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殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE!! レーベル・カタログ チャイ5



湧々堂が心底お薦めする"殿堂入り"名盤!!
プロコフィエフ
交響曲



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プロコフィエフ/PROKOVIEV
交響曲全集

BRILLIANT
BRL-9006(4CD)
プロコフィエフ:交響曲全集、
スキタイ組曲、ロシア序曲
ワルター・ウェラー(指)
LSO、LPO

録音:1974-78年(ステレオ) 
※DECCA原盤
“懐の深さ、大きさ!ニールセンの理想の音色を具現化した比類なき全集!”
 ウェラーの切れのよいダイナミズム、曲想のイメージを明確にニュアンスに投影する能力の高さを如実に証明したセット。
 「古典交響曲」は、テンポ自体は中庸そのものですが、ブレを生じない構築、音の重量感の選別センスが抜群によく、文字通り古典的な均衡の妙にも冴えを見せます。第2楽章の主題が現われるまでの微妙な陰影、さり気ない強弱付加も印象的で、その主題は本物の歌のセンスを痛感。終楽章はテンポ自体のスピードに頼らず、音の運ばせ方の小気味よさ、弾力性抜群のリズム感による推進力が魅力で、まさにこの作品のツボを外さない指揮者としての能力の高さを実証。
 「第5番」は容赦ないダイナミズムが炸裂。ロシア音楽の核となる直截なダイナミズムを体現しているのには驚きを禁じえません。第1楽章コーダの大地から噴き出すような力感、第2楽章のリズムの躍動、中間低速部の諧謔的な表情、終楽章の後半に向けてのハイセンスな追い込みなど聴き所いっぱい。
 「第2番」や「第3番」は、もはやウィーン的な和やかさはどこにもなく、ロンドン・フィルのノリの絶好調で凶暴な迫力を生み出しています。しかし、単にリズム打ち付けて感覚的な刺激を与えるだけでなく、大きく包み込みような情感も底流にしっかり宿っいるのです。「第4番」は、第1楽章冒頭のハーモニーの練り上げのなんと素晴らしいこと!「第7番」の終楽章コーダは、サモスードによる強奏終結版。この痛快さがまたまた絶妙!  【湧々堂】

プロコフィエフ/PROKOVIEV
交響曲第1番「古典」

NAXOS
NAXOS-8.553053
プロコフィエフ:古典交響曲
交響曲第2番、交響的絵画「夢」Op.6
秋のスケッチOp.8
テオドレ・クチャル(指)
ウクライナ国立SO

録音:1995年12月
“好対照な2つの交響曲へのアプローチの絶妙な使い分け!”
 まず「古典交響曲」でノックアウト!第1楽章はかなりテンポを遅く設定していますが、音楽の格は恐ろしく強靭で、肉の一切ない引き締まった響きはそれだけで説得力満点ですが、全ての声部を白日の下に晒さなければ気が済まないクチャルの闘志が、その凄みに更に拍車を掛けるのです。第2楽章も音楽の作りが厳しく、ハイドン的な和やかさとは無縁。「聴き応え」という点で、近年これに並ぶ演奏はそう多くはないでしょう。かつてのホーレンシュタインの名演を思いす方もいるかもしれません。
 凶暴な響きで知られる第2交響曲では、その厳しい眼差しが一層大全開させるのかとおもいきや、むしろ無機質な大音量のシャワーだけではない、どこか人間的な息遣いが全体に溢れています。痛烈な響きが単に耳をつんざく刺激としてではなく、一線を越えようとしたプロコフィエフの抑えがたい意思とだぶり、独特の説得力を持って迫るのです。第1楽章5:19からのチェロの鋭利な刻みには研磨の痕跡が皆無で、それの生々しい発言力は聴きもの。
 併録の「秋」に通じる雰囲気を湛えた第2楽章主題から第2変奏、第4変奏では、クチャルの響きに対する精緻な制御力とオケの木目調の風合いが融合し、独特の色彩美を形成。第3変奏、第5変奏では、笑いながら怒っているような絶妙なニュアンスを放出。
メロディを欠き、不協和音の連続という強烈な響きばかりが注目されがちな作品ですが、それが心の叫びとして迫るこの演奏の価値は絶大です。
 「夢」は、寒々とした仄暗さとプロコフィエフらしい眩い色彩が交錯する、プロコフィエフ19歳の作品。シンプルなモチーフが繰り返される前半に続き、後半ではその余韻を引き継ぎつつ、次第にロシア的な壮麗さへ発展させるクチャルの手腕が見事。「秋のスケッチも「夢」と同時期の作品で、テイストも似通っています。【湧々堂】

東芝EMI
TOCE55417
プロコフィエフ:古典交響曲
デュカス:魔法使いの弟子
ラヴェル:ラ・ヴァルス、
ファリャ:「三角帽子」第2組曲
マルケヴィッチ(指)日本フィル

録音:1970年(ステレオ)
“良質ステレオ録音で遺された、日本のオケと築いた最高の至宝!”
 とにかく凄い鳴りっぷり!'70年代の日本のオケとはにわかに信じられない揺るぎないアンサンブルと妥協のないリズムの叩きつけで聴き手を呪縛し続けます。デュカスから早速唖然。破綻が皆無なばかりか、洪水が止むまでの畳み掛け方の凄まじいこと!ファリャの終幕の踊りの重戦車の如き推進力も印象的。
 「ラ・ヴァルス」もマルケヴィチの十八番だけに全ての表情が確信に満ちていますが、後半はマイクに入り切る限界と思われるド迫力! しかし、世紀の名演といっても過言でないのが「古典交響曲」!第1楽章がこれほどリズムの弾力性に富み、ゴリゴリ唸るほど低弦のアクセントをしっかり打ち出し、またテンポそのものに絶大な意味を感じさせる演奏が他にあるでしょうか!一筆書き風の第3楽章も妙味一杯で、最後の2音のりタルダンドは実にチャーミング!LP発売寺に特典盤だった「魔法使いの弟子」のリハーサルを30分も併録しているのも嬉しいサービス!!【湧々堂】

プロコフィエフ/PROKOVIEV
交響曲第5番


Pentatone
PTC-5186.083(1SACD)
プロコフィエフ:交響曲第5番、
戦争終結に寄せる頌歌Op.105*
ウラディーミル・ユロフスキ(指)
ロシア・ナショナルSO

録音:2005年9月ライヴ、2007年2月*
“濃密なパッションと気品の融合!”
 ユロフスキの演奏はラフマニノフの交響的舞曲(LPO)でもそうでしたが、外面的な効果をを上げやすいOp.でも決してそれを目的とせず、内面に暗く屈折したものを抱えならが音楽を豊かに醸成させるのが大きな特徴ですが、この第5番もまさにその典型。しかもこの作品の演奏で、直截なダイナミズムのみならず、細やかな感情表現も完全に同居させ、ここまで格調高く濃密な内容を誇るOp.として再現した演奏は他にあまり聴いたことがありません。
 第1楽章冒頭の木管の導入部分は、なんとも柔らかな感触。まずその繊細な音の質感にハッとさせられますが、楽章後半に至ると音楽がどこまでも膨張し続け、重量感抜群の大伽藍を築きます。テンポの操作も実に念入り。
 第2楽章はリズムの立ち上がり自体は鋭角的ながら音に独特の憂いが宿り、まさに苦悩の舞曲。また、各声部の隈取が恐ろしく明確なので、感情の軋みがじりじりと聴き手に伝わるのです。2:09〜突如ギアチェンジしてテンポを上げますが、この切迫感も聴きもの。2:24のフレーズ結尾で、弦がガガガッっと唸りを立てるのも衝撃的。後半7:24〜コーダまでの緊張感の高さと神々しいばかりの立体感は空前絶後と叫びたくなるほど魅力的で、ユロフスキの才能を示す象徴的なシーンです。
 第3楽章はショスタコーヴィチを思わせる苦渋に満ちたニュアンスで一貫。全楽章通じて言えることですが、ここで現れる全ての表現は指揮者が演奏に際して意図して築いたという性質のものではなく、ユロフスキ自身の人間性や精神構造そのものが音楽に乗り移ったかのような印象を強く残すので、その説得力が尋常ではないのです。
 終楽章はこの演奏が破格の名演であることを更に確信させる凄演!何気ないバスの合の手さえ凄み満点。とにかくこれほど多くの音楽的な情報がこの楽章に詰まっていたのかと驚きを禁じえません。最後に忘れてはならないのは、ロシア・ナショナル管の巧さ!磐石のアンサンブル能力と有機的な声部バランスの妙は、創設者プレトニョフの指揮の下では感じにくかったもの。なお、交響曲はライヴ収録ですが、会場ノイズは一切なし。
戦争終結に寄せる頌歌は、8台のハープと4台のピアノ、管楽器セクション(吹奏楽編成)と8台のコントラバスという大曲。【湧々堂】

EMI[cfp]
5737202
プロコフィエフ:交響曲第5番
交響組曲「キージェ中尉」
ヴァーノン・ハンドレー(指)RPO

録音:1987年 デジタル録音
“プロコフィエフののリズム特性以外の魅力を引き出した妙演!”
 ハンドレーという人は、決して個性を撒き散らすタイプではなく、お国もののイギリス音楽でもシューベルトやドヴォルザークなどのスタンダードな曲でも、渋すぎるくらい渋い演奏に徹することが多く、つかみどころがない指揮者だと思っていましたが、このプロコはちょっと様子が違います。もちろん表現意欲を前面に立たせた爆発的な演奏ではないですが、各フレーズが持つ表情を丹念に描ききろうとする意思をはっきり打ち出し、独得の味わいで溢れさせているのです。
 「キージェ中尉」の1曲目冒頭のコルネット・ソロの距離感が絶妙で、まろやかにノスタルジーを漂わす瞬間からハッとさせられます。バスドラムが盛大に鳴り出す箇所からの格調の高さと風格美も、教会の残響効果とともに確実に説得力大!“ロマンス”のような感傷的な曲ほど、ハンドレーは淡白であろうとする傾向があるという今までの印象もここで大きくく崩れます。クリアなテクスチュアを絶やさずに切々と哀歓を込め抜き、チェレスタが入るあたりの温かな色彩に出会うとは夢にも思いませんでした。サックスが奏でる主旋律とフルートの対旋律が、ともに驚異的な巧さで交じり合う様も印象的。“キージェの結婚”では冒頭のシンバルから華やかさと気品が完全融合し、響きそのものがなんと音楽的なこと!ステレオ初期のボールト&パリ音楽院管の名演が現代に蘇ったような錯覚すら受けます。ゆったり目のテンポもそれ自体が味。2:08からは弦の対抗配置効果も万全で、その動きが克明かつ自然に捉えられているのも、新鮮な驚きです。
 しかし最も意外で嬉しい衝撃をもたらすのが“トロイカ”。ヴォーン・ウィリアムズなどでさえ「共感を込めてます!」ということを表に出さず、インテンポでサラッと交わすことの多いハンドレーですが、ここではのっけから粘り腰で、ユーモラスな楽想を強調。締めくくりのどっしりとしたテンポの落とし具合も見事!全曲を通じて、内声の動きが実に自然な形で沸きあがって、新たな発見に出会える瞬間も少なくありません。
 この、真面目一徹でありながら、作品の素晴らしさを聴き手に痛感させるハンドレーの手腕は、交響曲でも同様に威力を発揮。第1楽章最初のフルートと低弦の美しいコントラストと柔らかな詩情の滲み出しからして、純音楽的味わいの極み!リズムが鋭利に立つことはありませんが、それがもどかしいどころか、音楽に深みを与えていることに気付かされます。ところが、コーダでは、壮麗な色彩が飽和寸前まで膨れ上がるのには驚愕!この精緻な大造型はチェリビダッケと双璧です!隠し味のようにピアノが連打音を奏でていることの意味深さを痛感させる演奏も他にありません。
 第2楽章はロイヤル・フィルの巧さに舌を巻きっぱなしです。この録音は、ちょうどプレヴィンが音楽監督を辞する年に行なわれていますが、この時期がこのオケにとってビーチャム以来の黄金期だったのではと思わせるほどの鮮やかさです。第3楽章は暗さをあえて強調しませんが、シンフォニックな構築技一本で勝負することで、ここでも目の詰んだニュアンスを随所で確認できます。
 終楽章をここまで清潔に鳴らしった演奏も、他に聴いたことがありません!しかし無菌状態のそれではなく、2:44からの第2、第1ヴァイオリン同士の対話の対配置効果や、2:58のチェロのの強調の自然さなど、さり気なく隠し技を披露するあたりは、まさに熟練の味!録音が極めて優秀なのも特筆ものです。

DG
4451392(4CD)
プロコフィエフ:交響曲第5番
 スキタイ組曲('75)、
 「ロメオとジュリエット」より3曲('81)、
ムソルグスキー(ラヴェル編):「展覧会の絵」('76)、
ストラヴィンスキー:「妖精のくちづけ」(76)、
 組曲「火の鳥」('78)、
リムスキー・コルサコフ:「シェエラザード」('82)
セルジュ・チェリビダッケ(指)
シュトゥットガルトRSO

録音:1979年10月30日(ステレオ・ライヴ)
“チェリビダッケ全盛期の極限の構築美と情念噴射力の完全融合!”
 以前NHK・FMで放送されたものと同一(または一日違い)の演奏。不純物を一切寄せ付けない研ぎ澄まされた響きの中から、灼熱のエネルギーを放射した名演です。第1楽章第1主題から前代未聞の透明さを誇るテクスチュアが鮮烈で、展開部のリズムのレスポンスの良さ、脂肪分が限りなくゼロに近いスリムな音像も、後年の演奏からは望めない魅力です。第2楽章も十分なリズムの切れと色彩放射を見せながら、音の立ち上がりは繊細を極め、声部バランスの強力な制御により、脳天気な音の饗宴とは一線画す格調の高さを示しています。チェリが終生こだわった、長いフレージングの中でのエネルギーの増減が完璧な形で反映された第3楽章も聴きもの。特に、弦が高音域で高潮しながら歌う箇所の輝かし呼吸の妙、コーダの最後に消え入る瞬間の極限のピアニッシモは、他に例を見ません。終楽章も室内楽的な構築を基調として、しなやかなフレージングと鋭敏なリズムの冴えを見せますが、驚きは後半、クラリネットのテーマが回帰された後のエネルギーの放射力!コーダの8:44の剥き出しの金管が天空に向かって大絶叫する様は、この頃のチェリの特徴である弱音寄りのテクスチュアとはあまりにも正反対で、何度聴いても背筋が凍ります。チェリ本来の構築美学が高次元で維持されていたこの時期に、若きの日の向こう見ずでエモーショナルな表現欲も横溢させた、画期的大名演です。【湧々堂】

プロコフィエフ/PROKOVIEV
交響曲第7番

Profil
PH-05003
プロコフィエフ:交響曲第7番、第5番 クラウス・テンシュテット(指)
バイエルンRSO

録音:1977年(ステレオ)
“意外なレパートリーにテンシュテットの人生観を投影!”
 テンシュテットの比較的珍しいレパートリーですが、人気の高い「第5番」よりも、ここでは「第7番」のとてつもない素晴らしさを強調せずにはいられません!
 一昔前まではこの曲も人気を博していましたが、最近では演奏会でも滅多に演奏されず、すっかり地味な存在となってしまいましたが、この演奏では、プロコフィエフ特有の洒脱さ以外の人生の悲哀と機微が投影しつくされており、今まで味わったことの深みと広がりが心にずっしりと迫るのです。第1楽章の最初の一音のポロンと奏でられる和音の厳かなこと!続く弦の第1主題の均整のとれた美しさは、早くも「第5番」とは違う意気込みで臨んでいることを窺わせます。また低音部をたっぷり効かせた主題のうねりはマーラーの音楽のように大きく息づき、実に意味深い厚みのある音楽に変貌しているのです。ハリウッド的とも揶揄されることのある第2主題は共感の塊!オケの機能美もやる気も第5番以上で、天に向かって聳える音像の立派さに加え、意外なほどの色彩の煌きも鮮烈な印象を残します。隠し味のピアノの音色がバランスよく捉えられている点も、独特の荘厳さを生み出大きな要因になっています。コーダの沈静の呼吸の妙も必聴。
 第2楽章のワルツも全ての響きに意味があり、こんな切実に迫る演奏は聴いたことがありません。ヴァイオリン両翼配置の効果も絶大!  第3楽章は何という温かさ!テンシュテットの人柄を感じると共に、この作品をマーラーの時と同じようなスタンスで臨んでいることをますます痛感させます。ファゴット・ソロから始る中間部は特に聴きもので、軽くおどけて見せる表情の裏に隠された孤独の影を感じてください!
 終楽章は終止リズムを生き生きと弾ませながらも、決してメカニックな切れや暴走に陥ることなく、これまた表情が多彩。2:27以降の壮麗な展開は、普段から優秀な技量を持つバイエルン放送響ながら、まさに絶頂のコンディションであることも手伝い、第1楽章第2主題が壮大に謳歌される頃は、もう感動の極み!なお、コーダは弱音のまま締めくくるバージョンを採用しています。


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