音楽院でルイ・ディエメに師事し、1909年に一等賞を得て、1941年から1961年でパ リ音楽院の教授の地位にあった。弟子には、イヴォンヌ・ロリオ、エリック・ハイドシェック、セシル・ウーセ などがいる。 |
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| 78CDR-1035 | ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調Op.1-13 | ジョルジュ・エネスコ(Vn) サンフォード・シュルッセル(P) 米COLUMBIA50187-D/8-D (1929年ニューヨーク録音) |
| ヴァイオリニスト、ピアニスト、(指)者、作曲家の全能音楽家だったエネスコ(1881-1955)が1929年にアメリ カ・コロンビアに録音した電気録音6枚の中の一曲である。全霊精根を傾けてひたすら弾くこのアーティストの ベストフォームで、ヴァイオリン・レコードの最高峰といえる。録音時エネスコは48歳だった。復刻にはアメリ カ・コロンビアの初版ブルー・シェラック盤を使用した。第3楽章と第4楽章の前半で周期ノイズが出るのをご容 赦願いたい。 |
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| 78CDR-1036 | モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330(300h) ロマンス変イ長調K.Anh.205 |
エトヴィン・フィッシャー(P) 英HISMASTER'SVOICEDB3424/5) (1937年3月6日=K.330,1938年3月8日=K.Anh.205 ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| エトウィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼルの音楽院で学んだ後ベルリンに出て、 リストの高弟マルティン・クラウゼについた。1930年にベルリン高等音楽院の教授に就任し、演奏家としても活 躍した。1942年にスイスに戻りソロ活動に加え、ヴァイオリンのクーレンカンプ(後にヴォルフガング・シュナ イダーハン)、チェロのマイナルディとフィッシャー・トリオを結成した。弟子にアルフレッド・ブレデル、パ ウル・バドゥーラ=スコダ、レーヌ・ジアノーリらがいる。このモーツァルトはフィッシャーが51歳の時の録音。 |
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| 78CDR-1037 | モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第32番ヘ長調 K.376(374d) | ユーディ・メニューイン(Vn) ヘフツィバ・メニューイン(P) 英HISMASTER'SVOICEDB3552/3) (1938年3月29日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| ユーディ・メニューイン(1916-1999)は6歳の時、サンフランシスコSOでラロのスペイン交響曲を弾いてデ ビューし、神童と騒がれた。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ドイツでアドルフ・ブッシュ(18 91-1952)の指導を受けた。このソナタはメニューインが22歳の録音。他に17歳の時に録音したヴァイオリン・ソ ナタイ長調K.526(78CDR-1026)もある。ヘフツィバ・メニューイン(1920-1980)は4歳年下の妹で1933年以降し ばしば兄と共演した。 |
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| 78CDR-1038 | モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番 ヘ長調K.377(374e) | アドルフ・ブッシュ(Vn) ルドルフ・ゼルキン(P) 米VICTOR15176/7 (原録音:英HISMASTER'SVOICEDB3373/4) (1937年10月9日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年以後ピアニストのルドルフ・ゼルキン(19 03-1991)とデュオを組んで活躍した。1935年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチの ユダヤ人迫害を避けアメリカに移住した。ブッシュもまたドイツを去りスイスに在住、その後アメリカに定住し た。この録音はブッシュが46歳、ゼルキンが34歳の時のもの。70年前のドイツではどのようなモーツァルト演奏 が行われていたかの良き例。 |
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| 78CDR-1039 | ルクー:ピアノ四重奏曲(未完) | シャルル・ファン・ランケル(P) アンリ・コック(Vn) ジャン・ロジステルヴァ リド・ロジステル(Vc)、 仏 POLYDOR516.555/7 (1933年1-5月録音) |
| 24歳の生涯を閉じたギヨーム・ルクー(1870-1894)未完のピアノ四重奏曲をルクーのヴァイオリン・ソナタト長 調を録音したヴァイオリンのアンリ・コック(1903-1969)とピアノのシャルル・ファン・ランケルにヴィオラの ジャン・ロジステル(1879-1964)とチェロのリド・ロジステルが加わっての演奏である。これら4人の音楽家はベ ルギーのリエージュで活躍した。長老格のジャン・ロジステルはストコフスキー時代のフィラデルフィア管弦楽 団の首席ヴィオラを務めたこともある。第2楽章をルクーに代わって師のヴァンサン・ダンディ(1851-1931)が補 筆したこのピアノ四重奏曲は、ヴァイオリン・ソナタト長調と同じくベルギーの大ヴァイオリニスト、ウジェ− ヌ・イザイ(1858-1931)が作曲委嘱した作品だった。 |
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| 78CDR-1040 | ラロ:スペイン交響曲 | ブロニスワフ・フーベルマン(Vn) ジョージ・セル(指)VPO 日本コロムビアJ8320/22(原録音:英COLUMBIALX-347/9) (1934年6月20日&22日ウィーン録音) |
| ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランドのヴァイオリニスト。1892年10歳の時に大ヴァイオリニ スト、ヨアヒム(1831-1907)の(指)でベルリン・デビュー。3年後の1895年13歳の時、名ソプラノ、アデリナ・パ ッティ(1843-1919)に招かれウィーンでの「パッティ告別演奏会」で演奏した。この「スペイン交響曲」の録音 は1934年フーベルマンが52歳の時のもの。指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はブダペスト生まれ、最初にウ ィーン、後にライプツィヒで学んだ。ヨーロッパ各地のオペラ劇場で指揮した後、ニューヨークに移住。1942年 から1946年はメトロポリタン歌劇場、1946から死去する1970年までの24年間はクリーヴランドOを(指)し た。この録音はセルが37歳の時のもの。ヴァイオリンをもってオーケストラに真剣勝負で切り込んでいくフーベ ルマンの凄さがダイレクト・トランスファーによって初めて聴ける。 |
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| 78CDR-1042 | ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番 | カペーSQ リュシアン・カペー(第1Vn) モーリス・エウィット(第2Vn) アンリ・ブノワヴァ カミユ・ドゥロベール(Vc)、 日本コロムビアJ5091/4(原録音:仏COLUMBIAD-13066/9) (1928年4月10日録音) |
| 史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1876-1928)は医師の誤診 による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年52歳。カペーはパリ音楽院でJ.-P.モーランに師事し1893年に 一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織した。録音時のメンバーは1918年からもの。1920頃から毎年ベー トーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開催していた、カペーは1928年4月にフランス・コロンビアに 録音を始めた。そしてその年の10月までの6ヶ月間に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲の録音をした。10イ ンチSP盤が7枚、12インチ盤が44枚である。まるでカペーが自らの死を予期したようなハイペースの録音であ る。約80年前の録音ながら、この洗練された四重奏団の音色がダイレクト・トランスファーで見事にとらえられ ている。 |
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| 78CDR-1043 | ショパン:24の前奏曲Op.28 | アルフレッド・コルトー(P) 英HISMASTER'SVOICEDB957/60 (1926年3月22日&23日イギリス、ヘイズ"A"スタジオ録音) (お詫び:HMV盤特有のノイズが大きいです) |
| アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンに生まれ、両親は フランス人。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメ(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積む。1896年一等賞を得て 卒業。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピア ノ・トリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。コル トーはショパンの「前奏曲」を生涯に3回録音していて、これはその第1回目の録音。コルトーは戦後の1952年 (昭和27年)に初来日した。その時75歳だったコルトーは山口県下関市の響灘にある厚島が気に入り購入を申し出 た。無人島の厚島はコルトーに贈られ「孤留島」と名づけられたが、コルトーは帰国後体調を崩し、再来日は果 たせなかった。 |
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| 78CDR-1044 | ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ ドビュッシー(ハルトマン編曲):ミンストレル |
ジャック・ティボー(Vn) アルフレッド・コルトー(P) 仏DISQUE"GRAMOPHONE"DB1322/3 (1929年6月7日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音) |
| ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)の1929年6月7日 の録音。ティボーが49歳、コルトーが52歳だった。二人はこの録音の10日前の5月27日と28日にベートーヴェン の「クロイツェル・ソナタ」とフランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調(HMVDB1347/50)をパリのプレイエル音楽 堂で録音していた。ヴァイオリンのティボーは1953年(昭和28年)9月2日(フランスでは9月1日)、日本を含む東南 アジア公演に向かう途中、搭乗機が夜のアルプスの南峰スメ山に激突して命を落とした。享年73歳。 |
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| 78CDR-1045 | モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調K.581 | チャールズ・ドゥレイパー(Cl)、 レナーSQ イェノ・レナー(第1Vn) ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2Vn) シャーンドル・ロートヴァ イムレ・ハルトマン(Vc)、 米COLUMBIA67664/7D(原録音:英COLUMBIAL-2252/5) (1928年11月2日録音) |
| レナー弦楽四重奏団は1918年にハガリーのブダペストで結成された。メンバーの全員がブダペスト音楽院出身で、 レナー(1894-1948)、スミロヴィッツ、ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子。チェロのハルトマンがダヴ ィッド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革 命を機に弦楽四重奏団を結成し2年間、田舎の村に籠もって練習を積んだ。1920年にウィーンでデビュー。そこ に居合わせたモーリス・ラヴェル(1875-1937)が聴いて彼らをパリに招き、公演はセンセーショナルな成功を収 めた。その後1922年にロンドン、1929年にアメリカでデビューした。レコードは機械式録音時代の1922年にイギ リス・コロンビアに録音したのが最初で、1927年のベートーヴェン没後100年では弦楽四重奏16曲中11曲(SPレ コード40枚を録音した。このモーツァルトのクラリネット五重奏曲はイギリスのクラリネット界の祖父と尊敬さ れたチャールス・ドゥレイパー(1869-1952)を迎えて録音された。ドゥレイパーはブラームスのクラリネット五 重奏曲もレナーと録音している。 |
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| 78CDR-1046 | ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調Op.69 ウェーバー:アンダンティーノ(変奏曲ヘ長調J.94) |
エマヌエル・フォイアマン(Vc)、 マイラ・ヘス(P)(ベートーヴェン) ジェラルド・ムーア(P)(ウェーバー) 米COLUMBIA69081/83-D(原録音:英COLUMBIALX-641/3) (1937年6月28日&29日=ベートーヴェン、1936年12月22日=ウェーバー録音) |
| チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミアに生まれた。1909年にウィーンに移り アントン・ワルターに師事し11歳でコンサートデビューした。さらにライプツィヒでチェロの名教師ユリウス・ クレンゲルについた。1929年から1933年にベルリン高等音楽院の教授をつとめ、1935年にナチスの迫害を避ける ためにチューリヒに在住し、1938年にアメリカに移住した。この録音は35歳の時のもの。フォイアマンは1934年 (昭和9年)と1936年(昭和11年)に来日し、演奏会の傍らコロムビアに録音した。ピアノのマイラ・ヘス(1890-19 65)はロンドン生まれの女流で1907年17歳の時トーマス・ビーチャム(1879-1961)(指)でベートーヴェン:ピアノ 協奏曲第4番でデビューした。その後デイム(男性のサーにあたる)の称号が与えられたイギリス・ピアノ界の重 鎮で、門下にソロモン(1902-1988)やビショップ=コワセヴィ(1940-)らがいる。ジェラルド・ムーア(1899-198 7)はイギリスの名ピアノ伴奏者。 |
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| 78CDR-1047 | モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番 変ロ長調K.378(317d) | ドゥニーズ・ソリアーノ(Vn) エレーヌ・ピニャリ(P) 仏PATHEPDT163/4 (1948年録音)(小さなキズによるノイズあり) |
| ヴァイオリンのドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)はエジプトのカイロ生まれ。パリ音楽院で名ヴァイオリン 教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)のクラスで研鑽を積み、1932年16歳で一等賞を得た。1934年にピアノの マグダ・タリアフェロ(1893-1986)と録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番がディスク大賞を受賞した。 このモーツァルトは第2次世界大戦後の1948年の録音で、当時ソリアーノは32歳だった。ピアノのピニャリはパ リ音楽院出身の女流奏者。 |
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| 78CDR-1048 | シューベルト:歌曲集「冬の旅」より(1) 第1曲「おやすみ」/第2曲「風見の旗」 第3曲「凍った涙」/第4曲「かじかみ」 第6曲「あふれる涙」/第7曲「川の上で」 第9曲「鬼火」/第10曲「休息」 第11曲「春の夢」/第12曲「孤独」 第14曲「霜おく髪」/第16曲「最後の希望」 第24曲「辻音楽師」 |
ロッテ・レーマン(S) パウル・ウラノフスキー(P) 米COLUMBIA71174/6D,17367/9D (1941年3月14日&19日ニューヨーク録音) |
| ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツの名ソプラノ。1945年にアメリカ国籍を取得しカリフォルニアのサンタ バーバラで晩年を過ごした。1910年ハンブルクのオペラで「ラインの黄金」のフライアでデビュー(22歳)、以 後ドイツ・オペラの最高のソプラノとして君臨した。またリートの分野でも活躍した。電気録音の初期に録音し たシューマンの「女の愛と生涯」は広く聴かれた名演である。この「冬の旅」はアメリカのコロンビアに録音し たもの。13曲を10インチ盤3枚、12インチ盤3枚に録音した。レーマンはソプラノでありながら低声域が豊かで、 女声の「冬の旅」でもまったく違和感がない。声をはりあげて歌うのではなく、聴き手に語りかける歌い方が好 ましい。レーマン53歳の録音。ダイレクト・トランスファーに声楽が初登場。歌詞はついていない。 |
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| 78CDR-1049 | シューベルト:歌曲集「冬の旅」より(2) 第5曲「菩提樹」/第8曲「かえりみ」 第13曲「郵便馬車」/第15曲「からす」 第17曲「村にて」/第18曲「嵐の朝」 第19曲「まぼろし」/第20曲「道しるべ」 第21曲「宿」/第22曲「勇気」 第23曲「幻の太陽」 |
ロッテ・レーマン(S) パウル・ウラノフスキー(P) 米VICTOR2108/9,17190/1 (1940年2月25日&26日録音) |
| ロッテ・レーマン(1888-1976)の「冬の旅」はアメリカのコロンビアとヴィクターの2社に録音された。ヴィク ター社への録音はコロンビアの1年前の1940年で11曲が10インチ2枚、12インチ2枚だった。レーマン52歳の録音。 シューベルトの書いた曲順で収録すると、レコード会社による音の違いが気になるため、コロンビアとビクター を別々に収録した。ピアノのパウル・ウラノフスキー(1908-1968)はウィーン生まれでニューヨークに没した。 アメリカ時代のレーマンの録音の伴奏の多くを手掛けた。シューベルトの「美しい水車屋の娘」ほかのレーマン との録音がある。ダイレクト・トランスファーに声楽が初登場。歌詞はついていない。 |
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| 78CDR-1050 | モーツァルト(クライスラー編):ハフナー・セレナード〜ロンド、 パガニーニ(クライスラー編):ヴァイオリン協奏曲第1番(第1楽章より) |
フリッツ・クライスラー(Vn) フランツ・ルップ(P)(モーツァルト) ユージン・オーマンディ(指) フィラデルフィアO(パガニーニ) 英HISMASTER'SVOICEDB3731(モーツァルト), DB3234/5(原録音=米VICTOR14420/1(パガニーニ) (1938年2月14日ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音=モーツァルト,1936年12月13日&1937年1月9日フ ィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック録音=パガニーニ) |
| 20世紀最高のヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(1875-1962)は作曲家としても編曲者としても才能を 発揮した。昔の作曲家の名前を冠した多くのOp.を弾いて名声を上げたが、後にそれらは編曲ではなく、作曲家 の名前を借りたクライスラー自身のOp.であることを公表した。この2曲は実在するOp.をクライスラーが編曲 したもの。モーツァルトの「ロンド」はクライスラー以前にティボー(1880-1953)の録音もあった。パガニーニ はクライスラーの手になる絢爛豪華なオーケストレーション。ソロ・パートは原曲を尊重しているがカデンツァ はこの演奏は最大の聞きどころである。 |
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| 78CDR-1051 | ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 | アルフレッド・コルトー(P) 英HISMASTER'SVOICEDA1333/6 (1933年76日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| 20世紀最高のフランスのピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)は1892年パリ音楽院のルイ・ディエ メ(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。ワーグナーに心酔し1897年バイロイトに 赴き合唱指揮者となった。1902年には「神々の黄昏」と「トリスタンとイゾルデ」のパリ初演をし、またソプラ ノのフェリア・リトヴァンヌ(1863-1936)のピアノ伴奏者として初レコード録音を行った。このショパンのピア ノ・ソナタ第3番はコルトーの2回目の録音。録音時コルトーは56歳だった。1933年7月4日から8日の5日間でコル トーはショパンばかり49面の録音を行った。 |
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| 78CDR-1052 | バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番 | ジョコンダ・デ・ヴィート(Vn) アンソニー・バーナード(指)ロンドンCO ジェレイント・ジョーンズ(ハープシコード) 英HISMASTER'SVOICEDB6884/6 (1949年2月17日録音) |
| ジョコンダ・デヴィート(1907-1994)は20世紀イタリア最高の女流ヴァイオリニスト。1944年ローマのサンタ・ チェチーリア音楽院の終身教授に任命された。1947年エディンバラ音楽祭に出演を機にEMIのアーティストとな った。このバッハの協奏曲は彼女の初期の録音にあたる。SPレコード末期の優秀録音で溢れるように豊麗なヴァ イオリンが聞く人を魅了する。 |
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| 78CDR-1053 | ハイドン:ハープシコード協奏曲ニ長調Op.21Hob.XVIII-11 ピアノ・ソナタ第36番〜メヌエット&ドイツ舞曲(5曲) |
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード) ウジェーヌ・ビゴー(指)O 英HISMASTER'SVOICEDB8782/4 (1937年4月19日パリ録音) |
| ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルソー生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。彼女は ピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個 のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に作らせ、生涯この楽器を使用した。1940年フラ ンス国籍を得たが、1941年ドイツ軍侵攻によりアメリカにのがれた。後にハープシコードはアメリカ軍によって 彼女の手元に送られた。このハイドンはランドフスカが58歳の録音。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965) はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の(指)者を経て1923年パリ音楽院O、1928年フランス放送O、 1935年ラムルーO、オペラ・コミックの(指)者を歴任。パリ音楽院の(指)科の教授も務めた。SPレコード の録音も多い。 |
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| 78CDR-1054 | モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番 モーツァルト(ブルメスタ−編):ディヴェルティメント第17番〜メヌエット |
アルフレッド・デュボワ(Vn) デジレ・ドゥフォー(指) ブリュッセル王立音楽院O(協奏曲) フェルナン・ゴーヤン(P)(メヌエット) 仏COLUMBIALFX201/3 (1931年6月12日録音) |
| アルフレッド・デュボワ(1898-1948)はアルトゥール・グリュミオー(1921-1975)の師として知られているが、そ の演奏を聞く機会はめったにない。本シンリーズのヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番Op.37(78CDR-1013) に続くデュボワの第2弾である。このヴァイオリン協奏曲第6番はモーツァルトの死後8年目の1799年にヨハン・ アントン・アンドレによって楽譜が出版された。モーツァルト時代にミュンヘンで活躍したヴァイオリニスト、ヨハン・ フリートリヒ・エックがモーツァルトから手渡された楽譜にもとづいて自分で加筆し、さらにモーツァルトの弟子の フランツ・ジュスマイアー(1766-1803)が筆を加えたという。ジュスマイアーはモーツァルトの最後の作品「レクイエム」 を補筆完成させた人物。学者間では第2楽章は疑わしいが、他の楽章はモーツァルトのOp.であるという説だったが、 現在では疑わしいOp.としてモーツァルトのOp.表から除外されている。デジレ・ドゥフォー(1885-1960)はベルギーの ガンに生まれた指揮者。1943年から1947年シカゴSOの(指)者を務めたこともある。 |
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| 78CDR-1055 | モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387 | レナーSQ イェノ・レナー(第1Vn) ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2Vn) シャーンドル・ロートヴァ イムレ・ハルトマン(Vc) 米COLUMBIA67806/9D(原録音:英COLUMBIALX-24/27) (1930年1月20-21日録音) |
| レナー弦楽四重奏団は1918年ハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身で、 レナー(1894-1948)、スミロヴィッツ、ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子。チェロのハルトマンがダヴ ィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年に起こったハンガ リー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村に籠もって練習を積んだ後、1920年にウィーン でデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演 はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にはアメリカ・デビューした。レコード は機械式録音時代の1922年にイギリス・コロンビアに録音したのが最初。1927年のベートーヴェン没後100年で は、16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)を録音した。このシリーズではモーツァルト:クラリネット五 重奏曲K.581(78CDR-1045)が出ている。 |
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| 78CDR-1056 | シューマン:弦楽四重奏曲第1番 | カペーSQ リュシアン・カペー(第1Vn) モーリス・エウィット(第2VN) アンリ・ブノワヴァ カミユ・ドゥロベール(Vc) 日本コロムビアJ7629/31(原録音:仏COLUMBIAD15107/9) (1928年10月3日録音) |
| フランスのカペー弦楽四重奏団は史上最高の弦楽四重奏団。1928年12月18日にリーダーのリュシアン・カペー(1 876-1928)の死でその活動は終止符を打った。カペーはパリ音楽院でJ.-P.モーランに師事し1893年に一等賞を得 た。その年に弦楽四重奏団を組織した。第1ヴァイオリンのカペー以外は何回か交代したが、1918年からは不動 のメンバーであった。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開いていた。カ ペー弦楽四重奏団は1928年4月にフランス・コロンビアに録音を始めた。その年の10月迄の6カ月に弦楽四重奏曲 11曲とピアノ五重奏曲1曲を録音した。10インチSP盤が7枚、12インチSP盤が44枚である。 |
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| 78CDR-1057 | ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番「熱情」 | エトヴィン・フィッシャー(P) 英HISMASTER'SVOICEDB7899/7901 (1935年2月12日ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリ スト(1811-1886)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)についた。1930年ベルリン高等音楽院の教授に就任、 また演奏家としても活躍した。1942年スイスに戻り、ソロ活動に加え、ヴァイオリンのクーレンカンプ(1898-1948)、 後にヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-1990)、チェロのマイナルディ(1897-1976)とフィッシャー・トリオを 結成した。弟子にレーヌ・ジアノーリ(1915-1979)、パウル・バドゥーラ=スコダ(1927-)、アルフレッド・ブレンデル (1931-)らがいる。この「熱情」はフィッシャーが49歳の時の録音。 |
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| 78CDR-1058 | ヘンデル(ブルメスタ−編):アリオーソ、メヌエット | ヴィリー・ブルメスター(Vn)、ピアノ伴奏 独GRAMMOPHON47974/5 (1909年9月27日ベルリン録音) 注:古いレコードのため雑音大 |
| 電気録音以前の機械式録音。ヴィリー・ブルメスター(1869-1933)はハンブルグ生まれのドイツのヴァイオリニ スト。ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に師事し、1894年ベルリンでセンセーショナルにデビューした。1909年 に録音した4枚8面のレコードだけで約100年後の今日に語り継がれている。ヴァイオリン教師として有名なカー ル・フレッシュ(1873-1944)はブルメスターのレコードを、メジャー演奏家の残した録音で、最もリズム感に欠 けた生気のない非音楽的なものと酷評した。だがこの言葉は正しいだろうか疑問を感じる。盛大な雑音の中に潜 んでいる澄みきった湖の底を覗くような透明なヴァイオリンの音色は、日本古来のワビサビの世界に通じるもの があるように思う。それは電気録音ではとても不可能と思わせる。ラッパ吹き込み(機械式録音の俗称)ならで はの世界がここにある。ブルメスター1923年来日し公演のあいまに大阪のニットーに録音を残した。 |
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| 78CDR-1059 | ベートーヴェン:ロマンス ヘ長調Op.50 | アルノルト・ロゼー(Vn)、ピアノ伴奏 英GRAMOPHONE47975 (1909年ウィーン録音) 注:古いレコードのため雑音大 |
| 電気録音以前の機械式録音。アルノルト・ロゼー(1863-1946)はルーマニア生まれ。1874-7年にウィーン音楽院 で学び、1881年ウィーン宮廷歌劇場オーケストランのコンサートマスターになり1938年までその地位にあった。 また弦楽四重奏団も組織した。ロゼーはグスタフ・マーラー(1860-1911)の妹のユスティーヌと結婚した。1888 年バイロイト・フェスティヴァル・オーケストラのコンサート・マスターになり、また宮廷歌劇場オーケストラ はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団として演奏会を開くようになった。コンサート・マスターの傍ら1893年 から1924年までウィーン音楽院で教鞭をとった。1938年にナチの迫害でロンドンに移住した。ロゼーはソリスト としてラッパ吹き込み時代にかなりのレコード録音をした。この録音はロゼーが45歳の時のもの。ここにもラッ パ吹き込みならではの独特の弦の音が聴き取れる。 |
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| 78CDR-1060 | ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調 | パブロ・カザルス(Vc)、 ジョージ・セル(指)チェコPO 英HISMASTER'SVOICEDB3288/92 (1937年4月28日プラハ,ドイチェ・ハウス録音) |
| チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)の協奏曲録音第2弾にあたる。録音場所には作曲者ドヴォルザークの故郷 プラハが選ばれ、録音時カザルスは61歳だった。指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はハンガリー生まれ。ウ ィーンとライプツィヒで学び、10歳の時ピアニストとしてウィーンSO演奏会でデビュー、17歳でベルリ ン・フィルを指揮した。リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のベルリン・オペラ時代(1915-1917)アシスタン トを務めたこともある。1930年から1936年にはチェコ・フィルの音楽監督、1942年から1946年にはニューヨーク のメトロポリタン歌劇を指揮し、1946年にアメリカ市民となった。1946から1970年までクリーヴランドO の音楽監督を務めた。これはセルが40歳の録音。SP時代のチェコ・フィルのHISMASTER'SVOICE録音はほとんど がロンドンで行われた中で、プラハでの録音は珍しい。ちなみにセル(指)チェコ・フィルのドヴォルザーク: 「新世界」は1937年10月30日のロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音だった。 |
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| 78CDR-1061 | ショパン:エチュードOp.25(全12曲) | アルフレッド・コルトー(P) 英HISMASTER'SVOICEDB12308/10 (1934年6月18-19日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| 20世紀最高のピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)のショパン:エチュード集Op.10(78CDR-1001)と 対になるもので、録音はOp.10の1年後のもの。コルトーは録音時57歳だった。曲順はSPレコードの順のままで 収録した。コルトーは第2次世界大戦中の1942年にパリでエチュードを再録音している。 |
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| 78CDR-1062 | モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番ニ短調K.421 | レナーSQ イェノ・レナー(第1Vn) ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2Vn) シャーンドル・ロートヴァ イムレ・ハルトマン(Vc) 英COLUMBIAL1965/7 (1926年3月26日ロンドン録音) |
| レナー弦楽四重奏団は20世紀前半に活躍したハンガリー出身の名団体。メンバーはブダペスト音楽院出身で、デ ビュー前の2年間は田舎の村にこもって一日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年ロンドンにデビューし て絶賛され、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストとなった。この録音は電気録音最初期の1926年3 月のもの。SP時時代の決定盤だった。 |
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| 78CDR-1063 | スーク:4つの小品Op.17 | ジネット・ヌヴー(Vn) ジャン・ヌヴー(P) 英HISMASTER'SVOICEDB6359/60 (1946年8月12-14日ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| ジネット・ヌヴー(1919-1949)はアメリカへの演奏旅行に向かう航空機事故で30歳の生涯を終えた。ジョルジ ュ・エネスコ(1881-1955)に手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1878-1962)のクラ スにはいり、8ヶ月後に一等賞を得た。8ヶ月は50年前にヴィエニャフスキ(1835-1880)が打ち立てた記録と同じ だった。その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとで研鑽を積んだ。1935年ワルシャワで開かれ たヴィエニャフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し、180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時 の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。 |
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| 78CDR-1064 | ドビュッシー:フルート,ヴィオラとハープのためのソナタ | マルセル・モイーズ(Fl) ウジェーヌ・ジノヴァ リリー・ラスキーヌ(ハープ) 仏ODEON165.243/5 (1928年2月3日録音) |
| フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、アドルフ・エンヌ バン、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)らに師事し1906年に一等賞を得、1908年にソロ・デビューした。191 3年から1938年にオペラ・コミック、1922年から33年にはストララムOに席を置いた。1932年から1949年 にパリ音楽院の教授もつとめた。1952年にルドルフ・ゼルキン(1903-1991)、アドルフ・ブッシュ(1891-1952)と 共に若い音楽家を育成するマールボロ音楽祭の創立に加わった。SPレコードの録音も多い。ハープのリリー・ラ スキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハープ奏者であったが、 ソロ奏者としても活躍した。1948年から1958年にはパリ音楽院の教授も務めた。ラスキーヌもSPレコード時代か ら、LP時代、ステレオ時代と録音が多い。 |
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| 78CDR-1065 | モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番〜第3楽章 マスネ(マルシック編):タイスの瞑想曲 |
ジュール・ブーシュリ(Vn) ルイ・ディエメ(P) 仏ZONOPHONEX77906/77913 (1906年パリ録音) |
| ジュール・ブーシュリ(1878-1962)はフランスのヴァイオリニスト。ジャック・ティボー(1880-1953)の2歳年上 で、1892年に15歳でパリ音楽院の一等賞を得た。ちなみにティボーは1897年に17歳で一等賞を得た。モーツァル トの演奏を得意としたブーシュリだったが、病弱のため早い時期にコンサート活動を停止しパリ音楽院のヴァイ オリン科の教授として後進を育成にあたった。録音は1906年、28歳の時に13面を残したのみで、これはその中の 2面である。ブーシュリの弟子には、後にブーシュリ夫人となったドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)、ジャ ニーヌ・アンドラード(1918-)、ジネット・ヌヴー(1919-1949)、ローラ・ボベスコ(1919-2003)、イヴリー・ギ トリス(1922-)、ミシェール・オークレール(1924-2005)、ドゥヴィ・エルリー(1928-)ほかがいる。 ピアニストの名前はレーベルに記載されていないが、ルイ・ディエメ(1843-1919)という説がある。ディエメは パリ音楽院のピアノ科の教授として弟子にコルトー(1877-1962)、リスレル(1873-1929)、カザドゥシュ(1899-19 72)らがいた。ヴァイオリニストとしてのブーシュリは電気時代になってからは録音をしなかったが、愛弟子ソ リアーノのために(指)棒を取ったモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番がこのシリーズ(78CDR-1031)で発売さ れている。 |
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| 78CDR-1066 | クライスラー:プロヴァンスの朝の歌−L.クープランの様式による ダンブロジオ:セレナードOp.4 |
ジョルジュ・エネスコ(Vn) エドワード・C・ハリス(P) 米COLUMBIA20023-D(1924年ニューヨーク録音) |
| ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)はルーマニアに生まれた。ヴァイオリンは4歳で作曲を5歳で始めた。1888年、 7歳でウィーン音楽院に入学を許され、1893年、12歳で音楽院の最高栄誉賞メダルを得た。1894年パリ音楽院に 入学、1899年までにヴァイオリンをマルシック(1848-1924)、和声法と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1926)、 ガブリエル・フォーレ(1845-1924)、ジュール・マスネ(1842-1914)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞 を得た。1902年にベルリン・デビュー、1903年にはロンドンを訪問した。1910年にはピアニストのエドゥアー ル・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を開いた。1917年には祖国の ルーマニアの首都ブカレトにエネスコの名を冠したオーケストラを作った。1923年には初のアメリカ楽旅をし、 その後生涯に14回この地を訪れた。第2次世界大戦中は祖国に留り、ヴァイオリン演奏、(指)、作曲と後進の指 導にあたった。この録音は1923年にアメリカ訪問をした時にニューヨークのコロンビアで行ったものの2曲で録 音時エネスコは42歳だった。彼は1929年にもニューヨークで12面6枚の電気録音を行った。 |
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| 78CDR-1067 | マルシック(1848-1924):スケルツァンドOp.6-2 バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番〜ガヴォット |
ジャック・ティボー(Vn) ピアノ伴奏(マルシック) (1905年=マルシック,1904年=バッハ,パリ録音、EMIのデータによる) |
| 20世紀フランス最高のヴァイオリニスト、ジャック・ティボー(1880-1953)は1893年14歳でパリ音楽院にはいり マルシックに師事した。1897年一等賞を得た。卒業後生計を立てるためパリのカフェ・ルージュで演奏している ところを指揮者エドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見出され、コロンヌの主宰するオーケストラに入った。 ある日急病のコンサート・マスターの代役を務めていたとき、サン=サーンスのオラトリオ「大洪水」の前奏曲 のソロ・パートを弾き、聴衆から絶賛され、以降コロンヌのソリストとしてパリの楽壇の寵児となった。1903年 にアメリカにデビュー世界的なヴァイオリニストとして名声を確立した。この録音は1904年のティボーの初レ コードで、録音時ティボーは24歳だった。 |
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| 78CDR-1068 | ヴィターリ:シャコンヌ ト短調 | ヴァーシャ・プシホダ(Vn) ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(Org) 独GRAMMOPHON68074/6 (1923年録音) |
| ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)チェコのヴォズナニーに生まれたヴァイオリニスト。11歳でプラハ音楽院に 入った。ミラノの演奏会に居合わせた大(指)者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ、「新しい パガニーニ」と称賛したのがきっかけで、ヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカ・デビュー、1927年 にはロンドン公演をした。この録音はプシホダの最初期のもので、伴奏がシートマイヤー・フリューゲル(オル ガン)である。片面盤3面に収録されたノーカット版であることもこの時代には珍しい。ブルーノ・ザイトラー= ヴィンクラー(1880-1960)はベルリン生まれ。ピアノの神童と言われた。録音プロデューサの草分けで、作曲・ 編曲・オーケストラ(指)・ピアノ伴奏のすべてをこなした多才な音楽家。19世紀末からドイツ・グラモフォンで 活躍し、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」や第9番「合唱」の電気以前の録音もある。1935年から1944年は ドイツ・エレクトローラの専属だった。 |
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| 78CDR-1069 | ドヴォルザーク(ウィルヘルミ編):ユモレスク、 ヴェチェイ(1893-1935):奇想曲第2番「滝」 |
フランツ・フォン・ヴェチェイ(Vn) カロル・シュレター(P) 独VOX06294(1925年録音) |
| フランツ・フォン・ヴェチェイ(1893-1935)はハンガリー生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-193 7)に師事した。神童で10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の(指)でベートーヴェ ンのヴァイオリン協奏曲を弾いた。42歳で惜しまれつつ早逝した。シベリウス(1865-1957)のヴァイオリン協奏 曲はヴェチェイに献呈された。ドイツのVOX社は機械式録音時代の末期に存在したレコード会社。機械式録音に 自信があったため電気録音に乗り遅れ倒産した。他社が電気に切り換えた後の1927年まで旧式録音を継続してい た。 |
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| 78CDR-1070 | バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番/第5番 | パブロ・カザルス(Vc) 米VICTOR12-0890/06 (原録音:英HISMASTER'SVOICEDB6538/44S) (1939年6月13日パリ,アルベール・スタジオ録音) |
| パブロ・カザルス(1876-1973)のJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。 1930年代のカザルスのSPはどれを聴いても圧倒的な感銘をうける。今回は雑音が小さなアメリカ VICTOR盤からのダイレクト・トランスファー。 |
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| 78CDR-1071 | バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調BWV1042 デプラーヌ(ナシェ編):イントラーダ |
ジャック・ティボー(Vn) R.オートマンス(指)オーケストラ(バッハ) P.アダミ(P)(デプラーヌ) 英HISMASTER'SVOICEDB789/91 (1924年10月21,31,11月1日ヘイズ第1スタジオ録音) |
| 機械式録音盤。ジャック・ティボー(1880-1953)の残した数多いSPレコードの中の最高傑作。録音は1924年、 ティボーが44歳の時のもの。1924年にはおそらく電気録音開発を知っていたであろうHMVが敢行した録音で、大 ヴァイオリニスト、ティボーの気力漲るベスト・フォームが聴ける。これはSP時代からの稀少盤で、「珍品レ コード」(グラモフィル社1940年刊、復刻版富士レコード社1972年刊)によれば、「我國に輸入された數は三組と 言い、或いは五組と噂されてゐるが、その後歐州から直接求めた人士、おあるから實際は最少限度十組はあると 想像される。久禮傳三氏の調べたところに依ると七八組所有者が判ってゐると云うことであるから、或いはもう 少し多いかもしれない。」との記述がある。 |
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| 78CDR-1072 | ショパン:ワルツ集 | アルフレッド・コルトー(P) 英HISMASTER'SVOICEDB2311/6 (1934年6月19-20日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| アルフレッド・コルトー(1877-1962)のショパン録音の中核をなすもので、「エチュード」Op.25(★
78CDR-1061) と同時期に録音された。コルトーは録音時57歳だった。この時代のコルトーが弾いていたフランスのプレイエル 社のピアノの絢爛たる音色がダイレクト・トランスファーで聴ける。 |
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| 78CDR-1073 | バッハ:ゴルトベルク変奏曲 | ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード) 英HISMASTER'SVOICEDB4908/13 (1933年パリ録音) |
| ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)がSP時代に録音した初の大曲で、「ゴルトベルク変奏曲」の原点。ランド フスカは二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器 を使用した。ランドフスカの「ゴルトベルク変奏曲」は英HMVの"バッハ・ソサイエティ"の第1回発売で、英国 盤の初版300部のアルバムには、ランドフスカの紫色のインクと羽根ペンによる自筆署名のシールが貼られてい た。これは愛蔵家番号No.272のセットからのダイレクト・トランスファー。 |
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| 78CDR-1074 | モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番 | フリッツ・クライスラー(Vn) サー・ランドン・ロナルド(指)管弦楽団 (1924年12月1-2日ヘイズ第1スタジオ録音) |
| 機械式録音盤。この録音も電気録音出現前夜のものである。機械式録音時代の大曲録音は省略版で演奏されるこ とが多かった中で、ノーカットでの録音である。これもSP時代から人気の高かった稀少盤で、理由は聴いてみ ると納得する。クライスラー(1875-1962)の49歳の録音である。これも人類の遺産的な価値を持つ偉大なレコー ドである。 |
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| 78CDR-1075 | ラヴェル:ピアノ協奏曲、 亡き王女のためのパヴァーヌ* |
マルグリット・ロン(P) モーリス・ラヴェル(指)交響楽団、 フレイタス・ブランコ(指)SO* 英COLUMBIALX194/6 (1932年4月パリ録音) |
| フランスのピアノ界の重鎮マルグリット・ロン(1874-1996)が作曲者モーリス・ラヴェル(1875-1937)自身の(指) で録音したSPレコード。この名曲演奏の原点である。録音時ロンは58歳、ラヴェルは57歳だった。 |
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| 78CDR-1076 | R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調Op.18 タルティーニ(クライスラー編):コレッリの主題による変奏曲 |
ジネット・ヌヴー(Vn) グスタフ・ベック(P) 英HISMASTER'SVOICEDB4663/6 (1939年ベルリン録音) |
| ジネット・ヌヴー(1919-1949)の20歳の時の録音。初録音はこの録音の前年の1938年、同じくベルリンで12イン チ盤2枚と10インチ盤1枚だった。リヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタは作曲者が24歳作品で、 シュトラウスは室内楽の作曲をこれ以降せず、交響詩やオペラに集中するようになった。ヴァイオリン・ソナタ にはその後の交響詩やオペラに聴くフレーズが顔を出して思わず微笑んでしまう魅力的作品。ヌヴーは真摯な情 熱を傾けて演奏を展開する。 |
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| 78CDR-1077 | チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、 メロディ 変ロ長調* |
ブロニスワフ・フーベルマン(Vn) ウィリアム・スタインバーグ(指) ベルリン国立歌劇場O、ピアノ伴奏* 独PARLOPHONEP9855/59(英COLUMBIAL2335/8と同一録音) (1928年12月28、30日ベルリン録音) |
| ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)の電気録音初期のもので、SP時代にはこの曲の決定盤だった。より リアルな音を持つドイツ・パーローフォン盤からのダイレクト・トランスファー。 |
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| 78CDR-1078 | バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 | ナタン・ミルスタイン(Vn) 米COLUMBIAS70198-D/70200-D (1935年12月、1936年2月ニューヨーク録音) |
| ナタン・ミルスタイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、名教師レオポルド・アウアー一門の一人。こ のSP録音は「シャコンヌ」の演奏を生涯の芸術としたミルスタインが31歳の時のもので、ほとんど知られてい ないもの。後年の演奏との比較が興味ある。 |
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| 78CDR-1079 | シューベルト:歌曲集「美しき水車屋の娘」 | ロッテ・レーマン(S) パウル・ウラノフスキー(P)(1-6、8-20) エルノ・バロー(P)(7) 米COLUMBIA71778-D/71783-D(1-6,8-20) 英HISMASTER'SVOICEDA1467(7)(原録音:米VICTOR1371) (1942年録音トラック7のみ1935年10月17日録音) |
| ロッテ・レーマン(1888-1976)はオペラだけではなくリートを得意とした。この「美しき水車屋の娘」はアメリカ・ コロンビアに録音したが、第7曲「いらだち」だけがアメリカ・ヴィクター社に録音していたため、コロンビア盤から は除外された。「冬の旅」(78CDR-1048、78CDR-1049)につづくレーマンのシューベルトで、第2次世界大戦の ため日本ではSPレコードでは発売されなかった。 |
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| 78CDR-1080 | モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番 | ジャック・ティボー(Vn) マルコム・サージェント(指)管弦楽団 米VICTOR6744/6(英HISMASTER'SVOICEDB1018/20と同一録音) (1927年2月23日ロンドン、クイーンズ・ホール録音) |
| 20世紀フランス最高のヴァイオリニストのジャック・ティボー(1880-1953)が生涯コンサート・プログラムに載せ た協奏曲。ティボーの電気録音時代の最高傑作。息づまるような名演奏を繰り広げている。ヴァイオリン協奏曲 第6番はモーツァルトの死後8年目の1799年にヨハン・アントン・アンドレによって楽譜が出版された。モーツァ ルト時代にミュンヘンで活躍したヴァイオリニスト、ヨハン・フリートリヒ・エックがモーツァルトから手渡された楽譜 にもとづいて自分で加筆し、さらにモーツァルトの弟子のフランツ・ジュスマイアー(1766-1803)が筆を加えたと いう。ジュスマイアーはモーツァルトの最後の作品「レクイエム」を補筆完成させた人物。学者間では第2楽章は 疑わしいが、他の楽章はモーツァルトの作品であるという説だったが、現在では疑わしい作品としてモーツァルト の作品表から除外されている。 |
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| 78CDR-1081 | F・クープラン:クラヴサン曲集(18曲) | ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード) 英HISMASTER'SVOICEDB4941/6 (1934年パリ録音) |
| ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)は二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシードをパリのプレイエ ル社に作らせて生涯この楽器を使用した。このランドフスカによるクープラン作品集の録音はバッハの「ゴルト ベルク変奏曲」の翌年に行われた。「ゴルトベルク変奏曲」と同じく英国 HIS MASTER'S VOICE 初版300部のア ルバムには紫色のインクと羽根ペンによるランドフスカの自筆署名の愛蔵家番号シールが貼られていた。 |
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| 78CDR-1082 | ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番 | カペーSQ 日本コロムビアJ7529/33(原録音:仏COLUMBIAD15097/101) (1928年10月5,8日パリ録音) |
| 史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1876-1928)は医師の誤 診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年52歳。カペーはパリ音楽院でJ.-P. モーランに師事 し1893年に一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織した。この録音時のメンバーは1918年からもの 。1920頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開催していたカペーは1928年4月にフ ランス・コロンビアに録音を始めた。そして同年の10月までの6ヶ月間に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲 1曲の録音をした。10インチSP盤が7枚、12インチ盤が44枚である。まるでカペーが自らの死を予期したような ハイペースの録音である。 |
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| 78CDR-1083 | ラヴェル:ソナチネ、水の戯れ | アルフレッド・コルトー(P) 英HISMASTER'SVOICEDB1533/4 (1931年5月11日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音) |
| スイスに生まれたフランスのピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)は1892年パリ音楽院のルイ・ディエ メ(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積んだ。1896年一等賞を得て卒業。1897年バイロイトに赴き合唱指揮者 となった。フランスに戻った後、1902年に「神々の黄昏」と「トリスタンとイゾルデ」のパリ初演を指揮した。同年 ソプラノのフェリア・リトヴァンヌ(1863-1936)のピアノ伴奏者として初レコード録音を行った。このラヴェルのソナ チネはコルトーが54歳の時の録音。録音時作曲者のラヴェル(1875-1937)は56歳だった。 |
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| 78CDR-1084 | ブラームス:チェロ・ソナタ第2番 | パブロ・カザルス(Vc) ミエツィスラフ・ホルショフスキー(P) 米VICTOR14699/702(英)HISMASTER'SVOICEDB3059/62と同一録音) (1936年11月28日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| パブロ・カザルス(1876-1973)が英HIS MASTER'S
VOICEの主要アーティストとして活躍しはじめた1936年録音 で、バッハの無伴奏チェロ組曲第2番と第3番の5日後の録音。まるで昨日の録音のような音の生々しさは圧倒 的。録音後70年を経たものとはとても思えない。 |
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| 78CDR-1085 | モーツァルト:弦楽五重奏曲ト短調K.516 | モーツァルト:弦楽五重奏曲ト短調K.516 レナー弦楽四重奏団 英COLUMBIALX61/4 (1930年3月2日ロンドン録音) |
| レナー弦楽四重奏団は20世紀前半の活躍したハンガリー出身の名団体。メンバーはブダペスト音楽院出身で 、デビュー前の2年間は田舎の村にこもって一日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年ロンドンにデビ ューして絶賛され、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストとなった。 |
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| 78CDR-1086 | チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 | ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn) ジョン・バルビローリ(指)LPO 英HISMASTER'SVOICEDB8282/5 (1937年3月25日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音) |
| ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれの20世紀最高のヴァイオリニストの一人。ペテルブルグ音 楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し、10歳の春にデビュー。その後ロシアの諸都市で演奏、1913 年にはベルリンでニキシュ指揮の下で演奏した。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住した。 以降天才少年は一流演奏家としての待遇を受けた。この協奏曲は36歳の時の録音。録音場所をロンドンに選 んだのも、当時の英国のクラシック音楽の録音技術がアメリカを越えていたからであろう。 |
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| 78CDR-1087 | メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調 | エミール・テルマニー(Vn) トーマス・イェンセン(指)室内O デンマークTONOX25065/7 (1946年頃録音) |
| エミール・テルマニー(1892-1988)はハンガリー生まれのヴァイオリニストでブダペスト音楽院でイェノ・フバ イ(1858-1937)に師事した。1919年来デンマークのコペンハーゲンに在住、作曲家カール・ニールセ ン(1865-1931)の娘婿となった。テルマニーはバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータをカーヴドボ ウ(彎曲した弓)"Vega" で弾いて注目され、初期LP時代に英 DECCAに録音もあった。TESTAMENT からCDが 発売されている。 |
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| 78CDR-1088 | プニャーニ:ラルゴ・エスプレッシーヴォ クライスラー:テンポ・ディ・メヌエット(プニャーニのスタイルによる) コレッリ:ラ・フォリア(1)、ラ・フォリア(2) |
ジョルジュ・エネスコ(Vn) サンフォード・シュルッセル(P) 日本コロムビアJW232&J7940 (原録音:米COLUMBIA50235D,50161D) (1929年ニューヨーク録音) |
| ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)はルーマニアに生まれた。ヴァイオリンは4歳で、作曲を5歳で始めた。1888 年7歳でウィーン音楽院に入学を許され、1893年12歳で音楽院の最高栄誉賞メダルを得た。1894年パリ音楽 院に入学、1899年までヴァイオリンをマルシック(1848-1924)、和声法と作曲をアンドレ・ゲダルジュ (1856-1926)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)、ジュール・マスネ(1842-1914)に師事し、1899年にヴァイオリ ンで一等賞を得た。1902年にベルリン・デビュー、1903年にはロンドンを訪問した。1910年にはピアニストのエ ドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を開いた。1917年には 祖国のルーマニアの首都ブカレトにエネスコの名を冠したオーケストラを作った。1923年には初のアメリカ楽旅 をし、その後生涯に14回この地を訪れた。第2次世界大戦中は祖国に留り、ヴァイオリン演奏、指揮、作曲と後 進の指導にあたった。この録音は1929年にアメリカ訪問をした時にニューヨークのコロンビアで行ったものの2 曲で録音時エネスコは48歳だった。 |
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| 78CDR-1089 | チャイコフスキー:カプリッチョ風小品Op.62 グリンカ:メロディア |
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(Vc) キリル・コンドラシン(指)モスクワPO A.デディムヒン(P) ソ連Dolgoigratsia78D450/1(1952年録音) |
| 2007年4月27日に80歳の生涯を閉じたチェロの巨匠ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(1927年3月27日生ま れ)の初期の78回転盤録音。ロストロポーヴィッチが西側に姿を現したののは1956年だった。鉄のカーテンの 向こう側の時代の20代の演奏が聴ける。おそらくローストロポーヴィッチ初録音の一つであろう貴重な一枚。LP と同じ音ミゾでカットした10インチ78回転盤。 |
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| 78CDR-1090 | ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、 バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番〜アダージョ |
フリッツ・クライスラー(Vn) レオ・ブレッヒ(指) ベルリン国立歌劇場O 米VICTOR8074/9(原録音:英HISMASTER'SVOICEDB990/5) (1926年12月15-16日ベルリン、ジングアカデミー録音) |
| フリッツ・クライスラー(1875-1962)はこの1926年と1936年に2回にベートーヴェンを録音した。この1926年版は SP時代この曲の決定盤と評価されていた。電気録音の最初期のためまだ録音機の回転精度が悪く、面によって ピッチが異なっていた。また第12面に収録されたバッハの無伴奏も圧倒的な感動を覚える名演奏である。クライ スラーが51歳の時の録音。クライスラーの主要録音のほとんどはこのシリーズで出ている。 |
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| 78CDR-1091 | メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 | フリッツ・クライスラー(Vn) レオ・ブレッヒ(指) ベルリン国立歌劇場O 英HISMASTER'SVOICEDB997/1000 (1926年12月9-10日ベルリン、ジングアカデミー録音) |
| フリッツ・クライスラー(1875-1962)は1926年と1936年の2回メンデルスゾーンを録音した。この1926年版はクラ イスラーが電気録音になって初の協奏曲録音で、SP時代この曲の決定盤と評価されていた。クライスラーが51 歳の時の録音。クライスラーの主要録音のほとんどはこのシリーズで出ている。 |
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| 78CDR-1092 | ショパン:ピアノ協奏曲第2番、マズルカ第38番 | マルグリット・ロン(P) フィリップ・ゴーベール(指) パリ音楽院O 米COLUMBIA67800/3-D(原録音:仏COLUMBIAD15236/9) (協奏曲:1928年6月28,29日録音,マズルカ:11月6日録音) |
| マルグリット・ロン(1874-1966)は17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、1893年に19歳でコンサート・デビュー し、1906年32歳で母校パリ音楽院の教授に就任した。1943年ヴァイオリニストのジャック・ティボー(1880-195 3)と共に若い優秀な音楽家を発掘する国際音楽コンクールをパリに創設した。この録音はロンが54歳の時のもの。 |
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| 78CDR-1093 | モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」 | マグダ・タリアフェロ(P) レナルド・アーン(指) コンセール・パドゥルーO 仏DECCATF141/4 (1930年パリ、ガヴォー音楽堂録音) (注:原録音に著しい音の歪みがあります) |
| マグダ・タリアフェロ(1893-1986)はブラジル生まれ、サンパウロ音楽院を経て1906年13歳でパリ音楽院に入り9 カ月後に一等賞を得た。その後コルトー(1877-1962)に師事した。(指)のレナルド・アーン(1875-1947)はベネズ エラのカラカスに生まれ、3歳の時にパリに移住した。6歳の時に神童としてナポレオン3世の従妹マティルドの サロンにデビュー、ボーイソプラノでのピアノの弾き語りでサロンの寵児となり、作曲家ジュール・マスネ(184 2-1912)の推薦で10歳でパリ音楽院に入学した。長じて美声と数カ国語をあやつる巧みな話術、豊かな教養で各 界の名士、貴婦人たちと交友を築き、パリ・オペラ座の(指)者として活躍、またザルツブルク音楽祭でもモーツ ァルト(指)者として名声をあげた。この録音はベルエポックのスター二人によるもので、パリのモーツァルト演 奏がどんなものだったかを知ることができる貴重なもの。残念なら録音技術に欠陥があり音質が非常に悪い。だ が他に聴くことができない歴史的モーツァルト演奏のためこのシリーズに加えた。 |
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| 78CDR-1094 | バッハ(コルトー編):コンチェルト・ダ・カメラ (原曲=ヴィヴァルディ:協奏曲Op.3の11「調和の幻想」のJ.S.バッハによるオルガン協奏曲ニ短調BWV596) プレリュード シチリアーノ トッカータ バッハ(コルトー編):アリア(原曲=クラヴィーア協奏曲第5番ヘ短調BWV1056-第2楽章) |
アルフレッド・コルトー(P) 米VICTOR15463/4,15412 (原録音:英HISMASTER'SVOICEDB3261/2) (1937年5月18日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| アルフレッド・コルトー(1877-1962)がソロ・ピアノに編曲したバッハの協奏曲である。コルトーはバッハのブ ランデンブルグ協奏曲の全曲を自らの(指)とピアノで録音したほどにバッハを敬愛していた。ここにはコルトー のバッハ感が集約されている。 |
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| 78CDR-1095 | ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番 | アンドレ・ナヴァラ(Vc) アルトゥール・バルサム(P) 仏COLUMBIALFX841/3 (1948年7月6日パリ録音) |
| 音楽院に入り4年後に一等賞を得て、さらにパリ音楽院出研鑽を積み1927年に一等賞を得た。卒業後クレトリー 弦楽四重奏団に入り1935に退団、1937年にウィーン国際コンクールで優勝、ソリストとして華やかな活動を開始 した。1949年にパリ音楽院教授に迎えられ、イタリア、シエナのシギアーナ音楽アカデミーの教授もつとめた。 1940年代後半からソロよりもむしろ室内楽の分野で活躍し、ステレオ時代になってからもソロ録音が多い。 この録音はナヴァラ38歳の録音。 |
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| 78CDR-1096 | モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲つき」 | エトヴィン・フィッシャー(P) 独ELECTROLADB1993/4 (1933年4月25,28日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)のHISMASTER'SVOICEへの初録音。フィッシャーはスイスのバーゼル音 楽院で学んだ後、ベルリンでリスト(1811-1886)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)についた。1930年にベ ルリン高等音楽院の教授に就任し後進の指導にあたる一方、演奏家としても活躍した。弟子にはレーヌ・ジアノ リ(1915-1979)、パウル・バドゥラ・スコダ(1927-)、イエルク・デムス(1928-)、アルフレッド・ブレンデル(1931)、 ダニエル・バレンボイム(1942-)らがいる。 |
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| 78CDR-1097 | モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩り」 | レナーSQ 米COLUMBIA67740/2-D(原録音:英COLUMBIAL2261/3) (1928年11月3日ロンドン録音) |
| この録音が行われた1928年秋、英国COLUMBIA社はカペー弦楽四重奏団とレナー弦楽四重奏団の2大カルテットを 擁していた。この時代は同一レーベルが同一曲を別団体で録音することは極力避けられていた。レナー弦楽四重 奏団の「狩り」はこのような状況の下で録音された。この団体の最も得意とした曲と言える。ハンガリーのブダ ペスト音楽院出身の4人の奏者は、革命後祖国を離れてロンドンを中心に活躍した。 |
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| 78CDR-1098 | モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第30番ニ長調 | カルロ・ファン・ネステ(Vn) ナウム・スルズニー(P) ベルギーHISMASTER'SVOICEDB4703/4 (1950年1月20日録音) |
| カルロ・ファン・ネステ(1914-)はベルギーのブリュッセル王立音楽院出身でジョルジュ・エネスコに師事した。 1933年にアンリ・ヴュータン賞を受賞した。ベルギーの生んだ世界的ヴァイリニスト、アルテュール・グリュミ オー(1921-1986)の先輩にあたる。ナウム・スルズニー(1914-1979)はシュテファン・アスケナーゼに師事したピ アニスト。第2次世界大戦直後の録音。フランコ=ベルギー楽派の伝統が生きている。このソナタの初レコード。 |
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| 78CDR-1099 | モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第36番変ホ長調K.380(374f) | エールリング・ブロッホ(Vn) ホルゲル・ルンド・クリスティアンセン(P) スカンジナヴィアHISMASTER'SVOICEDB5258/9(デンマーク) (1941年録音) |
| エールリング・ブロッホ(1904-1992)はデンマークのヴァイオリニスト。演奏活動の傍ら教師として後進の指導 にあたった。ピアノのホルゲル・ルンド・クリスティアンセンは尊敬を集めたピアニスト。これは第2次世界大 戦中の録音。この二人はニールセンのヴァイオリン・ソナタ第2番をデンマークHMVに録音していた(DB5219/20)。 |
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| 78CDR-1100 | バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番/第3番 | パブロ・カザルス(Vc) 米RCAVICTOR16015/16020(SetDM611) (1936年11月23日ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音) |
| パブロ・カザルス(1876-1973)のJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。この第2番と第3番 はアルバムの第1巻として発売された。この2曲だけがアビー・ロードでの録音。他の4曲は1938年と1939年に録 音された。この2曲を聴くとLP初期のシュタルケルによるコダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ(Period)が血の通わ ない録音にきこえる。それほどカザルスのこの2曲は生々しく迫ってくる。1930年の半ばにしてEMIの録音技術は 完成していた。ノイズの少ない米RCAVICTOR盤からの復刻。英HISMASTER'SVOICE盤からの復刻は78CDR-1004 で出ている。 |
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| 78CDR-1101 | ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 | ジャック・ティボー(Vn) パブロ・カザルス(Vc) アルフレッド・コルトー(指) バルセロナ・パブロ・カザルスO 英HISMASTER'SVOICEDB1311/4 (1929年5月10-11日 |