湧々堂HOME 新譜速報: 交響曲 管弦楽曲 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック 廉価盤 シリーズもの マニア向け  
殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE!! レーベル・カタログ チャイ5



Treasures
(CD-R)


レコードに刻まれている感動を最大限に引き出し、未知の感動都の出会いを目指す板起こしレーベル。
たとえヒストリカル・マニアでなくとも、ハイレゾ音源や高級機材を導入しなくても、
“心の底から感動できる” ものがあるということを実感していただければ幸いです。


CD音楽業界が売筋至上主義を爆進する中、その反動として、板起こしCDR復刻盤が増えているのは自然な成り行きと言えましょう。しかし、この復刻盤にも、その内容に首をかしげたくなることが多々あります。「レア音源を使用」とか「CD化されていない」とか「資料的価値が高い」といった触れ込みは、音楽的な味わいとは直接関係がない事柄です。肝心なのは、製作者がその演奏の「どこが魅力的なのか」をしっかり体感し、あえて復刻する意義を聴き手に発信することではないでしょうか。その理想を追い求めるのが“Tresures”です。
「ここでしか味わえない感動」をお届けすることが第一です!

■「王道」も「マニアック」もない!
“Tresures”は、決して一部のマニアだけを念頭に置いたレーベルではありません。「マニアックか王道路線か」、「知名度が高いかどうか」、そして「売れるかどうか」…、これらの線引きを極力取り払いたいと考えております。
「この曲はいろいろな演奏で聴いたけど、結局は昔聴いたあの演奏に行き着く」という経験をお持ちの方も多いかと思います。本当に感動した演奏というものは、録音の新旧を問わず、演奏家の知名度にも関係なく、長年聴き手の心に深く刻み込まれるものです。「ヒストリカルはちょっと…」と尻込みされていた方にも、演奏そのものが魅力的であれば、感動に出会える機会が増えるいうことを知っていただきたいのです。

■専らCDを聴いて育った方々へ
 長年の音楽ファンは勿論のこと、よく知られた名盤をCDでしか聴いたことのない方々にも、「この演奏の凄さはこんなもんじゃない!」ということを是非して知っていただきたいのです。そのため“Tresures”では、何度もCD化された音源でも、あえて復刻することもあります。レコードをリアルタイムで聴いていない人たちにとっては、CDから出てくる音だけが演奏の良し悪し、好き嫌いの判断材料となるわけですが、その音を聞いても、高評価の理由が全く理解できなかったとしたら、こんな残念なことはありません。フルトヴェングラーやストコフスキー等の強烈な個性を持つ演奏なら、安易な復刻盤でもある程度はその雰囲気は伝わるでしょう。しかし、一見地味でひたひたと染みてくるようなタイプの演奏は、楽音の質感、量感が少しでも損なわれると、平凡な演奏にしか聞こえないことが多々あります。宇野功芳氏の推薦盤として知られるクリップスの「チャイ5」などはその良い例で、過去発売された正規CDは、どれも完敗です。
 また、こういったアナログの魅力に気付きつつも、底なし沼にハマるのを恐れている人が結構多いようですが、これまたもったいない話です。実は私自身、レコード盤との関わりを長年遠ざけてきました。日々送られてくる新譜CDの魅力をお知らせする仕事がメインである以上、その存在がくすぶっていてはマズいと考えたからです。しかし、上記の通り、そうも言っていられない状況になったのです。

■制作ポリシー
1) しっかりとディスクを洗浄を施した上で、専用機材で丁寧に制作。
2) 音源に使用するディスクは、可能な限り複数のディスクを比較視聴し、演奏の魅力を最も強く
  感じさせるものを選択。初期盤絶対主義は取りません。
3) カップリングのオリジナル性を尊重しません。オリジナルを謳い文句にしている復刻盤もありますが、
  CD-Rで聴く時点でオリジナルではないのです。
4) 原則的に1枚あたり60分以上収録し、通常のコンサートのような曲順(小さい曲から大きい曲へ)で収録。
   したがって、1CDRのほとんどが2枚以上のレコードを使用しています。

■音質処理
 音の印象に最も大きな影響を与える要因の一つが、背景ノイズ(チリチリ音)除去のさじ加減。これが過剰なために、実音のニュアンスまで削られている例が少なくありません。そこで“Tresures”では、ノイズカットを最小限に抑えています。そのため、盤質の優れているディスクを探す手間暇は不可欠となります。
 また、LPの出現からステレオ初期までは、プレスの不備、ピッチの異常、左右チャンネル逆転、回転ムラ等々により、そのまま再生すると違和感が生じる場合がありますが、そんなことは意に介さないばかりか、「オリジナル性尊重」を持ち出して、全く修正を施さないディスクに出会うことがあります。湧々堂ではそれらは全て「欠陥品」とみなします。万一このような現象が見過ごされていた場合は、必ず修正の上、再出荷いたします。


湧々堂創設以来、心底お薦めするディスクを“殿堂入り”と称してできるだけ丁寧にご紹介してきたつもりですが、気がついてみると廃盤だらけ…。“Tresures”が、そんな状態を少しでも解消できればと思っております。 【湧々堂】


※品番結尾に特に表記のないものは、全て1CD-Rです。
品番 内容 演奏者
ヴィトルド・マルクジンスキ
TRE-001
マルクジンスキ〜ショパン・リサイタル
ワルツ第1番Op.18「華麗なる大円舞曲」*
夜想曲第13番Op.48-1*/夜想曲第5番Op.15-2*
スケルツォ第3番Op.39*/バラード第2番Op.38
夜想曲第15番Op.55-1/夜想曲第7番Op.70-1
ワルツ第11番Op.64-1/ワルツ第6番Op.54-1「小犬」
マズルカ第21番Op.30-4/マズルカ第45番Op.67-4
マズルカ第25番Op.33-4/即興曲第1番Op.29
スケルツォ第2番Op.31
ヴィトルド・マルクジンスキ(P)

録音:1958年3月&5月*、1955年6月-7月
※音源:英COLOMBIA 33CX-1639*、33CX-1338(全てモノラル)
◎収録時間:67:29
“ステレオ再録音では感じられない漆黒の色彩!”
■製作メモ
2枚の「ショパン・リサイタル」から、「ピアノ・ソナタ第2番」以外の全てを収録。2枚ともオリジナルのモノラル録音で、ステレオは存在しません。スケルツォ第2&3番と夜想曲第5番&13番は、8枚組CDボックスにも収録されていますが、マルクジンスキ特有の打鍵の色彩も深みも減退しています。

★ポーランドには名教師と言われる権威あるピアニストが多く存在しますが、マルクジンスキほど、教条的なアカデミズムを感じさせず、ショパンの音楽の有り様を芸術的な香りとともに示してくれるピアニストはいないのではないでしょうか?
1曲目の「ワルツ第1番」は可憐なニュアンスを引き出そうとしますが、マルクジンスキの構築力は厳格そのもの。しかしそこから音楽自体に宿っている華やぎが丹念に紡ぎ出されます。「夜想曲第15番」の低音域は、まさに漆黒の艷!「バラード第2番」は1963年にステレオでセッション録音を行っていますが、冒頭アンダンティーノから突然プレストに転じる衝撃と迫力の差は歴然。「マズルカ」も、後年の再録音より表情がアグレッシブ。
最大のお薦めは、「夜想曲第7番」。腕が立つだけではどうにもならない大曲で見せるマルクジンスキの自然な構成力と感情の制御力にはあまりにも素晴らしく、中間部の高揚が力尽きた後の左手オクターブのレチタティーボから、冒頭主題に戻る間合いに良さは、マルクジンスキの真骨頂と言えましょう。【湧々堂】

TRE-002
メンデルスゾーン:華麗なカプリッチョ.ロ短調Op.22
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番嬰ヘ短調Op.1*
 ピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18
モーラ・リンパニー(P)
ニコライ・マルコ(指)
フィルハーモニアO

録音:1953年2月2-3日、1954年4月30日* (全てモノラル)
※音源:MFP 2035、HMV CLP-1037*
◎収録時間:66:48
“ラフマニノフの甘美さと一定の距離を保つことで生まれる気品!”
■製作メモ
ラフマニノフの「1番」は、最も音のニュアンスが良く出ている初期盤、ラフマニノフの「2番」とメンデルスゾーンは、良質なMFP盤を使用。ジャケット表紙には、その初期盤であるCLP-1007をベースにしています。

★ラフマニノフの「第1番」は、冒頭のホルンのファンファーレから釘付け!デニス・ブレインを含む名手達が放つ確信に満ちた響きは、この名演を象徴するかのようです。そこへ阿吽の呼吸で峻厳なリンパニーのピアノが飛び込みますが、そこまでの間合いの良さは古今を通じて屈指の絶妙さ。
広いレパートリーを誇るリンパニーにとって、特にラフマニノフはその中核を成す存在ですが、強固なフォルムと闊達な打鍵を崩さないリンパニーのピアニズムは、ラフマニノフ特有の抒情性にキリッとした品格を注入していることを、この「1番」で特に痛感させられます。第1楽章後半のカデンツァなど、ロシア的な民族色に拘泥せず、まるでリンパニーのために書かれたように高い求心力で迫ります。
「第2番」は、ステレオでサージェントとステレオで再録音していますが、オケの表現力も含めて、断然このモノラル盤が素晴らしい!そのオケのニュアンスを引き出しているのは、ニコライ・マルコ。フィルハーモニア管と多くの録音を残していますが、マルコ自身のアグレッシブなニュアンス注入力とオケの反応の良さという点で、この伴奏指揮はトップクラスの出来栄えと言えましょう。【湧々堂】

TRE-003
フランツ・バウアー=トイスルのベートーヴェン
ベートーヴェン:序曲「コリオラン」
序曲「レオノーレ」第3番
交響曲第3番「英雄」*
フランツ・バウアー=トイスル(指)
ケルンRSO

録音:1950年代末(ステレオ)
※音源:独PARNASS 75767、61421*
◎収録時間:73:12
“ワインガルトナーへのオマージュとして響く、史上最優美の「英雄」!”
■制作メモ
1928年オーストラリア出身。クレメンス・クラウス門下で、ウィンナ・オペレッタの伝統継承者として知られるバウアー=トイスルが、ベートーヴェンを録音していたとは驚きです。これ以外に交響曲録音は存在しないと思われます。オイロディスク原盤で、交響曲の方は当初は60年代初頭のLPからの復刻を予定していましたが、後発の名曲ボックスに収められているものは、カッティング、盤質共に更に優れていたので、それを採用しました。

★PHILIPS録音のワルトトイフェル:ワルツ集などで、スタイリッシュさと典雅さを兼ね備えた名演を聴かせてくれたバウアー=トイスルが「英雄」を指揮するとどうなるか…。その予想通りの演奏が展開されます。古今を通じ、これほど肩の力を抜いて優美な演奏に徹した例も珍しいでしょう。とにかく攻撃性は皆無。無理の無いテンポで、音のエッジは立てずにどこまでもまろやか。一般的なイメージとはあまりにもかけ離れているので、最初は拍子抜けする程ですが、聴き進めば進むほど、そのアプローチが音楽的ニュアンスとして確実に結実し、独特のコクと味わいに繋がっていることに気付きます。
過剰に悲痛さを演出しない第2楽章の、なんという清らかさ!終楽章では、木管をスパイスとして音像を構築していることがよく分かり、その温かな響きが心を捉えて離しません。特に中盤のきめ細やかなニュアンスの表出は聴きもの。楽章冒頭の弦のピチカートの一部をアルコに変えているのは、ワインガルトナーと同じ。芸風の点からもバイアー=トイスルがワインガルトナーに私淑していたことは想像に難くありません。
2つの序曲も全く同じスタイルですが、「レオノーレ」の舞台裏トランペットがびっくりするほど輝かしいのは意外。【湧々堂】

TRE-004
バッハ:管弦楽組曲集
第1番BWV.1066
第3番BWV.1068*
第4番BWV.1069#
エドゥアルト・ファン・ベイヌム(指)
アムステルダム・コンセルトヘボウO

録音:1955年5月31日〜6月2日、1956年4月3日*、1956年4月10日# (全てモノラル)
※音源:仏Philips 700064 - 700055
◎収録時間:61:43
“香り立つエレガンス!ベイヌムのかけがえのない遺産!!”
■製作メモ
この演奏の雰囲気にぴったりな音がするフランス盤を使用。モノラル後期の録音ゆえに古臭さはなく、耳にに吸い付くような感触が魅力。
残念ながら全4曲の演奏時間は80分をわずかに超えるので、「第2番」はTRE-076に収録しました。
★往年のスタイルによる「管組」としては、リヒター等と並んで忘れる訳にはいかない名演。ピリオド奏法が主流の昨今でも全く古さを感じさせないのは、ベイヌムの清潔なフレージングと各声部を統制して見通しの良いハーモニーを生む出すセンスの賜物。第1番の「ガヴォット」のようにリズミカルな曲調でも鋭利な響きを避け、慈しむようなフレージングを保持することで、全体を典雅な雰囲気に包み込みます。第3番の冒頭は、なんという節度ある造形美!ベイヌムというと、ブラームスの交響曲第1番やブルックナーでのパワーの噴出をイメージしがちですが、この抑制の美学と音楽に無理なく推進性を与える力量の両立技は、もっと注目されるべきではないでしょうか。そして有名な「アリア」は、純潔の極み!古今を通じ、これほど心を打つアリアに接したことはありません。もちろん、これは当時のコンセルトヘボウ管のずば抜けた巧さなくしては実現しなかった響きでしょう。【湧々堂】

TRE-005
ベートーヴェン:「プロメテウスの創造物」序曲*
交響曲第9番「合唱付き」
アルトゥール・ローター(指)
ベルリンSO*、ハンブルクPO
ハンブルク・ジングアカデミー
エディット・ラング(S)、
マリア・フォン・ロスヴァイ(A)
ワルター・ギーズラー(T)
フランツ・クラス(Bs)

録音:1960年頃(ステレオ)
※音源:独PARNASS 61-423,424
◎収録時間:70:38
“音圧ではなく風格で聴かせる高らかなドイツ精神!!”
■製作メモ
元々は独Opera 原盤ですが、カッティングが安定し瑞々しい音がする、1970年代に発売されたドイツ盤を使用。「第9」は、LP3面が使われています。

★名カペルマイスター、アルトゥール・ローター(1885-1972)の職人気質と気高いドイツ精神を徹底注入した、感動的な「第9」です。ローターは、活動の場がほとんどが歌劇場であったため、管弦楽曲の録音は非常に少なく、ましてやステレオなると、テレフンケンの小品集や独OPERAのベートーヴェン数曲など数える程度。その中でもこの「第9」は、合唱の巧妙な扱いも含め、音楽をガッチリと構築するのみならず、劇場的な空間表出力が独特の熱気を生んでいる点が特に注目に値します。ティンパニ・パートをかなり改変しているのも特徴的で、第2楽章の最後にも打ち込まれますが、その音色のブレンド感が、燻し銀の味を湛えたままに迫るのがたまらない魅力!
独唱陣は、発声自体は実に大らかですが、「こう歌うしかない!」という確信力に恐れ入るばかり。自分たちの音楽だという誇りが宿ったパワーは合唱にも共通しており、この作品から、派手さではなく精神の叫びを感じたいと願うファンにとっては、聴き逃せない演奏です。【湧々堂】

TRE-006
スメタナ:交響詩「モルダウ」*
チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」#
ドヴォルザーク:スラブ舞曲Op.46(全8曲)**
カレル・アンチェル(指)
ウィーンSO

録音:1958年2月8-10日*、1958年3月29日&4月2日#、1958年11月5, 6, 26-29日&12月2-4日** 以上ウィーン・ムジークフェライン大ホール(全てステレオ)
※音源:Fontana SFON-7519 、蘭700.158**
◎収録時間:66:18
“チェコのオケのように郷愁を滲ませるウィーン響の佇まい!”
■製作メモ
アンチェル&ウィーン響は、1958年に、チャイコフスキーを中心に集中的にレコーディングを行っていますが、全てがアンチェルの芸術の粋を集めたものであるにもかかわらず、多くがFontanaで発売されたせいか、不当に軽視されているようです。「ロメ・ジュリ」は、アンチェル唯一の録音。「スラブ舞曲」も、曲集としてまとまったセッション録音はこれが唯一。スメタナとチャイコフスキーは60年代の日本盤、ドヴォルザークは、最も音に芯を感じる60年代のオランダ盤を使用。

「モルダウ」は、何と言ってもこの5年後のチェコ・フィルとの「わが祖国」全曲録音が有名ですが、どちらの録音においても透徹したテクスチュア、テンポ設定など、ほとんど同じアプローチを貫徹している点に驚かされます。かつてヴァーツラフ・ノイマンは、「ウィーンのオーケストラには、チェコ独特の情感をなかなか理解してもらえなかった」と語っていましたが、ここではまるで自分達の音楽のように迫真の演奏を展開しており、そう仕向けたアンチェルの手腕に改めて脱帽。
「スラブ舞曲」は、共感の熱さ、設計の巧みさ、色彩イメージの統一感など、他のチェコ人指揮者の中でもダントツの魅力を誇ります。例えば、第6番(Op.72-6)。スッキリとした音像を保持しながら、リズムの弾ませ方は、郷愁で一杯。意外なのは中間部の2:25での、あからさまなクレッシェンドのドッキリ!これが何とも粋なのです!作品72を録音してくれなかったのが、残念でなりません。【湧々堂】

TRE-007
リスト:交響詩「前奏曲」
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」
フランツ・コンヴィチュニー(指)
ウィーンSO

録音:1961年(ステレオ)
※音源:独PARNASS 61438、70003*
◎収録時間:76:46
“「素朴」の一言で片付けられない、美しい響きの融合!”
■製作メモ
元々はOPERA(Eurodiscの前身)音源ですが、マスターの劣化をさほど感じさせず、音に瑞々しさがあるPARNASS盤を採用。但しジャケット・デザインはただの風景写真ですので、ここではETERNA盤を用いています。

★コンヴィチュニーのブルックナーは、「素朴」とか「渋い」といった通り一遍の評価で済まされがちですが、このウィーン響との4番は、コンヴィチュニーのステレオの中でも傑出した名演であるばかりか、ブルックナー演奏の理想郷とも言える佇まいを表出しています。コンヴィチュニーが振ったオケはどれも機能性を売りにしたオケではないので、まず感覚的な渋さが印象づけられるのは当然ですが、ここで特にご注目いただきたいのは、オケの持ち味だけで勝負しているような自然体を貫きながら、内面から沸き立つ力感と、美しいハーモニーのブレンド感を湛えている点。第1楽章再現部や第2楽章冒頭の木管のユニゾンはその典型で、純朴の美徳をこれほど確実に伝える演奏も稀でしょう。5:31からのホルンと弦が織り成すたおやかな風情は必聴!
終楽章は、拍節から滲み出る微妙な「雑味」が、音楽的な味わいに大きく作用していることをますます痛感。曲の後半へ向け、響きの凝縮度も、ニュアンスの煌めきも、ますます高まります。7:59からの得も言われぬ幽玄さ、16:06からのトリルの末端まで音化し尽くした意志力…。どれもがビートをスパッと刻む指揮法では成し得ないニュアンスばかりで、いかにこの演奏がかけがえのないものであるか、実感いただけると思います。
リストの「前奏曲」も、音楽を作り込み過ぎない潔さで、聴き手を唸らせます!【湧々堂】

TRE-009
ビゼー:「アルルの女」組曲より
 前奏曲/メヌエット/カリヨン/田園曲/間奏曲/ファランドール
メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」#〜序曲/夜想曲/スケルツォ
 交響曲第4番イ長調「イタリア」Op.90*
ハインツ・ワルベルク(指)
フィルハーモニアO

録音:1960年11月29&30日-12月2日、1960年11月28日*、1960年11月29日# (全てステレオ)
※音源:伊EMI SQIMX7003、英EMI SXLP20037#,*
◎収録時間:79:29
“また聴きたくなる魅力!ワルベルクの愚直さが生んだ至純のニュアンス!”
■製作メモ
1950年代中期にステレオ録音が出現して以来、各レコード会社は、その理想的なサウンドを目指して苦心を重ねてきましたが、EMIは、1960年頃にその後のEMIの特徴とも言える、自然な臨場感を持つサウンドを確立したと思われます。この初出のSXLP20037では、その音の素晴らしさと、音楽的な情報量の豊かさを肌で感じることができます。

★この「イタリア」の録音は、有名なクレンペラーの録音(1960年2月)から1年も経たずに行われています。そのせいか、テンポ設定や楽器間のバランスなど、クレンペラーとよく似た点が垣間見られるのがまず興味深いところですが、決してクレンペラー流をなぞったのではなく、当時の批評に見られた「無難な出来栄え」という程度の生半可な演奏でもありません!後年、ワルベルクがN響との共演で聴かせてくれた、一切の衒いとは無縁の愚直なまでの自然体路線は、30代の当時に既に独自のスタイルとして確立していたのです。
第1楽章再現部直前でトランペットを強奏させながらも、純朴な雰囲気を維持。第3楽章では丁寧な3拍子の刻みが、美しいカンタービレに独特のコクを与えています。終楽章も怒り肩の猛進型ではなく、じっくりと音を紡ぎ出そうとするワルベルクの誠実さにオケ全員が共鳴し、心温まるニュアンスとして結実しています。
ドキッとするような強烈な個性はないのに、繰り返し聴きたくなるこの手作り感!これこそがこの演奏の最大の魅力でしょう。また、それをしっかり感じられる点が、日本のセラフィム盤LPや、かつてCD化されたものとの大きな違いです。当時のフィルハーモニア管の「素の巧さ」を知る上でも、欠かせない録音です。是非、音の端々まで浸透しているニュアンスの豊かさを感じて下さい!【湧々堂】


TRE-010
アンチェル〜チャイコフスキー:バレエ音楽集
組曲「白鳥の湖」〜情景(第2幕)/ワルツ(第1幕)/小さい白鳥の踊り(第2幕)/情景(第2幕)/ハンガリー舞曲(第3幕)
組曲「眠りの森の美女」〜序奏とリラの精の舞い/バラのアダージョ(第1幕)/長靴をはいた猫と白い猫(第3幕)/パノラマ(第2幕)/ワルツ(第1幕)
組曲「くるみ割り人形」*
「眠りの森の美女」〜ワルツ(第1幕)#
カレル・アンチェル(指)
ウィーンSO

録音:1958年2月8-11日、1958年3月27日#
以上、ウィーン・ムジークフェライン・ザール (全てステレオ)
※音源:英Fontana SFL-14054、蘭Fontana 875002CY*,#
◎収録時間:65:18
“実用的なバレエ音楽を超越した、透徹した音彩の追求!!”
製作メモ
*と#は、プラム地・銀文字の完全初出盤を使用。このレコードには、チャイコフスキーの「くるみ割り」組曲+スラブ行進曲+「弦セレ」ワルツ+「眠りの森」ワルツが収録されており、その「眠りの森」ワルツは、組曲録音とは別の演奏であることに気づきました!資料によって録音データが異なるのですが、演奏のニュアンスは明らかに異なります。
「アンチェル&ウィーン響」のレコード・ジャケットは、どれも面白みに欠けるものばかりですが、そんな中でも最も雰囲気のある、日本の10インチ盤のジャケットを使いました。

★全てが、アンチェル唯一の録音。もちろんバレエの舞台の動きに則したアプローチとは違い、あくまでもアンチェル持ち前の透徹した響きを土台として、各曲の雰囲気が最も際立つニュアンスを注入しているのが特徴。
「白鳥の湖」“ワルツ”の颯爽としたイン・テンポ進行は、いかにもアンチェル節。“情景”(トラック[04])は、とかく冗長に流れがちな曲ですが、この比類なき素晴らしさ!冒頭を神妙なスロー・テンポで滑り出しすのが意外ですが、その後の楽想も含め、ウェットな空気を持ち込まず、目の詰んだ表情をここまで徹底的に炙り出している演奏に出会ったことはありません。
「くるみ割り人形」“花のワルツ”の第2ワルツヘ移る直前に、ルフト・パウゼが入るのは珍しいですが、これも音楽の流れにメリハリをきちんと付けるアンチェルならではこだわり。
最後に収録した「眠りの森の美女」の“ワルツ”は、「制作メモ」に記したように、トラック[11]とは別の録音。組曲録音のほうが、男性的な力感が勝っています。【湧々堂】
Morton Gould
TRE-011
モートン・グールド・プレイズ・ガーシュウィン
3つのプレリュード〜第1番
ラプソディ・イン・ブルー
3つのプレリュード〜第2番
ピアノ協奏曲へ調
「ポーギーとベス」組曲(M.グールド編)
モートン・グールド(指,P)
モートン・グールドO

録音:1955年(モノラル)
※音源:RCA LM-6033
◎収録時間:79:04
“ジャズ・テイストとクラシック様式との完全な調和!!”
■製作メモ
2枚組LPのガーシュウィン。アルバム作品集から、「パリのアメリカ人」と「プレリュード第2番」以外の全てを収録。ステレオ移行直前の実にクリアなモノラル録音です。使用ジャケは、1枚もののLM-2017。

★クラシック、ジャズ両面に精通するアーチストの中で、M・グールドは、その両者を単に器用にこなすだけでなく、どちらの面においても高い説得力を誇るという点で貴重な存在です。「プレリュード」は、いかにもゴキゲンなピアノ・ソロ・ピースですが、安易に弾き崩すことなく聴き手をウキウキさせるニュアンスをふんだんにまき散らします。「ラプソディ・イン・ブルー」も、もっと露骨に面白さを演出した演奏はいくらでもあります。クラシック的な構成感と、ジャズのイディオムのどちらにも比重が傾くことなく、音楽の魅力を確実に届けてくれる演奏となると、意外と少ないのではないでしょうか。
その高いプロ意識とピュアな音楽センスを最も強く感じさせるのが、ピアノ協奏曲!クラシックの有名協奏曲の延長線上で聴くと何か物足りず、ジャズ的なノリを期待し過ぎるとどこか居心地が悪い…、そんな演奏が多い気がしてならない中、気が付くと全3楽章を通して聴き入ってしまった演奏は、これだけです。「ポーギーとベス」は、有名なD.R=デイヴィス版とは一味違う、華麗なアレンジ。オケの巧さにも脱帽です。【湧々堂】

TRE-012
J・クリップス〜ハイドン&ブラームス
ハイドン:交響曲第94番「驚愕」*
ブラームス:交響曲第1番ハ短調
ヨーゼフ・クリップス(指)VPO

録音:1957年9月9-14日*、1956年10月7-8日(共にステレオ)
※音源:DECCA SXL-2098*、LONDON STS-15144
◎※収録時間:65:18
“鎧で武装した演奏では味わえない音楽のエッセンス!”
■製作メモ
ブラームスは、米LONDONの"Treasury Series"盤ですが、プレス自体はもちろん英DECCA。コシがあって実に良い音がします。SXL未発売。1950年代のウィーンフィルのDECCAのステレオ録音は、段ボール箱の中で鳴っているようなクセのある音が玉に瑕ですが、クリップスの録音は、「チャイ5」も含めて、わずかにそのクセが軽減されている気がします。

ハイドンは、クリップス&VPOの信頼関係を象徴する、全く力みのないたおやかな風情が魅力。拍節を丹念に刻むながらも音楽は自然に息づき、ハイドン特有のユーモアが素のままで表出されます。
更に素晴らしいのがブラームス!もちろん、ウィーン・フィルの自発的な表現力を最大に尊重してはいますが、決して「おまかせ」ではなく、クリップスならではの強固な意志も張り巡らることで、優美さ一辺倒ではない凝縮力の高い名演を実現しています。声部のバランスを分解し構築力で圧倒する演奏とは一線を画し、阿吽の呼吸と気力で押し切った潔さはかけがえのないものです。第1楽章再現部に差し掛かる前のイン・テンポで畳み掛ける気迫の凄さなど相当なものですが、威圧感を与えずに燃え盛る精神の高揚をぶつけるあたりは、まさにこの名演の象徴と言えましょう。第2楽章は、昨今では透明な響きを目指す演奏が多いですが、この中低域をたっぷり効かせた深淵なニュアンスは格別。中間部のオーボエ、クラリネット・ソロの味わいたるや、古今を通じて比類なしと言いたい程です。終楽章は、指揮者としての統率力とオケの潜在能力が完全一体化した究極芸!全ての楽器が各楽想において、その美感と力感を最大限に伝える鳴らし方を心得ているということの凄さ…とでも言いましょうか、とにかくすべてのニュアンスの結晶度が尋常ではありません。第1主題など素っ気なく通り過ぎるだけですが、逆に今までの流れからして、これみよがしに歌い上げることなど考えられません。
なお、ブラームスは、後にコンサートホール・レーベルに再録音していますが、同じくコンサート・ホールへ再録音した「J・シュトラウス作品集」共々、全く別のニュアンスを醸し出しているのも、興味深いところです。【湧々堂】

TRE-013
パウル・クレツキ〜ベートーヴェン:「運命」「田園」
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
交響曲第6番「田園」*
パウル・クレツキ(指)
バーデン=バーデン南西ドイツRSO
フランス国立放送局O*

録音:1961年頃(全てステレオ)
※音源:英Concert Hall SMS-2341、SMS-2239*
◎※収録時間:72:19
“フランス・オケの起用が大正解!「田園」の魅惑のニュアンス!!”
■製作メモ
この2曲のステレオ盤の発売は、年代はまちまちながら米・英・独・仏・日本の各国で見られ、中でも優秀だったのが独・英・日本盤。ここでは定位感のふらつきが最も少なく、プレス状態も良い'60年代の英国盤を採用。コンサート・ホール・レーベル(C.H)につきまとうモヤモヤとした音のイメージは消え、音楽的な情報量の多さを実感していただけると思います。使用ジャケットは日本盤。

★クレツキは、この後1964〜1968年にかけてにチェコ・フィルとベートーヴェンの交響曲全集録音を行っており、それらはチェコ・フィル特有のタイトで端正な響きを生かした佳演ながら徹底して楷書風で、クレツキならではの解釈の妙味を味わう点で物足りなさを感じる方も多いことでしょう。C.Hには「1番」「3番」「5番」「6番」を録音しており、そのどれもがクレツキの独特のこだわりと共感が色濃く反映されており、改めてこの指揮者の芸の細やかさに感服するものばかりです。
まず、「田園」のなんと素晴らしいこと!4つの交響曲の中であえてこの曲だけフランス国立放送管を起用しているのも大正解。明るく透明度の高いオケの響きを十分に活かしながら丹念に楽想のニュアンスを紡ぎ出します。特に魅惑的な管楽器の響きを埋没させず、しかもデフォルメすることもなく活用して、音楽に華やぎを与えるセンスに惚れ惚れするばかりです。第1楽章展開部2:48から背後の木管が完全に弦と一体化してクレッシェンドする箇所などは鳥肌モノ。1960年代まで全盛を誇ったフランス特有のホルン(フレンチ・コル)の響きもお聴き逃しなく。第3楽章、終楽章においてその魅力にイチコロ!終楽章3:52からの弦のピチカートの瑞々しい弾け方も、絶叫したいほどの素晴らしさ!インパクトの点で、あのクレンペラー盤と双璧と言えましょう。チェコ盤でも同様のアプローチを行ってはいますが、訴え掛けの差は歴然。
「運命」におけるクレツキも、チェコ・フィルのとことは別人のよう。盤石な中低域をの上に構築する響きには満遍なく熱い精神が注入されており、しかも単に荒くれた表情を引き出すだけでなく、一定の均整美を保持している点が流石です。【湧々堂】

TRE-014
シューベルト:「ロザムンデ」〜序曲/バレエ曲第1番/間奏曲第3番/バレエ曲第2番
交響曲第9番ハ長調「グレート」*
ハンス・スワロフスキー(指)
ウィーン祝祭O(ウィーン国立歌劇場O)

録音:1950年代中頃、1955年1月*(全てモノラル)
※音源:WORLD RECORD CLUB TT-17、T-25*
◎※収録時間:75:36
“スワロフスキーの穏健なイメージを払拭する、テンポに込めた強い信念!”
■製作メモ
WORLD RECORD CLUBは、EMI傘下の通販会社(1965年にEMIに買収された)ですので、当然EMI音源が最も多く目につきますが、米WestminsterやEverestのライセンス音源も発売しており、それらには「○○ Recoring」という表記あります。しかし、ここで使用したディスクにはその表記がどこにもないことから、全てこのレーベルのオリジナル音源なのかもしれません。全て明快なサウンド。

★スワロフスキーは、アバドやメータを育てた名教師としてしられますが、指揮者としての芸術性についてのきちんと論評に出会ったことがありません。録音は決して少なくないものの、殆どがマイナーレーベルへの録音なので、注目されないのも無理からぬことですが、少なくともこのシューベルトを聴けば、「穏健で無難にまとめるだけ」という評価は的を得ていないことに気づきます。
「グレート」第1楽章序奏部は素朴な田舎風とは異なり、やや速めのイン・テンポ進行自体に明確な意志が貫かれており、そのまま主部へ移行するという洗練されたアプローチに、思わず身が引き締まります。コーダでも慣習的なテンポの落とし方には敢然と背を向け、颯爽と締めくくる手法は、まさに現代を先取りしたかのよう。第2楽章も、ウィーン的な温かみのある音色は生かしつつも響きの凝縮力は常に高く、情に流された停滞感など皆無。洗練されたアプローチが瑞々しい情感表出に大きく作用しているのが第3楽章。中間部でもテンポを緩める素振りさえ見せず、それでいて純な歌心が満遍なく浸透しているのです。ウィーンのオケが陥りがちなリズムの甘さながない点にも、スワロフスキーの制御力の高さを窺わせます。終楽章は、自然体の推進力が魅力。快速テンポの演奏はいくらでもありますが、この「自然体」を感じさせる演奏は決して多くないでしょう。しかも、その中でも声部のバランス配慮が行き届いており、単に主旋律主導でやり過ごした演奏とは格が違います。
この演奏の非凡さに気づくと、スワロフスキーの他の録音も色々聴いてみたくなること必至。しかし、これが曲によって、あるいはオケによって、全く違ったスタイルを覗かせるので、スワロフスキーという人、本当に一筋縄では行きません。【湧々堂】

TRE-015
ワルター・ゲール〜グノー、ビゼー、チャイコフスキー
グノー:「ファウスト」〜バレエ音楽
ビゼー:組曲「美しきパースの娘」〜行進曲/セレナード/ジプシーの踊り
 「アルルの女」*〜前奏曲/メヌエット/アダージェット/メヌエット/ファランドール
チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形」#
ワルター・ゲール(指)
コンセール・ド・パリO
コンセール・パドルーO*
フランクフルト歌劇場O#

録音:1950年代中期
※音源:独Concert Hall SMS-2146、日Concert Hall SM-6109#(全てステレオ)
◎収録時間:67:48
“クナもびっくり!? ドイツ訛り丸出しの「くるみ割り人形」”
■製作メモ
単に盤面の綺麗さだけでなく、最も「良い鳴り方」をするプレス盤を探し当てるまで、何度も買い直しすることはザラですが、このコンサートホール盤ほど骨の折れるレーベルはありません。プレスした国や年代によって音質が代わるのは他のレーベルと同じですが、その差がとても大きく、ステレオ録音の方式自体(詳細説明は別の機会に譲ります)がメジャー・レーベルのそれとは根本的に異なるため、各楽器の定位が不安定で、音が曇って聞こえることも珍しくありません。かつて出回った出所不明のCDは、そこへさらに板起こしであることを隠すように強烈なノイズカットを施されていて、布団の中で聞くような耐え難いものばかりでした。
Tresuresでは、モノラル&ステレオ共に存在する場合は通常はステレオ盤を採用しますが、コンサートホールのステレオ盤に関しては、そのような事情から、音楽的なニュアンスが素直に伝わるモノラル盤をあえて採用することもあります。他にもコンサートホールには謎や問題点が多いのですが、それらは個々の「製作メモ」で触れることにします。
そんなコンサートホールのステレオ盤の中でも、ここに収録した録音は、音の明瞭さ、自然なステレオ感という点でトップクラスで、使用レコードの盤質についても最良のものと言えます。
なお、「グノー&ビゼー」のステレオ盤の単独発売は、日本盤とこのドイツ盤だけと思われ、「くるみ割り」のステレオに至っては、
日本のセット物以外で見ることができまんでした。
また、組曲「美しきパースの娘」は通常は4曲から成りますが、ここではなぜか3曲しか収録されていません。

★まず注目すべきは、フランス最古のオーケストラ、パドルー管による「アルルの女」。この第1組曲を1872年に初演したのは、このパドルー管の前身であるコンセール・ポピュレールでした。ステレオ期以降すっかり存在が薄くなってしまいましたが、アルベール・ヴォルフ等の薫陶を受けたこのオケの、甘味料をたっぷり含んだ豊麗な響きが味わえます。サクソフォンの響きなど、とろけそうなほど魅惑的。
ゲールの解釈のユニークさという点では、「くるみ割り人形」が聴き逃せません。まずテンポ設定の絶妙さ!最初の“序曲”は、小気味よく進行しつつも表情は濃密。続く“行進曲”は、リズムの重心を徹底して低く保ってドイツ訛り丸出し!トロンボーンの張り出しの強さといい、クナも顔負けです!この調子で“花のワルツ”を振るとどうなるか?これが、その期待を裏切るように、粋なイン・テンポを押し通します。3:47からのテンポの落とし方など、惚れ惚れするばかり。こんな親分肌でカッコいい“花のワルツ”など、他にないでしょう。【湧々堂】

TRE-016
パリキアン〜モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲集
ヴァイオリン協奏曲第1番*
ヴァイオリン協奏曲第3番
ヴァイオリン協奏曲第4番
マヌーグ・パリキアン(Vn)
ワルター・ゲール(指)
アムステルダム・フィルハーモニー協会O*
ハンブルク室内O

録音:1959年頃(モノラル)
※音源:独CONNCERT HALL MMS-2206*、MMS-2092
◎※収録時間:68:34
“名コンマス、パリキアンの並々ならぬ音楽への奉仕力!”
■製作メモ
コンサート・ホール(C.H)が1950年代に行なったバイノーラル・ステレオ録音の少なくとも協奏曲作品は、ほぼ全てNGと言えそうです。左右のチャンネルが離れすぎていたり、ソリストとオケが別の部屋で演奏しているような距離感だったり、オケの音が急に前にせり出したり引っ込んだりと、とにかく聞き苦しいものばかりです。パリキアンのC.H録音には全てステレオ盤が存在しますが、全てを聴き比べた結果、そんな状況が全てに見られたので、迷わずモノラル盤を採用しました。
一方、そのC.Hのモノラルの音は優秀なものが多いのですが、このパキリアンの録音によって、ドイツ盤(またはスイス盤)に限ると痛感させられました。当初は非常に盤質良好な英国盤を採用するつもりでしたが、その後に偶然聞いた独盤は、更に一皮剥けた鮮やかな音で驚愕した次第です。

★マヌーグ・パリキアン(1920-1987)は、フィルハーモニア管のコンサートマスターを務めたアルメニア出身の名手。ドブロウェン指揮による「シェエラザード」等でもソロ演奏を聴くことができますが、C.Hに遺したバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの主要作品は、彼のハイセンスな音楽性を知る上でどれも不可欠です。
ここでのモーツァルトは、小細工を一切用いずに、音楽が持つ表情の明暗を自然に表出した逸品揃いです。中でも「第3番」の素晴らしいこと!第1楽章冒頭主題から、陽の光を一杯に浴びた抜けるような音色とフレージングで魅了しますが、感覚美で訴えるのではなく、常に古典的な造形の中でニュアンスをを制御することを忘れません。カデンツァでも自己主張を抑えるのではなく、作品にと一体化させた絶妙なニュアンスを引き出しているのです。第2楽章も過剰な泣きなど見せず、淡々と進行しているようでいて、心の中で慈しみ抜いたニュアンスが満遍なく浸透。ソリストである自分だけにスポットが当たるような振る舞いが一切見らないのは、コンマスとしての姿勢が大きく反映していると思いますが、それは一歩間違えば、無味乾燥な演奏になりかねません。パリキアンの凄さは、終楽章で顕著なように、音楽自体が自発的に鳴っているかのような雰囲気を確実に醸し出している点。
ゲールの指揮も、そんな虚飾のないパリキアンの演奏に俊敏なレスポンスで応えて見事なサポートぶり。【湧々堂】

TRE-017
リヒャルト・クラウス〜ワーグナー他
グリーグ
:「ペール・ギュント」組曲〜アニトラの踊り/アラビアの踊り/ソルヴェイグの歌
リスト:ハンガリー狂詩曲第1番/第2番
ワーグナー:「タンホイザー」序曲*
 「さまよえるオランダ人」序曲*
 「ローエングリン」第1幕前奏曲*/第3幕前奏曲*
 ワルキューレの騎行*
リヒャルト・クラウス(指)
バンベルクSO、
ベルリン市立歌劇場O*

録音:1958年、1962年頃*(全てステレオ)
※音源:独DGG 136020、独PARNASS 61436*
◎収録時間:77:44
“ワーグナーの真の権威者、リヒャルト・クラウスの無類の共感力!”
■製作メモ
グリーグ以外は、本家レーベルからCD化されていないと思われます。ここでは良質なドイツ盤を採用。ワーグナーはOPERA(Eurodisc)原盤ですが、ここでは音に安定感のあるPARNASS盤を使用しています。

★リヒャルト・クラウス(1902-1978)は、ドイツ出身の典型的な劇場叩き上げの指揮者で、1923年にE・クライバーの助手を務めて以降は、ハノーファー、シュトゥットガルトなど数々の歌劇場の指揮者を歴任。その経歴を象徴するように、芸風は極めて堅実で強烈な個性を放射するタイプではありません。しかし、ワーグナーだけは別格!1942年にはバイロイトで「タンホイザー」を上演していますし、父エルンスト・クラウスも、テノール歌手としてバイロイトに出演していましたので、ワーグナーは特別な存在だったはず。その思い入れの強さはこの録音にもはっきり刻印されており、内面から溢れる共感の熱さが渋味満点のオケの音色と一体となって、強烈な印象を与えます。
「タンホイザー」の冒頭からアレグロに差し掛かるまでの深遠な佇まいは、昨今ではもう耳にすることはできませんし、アレグロ直前で、巡礼が遠ざかる様子が音楽的な余韻を伴って感じ取れる演奏など、そう多くはありません。ヒュンヒュンと唸りを上げて奏で尽くす弦や、粗野のようでいて腹の底から咆哮する金管の魅力の魅力に加え、“ヴェーヌスを讃える歌”が再現される直前(9:06)では、テンポをガクッと落として強烈なメリハリを付ける熟練技にも唖然。そして、コーダでの遠吠えのようなホルン!!単に明瞭に強奏させただけの演奏とは次元が違います。「オランダ人」も全ての音が必死の鳴りっぷりで、感動せずにはいられません。コーダで一瞬静まる箇所の得も言われぬ余情には、ため息が出るばかり。「ローエングリン」第1幕前奏曲に至っては、何度聴いても涙を禁じえません。少なくともセッションで録音された同曲で、これ以上の演奏がありえるでしょうか?是非フル・ヴォリュームで堪能いただくことを願ってやみません! 【湧々堂】
Hans Richter-Haaser
TRE-018
ハンス・リヒター=ハーザー/グリーグ&シューマン他
グリーグ:ピアノ協奏曲*
シューマン:ピアノ協奏曲#
リスト:愛の夢第3番#
グリーグ:抒情小品集第6集〜「過ぎ去った日々」Op.57-1
 抒情小品集第8集〜「トロールハウゲンの婚礼の日」Op.65-6
メンデルスゾーン:無言歌集〜「春の歌」Op.62-6
シューマン:子供の情景〜トロイメライ
ハンス・リヒター=ハーザー(P)
ルドルフ・モラルト(指)ウィーンSO

録音:1958年1月18-21日*,#(ステレオ)、1958年頃(モノラル)
※音源:蘭PHILIPS 835063*、fontana SFL-14093#、EPIC LC-3620
◎※収録時間:79:25
“楽想に応じてタッチを無限に変化させる奥義が凝縮!”
■製作メモ
グリーグ&シューマンのピアノ協奏曲は、なかなかCD化されませんが、LPでは繰り返し再発売されました。それらを聴き比べた結果、グリーグ冒頭で最も彫琢豊かに響いたのは、断然このオランダ盤でした。他の盤では、音が一歩下がって鳴っているように聞こえます。小品集も、リヒター=ハーザーのハイセンスな歌心を知る上で欠かせない逸品。

★特にグリーグの協奏曲が大推薦!リヒター=ハーザーのピアニズムは、ベートーヴェンやブラームスといったドイツの王道作品でも、決してドイツ的な厳格さを売りにしていたのではないことは明らかですが、これを聴くと、タッチの艶やかさ、歌のセンス、音楽を伸びやかに飛翔させながら全体に安定感をもたらす構築力が並外れていたことを痛感します。
第1楽章冒頭で低音から駆け上がる音型の、なんとブリリアントなこと!そして、第1主題の慈しみ抜いた歌。展開部での強弱の微妙な陰影感は、リヒター=ハーザーの感性の鋭敏さをいかんなく証明。甘美に流れがちな第2楽章で、多彩にタッチを変えつつ、音楽の多様な側面を余すことなく再現した演奏も稀なら、終わり近くの4:59で、突如別の曲が迷い込んだような効果をもたらすなど、誰にも真似できない奥義!終楽章は、この楽章に期待する華麗なピアニズムの全てを注入。どんなフォルティッシモでも艶やかさを保持したタッチと、大きな包容力の魅力が全開です。
アンコール代わりに収録した小品では、各音を克明に打鍵することと全体をレガートで歌うこの両立、バランス感覚の絶妙さに是非ご注目を。「トロールハウゲンの婚礼の日」など、最初の数秒で唸らせます!可憐にリズムを弾ませながら、ほのかな幻想性まで滲ませるこんな演奏は、他で聴いたことはありません。こんな多彩なニュアンスを内包する作品だったのかと驚かれる方もいいでしょう。【湧々堂】

TRE-019
ヘンリー・クリップス〜スッペ&J・シュトラウス
J・シュトラウス:ワルツ「芸術家の生活」
 ポルカ「雷鳴と電光」
 ヴェルディの「仮面舞踏会」によるカドリーユ Op. 272
 トリッチ・トラッチ・ポルカ
 皇帝円舞曲
スッペ:「軽騎兵」序曲*
 「スペードの女王」序曲*
 「ウィーンの朝、昼、晩」序曲*
 「詩人と農夫」序曲*
 「タンタロスの苦悩」序曲*
 「幸福への旅路」序曲*
ヘンリー・クリップス(指)
フィルハーモニア・プロムナードO(フィルハーモニアO)

録音:1960年1月14-15日、1956年1月日*(全てステレオ)
※音源:英EMI SXLP-30056、SXLP-30037*
◎※収録時間:78:37
“自らは酔いしれず、聴き手を酔わす望郷の指揮!”
■製作メモ
シュトラウスもスッペも、SAX規格ではなくSXLPでの発売。意外と安定感のあるSXLP規格の"CONCERT CLASSICS SERIES"は侮れません。ジャケ写真は独盤。

★ヘンリー・クリップス(ヨーゼフの弟)というと、日本ではセラフィムの廉価LPを思い浮かべる人が多いと思います。私もその一人ですが、それを聴いた時には耳が未熟だったせいか、オーソドックスな佳い演奏という印象しか残りませんでした。しかし今回、ヘンリーの一連のEMI録音をを聴き直して仰天!こんな“いなせ”な棒を振る人が他にいるでしょうか?ヘンリーはウィーン生まれながら、ナチの侵攻でオーストラリアへ亡命。それ以降は、ウィーン情緒に縛られない、もっと洗練された突き抜けた芸風を着実に身につけたのだと思われます。ここでも、ウィーン風3拍子に固執しないばかりか、J・シュトラウスでは通常ヴァージョンとは異なる粋なアレンジもさり気なく盛り込みます。そんな抜群にカッコいいヘンリーの最大の武器が、ここぞという瞬間で見せる音の引き伸ばし。特に「皇帝円舞曲」は、その必殺技が随所に顔を出し、シンフォニックに肥大化した演奏に慣れた耳には、この小粋にな推進力を湛えた演奏は嬉しい衝撃。テンポ切り替えの鮮やかさも、古今を通じてトップ・クラス。
スッペの序曲集は、まとまった録音としては、これを超える演奏はないと信じて疑いません。オペレッタとしての「軽み」を常に忘れず、各楽想の表情が最も生きるテンポと響きの厚みを徹底注入した演奏には、そうは出会えません。「スペードの女王」でフルートが活躍する4:57からのアゴーギクのセンスには、全身がとろけそう。そこには持って回ったようないやらしさがないので、可憐さが一層引き立つのです。「詩人と農夫」も、まさに愛の結晶!これを知ってしまうと、他の演奏が全て小手先の演奏に思えてきます。
それにしても毎度ながらフィルハーモニア管の巧さには舌を巻くばかり。そして、「タンタロスの苦悩」の後半のマーチ調の後の弦の細かい音型、最後の一糸乱れぬ高速の凄さ!単に縦の線が合っているという意味だけでなく、オケがクリップスの音楽性に心酔していることを示す本気の音です!「幸福への旅路」は超、希少録音。【湧々堂】


TRE-020
モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」
スメタナ:「売られた花嫁」*〜序曲/ポルカ/フリアント/道化師の踊り
ブラームス:交響曲第2番#
アルフレッド・ウォーレンスタイン(指)
ロスアンジェルスPO

録音:1955年頃、1953年頃*(全てモノラル)
※音源:米MUSIC APPRIECIATION RECORDS MAR-5613、英Brunswick AXTL-1063*、英WORLD EECORD CLUB T-6#
◎※収録時間:71:39
“作品の生命力を徹底抽出するウォーレンスタイン の巧みな棒!”
■製作メモ
MUSIC APPRIECIATION RECORDSは、指揮者のトーマス・シャーマンによる曲のアナリーゼ解説レコードと全曲演奏のレコードをセットにして販売していたアメリカの教育用レーベル。ブラームスもM.A.Rから発売されていますが、W.R.Cがオリジナルと思われます。スメタナは、元々米DECCA音源。ジャケットには、M.A.Rを用いました。

★ここに収録したのは、全てウォーレンスタイン がロスアンジェルス・フィルの音楽監督時代の蜜月ぶりを示す名演ばかり。ウォーレンスタイン は、ピアニストのルービンシュタイン等から厚い信頼を寄せられながらも、伴奏以外の指揮では「幻想交響曲」が名演として一部で話題になった程度で、殆ど忘れられたまま今日に至っています。特徴は、一言で表せば健康的。虚飾を排して作品の生命力を一途に引き出すことが指揮者の最大の使命と確信していたことが、ここに収録された全ての曲から窺えます。
モーツァルトは、作品の祝典的な持ち味をストレートに伝えるとともに、古典的な様式美を決して置き去りにしません。第2楽章など単に綺麗に流しただけの演奏も多い中で、清楚でありながら心からウキウキした情感も兼ね備えた絶妙なニュアンス!本物のモーツァルトを聴いているいう確かな実感を得ることができます。終楽章、そして、続くスメタナは、トスカニーニの影響(ウォーレンスタイン は1930年代にニューヨーク・フィルのチェロ奏者だった)が強く反映されており、向こう見ずな推進力が瑞々しくはじけます。“道化師の踊り”は、まさに息もつかせぬ緊迫感!
そして、繰り返し聴きたくなるブラームス!ここでも何一つ変わったことはしておらず、伸び伸びと音楽の謳歌に徹しているので、忘れかけていたこの曲の素晴らしさを再認識させてくれます。些細な事ですが、第1楽章再現部、10:43からの弦のフレーズの繋げ方を聴けば、ウォーレンスタイン がいかに明確なアーティキュレションを心がけていたかが窺い知れます。11:40からのホルンを中心とした温かな風情も聴きもの。第2楽章も過度な深刻さを避けることで丹念な歌心が豊かに浮上し、心に染みます。終楽章は全ての楽器が心の底から鳴りきり、スタジオ録音とは思えぬ熱く凝縮した音楽が全開。ここでは見せかけの「煽り」など無用です。
また特筆スべきは、ロスアンジェルス・フィルの巧さ!メータが音楽監督になるまではまるで「鳴かず飛ばず」だったように言われがちですが、単にメージャ・ーレーベルから紹介されなかっただけで、これらの演奏を聴けば、当時から高い技術と表現意欲に溢れた素晴らしいアンサンブル能力を誇っていたことが分かります。【湧々堂】
マルクジンスキ
TRE-021
マルクジンスキ〜ショパン&リスト
ショパン
:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調*
リスト:ピアノ・ソナタ.ロ短調**
 ピアノ協奏曲第2番イ長調#
ヴィトルド・マルクジンスキ(P)
ワルター・ジュスキント(指)
フィルハーモニアO

録音:1952年1月1日*、1953年3月7-11日**、1953年3月2日&4日#(全てモノラル)
※音源:伊Columbia 33QCX-194*、仏CLUB NATIONAL DU DISQUE CND-585**,#
◎※収録時間:74:20
“詩的ニュアンスを確実に引き出すマルクジンスキの美学貫徹!”
■製作メモ
マルクジンスキによるショパンの第3ソナタは、EMIへはこの録音と後年のステレオ録音の2種があるのみ。リストの2曲は、CLUB NATIONAL DU DISQUE盤を採用。英COLUMBIAやVOXなどの音源をリリースしていたフランスのレーベルですが、実に良い音です。ICONシーリズのボックスに収録されているものとは、音の奥行き、豪華さが全然違います。ジャケ写は、フランス盤。

ショパンでは、マルクジンスキの大きな構成感と深い打鍵に宿る毅然とした精神力によって、独特の格調美を確立。第1楽章第2主題でもアゴーギクを最少に抑えることで、安易な甘美さとは無縁の緊張が維持されます。第3楽章は、イン・テンポを基本としつつも微妙に音価を伸縮させているのは、まさに血の為せつ技。後半の再現で、主旋律の濃密な歌い口に低音部が確実に密着しながら盤石の下地を敷き詰める様も流石。このソナタの終楽章は、特に最初の導入が、どんな演奏でもやや安直な音楽に感じてしまうのは感じてしまうのは私だけかもしれませんが、主部直など嘘のように消え去ります。
同じロ短調のリストのソナタは、悪魔的な雰囲気を煽ることのない純音楽的アプローチに徹していますが、ここでも全体を大きく俯瞰する持ち前の包容力が発揮し安定感抜群の妙技を披露。特に“アンダンテ・ソスティヌート”での気品溢れるレガート、漆黒に燐くタッチの妙味は聴きもの。
協奏曲では、華麗なグランド・スタイルの雰囲気を湛えながらも、アクロバット的な誇張とはきっぱり決別した辛口の表現を貫徹。タッチの美しさそのもので聴き手に訴えかけたり、視覚的なニュアンスをそのまま音にするような手法は、どんな作品であっても決して採用しません。それでいながら、理で固めたような窮屈さにも陥らず、内面からの詩的ニュアンスを確実に抽出するというのは、まさに奥義と呼ぶに相応しいものでしょう。チェロ独奏との対話を交える“アレグロ・モデラート”(トラック11)や、終盤のグリッサンドでも全くこれ見よがしのポーズを取らない点などで、そのことを痛感する次第です。【湧々堂】

TRE-022
アンチェル&ウィーン響〜チャイコフスキー
チャイコフスキー:スラブ行進曲*
大序曲「1812年」#
交響曲第4番ヘ短調Op.36
弦楽セレナード〜ワルツ*
カレル・アンチェル(指)ウィーンSO

録音:1958年3月29日-4月2日*、1958年11月-12月(*以外) 全てステレオ
※音源:Fomtana 875.011 (SCFL-103)、SFON-7519#、875.002*
◎※収録時間:67:52
“潔癖さの極み!土臭さを排したアンチェル芸術の結晶!”
■製作メモ
これとTRE-006、TRE-010で、アンチェル&ウィーン響のチャイコフスキー録音の全てが出揃いましたが、これらの中で、その存在すら忘れられそうなのが、チャイコフスキーの第4交響曲。アンチェルにとって唯一のチャイコフスキーの交響曲録音です。使用したのは、初期オランダ盤。終楽章冒頭に若干ヒズミがありますが、再度入手した盤も同じ状況でした。何卒ご了承下さい。

スラブ的な土臭さを排し、見通しの良い清潔なハーモニー表出を再優先させた、アンチェルならではのチャイコフスキー。その潔癖な音作りの追求ぶりは、ジョージ・セルをも凌ぐとさえ思えるほど。例えば、「スラブ行進曲」の最後は、テンポの切り替えが曖昧なまま進行してしまう場合がほとんどですが、アンチェルは8:22からガクッとテンポを落とし、イン・テンポのまま終結部に進めるような厳格な配慮を見せます。しかも、そこには無理強いしたような不自然さや冷たさが付きまとわないのですから、流石と言う他ありません。
不純物を省き、作品のエッセンス抽出を妥協なく敢行する姿勢は、交響曲において最大に開花。第1楽章の金管のテーマのアーティキュレーションからして制御が行き届き、室内楽的な明瞭さをもって作品のありのままの姿を現出させます。第2楽章も媚びるような表情は一切なし。作品への真の共感が確信に満ちたニュアンスに直結しているので、音楽の魅力を再認識させてくれます。終楽章は、まさにアンチェの芸術の結晶!2:26できっちりルフト・パウゼを挿入して音楽が漫然と流れるのを避け、3:17からの運弓にも制御を効かせるなど、タイトでスタイリッシュな音像を引き出すための配慮が満載。コーダに至っても音圧で圧倒せず、音の緊張感を高めることだけに集中。わかりやすい爆演を聴いた時の爽快感とはまた違う、他に真似のできない職人芸に触れたような確かな手応えを感じていただけることでしょう。
ちなみに、終楽章が始めってすぐ(2:13〜)、テーマを吹くチューバが妙に不安定な音を発するのでドキッとしますが、潔癖なアンチェルがそれを見逃しているのは謎としか言いようがありません。【湧々堂】

TRE-023
ベートーヴェン:「エグモント」序曲
ハイドン:交響曲第94番「驚愕」*
ベートーヴェン:交響曲第7番#
レオポルド・ルートヴィヒ(指)
バンベルクSO、LSO*

録音:1950年代後半(全てステレオ)
※音源:独PARNASS 61-424、米VOX STPL-512510*、独OPERA ST-1987#
◎※収録時間:69:09
“自然体を通しながら、作品の核心を外さない名人芸!”
製作メモ
ハイドンのVOX盤は比較的容易に入手できますが、ベートーヴェンの2曲のステレオ盤は,極めて入手困難。特に、人間味溢れる音の温もりと芯を見事に捉えたOPERA盤は、これ以上に上質なものはもう入手不可能と思われます。

ドイツの名指揮者として認識されることの多いルートヴィヒは、実は生まれはチェコのオストラヴァ。その音楽作りも、ガチガチのもドイツ流儀と思われがちですが、ロマン派以降の作品では結構過激なアプローチも見せ、決して一言では片付けられない幅広い芸風を持った指揮者でした。しかし、ここに収録した古典は作品においては、まさに作為性の全くない堅実路線を貫徹し、「ドイツ音楽はかくあるべし」といった教条的な押し付け感のない、音楽の自然な流動性を生かした音楽を生み出しています。
そんな中で、テンポや音価の保ち方などには、職人的なこだわりがキラっと光るのです。例えば、「驚愕」の第3楽章。こんな遅いテンポは昨今ではすっかり廃れてしまいましたが、その確信に満ちたリズムからハイドンならではの微笑みがじわじわ滲み出ます。
ベートーヴェンの「第7番」では、中低域の安定したいかにもドイツ的な声部バランスが、充実の響きを導きます。ルートヴィヒは、そのオケの持ち味と作品の力を信じ、必要以上にリズムの躍動を強調したり激情を煽ることもせず、道を外さないように温かい眼差しで見守っているだけのようでいて、第1楽章冒頭のスパッと切れるスフォルツァンド、第2楽章の心の奥底からの呼吸深さ、主題結尾をきっちり末端まで引き伸ばす(8:35、8:43)など、ニュアンス形成の肝をしっかり踏まえた解釈に、この指揮者の見識の深さを痛感。終楽章は、演奏時間が約6:50とかなり速目ですが、高速で飛ばす痛快さ以外の含蓄がいかに多いか、是非体感して下さい。【湧々堂】

TRE-024
デニス・ブレイン/モーツァルト&R・シュトラウス(ブライトクランク版)
モーツァルト:ホルン協奏曲第1番〜第4番
R・シュトラウス:ホルン協奏曲第1番*
デニス・ブレイン(Hrn)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指)
ウォルフガング・サヴァリッシュ(指)*
フィルハーモニアO

録音:1953年11月12-23日、1956年9月22日*
※音源:Electrola 1C 0663 00414、HMV HLS-7001*(以上,ブライトクランク擬似ステレオ盤)

◎※収録時間:69:50
“ブライトクランク版で再認識する、D・ブレインの奇跡のニュアンス!”
■製作メモ
「疑似ステレオなんて邪道」と見る向きが多い中で、独エレクトローラが開発したブライトクランクだけは別格扱いされているのは、その質の高さというより、フルトヴェングラーの存在ゆえでしょう。しかし、ブライトクランク処理がなされたのは、フルトヴェングラーの録音だけではありません。ホルンの響きは、自然な空間的な広がりを持つブライトクランクの特質と見事にマッチ。不世出の音楽家の魅力を再認識させてくれます。なお、このモーツァルトは、SMC品番(ジャケ写に使用)も存在しますが、やや音が遠くマイルドでしたので、上記品番レコードを採用しました。

★今さら説明不要の名演中の名演ですが、このモーツァルトを聴くたびに痛感するのは、ブレインの一途な音楽への奉仕ぶり。何の気負いもなく楽々と吹きこなしていながら、巧さを誇示する素振りが皆無。オケの団員として吹いているならまだしも、堂々とソロを務める協奏曲であるにもかかわらず、まるで自身の存在を消すことが至上命題であるかのよう。そんな融通無碍な佇まいから無限とも思えるニュアンスが繰り出されるというのは、本当に信じ難いことです。「第3番」第2楽章に象徴されるように、自身の解釈のあり方を聴き手に全く悟らせない中から浮上する音楽の無垢の美しさ!この感動に匹敵するのは、リパッティが弾くショパンのワルツくらいしか思い当たりません。
そして忘れてならないのが、カラヤンのカラヤンらしからぬ指揮。ブレインの突き抜けた天才技に自然に触発されたのか、これほど心からリズムを感じ、純粋な歌を投影し尽くした例を他に知りません。【湧々堂】

TRE-025
サージェント〜シューベルト&J・シュトラウス
シューベルト:交響曲第8番「未完成」*
J・シュトラウス:ワルツ「ウィーンの森の物語」
 皇帝円舞曲
 ワルツ「美しく青きドナウ」
 ワルツ「酒・女・歌」
 ワルツ「芸術家の生活」
マルコム・サージェント(指)
ロイヤルPO

録音:1960年10月*、1961年5月(全てステレオ)
※音源:英HMV SXLP-20029*、SXLP-20041(全てステレオ)
◎収録時間:73:20
“サージェントの品格の中に宿る一途な表現意欲!”
■製作メモ
当時のEMIらしい、自然なバランスで鳴る録音の特徴が良く出ています。シューベルトは御大ビーチャムの死の5ヶ月前、J・シュトラウスは死から2ヶ月後の録音。サージェントが、ビーチャムの影を殆ど感じさせない独自のニュアンスを引き出している点にご注目下さい。

★その人間性も含めて、あまり肯定的な意見が聞かれないサージェントですが、このシューベルトとJ・シュトラウスを聴けば、サージェントの音楽への純粋な向き合い方を感じていただけるのではにでしょうか。
「未完成」は、第1楽章から響きの求心力が高く、やや速めのイン・テンポ進行により、男性的な決然とした音楽として再現。第2主題でも全く媚びず、静かな闘志すら感じられます。展開部は更に表現に力感が増し、オケも積極的にその要求に応えます。第2楽章の静謐美も格別。微妙な強弱のニュアンスまで配慮が行き届き、クラリネット、オーボエの各ソロのセンスの高さにも心打たれます。サージェントとビーチャムが犬猿の仲だったことは有名(ビーチャムは、自分の死後にRPOを託すシェフとして、サージェントだけは困ると言い残したとか…)ですが、この録音はビーチャム存命中に行われており、それでこれだけの説得力の高い演奏を成し遂げている点も、興味深いもところです。
J・シュトラウスは、バルビローリが沸き立つような楽しさを際立たせていたのに対し、サージェントはあくまでも品格重視。例えば、通常は弦の弓をグワンと跳ね上げる箇所でも、フワッと奏でる程度に抑えるなど、勢いに任せる素振りは皆無。「ウィーンの森」のツィターは、ハープと弦に変更して、淡い色彩を表出。「皇帝円舞曲」後半の独特のテンポの溜め、「青きドナウ」序奏部のきめ細かい強弱設定なども、英国風の優雅さを地で行くようなスタイルが心を捉えます。ボールトの真価が正当に認識されるようになったのはCD時代に入ってからのことですが、そろそろサージェントにも名演発掘の機会が与えられてもよいのではないでしょうか?【湧々堂】

TRE-026
エゴン・ペトリ〜バッハ&ブゾーニ:ピアノ曲集
バッハ(ブゾーニ編):トッカータとフーガ.二短調BWV.565*
 トッカータ,アダージョとフーガ.ハ長調BWV.564*
 前奏曲とフーガ.変ホ長調BWV.552*
 前奏曲とフーガ.ニ長調BWV.532*
 コラール「目覚めよと,われらに呼ばわる物見らの声」BWV.645
 コラール「汝にこそ,わが喜びあり」BWV.615
 コラール「われ汝に呼ばわる,主イエス・キリストよ」BWV.639
ブゾーニ:対位法的幻想曲
エゴン・ペトリ(P)

録音:1956年6月22日(モノラル)
※音源:Westminster XWN-18910*、XWN-18844
◎※収録時間:79:06
“バッハの精神とブゾーニの意思を具現化した、ペトリの圧倒的なピアニズム!”
■製作メモ
2011年に発売された「リスト・レガシー」と称する10枚組のCDボックスには、このペトリを含む5人のピアニストの初CD化音源が収録されていましたが、肝心のリストの曲はほどんどなく、各ピアニストの音楽性を味わう上でも中途半端な印象を拭えませんでした。ここでは、ペトリがバッハの音楽をどう捉え、師匠ブゾーニのピアニズムの何を守ろうとしたかを十分にご理解いただけることでしょう。かなりヘヴィーなラインナップですが、間に収録したコラール前奏曲集でいったん心を和ませてから、是非ブゾーニの大曲「対位法的幻想曲」を!

★バッハ=ブゾーニのピアノ曲は、現代ピアニストの必須レパートリーとも言えますが、それらの多くは、その超絶技巧ぶりが目立つ演奏ばかりのような気がします。しかし、ブゾーニの弟子で、その教えを忠実に継承したペトリの演奏で聴くと、ブゾーニがバッハの作品を編曲したのは、決して派手なヴィルトゥオジティを誇示するためではなく、ピアノの機能性を最大限に活用することで、バッハの音楽の構成美と精神を現代に息づかせるためだった、ということがひしひしと実感できます。
また、エゴン・ペトリというピアニストに対しては、厳格な学者肌というイメージを持たれる方が多いようですが、細部に囚われたチマチマした演奏とは正反対。音楽を根底から大きく呼吸させながら、聴き手の感情にストレートに訴えかける人間的な包容力を、ここに収録した全ての作品から体感することができます。
技巧的な素晴らしさは言うまでもありませんが、それは正確さを目的としたものではなく、あくまでも音楽表現の手段として活用されているので、無機質な印象を与えることがありません。例えば、BWV.552のフーガ後半における怒涛の轟音!造形の破綻寸前まで音楽を肥大化させながら、強固な集中力と気力で高揚させる手腕は、ペトリの真骨頂と言えましょう。また、BWV.564のアダージョで明らかなように、過度なロマン性とも無縁で、近年のピアニストで技巧派と呼ばれる人たちでも、これよりよほどロマンティックに歌い込んでいる例が少なくありません。しかし、全音域に緊張感を漲らせたペトリの打鍵の魅力は、安易なフレージングとは全く次元が異なる荘厳な世
界に誘ってくれるのです。バッハ=ブゾーニのピアノ作品の醍醐味は、エゴン・ペトリの演奏抜きには語れません!【湧々堂】

TRE-027
ホーレンシュタイン〜プロコフィエフ作品集
交響曲第1番ニ長調「古典」
交響組曲「キージェ中尉」*
交響曲第5番変ロ長調Op.100
ヤッシャ・ホーレンシュタイン(指)
コロンヌO、パリPO*


録音:1954年、1955年*(全てモノラル)
※音源:VOX PL-9170、PL-9180*
◎※収録時間:71:24
“ホーレンシュタインの「陰」な性質がプロコフィエフと完全合体!”
■製作メモ
2つの交響曲は、英プレス(ブラック/ゴールド)、「キージェ中尉」は、米プレス(ブラック・ラベル)を使用。共にモノラル後期の録音で、彫琢豊かな音がします。ジャケ写は、PL-9170。

★私はかねがね、ホーレンシュタインが導き出す音楽の最大の魅力は、「暗さ」だと思っています。それも、性根の底からの暗さ!音色は漆黒をも拒否したような鉛のようで、音楽の組み立て方にもどこか陰鬱感が漂い、J・シュトラウスのワルツなどを聴くと、ホーレンシュタインは人生のどこかで喜怒哀楽の「喜」を完全に捨て去ってしまったのでは?とさえ思ってしまいますが、逆に、マーラーやR・シュトラウスの「死と変容」などには見事にはまり、独特の重みと説得力を持つ名演に結実したと言えましょう。
ここに収録したプロコフィエフも、ホーレンシュタインのそんな資質が満遍なくプラスに作用しています。最大のドッキリ・シーンは、第5交響曲の第2楽章!通常は低速から次第に加速する箇所で、いきなりゼンマイが外れたように疾走。この人間味を完全に放棄したメカニカルな進行は、まさにプロコフィエフのモダニズムを象徴するかのよう。
また、全曲フランスのオケを振っている点もポイント。軽く明るい筆致のフランス風の音色が、完全にホーレンシュタインが志向するサウンドに変貌しているのには、驚きを禁じえません。
古典交響曲も、テンポは決して遅くなく、リズムも立っていますが、通底する暗さが独特の峻厳さを醸し出すのです。プロコフィエフ・ファンは、特に必聴!【湧々堂】

TRE-028
ホーレンシュタイン〜ストラヴィンスキー&プロコフィエフ
プロコフィエフ:バレエ組曲「道化師」
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」*
ヤッシャ・ホーレンシュタイン(指)
パリPO、バーデン・バーデン南西ドイツRSO*

録音:1955年、1957年*(共にモノラル)
※音源:VOX PL-9180、fontana 694106*
◎収録時間:72:47
“音響効果を想定せずにあぶり出す鉛のような重圧感!”
■製作メモ
組曲「道化師」は、1921年のバレエ全曲初演(アンセルメの指揮)の翌年に12曲を選んで組曲にしたもので、このホーレンシュタイン盤が世界発録音。「春の祭典」は、「火の鳥」とのカップリング(しかも擬似ステレオ収録)盤は容易に入手できますが、あまり見かけないこのfontana盤は、「春の祭典」だけを両面に収録。広大なダイナミックレンジを誇るこの作品をゆとりを持って鳴らしてくれます。

★この2曲も、VOX時代のホーレンシュタインの代表的な名演!「道化師」は、プロコフィエフ特有のモダニズムにロシア民謡素材を散りばめた初期の傑作。交響曲の時と同様に、人間的な語り口を避け、非情なまでに音響とリズムの「重み」を表出するホーレンシュタインのスタンスは、交響曲の時と変わりません。第2曲,第3曲は、ホーレンシュタインならではの突き放したようなクールさと暗い色彩感覚が存分に発揮されて、超グロテスク。第8曲“商人の寝室にて”冒頭のフルートとヴァイオリンの分散和音からは、無機質な妖気が漂い、ペトルーシュカを思わせる終曲では、華やかな大団円の中にも苦悶が見え隠れするのです。
「春の祭典」は、モノラル期の録音の中でも屈指の怪演であるばかりか、感覚的な凄みを求めがちなこの作品に過剰な力みを持ち込まずに淡々と進行させつつ、結果的に比類なき暗黒世界を築いた演奏など、ステレオ期以降にも存在しないでしょう。第1部“春のきざし”(0:44)での唐突なルフト・パウゼ!これが演出を感じさせずに当然のようになされるので、単に無心で踊って悦に浸るのではない、歪んだ世界観が一気に敷き詰められるのです。この作品の標準的な演奏スタイルがまだ確立していない頃なので、ホーレンシュタインはほとんどスコアだけを頼りに自身の感性をストレートに注ぐことができたのでしょう。全体的にテンポで一貫していること、どこまでも内向きで暗い色彩で統一していることなど、ホーレンシュタイン以外の何者でもありません。
モノラルながら、ステレオに移行する直前だけに録音は非常に明瞭ですが、もちろんホーレンシュタインの解釈は、音響効果など想定などしていません。初演者モントゥーの録音や、サージェントが指揮したホルストの「惑星」等と同様に、録音技術の向上とともに、アプローチがオーディオ的な志向へ突き進む以前の作品の素の姿とその解釈の多様性を思い知らされるのです。【湧々堂】
ヴィトルド・マルクジンスキ
TRE-029
マルクジンスキ〜ブラームス&ショパン
ブラームス
:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガOp.24
 6つの小品〜間奏曲変ホ短調Op.118-6
 ラプソディー第2番 ト短調Op.79-2
パデレフスキ:幻想的クラカウ舞曲Op.14-6#
シマノフスキ:練習曲変ロ短調Op.4-3#
ショパン:マズルカ第47番イ短調Op.68-2#
 ワルツ第14番(遺作)#
 ワルツ第7番嬰ハ短調Op.64-2#
 ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調「葬送」*
ヴィトルド・マルクジンスキ(P)

録音:1954年、1954年6月9-11日#、1953年3月5日* (全てモノラル)
※音源:米Angel 33549、日COLUMBIA XL-5229#、伊Columbia 33QCX-194*
◎収録時間:77:01
“マルクジンスキによる「葬送ソナタ」の最高名演!”
■製作メモ
マルクジンスキは、ショパンの第2ソナタをCOLUMBIAへ少なくとも5回(1943年,1947年,1953年,1958年,1961年)録音していますが、最も傑出しているのはこの1953年盤(ICONボックスは1958年盤を収録)。ブラームスもショパンと並ぶ重要なレパートリーでしたが、Columbiaヘのソロ作品録音はこの3曲のみ。軽視されがちなAngel盤を用いましたが、ICONボックスのマイルドな音とは大違いです。アンコール・ピースを収めた日本Columbia盤は、当時のプレス技術の高さを窺わせるもので、打鍵の芯のニュアンスまでしっかり感じさせます。

★まずは、ブラームスのヘンデル変奏曲のなんと素晴らしいこと!さり気なく口ずさむような主題のニュアンスは、一見リラックスした雰囲気を持ちつつも、作品のフォルム内にカチッとニュアンスを凝縮し、各変奏を緊密に連携させる手腕は見事という他ありません。第4変奏や第10変奏で見せる、中低音を基調とした響きの豊かさと意味深さ、第5変奏の可憐な歌の呼吸感など魅力満載。第15〜第16変奏は、俊敏なレスポンスを見せながらも決して腰が浮くことのない盤石の安定感で、これぞブラームス!と叫びたくなること必至。
マルクジンスキが繰り返し録音したショパンの第2ソナタは、どれもが独自の魅力を誇りますが、あえて一つ選ぶならこの1953年盤!第1楽章の導入の底なしのような闇の深さに、まず息を呑みます。第1主題の音価を若干詰めてリズムを際立たせ、悪魔が忍び寄るような不安を煽るという生々しさ、第2楽章の第1音の後に一呼吸を入れる意味深さなど、明らかにこの録音が最も顕著。しかし、ドロドロの感情で塗り潰して終わるのではなく、全ての響きに高雅な精神が宿り、芸術的に昇華し尽くしている点に、マルクジンスキの偉大さを感じずにはいられません。【湧々堂】


TRE-030
O・レヴァント〜ショパン、ドビュッシー他
ショパン:夜想曲Op.9-2 /Op.15-2
 練習曲Op.10-3,4,5,12
 子守唄/軍隊ポロネーズ
 ワルツOp.70-1 /Op.64-2
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ*
 「クープランの墓」〜フォルラーヌ*/メヌエット*
ドビュッシー:「子供の領分」〜人形のセレナード*/小さな羊飼い#/ゴリーウォーグのケークウォーク#
 亜麻色の髪の乙女#
 映像第1集〜水に映る影#
 沈める寺#/月の光#/レントより遅く#
オスカー・レヴァント(P)

録音:1946年頃(ショパン)、1944-1947年
※音源:COLUMBIA ML-4147、ML-5324*、CL-1134#
◎収録時間:76:44
“気負わず繊細に歌い上げる、O・レヴァントの知られざる音楽センス!”
■製作メモ
オスカー・レヴァントのピアノ・ソロ録音のLPは、それほど多くありません。ML-4147はショパンの作品だけで構成されたLP。他はオムニバス的な内容。ここではそれらの中から、3人の作曲家の作品をチョイスしました。

★オスカー・レヴァント(1906-1972)は、『アメリカ交響楽』、『巴里のアメリカ人』などの映画に出演したことから、まず俳優として認識されがちですが、幼少期からピアノの才能を見せ、シェーンベルクにも師事。20代後半からはガーシュウィンとの親交を深め、映画やTVへの出演で広く知られるようになりましたが、あくまでもキャリアの出発点はクラシック・ピアニストであり、演奏を聴けば明らかなように、決して趣味の延長で器用にピアノを弾きこなしているだけの代物ではありません。ピアニストとしての録音では、オーマンディと共演した「ラプソディ・イン・ブルー」が有名ですが、レヴァントの音楽センスの素の部分をよりダイレクトに感じさせるのが、これらの小品。クラシック作品としての様式感を踏まえつつもアカデミズムに縛られず、引き出されるニュアンスには羽が生えているかのよう。気負いを感じさせないタッチは、作品の持ち味を優しく引き出し、ハリウッド的な派手さとはかけ離れたエレガンスを醸し出すのです。
つい遊び心を出したくなる「軍隊ポロネーズ」でさえ、いたって誠実なアプローチ。ラヴェルでは独特のアゴーギクを見せながらも音楽の根幹を歪めることなく、淀みない歌心が素晴らしい求心力を持って迫ります。最大の魅力は、弱音のセンス!「ゴリーウォーグのケークウォーク」のフレーズ結尾に置かれる可憐なタッチは、決して作り込んだものではなく、レヴァントの繊細な感性の賜物と言えましょう。
レヴァントは、一見華やかな活躍ぶりとは裏腹に、本質的にかなりナイーブな性格だったらしく、後年は精神的に病み、薬漬けとなったそうですが、演奏にもそういう資質が少なからず影響しているように思われます。自信満々にパフォーマンスに耽るのとは違う、音楽に対する真っ直ぐな慈しみがここにはあります。【湧々堂】

TRE-031
ニコライ・マルコ〜ボロディン&チャイコフスキー
チャイコフスキー:大序曲「1812年」
ボロディン:交響曲第3番(未完)*
 交響曲第2番ロ短調#
ニコライ・マルコ(指)
フィルハーモニアO

録音:1953年2月6日、1955年9月24日*、1955年9月23日#(全てモノラル)
※音源:HMV XLP-30010*#、M.F.P MFP-2034
◎収録時間:61:12
“土俗性を煽らず一途な共感で描き切ったボロディンの素晴らしさ!”
■製作メモ
「1812年」はOPUS蔵からもCD化されましたが、なぜか音がマイルドでした。ボロディンは、マルコ&フィルハーモニア管コンビの最後期の録音。国を離れたマルコの郷愁が心を打つ逸品です。

★爆発的な感情表現を嫌うマルコの芸風は、お国物のロシア音楽でも一切変わりません。「1812年」のような作品は、どんな指揮者でも少なからずスペクタクルな興奮を煽るものですが、マルコは最後まで端正な音楽作りに終始。そこへ丁寧に詩的なニュアンスを注入することで、大音量に頼らない風格美を醸し出します。もちろん最後での大砲実音などなし。第4主題(10:57〜)の清らかな歌心は特に聴きもの。
あらゆるデフォルメを遠ざけるマルコの芸風は、土俗性の強調とも無縁であることを痛感させるのがボロディン。作品自体が十分に土臭さいのだから、それ以上の上塗りは一切不要とばかりに、熱狂を目的とせずに一途な共感だけで歌い上げた交響曲第2番は、フィルハーモニア管の見事な協調とも相まって、マルコのこだわりが最も美しく結実した最高の名演と言えましょう。第1楽章第2主題でわずかにテンポを落としますが、その恣意的ではない郷愁の炙り出しは、何度聴いても感動的。更に涙を禁じ得ないのが第3楽章!広大な自然の静寂と郷愁をこれほど見事に音像化した演奏を他に知りませんし、マルコが例外的に生の感情を吐露した瞬間としても、忘れることができません。そして、その感動に拍車をかけるのが、デニス・ブレインが奏でるホルン!他の録音と同様にソリストのような目立ち方はしていませんが、その慎ましさが、この空気感と見事にマッチ。ブレインがソロを吹く録音としても、これは傑出しています。【湧々堂】

TRE-032
ニコライ・マルコ〜ベートーヴェン他:序曲集
ベートーヴェン:序曲「コリオラン」
 「プロメテウスの創造物」序曲#
 序曲「レオノーレ」第3番
スッペ:「詩人と農夫」序曲*
メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」*
 序曲「ルイ・ブラス」**
エロール:「ザンパ」序曲#
ニコライ・マルコ(指)
フィルハーモニアO

録音:1953年1月28日、1956年2月17-18日*
1956年3月1日**、1953年1月29日#(全てモノラル)

※音源:HMV DLP-1061(ベートーヴェン)、M.F.P MFP-2034
◎※収録時間:60:47
“意地貫徹!品格重視のアプローチが作品の素の姿を再現!”
■製作メモ
ベートーヴェンは10インチのフラット盤。他の序曲は、マニアが見向きもしないmfp盤ですが、これがLP初出。

★シルヴェストリの音楽作りを公然と批判していたことでも明らかなように、マルコにとって極端な感情表現など、断じて許しがたいことだったのでしょう。ここでも、そんなマルコのこだわりが徹底的に注入されており、意図的な演出や声部のデフォルメとは無縁の高潔な指揮ぶりによって作品をありのままの姿で再現し、新たな感動を呼び覚ましてくれるのです。
ただ、その音楽作りの根底にあるものは、「楽譜に忠実に」とか「作曲家の意思を最優先」といった理想の実現というよりも、「何が何でも品格を通す!」という意地のようなものが優っており、それが演奏にも独特の緊張感を与え、結果的に不思議な後味を残すという点で、マルコという指揮者は、ちょっと他に類を見ない存在だと思うのです。
テンポの設定も常に中庸。決してオケが弾きにくいテンポは採用しないところにも、頑固なだけではない温かみが滲み出ています。例えば「ザンパ」の7:28から弦の細かい動きが続きますが、ここでは無理なく表情が浮き立つようなテンポを明らかに意識しており、その配慮が透けて見えるところがなんとも人間臭いのです。
名手揃いのフィルハーモニア管は、どんな指揮者に対しても反旗を翻すことなく、常に高水準の演奏を聴かせてくれましたが、そんなマルコに対して、「うるさいオヤジだけど憎めない」といった雰囲気で接しているのが目に浮かぶよう。
そんな「頑固だけど憎めない」マルコの性格を更に印象付けるのが、「レオノーレ」3番!ベートーヴェンといえども、ドイツ的な重厚さとは異なり、ここでもスッキリとした音像で描いていることには変わりないのですが、最後の追い込み方があまりにも意外!品格重視のはずが、さすがに音楽の力に負けたのか、妙にエキサイティングしているのです。あまりにも予想外で、私は思わず苦笑してしまいました。 【湧々堂】

TRE-033
ノヴァエス〜ショパンのマズルカ&前奏曲集
マズルカ〜Op.33-2/Op.41-1
 Op.33-4/Op.17-4/Op.24-4
 Op.56-2/Op.59-1/Op.33-3
 Op.63-1/Op.59-2/Op.24-2
24の前奏曲Op.28*
ギオマール・ノヴァエス(P)

録音:1954年、1953年*(全てモノラル)
※音源:米VOX PL-7920、独OPERA-PANTHEON XP-2150*
◎※収録時間:70:12
“ノヴァエス天性のリズムと色彩感覚が織り成すの豊穣なショパン!”
■製作メモ
VOX時代の2枚のLPの全てを1枚に収録。「前奏曲集」は、良好なOPERA-PANTHEON盤(ドイツ初出)を用いました。

★ノヴァエスは、ショパンの主要作品のほとんどを録音していますが、特に傑出して素晴らしいのが「マズルカ」と「前奏曲集」!同じショパンでも、「練習曲集」などはノヴァエスと作品の一体感がやや希薄だったのに対し、ここでの収録曲には、確実に入念にノヴァエス独自の世界感が投影されています。最初のマズルカOp.33-2では、単純な楽想による主題が、人間味溢れるリズムと絶妙なスイング感によって華やぎを持ち、フレーズ結尾の0:17では微妙にタッチをずらし、更に芳しい香りを添えます。この「ずらし技」は、ほとんど気づかない程度のものも含めて他の曲でも随所に聞かれますが、それによる色彩の広がりには是非ともご注目を。Op.33-4は、憂いの表情を湛えながらそれに埋没せず、些細な装飾音の意味まで直感的に捉えたニュアンスが素晴らしく、これほど内容が詰まった演奏は滅多に聴けません。Op.59-1もノヴァエスだけが可能なエレガンス!フレーズ末端でフッと肩の力を抜くことで気品が一気に醸し出されるのがたまりません選曲も配列も当然ノヴァエス自身が決めたのでしょうが、個々の作品に「これしかあり得ない!」という表情を与え尽くし、克明なタッチで再現し尽くした感動的なマズルカ集です。
「前奏曲集」は、この先どんな名演が誕生しても、当方が推奨盤のベスト5から漏れることは決してないでしょう。これはまさに、全24曲で構成される壮大な人間ドラマです!まず第1番。一見何の変哲もない演奏ですが、この先どこへ向かうかわからない幻想的な空気感に一気に惹き付けられます。第2番は、ボソボソと繰り返される左手の分散和音に対して微妙にエネルギーの増減を加味し、上声部との絶妙な緊張感を形成。そしてコーダの意味深な余韻!有名な第7番では、ノヴァエスの天賦の感性を端的に実証!この間合いの絶妙さは、古今を通じてダントツでしょう。打鍵の威力で圧倒するのではなく、またプレストの性格だけを際立たせることなく、精神の飛翔力で勝負する第16曲も必聴。何度聴いても目頭が熱くなるのが、第17番!第1主題から第2主題へ移る際の恐るべき呼吸の浸透力!というように、魅力は尽きませんが、技巧と感性の絶妙なバランス、どんな弱音でも音像を決してぼかすことなく多様な色彩を表出するタッチも魅力をとくとご堪能ください。【湧々堂】

TRE-035
モーラ・リンパニー〜ベートーヴェン&フランク
フランク:交響的変奏曲*
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」
 ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
モーラ・リンパニー(P)
ワルター・ジュスキント(指)フィルハーモニアO*
トーマス・シャーマン(指)スタジアム・コンサートSO

録音:1949年6月20日*、1957年ニューヨーク(全てモノラル)
※音源:RCA LHMV-1013*、Music Appreciation Record MAR-5713
◎※収録時間:69:42
“気高い推進力!、リンパニー絶頂期の貴重なベートーヴェン!”
■製作メモ
米Music Appreciation Record は、1960年代にアメリカの出版社Book of the Month社が会員に頒布していた教育用のレコードで、同社の社長でもあるトーマス・シャーマンによる楽曲解説を収録した10インチ盤とのセットでの発売がウリでしたが、このベートーヴェンは、12インチのみの発売。LHMV-1013(フラット)は、英国ではCLP-1002(CLP規格の第2号)で発売されましたが、両者に音質的な差は殆どないので、盤質良好な方を選択しました。

★リンパニーのベートーヴェンの録音は、他にはデジタル録音で小品が2曲ほどあったのみ。少なくともベートーヴェンの全協奏曲をレパートリーにしていたようですが、協奏曲もソナタもこれが唯一の正規録音です。その「皇帝」の素晴らしさには、絶句するしかありませんし!リンパニーに対して清楚なイメージを持たれている方には、構築を歪めることなく、速目のテンポで敢然と突き進む姿勢に驚かれることでしょう。気品に溢れながら、決して上品に仕上げることを目的とせず。まさにジャケット写真のイメージそのもののニュアンスが広がります。この作品の命とも言えるトリルの輝きとその放射力、第1楽章展開部でもほとんどテンポを伸縮させず、息の長い呼吸で高い集中力を堅持。その呼吸力を生かして、艶やかなタッチを敷き詰める第2楽章からは、得も言われぬ余韻を引き出し、終楽章に至ると、オケと熱い協調は最高潮に達し、まるでライヴ一発録りのような気迫と閃きで溢れかえるのです。ツボを押さえて頑強な造形力を示すシャーマンの指揮と、オケの技量の高さも特筆もの。
「悲愴」も、大変な名演奏!第1楽章主部に入る直前の休符から立ち昇る豊かなニュアンス、芯を湛えたタッチが全声部に渡って淀みなく配置された主部には過剰な力みはなく、内面から溢れる揺るぎない共感が、作品に凛とした佇まいを与えます。その声部のバランス感覚は、第2楽章でさらに際立ち、ベートーヴェンに相応しい歌を確保。もしもソナタ曲録音を遺していたなら、後世への絶大な宝となったとことでしょう。【湧々堂】

TRE-036
ウォーレンスタイン 〜シューベルト他
ベルリオーズ:「ファウストの劫罰」〜ラコッツィ行進曲/鬼火のメヌエット/妖精の踊り
スメタナ:交響詩「モルダウ」
シューベルト:交響曲第5番*
 交響曲第4番ハ短調*
アルフレッド・ウォーレンスタイン (指)
ロスアンジェルスPO

録音:1953年頃、1950年代中頃*(全てモノラル)
※音源:英Brunswick AXTL-1063、AXTL-1059*
◎※収録時間:78:47
“シューベルトを堂々たるシンフォニストに引き上げた画期的名演!”
■製作メモ
ベルリオーズの曲順は、レコード収録のまま。特にシューベルトの良質盤は入手困難ですが、奇跡的にノイズカットを最少に止めるだけで良好な結果が得られる盤に出会えました。

★シューベルトの交響曲は、豪快すぎたり、構成をガチガチに固めすぎると音楽が死んでしまうと思い続けてきましたが、そうとも言い切れないということをこの演奏は教えてくれました。響きは厚く、テンポにも表情にも確信が漲るウォーレンスタイン のアプローチは、それだけなら単に大味なものになっていたことでしょう。肝心なのは、そこに常に歌が寄り添っていること。それも尋常ではない渾身の歌!そこにフレージングの美しさも相まって引き出される楽想の華やぎ方は、他に類を見ません。
「第5番」第1楽章、第1主題直後のバスの張り出し方にまずギョッとしますが、それが大げさに陥らず、「さあ行くぞ!」という推進力を生み、1:26からの弦のテヌート処理は、胸焦がすシューベルトの心理を映すかのよう。第2楽章も希望に満ち溢れ、フレーズ全体が大きな弧を描く演奏を聴いたことがありません。終楽章は相当速いテンポですが、重心が安定しきっているので、空虚に流ることなど皆無。穏やかでほのぼのとしたイメージのこの作品に、ズバッと風穴を開けた画期的名演です。
よりシンフォニックな「第4番」は、そんなウォーレンスタイン の音作りに更にピタリと嵌ることは容易に予想できましたが、ここまで凄いとは!まず第1楽章が猛烈な速さ!確かに楽譜の指示は「アレグロ・ヴィヴァーチェ」。しかしそれを身を持って体現した演奏が他にあったでしょうか?しかも「一気呵成」と「歌」が同居し得るとは思いも寄らぬことです。第2楽章は、なぜか涙を誘います。悲しい要素など殆どないのに、聴き手の心を心底から勇気づけるような空気感は、何物にも代えがたい魅力。相変わらず世間には「癒やし」や「慰め」を謳ったCDが横行していますが、この10分間に優るものなどあるのでしょうか?【湧々堂】

TRE-037
パリキアン〜バッハ&モーツァルト
バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調
 ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調
 ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 BWV 1023#
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」*
マヌーグ・パリキアン(Vn)
アレクサンダー・クランハルス(指)バーデン室内O
ワルター・ゲール(指)アムステルダム・フィルハーモニー協会O*
アレクサンダー・モルツァン(Vc)#、
ヘルベルト・ホフマン(Cemb)#

録音:1959年頃(全てモノラル)
※音源:独CONCERT HALL MMS-2148、MMS-2206*、
◎※収録時間:77:30
“地味な佇まいから引き出される作品の様式美!”
■製作メモ
TRE-016で記したとおり、ここでもあえて楽器が美しく融け合うモノラルの独盤を採用し、ハリ艶のある音を再現。バッハは、同じモノラルでも、流通量の多い米盤は、音がシャリシャリして趣きを欠きます。モーツァルトは、TRE-016に収録した3曲と合わせて、これでパリキアンがC.H.Sに録音したモーツァルトの全てが揃います。

★バッハは、理知に傾いたり、エキセントリックな刺激を突きつける演奏にはない安心感の中から、バッハ本来の佇まいがじんわりと迫り、何と良い作品かと感慨を新たにするばかり。特に協奏曲第1番は、イ短調という調性が持つ悲痛さを強調せず、歌い込み過ぎず、作品と一定の距離を置いたアプローチが完全にプラスに働き、バッハの息吹が直に伝わります。その魅力は、第2楽章で最も顕著に花開。これほど煩悩を感じさせず、無私に徹し、結果的に美しいフォルムを確立した演奏も珍しいでしょう。
モーツァルトも、喜びを発散するような演奏に比べると地味に聞こえますが、その要因は強拍が目立ちすぎることを避けているせいだとも思われます。これは、ややもすると平板に流れがちなスタイルですが、作品への敬意だけを頼りに愚直に奏でる「嘘のなさ」が、音楽に独特の説得力をもたらしています。杓子定規に楽譜を追っているだけではないことは、展開部を聴けば明らか。一弾強い意志を投入して、更にグッと踏み込んだ表現に変化しており、全体的に自然なメリハリを音楽に与えているのです。終楽章ももっと露骨に楽しさを演出したり、美音を武器とした演奏はいくらでもあります。パリキアンにとっとは、それら全てが無縁。なのに、何度も繰り返し聴きたくなるのです。【湧々堂】

TRE-038
フランツ・アンドレのベートーヴェン
ベートーヴェン:交響曲第4番
交響曲第7番*
フランツ・アンドレ(指)
ベルギー国立RSO

録音:1953年10月2日、1952年10月3日*
※音源:日KING RECORD MPT-45、英Telefunken GMA-7
◎※収録時間:64:11
“小品集だけではわからない、フランツ・アンドレの度量の広い芸術力!”
■製作メモ
Telefunkenでは、カイルベルトがドイツ系の作品を担当していた一方で、アンドレは主にロシア、フランス系の作品を担当。日本では、小品ばかりを録音した人だと思われがちですが、それは、小品集しか日本で発売されなかったからではありません。現にこうして、演奏も音質も見事な10インチ盤(当時1000円)が発売されているのですから、不当に軽視されただけなのです。英Telefunken盤も、やっと発見できた良質な逸品です。ジャケ写には、Telefuken Radiola LSK-7023を使用。

★フランツ・アンドレ(1893- 1975)は、ベルギーが生んだ真の名指揮者。よく知られる小品の類いでも、そのハイセンスな芸術性は確認できますが、このベートーヴェンでは、自然な造形力と音楽を大きな愛で包み込む度量の広さを実感。特に「第4番」の素晴らしさは、比類なし!かつては「3番と5番挟まれた柔和な作品」とされましたが、アンドレにはそんなことは眼中に無なく、作品を大きく捉えることで、愛の衝動をストレートに音化し尽くします。まず、第1楽章の序奏の響きから衝撃的!神妙になりすぎて音楽を萎縮することなどありえない、なんどハリのある音!この物怖じしない懐の深さ、大きさが全編に貫ぬかれる様は、ビーチャムを彷彿とさせます。第2楽章も同様で、弱音で繊細さを装う素振りさえ見せません。第3楽章のトリオ直前できちんとフルト・パウゼを挟み、場面転換をキリッと際立たせる配慮も、アンドレの芸術力の表れ。そして圧巻の終楽章!後にムラヴィンスキーやC・クライバーなど、高速の名演は数々あれど、その速さそのものから多彩なニュアンスが沸き立つ演奏は、聴いたことがありません。それを可能にしているのは、オケの尋常ではない技量の高さ。特に弦楽器群の素晴らしさには唖然とさせられ、この16分音符の細かい音型を刃こぼれすることなく弾き通しているのは驚異的。また、そうでなければ表情が浮かび上がらないことを痛感。
一方の「第7番」も生命力溢れる演奏ではありますが、さらに作品の造形表出に重点を置く解釈で、そこには、リズムの熱狂を強調しすぎると音楽に内在する楽しさが死んでしまうという確信が宿っているかのよう。音楽を生かすのに最適なアプローチを直感的に見極める能力は、それこそ小品を指揮する際には欠かせないセンスですが、それがここでも十二分に発揮され、独特の説得力を生んでいるのです。【湧々堂】

TRE-039
ジョージ・ウェルドン〜「水上の音楽」
(1)E・コーツ:行進曲「ロンドン・ブリッジ」*
(2)グレインジャー:モック・モリス#
(3)V=ウィリアムズ:グリーンスリーヴズによる幻想曲#
(4)ディーリアス(フェンビー編):歌劇「コアンガ」〜ラ・カリンダ#
(5)E・ジャーマン:「ジプシー組曲」〜メヌエット*
(6)V=ウィリアムズ(ジェイコブ編):イギリス民謡組曲〜行進曲「サマセットの民謡」#
(7)A・コリンズ:「虚栄の市」*
(8)R・クィルター:組曲「虹の終わる場所に」〜“Rosamund”*
(9)F・カーゾン:小序曲「パンチネロ」*
(10)ウェールズ民謡(ウェルドン編):Suo-gan#
(11)ハーティ:アイルランド交響曲〜定期市の日#
(12)ヘンデル(ハーティ編):水上の音楽**
  王宮の花火の音楽**
(13)アイルランド民謡(グレインジャー編):ロンドンデリーの歌#
ジョージ・ウェルドン(指)
(1)(5)(7)(8)(9)プロ・アルテO
(2)(3)(4)(6)(10)(11)(13)フィルハーモニアO
(12)ロイヤルPO
(3)ジョージ・アクロイド(Flソロ)

録音:(1)(5)(7)(8)(9)1963年2月18-19日、 (2)(3)(4)(6)(10)(11)(13)1962年10月、 (12)1960年11月30日(全てステレオ)
※音源:(2)(4)(6)(10)(11)(13)HMV XLP-30243、 (1)(3)(5)(7)(8)(9)XLP-20123、 (12)XLP-20033
◎※収録時間:73:40
“これこそが、個性を誇示しないとう個性の魅力!”
■製作メモ
ここに収録した「水上」&「王宮の花火」は、演奏のニュアンスと音楽の持つニュアンスに完全に寄り添ったサウンドを実現しているという意味で、ステレオ初期の名録音として真っ先に挙げたい逸品。もっと早く復刻したかったのですが、運悪く強音でビリつくレコードが多く、数回買い直しでやっと満足できるディスクを入手出来ました。曲順にも配慮しましたので、是非最後まで通してお聴きいただければと思います。

★J・シュトラウスの作品集でさえ、ニューイヤーコンサートのライヴ盤くらいしか発売されない昨今、スッペの序曲やシューベルトの「ロザムンデ」、そしてこのヘンデル=ハーティの「水上&王宮」等々、かつてカタログで多く目にした愛すべき作品達は、もはや“絶滅危惧曲”となってしまいました。発売する意味を見出だせないレコード会社も問題ですが、曲に共感でき、持ち味を生かせる指揮者が存在しないという事態は深刻です。それだけに、これらジョージ・ウェルドン(1906-1963)の指揮芸術の素晴らしさは、今しっかりとご紹介しなければなりません。
その「水上&王宮」は、演奏・録音ともに素晴らしいことはもちろんのこと、余分な味付けを施さずに作品の姿を等身大のまま再現したほとんど唯一の録音である点で、絶大な価値を誇ります。これを聴けば、この典雅さと人間味を兼ね備えた雰囲気を醸し出せる演奏などもうありえないことを実感していただけることでしょう。
ちなみ、ウェルドンの師であるサージェントも、これらの曲をこの録音の前年に、同じレーベル、同じオケで録音していますが、格の違いは明らかで、師匠の面子は…。
他の作品も、有名無名作品を取り混ぜて収録しましたが、初めて聴く作品でも確実に心に染み入ること必至。中でもお勧めはは、指揮者としても有名なアンソニー・コリンズの「虚栄の市(Vanity Fair)」。他愛もない曲想から浮かび上がるチャーミングな微笑みは、大曲にしか興味を示さない指揮者には望めません。「イギリス民謡組曲」は第3曲のみなのが残念ですが、全曲であったなら、ボールトと並ぶ名演として認識されたことでしょう。ウェールズ民謡の「Suo-gan」は、スティーブン・スピルバーグ監督の映画『太陽の帝国』の挿入歌としても使われました。
イギリスに行ったことがないのに、懐かしさのあまり涙したくなる…、そんなアルバムとなれば幸いです。【湧々堂】


TRE-040
カール・ヴォイチャッハ他〜ドイツ行進曲集
(1)P・ヴィンター:ベルリン・オリンピック・ファンファーレ
(2)G・ピーフケ:行進曲「プロシァの栄光」
(3)ヴァルヒ:行進曲「パリ入場」
(4)A・ラインデル:エルファー行進曲
(5)J・フチーク:行進曲「剣士の入場」
(6)C・タイケ:行進曲「旧友」
(7)C・フリーデマン:フリードリヒ大王行進曲
(8)A・ユレックス:ドイツ騎士団行進曲
(9)M・ツィーラー:シェーンフェルト行進曲
(10)H・ニール:行進歌「楽しき兵隊」
(11)H・シュタインベック:」行進曲「連隊の挨拶」
(12)L・フランケンブルク:行進曲「勇躍戦線へ」
(13)O・マイスナー:行進曲「楽しき行軍」
(14)H・フースアーデル:行進曲「リヒトホーフェン爆撃隊」
(15)C・シェスタック:行進曲「ハイル・ヒトラー」
(16)W・ティーレ:行進曲「若き勇士」
(17)C・フリーデマン:提督行進曲
(18)L・ジルヴァール:ドイツ艦隊行進曲
(19)G・フェルスト:行進曲「兵士の歓喜」
(20)A・レオンハルト:アレキサンダー行進曲
(21)H・リヒター:行進曲「ドイツ万歳」
(22)J・フチーク:フローレンス行進曲
(23)ゾンタルク:ニーベルンゲン行進曲
(24)F.V.ブローン:行進曲「戦から勝利へ」
(25)ラウキーン:行進曲「闇から光へ」
(1)オリジナル版
(2)-(4)(10)(15)カール・ヴォイチャッハ(指)テレフンケン大吹奏楽団
(5)(6)ベルリン・フィル団員
(7)(13)クーアマルク吹奏楽団
(8)(9)レオポルド・エルトル(指)南オーストリア歩兵隊第14連隊「リンツ」軍楽隊
(11)(14)フリードリヒ・アーラース(指)ベルリン防衛連隊付軍楽隊
(12)ヘルマン・ミュラー・ヨーン(指)アドルフ・ヒトラー親衛隊付軍楽隊
(16)ヴィリー・ティーレ(指)ポツダム騎兵隊付軍楽隊
(17)(18)フリッツ・フーブリヒ(指)海軍第三重砲隊スヴィーデムンデ大隊軍楽隊
(19)ゲオルグ・フェルスト(指)ミュンヘン歩兵隊第19連隊付軍楽隊
(20)(21)ヘルマン・リヒター(指)ベルリン警察隊大吹奏楽団
(22)-(25)アドルフ・ベルディーン(指)ドイツ陸軍軍楽隊

録音:(1)1936年、(2)(15)1933年、(3)1929年、(4)1932年9月、(5)(6)1934年8月、(7)(13)1936年12月、(8)(9)1938年3月、(10)1938年4月、(11)(14)1938年2月、(12)(22)1938年12月、(16)1935年、(17)1934年9月、(18)1934年9月、(19)1934年12月、(20)(21)1933年9月、(23)-(25)1930年11月
※音源:King Record SLC-2302-2303
◎※収録時間:77:53
“行進曲はかくあるべし!誕生の背景と関係なく心揺さぶる逸品揃い!”
■製作メモ
独テレフンケンは、ナチス・ドイツの国策会社として多くのドイツ行進曲を録音していましたが、大戦中にその原盤のほとんどが焼失してしまい、新たな復刻は絶望視されていました。それが、1972年にキングレコード(1936年から独テレフンケン盤を発売していた)の倉庫から大量のメタル原盤が奇跡的に発見され、翌年にLP4枚分が発売されて話題となりました。ここではその際「第2巻」として発売された2枚組LPのほぼ全て(3曲のみ割愛)を収録しています。1930年代とは思えな瑞々しい音に驚きを禁じえません。ほとんどノイズ・リダクション不要の良質盤を使用。

★曲が生まれた背景はともかくとして、ここには行進曲の演奏スタイルの理想形、いや音楽から得られる感動の原点がぎっしり詰まっていると言っても過言ではありません。「シェーンフェルト行進曲」や「兵士の歓喜」などに象徴されるように、重すぎず軽すぎず、絶妙に弾むリズム、楽想が万遍なく生かされる色彩が、夢中になって演奏することで、怒涛のように溢れ出すのです。
有名なタイケの「旧友」は、当時のベルリン・フィルの巧さが全開で、推進力と共に流麗さも兼ね備えた超一級のニュアンスが放たれ、こんな惚れ惚れするような演奏は他にないでしょう。眉をしかめずに、純粋に音楽を聴いていただきたいのが、ナチ党員でもあったシェスタック(作詞、作曲)による「ハイル・ヒットラー」。バス・ドラムの一撃だけをとっても鉄壁の入魂ぶりで、鳥肌必至!なお、中間部でドイツ魂とヒトラーを賛美する合唱が加わりますが、内容は過激すぎるので知らない方がよろしいかと…。
こういう体全体を高揚させるような演奏をさせたのも、ショスタコーヴィチが数々の名作を生んだのも、「戦争」という悲惨な現実があったからですが、だからといって戦争を再び起こしたい人などいないでしょう。「仲良く楽しく」演奏するだけでは、人を心底感動させる演奏にはならないことは知っています。だからこそ、平和な現代において音楽で人を感動させるには、戦争に取って代わる、音楽家を夢中にさせる何か強烈なモチベーションが求められるのではないでしょうか?【湧々堂】

TRE-041
アルジェオ・クワドリ〜エキゾチック・コンサート
サン・サーンス
:「サムソンとデリラ」〜バッカナール
 交響詩「死の舞踏」
レブエルタス:センセマヤ#
 クァウーナウァク#
R=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」*
アルジェオ・クワドリ(指)
ロイヤルPO、ウィーン国立歌劇場O*

録音:1950年代中頃、1953年*(全てモノラル)
※音源:Westminster XWN-18451、W-LAB7004#、仏VEGA C30S124*
◎※収録時間:78:29
“作品の内側から歌と色彩を徹底抽出する、名匠クアドリの驚異的センス!”
■製作メモ
アルジェオ・クワドリ(1911-2004)はイタリアの名指揮者。1951年にミラノ・スカラ座で指揮者デビュー。1950年代中頃からウィーンを中心に活躍し、その頃Westminsterに「シェエラザード」や「ローマの松&噴水」といった名盤を遺しました。音の筆致を明確に捉えたWestminsterの録音は、色彩的な作品でその効果を最大限に発揮しましたが、ここでも各曲のエキゾチックな空気感をたっぷりと堪能いただけると思います。仏VEGAはWestminsterのライセンス盤ですが、厚手のフラット盤で、流麗さと強靭さを兼ね備えた素晴らしい音がします。

★オペラ畑の指揮者で歌心に溢れた人は多いものの、どんな作品でも歌わせ方がワンパターンな人もいます。クアドリの素晴らしさは、曲の構成感をしっかり捉えた上で、楽想のニュアンスを引き出すのに最適な歌わせ方を心得ている点だと思います。
まずご注目頂きたいのは「死の舞踏」で、これは今までに知り得た演奏のベスト1です!打楽器をクローズアップ(特にシロフォンが超リアル!)した録音と、8分半にも及ぶスローテンポが少しもあざとさを感じさせず、微妙に劇画風の面白さを醸し出します。中間の4:07辺りからは更にテンポを遅くして、束の間の陶酔的な空間を演出するのは、クアドリ特有の歌心の象徴と言えましょう。レブエルタスの2曲は、否が応でもエキソシズムを強調したくなるところですが、クアドリはそれをわきまえ、作品自体に孕む魅力を信じることで、自然と底光りする色彩を獲得。「シェエラザード」も同曲を語る上で欠かせぬ大名演!オケの美観を最大限に生かしつつ、アンサンブルを温かみを持って制御し、立体的でカラフルな大音像を敷き詰めます。楽想が代わるごとに結構頻繁にテンポを変えていますが、それが注意深く聴かないと気づかないほど自然な流れのうちに結実し、ニュアンスが連動しているのです。オケも、クアドリの自然な牽引力に対して全面的に献身していることが手に取るようにわかり、特に、管のソロが活躍する第2楽章ではそれを痛感。各奏者のイメージに任せてそれらしく歌わせるのではなく、クアドリがそうあるべきニュアンスへと優しく導いていることをお感じいただけることでしょう。第3楽章は、小手先ではないシルキーなレガートの美しさに涙!中間部での、打楽器と他の楽器とのブレンド感も理想の極地。終楽章も、馬力で誤魔化す安易な演奏とは次元が違います。もちろん最後の難破シーンも、音量だけではない、飽和尽くしたニュアンスの炸裂!なんと含蓄豊かな演奏でしょう。
こういう作品は、ステレオ以降の録音でないと楽しめないと思っている方も、これを聴けば、要は「演奏次第」だとということにお気づきいただけるのではないでしょうか。【湧々堂】

TRE-042
ホーレンシュタイン〜ベートーヴェン:「英雄」他
ベートーヴェン:「エグモント」序曲
「プロメテウスの創造物」序曲
交響曲第3番変ホ長調「英雄」*
ヤッシャ・ホーレンシュタイン(指)
ウィーン・プロ・ムジカO

録音:1953年
※音源:仏VOV PL-8020、独Opera 1015*
◎※収録時間:68:06
“異常暴発!苦悶を発散できないホーレンシュタインだからこそ成し得た凄演!”
■製作メモ
ホーレンシュタインのVOX録音は、モノラル・ステレオを問わず出来不出来のムラが大きいと感じるのは、録音方式の不安定さに原因があるのかもしれません。このベートーヴェンは、そんな中でも演奏内容、音質の安定感共にトップクラス。「英雄」は、史上最も優美なバウアー=トイスル盤を既に復刻しましたが、このホーレンシュタインのモノラル盤(ステレオ再録音は別人のように平凡な演奏)は、その対極に位置する凄演。かつて正規にCD化されたものはノイズ皆無ながら、音の切れ味ばかりが印象に残り、メラメラと噴き出す情念は綺麗に削ぎ落とされていました。米.英.仏ではVOX-8070で発売されましたが、ここではそれと同等の音質で、歪が少ないOpera盤を採用しました。ジャケは仏盤。

★こんな異様なテンションで貫かれた「英雄」は、他にありません!第1楽章冒頭の和音の威力は古今を通じて比類なく、ミュンシュやバーンスタインのようなストレートに情熱をぶつけたものではい、怒りを封じ込めすぎて異常暴発したような怖さ、不健康さ!ホーレンシュタイン特有の「屈折した暗さ」がブチ切れた瞬間と言えましょう。音楽自体の構えも尋常ならざる巨大さですが、その底辺には健全で強靭な精神とは異なるやるせなさが常に付きまとい、単にティンパニ強打だけの効果ではないことは明らかです。こんな非情なまでの音がウィーンのオケから出てくるのも驚きですが、第2主題のふとした瞬間などにウィーンらしい柔らかいニュアンスが顔を覗かせるのも興味深いところです。その異様なテンションは、第1楽章再現部に至って更に激化し、超強固な造形美で聴き手を打ちのめします。第2楽章では、怒りと不安がマックスに!4:38からの木管の身を裂くような絶叫といい、8:17からのトリオ主題が地獄絵図のように増大する様といい、なぜこれだけの演奏が一般に評価されないのか、全く理解に苦しみます。
この演奏をきっかけに、ホーレンシュタインの魅力に目覚める人が増えることを願って止みません。【湧々堂】

TRE-043
クレンペラー〜シューベルト:交響曲集
交響曲第8番「未完成」
交響曲第9番「グレート」*
オットー・クレンペラー(指)
フィルハーモニアO

録音:1963年2月4日-6日、1960年11月16-19日* キングスウェイ・ホール、ロンドン(共にステレオ)
※音源:EMI 29-04604、29-04261*
◎※収録時間:77:25
“自ら歌うことは拒絶し、聴き手の中のシューベルトを覚醒!”
■製作メモ
ここでメジャーな名盤をあえて登場させたのは、DMMマスタリング盤の音があまりに素晴らしいからです。DMM(ダイレクト・メタル・マスタリング)はテルデックが開発したシステム。初期盤マニアにはそっぽを向かれる盤ですが、マスターテープの音を歪めることなく、ストレートに原盤に反映させることに成功しており、英COLUMBIAのBLUE SILVERよりもずっと自然で伸びやかに感じます。音の輪郭もぼやけずに引き締まっており、マスターの本来の音はこうだったに違いないと確信させます。

★クレンペラー晩年のフィルハーモニア管との録音の中で、シューベルトはベートーヴェンやブラームスほど高く評価はされていないような気がしますが、私見では、「第5番」を含めた3曲のシューベルト録音は、シューベルト解釈の一つの規範として絶対に見逃せないものだと思います。
まず強調したいのは、「未完成」の異彩の放ち方!この時期のクレンペラーは既に晩年のあの低速モードに突入していましたが、この第1楽章はテンポが速いことに驚かされ、そこには、安易に歌に酔いしれることを自他共に許さないという意志が露骨なまでに投影されています。第2主題の前でも一切テンポを落とさない頑固さ!第2主題でもごくわずかしかテンポを落とさず、終結では穏やかに鎮静するどころか、一瞬テンポを畳み掛けるという気骨に接すると、甘美に流れがちなこの曲の演奏スタイルへの強烈なアンチテーゼを感じずにはいられません。第2楽章がこれまた一音も聴き逃せません!単なる静謐美ではない、数々の苦難を乗り切った男にしか成し得ない精神的な強さが敷き詰められており、だからこそ、コーダでこの上なく高潔に浄化された音像が実現しているのです!
「グレート」も安易に歌に酔いしれないことでは共通していますが、厳しさの向かう方向が異なります。こちらは、いかにもクレンペラーの晩年らしい風格美が溢れ、素朴さも確保しながら、シューベルトならではの「歌」の味をじっくり表出。特に心打つのが第2楽章。よく指摘される「木管の強調」がここでは絶妙なバランスでブレンドされ、中間部の哀愁にも感涙。第3楽章中間部の弦のピチカートの意味深さは比類なく、チェロのパートを1オクターブ高く演奏させる独自解釈も印象的ですが、肝心なことは、そういう独自性によってシューベルトの存在を背後に追いやっていないこと!【湧々堂】

TRE-044
シューマン:交響的練習曲*
ショパン:24の前奏曲集Op.28#
 ワルツ第3番Op.34-2/第7番Op.64-2/第8番Op.64-3/第9番Op.69-1
モーラ・リンパニー(P)

録音:1949年6月16日*、1954年11月18日#、1958年8月15日(全てモノラル)
※音源:RCA,HMV LHMV-1013*、HMV CLP-1051#、CLP-1349
◎※収録時間:74:52
“絶頂期のリンパニーを象徴する二大名演!”
■製作メモ
シューマンは米初出LPを使用。APRの2枚組CDでも良い演奏だということは伝わりますが、この演奏の命ともいえるフワ〜ッと一瞬で包み込むような空気感が半減しています。ショパンのワルツ集はステレオも存在しますが、ここではアンコール代わりにモノラル・バージョンを収録。ジャケット・デザインは、「前奏曲集」の豪初出LP。

★シューマンもショパンも、これらの曲の最高位に位置する大名演!あくまでもロマン派作品であることにこだわり、微妙な感情の揺れを確信を持って注入している点で共通しています。
「交響曲練習曲」は、主題の第一音から実に霊妙なオーラが漂い、一気に惹き込まれます。第2練習曲のアゴーギクや、第3練習曲の憂いに満ちたフレージングに触れると、「交響的」な「練習曲」と呼ぶに相応しい立派な造形を優先し過ぎる演奏が多いことに気付かされます。フィナーレで、これほど心の奥底から歌を感じた演奏も稀でしょう。
「24の前奏曲」でも、リンパニーは自身が感じた詩的なニュアンス注入は、一切揺るぎません。第2番の左手声部のやるせなさと、コーダでの一瞬のアルペジョの余韻、第4番の最後の最弱音や、第8番コーダのさりげない転調のニュアンスを生かし切った究極バランス美は、絶頂期のリンパニーを象徴するもの。プレストで猛進する第16番も声部バランスが絶妙で、アクロバット的な物々しさとは無縁の品格が滲みます。第17番は43小節以降の呼吸の妙味といい、終結で低音変イ音を持続して響かせる技といい、全く苦心の跡を感じさせず自然な佇まいを維持しているのには驚きを禁じえません。【湧々堂】

TRE-045
ビーチャム他〜エルガー:管弦楽曲集
3つのバイエルン舞曲Op.27*
序曲「コケイン」/弦楽セレナード
エニグマ変奏曲
ローレンス・コリングウッド(指)LSO*
トマス・ビーチャム(指)ロイヤルPO

録音:1954年2月11日*、1954年11月-12月(全てモノラル)
※音源:英COLUMBIA 33CX-1030*、PHILIPS ABL-3053
◎※収録時間:70:21
“ビーチャム唯一のエルガー録音で痛感する人間と音楽の大きさ!”
■製作メモ
ビーチャムのディスコグラフィには、お国物の英国作品はほとんど見当たりませんが、たった1枚エルガーのメジャー作品のレコードを遺してくれました。エルガーとビーチャムには不仲説もありますが、その真偽はともかく、演奏に掛ける意気込みは尋常ではなく、バス・ドラムの衝撃までしっかり捉えた録音の凄さも特筆もの。カップリングには、ビーチャムの録音にもプロデューサーとして深く関わった、コリングウッドの演奏を併録。コリングウッドの指揮者としての録音は、バイエルン舞曲の第2曲を含むエルガーの小品集(ステレオ)などごくわずかしかありません。なお、トラック16冒頭に消去しきれないノイズが混入しますが、あらかじめご了承下さい。

★ここに収録したビーチャム指揮による3曲は、ビーチャムの音楽性を再認識する上で欠かせない逸品。「ウィットに富んだ表情が魅力だがスケール感に乏しい」という紹介文をかつて目にしたことがありますが、少なくともそのイメージは打ち砕かれます。まず衝撃的なのが、「コケイン」の緻密で壮麗な造形美!各場面を「つぎはぎ」しただけのような曲に貶めることなく、緊密に連動させながら壮大なパノラマとして再現しており、しかも各場面がまさに今眼前に広がっているような実在感を持って迫るのです。
「弦楽セレナード」も小さくまとまることなく、弦の厚みを十分に生かした陰影の濃い表情を湛えます。特に第2楽章中間部の、ビーチャム特有の語りの妙味は必聴。2:23からの心の奥底からの共鳴を聴けば、エルガーとの不仲説などどうでもよくなります。
「エニグマ」では、「コケイン」で示した楽想連動力を更に拡大。第6変奏で、音符の少ない簡素な音楽から煌く色彩を引き出すのは、さすがビーチャム。ヴィオラの余韻にもうっとり…。第7変奏は、ティンパニの衝撃が激烈。肉感的な迫力に圧倒されます。第12変奏は、いらにもエルガーらしい中低域のハーモニーがあまりにも沈鬱に傾きすぎる例もありますが、ビーチャムの包み込むような指揮にかかれば、そんな危惧は無用です。そして、終曲の猛烈な歓喜の雄叫び!
「3つのバイエルン舞曲」は、休暇で過ごした土地の思い出として書かれた合唱曲「バイエルンの高地から」より3曲を管弦楽に編んだ作品。コリングウッド(1887-1987)は、録音プロデューサーとして著名ですが、ロシアでN・チェレプニン等に音楽を学んだ後はサドラーズ・ウェールズ・オペラの首席指揮者となり、多くのロシアオペラを紹介した実績の持ち主。第2曲ではチャーミングな楽想にも媚びることなく、ハイセンスなフレージングで愉しませ、第3曲では確かなバトン・テクニックを窺わせる確固たる造形力を発揮。【湧々堂】

TRE-046
コンスタンティン・イワーノフ/豪快名演集
チャイコフスキー:スラブ行進曲(改竄版)
 大序曲「1812年」(改竄版)
プロコフィエフ:スキタイ組曲「アラとロリー」*
グラズノフ:交響曲第5番変ロ長調Op.55#
コンスタンティン・イワーノフ(指)
ソビエト国立SO、モスクワRSO#

録音:1964年頃、1964年*、1962年#(全てステレオ)
※音源:Melodiya C-0959-60、C-1024221-009*、DG 2530-509#
◎※収録時間:72:56
“改竄版の異常さだけでなく、イワーノフの音作りに御注目!”
■製作メモ
イワーノフ指揮による改竄版「1812年」は、1960年のライヴ録音がVista veraのCDに収録されていましたが、演奏が散漫で、音も定位が不安定な上に、ノイズを消し過ぎたすぎたため全休止が完全無音状態となるなど、散々でした。ここに収録したのはセッションによる良好なステレオで、イワーノフの芸の一端を示す録音として絶対に外せないものです。グラズノフは、あえて良質なDG盤を採用。

★幸か不幸か、私がチャイコフスキーのこの2作品をを初めて知ったのはまさにこのレコードで、後に様々な「まともな」演奏を聴いて、イワーノフの演奏の異常さに気づいたのでした。シェバリーンによる改竄(ソ連政府の意向によりロシア帝国国歌の部分がグリンカの楽曲の一部に差し替え)だけでなく、今は昔のソ連流の耳をつんざく金管咆哮、快速テンポでひたすら猛進する音楽には、品格の欠片もありません。しかし、ゴロワーノフの血みどろの演奏を知った上で聴くと、それを爽快にさえ感じるのは気のせいでしょうか?とにかく、当時のソ連のオケが最高のヴォルテージを発揮した時の凄さを知るのに、これ以上のものはないと思います。初めて聴く方は、腰を抜かさないようご注意を!
「スキタイ組曲」は、イワーノフの向こう見ずな迫力を正常なフォルムの中で大発揮した、紛れもない名演奏。第1曲の「太陽神ヴェレス」の凶暴さは常軌を逸しており、理性や恥じらいが邪魔しない音の凄まじさを思い知ります。忘れてならないのは、第3曲「夜」における神秘的で潤いたっぷりの音色。線の細さなどどこにも垣間見られない肉厚な響きから湧き出る妖気に、一瞬で吸い寄せられます。終曲最後の眩さも、空前絶後!
イワーノフが交響曲を演奏する際には、迫力でねじ伏せるだけでなく、全体の構成を踏み外さない配慮を感じさせることが多いですが、そのせいでベートーヴェンなどでは煮え切らない演奏に帰結してしまった感が拭えません。しかし、このグラズノフは違います。ドイツ流のソナタ形式から大きく外れることのなかったグラズノフの作風を念頭に置いた上で、ロシア的な情感を確信を持って敷き詰めています。第1楽章第2主題の木管にヴィブラートを利かせたホルンが被さる瞬間の風合い、第3楽章冒頭の静謐から原色のハーモニーが優しく立ち昇る様など、心を捉えて離さないシーンの連続です。【湧々堂】

TRE-047
デルヴォー〜シャブリエ他:フランス管弦楽曲集
シャブリエ:歌劇「グヴェンドリーヌ」序曲*
 狂詩曲「スペイン」*/楽しい行進曲*
 歌劇「いやいやながらの王様」〜ポーランドの祭り*,+
 ハバネラ*/気まぐれなブーレ(モットル編)*
ベルリオーズ:「ファウストの劫罰」〜ハンガリー行進曲/妖精の踊り/鬼火のメヌエット
 「ロメオとジュリエット」〜愛の妖精の女王マブ
ビゼー:「子供の遊び」組曲
シェブリエ:狂詩曲「スペイン」#
ピエール・デルヴォー(指)
パリ音楽院O*、コロンヌO
ルネ・デュクロCho+

録音:1963年12月-1964年1月、1961年3月28日(ベルリオーズ&ビゼー)、1960年5月10日頃#(全てステレオ)
※音源:EMI C-053-12542、SXLP-20047(ベルリオーズ&ビゼー)、SXLP-20030#
◎※収録時間:73:30
“何と言われようと粋にしか振る舞えないデルヴォーの強み!”
■製作メモ
狂詩曲「スペイン」は、コロンヌ管との録音の方が素晴らしいという意見が多いようですが、それぞれ別の魅力があり、私にはとても優劣など付けられません。最後にアンコール代わりに、コロンヌ版「スペイン」も収録しましたので、どうぞご自身の耳で聴き比べてみてください。

★デルヴォーならではの粋なセンスがここでも全開!オケの特質を生かすのはもちろんのこと、N響とのサン・サーンスの「オルガン」でも明らかなように、デルヴォー自身に染み付いている色彩センスと楽想にウィットを注入する技は、これらの作品で不可欠な要素でしょう。「グヴェンドリーヌ」は、シャブリエが心酔していたワーグナー風な響きで再現されることが多いですが、どこか突き抜けた明るさを湛えたデルヴォーのアプローチに思わず覚醒。「ポーランドの祭り」は、宝石箱をひっくり返したようなの華やかさも比類なし。ルネ・デュクロ合唱団も体をくねらせて表現を発散しているのが目に浮かぶよう。ベルリオーズの「ハンガリー行進曲」も、同曲トップクラスの名演。特に3連音を装飾音のように処理(3:02〜等)する共にに、他の短い音価の音符も極力詰めて奏させることで、遅めのテンポで一貫しているにもかかわらず、音楽を暗く埋没させず、パリっと仕立てる技!
狂詩曲「スペイン」は、パリ音楽院盤もコロンヌ盤も演奏時間はほぼ同じですが、コロンヌの方がテンポのコントラストが強く、打楽器が固い響きで明確に捉えられているので、感覚的により強烈な印象を与えますが、パリ音楽院の直進型の小洒落た味も決して無視できません。
懸命にお洒落にしよう、粋であろうとするのではなく、生き方そのものが粋な人間にしか成し得ない芸の真骨頂がここにあります!【湧々堂】

TRE-048
ベートーヴェン:三重協奏曲Op.56*
ヴァイオリン協奏曲(カデンツァ;ヨアヒム作)
マヌーグ・パリキアン(Vn)
マッシモ・アンフィテアロフ(Vc)*
オルネラ・サントリクイド(P)*
ワルター・ゲール(指)ローマPO*
アレキサンダー・クランハルス(指)フランクフルトRSO

録音:1950年代後半(モノラル)
※音源:Concert Hall MMS-2159*、MMS-2124
◎※収録時間:79:57
“個性をひけらかさない表現から漂う作品の魅力!”
■製作メモ
採用した2枚のレコードは共にチューリカフォン(TU)盤で、これ以上にハリとコシのある音質はまず望めません。ヴァイオリン協奏曲はステレオ盤も存在しますが、例によって音が溶け合わずに違和感が拭えません。サントリクイド・トリオは、C.H.Sにベートーヴェンのピアノ三重奏曲全集を録音していますが、この三重協奏曲では、そのメンバーをそのまま起用せず、あえてヴァイオリンはパリキアンが受け持っています。なんとかギリギリ1枚のディスクに収録できました。

★三重協奏曲でのソロ奏者3人は、清潔な音色と自己顕示欲を見せない真摯なアプローチで共通しており、この作品の純朴さをありのままに届けてくれます。終楽章に至っても謙虚さを維持。派手なパフォーマンス合戦に陥っていない分、何度でも聴きたくなる魅力がここには宿っています。
ヴァイオリン協奏曲は、既に復刻したバッハやモーツァルトと同様に、パリキアン自身がその存在をいかに消せるかに挑んだような、全面的な音楽への奉仕ぶり。音色の点でも技巧面でもドキッとするようなインパクトを与えることがないので、感覚的には至って地味で、クライスラーよりも技巧的なヨアヒム作のカデンツァも燻銀のような風合いを醸し出します。そんな姿勢が最大に功を奏したのが、終楽章第2副主題(3:10〜)。一切媚びずにイン・テンポを守りつつ、心の襞に優しく語りかけるのです。ハイフェッツのような誰が聴いても凄いとわかる演奏とは対極に位置しますが、決して見捨ててよい演奏ではないことを実感していただければ幸いです。【湧々堂】

TRE-049
メンデルスゾーン:華麗なるロンド
 ピアノ協奏曲第1番ト短調 Op.25*
トゥリーナ:交響的狂詩曲Op.66**
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調Op.16#
モーラ・リンパニー(P)
ハーバート・メンゲス(指)LSO
ラファエル・クーベリック(指)フィルハーモニアO*
ワルター・ジュスキント(指)フィルハーモニアO**
ハーバート・メンゲス(指)フィルハーモニアO#

録音:1952年6月3日、1948年10月3日*、1949年6月20日**、1954年11月4日#
※音源:RCA.HMV LHMV-1025、HMV CLP-1037#
◎収録時間:64:34
“リンパニーの十八番、グリーグにおける結晶化されたタッチ!”
■製作メモ
メンデルスゾーン&トゥリーナは、米初出LP。グリーグはリンパニーにとって、1945年、1952年に続く3度目の録音で、この後にステレオ録音も行うほどの十八番作品。

★これを聴くと、1950年前後がリンパニーの絶頂期であったことを痛感します。トゥリーナのなんという艶やかさ!オケは弦楽器のみの編成ですが、リンパニーの確固とした芯を湛えたタッチと気品溢れるフレージングの融合によって、管楽器を欠く編成であることを忘れるほど豊かな色彩が広がります。
グリーグの協奏曲をメジャー作品に引き上げたピアニストとしてはルービンシュタインが有名ですが、リンパニーの存在も決して無視できません。その解釈は、実に直截。もったいぶったアゴーギクなど必要としない決然とした推進力が魅力です。第1楽章第2主題(2:32〜)からのタッチの粒立ちの美しさ、何もしていないようでいて音楽を淀みなく呼吸させるセンス、第2楽章の下降音型で強拍にしっかりとアクセントを配置し、ムードに流されない配慮、常に張りを保持した弱音の魅力などは、まさにリンパニー節!
更に忘れてならないのは、メンゲス&フィルハーモニア管の伴奏の見事さ!同じグリーグでソロモンの伴奏も担当していたコンビですが、随所で聴かれるデニス・ブレインのホルンも含め、ピアニストを縁の下で支えるスタンスと音楽表現の両立、アンサンブルの結晶度の高さにおいて傑出しています。【湧々堂】


TRE-050
ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス ワルター・ゲール(指)
ハンブルクNDS響、北ドイツ放送Cho
ウタ・グラーフ(S)、グレース・ホフマン(A)
ヘルムート・クレシュマール(T)
エーリヒ・ヴェンク(Bs)

録音:1950年代後半(ステレオ)
※音源:VANGURAD SRV-214-215(コンサートホール原盤)
◎※収録時間:71:35
“権威に立ち向かったベートーヴェンの精神が宿る名唱!”
■製作メモ
ステレオ・ヴァージョンよる本家コンサートホール盤による良質盤になかなか出会えません。このVANGURAD盤はプレス状態、盤質とも極めて良好で、ジャケット・デザインも素敵なので迷わず採用しました。なお、ジョン・ハントのディスコグラフィでは、オケ名が“NDR”となっていますが、どのレコードを見ても“NDS”と印刷されているので、ここではそのまま表記しました。

★独唱陣も含めて演奏スタイルこそ時代を感じさせますが、綺麗事を寄せ付けない生身の人間の叫びが素朴なオケの響きにも全身全霊を込めた合唱にも反映されています。特に合唱の素晴らしさは特筆もので、全パートが自然なバランスで調和し、指揮に合わせて歌っているという印象を与えない自発性が説得力に拍車をかけます。「キリエ」のコーダなどまさにその典型。「グローリア」も、スマートさとは程遠い民衆の叫び!「クレド」は野武士風の勇壮さを持ちながらも、第2部での純真な響きが印象的。第3部の壮大なフーガに至っては、こうでなければ!と思わせる迫真のハーモニーの塊!緻密に作品の構築を露わにするアプローチとは一線を画す、愚直な音の積み上げが琴線に触れるのです。「アニュス・デイ」は、感情過多に陥らずに切々とからり掛けるヴェンクのバス独唱が絶品。第2部の平和の祈りは、この演奏の性格を象徴するもの。
録音も上々。ワルター・ゲールのステレオ録音の中でも、「チャイ5」と同等かそれ以上の良好なバランスで全パートがブレンドされています。【湧々堂】

TRE-051
カンテルリのステレオ名盤集Vol.1
モーツァルト:音楽の冗談K.522
 交響曲第29番イ長調 K.201
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調*
グィド・カンテルリ(指)
フィルハーモニアO

録音:1955年8月18日 、1956年6月2日*、1956年5月29-31日 (全てステレオ)
※音源:TRIANON 2C027-03748(FR)、2C027-01214(FR)*
◎※収録時間:75:41
“作品の力を信じるカンテルリの才能と勇気!”
■製作メモ
モーツァルトは、これがステレオ初出盤。ベートーヴェンも音の質感を統一させるため、同じ仏盤を採用しましたが、初出のASD同様1曲だけで両面たっぷり使用しているので、CDのくぐもったような音とは違う伸びやかなサウンドが体感できます。

★カンテルリの数少ないステレオは、その希少性のみならず、音楽的価値が極めて高いことは言うまでもありませんが、特にこのモーツァルトとベートーヴェンは、カンテルリの比類なき才能を示す最大の遺産だと思います。
交響曲第29番は、この曲の多くの録音の中でも傑出した素晴らしさ!解釈の痕跡を感じさせず、作品自体に語らせることに成功した例がいくつあるでしょうか?「音楽の冗談」も、小細工をしないという点ではミュンヒンガーなどの路線に近いとも言えますが、あまりにも厳格なその演奏とは異なり、カンテルリの棒にかかると、自発的に音楽がほくそ笑んでいるのが判ります。そこへ、デニス・ブレインをはじめとする名手達のアンサンブルの妙味が加味されるのですから、たまりません!
ベートーヴェンも、常に音楽の進行は素直で自然体。ヴァイオリンの両翼配置による対話効果も含め、説明調に陥らず、ベートーヴェンはかくあらねばという無理強いもないので、モーツァルトと同様に、作品の素の素晴らしさを痛切に感じさせるのです。終楽章は、まさにカンテルリの音楽への姿勢を如実に刻印。熱狂を誇示せず、かと言って自分を偽って表現を抑制するのでもなく、音楽の息遣いを確実に届けてくれるのです。「作品の力を信じる」のも才能であること、多くの演奏家が口にする「作曲家の意思を尊重」という常套句を真に実践した姿を思い知らせれます。【湧々堂】

TRE-053
ヨッフム/ハイドン&シューベルト
ハイドン:交響曲第98番変ロ長調 Hob.I:98
シューベルト:交響曲第9番「グレート」*
オイゲン・ヨッフム(指)
BPO、バイエルンRSO*

録音:1962年5月、1958年2月*(共にステレオ)
※音源:独DG SLPM-138823、英HELIODOR 89511*
◎※収録時間:77:33
“2人の作曲家の人間的な佇まいを生かした名解釈!”
■製作メモ
ヨッフムにとって、ハイドンの「98番」は3回も録音したほどの十八番作品。これはその最初の録音。使用したチューリップ盤の音の良さは言うまでもありませんが、驚いたのは、シューベルトで使用したHELIODOR盤の素晴らしい音!OriginalsシリーズのCDでは名演であることは分かりつつも、何か決定打に欠ける気がしていましたが、この盤を聴いて、その魅力に心底感服しました。とかくHELIODORというだけで軽視されがちですが、1960年代、厚みと硬度を維持していた頃の音の豊かさをご実感下さい。使用したジャケ写デザインは、SLPM盤。

★ヨッフムは、作品によってはロマンティックな情緒を前面に出した、フルトヴェングラーに似たスタイルをとる場合もありますが、ハイドンにおいては、ここでの第1楽章序奏の短調のニュアンスが過度に物々しく響くことを避け、主部で自然体の推進力を見せているように、無駄を排した洗練されたアプローチを旨としていたようです。第2楽章での、チェンバロと絶妙にブレンドされた典雅な響きも魅力。
それに対し、シューベルトは一時代前のスタイルに近く、シューベルトの純朴さと情緒を大切にしたアプローチ。第1楽章の序奏を「軽快なアンダンテ」で奏するのが昨今の流行りですが、こういうゆったりとしたテンポでないと、幸せを噛みしめられないことを実感。このテンポが主流だった頃には、それが野暮ったい印象しか残さない演奏もありましたが、ヨッフムの飾らない一途な共感の下では、音楽が真に息づくのです。
第2楽章、副部主題から主部主題に戻る直前(5:53〜)の弱音は、なんという温かさでしょう!終楽章は、かつてのドイツ風の響きと無骨な造形をベースとしながら、ガチガチに設計し過ぎず、テンポもスピード感だけを際立たせない、そのさじ加減が絶妙。ティンパニ追加や、かなり露骨に管楽器で旋律を補強する処理も、あざとさ皆無。そうせずには居られない気持ちが痛いほど伝わり、その嘘のない共感が音楽を根底から躍動さる原動力となっているかのよう。「学術的考察を反映」させただけの演奏では、こういう説得力は生まれないでしょう。【湧々堂】
ティボール・パウル
TRE-054

ティボール・パウル
Tibor Paul
ティボール・パウル〜ハンガリー名曲集
リスト:ハンガリー狂詩曲第2番*
ブラームス:ハンガリー舞曲集(7曲)#
 第5番(パーロウ編)/第6番(パーロウ編)
 第7番(ハレン編)/第10番/第1番
 第2番(ハレン編)/第3番
バルトーク:2つの映像Op.10
コダーイ:組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
ティボール・パウル(指)
ウィーンSO

録音:1959年11月15-21日*、1959年1月5-8日(*以外) 全てステレオ
※音源:PHILIPS 857-027CY、700-158WGY#、Victor SFON-7521*
◎※収録時間:76:10
“厚塗り厳禁!誰も真似できない庶民的なリズムと歌心!”
■製作メモ
ハンガリーの指揮者、ティボール・パウルのステレオ初期のフィリップス録音のほぼ全てを収録。これ以外には、リストの「前奏曲」と「ハンガリー狂詩曲第1番」がありました。ハンガリー舞曲の曲順は、レコードの曲順のままです(米EPIC盤は番号順に収録)。

★ティボール・パウル(1909-1973)は、シェルヘンやワインガルトナーに師事したハンガリーの指揮者。祖国を離れた後にスイス、オーストリアで活躍し、1954年にはニュー・サウス・ウェールズ州立音楽院の指揮科教授に就任しています。録音には恵まれず、ステレオ初期にフィリップスにハンガリーの名曲を集中的に録音したのがほぼ全て。日本では、少なくともここに収めたハンガリー狂詩曲を含むリストの管弦楽曲集は発売されましたが、きちんと紹介されなかったせいか、完全に忘れ去られた指揮者です。
パウルの芸の最大の魅力は、「庶民感覚」。先ずハッとさせられるのがハンガリー舞曲。何と軽妙で飾りがなく人懐っこいこと!今まで聴いた全ての演奏は、立派な芸術的な衣装を無理に纏っていたとしか思えません。小細工のないストレートなアプローチが、曲の愉しさを余すところなく引き出しています。「第10番」冒頭は恰幅良く開始しますが、決して威圧的な雰囲気に傾かず、これぞ素朴の美!全曲録音でないことが悔やまれます。
更に痛快なのが「ハーリ・ヤーノシュ」。これを聴くと、他の指揮者が立派な交響組曲風に響かせ過ぎること、ここまで主人公に成りきった演奏が見当たらないということに気付かされます。第4曲「戦争とナポレオンの敗北」でのサクソフォーンのグリッサンドなど、ここまで露な例は他に無く、敗北の嘆きどころか惨めさ丸出し!思わず吹き出します。「間奏曲」の強弱対比には温かい共感が滲み、終曲最後の大太鼓一撃の見栄の切り方も、計算ずくのニュアンスではないことは明らか。
バルトークは他の曲とはテイストこそ異なりますが、パウルの“作品を突き詰め過ぎない”姿勢は同じ。1曲目の「花ざかり」での、溢れんばかりのノスタルジーと人肌の温もりが泣かせます。
作品にはそれぞれ固有の風合いがあるはずなのに、J・シュトラウスやスッペなどの小品もベートーヴェンやワーグナーと変わらない音の重み、厚みで表現してしまうことの多い昨今、もはや「粋」とか「軽妙さ」「素朴さ」を堪能するには、こうして昔の録音を引っ張り出すしかないのは残念なことです。【湧々堂】

TRE-055
コンラート・ハンゼンのモーツァルト
ピアノ・ソナタ第1番ハ長調K.279
ピアノ・ソナタ第2番ヘ長調K.280
ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調K.281
ピアノ・ソナタ第4変ホ長調K.282
ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310
コンラート・ハンゼン(ハンマークラヴィア)

録音:1956〜1957年(モノラル)
※音源:DG LPM 18320、GRAMMOPHON LGM-1136(JP)*
◎※収録時間:69:39
“ハンマークラヴィアで弾きたいという音楽的衝動がもたらす説得力!”
■製作メモ
ハンゼンは、モーツァルトの時代のハンマークラヴィアを用いたソナタ集のレコードを5枚完成しましたが、ステレオに移行する直前に録音は途絶え、全集には至らなかったのは痛恨の極みですが、ハンゼンの数少ないディスコグラフィの中でも最重要録音と言えましょう。オリジナルのジャケット・デザインは、どれも黄白の統一デザインですので、ここでは日本盤のジャケット採用しました。

★ベームやパウムガルトナーなど、かつて博士とか教授といった呼称がピタリとはまるアーチストが多く存在しましたが、彼らの引き出す音楽は、深い見識に基づきながらもそれを直接的な武器にはせず、聴き手に確実に音楽的な手応えと味わいをもたらしてくれました。コンラート・ハンゼンも、デトモルトやハンブルクの音楽学校の「教授」という指導者、学者のイメージが先行しがちですが、ここに聴くモーツァルトは、あえてモーツァルトの時代のハンマークラヴィアを用いながらも、学究的な主張を表面化させることなく、一途に音楽のありのままの魅力だけを伝えてくれます。特別なことは何もせず、イン・テンポを崩さず淡々と進行するだけですが、つかみ所のない地味なだけの演奏に陥っていないのは、ちょっとした間合いにも耳を傾け、音楽を感じている証しでしょう。左右の声部は、常に完璧なバランスを保ち、生徒に「モーツァルトはタッチが命」と語り、些細な伴奏音型でさえ何度も弾き直しさせたハンゼンのこだわりも全編に漲っています。
それにしても、「第1番」の第1楽章、なんという音楽でしょう!これほどモーツァルトの天才性が泉のように湧き出る演奏を聴いたことがありません。
「第8番」で注目すべきは、第1楽章開始早々(0:11)に聴かれる“半スタッカート”的な音の跳ね上げ方。このニュアンスのためだけにこの楽器を選んだのでは?と思えるほどで、ハンマーの軽い叩きによる愛おしい表情は、スタインウェイでは不可能でしょう。イ短調という調性ながら、その悲劇性や特殊性を強調する素振りなどもちろん皆無。
「過去の習慣を洗い流しスコアに立ち返る」という大義名分のもと、スコアをほじくり返して新鮮味を出しているだけの演奏とは、琴線に触れる度合いが違うのです。
かつてオイゲン・ヨッフムは、スコアにないティンパニ追加や管楽器を重ねる処理についてその真意を尋ねた聞き手に「その方が美しいでしょ?」と一蹴しましたが、おそらくハンゼンがこの古楽器を選択した理由も、その響きに純粋に惚れ込んだだけで、いわゆる学術的な意味合いなどあまりなかったのかもしれません。あったとしても、それを咀嚼し、結局主役は音楽であることを実感させる、その凄さを実感していただければと思います。
ちなみに、モーツァルトが好んだのは、ウィーン・アクションと呼ばれるハンマークラヴィアで、ここでもそれが使用されているものと思われます。ベートーヴェンが好んだのは、もっと重量感のあるフォルテを出せる、イギリス・アクションでした。【湧々堂】
コンラート・ハンゼン
TRE-056
コンラート・ハンゼン/モーツァルト&ブラームス
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第6番ニ長調K.284*
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
コンラート・ハンゼン(ハンマークラヴィア*、P)
フェレンツ・フリッチャイ(指)
ベルリンRIAS響

録音:1956〜1957年*、1953年4月19日
※音源:GRAMMOPHON LGM-1136(JP)*、LONGANESI PERIODICI GCL-50
◎※収録時間:72:29
“ブラームスの第2楽章は、同曲空前の大名演!”
■製作メモ
モーツァルトは、日本初出盤。ブラームスは、拍手のない放送録音。ANDROMEDAからCD化されましたが、音の差は歴然。

★ハンゼンのモーツァルトは、演奏者の解釈の痕跡を感じさせない素直さと瑞々しさで魅了。ハンマークラヴィアを使用していますが、通常のピアノで聴きたいと願うファンも、最初の数秒を聴いただけでその魅力に引き寄せられ、その選択が正しかったと実感されることでしょう。
ハンゼンの音楽性は、よく知られるフルトヴェングラーやケルテスとの共演盤だけでイメージされがちですが、モーツァルトのソナタ・プロジェクトと共にハンゼンの魅力を語るに不可欠なのが、次のブラームス!勇壮なフリッチャイの伴奏に身を委ねつつ、聴後には、ドイツ流儀のピアニズムを孤高に貫き通したハンゼンの姿が印象づけられるのです。第1楽章冒頭主題のフレージングの伸縮力から一気に惹きつけられ、その後の強靭なトリルの決して技巧過多ではない輝き方!白眉は第2楽章で、冒頭のオケに続くピアノの滑り出しは、まさにドイツの音色美で魅了。陶酔的な空気に言葉も出ません。3:26からの最弱音は決して痩せず、全てのタッチから余情が滲み、涙を誘うこと必至。終楽章はスピード感に任せることなく、大地に根を張った堅牢な構築力が絶大な説得力!曲が進むにつれて単に激情を放射するのではなく、むしろそれを内面に封じ込める意志を貫き、それが作品の造形維持にも大きく貢献。最後には圧倒的な手応えと感銘を与えてくれるのです。音質も良好。全身でブラームスらしさを感じたい方は、特に必聴の名演です!【湧々堂】
リリー・クラウス
TRE-057
L・クラウス〜ベートーヴェン&シューマン
ベートーヴェン:ロンド変ホ長調(遺作)
 ピアノ協奏曲第4番
シューマン:ピアノ協奏曲*
リリー・クラウス(P)
ヴィクトル・デザルツェンス(指)
ウィーン国立歌劇場O

録音:1962年、1950年代末*(全てステレオ)
※音源:Prestige De La Musique SR-9613、Concert Hall SMS-2327*
◎※収録時間:73:46
“クラウスの溢れるロマンティシズムが曲想と見事に合致!”
■製作メモ
シューマンは、宇野功芳氏の推奨盤としても有名。このシューマンもベートーヴェンもコンサートホール盤特有の音ながら、ソロとオケを別録りして張り合わせたような違和感はなく、元々かなり良好なバランスのステレオ・サウンドですが、Scribendumの復刻CDでは、過剰なノイズ消去で余韻まで掻き消されていました。ここでは最も条件の整ったTU盤(スイス・プレス)盤を使用。ベートーヴェンは、フランス盤。盤を厳選すれば、ほとんどノイズ消去を施さずにここまでリアルな音を再現できるという実例です。

ベートーヴェンの協奏曲は同じコンサートホールに「第3番」も録音していますが、明らかにオケが弱いこともあり、この「第4番」の方がはるかに説得力大。終楽章冒頭の、飾り気のないまさに玉を転がすようなタッチの妙味は、クラウスの最大の魅力の一つ。「ロンド」は、ピアノ協奏曲第2番の終楽章として書かれ、ベートーヴェンの死後にチェルニーが完成させたとされる作品。
そして、最大の聴きもの、シューマン!第1楽章導入の決然とした意志が迸る打鍵から説得力絶大!オケが奏でる第1主題を引き継ぐ際のピアノの入りでは、微妙に間を取り、潤いに満ちたタッチで哀愁を滲ませながらどこまでも沈みこんでいく風情がたまらない魅力。その後もアレグロの部分としっとりと緩やかに歌われる箇所とのコントラストが絶妙で、女性的という一語では済まないクラウスの感受性の大きさを感じずにはいられません。第2楽章も美しく奏でた演奏はいくらでもありますが、最初の主題に象徴されるように、音楽を内面から豊かに伸縮させるセンスは誰も敵いません。特に付点音符を頂点とするフレージングの膨らませ方は、絶対にお聴き逃しなく!中間部ではオケとピアノが主役の交代を繰り返しながら、いかにもシューマン的なロマンの香気を漂わせますが、両者が対話をするというより、渾然一体となった麗しい流れになっているのも印象的。終楽章は、クラウス節全開!短い音価が連続するフレーズで、その結尾のテンポを微妙に走らせてフレーズに勢いを持たせる独特の節回しは、野暮ったいどころか音楽全体に比類なき躍動感を与えています。この作品を味わう上でも、クラウスの芸術性を知る上でも欠かせない録音です。
なお、シューマンの録音データは判然としないのですが、クラウスとデザルツェンスとの録音プロジェクトは1959年に開始したという記録があるので、1950年代末としました。【湧々堂】
アンドール・フォルデス
TRE-058
フォルデス/ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集
ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」Op.13*
ピアノ・ソナタ第19番ト短調Op.49-1
ピアノ・ソナタ第26番「告別」Op.81a*
ピアノ・ソナタ第28番イ長調Op.101
ピアノ・ソナタ第30番ホ長調Op.109
アンドール・フォルデス(P)

録音:8番:1961年11月2-9日(第8番)、1960年(第19番)、1961年11月3-4, 6, 8-9(第26番)、1960年5月16-17日(第28番)、1960年2月3-4日(第30番) 全てステレオ
※音源:DG 135064(De)*、GRAMMOPHON SLGM-1127 (Jp)
◎※収録時間:76:50
デフォルメに頼らずベートーヴェンの精神を表出する透徹のピアニズム!
■製作メモ
フォルデスよるベートーヴェンのソナタと協奏曲の録音計画は途中で中断。巨匠ケンプがそれをそっくり受け継ぐ形で完成させた全集は、バックハウスと並ぶ最も有名な名盤となりました。一方でフォルデスの録音は一般的には完全に忘れ去られ、すっかりマニア向け遺産となってしまいましたが、誰もが唸る名演となると、技巧面も含めてフォルデスに軍配を上げる人がい多いのではないでしょうか?使用したのは再発の独盤と日本の初期盤ですが、共に黄白盤よりフォルデスの明晰なタッチをダイレクトに感じられます。ジャケ写は、日本盤を採用。

★アンドール・フォルデス(1913-1992)は、ハンガリー出身。リスト音楽院でドホナーニ、バルトーク等の薫陶を受けました。録音ではモノラル期のハンガリー作品や、DGを離れた後のEMIへの録音も無視できませんが、フィルデスの魅力を痛切に感じさせるのは、モノラル後期からステレオ初期にかけてのDG録音でしょう。この時期は、ザール音楽院のピアノ科教授を務め、演奏旅行も積極的に行っており、公私ともに絶頂期だったのかもしれません。
その演奏の第一の魅力は、誇張を避けた明晰さ。「悲愴」第1楽章中部直前の急降下タッチは、まさに鉄壁の粒立ち!第1主題の細かい音型の淀みのなさも驚異的ながら突き放したような冷たさはなく、むしろ包み込むような温かみさえ感じられます。展開部冒頭の割れそうで割れない強打鍵も、フォルデスの魅力の一つ。一切音像を混濁させることなく心からフレーズを紡ぐ第2楽章は、時代の新旧を問わない普遍的価値を痛感させ、中間部のペダリングのセンスも特筆もの。「第28番」第2楽章中間部のカノンにおける、柔らかな緊張の持久力も忘れられません。終楽章の序奏十分に瞑想的でありながら希望の光が満ち、そこから活気ある主部への移行の自然さにも息を呑みますが、主部後半で、音楽の伸びやかさを確保すると当時に、強固な作品フォルムを打ち出す様は、何度聴いて心打たれます。【湧々堂】
シューリヒト
TRE-059
シューリヒト〜モーツァルトの「ハフナー」
モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」
セレナード第7番ニ長調 K.250「ハフナー」*
カール・シューリヒト(指)
VPO、シュトゥットガルトRSO*

録音:1956年6月3-6日、1962年12月* (全てモノラル)
※音源:KING RECORD LC-4、MOVIMENT MUSICA 01-067*
◎※収録時間:72:19
“神の領域!これこそがシューリヒトの究極の二大名演!”
■製作メモ
1950年代ステレオ初期DECCAのウィーン・フィルの録音は、小さい箱の中に押し込んだような奇妙な音なのが玉に瑕ですが、良質なモノラル盤で再生すれば、その違和感を回避でき、頭の中で「現実的な音」を想像する余計な作業をすることなく、この不朽の名演の凄さを更に実感していただけるはずです。当時の日本のKINGプレス盤の素晴らしさにもご注目を。「セレナード」はなかなか正規CD化されませんが、これがまたどんなに言葉を尽くしても足りないほどの至高の名演!

★ウィーン・フィルとの「ハフナー交響曲」はあまりにも有名な名演ですが、このモノラル盤を聴いて、祝典的な雰囲気とは一線を画す慈愛と深遠さが入り混じったニュアンスがいかに凄いことであるか、痛感しました。第1楽章冒頭の憂いを含んだ滑り出しもそうですが、第2楽章0:37からの付点音符のリズムの育み方など、シューリヒト以外には実現不可能と思われ、ただもう言葉を失うばかり。極めて高純度でありながら人間的な温もりを常に携えた究極のモーツァルトと言えましょう。
私がまだモーツァルトの何がどのように天才なのか理解できなかった頃、一枚のレコードから流れたモーツァルトの音楽に思わず釘付けになりました。その時の演奏こそが、シューリヒトの「ハフナー・セレナード」。そんな個人的な思い入れを差し引いても、この作品の別格の名演であり、数あるシューリヒトの名演に垣間見られる神業的なニュアンスは、全てこの演奏に集約されていると言っても過言ではありません。最初の序奏部での清潔な佇まいから一転、微妙に先走り気味に開始する主部の求心力!これはもう「オケの自発性」という範疇を超えた不思議な化学反応としか思えず、その後の推進性にも操作性を感じさせない自然さが、音楽の豊かさを続々と現出させるのです。他の楽章も魅力的過ぎて全てを書ききれませんが、あえて特筆したいのが第5楽章。ゆったりとしたテンポにも淀みはなく、微かに悲哀を湛えているのがなんとも心に染みますが、このニュアンスは続く短調の中間部への布石であることに気付かされます。そしてその中間部の悲哀は、もはや説明不可能!これ以上に胸を優しく突き刺す演奏など考えらず、この演奏を知ってからもう何年の経った今でも涙が出ます。次の第6楽章もそうですが、ここにはモーツァルトの全てがあると言い切れます。
この長丁場の作品において、どこにもその自然な緊張感が停滞する瞬間がないというのも奇跡的なこと。放送用音源で、音質も極めて良好。なお、ヴァイオリン・ソロは、バルヒェットが弾いているという説も。
最後にあえて断言します。この2つの録音は、シューリヒトが遺した最大の名演です! 【湧々堂】

TRE-060
デゾルミエール&チェコ・フィル名演集
ビゼー:「カルメン」第1組曲〜前奏曲/アルカラの竜騎兵/間奏曲/アラゴネーズ
 「アルルの女」第1組曲&第2組曲*
ドビュッシー:夜想曲(「雲」「祭り」)**
ラヴェル:ボレロ#
ロジェ・デゾルミエール(指)チェコPO

録音:1950年11月15日、1950年5月25-26日*、1950年11月9日**、1950年10月30日# (全てモノラル)
※音源:SUPRAPHON - EURODISC 913-296
◎※収録時間:76:22
“楷書風の筆致から湧き上がる甘美な色彩と香気!”
■製作メモ
デゾルミエールが脳卒中で半身麻痺に陥る直前にチェコ・フィルと録音した2枚分のLPから、ドビュッシーの「海」以外の全てを収録。チェコ・フィルによるフランス音楽は聴き逃せないものばかりですが、中でもデゾルミエールの録音は、傑出した魅力を誇ります。70年代末の良好なドイツ・プレス盤を使用。

★デゾルミエール(1898-1963)は、ディアギレフのロシアバレエ団やオペラ・コミック座などの指揮者を歴任しただけに、劇場的な雰囲気を醸し出すセンスが抜群ですが、その雰囲気作りに少しも押し付けがましさがなく、自然に色香が漂うのが最大の魅力ではないでしょうか。
まず、「カルメン」前奏曲から湧き上がる風情にイチコロ!カッコよく飛ばすのでもなく重厚に作り込むのでもない絶妙なテンポ感は、まさに体から自然に滲み出た技!このあまりにも有名な曲で、一音も漏らさずそのニュアンスに浸りたいと思わせる演奏など、そうは存在しません。「間奏曲」のパステル調の色彩は、チェコ・フィルのテイストと完全にマッチ。「アラゴネーズ」は終始イン・テンポの楷書風の進行にもかかららず、聴き手に厳格な統制力を意識させず、曲の持ち味だけが自然に浮上するのです。その魅力は他の曲でも同じで、「アルルの女」の「カリヨン」は遅めのテンポを取りながら、少しもリズムが重くならず、聴き手に視覚的な想像力を喚起するのに十分な余韻を常に携えながら、音楽が淀みなく流れます。「ファランドール」最後の畳み掛けでは、ほとんどの指揮者による加速の安易さを思い知ります。
「夜想曲」の「雲」は、脂肪分の少ないチェコ・フィルのサウンドが最大限に生き、和声の透明感が恍惚美を表出。特に4:32からの艶やかで甘美な色気は、比類なし!
「ボレロ」もパワー炸裂型の演奏とは一味異なり、大輪の花がゆっくりと開花するような空間的な広がりを感じさせます。
デゾルミエールの芸の奥深さを知るのに欠かせない録音ばかり。音質も非常に良好です。 【湧々堂】

TRE-061
ホルライザー/ワーグナー&バルトーク
ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕前奏曲
 「ローエングリン」第1幕前奏曲/第3幕前奏曲/婚礼の合唱*
 「トリスタンとイゾルデ」前奏曲
バルトーク:管弦楽のための協奏曲*
ハインリヒ・ホルライザー(指)
バンベルクSO&Cho*

録音:1959年10月、1959年5月21-23日*(全てステレオ)
※音源:米VOX STPL-511.550、独MARCATO STPL-73483*
◎収録時間:72:10
“「オケコン」の野趣あふれる魅力を再認識させる希少な名演!”
■製作メモ
バルトークもVOX原盤ですが、米盤はどうも音がざらつき気味。英盤はそれよりは良好でしたが、音の粗さが気になりました。結局、最も納得の行くのは、このドイツでのステレオ初出盤でした。

★ホルライザー(1913-2006)は、ミュンヘン出身の典型的な劇場叩き上げ指揮者ながら、レパートリーは広く、日本の読響を指揮する際の演目も、スタッフが冗談半分で提案した「ウェリントンの勝利」をあっさり承諾したとか。少しも権威ぶらない大らかな人柄が、そのまま音楽性にも反映し、作品の自然な息吹きを確実に伝えてくれた指揮者でした。
まずは、バルトークの素晴らしさ!ホルライザーの共感溢れる指揮で聴くと、よく知られる「オケコン」の名演は、オケの機能性のデモンストレーションのような演奏が多いいように思えてなりません。このホルライザー盤に備わっている要素を他の名盤でも見出だせるかというと、なかなか思い当たらないのです。
その解釈は、どこまでも自然体。外面的な効果も狙わず、丁寧にスコアのニュアンスを抽出しているに過ぎませんが、どこかローカルな色合いを持つオケの特性と相俟って、素朴なリズムの躍動と歌が、心を捉えて離しません。第1楽章導入部から、エキゾチックというより懐かしさが一杯。木綿の風合いと手作りの温もりは、なかなか他では得難い魅力。第2楽章は、そんな特徴が最大に生きた愛くるしい語り口で魅了します。中間部での深いノスタルジーもお聴き逃しなく。そして、オケの機能性が大発揮される終楽章においても、派手に立ち回るのではない熟成型の音楽作り。指揮にもオケにも、「アンサンブルの正確さを表面化させない巧さ」があり、そのセンスこそが、単に田舎臭いだけではない、心に訴える野趣を育んでいるのです。
ワーグナーも、大伽藍のような壮麗さとは無縁。「マイスタジーンガー」の速いテンポによる草書風の筆致など、一見そっけなく聞こえますが、まさに職人の勘で、全ての声部が緊密に連動させ、最後には見事な高揚を遂げます。「ローエングリン」第1幕前奏曲、「トリスタン」では、表面的な美しさを超えた魂の昇華が涙を誘います。【湧々堂】

TRE-062
L.ルートヴィヒ〜ウェーバー&R・シュトラウス
ウェーバー:序曲集
 「オイリアンテ」序曲
 「ペーター・シュモルとその隣人たち」序曲
 「プレチオーザ」序曲
 「アブ・ハッサン」序曲
 祝典序曲「歓呼」
R・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」*
レオポルド・ルートヴィヒ(指)
ウィーンSO、LSO*
ヒュー・マグワイア(Vnソロ)*

録音:1950年代後半、1959年*(全てステレオ)
※音源:OPERA ST-1917、EVEREST SDBR-3038*
◎収録時間:79:56
“作品の過剰分析を避け、持ち味抽出を再優先したルートヴィヒの至芸!”
■製作メモ
2枚のLPの全てをギリギリ1枚に収録できました。ルートヴィヒの録音にはウィーンのオケを振ったものが意外と少ないので、その点でもこのウェーバーは貴重ですが、とにかくステレオ・バージョンのレコードは、極めて入手困難。これ以上の良質盤には今後出会えないでしょう。エヴェレストへの録音も、マーラーは比較的入手し易いですが、R・シュトラウスの良質盤となると意外と見当たりません。かつてCD化されましたが、すっかりマイルドな音に変貌していました。

ウェーバーは、「魔弾の射手」「オベロン」といった有名曲を含んでいないのが、まずミソ。これを聴くと、J・シュトラウスもスッペもワーグナーも、昨今ではほとんどの指揮者のアプローチが、ベートーヴェンの序曲とほとんど変わらない画一的なものであることを痛感します。ルートヴィヒの指揮ではっきり浮き上がるのは、ウェーバーの音楽特有の屈託の無さ。ウィーンのオケの佇まいも加味され、決して作り込み過ぎない手作りの風合いが、新鮮な味わいを醸し出します。特に、最後に英国国歌が斉奏される「歓呼」では、そのクライマックスでも全く気負わず、弦を主体としたバランスを保持しているところに、職人ルートヴィヒのこだわりが感じられます。
「英雄の生涯」も、カラヤンの出現あたりから壮麗な演奏が主流となり、各場面の描き方もいっそう精妙化の一途を辿っていますが、もちろんルートヴィヒの指揮は、そんなトレンドとは無関係。スコアをほじくり返すのではなく、人間臭い愛情を素直に注入しているので、音楽全体が「塊」としてダイレクトに伝わってくるのです。“英雄の業績”以降の、単なる分析とは異なる心からの語り掛けの素晴らしさ!“隠遁と完成”のヴァイオリン・ソロからの鎮静で、これほど涙を誘う演奏にも出会ったことがありません。マグワイアのソロも、琴線に触れることこの上なし!
この大曲に「感覚的な聴き映え」以上のものを求める方には、是非ともお聴きいただきたい逸品です。【湧々堂】

TRE-063
エッシュバッハー/グリーグ&ブラームス
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調Op.16
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番Op.83*
アドリアン・エッシュバッハー(P)
レオポルド・ルートヴィヒ(指)BPO
ウィルヘルム・フルトヴェングラー(指)BPO*
ティボール・デ・マヒュラ(Vcソロ)*

録音:1953年3月2-3日、1943年12月12-15日ベルリン・フィル定期公演ライヴ*
※音源:DGG LPE-17143、Melodiya M10-45921-009*
◎収録時間:74:22
“爆撃の危機を乗り切った決死のブラームス!”
■製作メモ
グリーグは、後発のヘリオドール盤が片面に全曲を収録しているので、グリーグだけでたっぷり両面を使っているこの10インチ盤の方が当然有利。ブラームスは、日本の協会盤と80年代のメロディア盤は、後半で音のピッチが高くなるのが難点。1990年に発売されたメロディア盤は修正されているようですが、若干音が柔らかく感じます。ここでは音質を優先して80年代のメロディア盤を採用し、勿論ピッチは修正しました。

★エッシュバッハーは、1912年生まれのスイスのピアニスト。ケンプやバックハウスの影に隠れてなかなか評価されませんが、師のシュナーベル譲りのタッチの美しさとハイセンスな感情表現の魅力は無視できません。
グリーグは、かなり濃厚なロマンを湛えるルートヴィヒの指揮(特に第1楽章コーダ直前!!)に対し、エッシュバッハーは情に溺れず、作品の構成感を踏まえたアプローチに徹しているので、感覚的にはストイックに聞こえますが、第1楽章カデンツァに象徴されるように、最弱音から最強音まで結晶化されたタッチには内面から溢れる共感が確実に宿っていることが分かります。終楽章の第2主題も、もっと分かりやすく甘美な雰囲気を出した演奏はいくらでもありますが、タッチの陰影だけで余韻を引き出すエッシュバッハーのピアニズムは安易さとは無縁で、かえって音楽に奥行きを与えます。そして、4:53からのアルペジオを一音も漏らさず響かせる意思!
それが、ブラームスでは全く違う形相で感情を爆発させます。大巨匠との共演という高揚感だけでなく、公演3日前にエッシュバッハーの住居が地雷によって爆破され、公演当日も米軍の爆撃の危機にさらされるという異常な緊張感に、30代の若手ピアニストが淡々と演奏することなど不可能でしょう。
まず衝撃的なのが、希望と不安が交錯したような妙なる響きを発する冒頭のホルン!その空気を全身で受けてたっぷり呼吸するエッシュバッハーのピアノの清らかさ!その後も、フルトヴェングラーが敷き詰める濃密な雰囲気と完全に一体化した起伏の大きな音楽を展開します。第3楽章がこれほどの多彩で深遠なニュアンスで迫る例も稀で、エッシュバッハーの潜在能力の全てを出し尽くした瞬間と言え、フルトヴェングラーが指揮した多くのブラームスの中でも、屈指の感動作!しかも、マヒュラのチェロがまた泣かせます!終楽章では、エッシュバッハーの極限の強打鍵も惜しげもなく大放出して完全燃焼。もちろん勢いに任せただけの単純な演奏ではなく、芸術的な昇華力が尋常ではないのです。終結部では、人間のしての尊厳を誇示するかのような音楽の羽ばたきに言葉を失います。
なお、この演奏の翌月には、会場の旧フィルハーモニー・ホールは爆撃され、焼失してしまいました。【湧々堂】

TRE-064
ワルター・ゲール/「展覧会の絵」他
ベートーヴェン:「エグモント」序曲*
メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」**
ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」#
ワルター・ゲール(指)
LSO*、オランダPO

録音:1950年代中期〜後期(全てステレオ)
※音源:日Concert Hall SM-6111*、米URANIA USD-1032**、豪Concert Hall SMS-138A(10インチ)#
◎収録時間:77:59
“ワルター・ゲールの超入手困難ステレオ盤!”
■製作メモ
何かと謎の多いコンサート・ホールの録音の中でも、ゲールのこの3曲は特に収集に苦戦しました。1950年代末くらいからの録音は 日本を含む欧米各国でステレオ・バージョンが発売されましたが、それ以前の録音のステレオ・バージョン(単売)は、ごく一部の国でしか発売されなかったようです。「エグモント」は日本とアメリカ、「展覧会の絵」はアメリカ、オーストラリア盤でしかステレオ・バージョンは確認できません。メンデルスゾーンに至っては、本家コンサート・ホール・レーベルで見かけるのはモノラル盤ばかりで、ステレオ盤は、このレーベルの音源の一部をライセンス販売していた米URANIA盤以外に発見できませんでした。これらのステレオ盤はどれも入手困難で、復刻するに相応しい良好盤となると、もうこれ以上のものに出会える機会はないと思います。なお、「展覧会の絵」冒頭約30秒はモノラルに聞こえますが、米ReDiscoveryから出ていた復刻盤でも同様でしたので、ステレオ・マスター自体に起因する現象と思われます。

★ワルター・ゲール(1903−1960)によるこの3曲のアプローチには、あの「チャイ5」(TRT-002)のような大胆不敵な解釈は見られず、どれも正攻法。「スコットランド」は、第1楽章の序奏部から肩の力が抜けきった雰囲気の中から仄かな悲哀が滲み、主部以降も力みは一切なし。これみよがしに郷愁を煽るような素振りを見せず、作品の身の丈にあった情感が無理なく引出されています。自然体に徹した手作りの味わいは、第3楽章で最も大きく開花。あらゆる表情を総動員したカラヤン盤とは好対照です。第2主題が盛り上がった直後、3:12からの弦が慈愛を維持して奏で尽くされているなど、ほんの些細なことですが、そういう思わず零れ出るニュアンスこそ心からの共感の表れではないでしょうか。
「展覧会の絵」に関しては、ゲール自身による編曲版も存在しますが、これは通常のラヴェル編曲。ここでも小細工を排した実直さが際立ち、トスカニーニ以上にイン・テンポでサクサク進行する部分も少なくありません。にも関わらず、“古城”におけるエキゾチックな空気感や、“ビドロ”の鉛色の色彩感は十分に引出されています。最後の“キエフの大門”ではさすがに大きなアゴーギクを見せますが、取ってつけたような大見得は切らず、ストレートなダイナミズムがかえって痛快です。
ハンス・スワロフスキーなどと同様に、ワルター・ゲールも条件の整ったメジャー・レーベルの録音が皆無に近いので、なかなかその芸術性の本質が見えにくいですが、この3曲に見るアプローチが少しはヒントになるかもしれません。 【湧々堂】

TRE-065
デルヴォー/ワーグナー+ロシア音楽
ワーグナー:「タンホイザー」序曲
 「ワルキューレ」〜ワルキューレの騎行
 「ローエングリン」第1幕前奏曲
 「トリスタンとイゾルデ」〜前奏曲と愛の死
 「神々の黄昏」〜ジークフリートの葬送行進曲
ストラヴィンスキー:「火の鳥」組曲(1919年版)*
カバレフスキー:「コラ・ブルニョン」序曲*
ピエール・デルヴォー(指)
フランス国立歌劇場O、パリ音楽院O*

録音:1957年4月、1957年1月-3月*(全てモノラル)
※音源:仏EMI FALP-494、FALP-473&474*
◎収録時間:79:15
“フランス風ではなく、デルヴォーの美学から発した艶やかなワーグナー!!”
■製作メモ
全て、ステレオ盤は存在しません。フランス国立歌劇場Oは、シューリヒトとモーツァルトの録音を行なっているパリ・オペラ座Oと同一。このワーグナーは、パリ音楽院とは異なるこのオケの底力を知る上でも欠かせない一枚です。2曲のロシア音楽は、TRE-008に収めきれなかった曲。

★フランス勢によるワーグナーとしてはクリュイタンス盤が有名ですが、デルヴォーも負けていないどころか、もしバイロイトに参加していたら、それこそ大センセーショナルとなっていたと思わせる素晴らしい演奏です。とにかくドラマの築き方には常に高い求心力が宿り、しなやかで持久力を誇る呼吸の妙味で聴かせる技に脱帽するばかりですが、最大の魅力は、ニュアンスの「艶やかさ」でしょう。それは、オケの性質に起因するだけでなく、デルヴォーの芸風から来ていることを痛感するのが、「トリスタンとイゾルデ」。愛の歓びと苦悶をシルキーなヴェールで優しく包みこむ音楽は、いかにもワーグナーらしい毒を孕んだ世界とへ別次元で、まさに結晶化したデルヴォーの美学の勝利。前奏曲の6:24からの波のように押し寄せる強弱対比の妙など、何度聴いても鳥肌ものです。
「火の鳥」は、宝石を散りばめたような音像が魅惑の世界を形成。「カッチェイの踊り」と「子守歌」の間に切れ目を入れるバージョン。【湧々堂】

TRE-066
カール・エンゲル/モーツァルト他
モーツァルト:幻想曲ニ短調K.397
 ロンド.ニ長調K.485*
 ピアノ・ソナタ第13番K.333
 ピアノ・ソナタ第5番K.283
 ロンド.イ短調K.511
シューベルト:即興曲Op.142-1&3#
カール・エンゲル(P)

録音:1959年(全てモノラル)
※音源:独ELECTOROLA E-80461、E-60732*、C-60730#
◎収録時間:78:15
“作曲家の代弁者に徹するカール・エンゲルの信念!”
■製作メモ
使用した3枚のレコードは全て10インチ盤。エンゲルによるモーツァルトのピアノ・ソロ作品の録音は、80年代の録音が有名ですが、このELECTRORA録音も決して無視できません。1959年の録音ながらステレオ盤は存在しないようですが、エンゲルのタッチの魅力を味わうのに何の不足もありません。シューベルトの即興曲は、PHILIPSのモノラル録音(全8曲)とEURODISCのステレオ盤(Op.90のみ)も存在しますが、これは勿論それらとは別の録音。

★ヘルマン・プライ等の歌手の伴奏ピアニストとして高名なカール・エンゲル(1923-2006)のピアニズムは、多くの歌曲伴奏者同様、強烈な個性を放射するタイプではありませんが、決して地味な印象にとどまらず、作品の持ち味と自身の感性を一体化した上での伸びやかな表現が魅力。その「一体化」はどんな作品でも容易に実現できるとは思えず、エンゲルのレパートリーがかなり限定的だったのも納得できます。
「幻想曲」は、前半は過剰な暗さに埋没せず、長調に転じてからも明るさを際立たせることのない優しい語り口ですが、それはコントラストを意図的に抑制したものではなく、全てがモーツァルトの素の言葉のように心に響きます。「ロンド K485」は、まろやかでありながら克明なタッチにも心奪われますが、最大の魅力は、技巧の彫琢を第一に考えるピアニストには到底実現できない間合いの絶妙さ!フレーズを恣意的に歌わせている箇所など皆無で、体から自然に湧き上がる音楽とはまさにこの事。しかも、こんな単純な楽想から無限と思えるニュアンスが広がるとは!これ以上の魅力を持つK485の演奏を他に知りません。「ソナタK.333」の第3楽章も、全ての要素がバランスよく共存。少ない音符のどこにも隙間風を感じさせず、フレーズが生き生きと流れるという理想の極地を実現。「ソナタ283」の第2楽章は、もはや説明など無粋の極み。ただただ無垢な音楽が存在するだけ。一体どういう人生を送ればこういう音が出せるのでしょう?
シューベルトになると当然ながら強弱の振幅は大きくなり、タッチにも強靭な芯を宿しますが、自身の解釈を主張するのではなく、作品側から表情を引き出す姿勢はモーツァルトと同じ。Op.142-1の2:37から上声部と下声部が対話するシーンは、まさに愛の囁き!その対話の微妙な陰影は刻々と変化し続けますが、愛の意味を身をもって知っている人間でなくては、説明調に傾かずにこれほど淀みないフレージングに結実させることなど不可能でしょう。【湧々堂】

TRE-067
デルヴォー/チャイコフスキー:「悲愴」他
グリンカ:歌劇「皇帝に捧げた命 」序曲
チャイコフスキー:「エフゲニ・オネーギン」〜ワルツ
 スラブ行進曲
ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」*
ピエール・デルヴォー(指)
アムステルダム・フィルハーモニック協会O
コロンヌO*

録音:1959年、1961年12月17日ライヴ*(全てステレオ)
※音源:米Audio Fodelity FCS-50025、DUCRETET-THOMSON SCC-504*
◎収録時間:77:40
“陰鬱さをリセットして壮絶な音のドラマとして描いた驚異の「悲愴!”
■製作メモ
小品は、Concert Hall音源。グリンカはGuildレーベルからCD化されましたが、モノラルのうえに、ノイズ消去過剰でした。ステレオ・バージョンのレコードは、フランス、日本などごく一部の国でしか発売されず、ましてや良質盤は入手困難。Audio Fidelityはプレスに粗さが目立つことが多いですが、このレコードは上々。Concert Hallならではの音ながら、かなり良好なバランスを保っています。一方「悲愴」は、数万円で取引される超貴重盤!ライヴ録音ですが拍手はなく、会場ノイズは殆ど聞かれません。この時期の録音としてはかなり高音質で、3楽章の大太鼓の衝撃まで確実に捉えているのは驚異的。

★とにかく「悲愴」があまりにも感動的!粋なダンディズムを誇るデルヴォーの芸風からして、ネチネチとした悲壮感とは無縁とは想像できても、ここまで既成のイメージと絶縁し、独自のペーソスを敷き詰めた「悲愴」が成立するとは思いも寄りませんでした。
まず最初に驚くのが、第1楽章の第1主題。こんな軽妙に弾む演奏が他にあるでしょうか?それが決して場違いではないことは、その後の展開を聴けば納得できるはず。展開部は、デルヴォーのドラマチックな音楽センスが全開。威圧的なねじ伏せではなく、どこか大らかな風情を湛えつつ、11:08から強弱の膨らみを与え、13:00からの弦のフレーズの切り方に渾身の思いを込めるなど、独特なニュアンスの自然な融合ぶりを目の当たりにすると、感動も倍増。難関の弱音のコーダも美しさの極み。第2楽章で、これほど濃密な表情が凝縮されているのも稀。第一、5拍子のリズムが少しの異質感をも伴わず自然に華やぐのも驚きですし、中間部でしんみりとテンポを落とすことなく敢然と進行する心意気にも打たれます。第3楽章は遅めのテンポを取りながらも間然とすることなく、壮麗な色彩が横溢。後半マーチの導入部のティンパニは、衝撃的な連打!そして圧巻が終楽章!聴きながら思わず絶叫しそうになるほど心にグサグサ刺さります。中間部主題に入る前のファゴットは、フランスのオケ特有の隈取の明確な音色が最大に効果を発揮。中間部移行のフレージングの熱さ、深さは筆舌に尽くし難く、4:13からの急転直下を経て、コーダに至るまでは、もはや指揮芸術の極北と言うしかない凄さ!ピエール・デルヴォー、やはり不世出の大指揮者でした。【湧々堂】

TRE-068
若き日のマゼール/シューベルト&ブラームス
シューベルト:交響曲第2番
ブラームス:交響曲第3番*
ロリン・マゼール(指)BPO

録音:1962年3月、1959年1月* イエス・キリスト教会(共にステレオ)
※音源:独DGG SLPM-138790、独OPERA st-76845*
◎収録時間:61:46
“決して演出ではない、純粋な表現意欲の爆発!”
■製作メモ
ブラームスもDGG音源ですが、希少なOPERA盤を採用。本家DGG盤とは音のテイストが異なりますが、若きマゼールのアグレッシブな音作りを余すことなく再現していると思います。

★マゼールという指揮者は、「演出過剰」とか「頭が良すぎる」といったイメージが強過ぎ、巨匠としての円熟も広く認識されないまま亡くなってしまった感がどうしても拭えません。確かに、いわゆるスタンダードな演奏とはかけ離れていることが多く、頭脳が明晰だったことも事実でしょう。しかし、引出される音楽には止むに止まれぬ表現力が充満し、「嘘」がないということは、もっと認知されるべきではなかったでしょうか?特に、デビュー当時のマゼールは、知性よりも明らかに「やる気」が際立っており、この時代のこのスタイルが、生涯マゼールの芸の中核を成していたと思えてなりません。しかも、どんな曲でもやりたい放題ではないという、音楽センスの高さ!この2曲においても、それがはっきり表れています。
シューベルトの「第2番」は、先人のスタイルからまだ抜け出せていない習作とされますが、マゼールはその古典的なフォルムを最大の魅力と捉え、その上で声部間の対話にシューベルトらしい妙味を見出しており、もちろん鼻につく演出もありません。肝心なのは、それが自分を抑制するのではなく、そのスタイルこそが作品を輝かせる唯一の道だという強固な確信として迫ること。だからこそ、これだけ求心力の高い演奏が実現したのでしょう。
これがブラームスになると、打って変わって「一般的ではない」演奏を展開。この作品の穏健なだけではない多様性を続々と白日の下に晒します。第1楽章冒頭の、管楽器を突出させた搾り出すような情念にまずドッキリ。第2楽章6:52以降のフレージングは、深遠な憧れが究極の浸透力を持って流れ、涙を禁じえません。圧巻は終楽章。マゼール以前に、しかも天下のベルリン・フィル相手に、こんな推進力に富み、ドラマティックな演奏をした指揮者がいたでしょうか?
カラヤンのようなスタイリッシュで誇張のないアプローチが主流だっただけに、マゼールのような芸風が異端視されたのは当然だったかもしれませんが、21世紀以降は、王道名曲においてマゼールよりももっと独自色を打ち出した演奏が続々出現しているのは周知の事実です。今こそ予断を持たず、マゼールの向こう見ずな表現力を再認識していただければ幸いです。【湧々堂】

TRE-069(2CDR)
スワロフスキー/「運命」&「田園」
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」
ハンス・スワロフスキー(指)
ウィーン国立歌劇場O

録音:1950年代中頃(Disc1=擬似ステレオ、Disc2=モノラル)
※音源:仏VEGA B400
◎収録時間:75:50
“作為を用いず作品の真価を着実に引き出すスワロフスキーの至芸!”
■製作メモ
このコンビによるベートーヴェンはオリジナルは当然モノラルで、ワールド・レコード・クラブ等からも発売されています。この2曲もその一部ですが、ここではあえてVEGAの擬似ステレオ盤を用いました。わずかに残響を加えた程度の非常に自然なサウンドで、擬似ステレオにありがちな違和感を殆ど感じません。
※モノラル変換ヴァージョンをボーナス・ディスク(ディスク2)としてお付けすることといたしました。お好みでお選び下さい。

★スワロフスキーの芸風の多様性については以前にも触れましたが、この2曲のアプローチも対照的といえます。
「運命」は、遅めのテンポで一貫した重厚路線。中低域をガッチリと固め、作品の構築性を前面に出した古色蒼然としたニュアンスが、強い説得力をで迫ります。第1楽章最後の締めくくり方など、変に深刻ぶらず実直そのものですが、見事に調和した響きに宿る熱い魂がズシンと腹に響き、第2楽章では清潔で淀みのないフレージングに、芸の深さを痛感するばかり。終楽章も慌てず騒がず、安定感抜群。何も意図していないようでいで、対旋律の絡みなど、細部への采配に一切抜かりなし。小手先のダイナミズムに囚わない、聴き手の心に着実に根付くベートーヴェン。こういう演奏を「スタイルが古い」として一蹴するのは、あまりにももったいないことです。
更に素晴らしいのが「田園」!まさに時代を問わず説得力を持ち続ける名演です。第1楽章は、一筆書きのようなサラッとした筆致が清々しいうえに、ウィーンのオケの甘美さも手伝って、どのフレーズにも春風のような優しい息吹を感じさせます。憧れのニュアンスが温かな幻想味を持って迫る第2楽章は白眉!最後のカッコウのフレーズも、これ以上あり得ない素朴さですが、それが涙を誘うのです。終楽章も、昨今よく耳にする骨と皮だけのような響きで決して得られない、味わいの連続。透明な響きを目指すあまり、6/8拍子のリズムの感じ方がいかにも足りない演奏がいかに多いか、そのリズムを表出できるセンスこそが「嵐の後の感謝」を表すのに不可欠であるか、この演奏で痛感する方も多いことでしょう。そしてコーダでの、弱音器付きホルンの巧さ!「田園」ファン必聴!!【湧々堂】

TRE-070
ボールト/ヴォーン・ウィリアムズ:管弦楽曲集
バレエ音楽「老いたコール王」*
劇音楽「すずめばち」アリストファネス組曲*
グリーンスリーヴス幻想曲
タリスの主題による幻想曲
イギリス民謡組曲(ジェイコブ編)
エイドリアン・ボールト(指)LPO

録音:1953年9月
※音源:Westminster WL-5228*、WL-5270
(DEEP GROOVE RED LABEL RIAA high fidelity mono pressing)
◎収録時間:74:48
“ボールトのヴォーン・ウィリアムズ演奏の真髄!”
■製作メモ
いろいろ聴き比べましたが、結局このWL品番以上に腹に響く音が出る盤には出会えませんでした。日本のテイチクからもLPが出ていましたが、抜け殻のような音で論外。ただ、初期のウェストミンスター盤はプレスミスや、目視で確認できない傷が多く、結局それぞれ3枚購入する羽目に陥りましたが、その甲斐あってようやく納得行く復刻が出来ました。「タリスの主題による幻想曲」以外は、全てボールトの第1回録音。

★五音音階の風合いをふんだんに湛え、日本人の感性にピタリとはまる作品を集めました。ボールトは全ての曲を複数回録音していますが、ダントツで素晴らしいのがこの1953年盤。音の重量感、リズムの生命感、テンポのフィット感など、これ以上のものは考えられず、マンネリに陥らずにやる気をみなぎらせた演奏は、いつ聴いても新鮮な感動をもたらします。
中でも「イギリス民謡組曲」は、この後のウィーン国立歌劇場Oとのステレオ録音もウィーン情緒との相乗効果が絶妙な味を醸して見落とせませんが、最後のEMI録音は、終曲の最後のテンポ加速がどう考えても奇異。結局、全面的に英国的風格を湛えた本寸法の演奏はこの53年盤とういうことになります。「タリスの主題の幻想曲」は、セッション録音だけでも5種類も遺していますが、これは2度目の録音。弦のはち切れんばかりのハリツヤ、深々とした情感の広がりが心を揺さぶり続けます。
「老いたコール王」は、イギリスのおとぎ話に基づくバレエ曲。3人のヴァイオリン弾きのコンクールの様子を描いており、民謡“Dives and lazarus”などを散りばめた親しみやすい佳作。
モノラルながら音質も極めて鮮明。たとえヴォーン・ウィリアムズの音楽を聴いたことがない方でも、その魅力の虜になること間違いなしと確信します!【湧々堂】

TRE-071
ボールト/チャイコフスキー&プロコフィエフ
チャイコフスキー:イタリア奇想曲*
プロコフィエフ:組曲「キージェ中尉」**
チャイコフスキー:組曲第3番#
エイドリアン・ボールト(指)
LPO*、パリ音楽院O**,#

録音:1959年2月*、1955年6月**,#(全てステレオ)
※音源:米PERFECT PS-15001*、DECCA SPA-229**、LONDON CS-6140#
◎収録時間:71:26
“ボールトの虚飾なきアプローチとフランス流儀の麗しい化学反応!”
■製作メモ
ボールトは「イタリア奇想曲」を4回セッション録音しており、これは2回目のConcert Hallへの録音。ステレオ・バージョンは本家のC.H.S英国盤などで入手可能ですが、ここでは音のバランスが良い米PERFECT盤(コンサートホール録音のいつくかをライセンス発売していた)を使用。「キージェ中尉」は、ボールト唯一の録音。「組曲第3番」は、2種の録音のうちの最初の録音。米ステレオ初出盤を採用。

★ボールトは、多くのロシア音楽を録音していますが、「忘れられた名演」の代表格が、このステレオ最初期のチャイコフスキー「組曲第3番」。1974年の再録音盤の壮大な演奏も素晴らしいのですが、このパリ音楽院管という名器の魅力を最大に活用した55年盤の魅力は決して無視できません。この録音時、ボールトは既に60代半ばの円熟期に入っていましたが、リズムは冴え、進行にも淀みがなく、気力十分。その意気込みとパリ音楽院の持つ色彩力で、ステレオ最初期録音のハンデを超えて、最後まで一気に聴かせます。
「主題」の第2主題に込められた慈愛のなんという純粋さ!オケの甘美な響きがそれに輪をかけ可憐な表情を湛えます。第4変奏でヴァイオリンが主旋律を引き始める際の優しい擦り寄り方、第8変奏のフリギア旋法の鄙びた抒情、第19-20変奏のヴァイオリン・ソロ(ピエール・ネリーニ?)のとろけるような囁き!そして終曲の畳み掛けるような迫力と色彩放射の威力!
「イタリア奇想曲」も後年のよく練られた表現とは一味違い、どこか古風で端正な音楽作り。「キージェ中尉」は一見ぶっきらぼうなアプローチに見えて、そこから独特のユーモアが滲みます。特に第4曲「トロイカ」!テナーサックスの軽妙さに是非ご注目を!【湧々堂】

TRE-072
ジョージ・セル/エピック録音名盤集1
モーツァルト:ディヴェルティメント第2番K.131
シューベルト:交響曲第9番ハ長調「グレート」*
ジョージ・セル(指)
クリーヴランドO

録音:1963年4月20日、1957年11月1日* 共にステレオ
※音源:米EPIC BC-1273(Blue)、BC-1009(Gold STEREORAMA)*
◎収録時間:72:45
“CDでは伝わらないセルのパッションとスケール感!”
■製作メモ
EPICは米COLUMBIAの子会社CBSのレコード部門としてスタート。後にCBSは親会社のCOLUMBIAを買収し、米COLUMBIAとEPICは一つに統合されました。その間にEPICのマスターテープはコピーが繰り返されたことで音は生気を失い、ヒスノイズに覆われた音に変貌。その音でセル&クリーヴランド管(EPIC専属)の演奏は多くの音楽ファンに認識され、セルは「機械的で冷たい」というレッテルを貼られる要因ともなりました。
やがてCDが出現し、「ノイズの無さ」の恩恵を最も受けたのもセルの録音でした。多くの人がそのクリアな音を歓迎し、「遂にセルの全貌が明らかになった!」とまで言われたものです。すっかり音から血肉が抜き取られしまったことにも気づかず…。結局、セルのエピック録音は、エピック盤LPで聴くのが一番!その最大の実例が、シューベルトの「グレート」だと思います。CDを聴いて「セルらしい室内楽的な演奏」という印象しか得られなかった方は、その音の厚みとスケール感にきっと驚嘆されることでしょう。

★ホルンが大活躍する2曲を収録。セルはホルンの音色に執着し、全体のバランスの中核に据えていたことは数々の録音でも確認できますが、時にはそれが露骨なデフォルメと受け取れかねない場合もあります。しかし、この2曲は違います。その愛着は音楽する純粋な喜びと完全に調和し、曲の魅力を倍増させることだけに効力を発揮しています。
モーツァルトの「ディヴェルティメント」は、まさにその並々ならぬ共感の勝利!厳格な統制力が音楽を萎縮させることなく、音楽から自然な愉悦が湧き立ち、「セルのモーツァルト」の最大の名演と確信する逸品です。
シューベルトの「グレート」を初めてエピック盤で聴いた時の衝撃は、今でも忘れられません。CDでも透徹された音楽作りは伝わりますが、実際は、こんなにもスケールの大きな演奏だったのです!まず序奏のホルンの深々とした呼吸とその浸透力にびっくり。シューベルトに不可欠の歌が高次元に昇華された佇まいに、同曲最高峰の名演であることを早くも確信させます。1:38の入魂のティンパニを含め、この序奏部にこれほど多彩なドラマ性を注入した演奏も稀でしょう。第2楽章は、もちろん情に溺れはしませんが、セルならではの「高潔な歌心」を象徴するのが12:22以降!ガクッとテンポを落として再び悲しみに閉じこもるニュアンスは、何度聴いても涙を誘います。終楽章は、マシンガンのような高速テンポ!テンポが速ければ速いほど爽快に感じる音楽ではありますが、決して運動会の音楽ではありません。そこに強固な必然を感じさせ、せかせかせず、歌も貫徹している、そんな演奏が他にどれだけあるでしょう?オケの優秀さは言うまでもありませんが、それがメカニックに傾くことなく、セルによってシゴカれた痕跡も感じさせず、真に一丸となった推進力を発揮した奇跡の名演です。最晩年のEMI録音の方が一般的には高く評価されていますが、私にはその意味がどうも理解できません。【湧々堂】

TRE-073
スワロフスキーのベートーヴェン
ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番*
交響曲第8番ヘ長調Op.93
交響曲第2番ニ長調Op.36
ハンス・スワロフスキー(指)
ウィーン国立歌劇場O

録音:1950年代中期(全てモノラル)
※音源:W.R.C TW-108、ORBIS 21224*
◎収録時間:72:52
“スワロフスキーの指揮者としてのセンスを痛感する二大名演!”
■製作メモ
「第5」「第6」(TRE-069に収録)と同時期に収録されたと思われる、スワロフスキー&ウィーン国立歌劇場管のコンビのベートーヴェン。全9曲の録音は存在しないようです。

★スワロフスキーのベートーヴェンの交響曲の中で、「田園」と並んで素晴らしいのがこの「第2番」と「第8番」。スワロフスキーの指揮者としてのセンスを知る上でも絶対欠かせない逸品と言えましょう。
「第8番」は、けれん味のない実直な推進力が、作品の小粋な雰囲気を余すところなく再現。第1楽章の最後は、わずかにテンポを落として締めくくりますが、その余韻の美しいこと!これを念を押すように弾かれると、唐突なエンディングの効果が半減しかねませんが、そんな心配は無用です。
第2楽章は、ウィーンのオケのテイストを十分に生かした自然な微笑みが溢れますが、終楽章では、そのテイストが更に生き、ガチガチに作品の構築性を前面に立てた演奏では得られない、アンサンブルの微妙な軋みから生じるニュアンスが、ことごとく聴き手の心に迫ります。3:42から弦がヒュンヒュンと上ずるように唸る瞬間など、奏者の心のときめきが抑えきれずに噴出したかのよう。この演奏の入魂ぶりを象徴しています。
この曲の“クレイジーさ”を強調するのではなく、従来のほのぼの路線の演奏を求めようとすると、安全運転に徹した演奏にしか出会えないとお嘆きの方に是非オススメ!
更に感動的なのが「第2番」。ベートーヴェンが「英雄」以前に独自のスタイルを完全に確立していたことを実証るかのようなアグレッシブな表現が見事に結実しています。特に第1楽章の内面から吹き出るパッションに触れれば、同曲の屈指の名演であることを実感していただけるはず。展開部など、単に燃えているだけでなく、ニュアンスが極限まで結晶化しているのです。
それだけに、続く第2楽章のシルキーなフレージングが、これまた心に染みます。これこそまさに綺麗事ではない美しさ。3:26からの弦の下降音型の弾ませ方も、お聴き逃しなく!少しも媚びずに自然な微笑が零れる演奏を他に知りません。スワロフスキー、恐るべし!【湧々堂】

TRE-074
カール・ベーム〜2人のシュトラウス
R・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」*
 交響詩「ドン・ファン」*
J・シュトラウス:皇帝円舞曲
 ペルシャ行進曲
 ピチカート・ポルカ(ヨーゼフとの合作)
 常動曲/トリッチ・トラッチ・ポルカ
 ワルツ「美しく青きドナウ」
 「こうもり」序曲
J・シュトラウスT:ラデツキー行進曲
カール・ベーム(指)
ベルリンRSO*、BPO

録音:1950年3月25日ベルリン*、1954年2月11日ウィーン(全てモノラル・ライヴ)
※音源:RVC RCL-3316*、RCL-3314
◎収録時間:72:34
“ベームの本性を出しきったJ・シュトラウスの無類の楽しさ!”
■製作メモ
1984年に発売された、日本のRVC盤から復刻。「皇帝円舞曲」の冒頭は、微妙に音が欠落していますが、マスターの起因するものと思われます。

★ベームは「ライヴで燃える」とよく言われます。他にもライヴで燃える指揮者はたくさんいる中で、ベームの燃え方に独特な点があるとすれば、厳格な音楽作りを目指そうとする意地が露骨な感情となって発散される点ではないでしょうか。
R・シュトラウスでは、その意地が一切の遊びを寄せ付けず、内的な凝縮力として作用。当然ながら味わいは相当辛口ですが、その説得力は絶大です。
一方、ベルリン・フィルとのJ・シュトラウスでは、その意地が外に向かって放射されますが、見逃せないのは、演奏会場がウィーンだということ。ウィンナ・ワルツの本場で、堂々とベルリン・スタイルを押し通しているのです。「これが俺達のスタイル!」という意地の丸出しぶりに、ウィーンの聴衆は反感を示すどころか大喜び!その雰囲気に後押しされ、一層スリリングな楽しさが膨らむのです。しかも、ベームはウィーン出身にもかかわらず、ウィーン・フィルとのセッション録音もライヴ録音もよそ行き感が否めなかったのに対し、このベルリン・スタイルのハマリ方はどうでしょう!ベームが遺したJ・シュトラウス録音の最高傑作です。中でも強調したいのは、ベーム唯一の「ペルシャ行進曲」!前のめりなほどの推進力に鳥肌必至!「ピチカート・ポルカ」は、鋼のような強靭さを基調としながら、細部のニュアンスは恐ろしく緻密。「トリッチ・トラッチ・ポルカ」は、AからBへの移行で打楽器が入る大迫力。リズムの停滞などあり得ず、50年代のベームは本当に凄かったと痛感するばかりです。最後の「ラデツキー行進曲」も、もちろん序奏後に大太鼓の一撃あり。この演奏を聴いても心躍らない人は、音楽にいったい何を求めるのでしょうか?【湧々堂】

TRE-075
ライトナー〜モーツァルト:交響曲集
モーツァルト:交響曲第31番「パリ」*
交響曲第36番「リンツ」K.4253#
交響曲第39番変ホ長調K.543
フェルディナント・ライトナー(指)
バイエルンRSO*,#、バンベルクSO

録音:1959年4月12-13日*、1959年4月11-12日#、1962年11月(全てステレオ)
※音源:独DGG SLPM-138046*,#、独PARNASS 61414
◎収録時間:70:44
“策を弄せず、作品側からの発信を受け止めるライトナー度量!”
■製作メモ
ライトナーのステレオでのセッション録音によるモーツァルトの交響曲、全3曲を収録。「39番」はオイロディスク原盤。

★ライトナーといえば、誰もが「渋い」というイメージを持たれると思います。確かに、その極めて堅実なアプーロチにブレはないものの、結果的に地味な印象しか残らないこともあるかもしれません。しかし、このモーツァルトはそれだけにとどまらず、自身の解釈を表に出すまいとする矜持が、音楽的な感動に直結していることをひしひしと感じます。作品自体の魅力が破格であるせいもあるでしょう。ただこの3曲では、作品の側から演奏者の真摯な姿勢に対して積極的に協力しているような印象さえ覚えるのです。
「パリ」は、「ハフナー」以降の有名曲の影に隠れがちですが、その素晴らしさに改めて覚醒!モーツァルトの天才的な閃きが満載なだけに、その愉しさを強調しようとすると、作品の方からそっぽを向かれるに違いない…、ライトナーの指揮でそんな思いが頭をよぎります。第1楽章の第1音が鳴り出した途端、その結晶度の高さに只ならぬ名演であることを確信。展開部では、各パートが緻密に連携しながら豊かな楽想が泉のように湧き出ます。第2楽章もわざとらしい語り掛けなど無縁で、ここでも奏者の自発性というより、作品自体の発言力を優しく受け止めるゆとりが至福の空気を醸成。
「リンツ」では、大編成によるモーツァルトの醍醐味を堪能。そこには古めかしさなど少しもなく、無我の境地を貫いたフレージングによって音楽が伸び伸びと飛翔します。特に、第2楽章は過去に知り得た演奏のベスト!0:18からの弦のフレーズにホルンがユニゾンでそっと寄り添う風情など格別です。終楽章では、大きな編成が過剰な重みと厚みに傾かず、軽やかに弾むリズム感を過不足なく表出。徹底して楷書風なのに、面白味に欠けることがないというのは、ライトナーがモーツァルトのエッセンスを真に熟知している証しでしょう。それにしても、今も昔も変わらぬバイエルン放送響の巧味にも唖然とするばかり。
「第39番」のオケはバンベルク響ですが、バイエルンよりも更に古風な音色が、この祝典的な作品に独特の深みを与えている点にご注目を。【湧々堂】
バルワーザー
TRE-076
バルワーザー〜バッハ&モーツァルト
バッハ:管弦楽組曲第2番BWV.1067*
モーツァルト:アンダンテ.ハ長調K.315#
 フルート協奏曲第1番ト長調K.313
 フルート協奏曲第2番ニ長調K.314
フーベルト・バルワーザー(Fl)
エドゥアルト・ファン・ベイヌム(指)アムステルダム・コンセルトヘボウO*
ベルンハルト・パウムガルトナー(指)ウィーンSO#
ジョン・プリッチャード(指)ウィーンSO

録音:1955年5月31日-6月9日*、1954年2月21-22日#、1953年2月28-29日(全てモノラル)
※音源:仏PHILIPS 700064-700055*、仏FONTANA 698094FL
◎収録時間:69:07
“音色美だけではない!愛で語るバルワーザーのフルートの魅力!”
■製作メモ
ベイヌム指揮による管弦楽組曲は、TRE-004と併せ、これで全4曲が揃います。バルワーザーはモーツァルトの2つのフルート協奏曲を3回録音しており、これはメンゲルベルクとの共演盤に続く2度目の録音。表紙のジャケは、イギリス盤。

★バルワーザーは、1937年から1971までアムステルダム・コンセルトヘボウ管の主席を務めた名手。木製フルートを愛用していたことでも知られ、バッハではその音色の魅力を十分に生かした味わい深い妙技を聴かせます。ベイヌムが敷き詰める気品溢れる空気の中、ソロとして目立つことなく、美しい一体感を形成。「ポロネーズ」など、意識して聴かなければ存在に気づかないほどの立ち位置を守りぬき、かくも香り高い演奏となったのです。終曲の技巧のひけらかしなど欠片も見せない無垢な音楽には、何度聴いても涙を禁じえません。その余韻を抱えたまま、いきなり協奏曲ヘは進めませんので、次にあえてモーツァルトの「アンダンテ」を置きましたが、これがまた夢のような名演!これほどモーツァルトの哀愁と憧れ、希望の光に包まれた演奏を他に知りません。パウムガルトナーの指揮もいちいちツボにはまり、泣かせます。
協奏曲では、バルワーザーが、決して田舎風の鄙びた音楽を志向していたのではないことが分かります。音色はもちろん金属臭とは無線の温かみに溢れていますが、第1番第1楽章展開部やカデンツァのように、機敏なレスポンスによって現代的な洗練美も生命感も自然に引出されています。バルワーザーの導き出す音楽は、音色が温かいだけでなく、音楽の接し方そのものが嘘のない慈愛の表れなのです。こちらの指揮はプリッチャード。後年になるほど地味なスタイルへ移った印象が強い指揮者ですが、ここではそつのない伴奏にとどまらず、作品の生き生きとした持ち味を積極的に引き出し、絶妙な効果を上げています。【湧々堂】

TRE-077
ヨハネセン〜ベートーヴェン:ピアノ曲集
ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」
ピアノ・ソナタ第31番Op.110
ピアノ協奏曲第3番ハ短調*
グラント・ヨハネセン(P)
ワルター・ゲール(指)オランダPO

録音:1950年代初頭、1955年頃*(全てモノラル)
※音源:独Concert Hall MMS-52、MMS-25*
◎収録時間:66:58
“知的な制御の奥底に潜む豊かな情感!”
■製作メモ
2枚の10インチ・ドイツ盤から復刻。

★ヨハネセン(1921-2005)はアメリカ出身。フランス近代ピアノ作品の普及に努め、中でもそれまであまり注目されなかったフォーレのピアノ作品全集を完成させたことで知られます。そのピアニズムは、一見知的でクールですが、決して無機質なものではありません。
ピアノ協奏曲では、一切飾り気はなく、ルバートを抑えた清潔この上ない音楽を展開 。それだけに、第1楽章のカデンツァの華麗さは、鮮烈な 印象を与えます。 タッチと造形の美しさが際立つのが第2楽章。その美しさを誇張する素振りを見せず に音楽を漂わせる姿勢は、拍節に克明な隈取を加えるドイツ流儀とは異なるので、感覚的に淡白に響くかもしれませんが、曲が進むうちに、そこには常に気品が宿り、心 の奥で音楽を育んでいることが感じられることでしょう。
そんなヨハネセンのピアニズムが見事に結晶化した演奏として特筆したいのが、「31番」のソナタ。この作品の洗練された筆致に宿る浄化された精神と静かな叙情を導き出すのに、これみよがしな威厳など不要だということをヨハネセンの澄み切ったフレージングで思い知らされます。 第1楽章第2主題(1:57〜)における左右声部のレガートは、深みとか味わいという概念を超えて、ベートーヴェンの解脱の境地のみが伝わります。そして、終楽章の最後のフーガ!緻密な構築のみに気を取られていたら、こんな絶妙な間合いから余剰が滲む音楽など築けるはずがありません。
一般的に「知的」とイメージされた演奏は、「情感に乏しい」と誤解されがちで、その代表格がギーゼキングではないでしょうか。そのドビュッシーは評価しても、モーツァルトを全く評価しない評論家もいますが、その人は奥底に潜む真摯な共感に気付いていないのでしょう。ヨハネセンの演奏もぜひじっくり傾聴して、是非その中身を感じ取っていたくことを願ってやみません。 【湧々堂】

TRE-078
ル・コント〜フランス管弦楽曲集
アダン
:歌劇「我もし王なりせば」序曲
シャブリエ:歌劇「いやいやながらの王様」〜ポーランドの祭り
 気まぐれなブーレ/狂詩曲「スペイン」
 楽しい行進曲
ドビュッシー:交響詩「海」*
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ*
 「ダフニスとクロエ」第2組曲*
ピエール=ミッシェル・ル・コント(指)
パリ・オペラ座O(パリ国立歌歌劇場O)

録音:1965年頃、1964年10月*(全てステレオ)
※音源:米QUARANTE-CINQ 45001、日Concert Hall SMS-2119*
◎収録時間:76:07
“ミュンシュ以上の瑞々したを湛えたル・コントの快演!”
製作メモ
ル・コントも、コンサートホール・レーベルの看板指揮者の一人。ほぼ全ての録音にステレオ・バージョンが存在するはずですが、シューリヒトのような国際的な大物ではないせいか、ドイツやスイスでのステレオ盤は見かけず、フランス盤か日本盤に頼るしかありません。ただ今回のアダンとシャブリエは、音が最も冴えているQUARANTE-CINQの45回転盤を使用(オケ名がパドゥルー管と記載されていますが、ここではコンサートホール盤の記載に従いました)。シャブリエは、仏コンサートホールのフランス管弦楽曲集(SMS-2911)にも収録されていますが、なぜか、シャブリエだけがモノラルという珍現象が起きていました。ドビュッシーとラヴェルは、フランス盤さえ見かけません。ただ、この日本盤は初期のものと異なり、日本コロンビア・プレスのようで、定位が安定しており、演奏の魅力を存分に伝えています。

★ピエール=ミッシェル・ル・コント(1921-2000)は、フランスのルーアン出身。パリ音楽院で学び、指揮はルイ・フレスティエに師事。コンサート・ホールには、「カルメン」「ホフマン物語」などのオペラを含むフランス音楽を中心に多くの録音を遺しました。ル・コントの最大の魅力は、何といってもダイナミックな音楽作り。30歳年長のミュンシュをもっと清々しくした感じとでも言いましょうか。
「気まぐれなブーレ」では、勢いのある音運びに加え、フレーズを自在に伸縮センスが遺憾なく発揮され、狂詩曲「スペイン」は、わずかなリズムの跳ね上げにも華やいだ色彩が満ち、スペインを飛び越えてパリの賑わいを連想させます。「楽しい行進曲」は、フランス風色彩の玉手箱!デルヴォー盤(TRE-047)と双璧の名演で、これほど全身で愉しさを満喫した演奏を他に知りません。
更にル・コントの実力を思い知るのがドビュッシーとラヴェル。これがメジャーレーベルへの録音だったら、ミュンシュ以上に評価されたに違いありません。とにかく、人間的な息遣いを揺るぎない造形力で統合する能力が尋常ではありません。「海」の第1曲3:05からの神秘に満ちた音の浸透力だけでも只ならぬセンスを感じますが、その後も、ドビュッシーが選択した和声の意味、楽器の意味がビリビリ伝わるような確信的な音作りに驚くばかりです。第1曲最後の“真昼の光の輝き”(7:50〜)は、何度聴いいても鳥肌モノ!第2曲は、楽想の切り返しがあまりにも俊敏にして的確。まさに波の戯れに引きずり込まれます。「亡き王女〜」は、この曲が葬送音楽ではないこと再認識。ホルン・ソロはもちろんヴィブラートたっぷりですが、少しも違和感じ感じさせず、微かな明るさを宿した曲想に独特のエレガンスを与えています。【湧々堂】

TRE-079
ル・コント〜ラロ&ベルリオーズ
ラロ
:歌劇「イスの王様」序曲
ベルリオーズ:「ベンヴェート・チェルリーニ」序曲#
 「ファウストの劫罰」#〜ラコッツィ行進曲/妖精の踊り
 幻想交響曲Op.14*
ピエール=ミッシェル・ル・コント(指)
コンセール・ド・パリO
フランクフルトRSO#
パリ・オペラ座O(パリ国立歌歌劇場O)*

録音:1950年代中頃(ステレオ)
※音源:仏Convert Hall SMS-2911、仏Prestige de la Musique SR-9648*
◎収録時間:77:10
“ラロの管弦楽法の凄さを体当たりで表現した奇跡的名演!”
■製作メモ
「幻想交響曲」のステレオ・ヴァージョンは、このフランス盤(60年代末)と、日本盤、米盤(ライセンス盤)でしか聴けない模様。日本盤と比較しましたが、コンサート・ホール特有の音ながら、明瞭度で優っているのは仏盤でした。ジャケは、Musical Masterpiece Society盤。

収録曲の中で最も強調したい名演は、1曲目の「イスの王様」。とにかく、異常なまでのハイテンションぶりですが、ただ燃焼ではなく、この作品のドラマティックな側面、輝かしい色彩をこれほど体を張って表現し尽くした演奏は、他にあり得ないでしょう。主題再現直前の金管の咆哮は、その熱さと眩さにクラクラするほど。その後、チェロのソロを取り巻く深淵な空気感を経て、終結へ向けて緊張感は増幅し続け、コーダでは一糸乱れぬアンサンブルを貫徹しながらアドレナリンの全てを大噴射!これはスタジオ録音としては奇跡的な現象ではないでしょうか?おまけに、音質のバランスも頗る良好!
この奇跡的熱演と比べると、「幻想交響曲」はかなり穏健な演奏に聞こえてしまうかもしれませんが、
聴き手の度肝を抜くような仕掛けなど用いず、ベルリオーズの管弦楽法の筆致を丁寧に抽出した演奏は、決して凡百なものではありません。テンポも全編を通じて中庸と言えますが、第1楽章展開部以降の物々しさを排した推進力が瑞々しいかぎり。決してドロドロ劇に陥らず、ベルリオーズのピュアな心情を映すようなアプローチは、最後の2楽章で一層顕著となり、特に終楽章は悪魔の高笑いと言うより、その先の希望を確信した健康的な進行が新鮮に響きます。【湧々堂】


TRE-080
アニー・フィッシャー/モスクワ・ライヴ集
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番K.330
シューベルト:即興曲Op.142-3
ショパン:バラード第1番
シューベルト:即興曲Op.142-1*
リスト:3つの演奏会用練習曲〜ため息**
コダーイ:セーケイの嘆き歌#
リスト:ハンガリー狂詩曲第14番*
バルトーク:2つのルーマニア舞曲Op.8a〜第1曲**
 アレグロ・バルバロ##
アニー・フィッシャー(P)

録音:1949年7月16日、1951年4月8日*、1951年4月11日**、1951年4月12日#(以上,モスクワ音楽院大ホール)、1955年(会場不明)##
※音源:MELODIYA M10-44183-6
◎収録時間:65:15
“ロシア・ピアニズムの聖地で叩きつけた自らの信念!!”
■製作メモ
2枚組のLPから、1966年と1970年録音、シューマンの協奏曲以外の全てを収録。大変聴きやすい音質です。

★A・フィッシャのEMIのスタジオ録音を聴いてもあまりピンと来ないという方にぜひお聴きいただきたい、インパクト絶大な名演奏です。
ハンガリーは名ピアニストの宝庫ですが、そこからロシア・ピアニズムの聖地へ乗り込んでの演奏は、ライヴ特有の熱気のみならず、自身の確固たるピアニズムを携えての挑戦状のように強烈な主張が漲っています。特に、ソ連にはリスト弾きと呼ばれるピアニストが多く存在することを意識してか、「ハンガリー狂詩曲」は、芸術的格調よりも魂よ!と言わんばかりの凄まじさ。モーツァルトの第2楽章やシューベルトは、楚々とした雰囲気を湛えつつも、喋りかけるような呼吸の妙とフレージングの求心力の高さに惹き込まれます。
これらの録音では、フィッシャーの表現の力の幅広さも再認識させられます。モーツァルト、シューベルトを弾いたピアニストと、後半のコダーイ、バルトークを弾くピアニストが同じ人間だとはにわかに信じ難いほどです。特にバルトークでは、自らの血の全て捧げ、非情なまでのダイナミズムを放射。決してキラキラしたドレスを着て弾く曲ではないということを世の多くの女流ピアニストに認識していただきたいものです。
「女流○○」という呼び方は、歌手ならともかく、器楽奏者に使うのは本来おかしな話です。バッカウアー、L・クラウス、そしてこのA・フィッシャー等、性別など無関係に曲の本質を抉る姿勢に触れるたびにそう思います。【湧々堂】

TRE-081
カール・エンゲル〜モーツァルト:ピアノ協奏曲集
モーツァルト:ピアノ協奏曲第18番
 ピアノ協奏曲第25番(カデンツァ:K.エンゲル)
シューマン:子供の情景〜トロイメライ*
カール・エンゲル(P)
フェリックス・プロハスカ(指)
バイエルンRSO

録音:1963年、1963年頃*(全てステレオ)
※音源:独ELECTROLA STE-91-261、日KING RECORD SH-5043*
◎収録時間:62:35
“モーツァルトの真心を伝える絶妙なタッチ!”
■製作メモ
モーツァルトの独エレクトローラのステレオ盤は極めて入手困難。シューマンはARIORA原盤。本来は全曲を収録したかったのですが、盤の傷みが目立つため、ここではギリギリ復刻の許容範囲内の「トロイメライ」をアンコール代わりに収録。国内初出盤の音の瑞々しさは、お分かりいただけると思います。

★一貫して自然体を貫きながら、タッチへの配慮、均整の取れた造形への心配りも欠かさないエンゲルのピアニズムは、モーツァルトの音楽の純粋さを引き出すのに不可欠だということを強く確信させる名演です。
「第18番」第1楽章展開部で見せる、全身で幸福を感じたリズムの躍動にも誇張は一切なし。第2楽章でハッとさせられるのが、悲しみと幸わせを絶妙にブレンドしたニュアンスを引き出す、プロイはスカの指揮。そのテイストを引き継いで滑りこむエンゲルのソロがこれまた絶品!珠のようなタッチの魅力だけでなく、音符の奥底まで育み尽くしたが手に取るように分かり、中でも3:14からのアルペジオ風の変奏の、純粋な共感を反映美しさは、忘れられません。
「第25番」は、セル&フライシャーによる高度な凝縮力を誇る名演とは対照的。エンゲルもプロハスカも、モーツァルトの純朴な息吹を大切にした温かみのある演奏を目指しており、それが見事に結実。ぬるま湯的な演奏になりかねないスタイルですが、第2楽章に象徴されるように、音の吟味と慈しみの深さによって少しも音楽が停滞せずに聴き手の心に染み入るのです。エンゲル自作のカデンツァも聴き物で、意外なほどの華麗さが印象的。
先鋭的なモーツァルトが一般的になりつつある昨今ですが、一切の理論武装とは無縁の真の共感力に勝るものはないと、改めて再認識させられるばかりです。【湧々堂】

TRE-082
エドゥアルド・デル・プエヨ〜フランク&ベートーヴェン
フランク:前奏曲,コラールとフーガ*
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第26番「告別」
 ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィア」
エドゥアルド・デル・プエヨ(P)

録音:1959年10月3-5日アムステルダム・バッハザール*、1958年5月7-15日アムステルダム・コンセルトヘボウ小ホール(共にモノラル)
※音源:蘭fontana 698-042CL*、英fontana CFL-1037
◎収録時間:79:29
“タッチの色彩力と直感的な構成掌握力の非凡さ!”
■音源につい
プエヨがPHILIPSに遺した録音には、他にバッハ、グラナドスもありますが、全てが聴き逃せない名演ばかり。極めて良質なモノラル録音。

★エドゥアルド・デル・プエヨ(1905-1986)は、スペイン出身。ブリュッセル王立音楽院、エリザベート王妃音楽大学などで後進の指導に当たりましたが、録音はごく少数。ベートーヴェンの権威として知られ、後にはユニークなアゴーギクを盛り込んだ全集も完成していますが、このプエヨ50代のフィリップス録音では、作品の造型美を堅固に守りながら、闊達な打鍵と意志の力で圧倒的なスケールの音楽を展開。特にフォルティッシモでも音の芯がぶれない打鍵の訴求力は、尋常ではありません。
「告別」の第1楽章序奏で、早速その意志の強さと、独特の色艶を持つ音色に魅了されます。主部第1主題は、ペダルを排して果敢に推進。しかも、何という呼吸の深さ!打鍵ごとの音価が自在に伸縮するフレージングは、これみよがしのルバートとは一線を画します。第2楽章でも、痩せたピアニッシモなどお呼びではなく、色香を濃厚に湛えながら深い瞑想感を表出。終楽章は、淀みのないリズムの切れをもって生命力を一途に放射します。
「ハンマークラヴィア」は、更に絶品!頭で音楽を構築している痕跡を感じさせない自然発火的な熱と推進力には、ベートーヴェンはこうでなければ!という強い信念が漲っているので、その求心力は破格!展開部のフガートが高揚するたびに、フレーズの間合いそのものにもニュアンスが充満していく様をお聴き逃しなく。第2楽章は、割れない強打鍵の魅力が全開。第3楽章は、主題の暗い瞑想に束の間の光が差し込む瞬間(0:57付近など)のコントラストがこれほど鮮烈な演奏も珍しいでしょう。まさに色彩への鋭敏なセンスの賜物です。そして、圧巻は終楽章!恐ろしく高度な構造を誇るこの楽章を取り零しのないよう音化することに終止するピアニストが多い中、プエヨの演奏は、その構築する過程そのものが音楽的なニュアンスを伴っているので、迫り来る情報量はあまりにも膨大!是非、それを受け止めきれるだけの心のスペースを確保した上で、お聴き下さい。【湧々堂】

The 40th memorial of FRANZ ANDRE
《フランツ・アンドレ没後40年記念/ステレオ名演集》
Franz Andreフランツ・アンドレ(1893-1975)は、ベルギーの指揮者。ブリュッセル音楽院で最初はヴァイオリンを専攻し、1912年にコンクールで優勝したほどの腕前でしたが、早くから指揮にも興味を示し、ベルリン留学時にはワインガルトナーに師事。1923年にベルギーに放送局が設立された折、そのオーケストラの第2指揮者に抜擢され、1935年にはベルギー国立放送交響楽団を設立。1958年まで。その初代首席指揮者を務めました。このオケは、ベルギー放送フィル、フランダース放送管と変遷し、現在のブリュッセル・フィルに至ります。
アンドレの魅力は、何といっても音楽の楽しさをストレートに伝える点でしょう。序曲のような小品はもちろんのこと、交響曲のような大曲でも冷たいアカデミズムや小賢しさとは無縁の華があり、オケを気持よく乗せながら自然に牽引する親分肌は、さながら「ベルギーのビーチャム」と言えましょう。戦前から独テレフンケンと録音契約を結び、ステレオ初期まで有名曲を中心に多くの録音を残しましたが、日本では小品専門の指揮者という認識しかされていません。この機会に、その懐の大きな音楽作りを是非ご堪能頂きたいと思います。

TRE-084
フランツ・アンドレ〜イタリア紀行
ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」*
チャイコフスキー:イタリア奇想曲#
レスピーギ:「交響詩「ローマの噴水」
 交響詩「ローマの松」
フランツ・アンドレ(指)ベルギー国立RSO

録音:1956年7月15日*、1950年代中期#、1950年代後期 (全てステレオ)
※音源:独TELEFUNKEN SLT-43014*、STW-30006#、英TELEFUNKEN SMA-4
◎収録時間:61:31
“思わず仰け反る、「ローマの松」終曲の脅威的な音の膨張力!”
■製作メモ
「イタリア奇想曲」は1952年のモノラル録音も存在しますが、こちらは後年のステレオ再録音。テレフンケンの録音は、原則的にドイツ盤を使用していますが、レスピーギに関しては、歪みの少なさから英国盤を採用。特に「ローマの松」最後のクライマックスは、レコード内周にもかかわらずほとんど音がビリつかず、圧倒的な力感を伝えているのは当時としては驚異的と言えましょう。ジャケは、レスピーギの米盤。

★深刻ぶらず、堂々と確信的な解釈を遂行するアンドレにとって、太陽の光を一杯に浴びたイタリアをイメージした作品はまさに打ってつけ。
まず、「イタリア奇想曲」での芸の細やかさにびっくり!前回のモノラル録音はごくオーソドックスな演奏に終始していましたが、ここではちょっとしたフレーズの間合い、アクセントに並々ならぬ共感が浸透し、実に有機的な流れを形成しています。イタリア民謡の主題(4:26〜)における憧れに満ちたアゴーギクは類例なし!5:53からの弦の下降音型を急降下させることで、滑らかなフレージングを実現し、6:23からは少しテンポを落として、ピチカートを生かす配慮を見せたかと思うと、第2部冒頭(7:32)では、アクセントを配して粋に推進。こんな小技をあざとさを感じさせずサラッとやってのけるのが、アンドレの魅力の一つ。第2部主題(8:05)が始まると、そのアクセント・マジックは更に効力を発揮!しかも、ゆったりとしたテンポで一貫し、絶妙なアゴーギクも徹底されているので、一音ごとに込めた愛の伝わり方が尋常ではないのです。この部分で一気に鳥肌が立ったのは、後にも先にもこの演奏だけ。
そして、これまた絶大な魅力を誇るレスピーギ。間違いなくステレオ初期を代表する名演で、アンドレの色彩パレットの豊富さを徹底的に思い知らされます。「ローマの噴水」第2曲“トリトンの噴水”の、全く気負いを見せずに噴射する音彩と、心からウキウキ弾むリズムの威力には唖然とするばかりで、終曲での音の余韻を更に育むような風情も、心に染み入ります。
「ローマの松」は、その色彩力に加え、独自のダイナミズムを徹底披露!第2曲“カタコンブ”は元々荘厳に響くように書かれているわけですが、それを重苦しい宗教音楽風にしないのが、アンドレらしいところ。そして、仰天の終曲“アッピア街道”。単なる音量増大ではなく、とんでもない膨張力!もう、興奮の坩堝です!!【湧々堂】

TRE-085
フランツ・アンドレ〜“ラプソディ”
エネスコ:ルーマニア狂詩曲第1番**
アウフスト・ドゥ・ブーク:ダホメー狂詩曲*
リスト:ハンガリー狂詩曲第1番(ドップラー編)#
 ハンガー狂詩曲第2番(ミュラー=ベルクハウス編)#
 ハンガー狂詩曲第3番(H・オットー編)
 ハンガー狂詩曲第6番(ドップラー編)
 交響詩「前奏曲」
フランツ・アンドレ(指)ベルギー国立RSO
ソーニャ・アンシュッツ(P)#

録音:1958年4月2-7日*、1959年7月、1950年代後半**(全てステレオ)
※音源:独TELEFUNKEN SLB-12001*、SBT-467、英TELEFUNKEN SMA-14**
◎収録時間:67:47
“管弦楽版ハンガリー狂詩曲の突き抜けた楽しさ、豪快さ!”
■製作メモ
リストの作品を収めたドイツ盤SBT-467は黒金盤。同じ番号で他のプレスも存在しますが、特に「第3番」の弦の細かい動きを最も克明に捉えており、豪快なアンドレのアプローチに相応しい野太いサウンドを体感できるのもこの盤です。交響詩「前奏曲」、「ハンガリー狂詩曲第2番」は1950年代初頭のモノラル録音も存在しますが、こちらは後年のステレオ録音。

★ベルギー国民楽派の一人、アウフスト・ドゥ・ブーク(1865-1937)の「ダホメー狂詩曲」は、まさにお国もの。5分程の楽しい佳曲で、「ルーマニア狂詩曲」も含め、作品の持ち味をそのまま生かしたストレートの表現が清々しい風を運びます。これがリストとなると、アンドレの独特の色彩感覚が更に全面開花。まず、編曲が風変わりで、「1番」「2番」は、よく聴かれるドップラー、ミュラー=ベルクハウス版をベースにしながら、ピアノ・ソロが随所に顔を出すアレンジ。「第3番」と「第6番」はピアノの入らないヴァージョンですが、これが凄いのなんの!特に「第3番」終結部の猛加速は鳥肌必至!思い切りの良いダイナミズムと、あざとい説明調に傾かずに音楽の勢いをダイレクトにぶつけるアンドレならではの手腕に脱帽です。それに、ベルギー国立放送響の巧さ!他の演奏でもそのセンスと技量は十分認識できますが、ここでの一糸乱れぬアンサンブルの凝縮ぶりには、誰もが舌を巻かざるを得ないでしょう。
「前奏曲」は、当然ながら狂詩曲とは異なる堅実なアプローチに徹していますが、細部に拘泥せず、しかし勘所は決して外さず、大きな懐で全体を捉える風格美に、生きる勇気を感じ取る方も多いことでしょう。【湧々堂】

TRE-086
フランツ・アンドレ〜バレエ音楽集
ポンキエッリ:「ラ・ジョコンダ」〜時の踊り
ドリーブ:「シルヴィア」*〜前奏曲&狩りの女神/間奏曲&緩やかなワルツ(第1幕)/ピチカート(第3幕)/バッカスの行列(第3幕)
 「コッペリア」**〜前奏曲&マズルカ/ワルツ(第1幕)/人形のワルツ(第2幕)/チャルダッシュ(第1幕)
チャイコフスキー:「くるみ割り人形」組曲#
ラヴェル:ボレロ##
フランツ・アンドレ(指)ベルギー国立RSO

録音:1957年4月16日*、1957年4月17日**、1955年10月23日#、1958年4月2-7日##(全てステレオ)
※音源:独TELEFUNKEN ATW-30227、NT-540*,**、NT-200#、SLB-12001##
◎収録時間:75:37
“濃厚な色彩で雰囲気を倍増させた「くるみ割り人形」の素晴らしさ!”
■製作メモ
全てドイツ盤を採用。テレフンケンは、やはり独盤に限ります。最も入手しやすいのは米盤ですが、プレスが荒いだけでなく、明らかに音が軽くなる傾向があるようです。

★かつて、「台詞は歌うように、音楽はしゃべるように…」と言った俳優がいましたが、「時の踊り」前半は、まさにその実例。人間臭い語り口が絶妙で、各フレーズに対して確固たるイメージを持って接しているので漫然と音楽が流れることがなく、また後半では、速いテンポの曲に、痛快さだけでなく独特の熱気も必ず宿らせるアンドレの特質が十分に生かされた名演となっています。
ドリーブも、バレエの情景の忠実な再現よりも、男性的な推進力とダイナミズムで魅了。「シルヴィア」〜“狩りの女神”のティンパニのドスの利いた打ち込み、「コッペリア」〜“マズルカ”や“バッカスの行列”の全身で躍動する迫真のリズムの牽引力にイチコロ。アンドレの音楽作りに、表面的な上品さなど、お呼びではありません!
最大の目玉は、「くるみ割り人形」!表情の隈取が全て克明で、一般的なメルヘンの概念を超えた大パノラマを現出するこの演奏は、少なくとも組曲版では最高峰に位置する名演と確信しています。その魅力の一つが、テンポ設定と音楽の持つニュアンスが完全に一体化している点。“行進曲”は、やや遅めに設定することでリズムの踏み込みが強まり、喋りかけるような表情が濃厚に浮き立ち、続く“金平糖の踊り”は通常よりも速く、可憐なウィットがはっきりと際立ちます。“中国の踊り”に至っては、史上最低速クラスで、いやが上にも非洗練の妙味が強調されます。特筆すべきもう一つの魅力は、独特の色彩センス。“金平糖”でも弱音を基調として囁くような一般的な演奏とは異なる油絵タッチに強者ぶりが発揮されていますが、その色彩力で更にドッキリするのが、“アラビアの踊り”。弱音で「チ.チ.チ.チ.チ」と合いの手を打つ打楽器が、なんと別物に変更!その瞬間、グルジア民謡をベースとしたこの曲のエキゾチシズムが一気に倍増するのです!何の楽器かは、聴いてのお楽しみ!【湧々堂】

TRE-087
フランツ・アンドレ〜序曲・間奏曲集
スッペ:「軽騎兵」序曲/「詩人と農夫」序曲
オッフェンバック:「天国と地獄」序曲
フランツ・シュミット:「ノートル・ダム」間奏曲+
トマ:「ミニョン」序曲##
オーベール:「フラ・ディアヴォロ」序曲**
エロール:「ザンパ」序曲*
アダン:「我もし王なりせば」序曲#
オーベール:「ポルティチの唖娘」序曲*
フランツ・アンドレ(指)ベルギー国立RSO

録音:1950年代中期、1955年10月*、1956年7月15日**、1956年7月19日#、1957年4月17日##(全てステレオ)
※音源:独TELEFUNKEN SLE-14211 、ATW-30227+ 、 SLT-43014*,**,#,##
◎収録時間:64:42
“音楽の華を体で知っている、名匠アンドレの棒さばきの妙!”
■製作メモ
アンドレの“名刺”ともいえる楽しい序曲集。全てステレオ録音ですが、「軽騎兵」「詩人と農夫」「天国と地獄」に関しては、1952年の録音(7インチ盤で発売)とする資料があり、もしやこれは試験的なステレオ録音?と思っていたら、後年のステレオ再録音であることが判明。他は、アンドレの唯一の録音。

とにかく理屈抜きの楽しさ!独自の遊び心を押し付けるわけでもなく、品格を維持しようとする邪念もなく、ひたすら音楽の原寸大の魅力をストレートに伝えるのみですが、その一途さこそがかけがえのない魅力。これらの小品をベートーヴェンやワーグナーのように立派に鳴らせば、大方の聴き手を納得させられる反面、純朴さ、愛くるしさから遠ざかってしまうことを肌で知っている巨匠だけがなし得る、確信に満ちた快演です。「軽騎兵」コーダ直前のファンファーレは、イン・テンポで突っ走ることもあれば、ややテンポを落とすこともありま、どちらも中途半端な印象を拭えませんが、アンドレは決然とテンポを落として回想シーンのように再現。「天国と地獄」最後の“カンカン”は、まさにパリの熱狂!カラヤン&フィルハーモニア管の魅力も捨てがたいですが、やはり知性や体裁が邪魔しない勢いとカラフルさには敵いません。機知に富んだトマの「ミニョン」も、アンドレたためにあるような作品に思えてきます。有名なホルンのソロはあまりにメロディーが美しいので、どんな演奏でもノスタルジーを感じさせますが、この演奏ほど身を焦がすようなニュアンスを感じたことがありません。「我もし王なりせば」は、各シーンの描き分けが実に鮮やか!これ以上何を望めましょう。まさに決定盤です!【湧々堂】


TRE-088
マルクジンスキ〜チャイコフスキー&ラフマニノフ
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番*
ヴィトルド・マルクジンスキ(P)
ヴィトルド・ロヴィツキ(指)
ワルシャワ国立SO

録音:1961年(共にステレオ) 
※音源:MUZA SX-0123、SX-0124*
◎収録時間:69:54
“謙虚な燃焼が大きく羽ばたく、ラフマニノフの世紀の名演!”
製作メモ
かつてCD化されたものの、すぐに入手困難となってしまった名演。とにかく演奏はもちろんのこと、音質の点でもこれは驚異的!特に協奏曲の録音でソロ楽器とオケのバランスを取るのに各社苦心していたステレオ初期に、ホール・トーンと楽音がこれほど美しく溶け合った録音が東欧ポーランドで実現していたことに驚きを禁じえません。
この復刻を終えた後、久々に以前のCDを聴いてみましたが、高域がキンキンして、1分と聴いていられませんでした。

★感情に溺れることを避けなが熱い共感をタッチに漲らせ、盤石の技巧を誇りつつ決して誇示しない、これぞまさに芸術的昇華の極地!しかも、その理想像が自己満足で終わらず、それこそが作品に命を与える唯一の手段だという信念が尋常ではないので、説得力も並の名演とは次元が違います。マルクジンスキは、2曲ともモノラル期にも素晴らしい名演を遺していますが、この1961年盤は録音の良さ、指揮者との阿吽の呼吸も含め、明らかにそれを上回る大名演です。
チャイコフスキーの第1楽章の主題は、大きな構えの中で凝縮しきったタッチが絶妙なルバートを伴い、どこまでも格調高く飛翔。上辺のパフォーマンスなど微塵も感じさせず、音楽本来の姿を余すことなく再現。2楽章は、中間部の愉悦が過ぎ去った後、その余韻を十分に感じながら冒頭主題に戻る際の間合いのなんと素晴らしいこと!終楽章は、多くのピアニストがリズムなどに趣向を凝らしてロシア的な熱狂を引き出そうとしますが、マルクジンスキには一切無関係。それでも作品の魅力は十分に伝わるという強い確信が、これほどの説得力を生んだのでしょう。
ラフマニノフは、更に世紀の名演!音楽評論家ならばこの録音を知らないことも罪ですが、知りながらあえてこれを推薦盤から外すのなら、今すぐ廃業していただきたい…、と言ったらきりがありませんが、この演奏ばかりはそう言わずに居れません!チャイコフスキーで見せた風格美は更に曲想と固く融合し、マルクジンスキのこの作品への愛情と探求が尋常でないことは、どの一部を取っても明らかです。特に各変奏に克明なコントラストと陰影を与えて音楽の大きさ再認識させる第2楽章、心の根底から搾り出す郷愁を品格をもって凝縮し、表面的な盛り上げで終わらせない終楽章コーダ!これ以上のものを望めましょうか?【湧々堂】

TRE-089
エッシュバッハー/ベートーヴェン&シューベルト
ベートーヴェン:「失われた小銭への怒り」Op.129*
 エリーゼのために**/ロンドOp.51-1#
 エコセーズWoO.83##
シューベルト:即興曲Op.90/即興曲Op.142
アドリアン・エッシュバッハー(P)

録音:1950年9月19日*、1950年頃**、1950年9月20日&5月24日#、1951年8月4日##、1953年4月22&23日
※音源:独DG 30323、29313(シューベルト)
◎収録時間:75:31
これぞシューベルトの理想郷!たとえようもない霊妙さ!!”
■製作メモ
2枚のレコード(ベートーヴェンは7インチ)の全てを収録。シューベルトの初出は2枚の10インチ盤ですが、ここでは、打鍵の質感を克明に捉えた後発の“COLLECTION”シリーズを採用しました。

★シューベルトの「即興曲」は、作品自体の持ち味よりも、ピアニストの自己顕示が上回ってしまい、どこか座りの悪い演奏が多い気がしてなりません。その点エッシュバッハーの演奏は、打鍵の強さ、アゴーギクのセンスなどが理想の極みで、まさに即興的なフワッとした音楽の湧き上がりを楽譜への忠実な再現の中から引き出し、類例のない風情を生み出しています。
エッシュバッハーは、1912年スイス生まれ。チューリヒ、ライプツィヒで学んだ後、ベルリンでシュナーベルに師事。フィッシャー、バックハウス等と並ぶ名手とされながらも、わが国ではフルトヴェングラーと競演したブラームスなどで知られる程度。これを聴けば、このピアニストのセンスの高さを誰も否定なできないでしょう。
Op.90-1は、冒頭の和音の打ち込み方から、ピアニストのこの作品の捉え方を如実に示しています。ハーモニーのバランス感覚と、少しでも踏み外すと風情が壊れかねない絶妙な音量、気品と格調の高さ!符点リスムの肩の力が抜け切ったさり気なさ、自然な香気を感じたあとに訪れるアルペジョに乗せたフレーズのなんと軽く伸びやなこと!楽想が変化しても不用意にテンポを動かさず、全くの自然体でありながら、曲の最後まで次々と異なった色合いを引き出した夢のような演奏です。Op.90-2は細やかに分散するパッセージが実に丁寧に表出し、実に美しい弧を描きながら音楽を豊かに呼吸させます。中間部のリズムが厳格でありながら軽やかさと夢のような感触は失わず、転調に対する鋭敏な反応も見事。Op.90-4では珠のようなタッチの美しさを心行くまで堪能できます。Op.142-2は内省の美を湛え、ひそやかな希望の光が音色に宿っています。エッシュバッハーの節度を保った自己表現の妙が端的に示された一曲です。Op.143-3も師のシュナーベルよりもアゴーギクを抑制し、実直さを感じさせますが、そこはかとなく漂う可憐さ、ごく微妙な音価の伸縮が独特の雰囲気を生んでいます。変奏が行われるごとに、夢の世界の深部へ侵入するようなこの感覚は、他の演奏ではなかなか得られないものです。最後のOp.142-4はテンポがかなり速いのにまず驚きますが、もちろん機械的になることはなく、一筆書きのような筆致で切迫感を表出。しかも力みを一切感じさせず、タッチの美しさとフレーズの飛翔感を失わないセンスには脱帽…、というように、全8曲全てが、均質に高い水準を保っているのです。
一方ベートーヴェンの小品は、軽妙であっても軽薄さは皆無。「エリーゼのために」の可憐な曲想におもねることのない実直なアプローチは、エッシュバッハーのピアニズムの象徴と言えましょう。【湧々堂】


TRE-090
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲全集Vol.1
ピアノ三重奏曲第1番変ホ長調Op.1-1
ピアノ三重奏曲第2番ト長調Op.1-2
ピアノ三重奏曲第3番ハ短調Op.1-3
トリオ・サントリクイド
[オルネッラ・サントリクイド(P)
アリーゴ・ペリッチャ(Vn)
マッシモ・アンフィテアトロフ(Vc)]

録音:1957年頃(全てステレオ)
※音源:仏Concert Hall SMS2140〜2144
◎収録時間:79:53(Vol.1)、77:35(Vol.2)、77:43(Vol.3)

TRE-091
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲全集Vol.2
ピアノ三重奏曲変ホ長調WoO.38
創作主題による変奏曲Op.44
ピアノ三重奏曲第5番「幽霊」Op.70-1
ピアノ三重奏曲第6番変ホ長調Op.70-2

TRE-092
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲全集Vol.3
ピアノ三重奏曲第変ロ長調WoO.39
カカドゥ変奏曲 Op. 121a
ピアノ三重奏曲第4番「街の歌」Op.11
ピアノ三重奏曲第7番「大公」Op.97
“自然体に徹しながら作品のツボを捉えた、これぞアンサンブルの基本!”
■製作メモ
LP5枚組の全集を3枚のディスクに全て収録。分売のモノラル・ヴァージョンは比較的容易に入手できますが、ステレオ・ヴァージョンでまとまった全集は、このフランス盤だけのようです。

★ベートーヴェンのピアノ三重奏曲は、弦楽四重奏曲よりも一段低く見られがちですが、そこに息づく革新性と伸びやかな楽想は、紛れもなくベートーヴェンの個性の塊です。しかし、それを履き違えて遊びすぎたり、あざとい演出を施すと、単に軽いサロン風の音楽に成り 下がってしまいます。その点を十分に踏まえて決して説明調に陥らず、聴き手とじ っくり共有し合うように音楽を紡ぎ出す演奏として真っ先に挙げたいのがこの演奏。コーガン等のソ連の名手達による一部の隙もない演奏とは違う、音楽の「育み」を感じたい方に特にお勧めしたい逸品です。
トリオ・サントリクイドは、ピアニストのオルネッラ・サントリクイドを中心にして1942年にローマで結成。ベートーヴェンのピアノ三重奏の一部は、DGへ50年代前半にも録音していますが、こちらは後年のコンサート・ホールへの全集録音で、このトリオの最大の遺産です。 強固なアンサンブルでグイグイ迫るのではなく、親和的なムードに流されるので もなく、ひたすら作品に奉仕しながら地味にくすぶることなく、個々の奏者の瑞々しい感性が自然と一体化した味わいは、かけがえの無いものです。 特に各曲の緩徐楽章は、ヴァイオリンのペリッチャ(シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲の欧州初演者)の美音を中心にして、抑えがたい程の心のときめきが温かい波紋と なって広がる様に心奪われ、スケルツォ楽章での鋭角的になり過ぎないリズムの弾力も、実に清々しく響きます。
なお、サントリクイドのピアノ演奏は、ベートーヴェンの三重協奏曲(TRE-048)でもお聴きいただけます。【湧々堂】

TRE-093
ジョージ・ウェルドン〜グリーグ:管弦楽曲集
ホルベルク組曲
組曲「十字軍の戦士シーグル」Op.56
2つの悲しい旋律Op.34
ノルウェー舞曲Op.35(H.シット編)*
抒情組曲Op.54*
ジョージ・ウェルドン(指)
フィルハーモニアO
ロイヤルPO*

録音:1961年5月23-24日、1960年5月*(全てステレオ)
※音源:英COLUMBIA SCX-3416、英HMV SXLP-20025*
◎収録時間:76:46
“無私無欲だからこそ成し得た、グリーグ本来の魅力表出!”
■音源について
ウェルドンによる英国音楽以外のレパートリーの中でも特に重要のがグリーグ。SCX-3416は、初版の“グリーン&シルバー”。他に黒盤等もありますが、最もくっきりとした音像を示すのはこれ。

★あらゆる芸にはその人間性が必ず映し出されるものですが、ウェルドンが導き出す音楽は、その人柄の温厚さ、誠実さが、味わいに直結しているだけでなく、過度に芸術的な鎧を纏わずに音楽本来に魅力を信じきるという点で、ワルターやケンペ以上に純度の高い「温かみ」が魅力と言えましょう。自分の存在を消し去りながら、音楽自体が持つ魅力を引き出す指揮者は他にもいるでしょう。しかし、そこに必ず深い味わいも同時に引き出すという芸当は、奇跡に近いのではないでしょうか。
グリーグは、近年のオケの技術の向上に伴い、精緻でクールな演奏が主流となりつつありますが、ウェルドンの手に掛かると、グリーグの純朴なオーケストレーションの妙味が素のままで聴き手に伝わり、「こういう音楽だったのか」と感慨を新たにされる方も多いはず。
「ホルベルク組曲」が鳴り出した途端に、人為性皆無のリズムの瑞々さに心躍ること必至!第2曲では純粋なノスタルジーに溢れ、音の端々から滲む余韻は、本物の感性の証し。特に1:54からの第2主題の語り口は、言葉を失うほど感動的。「十字軍シグール」は、過剰にシンフォニックで壮大な演奏が多い中、終曲においてもグリーグの素朴な筆致を湛え、一過性の刺激など出る幕なし。「抒情組曲」第3曲で見せるレガートの質感にもご注目!磨きを掛ければ掛けるほど、曲の持ち味が遠のいてしまうことお分かりいただけることでしょう。ヘンデル=ハーティの音楽(TRE-039)と並んで、ウェルドンの稀有な音楽性を語る上で欠かせない録音です。【湧々堂】

TRE-094
デゾルミエール/イベール、ドビュッシー他
ドビュッシー:交響詩「海」#
ショパン(デゾルミエール編):バレエ音楽「レ・シルフィード」*
イベール:ディヴェルティメント
ロジェ・デゾルミエール(指)
チェコPO#、パリ音楽院O

録音:1950年11月13-15日#、1950年2月*、1951年6月
※音源:SUPRAPHON (EURODISC) 913-296#、LONDON LL-884、
◎収録時間:61:39
“芳しく小粋なデゾルミエールの至芸を凝縮!!”
■音源について
TRE-060に収録できなかった「海」は、リヒテルが絶賛したことでも知られる録音で、これでデゾルミエールとチェコ・フィルによる全録音が揃います。米LONDONは、もちろん英国プレス。奇跡の極上盤!

★一言に「フランス風のエスプリ」と言っても、クリュイタンス、ミュンシュ、デルヴォーなど、その表情は様々。デゾルミエールが醸し出すエスプリには、物々しさとは無縁の粋な空気感とほのかな香りが広がっています。
ドビュッシーの「海」は、とかく色彩的な放射力とダイナミズムに焦点を当てがちですが、デゾルミエールは、和声の軋みを優しく調和させたような粋な制御が独特の余韻をもたらします。終楽章においてもシルキーで息の長いフレージングを絶やすことなく、滑らか音彩にこだわっているのが特徴的。
ショパンはデゾルミエール自身の編曲で、一般的なダグラス版の数倍魅力的に響きます。特に管楽器の扱いなどは、パリ音楽院管での演奏を想定して書かれたと思えるほどツボにはまっています。ディアギレフのロシアバレエ団の指揮者を務めた経験が生きた視覚的なイマジネーションもさることながら、音楽としての語り口の人懐っこさ、甘美な音色の魅力を前に一切の理屈など不要!
そして、イベールの底抜けの楽しさ!ブルックナーやマーラーの音楽に慣れきったオケではどう逆立ちしても無可能な、小股の切れ上がったリズムと、音の「スカスカ感」がたまりません。とぼけた表情を出そうとするとただの悪乗りになってしまう演奏と比べたら、楽しさの突き抜け方が全然違います。第5曲冒頭のミュート付きのトランペットなど、巧いなどという一言では済まない味。終曲も、これ以上にゴキゲンで、しかも趣味の良い演奏などあり得ないでしょう。音質も極めて明瞭。【湧々堂】

TRE-095
エンドレ・ヴォルフ〜ベートーヴェン&ブラームス
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲*
エンドレ・ヴォルフ(Vn)
アントワネット・ヴォルフ(P)
アンソニー・コリンズ(指)*
シンフォニア・オブ・ロンドン*

録音:1951年(モノラル)、1958年(ステレオ)*
※音源:英W.R.C TT-3、米COLUMBIA DMS-460*
◎収録時間:72:15
“技巧を誇示せず、作品の魅力を内面から引き出すセンス!”
■製作メモ
E・ヴォルフの録音は、デンマークTONOレーベルに少し確認できる程度。特にステレオ録音は希少。このブラームスはW.R.C盤(ジャケ写に使用)をよく見かけますが、それよりも明らかに音の鮮明度が優る、70年代の米COLUMBIA (A COLUMBIA MUSICAL TREASURY)盤を採用。

★エンドレ・ヴォルフ(1913-2011)は、ハンガリー出身、フバイ門下。ナチスの迫害を避けてスウェーデンへ移り、エーテボリ交響楽団にコンサートマスターを務め、1950年代以降は、イギリスのマンチェスター音楽院、コペンハーゲン音楽院で後進の指導に当たりました。
ヴォルフの音楽作りの最大の特徴は、安定したテクニックと作品のフォルムを踏み外さない造形力との一体感。
まず、その特質が十分に生きたベートーヴェンの素晴らしいこと!抜群の切れ味を見せながらも派手に立ち回ることなく、常に内面を見つめる集中力が全体に緊張感を与え続けます。ピアノとの調和がこれほど自然に成されている例も少なく、特に第1楽章展開部の見事さは比類なし!そのピアノを受け持つのは、夫人のアントワネット。第2楽章で顕著なように、ペダリングも含めて、並のセンスではありません。
ブラームスは、より内省的な表現で聴き手にじっくり語り掛けます。第1楽章の最後(21:09〜)で、気の遠くなるほど切々と歌いつつ、安易な甘美さを少しも感じさせず、祈りが成就した時のような満ち足りた空気が流れるのには、涙を禁じえません。第2楽章はその余韻を胸に刻みながら、これまた清潔なフレージングを展開。終楽章も、表面的な力技とは無縁。音楽の真の姿を再現しようとする厳しい意志の力を信じたからこそ実現した妙味と言えましょう。
作品に真摯に向き合っている演奏を聴きたいけど、コーガンでは強烈過ぎる…、という方に、特にお勧めしたい名演奏です。【湧々堂】

TRE-096
ワルター・ハウツィッヒ〜シューベルト他
ヘンデル:調子の良い鍛冶屋
ブラームス:ワルツ第15番Op.39-15
リスト:巡礼の年第2年への追加;ヴェネツィアとナポリ〜タランテラ
シューベルト:即興曲Op.142-2
 楽興の時Op.94(全6曲)*
 幻想曲ハ長調「さすらい人」Op.15*
ワルター・ハウツィッヒ(P)

録音:1956年11月28-29ビクター・スタジオ(日本)、1955年ニューヨーク* (全てモノラル)
※音源:Victor LS-2104、 Victor LH-32*
◎収録時間:71:03
“小品専門家ではない!ハウツィッヒの知られざる洞察力と直感力!”
■音源について
シューベルトの「楽興の時」と「さすらい人」は、ハウツィッヒが本格的に演奏活動はじめた直後の米Haydn Societyへの録音を原盤としています。

★ハウツィッヒ(1921-)はオーストリア出身。ナチスのユダヤ人迫害を逃れて、イスラエル、アメリカへと移住。後にシュナーベルに認められて短期間師事しましたが、カーティス音楽院で系統的に学ぶことを選択し、ブゾーニ門下のミエティスラフ・ムンツに師事。卒業後は世界各地で演奏活動を展開。1950年代に日本のビクターの担当者がハウツィッヒのレコードに注目したのがきっかけで、以来ビクターで有名小品を中心に録音を開始したことと、全国での公演を通じて広く知られるようになりました。ただ、残念ながら小品専門ピアニストというイメージが付いてしまったことは否めませんし、さすがに小品だけでは、ハウツィッヒの芸の本質は掴みきれません。
そこでまず強調したいのは、「さすらい人」の素晴らしさ!広いレパートリーを持ち、確かな技巧でそれぞれの様式を踏まえた演奏を聴かせるハウツィッヒですが、中でも重要なのがシューベルトで、ここでは瑞々しさと高潔さを兼ね備えた推進力を基調として、シューベルトの心の歌を素直に着実に紡ぎ出した名演奏を繰り広げています。第1楽章だけでも、シュナーベルが認め、カーティス音楽院の入学時の試験官の一人だったゼルキンが激賞した才能は存分に伺えますが、第2楽章の長い音価での呼吸の深さ、3:24からの心の奥から発したフレージングは格別。終楽章のアルペジョの難所も難なくこなすだけでなく、全ての音に前向きな意志が漲り、最後まで聴き手を惹きつけて離しません。 【湧々堂】

TRE-097
ワルター・ジュスキント〜ムソルグスキー&ボロディン
ムソルグスキー:交響詩「はげ山の一夜」
 歌劇「ソロチンスクの定期市」〜第1幕序奏/第3幕「ゴパーク」
 古典様式による交響的間奏曲ロ短調
 歌劇「ホヴァンシチナ」〜第1幕前奏曲/ペルシャの女奴隷たちの踊り/第4幕第2場への間奏曲
 スケルツォ変ロ長調
 荘厳行進曲「カルスの奪還」(トルコ行進曲)
ボロディン:歌劇「イーゴリ公」から*
 序曲/ダッタン人の行進/
 ダッタン人の踊り
ワルター・ジュスキント(指)
フィルハーモニアO

録音:1953年3月、1952年9月*
※音源:英PARLOPHONE PMC-1018、PMD-1023*(共に10インチ)
◎収録時間:79:58
“オケの自発性だけでなく、作品自体の発言力をも引き出す見識力!”
■音源について
フィルハーモニア管と関係が深かったジュスキントは、協奏曲の伴奏以外ではステレオ時代の「ペール・ギュント」の名演が知られていますが、それ以上に重要な意義を持つのがこの2枚のレコード。ぎりぎり1枚のディスクに収録。ジャケ写は日本盤。

★ワルター・ジュスキント(1913-1980)は、チェコ出身。スークとハーバに作曲を、ジョージ・セルに指揮を学びましたが、ナチスの迫害を避けてイギリスへ渡り、戦後はスコティッシュ・ナショナル管などの指揮者を歴任。晩年はシンシナティ響の首席指揮者を亡くなるまで務めました。ジュスキントの録音は多くはなく、一見地味なスタイルとも相俟ってほとんど注目されませんが、このムソルグスキーとボロディンは、ただの堅物とは訳の違うジュスキントの清廉な音楽作りを最も顕著に感じられる点で、是非とも注目していただきたい録音です。
「はげ山」は、とかく怪奇趣味を煽りがちですが、これほどムソルグスキーの筆致の閃きを信じ切り、過度に楽器を咆哮させなくても、曲の凄さが伝わると、この録音で初めて知りました。特に静かな後半部分で、自然な緊張を維持しながら優しい詩情を最後の一音まで息づかせるセンスは只事ではありません。「ソロチンスクの定期市」の“ゴパーク”は、何とも清々しい進行。ここでも後付けの土俗性など無用。「ホヴァンシチナ」前奏曲も、まさに理想郷!ムラヴィンスキーの透徹美とは異なる人間的な温もりが心に染みます。
こういった、感覚的刺激に頼らずに高い説得力を持つ演奏に結実したのは、当然フィルハーモニア管の功績も大。ボロディンの序曲でのホルン・ソロを吹くデニス・ブレインをはじめ、名手達の妙技と、メカニックに陥らない合奏力を語る上でも欠かせない録音だと確信する次第です。自然な音像が広がる音質にもご注目を。【湧々堂】

TRE-098
バレンツェン〜ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ他
ブラームス:ワルツ集Op.39〜第15番
ウェーバー:ピアノ・ソナタ第1番〜第4楽章「無窮動」
メンデルスゾーン:無言歌Op.62-6「春の歌」
 無言歌Op.67-4「紡ぎ歌」
ショパン:ワルツ嬰ハ短調Op.64-2
リスト:ハンガリー狂詩曲第2番
 愛の夢第3番
ベートーヴェン:エリーゼのために
 ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」*
 ピアノ・ソナタ第14番「月光」*
 ピアノ・ソナタ第23番「熱情」*
アリーヌ・ヴァン・バレンツェン(P)

録音:1950年代初期(モノラル)、1959年(ステレオ)*
※音源:仏TRIANON TRI-33127、33190*
◎収録時間:79:15
“冴えわたる技巧と直感を融合させた恐るべきドラマ生成力!”
■音源について
バレンツェンは、ベートーヴェンのこの3大ソナタを仏EMIに1947-1948年、1953年、1959年と3回もスタジオ録音しています。ここでは、最後の59年のステレオ録音(70年代プレス)を収録。小品集は擬似ステレオ盤ですが、少し違和感があるので、モノラル再生しています。

★アリーヌ・ヴァン・バレンツェン(1897-1981)はアメリカ生まれのフランスのピアニスト。パリ音楽院に入学し、マルグリット・ロンに師事。卒業後はエルンスト・フォン・ドホナーニ、テオドール・レシェティツキにも師事。1954年にはパリ音楽院の教授に就任。門弟にはジャン=フィリップ・コラール、ジャック・ルヴィエなどの逸材がいます。
バレンツェンの演奏は、コンセプトも打鍵も常に明快。時には作品と心中するかのような熱い没入を示しながら気品を絶やさないのが特徴ですが、さらに鮮烈な印象を残すのが、技巧の使い方。 有り余るほどのテクニックは、常に各楽想を強烈に刻印するためだけに直感的に投入され、しかも核心をズバリ射抜いているので、説得力が尋常ではありません。 その閃きに満ちたピアニズムは、前半の小品集でも充満しており、中でも忘れられないのが、ショパンのワルツ。濃厚なアゴーギクを敷き詰めながら、泥臭くならずに神々しい光を湛えているので、リトルネロ旋律のリピートで急に倍速テンポに転じる奇抜な技も、作品を茶化しているような軽薄モードに陥りません。
そして、極めつけのベートーヴェン!古今の「3大ソナタ」のディスクの中でも、おそらく今後もベスト5から漏れることはないと思われる超名演です!
まず、「悲愴」第1楽章の序奏部のなんという入念さ!第2主題はタッチの全ての粒が感じきっているのを強固な集中力で凝縮。その意志の強さと立体感が感動に拍車を掛けます。また、第2楽章共々、ガヴォー製と思われるピアノ自体が持つ哀愁を帯びた音色美にもご注目を。
「熱情」では、テクニックの使い途をこれほど心得たピアニストは史上稀だということを改めて痛感。第1楽章のテンポ、強弱の切り替えの俊敏さにも、技巧だけが一人歩きしている箇所など皆無。その技巧と精神の高揚が極限に達した終楽章は圧巻です。苦悩を抱えず、音圧とスピードだけで駆け抜ける演奏とはおさらばです。【湧々堂】

TRE-099
レオポルド・ルートヴィヒのマーラー
マーラー:交響曲第9番
レオポルド・ルートヴィヒ(指)LSO

録音:1959年11月17-20日 ロンドン・ウォルサムストー・アセンブリー・ホール(ステレオ)
※音源:英W.R.C SCM-16〜17
◎収録時間:75:36
“露骨な感情表現から開放した「マラ9」の世界初のステレオ録音!”
■音源について
エヴェレス原盤ですが、あえてヨーロッパ的な落ち着きを感じさせるワールド・レコード・クラブ盤(エベレスト盤の翌年に発売)を使用。ジャケ写に写っているのは、マーラー・メダル。

★この録音は、交響曲第9番の世界初のステレオ録音であるだけでなく、それまでの豊穣なロマンを濃厚に湛えたマーラー像から一旦離れ、ストレートな純音楽的アプローチで訴えかける力を持つことを証明した点でも、見逃すわけには行きません。
近年の、細部を微視的に突き詰めた演奏に慣れた耳で聴くと淡白に感じられるかもしれませんが、主情を排し、作品の全体像を素直に大らかに再現する姿勢と素朴な呼吸感からは、人生の終焉を映すイメージからも開放された極めて純度の高い音楽を感じることができます。第1楽章展開部の自然な陰影と巧みな声部バランスの確保は、ルートヴィヒの職人芸の極み。14:007頃からの空気感は、まさに虚飾とは無縁の至純の美!、コーダで独奏ヴァイオリンと木管が醸し出す透明感も単に痩せた弱音とは異なり、これ以上何を加える必要があるでしょうか。
第2楽章も、諧謔性を強調などせず、あくまでも音楽自体の律動を重視。3つの舞曲のテンポ切り替えがいちいち括弧で括ったような説明調にならず、自然に滑りこませる技にもご注目を。
そして極めつけの終楽章!これほど気負わず、作り込まず、音楽を豊かに紡ぎ尽くした演奏は稀でしょう。バーンスタインのような分かりやすい感情表出とは対照的ですが、5:34のヴァイオリン・ソロ以降の各パートの呼応の妙、自然発生的な深遠なニュアンス表出には、この演奏を単に淡白と言わせないだけの強固な共感と含蓄がぎっしり詰まっています。
「過激なマーラー像を見直し、謙虚にスコアを読み直す」と多くの指揮者が口にしますが、結局出てくる音楽には何のヴィジョンも感じられないか、立派に響いているだけの演奏も少ないくないようです。バーンスタインとの差別化を図るために「謙虚さ」をアピールするなら、せめてこのルートヴィヒの演奏を聴いてからにしてほしいものです。【湧々堂】


TRE-100(2CDR)
ブライロフスキー/リスト:ハンガリー狂詩曲集(全15曲)
●Disc1:第1番嬰ハ短調、第2番嬰ハ短調,
第4番変ホ長調、第14番ヘ短調,
第9番変ホ長調、第6番変ニ長調、
●Disc2:第13番イ短調、第10番ホ長調,
第3番変ロ長調、第7番ニ短調、
第8番嬰ヘ短調、第12番嬰ハ短調、
第5番ホ短調、第11番イ短調、
第15番イ短調「ラコッツィ行進曲」
(以上、LP収録順と同じ)
アレクサンダー・ブライロフスキー(P)

録音:1953年-1956年
※音源:伊RCA B12R-0256/7
◎収録時間:62:14+62:24
“ふんだんに色気を放ちながら古臭さを感じさせない理想の名演!”
■音源について
ブライロフスキーは、一部の曲をSP期にも録音していますが、これはモノラル末期にまとめて録音され、2枚組LPで発売されたもの。ここではその全てを収録。曲の配列が独特ですが、これがオリジナルです。ちなみにこの15曲は1846年〜53年、16〜19番は1882年〜85年に作曲されています。

★キエフ出身。レシェティツキ門下でショパンの名手として知られるブライロフスキー(1896−1976)の最大の魅力の一つは、華麗さと気品の見事な融合ぶり。暴力的な打鍵で威圧するのではなく、さり気なく、かつ確実に聴き手に語りかけるピアニズムは、この曲集の持ち味を活かすのにうってつけと言えましょう。殆どの場合、この曲集を全曲通して聴くのはしんどいものですが、ここでは語り口の巧さと程よい軽みによって、時を忘れて聴き入ってしまう方も多いはず。曲前半の緩やかな部分(ラッサン)の人懐っこい表情からして、深刻ぶった大仰なアプローチとは無縁であることを示しており、後半の速い部分(フリスカ)での屈託のない華やぎへの連動も、変に構えず自然そのもの。
「第1番」の後半(11:18〜)で繰り返される「タッタララー」のリズムのなんという人間味!しかも野暮ったく響かないその見事なさじ加減も、ブライロフスキーのこの曲集への愛情の賜物でしょう。
有名な「第2番」終盤のカデンツァはブライロフスキーの自作と思われますが、技巧の誇示ではなく、濃厚な色気と媚びない洒落っ気が横溢。こんな風合いは、現代のピアニストにはなかなか望めません。
昔のピアニストは、それぞれが独特の色香を誇っていましたが、ブライロフスキーの凄さは、そこに古臭さを感じさせないところ。この曲集の名演として永遠に聴かれるべき逸品だと確信します。【湧々堂】

TRE-101
フランツ・アンドレ〜ビゼー、ドビュッシー他
グレトリー(1741-1813):「チェファルとプロクリス」組曲〜タンブーラン/メヌエット/ジーグ
ラモー:バレエ組曲「プラテ」〜メヌエット/リゴードン
ベルリオーズ:「ファウストの劫罰」〜鬼火のメヌエット
シャブリエ:楽しい行進曲
ドビュッシー:管弦楽のための映像〜「イベリア」*
ビゼー:「アルルの女」第1組曲&第2組曲#
フランツ・アンドレ(指)ベルギー国立RSO

録音:1954年頃、1950年*、1953年10月1日#
※音源:独TELEFUNKEN PLB-6011、英LGX-66001*、LGX-66021#
◎収録時間:73:03
“クラシック音楽をアカデミックな檻から開放するアンドレの真骨頂!”
■音源について
上質な独盤と英盤を使用。全体的にモノラルであることのハンデなど感じさせず、音の威力と演奏の魅力を体現していただけるものと思います。

★アンドレが遺した録音の集中的に聴いて参りましたが、導き出す音楽は、クラシック音楽につきまといがちな高尚さを感じさせないという点や、親分肌でオケを牽引する魅力では、ビーチャムなどとの共通性を感じますが、チェリビダッケに言わせれば「アマチュア」のビーチャムよりも、作品の魅力を瞬時に嗅ぎ分け、安定的に構築する能力は優っていたのでは?と思うことさえあります。例えば、グレトリーの作品。この録音以外に聞いたことのない曲にもかかわらず、昔から知っている曲で、かつ他にアプローチの余地が無いと思えてしまうほど、確固たる訴求力を持っているのです。そう思うのは、親しみやすい曲調のせいだけではない気がするのです。
「アルルの女」は、モノラル期に多数録音された名曲だけに名盤も多いですが、そんな中でもこのアンドレ盤の魅力は永遠に光り続けるであろう名演!“前奏曲”冒頭の弦のテクスチュアの均衡性はこのオケの優秀性を如実に示しており、一切奇を衒わずに曲のイメージを確信的に押し広げるアンドレの力量に唸らさることしきり。2:58からのリタルダントなど、こんな絶妙な間合いを醸し出す演奏が他にあるでしょうか?“メヌエット第1”のリズムの弾力にも惚れぼれするばかり。“パストラーレ”に至っては究極と呼ぶしかない巧み!オケの機能性が全面に出ず、全団員の体から溢れ出した、これぞ魂の音楽です。続く“間奏曲”では、1:08からのサックスのテーマを支える、何気ない弦の刻みから広がる郷愁!聴くたびに本当に目頭が熱くなります。“ファランドール”冒頭、3小節目の第1音は4分音符ですが、殆どの場合「タラッタラッタラー」と伸ばします。この4分音符の音価を守り、持ち味をそのまま生かした演奏も、他に知りません。
ラテン的な色彩表出はアンドレの最も得意とするところですが、当然ながら「イベリア」ではそれが大全開!音をシャープに刻むだけではないカラッと突き抜ける音彩は、体で感じたリズムと一体となって、感覚的な爽快さ以上の情感を醸し出しています。【湧々堂】

TRE-102
クーベリック/ドヴォルザーク&ブラームス
ドヴォルザーク:弦楽セレナードOp.22
ブラームス:交響曲第2番ニ長調Op.73*
ラファエル・クーベリック(指)
イスラエルPO、VPO*

録音:1957年3月25日-4月14日、1957年4月4-8日*(共にモノラル)
※音源:米LONDON LL-1720、LL-1699*
◎収録時間:65:14
“ハッタリ無用!クーベリックの底知れぬ才能に再開眼!”
■音源について
1950年代ステレオ初期デッカによるウィーン・フィルの録音の多くは、変な癖のある音で録られているのが難点ですが、ウィーン・フィル以外の録音にも、この現象は稀に見られます、ここに収録した2曲もそうです。したがって、ここでは2曲ともあえてモノラル盤を採用。想像を遥かに超える豊かなニュアンスに驚嘆!“イスラエルの弦”の魅力もウィーン・フィルの豊麗さも、ステレオ盤では味わえないと思います。と言うか別物です!ジャケットは、ブラームスのドイツ初版。

★1957年当時、クーベリックはまだ43歳。にもかかわらず、これだけ練り尽くされたニュアンスを一貫して表出していることに、改めて驚きを禁じえません。若さゆえの青臭さや表現の浅さが皆無。しかも、自分を偽って大人びた演奏をしているのではなく、作品への心からの共感とヴィジョンが強固で、オケの特質を生かしながら共感し合った結果の楽音が紡ぎだされるので、これほど心を打つのでしょう。
まず、ドヴォルザークの「弦セレ」。冒頭の1分でイチコロ。最初に歌い出すのは第2ヴァイオリンですが、この極上の絹ごし感の他にいったい何が必要でしょう。それを受ける第1ヴァイオリンには微かにポルタメントがかかりますが、その気品と香りにも忘れられません。第2楽章では、注意深く聴くとかなり明確にアクセントを置いたメリハリの効いたフレージングを行っていますが、恣意性を残さずに豊かな流れを築いている点など、まさにクーベリックの才能の象徴と言えましょう。この豊かさと自然さを兼ね備えたフレージング力があればこそ、第3楽章の中間部でピチカートを強調するといった演出など不要なのです。
ウィーン・フィルがクーベリックやケンペと組んだ録音は、聴きようによっては双方間に見えない壁のようなものを感じる時がありますが、少なくともこのブラームスにはそんな微妙な空気は無く、それどころか、ウィーン・フィルが自分たちの音楽に真心で献身するクーベリックに感激し、心からの献身で返すという相乗効果が、感動的な演奏となって結実しています。第1楽章冒頭の3つの音を意味深く響かせることにこだわる指揮者もいますが、クーベリックは最初からホルンの第1主題に照準を合わせており、その後の第1ヴァイオリンの経過句、チェロの第2主題へと次第に音楽を広げ、結果的に実にしなやかな推進力を得ることに成功しています。過剰に沈思しない第2主題の響かせ方にもご注目を。楽章後半11:41からのホルンの長い斉奏以降の弦の歌い方も聴きもので、私欲の入り込む余地のない純度の高い呼吸感は、何度聴いてもため息が漏れます。そして結尾の何という間合いの良さ!第2楽章を陰鬱と感じて敬遠される人も多いようですが、そういう人にこそ聴いていただきたいのがこの演奏。呼吸も音色も常に瑞々しさを湛えたアプローチにハッとされる方も多いことでしょう。6:10など、随所で弦にポルタメントが掛かりますが、取って付けた感を全く与えないのは、まさにオケがスイッチ全開で奏でている証拠。終楽章も、どこまで行っても素直な進行をに徹しながらもこの訴求力!素直なだけで何も迫ってこない演奏に堕すかどうかの決め手は何なのか?その答えは、この演奏が教えてくれます。【湧々堂】

TRE-103(1CDR)
ビーチャム〜モーツァルト:交響曲集
交響曲第38番「プラハ」K.504*
交響曲第39番変ホ長調K.543**
交響曲第40番ト短調K.550#
トーマス・ビーチャム(指)
ロイヤルPO

録音:1950年4月*、1955年12月**、1954年4月#
※音源:蘭CBS CBS-6020*、英PHILIPS ABL-3094**,#
◎収録時間:74:51
“大きな包容力で魅了する、ビーチャム流の愉しいモーツァルト!”
■音源について
ビーチャムの米コロンビア録音は、HMV系の録音に比べてCD発売の頻度が低く、なかなか注目されません。ビーチャム没後50周年記念ボックスに収録されているモーツァルトも、1930-40年代のSP期の録音でした。中でもこのモーツァルトは、ビーチャムの完熟の芸術を味わう意味でも、モーツァルトに対する独特のアプローチを貫徹している点でも、特に聴き逃せない重要な遺産です。ジャケ写は米コロンビア盤。

★ビーチャムのモーツァルトは、一言で言えばハイドン風。偉大な天才の作品として向き合うというより、自分の作品のように慈しみ、熱烈な共感を込めてその魅力を知らしめたいという表現意欲を堂々と突きつける潔さに溢れています。
「プラハ」は、序奏の最初の弦の音をすぐに弱めて管楽器だけ残して絶妙な余韻の残し、強弱の入れ替えや、スフォルツァンドの挿入をさり気なく盛り込み、モノラルにも関わらず色彩的な空間を表出。第2主題に入る直前、いよいよ禁断の園に分け入るようなワクワク感を孕んだルバートを見せた後は、甘美なレガートで応酬。展開部に入ると、この演奏が、シューリヒト等と並ぶ歴史的名演であることをさらに痛感するばかり。全声部が一斉に発言しながら緊密な連携を見せ、濃厚なニュアンスが怒涛のように押し寄せます。コーダの終止は、ビーチャムがモーツァルトのアレグロ楽章でよく用いる、“ビーチャム流イン・テンポ”。単に「テンポを変えない」という意味以上の、人間の業の全てを肯定するようなビーチャム一流の達観を反映するかのようです。これが2楽章の最後では、名残を惜しむようなルバートに取って代わるのですから、音楽的な楽しさは尽きません。
「音楽は楽しいもの」という前提に立ち、どんなに悲しい音楽でも、絶望や苦悩を前面に立てないのもビーチャムの美学。それを「第40番」で徹底的に思い知ることになります。第1楽章の張り詰めたイン・テンポ進行の中に、「なんとかなるさ!」という励ましの情が常に宿り、再現部で主題が長調で現れると、「ほらね?」という声が聞こえそうなニュアンスがパッと開花!こんな「40番」、他では決して聴けません。ネガティブな要素を徹底排除したこのアプローチh,決して「楽天的」という一言では片付けられません。
ビーチャムのモーツァルトは、人間愛の塊!演奏様式の正当性を優先させたアプローチからは感じ取れない、その惜しげもない愛と包容力を是非ご実感ください。【湧々堂】

TRE-104
ホロヴィッツ〜2大協奏曲激烈ライヴ!
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番*
ウラディミール・ホロヴィッツ(P)
ブルーノ・ワルター(指)アムステルダム・コンセルトヘボウO
ジョージ・セル(指)NYO*

録音:1936年2月20日アムステルダム・コンセルトヘボウ、1953年1月12日カーネギー・ホール* (共にモノラル・ライヴ)
※音源:米BRUNO WALTER SOCIETY BWS-728 、Private EV-5007*
◎収録時間:68:53
“似ているようで意味が異なる2つの激烈ライヴ!”
■音源について
ブラームスの第1楽章の201-310小節にマスター欠落による空白があります。M&AのCDでは、トスカニーニ盤で穴埋めしていました。チャイコフスキーは、ホロヴィッツのカーネギー・ホール・デビュー25周年記念公演。OTAKENのCDと同じ音源を使用。

ブラームスは、宇野功芳氏も激賞。31歳のホロヴィッツと59歳のワルターが壮絶な火花を散らした凄演です。感情を剥き出しにすると造形が破綻することが多いワルターも、ここでは、ホロヴィッツのパワーに負けじと確固たる凝縮力を堅持。両者のパッションは常に同じ方向に向かって放射されるので、まさに一丸となったエネルギー量は尋常ではなく、音の古さを超えて、猛烈な説得力で迫り続けます。第2楽章では、ホロヴィッツがスクリャービンを思わせる官能美を見せる点も聴き逃せません。
しかし、それ以上に「奇跡的な燃焼」を成し遂げているのがチャイコフスキー!本番前にホロヴィッツとセルは大喧嘩したとの噂の真偽はともかく、どう考えても両者の個性は正反対。実際の音も、両者が別々の理想に向かって意地になって猛進しているようで、ワルターとの競演時とはハイテンションの意味が違って聴こえます。セルが最後まで芸術的フォルムの貫徹を目指すのに対し、ホロヴィッツがそれをガンガンぶち壊し続けるスリルは最後まで途絶えることなく、終楽章コーダでは、遂に崩壊寸前に!とにかく、この曲でピアニズムの限界、燃焼の極限を体感するには、これ以上の演奏は考えられません。理屈抜きでご堪能ください。2曲とも、生々しい音質。【湧々堂】

TRE-105(2CDR)
ティート・アプレア〜ショパン:ポロネーズ集
ポロネーズ第9番Op. 71-2
ポロネーズ第1番Op. 26-1
ポロネーズ第3番Op. 40-1「軍隊」
ポロネーズ第4番Op. 40-2
ポロネーズ第13番変イ長調
ポロネーズ第2番Op. 26-2
ポロネーズ第6番「英雄」
ポロネーズ第5番Op. 44
ポロネーズ第8番Op.71-1
ポロネーズ第15番変ロ長調
ポロネーズ第10番Op. 71-3
ポロネーズ第16番変ト長調
ポロネーズ第14番嬰ト短調
ティート・アプレア(P)

録音:1960年代初頭(モノラル)
※音源:伊RCA VICTROLA KV-17/18
◎収録時間:92:35
“ショパンのポロネーズ演奏史上、無類の含蓄を誇る超名盤!”
■音源について
1964年に発売されたイタリア・ローカル発売盤2枚分(セットものではない)の全曲を収録。イタリアはステレオの普及が遅かったせいか、これもモノラルでのリリースですが、もちろん音質は極めて明瞭。曲の配列は、オリジナルどおりです。

★ティート・アプレア(1904-1989)は、イタリアのピアニスト、作曲家、指揮者。ピアニストとしての録音は、他にはデ・ヴィートとの伴奏盤がある程度なので、このショパン極めて貴重。しかも同曲の演奏史上に燦然と輝く大名演です。「幻想」が収録されていないのが残念ですが、演奏を聴けば、本来のポロネーズのリズムを主体とした作品群で構成した意図がご理解いただけるはずです。重要なのは、その民族舞曲のリズムを自身の感性から正直に発することで、借り物のローカル色から脱した芸術的な風格美を打ち立てている点。それが結果的に、有名作品以外においても、類例のない説得力を持つ演奏に結実しているのです。例えば最初の「第9番」。こんな大きな構えで語り尽くした演奏を他に知りません。続く「第1番」も、序奏部からして見せかけではない渾身のスケール感を見せ、中間部は甘美な流れの中にも求心力の高さを失いません。とかく軽視されがちな「軍隊」も、その芸術的昇華力に唖然。「第4番」冒頭はペダルを避け、旋律を克明に表出することで、感覚的な重厚感とは異なる生々しいドラマ性を現出。そして言葉を失うのが、「第2番」冒頭の8分音符と16分音符による、ピアニッシモの和音!こんな凍てつくような寒さと孤独を投影した響きが他で聴けましょうか。「英雄」は勇壮に仕立てようとすればするほど軽薄になりがちですが、一切遊びを持ち込まずに、人間的な度量の大きさで推進させるアプレアには、そんな心配は無用。トリオ後半の静かな部分は、この録音の核となっているアプレアのルバートのセンスの宝石箱!「第5番」から2枚目のレコードへ移りますが、ほとんど初期の作品で構成されているのが、驚くべきこと。これを単独で発売したのでしょうか?しかし、更に驚くのはその内容!持ち前の入魂のルバートをふんだんに注入したフレージングで、作品としての内容の薄さなど微塵も感じさせないどころか、後期作品と同列の大きなうねりを一貫して維持しているところに、アプレアの自信と確信の程が窺えます。特に「第10番」の素晴らしさ!【湧々堂】

TRE-106(2CDR)
ヴォイチャッハ〜ドイツ名行進曲集 第1巻
■Disc1
●歴史的ドイツ行進曲集(エミール・カイザー編)*
○16世紀以前
 野戦信号ラッパと軍鼓の大合奏
 皇帝領付軍隊の行進曲
 騎兵隊のファンファール
 鼓笛隊の行進曲
 ゴイゼン同盟行進曲(伝承曲)
○17世紀〜18世紀へ
 フィンランド騎兵隊の行進曲
 パッペンハイム軍のファンファール
 「オイゲン公」行進曲
 消燈信号
 コーブルク行進曲(伝承曲)
○18世紀
 ドイツ海軍礼式行進曲
 スワビア地方連隊行進曲
 フリードリヒ大王時代の行進曲
 行進曲「懐しきデッサウ」
 サクソニア選挙候領付連隊行進曲
 ヘッセン"クールフェルスト"連隊行進曲
 観兵式における騎兵部隊のフアンフアール(伝承曲)
 クリードリヒ:ホーヘンフリートベルク行進曲
 自由戦争における義勇軍の行進曲(伝承曲)
○19世紀
 ヴァルヒ:パリ入城行進曲
 J.シュトラウス1世:ラデツキー行進曲
 G.ピーフケ:行進曲「デュッベルの塹壕」
 シェルツァー:バイエルン地方連隊分列行進曲
 狩猟の鼓笛行進曲(伝承曲)
 C.タイケ:行進曲「旧友」
■ヴォイチャッハ名演集
(1)フリードリヒ:トルガウ行進曲
(2)M.ローランド:行進曲「巨人衛兵の分列式」
(3)リュッベルト:ヘレン行進曲
(4)ノイマン:行進曲「ペピタ」
(5)K.コムツァーク:「バラタリア」行進曲
(6)ウンラート:「カール大王」行進曲
(7)R.ティーレ:行進曲「我等の海軍」
(8)R.ペリオン:行進曲「フェールベルリンの騎士」
(9)0.フェトラス:ヒンデンブルク行進曲
(10)P.キルステン:行進曲「友情」
W.リンデマン:行進曲「グリレンバナーの下に」
(11)H.ブルーメ:鉄兜隊行進曲
(12)D.エルトル:行進曲「ドイツの騎士」
(13)H.ブルーメ:行進曲「祖国の護り」
■Disc2
(14)C.タイケ:「ツェッペリン伯号」行進曲
(15)R.ヘリオン:ブランデンブルグ行進曲
(16)H.ドスタル:行進曲「大空の勇士」
(17)A.ヴェンデ:行進曲「空の旅」
(18)E.シュティーベルツ:行進曲「ソンムの激戦」
(19)R.ヘルツァー:行進曲「ハイデクスブルク万才」
(20)G.フェルスト:バーデンワイル行涯曲
(21)作者不詳:コーブルク行進曲
(22)C.V.モルトケ:大選帝侯騎兵行進曲
(23)H.ヴェッセル:行進曲「旗を掲げて」
カール・ヴォイチャッハ(指)
テレフンケン大吹奏楽団

録音:1932年11月*、
(1)1930年6月
(2)1932年11月
(3)1932年9月
(4)1932年7月
(5)1937年4月
(6)1932年7月
(7)1932年6月
(8)1930年6月
(9)1929年11月
(10)1934年7月
(11)1929年11月
(12)1933年2月
(13)1929年4月
(14)1933年2月
(15)1937年4月
(16)1930年6月
(17)1932年7月
(18)1932年8月
(19)1931年1月
(20)1929年7月
(20)1929年7月
(21)1930年頃
(22)1932年9月
(23)1933年頃

※音源:King Record SLC-2300/2301
◎収録時間:89:35
“ドイツ行進曲の流儀を確立したヴォイチャッハの大業績!”
■音源について
独テレフンケンは、ナチス・ドイツの国策会社として多くのドイツ行進曲を録音していましたが、大戦中にその原盤のほとんどが焼失。新たな復刻は絶望視されていた中、1972年にキングレコード(1936年から独テレフンケン音源を発売していた)の倉庫から大量のメタル原盤が発見され、翌年にLP4枚分が発売されて話題となりました。ここでは、その際「第1巻」として発売されたLP2枚組の全曲と、TRE-040に収録しきれなかった3曲(ディスク2の最後の3曲)も収録。これでレコード4枚分の全曲が揃います。1930年代とは思えな瑞々しい音!ほとんどノイズ・リダクション不要の良質盤を使用。

★魂を込めて奏でた音楽がいかに人の心を揺さぶるか、それを改めて思い知らされます。「第1巻」として発売されたこの2枚組のLPは、全てヴォイチャッハの指揮。「歴史的ドイツ行進曲集」で、ドイツマーチ変遷をメドレーで概観するとともに、そのズシリと腹に響くドイツ行進曲の醍醐味をたっぷりと堪能いただけます。
その典型的なスタイルを築いたのが、カール・ヴォイチャッハ。ナチス台頭とともに社会情勢が変化し、レコードの売上も落ち込むなか、テレフンケンが目をつけたのが、ドイツ人が大好きな「行進曲」のレコードでした。その演奏には既存の軍楽隊、楽長を起用せず、新たに退役軍楽隊員から成る団体を組み、民間の吹奏楽団の指導者だったヴォイチャッハに指揮を託したのは、慧眼と言えましょう。
いかめしく、ものものしく、遊びのない、まさにゲルマン気質の塊のような響きから、ホロリとさせる絶妙な味が滲むのは、まさにヴォイチャッハの音楽的センスが並外れている証拠です。
有名な「旧友」は、第2巻にもベルリン・フィル団員による高い芸術性を感じさせる演奏が収録されていますが、こちらはもっと人懐っこい表情で迫ります。
ドイツ行進曲の演奏スタイルが、ナチズムの崩壊とともにより軽快なものに変化する以前の、筋金入りの発信力を持ち、実用を超えた音楽的な説得力を誇る点で、「ドイツ軍楽隊マニア」のみならず、広く接していただきたいディスクです。【湧々堂】

TRE-107(2CDR)
フルゴーニ〜ショパン:マズルカ全集
第1番Op.6-1〜第51番遺作
オラツィオ・フルゴーニ(P)

録音:1960年代初頭(ステレオ)
※音源:仏Musidisc RC-887/888
◎収録時間:105:09
“軽さにこそ意味がある!マズルカの民族色を超えた息吹”
■音源について
2枚組のLPの全曲を収録。

★オラツィオ・フルゴーニ(1921-1997)はイタリア出身。ファシストの台頭を逃れてアメリカへ移住。ショパン・コンクール等の審査員を務めるなど、生涯を通じて教育活動にも取り組むましたが、録音は少なく、あとは米VOXに少し遺した程度。その演奏スタイルは、同じイタリア出身でも、「ポロネーズ集」で紹介したアプレアとは好対照です。
まず触れておきたいのが、「あっけらかんと明るく、まるで深刻味がない」(佐藤泰一著:「ショパン・ディスコロジー」より)という、この演奏に関する記述。これは佐藤氏の個人的な趣味に過ぎず、これを鵜呑みにして凡演と決めつけてはならないということ。確かに感覚的に軽いです。これは、ルバートを強調せず、2拍目、3拍目のアクセントも強く押し込まない(第23番で顕著)ことによるものですが、その軽さ自体に意味があり、それが、3部形式を基調とした作品のシンプルな様式を蘇らせることに繋がりるというフルゴーニの確固たるでヴィジョンであり、何よりも真の共感が全曲に首尾一貫していることは見過ごせません。第一、無機質な音などどこにも存在しません。
「第2番」の1:13から長調に転じた時の自然な華やぎ、1:40からの装飾音の色彩に、早速その「軽さ」の意味が感じられます。軽いタッチが土臭さよりもメルヘンを浮き上がらせるのが、「第5番」。「第7番」で、テーマを一筆書きのように一気に走らるのを「無造作」と捉えるのはいかにも表面的。全体像を見据えた上で優美な凝縮が確実に効いているのですから。「第10番」は、誰もが納得せざるを得ない無理のないニュアンス配置。こう弾かなければ曲が生きないでしょう。それでも物足りないというなら「第13番」!この演奏のどこがあっけらかんだと言うのでしょう!「第16番」最後のアルペジオの美しさ、「17番」のサラッとしたルバートの中に光るさりげない陰影も必聴。
「41番」も冒頭のタッチは軽やかですが、各音の後に確実に余韻が伴い、後半でのテーマの対話も濃密さを演出しない潔さが、音楽を結晶化。「47番」は、徹底的に拍節感を減じることで色彩が陽炎のように揺らめき、「深刻さ」とはことなる儚さが心に迫るのです。
過剰な鎧を脱ぎ捨て、人間の自然な息遣いと瑞々し息吹を投影した珠玉のマズルカ集。是非、好みや固定観念と切り離して、無心で味わっていただくこと願ってやみません。【湧々堂】

TRE-108
マックルーア版/ワルター厳選名演集Vol.1
ベートーヴェン:交響曲第1番Op.21
交響曲第3番「英雄」変ホ長調Op.55*
ブルーノ・ワルター(指)
コロンビアSO

録音:1959年1月5,6,8,.9日、1958年1月20,23,25日*(共にステレオ)
※音源:SONY 20AC1807、20AC1808*
◎収録時間:73:51
“ワルターの正直な感性と楽曲の魅力が完全調和!”
■音源について
言うまでもなく、レコードに刻まれている音はたとえ初期盤であっても、録音会場で鳴っていたのと全く同じ音ではありません。ワルターの録音に立ち会った若林駿介氏も「最初のものは多少高音域にクセが見られ、音がやや硬めであった。その後CD時代に入ってマックルーアの手によってトラックダウンされ(中略)、当時の録音の音に非常に近いサウンドへと改善された」とCDのライナーに記しています。ですから、当時のプロデューサー、マックルーア立会いの下で制作されたマスタリング盤CD(35DC)やレコード(20AC)が珍重されるのは理解でき、実際に聴いても、そのほとんどが一皮剥けたサウンドで蘇っています。
ただ、いくら現場のプロデューサーでも、20年前の記憶を辿って全く同じ音を再現することなど不可能なのですから、その権威性を盲信するのは禁物でしょう。また、理想の音の実現に向けて試行錯誤の連続だったステレオ初期にあって、ワルター晩年の一連の録音も、注意深く聴くと、トランペットが変に突出したり、コントラバスが明瞭化される(モーツァルトの一部等)など、元々意図的にバランスを修正して収録された形跡が見られること。一部に、音の鮮度が落ちているものがあること。演奏自体に出来不出来があること。これらを考え合わせると、結局は、「感動のエッセンスを過不足なく再現しているもの」を選ぶしかないと思うのです。ここではその観点から、マックルーア効果が功を奏していると思われる心底オススメの名演をご紹介します。

★宇野功芳氏の『ワルターの名盤駄盤』には、「これはワルターの本心から出た表現だろうか?」という記述がよく登場しますが、確かにワルターほど、作品の理想的な再現と自己の感性との間で葛藤し続けた指揮者も珍しいでしょう。そこをどう折り合いを付けるかが、名演か否かを分ける一つの鍵かもしれません。 それを踏まえた上で、ワルターのステレオによるベートーヴェン全集の中で迷わず名演と確信するのは、現時点では「1番」「3番」「6番」「8番」。 この中で、最も無理なく自己の素直な表現を作品に投影し尽くしているは「1番」だと思います。作品の持ち味と古典的な様式感、ワルターの慈愛が、均等に同居していることによる安定感は群を抜いています。まず際立つのは、気力の充実。リズムにもフレージングにも迷いがありません。付点リズムの短い音価を極端に短くして活気を持たせるクセについても宇野氏は指摘していますが、この第2楽章の付点リズムは実に自然体。第3楽章0:05のティンパニが丸裸で打ち鳴らされるのは録音効果によるものと思われますが、他では味わえない微笑ましさが滲みます。
一方で「英雄」は、ワルターのあまりの純粋な人間性に、作品の方が重装備を外してワルターに擦り寄ったような不思議な化学反応が起こっており、聴くたびに感動を新たにします。第1楽章開始すぐ(0:30〜)のような柔なかなレガートが随所に登場しますが、もちろんカラヤンのそれとは別次元。1:37の一瞬の溜めも、音楽を寸断することのない意味深さ。第2楽章は、意外なほどイン・テンポを守っていますが、情に溺れまいと無理をしている印象を与えずに、そこはかとない悲しみが滲む点にご注目を。第3楽章中間部のホルンの柔和なニュアンスは、宇野氏は「さすがにやり過ぎ」と評していますが、フレーズの最後には力感を加味して続く楽想に確実に連動させている点で、決して唐突なニュアンスではないと思うのです。威圧ではなく温かい包容力で満たすスタイルは終楽章でも不変。2:07からの響きの充実ぶりは、とかく響きが薄いとされるコロンビア響としても奇跡的と言えましょう。【湧々堂】

TRE-109
ギーゼキング〜シューマン:ピアノ曲集
シューマン:3つのロマンスOp.28
ピアノ・ソナタ第1番Op.11*
幻想曲ハ長調Op.17#
ワルター・ギーゼキング(P)

録音:1951年7月9日ザールブリュッケン、1942年ベルリン*、1947年10月フランクフルト#
※音源:米Discocorp RR-492、露Melodya M10-49335 *,#
◎収録時間:69:27
“ギーゼキングとシューマンとの相性を如実に示す名演集!”
■音源について
ギーゼキングが決して即物的で冷たい演奏する人ではないということを実証する意味でも、シューマンは特に重要な作曲家だと思いますが、録音は意外に少なく、EMIへのセッション録音は、協奏曲以外には「謝肉祭」「子供の情景」「アルバムの綴り」「予言の鳥」があるくらい。ここに収録したのは全て放送用音源で、明瞭な音質でギーゼキングのアグレッシブな演奏を堪能できます。

★ギーゼキングを情を欠いた即物主義者と捉える人たちは、「ロマンス」第2曲の、単に弱々しいだけではない慈愛に満ちた歌をどう捉えるのでしょう?常識や理論先行型のピアニストではないことも、この演奏の「大きさ」が示していると思います。
シューマンは、いわゆるソナタ形式の作品が不得意だとよく言われますが、その形式との葛藤がよ、自身の精神的な苦悩が、第1ソナタの第1楽章序奏からはっきり感じ取れるのも、ギーゼキングの表現意欲の賜物。主部以降の直感的な閃きの放射にも、突き放した冷たさなどあるでしょうか?そして、第2楽章の可憐さ。なんという表現の振れ幅!これこそシューマンを聴く醍醐味と言えましょう。
定石のソナタ形式から独自の進化を成し遂げた「幻想曲」第1楽章でも、ギーゼキングの表現の飛翔は無限大。聴き進むにつれ、開放的な第1主題が束の間の光としての存在感を放っていることに気付かされます。終楽章では、音の余韻の育みが尋常ではありません。タッチするたびに、和声の色合いを感じ、耳を澄ますような風情は、この楽章に不可欠でしょう。【湧々堂】

TRE-110(2CDR)
ウェラーQ/ハイドン:ロシア四重奏曲(全6曲)
弦楽四重奏曲第37番ロ短調Op.33-1
弦楽四重奏曲第38番変ホ長調Op.33-2「冗談」
弦楽四重奏曲第39番ハ長調Op.33-3「鳥」
弦楽四重奏曲第40番変ロ長調Op.33-4
弦楽四重奏曲第41番ト長調Op.33-5
弦楽四重奏曲第42番ニ長調Op.33-6
ウェラーQ
[ワルター・ウェラー(Vn1)
アルフレート・シュタール(Vn2)
ヘルムート・ヴァイス(Va)
ルードヴィヒ・バインル(Vc)]

録音:1965年2月(ステレオ)
※音源:独ORBIS 92885
◎収録時間:108:36
“ローカルなウィーン趣味から脱皮したウェラーQの清新スタイル!”
■音源について
ウェラー弦楽四重奏団の約10年という短い活動期間中に遺した録音の中で、これは最大級の至宝。音像がキリッと引き締まったドイツ盤を採用。

★「万人向け」という言い方は避けたいのですが、この演奏ばかりは最高の賛辞を込めてそう呼ぶしかありません。 ハイドンの豊かな発想の生かし方、深い共感、生命力、甘美なウィーン流儀と洗練美の融合…、これらが絶妙に同居しており、自然なステレオ録音という条件を加えると、これ以上に多くの人を唸らせる演奏は思い当たりません。 ハイドンの作品33の6曲は、モーツァルトのみならず、後の弦楽四重奏曲のスタイルの原点となったセットですが、それほどの説得力と魅力を誇る作品群だということは、私はウェラーQを聴い初めて実感できました。
「第37番」第1楽章の0:44から互いの声部が最高の甘味を湛えて擦り合い、共鳴し合う様はいかにもウィーン風ですが、古さは微塵もなし。同第3楽章のフレージングは、至純の極み!ウィーン・スタイルを貫こうとする意固地さはなく、ハイドンの佇まいを素のまま生かそうとする一念だけがニュアンスを形成。終楽章は、気迫が作品の容量を超えて空転する演奏との次元の違いを実感するばかりです。
「第38番」第3楽章は、音符が少ない上に休符も頻出しますが、柔和な緊張を維持して、虚しい隙間風など入り込む余地なし。休符といえば、この曲のあだ名の由来ともなった終楽章のコーダ。そこへ作為を持ち込まずサラッとスルーするセンス!持ち前の音色美を過信しないひたむきな歌を聴くと、この団体がいかに稀有な四重奏団だったか思い知らされます。
ハイドンの弦楽四重奏曲というと、「鳥」や「ひばり」などのあだ名付きの曲が入門曲として紹介されるのが常ですすが、ピンと来ないという方は、是非この「41番」を!ハイドンの音楽の多彩さが明確な構成のうちに凝縮されたこの名曲を、ウェラーQは更に花も実もある名品として蘇生。第1楽章は4人が呼吸を揃えるとい次元を超えて一つの楽器のように伸び伸びと息づき、見事な求心力を醸成。第2楽章はウェラーQが持つ洗練美の極致!自らは悲哀に耽溺せず、聴き手の想像力を刺激して止まない絶妙な距離感と、楽想の自然なうねり…。一音も聴き逃せません。【湧々堂】

TRE-111
ボンガルツ〜バッハ&ブルックナー
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番*
ブルックナー:交響曲第6番イ長調
ハインツ・ボンガルツ(指)
ライプチヒ・ゲヴァントハウスO
ハンス・ピシュナー(Cem)*

録音:1960年代初頭、1964年12月(共にステレオ)、
※音源:羅ELECTRECORD STM-ECE-0672*、蘭PHILIPS 835388LY
◎収録時間:72:50
“「ブル6」の命、リズムの意味を体現し尽くした歴史的名演!!”
■音源について
ブルックナーは、Berlin Classicsから出ているCDでも壮大な演奏だということは判りますが、過剰なマスタリングによるキンキンした音がオケの燻し銀の音色を無残にも掻き消していました。このPHILIPS盤では、その本来の音色と血の通ったスケール感の魅力を心の底から実感していただけることと思います。

ブルックナーの音楽は、リズムの縦の線を揃えて明瞭に鳴らしただけではそのエッセンスは伝わりません。そこには常にブルックナー特有の拍節感が必要で、同時に和声の微妙な変化への敏感さも求められます。ブルックナーの交響曲の中でもリズムが重要な核となっている「第6番」をこの名演奏で聴くと、そのことを改めて再認識させられます。 第1楽章冒頭の付点リズムの、克明でありながら神秘性を宿した刻みからして 真の共感が凝縮されています。そこへ、野武士的な金管の咆哮が加わると、思わず「コレだ!」と叫びたくなるほど、まさにブルックナー以外の何物でもない質朴な響きに引き込まれます。コーダでも響きが華美に走らず、渾身の呼吸で飛翔。何度聴き返しても鳥肌が立ちます。 第2楽章第2主題(2:30〜)の、表面的な甘美さとは無縁の深遠さも聴きものですが、第3主題(5:41〜)の意味深さに至っては、今やどの指揮者に、どのオケに期待できましょうか? 終楽章は、凄まじい金管の咆哮が何度も登場しますが、金ピカの高層ビルを思わせるスマートさとは一線を画し、直感的に腹の底から湧き上がらせたスケール感に圧倒されるばかり。特に第3主題が高揚する頂点(5:30〜)の突き抜け方といったら言葉も出ません。7:48から弦のピチカートが醸し出す張り詰めたニュアンスも必聴。 これは、ボンガルツにとっても、ゲヴァントハウス管にとっても、そして「ブル6」の演奏史上でも傑出した名演と言えるでしょう。
バッハは、もちろん旧スタイルの大柄な演奏。拍節をしっかりと打ち込むスタイルはブルックナーと共通。自分たちの音楽という誇りがゆったりとしたテンポの中にも脈々と流れ、独特の緊張感を生んでおり、単に古風な演奏という以上の魅力を放っています。 【湧々堂】

TRE-112
フランシス・プランテ〜全録音集
ボッケリーニ(プランテ編):メヌエット
グルック(プランテ編):ガヴォット
ベルリオーズ(ルドン編):メフィストのセレナード
メンデルスゾーン:スケルツォ.ホ長調 Op.16-2
 無言歌集〜Op.19-3「狩の歌」/Op.67-4「紡ぎ歌」/Op.67-6「セレナード」/Op.62-6「春の歌」
シューマン(ドビュッシー編):子供のための12の4手用曲集Op.85〜第9曲「噴水にて」
シューマン:4つの小品〜ロマンスOp.32-2
 3つのロマンス〜第2曲Op.28-2
ショパン:練習曲Op.10-4/Op.10-5「黒鍵」
 Op.10-7/Op.25-1/Op.25-2
 Op.25-9「蝶々」/Op.25-11「木枯らし」
フランシス・プランテ(P)

録音:1928年7月3-4日フランス、ランド県モン=ド=マルサン
※音源:Private ZRC-1003
◎収録時間:44:03
“明瞭な電気録音で遺された老巨匠の奇跡的な妙技!”
■音源について
フランシス・プランテ(1839-1934)の正規録音は、仏コロンビアに遺したSP9枚分のみ。元々プランテはレコード録音を嫌っていましたが、依頼された演奏会に出演できなくなったため、録音の報酬を寄付するという条件を受け入れ実現したもので、ここではその全録音曲収録。PearlからもLP復刻されていますが、音の生々しさはこのZRC盤の方が上回ります。短時間収録につき、特別価格。

★リスト、ブラームス等と同時代を生きたフランスの名手、プランテの妙技をが極めて明瞭な録音で味わえるのは嬉しい限りです。古い録音をあえてご紹介するのは、もちろんただのノスタルジーではなく、プランテが誇る語り口の豊かさと、“Floting tone”として一世を風靡した独自の音色美が、時代を超えて精彩を放つと確信するからです。弱音のフレージングでも音楽のエネルギーが減退せず、大きな包容力と生命力を絶やさないスタミナも尋常ではありません。録音当時プランテは89歳で、ミスタッチは皆無ではないものの、そこに息づく精神には老化の影など微塵もなし。
特にメンデルスゾーンの作品には、その瑞々しさが横溢。しかもスケールの大きいこと!ショパンの「黒鍵」は、この曲の史上最もニュアンスの質量が豊穣な名演の一つ。徹底して主旋律を基調とした声部バランスを維持しながら、遅めのテンポで拍を克明に打鍵し、眩いほどの色彩を放射します。Op.25-1「エオリアン・ハープ」のアルペジョは可憐さとは程遠い濃厚さで、まるで大聖堂のステンドグラスを仰ぎ見るよう。エラール・ピアノの音色の魅力も全開です。Op.10-7の最後の和音は物凄い音で締めくくりますが、その後に「Bien!(いいぞ)」というプランテ本人の声が聞かれます。ちなみに、ヴラディーミル・ド・パハマンは、演奏中に喋り出す奇癖で有名ですが、それはプランテ(パハマンより9歳年長)からヒントを得たと、パハマン自身が認めています。【湧々堂】

TRE-113
ベーム〜R・シュトラウス&ブラームス
R・シュトラウス:交響詩「死と変容」*
ブラームス:交響曲第1番ハ短調Op.68
カール・ベーム(指)ベルリンRSO

録音:1950年3月25日*、1950年4月13日ライヴ
※音源:日RVC RCL-3316*、伊Foyer FO-1033
◎収録時間:69:09
“ベームの芸術のピークを示す2つの名演!”
■音源について
2曲とも80年代に日本ではLPで発売されました。但しブラームスは、音の鮮明度が明らかに高いイタリア盤をあえて採用しました。

★共にベームのお得意の作品で、後年に何種類もの録音が存在しますが、50代半ばにして既に厳格な造形力と熱い芯を湛えた演奏スタイルは既に完成していたことが判ります。1950年代にウィーン・フィルと遺したデッカ録音でも感じられることですが、ストイックに音楽を突き詰めつる姿勢と、確信的な表現意欲がギュッと凝縮されていた1950年代前半(ステレオ期以前)は、ベームの一つの頂点だったと思えてなりません。
「死と変容」は、冒頭から安易なムードなど皆無。木管の制御が恐ろしいほど強固で、その緊張から、束の間のフルートの明るい旋律に移行する瞬間の美しさは格別。ティンパニの一撃が現れるまでのこのラルゴ部分だけでも、只ならぬ名演であることを実感いただけるはずです。青春を回想するシーンは少しも媚びずに、迫真の呼吸によって瑞々しい情感を表出。16:30のヴィオラの2音が、これほど意味深く響いた例も稀。浄化し尽くしたコーダの高潔な響きに至っては、涙を禁じえません。どこからどう聴いても大名演です!
ブラームスでは、さらにストイックな音楽作りを貫徹。これほど外面的効果を排した演奏も珍しいでしょう。白眉は第2楽章!繊細に歌った演奏は多く存在しますが、それに相応しい細やかなニュアンスと起伏を兼ね備えた演奏は以外に少ない気がしますが、ここでは第1音が滑り出した瞬間から目の詰んだニュアンスの注入ぶりに惹き込まれ、しかもチマチマした表情に陥らず音楽の大きさを確保しているのです。ベームの厳しさ、恐さが、オケを萎縮させるギリギリのところでプラスに結実したときの凄さを思い知らされます。【湧々堂】

TRE-114
ノエル・リー/ドビュッシー:ピアノ曲全集Vol.1
前奏曲集第1巻/前奏曲集第2巻*
ノエル・リー(P)

録音:1959年、1962年*(共にステレオ)
※音源:日COLUMBIA OS-671VL、OS-672VL*(全てValois原盤)
◎収録時間:73:18
“楽器の魅力と奏者の感性が完全融合した、ドビュッシー録音の金字塔!”
■音源について
素晴らしさはもちろんのこと、ステレオでの世界初のドビュッシーのピアノ曲全集企画であること、デンマークのホルヌンク&メラー製のピアノを使用している点で、まさに記念碑的録音です。なんと、リーは同じValoisレーベルに70年代にも同じ楽器を使ってドビュッシーのピアノソロ作品集を再録音(曲の内訳は少し異なる)していますが、演奏内容の素晴らしさは、この第1回録音が優ります。使用したのは、ほぼ未通針の白盤。

ノエル・リー(1924-2013)は、中国・南京生まれのアメリカ人ピアニスト。パリ音楽院ではブーランジェの薫陶を受けています。ドビュッシーはクリスタルのような硬質のタッチでクールに奏でなければならないという先入観は、この演奏で完全に払拭されるでしょう。まず心を捉えるのは、ホルヌンク&メラー特有の音色。決して時代掛った響きではない、人肌の温もりを持つ音色が何とも魅力的で、第1巻第5曲「アナカプリの丘」のコーダで明らかなように、決して高音域でもキンキンしません。その楽器の特質と余韻を十分に感じたノエル・リーのフレージングに対する鋭敏な感性が作品と一体化し、イマジネーション豊かな演奏を展開します。第1巻第6曲「雪の上の足跡」など、表面的な弱音とは次元が異なり、優しい風合いを心からの共感を持って統制した呼吸の妙味は比類なし!「沈める寺」は、中盤と後半の盛り上がりでも決して鍵盤を叩きつけず、これほど和声の色彩の拡散を醸成する演奏も稀有でしょう。
第2巻第6曲「ラヴィーヌ将軍」では、ドビュッシーのリズムの真髄を余すことなく体現。表情に明確なコントラストを付けようと奮闘しなくても、音楽がこれほど生き生きと弾むのです。第7曲「月の光が降り注ぐテラス 」も、信じがたい完成度!冒頭の下降音型の一音一音にニュアンスを充満させつつ、ふわっと力を減衰させる様は、ドビュッシーのピアノ曲への共鳴度が尋常でないことの証し。終曲「花火」では、遂にこの楽器の性能を極限まで使い切ります!冒頭、上声部のオークターブ打鍵を意外なほど無節操に叩いた上に、土砂崩れのように急降下する例が多い中、常にハーモニーの淡い色彩の根幹を維持しながら、流動的なダイナミズムをがっちり獲得!これほど全ての要素を制御し尽し、凝縮しきった演奏はめったにありません。曲が凄すぎるので技巧的に完璧なだけでもそれなりの手応えは得られますが、それだけでは追いつかない要素がいかに多いか、リー以上に思い知らされる演奏を他に知りません。【湧々堂】

TRE-115
ノエル・リー/ドビュッシー:ピアノ曲全集Vol.2
ピアノのために/子供の領分*
12の練習曲集*
ノエル・リー(P)

録音:1958年頃、1962年#(全てステレオ)
※音源:日COLUMBIA OS-674VL、OS-675VL*、OS-673VL#* (全てValois原盤)
◎収録時間:75:01
★ノエル・リーのピアニズムの最大の魅力は、テンポの緩急に関わらず、音の各粒に宿るニュアンスを瞬時に感じきる力だと思います。例えば、「ピアノのために」第3曲。過度にいきり立つことなく速い走句を流しつつ、一音一音が着実にニュアンスを発していることに驚くばかりです。「子供の領分」第3曲“象の子守歌”は、子供が聴いて納得するような漫画チック描写では決して滲み出ることのない和声の陰影に息を呑むばかり。“ゴリーウォーグのケークウォーク”は、「ベルガマスク組曲」の“パスピエ”同様、リズムを「ノリ」で誤魔化さず、感じながらフレーズを息づかせるセンスが尋常ではありません。
「練習曲」は、文字通りの指の訓練という意義を遥かに超えた、純音楽的なニュアンスが心を掴んで離しません。チェルニーへの皮肉とされる第1曲は、楽器の特性を生かした艶やかの響きに、皮肉よりも敬意を表しているとさえ感じられます。東洋的な第4曲では、その音色の余韻の魅力が横溢。絶妙なペダリングで余韻を醸した上に次の音をのせる際のハーモニーのコクと味わいは、他の演奏では見出しにくいもの。速いパッセージが連続する第6曲では、途中に挟まれるグリッサンドもさりげなく通過しながら冷たさは皆無。全体を一呼吸でしなやかに走らせて、その残り香で全てを語らせるような風情が魅力。「ゴリーウォーグ…」を思わせる滑稽さが光る第9曲でも、リーは殊更に表情を際立たせず淡々と進行しますが、なんと豊かな閃き!白眉は第11曲!着地が見えないフレーズと和声が満載のこの曲を絶妙な呼吸の振幅とタッチの制御によって、幻想的な色彩が更に倍増!作品に深く心酔し、信じ切きる力を持つピアニストだけが表出可能な音のパノラマをご堪能下さい。【湧々堂】
TRE-114-115(2CDR)
ノエル・リー/ドビュッシー:ピアノ曲全集Vol.1&2
上記2点のセット化
ノエル・リー(P)

TRE-116
ノエル・リー/ドビュッシー:ピアノ曲全集Vol.3
喜びの島
ベルガマスク組曲*/版画#
映像第1巻#/映像第2巻#
ノエル・リー(P)

録音:1958年頃、1959年*(全てステレオ)
※音源:日COLUMBIA OS-672VL、OS-675VL*、OS-674VL#(全てValois原盤)
◎収録時間:62:55
★まず強調したいのは、「ベルガマスク組曲」の、とてつもない素晴らしさ!ドビュッシーの演奏に関しては、繊細なハーモニーばかりが注目されがちですが 、リーの演奏を聴くと、リズムも不可欠な要素であることを思い知らされます。 表面的にはさらさらと流れているようでいて、タッチの粒を十分に吟味しながら曲自体に語らせる第1曲からして、リズムが根底でニュアンスの根幹を成していることは明白。第2曲は更にそれを痛感し、決してブンチャカチャッチャと野暮ったく刻まず、速めのテンポで過ぎ去りながら、サラッと艶やかな色彩を導きます。2:54あたりからの空気感は、ホルヌンク&メラーの音色美とも相俟って鳥肌ものです! そして極めつけは、終曲「パスピエ」!この曲を速いテンポで弾くと、痛快な疾走感しか伝わらない場合がほとんどですが、この演奏は違います。全体を大きな呼吸で包括するセンスと、一音ごとの色彩の感じ方、リズムの感じ方が尋常ではない証拠です。
「喜びの島」は、冒頭のトリルがこれほど物を言っている演奏も稀有。鋭敏な感覚を駆使しながら、出てくる音の感触が決して冷たくならないのは、楽器の特性だけでなく、フレーズを有機的に醸し出す術が体に染み付いているからでしょう。曲の最後のタッチの打ち込み方は、アクロバット的な派手さとはなんという次元の違いでしょう!
「版画」第2曲“グラナダの夕べ”の漆黒の潤い!「映像第1集」の“水の反映”では、水の波紋までリアルに現出されますが、単なる描写音楽に堕さず、詩的なニュアンスと憧憬が心を掴んで離しません。

TRE-117
ノエル・リー/ドビュッシー:ピアノ曲全集Vol.4
アラベスク第1番&第2番
舞曲(スティリー風タランテラ)
スケッチ帳より/仮面#
白と黒で*/リンダラハ*
6つの古代の墓碑銘*/小組曲*
ノエル・リー(P)
ジャン=シャルル・リシャール(P)*

録音:1959年、1962年*(全てステレオ)
※音源:日COLUMBIA OS-675VL、OS-676VL*、OS-671VL# (全てValois原盤)
◎収録時間:64:17
★ノエル・リーは、1970年にもウェルナー・ハースと4手作品集を録音(PHILIPS)しており、よく知られていますが、大きな魅力を誇るのは、断然こちらのステレオ初期の録音。
「小組曲」第1曲冒頭で、甘い囁きと共に潤いと温かみのある音色が一瞬で心を捉えるのは、単に楽器の特性だけでなく、リシャールとの一体感が大きく功を奏しているように思われます。ハースとの共演では、音の粒は見事に揃い、繊細な音色の志向性も共通しながらも、これほどのニュアンスの広がりは感じられませんでした。特にリズミカルな終曲では、テンポこそほぼ同じですが、そのリズム自体にもニュアンスが溢れ、語りかけの豊かさに大きな開きがあります。
「白と黒で」第2曲後半では、ホルヌンク&メラーがユニゾンで鳴らされる際に木目調の風合いが更に倍増することを実感。ドビュッシーの4手作品の数ある録音の中でも、突出した名演です。【湧々堂】
TRE-116-117(2CDR)
ノエル・リー/ドビュッシー:ピアノ曲全集Vol.3&4
上記2点のセット化
ノエル・リー(P)
ジャン=シャルル・リシャール(P)(4手作品)

TRE-118
フー・ツォン〜モーツァルト:ピアノ協奏曲集
モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番(カデンツァ=フンメル作)
ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595
フー・ツォン(P)
ヴィクトル・デザルツェンス(指)
ウィーン国立歌劇場O

録音:1962年頃(ステレオ)
※音源:日KING SH-5098
◎収録時間:62:26
“無類の絶美タッチから溢れ出す無限のニュアンスに絶句!”
■音源について
米ウェストミンスター原盤。ここでは、プレスの優秀さを誇る国内初期盤を使用。なお、「25番」第1楽章で、第1ヴァイオリンが右チャンネルから聞こえる箇所がありますが、これはステレオ初期にありがちな現象で、他の楽器の位置にズレがないことから、左右チャンネルを逆転するわけにはいききません。ご了承下さい。

★フー・ツォンにとってモーツァルトは、ショパンと並んで特別な作曲家で、比類なき魅力で満ち溢れていることを痛感するばかり。カーゾンを思わせる強弱の振幅を抑えた繊細なタッチに真心を込め尽くしたそのニュアンスは、聴き手の心を捉えて離しません。
「25番」第1音のなんという可憐な呟き!何気ないアルペジョにも微笑みと憂いが入り混じったような表情が浮かびます。第2楽章では、タッチの寸前で一瞬ためらうような仕草が、独特の求心力を醸し、2:36からの下降音型はまさに珠を転がすようなタッチはや、2:53からのフレジーングの美しさは絶品。モーツァルトのピアノ協奏曲の中でも特に構造的なこの作品において、これほど夢想的な表情を湛えた演奏も稀でしょう。
「第27番」は、フー・ツォンの内省的なニュアンスが作品の持ち味と一体化し、更に感動的。次々と展開される浄化しきった天国的な空間に身を委ねる幸せを噛みしめるばかりです。繊細さを装っても音量の小ささしか印象に残らない演奏も少なくない中、第1楽章展開部に象徴されるように、繊細さの中にも無限とも思える発想力が散りばめられているからこそ、これほど広さ、豊かさを感じさせる空間が築けるのだと思います。終楽章に至っては、綺麗事ではない美しさの究極形!これを言葉で説明しきれる人など、この世にいるとは思えません。
デザルツェンスの指揮が、また見事。堅実なだけではない確固たる共感をもって、フー・ツォンの別次元の名演に華を添えています。【湧々堂】

TRE-119
ハリス中佐&グレナディア・ガーズ軍楽隊
ホルスト
:吹奏楽のための組曲第1番
フレデリック・ロセ:組曲「ヴェニスの商人」〜間奏曲/ヴェニスの総監の行進曲
ジョン・アンセル:3つのアイルランドの絵
アーサー・ウッド:3つの高地の舞曲
スーザ:行進曲集*
 星条旗よ永遠なれ/無敵の荒鷲
 士官候補生/ピカドーレ/忠誠
 エル・キャピタン/マンハッタン・ビーチ
 キング・コットン/ワシントン・ポスト
 自由の鐘
フレデリック・J.ハリス中佐(指)
グレナディア・ガーズ軍楽隊

録音:1956年11月、1958年4月(共にステレオ)
※音源:米LONDON OS-103、日KING SLC-8*
◎収録時間:62:26
“近衛兵軍楽隊、黄金期のステレオ・サウンド!”
■音源について
LP2枚分の全てを収録。人気曲のホルストは、この曲のステレオ初録音。スーザは、米ロンドン・レーベルからのリクエストに応えての録音。ややマイクに近い、いかにもステレオ最初期の音は、オーケストラの場合は雰囲気を損なうこともありますが、こういう軍楽隊の演奏では、ある種の雑味を伴う手作りな味がかえってダイレクトに伝わり、プラスになっていると思います。

★バッキンガム宮殿の衛兵交代時の演奏を担うグレナディア・ガーズ・バンド(1685年創設)による、ステレオ初期録音集。フレデリック・J・ハリスは1942-1960年に音楽監督として在任。後任の中佐による録音も同レーベルから出ていますが、ここではハリス中佐時代の音楽をご堪能いただきます。ホールでの演奏活動が中心の団体とは異なり、一切飾らず、普段の実地演奏のスタイルそのまま、折り目正しく、しかも人間臭い雰囲気が全曲に一貫しています。前半のお国ものは、もちろん筋金入り。有名なホルストでは、軽妙なのに浮足立たず、重心を低く保ちつつも鈍重に陥らない、まさに英国流のリズムのセンスなくしては音楽が生きてこないことを改めて思い知らせれます。
一方のスーザでも、演奏のスタンス全く同じ。休符でやたらと大太鼓を打ち込むような軽薄さなど見せず、正直で純朴なスタイルが、音楽自体の素晴らしさを十二分に生かしています。コルネットやユーフォニアムを主体としたメロウな感触は、特に印象的。「士官候補生」中間部のなんという温かさ!「忠誠」は、中間部冒頭で音量を弱めず、そのまま直進する潔さ!【湧々堂】


TRE-120
ベイヌム〜ヘンデル&ブリテン
ヘンデル(ハーティ編):水上の音楽*
 王宮の花火の音楽
ブリテン:青少年のための管弦楽入門#
 歌劇「ピーター・グライムズ」〜4つの海の間奏曲#/パッサカリア#
エドゥアルト・ファン・ベイヌム(指)
アムステルダム・コンセルトヘボウO、LPO*

録音:1950年5月5日*、1952年5月19日、1953年9月15-16日#
※音源:英DECCA LXT-5379*、LL-917#
◎収録時間:65:40
“ベイヌムの柔軟で強靭な音楽作りの魅力が大開花!”
■音源について
ベイヌムのデッカ時代の録音は見逃されがちですが、時代を問わない名演の宝庫です!ここでは、演奏、録音ともに優れた2枚のレコードの全てを収録。

★既にご紹介したウェルドンによるハーティ版ヘンデルは、英国風典雅さの極みを示した名盤ですが、こちらはそれとは対照的にシンフォニックな響きの確立に徹しています。竹を割ったような直截な表現と推進性はベイヌムの音楽作りの特徴の一つですが、「水上の音楽」1曲目では、鋭利にリズムを刻むシーンとレガートの使い分けの絶妙さとも相まって、なんと格調高く神々しいことでしょう。第3曲はリズムの威力に唖然。1950年とは思えぬ音の鮮度にも驚かされます。また注目すべきは、「水上」と「王宮」ではオケが異なるのに、音色、スケール感、凝縮度などの志向性が一致している点。 ベイヌムが音楽に対する強固なイメージと強い信念を伺わせます。
ブリテンの「青少年〜」は、説明調に陥ってはシラケるばかりですが、ベイヌムは安易な演出を用いず、各変奏のニュアンスを丁寧に紡ぐ純音楽スタイルに徹しながら、聴き応え満点。コンセルトヘボウ管の奏者のセンスに全幅の信頼を置きつつ、それらが最も魅力的に響くツボを誰よりも心得ているベイヌムだからなせる技。例えば、演奏E(ヴァイオリン)。格調高いリズム、生命感、アクセントのさりげない配置…。このわずか30秒間にベイヌムの魅力が集約されていると言っても過言ではありません。終曲コーダでも大見栄を切らず、ストレートに直進しながらこの確かな到達感!
4つの海の間奏曲では、モノラルであることを忘れるほど、色彩の緻密な設計が生々しく伝わります。1曲目「夜明け」の変幻自在な陰影、第2曲「日曜の朝」での、輝きとほのぼのした情感の融合ぶり。そして、第4曲「嵐」のド迫力!この作品を芸術的に昇華し尽くした演奏として決して外せない名演奏です。【湧々堂】

TRE-121
レギーナ・スメジャンカ/ショパン:ワルツ集.他
ショパン:3つのエコセーズOp.72*
タランテラOp.43*
ワルツ第1番〜14番
ワルツ第19番イ短調(遺作)*
ワルツ第18番変ホ長調(遺作)*
子守歌Op.57*
レギーナ・スメジャンカ(P)

録音:1959-1960年(ステレオ)
※音源:MUZA SX-0068、 SX-0069*
◎収録時間:64:02
“解釈の痕跡を感じさせず、ショパンの心情を余すことなく代弁!”
■音源について
ショパンの生誕150年(1960年)を記念して、ポーランドMUZAが制作したショパン全集の中から、スメジャンカのソロ作品を収録。

★レギーナ・スメジャンカ(1924-2011)は、ショパン音楽アカデミーの教授を1996年まで務めたポーランドを代表するピアニストで、多くの門弟を世に送り出しています。そのショパン演奏は、深い見識と共感に裏打ちされていることは言うまでもありませんが、決して権威のひけらかしに走らず、作品の骨格を丁寧に炙り出しながら、気品のあるニュアンスを表出する点が最大の魅力ではないでしょうか。ワルツ第1番の冒頭の2分音符は長く伸ばし、4拍子のように聞こえるほどですが、体の芯から溢れる歌と同時に導かれるので、不自然どころか、譜面通りに弾けばショパンの意図に忠実と勘違いしているピアニストからは得られない、広がりのあるニュアンンスに心打たれます。ワルツ第3番、第7番も、ショパンにおけるルバートの最高の実現例。呼吸は弛緩せず、しなやかなレガートが導かれ、孤独の表情を強調することよりも、書かれている音符をあるべきタイミングで紡ぎ出すことが大切であることを改めて思い知らされます。「小犬」も、一音ごとのニュアンス吟味のなんと深いこと!これよりテンポが速いとそれはままならず、遅すぎては音楽が死んでしまうでしょう。遺作のイ短調のワルツは、同じテーマを繰り返しながら進行するだけの作品ですが、その中に盛り込む強弱変化が絶妙の極み。【湧々堂】

TRE-122
レギーナ・スメジャンカ/ピアノ協奏曲集
バッハ:ピアノ協奏曲イ長調BWV.1055
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番
ショパン:ピアノ協奏曲第2番*
レギーナ・スメジャンカ(P)
スタニスラフ・ヴィスロッキ(指)
ヴィトルド・ロヴィツキ(指)*
ワルシャワ国立PO

録音:1960年頃、1959年*(全てステレオ)
※音源:独CNR FA-402、独TELEFUNKEN NT-459*
◎収録時間:77:28
“タッチの変化の背後にドラマを添える独自のセンス!”
■音源について
全て、ポーランドMUZA音源。ショパンの第2協奏曲は、ショパン生誕150年(1960年)を記念して制作されたショパン全集の中の音源。ちなみに、第1協奏曲は、チェルニー=ステファニスカが受け持っていました。全3曲とも、ここではプレス良好な独盤を使用。

★レギーナ・スメジャンカ(1924-2011)は、ショパン音楽アカデミーの教授を務め、多くの門下生を世に送り出したポーランドを代表するピアニストで、まさにショパン演奏の権威者。これらの録音は、まだ教育活動に本格的に乗り出す前のものですが、師のズビグニェフ・ジェヴィエツキをはじめ、ポーランド独自のアカデミズムによって彼女の音楽性が育まれたのは明らか。にもかかわらず、変に凝り固また演奏に陥らず、アカデミズムによって培われたであろう作品の構成を見通す能力を土台としつつ、生来の楽想を感じるセンスが同時に生きているのは、音楽ファンとして嬉しい限りです。
まずは、国の威信を掛けたショパン全集の中の重要な1曲、ピアノ協奏曲第2番。最初に飛び込むのが、苦悩に喘ぐようなロヴィツキの指揮。それに対し、スメジャンカは、情緒過多を避けた、音楽の骨格の大切にした音楽作りを貫徹。そのニュアンスは後付ではなく、あくまでもタッチのコントロールによって生み出しており、それが実に心に染み入るのです。第2楽章のトリルは、まさに心の震えの投影。息の長いレガートの美しさの中に毅然とコントラストを盛り込むセンスにも思わず唸らされます。
そういったスメジャンカのセンスは、ショパンに限ったことではありません。バッハは、この曲のピアノによる演奏として決して無視できない名演。作品の構造美を感じ取りながら、一定の緊張感を持って引き締まった音像を築く手腕!もちろん、スタイルの古さなど微塵も感じさせません。
更に感動的なのが、モーツァルト!これを聴いて、スメジャンカの才能を遂に確信する方も多いことでしょう。イン・テンポと明確なタッチを基調に進行しますが、各タッチの背後に確固としたドラマが注入されており、ニュアンスの多様さも、むしろショパン以上。特に第1楽章展開部の内面からの高揚、第2楽章の自然発生的なニュアンスの微妙な変化は、モーツァルトの真の理解者だけに可能な技と言えましょう。【湧々堂】

TRE-123(2CDR)
ホリングスワース〜チャイコフスキー:バレエ曲集
バレエ音楽「くるみ割り人形」(抜粋)
 第1幕:行進曲/第1幕:お客様の退場
 第1幕:寝室へ-魔法の始まり
 第1幕:鼠の王様との戦争-人形は王様に変身
 第2幕:アラビアの踊り/第2幕:あし笛の踊り
 第2幕:ジゴーニュおばさんと道化たち
 第3幕:花のワルツ
 第3幕:パ・ド・ドゥ(序奏とアダージョ)
 第3幕:こんぺいとうの踊り/第3幕:コーダ
 第3幕:終曲のアポテオーズ
バレエ音楽「白鳥の湖」(抜粋)*
 第1幕:序奏と情景/第1幕:ワルツ
 第1幕:シュジェ-乾杯の踊り
 第2幕;情景/第2幕;ワルツ
 第2幕;オデットと王子のパ・ダクシオン
 第2幕;小さい白鳥たちの踊り
 第3幕;序奏/第3幕;ワルツ
 第3幕;ナポリの踊り/第3幕;スペインの踊り
 第3幕;終曲/第4幕;小さい白鳥たちの踊り
 第4幕;嵐と王子の入場/第4幕;終曲
ジョン・ホリングスワース(指)
シンフォニア・オブ・ロンドン

録音:1950年代末(全てステレオ)
※音源:英W.R.C T-183、TP-31*
◎収録時間:42:37+49:41
“バレエを音で表現する極意を知り尽くした指揮者、ホリングスワース!”
■音源について
ホリングスワースの「チャイコフスキー:3大バレエ・ハイライト」は、cfp、エヴェレスト、オイロディスク等、様々なレーベルから出ていますが、元々は英W.R.C録音。他には、英パーロフォンやMGMなどにも録音を遺していますが、ステレオ録音はほとんど存在しません。

★ジョン・ホリングスワース(1916-1963)は、イギリスの指揮者。ギルドホール音楽院を卒業後、1937年(21歳)でロンドン響を指揮。このオケを振った過去最年少の指揮者でした。サーシェントのアシスタントを勤めながらキャリアを重み、主にバレエ、オペラの世界で活躍し、映画音楽の世界でも才能を発揮。「ハムレット」(ウォルトン作曲)、「吸血鬼ドラキュラ」(バーナード作曲)などの、サウンド・トラックの指揮を担当していました。このチャイコフスキーは、そういった経験を全て出し尽くした音楽人生の集大成と言える逸品!何と言っても、雰囲気作りの巧さに魅了されます。
チャイコフスキーのバレエ曲は演奏会でも頻繁に取り上げられますが、音が鳴り出した瞬間に、バレエの舞台が目に浮かぶのは、バレエの極意を知り尽くした指揮者だけに可能な芸当。「くるみ割り人形」の“お客様の退場”〜“寝室”では、何の小細工もなしに、メルヘンの空気がスルスルと導き出されます。“パ・ド・ドゥ”でのリズムも、明らかにシンフォニー指揮者のそれとは別の弾力と人間味に溢れています。
より劇的な「白鳥の湖」では、ホリングスワースの演出の巧みさが更に光ります。抜粋版にもかかわらずストーリーがリアルに立ち昇り、聴き手の想像力を掻き立たせてやまないその表現力にいちいち唸るばかり。最初の“序奏”からもう釘付け。メロディ自体が哀愁に満ちているので、どんな演奏でもそれなりの雰囲気は出ますが、ここには何となく鳴っている音など一つもありません。第3幕の“序奏”は、ロシア系指揮者によるパワー炸裂形ではなく、ステップを一つ一つを噛みしめるような慈愛が息づき、しかも豊かな色彩とスケールを現出。“スペインの踊り”、“ナポリの踊り”で、民族色を露骨に煽らない手法も含め、力技とは一線を画す手作り感は、アーヴィングやウェルドンのようなスタイルに共鳴される方ならきっとお判りいただけるはず。“フィナーレ”で、突如音量を落とすのにはドキッとしますが、聴後にはその「粋」に感じいてしまうこと必至!【湧々堂】

TRE-124
A・コリンズ〜シベリウス、チャイコフスキー他
ファリャ:「恋は魔術師」〜序奏-恐怖の踊り/漁夫の物語/火祭りの踊り/パントマイム-終曲
シベリウス:弦楽のためのロマンスOp.42*
 「カレリア」組曲Op.11*
チャイコフスキー:イタリア奇想曲#
 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」#
アンソニー・コリンズ(指)
LPO、ロイヤルPO*、LSO#

録音:1950年2月4日、1957年*、1956年1月17-18日#(全てモノラル)
※音源:DECCA ACL-124、HMV ALP-1578*、DECCA LXT-5186#
◎収録時間:75:53
“シベリウスだけではない、コリンズの妥協なきダイナミズム!”
■音源について
アンソニー・コリンズは1950年代末に指揮活動を引退してしまったので、ステレオ録音はほぼ皆無(モーツァルトの交響曲のみ?)。ただ、デッカのシベリウスの交響曲全集と同様、ここでの収録曲も幸いにもクオリティの高い録音ばかりで、モノラルであることの不満を感じさせません。

★アンソニー・コリンズ(1893−1963)は、イギリスの指揮者。録音はシベリウスの交響曲全集(デッカ)が突出して有名ですが、他の録音がほとんど顧みられないのは、残念至極。ここでの収録曲も、他にいくらでも良い演奏があるから、という理由で排除できる演奏など一つもありません!
まずは、お得意のシベリウス。管弦楽曲の一部をHMVに録音していることさえ知られていないのではないでしょうか?「ロマンス」では、穏健な抒情性以上の大きな起伏を伴う感情表現が胸を打ちます。「カレリア」も、この録音を名盤として挙げる人がどうしていないのかが疑問。第1曲の1:21からの主部の進行で、トランペットの主題と弦のアルペジョが精妙にバランスを確保しながら、エネルギーを豊かに増幅させた例を他に知りません。第2曲は清潔なアーティキュレーションをベースにして、音の端々から尋常ではない共感が溢れ、各声部間の緊密な連携による色彩の妙も聴きもの。特に、3:05からの陰影の敏感な捉え方は忘れられません。
「イタリア奇想曲」は、デッカのシベリウスしか知らなかった私に「コリンズ恐るべし!」と思わせた一曲。鉄壁な名演として知られるジョージ・セル盤と堂々比肩する超名演です。まず、最初のファンファーレの16分音符刻み方。短めの音価で切り上げるその音楽的な響きにイチコロ。イタリア民謡引用部は、冒頭の低弦の刻みから意欲的で、その後のフレージングは、小節ごとにニュアンスの変化を実感できるほどの多彩さ。そして、タランテラでのタンバリンの真剣さ!録音の良さも手伝って、11:55以降は鳥肌必至!
「フランチェスカ」は、「ロメ・ジュリ」以上に指揮者の本気度が露呈する作品だと思いますが、この激烈なドラマに完全に身を投じていることはもちろんのこと、最後まで緊張を維持する統制力と構成力が並外れています。こちらも、間違いなくモノラルの最高峰の名演。【湧々堂】

TRE-125
マックルーア版/ワルター厳選名演集Vol.2
モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲*
 歌劇「劇場支配人」*
 歌劇「フィガロの結婚」序曲*
マーラー:交響曲第1番「巨人」
ブルーノ・ワルター(指)
コロンビアSO

録音:1961年3月*、1961年1月&2月
※音源:日SONY 20AC-1805*、20AC-1830
◎収録時間:68:59
“ワルターの全人生を注いだ「巨人」の不滅の価値!”
■音源について
TRE-108に記したように、いわゆるマックルーア盤の全てが大成功だとは思えないのですが、ここに収録した曲は、大納得です。特に「巨人」は長時間収録なので厳しいと思いましたが、ヒズミも極小で、アナログ的な温かみも保持していることにびっくり。一方、CDのマックルーア盤は全体にメタリックな音が気になり、第3楽章冒頭のティンパニの弱音は、スイッチをオン・オフしているかのようなデジタル音に変貌していましたが、ここでは奏者が余韻を感じながら優しく打ち込んでいる様子が目に浮かぶようです。

モーツァルトの序曲は、特に「劇場支配人」が大名演!ワルター晩年の録音の中には年齢を感じさせない高速テンポを採用しているものがありますが、どこかに無理を感じることも。その点この曲での向こう見ずな推進力は、他のテンポなど想定できないほどの説得力と真の生命感が横溢。低弦のクローズアップも、音楽的ニュアンスの表出に有効に作用。第2主題の楽器間の連動もなんと楽しいことでしょう!
「巨人」の素晴らしさは、もう言うまでもないでしょう。バーンスタインがこの録音を聴いて恐れをなし、全集録音を一時中断したほどの歴史的名演奏であり、全てが指揮者の体内から零れ出たニュアンスだけで語り尽くされた、奇蹟のドキュメントとも言えましょう。
第1楽章の提示部はノスタルジーに溢れ、リズムが機械的に縦割りで刻まれることなど皆無。展開部8:08以降の弦のトレモロは、これ以上に清らかな演奏を他に知りません。第2楽章は、昨今の筋肉質な演奏スタイルとは対極の、レントラーの風合いを生かした憧れの風情がたまりません。それでも、中間部は以外にもイン・テンポを貫いており、造型を弛緩させない配慮も忘れません。最後のテーマ再現時にティンパニを追加するのは、クレツキ盤などと同じ。終楽章は、まさにワルター芸術の集大成。冒頭部、絶妙ななテンポルバートとルフトパウゼを交えた、単なる絶叫の先の境地を反映した響きは、何度聴いても鳥肌が立ちます。第2主題に至っては超白眉!これほど音の末端まで感じきり、全人生を投影した歌が他で聴けましょうか?そして、力技ではなく、愛が全てに勝つことを証明した感動のコーダ!
スタイル抜群のカッコいい演奏は他にいくらでもあります。この演奏にしかない手作りの味と、こんな有名名盤をあえて復刻しなければならない意図を少しでもお感じいただければ幸いです。【湧々堂】

TRE-126
デニス・マシューズ〜モーツァルト
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番K.310*
ピアノ協奏曲第24番(カデンツァ=マシューズ作)
ピアノ協奏曲第20番(カデンツァ=ベートーヴェン作)
デニス・マシューズ(P)
ハンス・スワロフスキー(指)
ウィーン国立歌劇場O

録音:1959年頃*、1958年(全てステレオ)
※音源:米VANGUARD SRV-196SD*、SRV-142SD
◎収録時間:74:42
“天国のモーツァルトに聴かせることだけを考えた唯一無二の感動作!”
■音源について
デニス・マシューズ (1919〜88)は、デニス・ブレインの共演者としても知られるイギリスのピアニストですが、ソロ録音は少なく、英コロンビアと米ヴァンガードに少し遺している程度。中でもステレオ録音はごくわずか。

★「モーツァルト弾き」ピアニストとして、リリー・クラウスやヘブラー、シフ等と共に位置づけたいのが、このデニス・マシューズ。その演奏は、クラウスのような人間味を全面に押し出すスタイルとは対照的で、淡々と進行するだけで、聴き手に積極的に語り掛けて来ません。しかし、冷たく突き放したものでもなく、模範解答的でもない、不思議な閃きが確実に宿っているのです。「モーツァルト自身が弾いているかのような」という例えもちょっと違う。ではその根底に何があるのか、どこに向かって音楽を発信しているのか…、長年分からなかった答えが、ソナタ第8番を聴いた瞬間に頭をよぎりました。聴衆のためでも自分の為でもない、ただただ天国のモーツァルトに向けて奏でていると考えれば全て納得できるのです。
第1楽章では、これ以上細工を排しては音楽にならないという寸前での、無垢な音楽との向き合い方!第2楽章は、更にその純度を極め、和声の陰影感が自然発生的に滲み出ます。終楽章も、マシューズの視線は、聴き手をよそに遠くを見つめているかのよう。
「モーツァルトのためだけに奏でるモーツァルト」という印象は、協奏曲ではさらに強固なものとなります。堅実なスワロフスキーの指揮と見事な調和を保っているのですが、互いに視線を送り合いながら協調して作り上げるというよりも、マシューズの意識は更に上を行っており、周りが存在していないかのよに孤高の光を放ち続け、現出する音楽には、例えようもない美しさが立ち昇っているのです。いわゆる「内省的な表現」とも違う、もちろん言葉だけの「作曲家への忠誠」とも次元の違う、もはや別格のモーツァルトと呼ぶしかありません。「第24番」第2楽章、2:24以降の現実離れした美しさは、カーゾンをも凌ぐかも…。【湧々堂】

TRE-127
アンセルメ〜1960年代の厳選名演集1〜プロコフィエフ他
グリンカ:幻想曲「カマリンスカヤ」
ボロディン:中央アジアの草原にて
プロコフィエフ:古典交響曲
 交響曲第5番*
エルネスト・アンセルメ(指)
スイス・ロマンドO

録音:1961年2月、1964年4月*(全てステレオ)
※音源:米LONDON CS-6223、CS-6406*
◎収録時間:70:11
“クールなのに作品を突き放さない、アンセルメの絶妙な対峙力!”
■音源について
アンセルメの録音はいつでも聴けると高を括っていましたが、まとめてCDボックス化されたのを機に集中的に聴いたら愕然。予想以上の音の薄さに、板起こし復刻の緊急性を痛感しました。一方で、認識を新たにしたことも。その一つが、デッカの音作りの変遷。デッカのステレオ録音は1960年代に入ると解像度と臨場感を増し、特にその初頭から中頃までの録音では、打楽器の隈取りと衝撃音が生々しく再現されており、それが恣意性を感じさせず、音楽と渾然一体化している点で、この時期の録音が一つのピークだと実感しました。ここでは、その特質と演奏内容の魅力を兼ねさ備えたものを厳選しました。やはり、英プレスのSXL、CSを超える音には出会えませんでした。

★アンセルメはの音楽作りは、一般的に「知的でクール」と捉えられていますが、これは、数学者でもあることと結びついた単なるイメージではなく、一部の例外を除いてほとんどの作品において、この泥臭さとは無縁の精緻なスタイルは貫かれています。
最初の2曲でも、血の気を感じさせない透明な色彩がいかにもクール。しかしそこには、確固たる共感が十全に張り巡らされているのが分かります。「カマリンスカヤ」の主部でのリズムは、熱気が迸るというより、作品の質感を損ねぬように組み立てた構造物のようですが、作品を真に理解し、共鳴しているからこそ、澄ましているようでいて無機質に陥らないのでしょう。
プロコフィエフの「古典」ではハイドン風の愉悦性を、「第5番」では攻撃性をイメージしがちですが、アンセルメのアプローチは、やはり2曲とも構造性重視。その結果、「古典」は、先人のスタイルの踏襲などではない一大交響曲としての存在感を放ち、「第5番」は、一切のバーバリズムを排した響きから、独特のアイロニーが引き出されています。特に、ニュアンスに後付け感の全くない第3楽章は、作品に内在する悲哀がかえって露骨に立ち昇り、心を抉ります。終楽章の、録音の鮮烈さとも相俟ったダイナミズムも、比類なし。熱狂型の演奏では気づかないプロコフィエフの筆致の巧妙さが炙り出されます。
「カマリンスカヤ」の3:08、「古典交響曲」第1楽章0:15のトゥッティ、「第5番」終楽章コーダ等での打楽器の響きが、単に鮮明なだけではなく、打ち込み後に風圧までさせるのは、この時期のデッカ録音の大きな特徴。既出のCDでは感じにくいこの魅力にも、ぜひご注目を。【湧々堂】

TRE-128
ロジェストヴェンスキー&レニングラード・フィル/ステレオ名演集
ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガイーヌ」より
 剣の舞/子守歌/ヌネーのヴァリアシオン
 クルド族の踊り/バラの乙女達の踊り
 レズギンカ
チャイコフスキー:フランチェスカ・ダ・リミニ
バルトーク:管弦楽のための協奏曲*
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(指)
レニングラードPO

録音:1960年、1959年*(全てステレオ)
※音源:MELODIYA C-01233-4、独MELODIYA MEL-408*
◎収録時間:79:58
“若き日のロジェストヴェンスキーの迸る才気と迫力!”
■音源について
ロジェストヴェンスキとレニングラード・フィルによる数少ないステレオ録音から。バルトークはステレオ感が薄いですが、左右の信号は明らかに異なります。また、第3楽章の2:24ほどで、物が倒れるような異音が飛び込みますのでご注意を。簡単に録り直しをできないのが当時の状況だったのでしょう。

★過度に表情を盛ることなく、曲の魅力をストレートにぶつける若き日のロジェストヴェンスキーの魅力が満載!特にハチャトゥリアンとチャイコフスキーでは、スヴェトラーノフ等と比べて皮脂分を抑えたスッキリしたサウンドへの志向が顕著に表れており、オケの機能性と自発性を全開放させる術をこの頃既に備えていたことに驚きを禁じえません。ハチャトゥリアンの“剣の舞”の劇的な直進力、“バラの乙女達の踊り”の愛くるしいリズムにも一切デフォルメを用いず、自然と土の匂いが立ち込めます。
チャイコフスキーも、同曲屈指の名演。ドロドロの愛憎劇を思わずのけぞるほど迫力ある音像に余すことなく転嫁する手腕、全体の構成力の揺るぎなさ、そして中間部の迫真の官能美!これを30代そこそこで炙り出せるとは!旧ソ連において、この感性はどうやって育まれたのでしょうか?最後の地獄落ちは、無数の槍が容赦なく降り注ぐような恐怖!
ロジェストヴェンスキーは、西側諸国の近現代作品も積極的に録音していますが、旧ソ連にはその下地がほとんど無いせいか、そのアプローチはかなり独特。その分、スコアだけを信じたロジェストヴェンスキーの直感力の的確さが、このバルトークでもロシア音楽の時以上に際立ちます。一言で言って、相当不気味。第1楽章の導入部は、お化けが出そうな冷気が敷き詰められ、フレージングも極度に粘着質。主部以降もオーボエの第2主題に象徴されるように暗さを基調としつつ、金管のカノンは強靭に張り出し、コーダの決然とした迫力に至るまで、表現の幅が恐ろしく広いのです。第2楽章は、中間の静かな金管コラールの巧さに唖然。第3楽章は、第1楽章冒頭の冷気がさらに拡散。中間のヴィオラ主題の嘆きも、ハンガリーの風土とは別次元の響きですが、その求心力の高さに惹き込まれること必至。第4楽章第2主題も同様。特にこれが曲の終盤に再現される際の底なしの悲哀は、明らかにロシアン・モード。そして、終楽章は9分台での大疾走の中から、何十年も弾き込んでいるかのような確信に満ちたニュアンスが続出。異色ながら、ふんだんに内容を湛えた名演です!【湧々堂】

TRE-129
リンパニー〜モーツァルト:ピアノ協奏曲集
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番(カデンツァ=第1楽章:モーツァルト第2作、第2,3楽章:モーツァルト第1作)
 ピアノ協奏曲第21番(カデンツァ=第1楽章:ウィンディング作、第3楽章:クレンゲル作)*
ブラームス:間奏曲Op.117-2**
 パガニーニの主題による変奏曲第2巻Op.35-2#
ショパン:幻想即興曲Op.66##
モーラ・リンパニー(P)
ハーバート・メンゲス(指)
フィルハーモニアO

録音:1954年4月28日、1953年2月17日*、1952年11月3日**、1947年12月19日#、1949年4月26日##
※音源:日Angel HC-1006(モーツァルト)、英Cambridge Records DIMP-2
◎収録時間:73:33
“英国風の端正さの中に光るリンパニー独自の華やぎ!”
■音源について
モーツァルトの協奏曲は、録音データでも明らかなように、ほとんど一発録りされたものと思われ、楽章間にも会場ノイズのようなものが微かに聞こえます。そのため楽章間のフェード処理はあえて行なっておりません。良質な日本プレス盤を採用。

★このモーツァルトも、リンパニーの全盛期の素晴らしさを知るのに不可欠な名演。闊達なタッチを活かしながら、入念に楽音の意味を紡ぎ出し、カーゾン、ヘス、ソロモン、マシューズ等と共通する英国流の端正美が息づいています。強烈な自己主張で迫らないのも共通。「第12番」終楽章冒頭のリズムも健康的でありながら開放的に振る舞うことなく、慈愛を持って内省的な美しさを表出。より規模の大きな「第21番」では、端正な構成感に加え、フレージングに一歩踏み込んだ主張が感じられ、第1楽章展開部で顕著なように、ニュアンスの陰影も一段と濃くなっています。リンパニー独自のヴィルトゥオジティの片鱗が見え隠れするのも印象的で、それは採用したカデンツァにも反映。第1楽章のカデンツァは、デンマークのピアニスト、アウグスト・ウィンディング(1835-1899)の作で、短い中にも可憐な華が散りばめられた逸品。終楽章では、ディナーミクの幅を抑制したまま珠を転がすようなタッチに魅力が心を捉えます。ここでのカデンツァは、ドイツで活躍したピアニストで、チェリストのユリウス・クレンゲルの兄でもあるパウル・クレンゲル(1854-1935)の作で、これがまた絶品!ここでは、リンパニーのピアニズムの華やぎが際立ちますが、わずか十数秒でコーダに移ってしまうのが何とも粋!、
カップリングしたショパン、ブラームスでは、リンパにーのその技巧の冴えと、そこに通底する詩的なニュアンスをとことんご堪能下さい。【湧々堂】


TRE-130
プエヨ〜バッハ&グラナドス
バッハ:パルティータ第1番BWV.825*
グラナドス:スペイン舞曲集(全12曲)
エドゥアルト・デル・プエヨ(P)

録音:1959年*、1956年8月29-30日(全てモノラル)
※音源:蘭fontana 698-042CL*、蘭PHILIPS A00388L
◎収録時間:70:36
“打鍵の後の余韻に滲むスペイン情緒と色香!”
■音源について
プエヨがフィリップスに遺した録音の中から、ベートーヴェン以外の名演奏を収録。なお、グラナドスのほとんどの曲間には、ペダル音と思われる「ゴトッ」という異音が聞かれますが、音の余韻と被らないものはフェード処理しています。

★スペインの巨匠、プエヨの堅固なタッチと色彩力が生きた名演2曲。バッハは、臆することなくアゴーギクを随所に織り込みながら造型美は一切崩さず、各フレーズの意味を着実に刻印し続けようとする意志の力が横溢。第4曲で顕著なように、弱音でもタッチが痩せず、男性的な筆致で入念に語り尽くすピアニズムが胸に迫りますが、加えてそこに多彩な色彩まで注入するので、様式偏重型の無機質なバッハとは違う「人間バッハ」を見る思いです。
色彩力と言えば、グラナドスの魅力は破格!モノラルでありながら、タッチの色艶、香気を感じさせ、どこかドライであらながらメランコリックなグラナドスの空気感をこれほど身を持って体現した例は稀でしょう。第1曲、第3曲、第6曲などは、重量感がありながら鈍重に陥らない打鍵でリズムが根底から沸き立つだけでなく、長い音価を引き伸ばした際の余韻の感じ方を目の当たりにすると、やはり血の為せる技には敵わないと痛感するばかり。第11曲、終曲は、リズム自体が強烈に語り掛け、肉感的でありながら品位を落とさないセンスに唖然。安易に真似などできない奥義です。有名な第2曲“オリエンタル”は、説明不要でしょう。泣けます!【湧々堂】

TRE-131
ロジータ・レナルド〜カーネギー・ホール・ライヴ
バッハ:パルティータ第1番 変ロ長調
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番 イ短調K.310
メンデルスゾーン:厳格な変奏曲Op.54
モーツァルト:ロンド.ニ長調K.485
ショパン:練習曲〜[Op.10-11, 25-5, 10-3, 25-8, 25-4, 10-2]
 マズルカOp.30-4
メンデルスゾーン:前奏曲 変ロ長調Op.104-1
ショパン:練習曲〜[Ops.25-2, 25-3, 10-4]
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
ドビュッシー:舞曲
ショパン:マズルカ 嬰へ短調Op.59-3
ロジータ・レナルド(P)

録音:1949年1月19日カーネギー・ホール(ライヴ)
※音源:米IPA 120-121
◎収録時間:79:53
“高度な技巧を聴き手に意識させない天才的閃きの連続!”
■音源について
チリの出身の天才、ロジータ・レナルド (1894-1949)の録音は非常に少なく、他にはブランズウィックなどに見られる程度。これは死の4ヶ月前に行われた演奏会の貴重なライヴ。その模様を収めた2枚組LPの全てを収録しました。

★ロジータ・レナルドは、リストの弟子のマルティン・クラウゼに師事。そのクラウゼの門下には、E・フィッシャー、C・アラウなどがいますが、アラウをクラウゼに引き合わせたのは他ならぬレナルドでした。録音が少ないので認知度は低いですが、これらの収録曲のどをつまみ聴きしても、そのオーラが尋常ではないことに気づかれるはず。それはもはや、ピアノを弾いているというよりも、天から容赦なく音楽が降り注ぐような…と形容するしかありません。例えば、バッハやモーツァルトの音楽はつまらないと思う人でも、このレナルドの演奏を聴けば一気に惹き込まれることでしょう。特に、モーツァルトのソナタ!速いテンポで疾走しながら、音の粒に込められたニュアンスは破格。全走句が大きな弧を描き、音楽の持つ表情の全てが一気に押し寄せます。第2楽章も、これを聴いてしまったピアニストは、聴かなかったふりをするか、廃業するしかないのでは?終楽章は単なる一気呵成ではなく、直感的なアーティキュレーションが音楽に気品を与えていることにご注目を。間違いなく、イ短調ソナタの別格の名演です。
もう一つ挙げるとすればラヴェル。こちらも全曲10分程度という相当速めのテンポですが、その中に息づく即興的な語りの妙味に時を忘れること必至!タッチの連なりで音楽を構成しているというより、全フレーズが一度に押し寄せるという現象を、少なくともこの曲で体験したことは他にありません。
ショパン以降は、小品中心に演奏されますが、その曲間にグランド・スタイル的な優雅さも漂いますが、スタイルの古さなど意識する暇などありません。幸いにも音質も良好。全ピアノ・ファン、必聴です!【湧々堂】

TRE-132
パウムガルトナー/ヘンデル&モーツァルト
モーツァルト:コントルダンス付きメヌエット K.463
 カッサシオン.ト長調K.63〜アンダンテ
 ディヴェルティメント第12番変ホ長調K.252
ヘンデル:水上の音楽*/王宮の花火の音楽*
ベルンハルト・パウムガルトナー(指)
ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ

録音:1965年、1950年代末* 全てステレオ
※音源:蘭fontana 700438WGY、独Opera ST-92287*
◎収録時間:71:41
“研究者のイメージとは裏腹の心に染みる歌と風格美!”
■音源について
パウムガルトナーは、モーツァルトの3曲を2回録音していますが、ここに収録したのは新録音の方です。

モーツァルトの権威として知られるベルンハルト・パウムガルトナー(1887-1971)は、若い時にワルターに師事していたこともありますが、人間味を全面に出すタイプではなく、かと言って決して学究的な堅苦しさに閉じ込めたものでもありません。最初のモーツァルトのK563でも明らかなように、その馥郁とした香りは、長年の研究を通じて体得した筋金入りの共感の為せる技でしょう。
ヘンデルでは、造型をがっちり固め、常に品格を維持したパウムガルトナーのスタイルをたっぷり堪能できます。一貫して典雅な空気感を損なわぬよう、テンポの緩急のコントラストは最小限に抑えているのが特徴的。ゆったりとしたテンポ感を維持する中で、「水上の音楽」第2曲、第4曲等の遅い楽章ではさらに極限までテンポを落とし、心の奥底から歌いぬきながらも過剰な耽溺に陥らず、ただただ優美な様式美自体に語らせる手腕に感服するばかりです。
「王宮の花火」では、そのテンポ感に加え、渋いオケの音色と一体となった風格美に心奪われます。外面的な華やかさなどお呼びではありません。
当時の様式に近づけようと、楽器や奏法に様々な配慮がなされる昨今ですが、出てくる音は先鋭的で、高層ビルを思わせるツルツルのものが多いのはご承知の通り。もちろんパウムガルトナーの演奏は、現在意味するところのピリオド奏法とは無縁ですが、音が鳴り出した途端に、リスニングルームが18世紀にタイムスリップしたように錯覚させる力はどちらが優っているでしょうか?そう考えると、パウムガルトナーの長年の研究は、決して学術的な成果が目的ではなく、あくまでも演奏家として、当時の「心」にどれだけ深く寄り添えるかという挑戦だったのだったと思えきます。【湧々堂】

TRE-133
ワルター・ゲール〜ベートーヴェン他
バッハ:ブランデンブルグ協奏曲第3番
ベートーヴェン:交響曲第1番*
 交響曲第8番ヘ長調Op.93**
スメタナ:「売られた花嫁」序曲#
ワルター・ゲール(指)
ヴィンタートゥールSO
フランクフルト歌劇場O*
フランクフルトRSO**,#

録音:1950年代中頃(全てステレオ)
※音源:日Concert Hall SM-6101、仏PRESTIGE DE LA MUSIQUE SA-9653*、日Concert Hall SM-197**、SM-6111#
◎収録時間:66:26
“古典な均整美に活気を与えた、ゲール最高のベートーヴェン!”
■音源について
4曲とも、ステレオ・ヴァージョンの入手は極めて困難。ゲールのベートーヴェンの交響曲は2番、3番、7番以外の6曲(9番は2種)の録音を遺しています。6番以外はステレオが存在するようですが、ライセンス盤を除き日本盤とフランス盤でしか確認できず、バッハのステレオ盤は、上記の日本盤以外は全く見かけません。ゲールのコンサート・ホールのステレオ・ヴァージョンは、後年のシューリヒト等の録音よりも良好なバランスで録音されているものが多いですが、これら4曲も最良の部類に属します。

★ゲールが振る古典派作品は、チャイコフスキーの録音に見られるような過激なアプローチを持ち込まず、様式を重んじた堅実な表現で一貫しています。ここに収録した、バッハ、ベートーヴェンも同様。
バッハは、中低音をベースとした厚みのある響きに穏やかな雰囲気を漂わせた一時代前のスタイルですが、第1楽章の中間部など、優しさの中に一本芯の通った精神がひしひしと胸に迫ります。低弦がゴリゴリと響くのも誇張には感じず、手応え満点。
ベートーヴェンも、けれん味皆無。「第1番」はゲールのベートーヴェンの中でも最高の名演かもしれません。第1楽章序奏部から、均整のとれた古典様式を愛情を込めた育んでいることが分かり、その土台を崩さずに主部以降に音楽的なニュアンスをさらに開花させます。そして、展開部から再現部にかけての、意思に満ちたリズムの弾力の素晴らしさ!第2,3楽章も媚びた語り掛けなど用いずに、自然と共感溢れるニュアンスが導かれ、終楽章はオケの技量と意欲も手伝って、過剰演出に走らない「ベト1らしいベト1」を聴く醍醐味を再認識させてくれます。
ちなみにこの「第1番」は、以前にLEFというレーベルからCD化されたことがありますが、決して粗悪な音質ではないにもかかわらず、何度聴いてもインパクトが希薄でした。久々に聞き直して最も差が顕著だったのは、第1楽章序奏(今回の復刻盤の0:14以降)の弦のピチカートの響き!LEF盤をお持ちの方はご確認いただければと思います。
「第8番」も、一部のゲール・マニア(?)のみならず、広くお聴きいただきたい素晴らしさ!第1楽章、終楽章の、リズムに強固な意志を滾らせた一途な推進力、第2楽章のさり気なく微笑む風情と瑞々しい音色など、聴き手の心を掴んで離しません。【湧々堂】

TRE-134
ダヴィドヴィチ〜ショパン:ワルツ集.他
マズルカ第7番ヘ短調Op.7-3
マズルカ第36番イ短調Op.59-1
マズルカ第50番イ短調遺作
3つのエコセーズOp.72
ワルツ集(全14曲)*
ベラ・ダヴィドヴィチ(P)

録音:1950年代中頃、1950年代後期*(全てモノラル)
※音源:Melodiya 06437-6438、011653-54*
◎収録時間:60:45
“気品溢れる造形美で魅了する「ワルツ集」の歴史的名盤!”
■音源について
亡命前のダヴィドヴィチによるメロディア録音の中でも傑出した名演。特に「ワルツ集」は何度も再発売を繰り返している名盤ですが、やっと良質な盤に出会えました。

★少なくともモノラル録音の中で時代を問わず普遍的な魅力を放つと確信できる名演として、リパッティ盤(スタジオ録音)と共に決して外せないのがダヴィドヴィチ盤。ロシアピアニズムの魅力をふんだんに湛えた芯の強固なタッチを活かしながらも、表情が大味に傾かず、気品溢れるリズムとセンス満点のアゴーギクによって、「サロン風」から一歩踏み込んだ芸術的な高みに達した名演です。モノラル後期の録音なので、音質も良好。
「第2番」の序奏から主部への確かな意志を伴った移行、格調高く躍動する第1主題と決して沈み込まずに克明に表情を際立たせる第2主題の連動ぶりは、実に鮮やか。「小犬」は音楽の軽妙さはそのままに、全体の構成への見通しが効いた息遣いに一切の弛緩がなく、比類なき安定感と存在感を誇ります。ロシアの悲哀を持ち込んだようなニュアンスが涙を誘う「第10番」や、吸い付くようなアゴーギクが絶妙なペダリングによって達成している「第12番」など、魅力の全ては到底語り尽くせませんが、どうしても一曲だけ強調したいのが、Op.64-2「第7番」!あまりも有名なこの作品が、これほど神々しく迫る例を他に知りません。タッチを曖昧に滑らせることなく、全体を大きなレガートで包括するセンスと意思が張り巡らされ、まさにパーフェクトといえる造形美を確立しているのです。特に息を呑むのが、中間部直前の絶妙な間合い(1:14〜)!テーマの憂鬱を断ち切れそうで断ち切れない揺れ動く心情が、その一瞬の間に凝縮されているとでも言いましょうか。そして、その中間部のアゴーギクがこれまた絶品!表面的にそれらしく行なったものとは違う、心から入念を極めたニュアンスに言葉も出ません。【湧々堂】

TRE-135
ギーゼキング/シューベルト&ブラームス
シューベルト
:ピアノ・ソナタ第18番ト長調D894*
ブラームス:間奏曲変ロ短調Op.117-2#
 6つの小品〜第5曲「ロマンス」Op.118-5#
 ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調Op.5**
ワルター・ギーゼキング(P)

録音:1947年10月12日*、1939年ベルリン#、1948年9月フランクフルト**
※音源:伊MOVIMENT MUSICA 01.063*、Melodiya M10-43395-B
◎収録時間:70:45
“虚飾を排して作品の発言力だけを徹底追求する技巧と直感!”
■音源について
ギーゼキングの芸の本質に触れる上で、シューベルトは不可欠だと思いますが、ステレオ期以前は、シューベルトのソナタ自体が軽視されていたという時代背景があったせいか、シューベルトのピアノ・ソナタを英コロンビアに1曲も録音していないので、この「18番」は実に貴重。ブラームスのソナタもセッション録音を一切遺しておらず、これが唯一の録音(放送用音源)と思われます。ブラームスの間奏曲冒頭でわずかに欠落があります。

★ギーゼキングに常につきまとう「新即物主義の旗手」というイメージは、精緻な和声構造を持つドビュッシーの音楽にいかにも相応しく、誰も異論を挟めない名演となっていますが、現代の耳で聞くと意外とロマンティックな「歌」を感じさせる面が多々あります。この事実だけでも、ギーゼキングが決して感情の注入を抑え、楽譜の忠実な再現だけを目指していたのではないことは明らかです。ただ、その「歌」は演奏家本位のものではなく、あくまでも作曲者の意図に寄り添うものでなければならなぬという強い信念が常に宿っているので、単に「心を込めて歌う」以上の芸術作品として再現されるところが、口先だけで作曲家への忠誠を誓っているピアニストとの大きな違いです。
シューベルト冒頭の穏やかな主題が流れる最中、ギーゼキングが優しく微笑みながら鍵盤をタッチしている姿など、脳裏に浮かぶでしょうか?そこには、ただただ美しいシューベルトの音楽があるのみ。ギーゼキングは、音楽自体が自発的に発言できるように少し手を差し伸べているだけに過ぎずません。シンプルな楽想に工夫を凝らせば、もっと分かりやすい形で聴き手に語りかけることも可能でしょう。しかし、それをしないので、どこかとっつきにくいと感じる人がいても不思議ではありません。しかし、そこに「音楽自体が息づいていること」を感じ取れれば、決してギーゼキングを情感に乏しいピアニストと決めつけることなどないでしょう。
作曲家の心情に寄り添うことや、曲の持ち味を活かすことは、演奏家なら誰しも考えることですが、作曲家がなぜその音符を選択したのかを直感で捉え、確信を持って表現しなければ、音楽は生き生きと迫って来ません。ブラームスのソナタでは、ギーゼキングのその直感力と確信力が並外れていることを思い知らされます。強靭なタッチに宿る強固な意志は、ギーゼキングのものというよりブラームス自身のものとして生々しく放射。第1楽章再現部冒頭などはかなり激烈な表現を取り、終楽章のコーダに至っては若さと幸福の絶頂を表現しますが、どれもピアニストが上から目線で植えつけた印象を与えないのです。
ギーゼキングは、驚異的な記憶力と打鍵技術を武器にしてほとんど練習を要しなかったことでも知られていますが、じっくり楽譜を読み込みもしないそんな即席の演奏で心を打つはずがないという思い込みも、今日までに定着してしまった気がしてなりません。しかし、常人なら出来るはずのないことが出来てしまっているという現実がここにはあるのです!【湧々堂】

TRE-136
クーベリック&VPOのドヴォルザーク
交響曲第7番ニ短調Op.70
交響曲第9番ホ短調「新世界から」*
ラファエル・クーベリック(指)VPO

録音:1956年10月1-2日、3-4日* (共にモノラル)
※音源:英DECCA LXT-5290、LHT-5291*
◎収録時間:77:05
“「ウィーン・フィルのドヴォルザーク」の頂点をなす感動録音!”
■音源について
この2曲は4日間で集中的に録音されており、レコード番号も連続しています。既にTRE-102等でも記したように、ここでもあえてモノラル盤を採用しています。通常聴かれているステレオ・バージョンでは、小さい箱に押し込んだような不自然な音を頭の中で「現実的な音」に補正する必要があるばかりか、音楽を小じんまりとさせてしまい、この演奏本来の風格も深みも損なわれること夥しいからです。これは、デッカによるウィーン・フィルの1950年代のステレオ録音のほぼ全てに共通しています。世評以上の味わいをぜひご体感ください。

★クーベリックによるこの2曲の録音は他にも数種存在しますが、このウィーン・フィル盤の素晴らしさは、他とは別次元!この録音時40代のクーベリックには、既にこれらの作品のアプローチに揺るぎない確信を持っていたことが窺えると共に、当時のウィーン・フィルの独特のクセをさり気なく抑制しながら、プラスの魅力だけを引き出す手腕にも感服するばかりです。
「第7番」は、一般的にはボヘミア的な民族色よりもドイツ風の構成を重んじた作品とされますが、この演奏には隅々まで郷愁を惜しげもなく注入されており、冒頭の主題からして切なさの極み。第2主題が大きく羽ばたく4:36からの音の張り艶はにも言葉を失います。第2楽章は、冒頭から過剰になる寸前まで思いの丈を込めたフレージングを見せたかと思うと、1:30からの主部旋律では、心の震えをストレートに反映したフレージングに涙を禁じえません。終楽章は、冒頭での音価をたっぷり確保した深い呼吸、先を急がず噛みしめるようなフレージングに、立派なソナタ形式を締めくくると言うより、ドヴォルザークならではのノスタルジーを最優先させるクーベリックの意思が明確に刻まれています。第2主題に入る前の経過句(1:26〜)で大きくリタルダンドする例は珍しくないですが、これほど必然を感じさせることはなく、その後の進行でも、何となく鳴っている箇所など皆無。そして、大げさな見栄など切らないコーダの潔さ!
「新世界」も、只ならぬ名演奏。ウィーン・フィルの「新世界」といえば、ケルテス盤があまりにも有名ですが、音の新旧以外にクーベリック盤ををそれより下位に置く理由がどこにあるでしょうか?少なくともウィーン・フィルの音の出し方の本気度が違い、特に第2楽章の素晴らしさといったら、全ての条件が揃った奇跡の瞬間と言うしかありません!4:30から中間部に入るまでの消え入り方!信じられません!【湧々堂】

TRE-137
オーマンディ/米COLUMBIAモノラル名演集1〜J・シュトラウス他
ワルトトイフェル:ワルツ「学生楽隊(女学生)」
 ワルツ 「スケートをする人々」
レハール:ワルツ「金と銀」
 「メリー・ウィドウ」ワルツ
J・シュトラウス:「こうもり」序曲*
 「女王レースのハンカチーフ」序曲**
 「くるまば草」序曲#/皇帝円舞曲##
 ワルツ「美しく青きドナウ」##
 ワルツ「南国のバラ」##
 ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」**
 トリッチ・トラッチ・ポルカ*
J・シュトラウスT:ラデツキー行進曲*
ユージン・オーマンディ(指)
フィラデルフィアO

録音:1953年6月26日(ワルトトイフェル&レハール)、1952年5月13日*、1952年12月21日**、1953年4月26日#、1957年12月23日##(全てモノラル)
※音源:蘭PHILIPS S04624L、米 COLUMBIA ML-5238##
◎収録時間:76:52
“ウィーン情緒無用!リズムと色彩の華やぎで聴き手を魅了!!”
■音源について
同じ曲で2種類以上の録音が存在する場合、古い録音は忘れ去られるのが世の常ですが、オーマンディに限ってはそれは大損失です。ステレオ期以前と以後では、音楽作りがガラッと異なるからです。まるで、ステレオ技術の向上と歩調を合わせるように自身の音作りを変化させたかのよう。その違いを最端的に示す例として、J・シュトラウスを選びました。この冴え渡るリズムとテンポ!ステレオ録音のオーマンディしか知らない方はビックリされることでしょう。
収録曲のうち、レハールは唯一の録音。ワルトトイフェルと「南国のバラ」「雷鳴」「トリッチトラッチ」「ラデツキー」は、複数録音がある中の1回目の録音。1957年録音の3曲は、直後の1959-61年のステレオ再録音があるので、特に見落とされがち。

★リズムの重心をやや軽めに置き、単刀直入にズバッと表現する爽快で楽しい名演の数々!その潔さの前に、ウィーン流儀の持ち込みなど一切不要です。
「女学生」からして、実に気持の良い快速感。トランペットのテーマをかなり自由に吹かせながら帳尻を合わせる巧味もたまりません。もちろん全てのリピートを敢行するな野暮な真似は無し。しかも、繰り返さない楽句は速めに切り抜けてしまうという人間臭さはステレオ期以降のオーマンディではまずあり得ません。「金と銀」は、モノラルであることなど忘れさせる文字通りのキラキラ感!小品のツボを心得たテンポ設定の妙味!「こうもり」の、テンポ切り替え時の凄い求心力はトスカニーニばり。独自アレンジが光るのが「皇帝円舞曲」。オーマンディがスコアに少しだけ手を入れた箇所は、いつでもその気持ちが痛いほど伝わりますが、ここでも的を得ているものばかりで、嬉しくて泣けてきます。こういうこそがサラッと出来るセンスの持ち主は、思えばオーマンディが最後だったかもしれません。そして音楽の何たるかを知り尽くしたオケの発信力!5:24からのリズムの振幅、吸い込まれそうな呼吸感と色香は、今や世界中のどこにも存在しないでしょう。「雷鳴と電光」は、打楽器群の夢中な様子が目に浮かぶよう。各自が「俺が楽しさを倍増させてやる」という気概で迫ってくるのですから、心躍るに決まっています。そして、極めつけが「ラデツキー行進曲」!和やかさに甘んじず、決してド派手アレンジではないですが、これほど楽しさを寸分の隙きもなく詰め込んだ演奏を他に知りません。この曲をウィーン・フィル以外で聴くなら、迷わずコレ!【湧々堂】

TRE-138
アシュケナージ/ソ連時代のショパン
バラード第2番Op.38*
夜想曲第3番Op.9-3*
練習曲集Op.10/練習曲集Op.25
ヴラディーミル・アシュケナージ(P)

録音:1959年*、1959-1960年(全てモノラル)
※音源:MELODIYA OS-2101、 OS-2132*
◎収録時間:76:14
“若さだけではない!ソ連時代のアシュケナージの入念な表現力!”
■音源について
アシュケナージが、エリザベート・コンクール優勝、欧米での演奏旅行を果たした後、ソ連本国で行なった重要な録音。アシュケナージの「練習曲集」は、70年代デッカの録音が名盤としてあまりにも有名ですが、詩的なニュアンスが比類なき魅力を誇る一方で、当時のデッカのピアノ録音の特徴であるペラペラなサウンドが悔やまれます。その点この録音には、盤石のヴィルトゥオジティを湛えた当時のアシュケナージの等身大の音楽性がしっかり刻まれており、モノラル録音のハンデも感じさせません。普段アシュケナージに関心のない方でも、ピアノ音楽に少しでも興味をお持ちなら必聴の名盤だと思います。

★アシュケナージのピアニズムの本質は、何と言っても、技巧の誇示や威圧とは無縁の人間味溢れる語り口でしょう。一方で、氏自身も語っているように、チャイコフスキーの協奏曲のような大向こうを唸らせる作品は、決してアシュケナージにピッタリの作品とは言えないようです。実際、若き日にイワーノフと共演したチャイコフスキーの録音でも、一見若さを爆発させた熱演に聞こえますが、聴衆がこの曲に期待するスリリングな迫力へ無理に照準を合わせているような感が終始付きまとっていました。その点、この「練習曲集」は、嘘偽りのない等身大の音楽性を余すことなく注入し尽くした真の名演です!Op.10-1の推進力と打鍵に込められた揺るぎない意志は、アシュケナージをデッカ録音でしか聴いたことがない方は驚かれるはず。しかしそのキレの有るタッチは、決して技巧優先型でなはなく、ロシア・ピアニズムの誇示とも一線を画し、アシュケナージの生来の人間性を直接反映した独自の情感に満ちており、それこそがまさに、全曲を貫く最大の魅力と言えましょう。13:37以降の上声部のタッチの明晰さも、音楽の魅力と完全に一体化していることにハッとさせられます。Op.10-2は、タッチの粒立ちを確保しながら、全体を自然に大きなレガートで弧を描く素晴らしさ!自分の引き出しの全てを活用することによる説得力を思い知るのが、Op.1-4。コーダの1:42からの下降音型は、曲の確信を抉ろうとする意思の強さと、曲を決して上から目線で捉えない優しさが融合しており、心を打つのです。Op.10-11、Op.25-1は、エレガンスという月並みな形容では収まりません。音色のコントロールといい、楽想と常に一体化したルバートの妙といい、聴き手の心の襞に触れるシーンの連続!【湧々堂】

TRE-139
オットー・アッカーマン〜名演集Vol.1
モーツァルト:交響曲第7番ニ長調K.45
 交響曲第8番ニ長調K.48
 交響曲第12番ト長調K.110
ハイドン:交響曲第100番「軍隊」*
ボロディン:交響曲第2番ロ短調#
オットー・アッカーマン(指)
オランダPO、ケルンRSO*,#

録音:1952年12月10-11日、1955年10月2-3日*、1954年6月8-11日#
※音源:独DISCOPHILIA OAA-101、DIS.OAA-100*,#
◎収録時間:79:02
“アッカーマン知られざる真価の本質を知る交響曲集!”
■音源について
アッカーマンのオペラ以外の録音は、ほとんどがコンサート・ホール・レーベルに集中しており、50代で亡くなったこともあり、その高い芸術性は広く認識されていません。ここに収録したモーツァルトは、コンサート・ホール・レーベルがアッカーマンのために交響曲全集として企画したものですが、アッカーマンの死去により、一部の曲はゲール、スウォボダの録音が充てられました。もちろんオリジナルはモノラルですが、このDISCOPHILIA盤は疑似ステレオ化(?)されていてやや不自然なため、ここではモノラルに変換しています。ハイドンとボロディンは、放送用音源。

★オットー・アッカーマン(1906−1960)は、ルーマニア生まれ。ドイツで本格的に音楽を学んだ後、主にヨーロッパ各地の歌劇場で活躍。少ない録音の中でも、EMIのオペレッタ録音がひときわ有名なので、交響曲にいおいても劇場的な雰囲気を湛えた音作りをすると思いがちですが、そう単純ではないところにアッカーマンの音楽性の底知れなさを感じます。
モーツァルトでは素直な進行とともに、古典的な様式をきちんと踏まえた安定感が際立ち、モーツァルトの天才的な筆致に自然な息吹を与えていますが、加えてそこには、常に独特の品格が備わっており、今ではその品格こそがアッカーマンの指揮の最大の魅力だと確信しています。「品格」と言ってもお上品で冷たいものではなく、温かい眼差しでスコアに向かい、音のダイナミズムや色彩、テンポなどは、音楽が最も美しく浮き上がるものを選択。結果的にシルキーな風合いを感じさせる…とでも申しましょうか。続くハイドンでは、そんな独特な空気がより顕著に立ち昇ります。
この「軍隊」、誰が何と言おうと史上屈指の名演です!第1楽章から、何の変哲もない進行の中で、全ての音が高純度を保っていることにまず驚愕!主部以降も各声部の絡みに不純物は皆無で、アッカーマンの魔法の杖で、音が泉のように湧き立つよう。「こう響かせたい」という私利私欲の欠片もない音楽が、これほど心を打つという実例です。スコアに書かれた「仕掛け」を拡大解釈したくなる第2楽章でも、その高純度ぶりは不変。それでいて、多くの聴き手が期待するスケール感もしっかり確保。第3楽章の中間部の微笑みも、アッカーマンの人柄を映すかのよう。終楽章はテンポのセンスが抜群な上に、畳み掛けるような切迫感とは違う澄み切った幸福感が横溢。0:33からの弦の音量を途中から落としてフルートへ引き渡す配慮や、後半シンバルが加わって以降の声部バランスの絶妙な入れ替え技などは、オケの量感を損ねずに美しく鳴らす極意を心得た人だけに可能な技!これほど魅力的な演奏に結実したのは、ハイドンの様式美とアッカーマンの清潔な音作りが合致しただけの偶然の産物ではないことは、次のボロディンが証明します。
こういう土臭い作品は、さすがに品格だけでは不十分と思われるでしょうが、そういう結果に陥るのは、その品格が急ごしらえの表面的な場合でしょう。その点アッカーマンの品格は筋金入りで、体に染み付いているものなので、それが音楽的ニュアンスに直結して感動を誘うのです。第1楽章冒頭のテーマから、土俗性を強調する素振りさえ見せず、そうあるべきバランスを維持しながら音像を明確化。そこから音楽の根源的に力を自然に引き出しています。第2主題もメランリックなニュアンスを故意に表面化せずとも、「ここは楽譜以上の表現は不要」という強い確信、というより瞬時の閃きが、説得力を与えているように思えてなりません。コーダのテンポの落とし方と一音ごとの刻印の仕方は、まさに高潔。白眉は、第3楽章!ケルンのオケの機能美と各ソロ奏者の素直な心の震えが、アッカーマンの絶妙な棒から自然に引き出されており、、トゥッティでも決して汚い音を発せず、幽玄の音像が繰り広げられるのです。
このアッカーマンの比類なき音作りのセンスは、無駄のない音の使い方という点では、指揮法を師事したジョージ・セルの影響が大きいかと思いますが、「厳格な指示を出して出して築いた音楽」という印象を与えない優美さは、努力して身につけたとは考えられず、神様からの贈り物としか思えません。【湧々堂】

TRE-140
オットー・アッカーマン〜名演集Vol.2
モーツァルト
:交響曲第9番ハ長調 K. 73
 交響曲第13番ヘ長調 K. 112
ケルビーニ:歌劇「アナクレオン、またはつかの間の恋」序曲*
チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調*
オットーアッカーマン(指)
オランダPO、
ベルン市立歌劇場O*

録音:1952年12月10-11日、1958年11月18日(ライヴ)*
※音源:独DISCOPHILIA OAA-101、瑞西RELIEF RL-851*
◎収録時間:75:05
“チャイコフスキーの孤独とダイナミズムを高潔な音彩で徹底抽出!”
■音源について
モーツァルトは、コンサート・ホール原盤でオリジナルはモノラルですが、このDISCOPHILIA盤は疑似ステレオ化(?)されていて不自然なため、ここではモノラルに変換。ケルビーニとチャイコフスキーはライヴ音源。レコードには「Stereo」と表示されていますが、拍手がモノラルに聞こえることと録音年代から、演奏のみ疑似ステレオ化したものと思われます。こちらは実に自然な仕上がりなので、そのままの音を採用しました。なお、チャイコフスキーの第1楽章前半で、原テープの劣化と思われる音揺れがありますが、ご了承下さい。

★アッカーマンがナチス・ドイツを逃れてスイスへ活動拠点を移し、1935年に得た大きなポストが、ベルン歌劇場の指揮者でした。そのオケとの縁の深さと、ライヴということもあってか、チャイコフスキーでは、かなり主情的な表現を注入している点がまず注目されますが、それよりもこの演奏は、チャイコフスキーへのアプローチの点でも、指揮芸術のあり方という点でも、重要な意味を持つ名演だと思います。
第1楽章の冒頭のファンファーレは、誰よりも寂しく孤独な風情を湛えていることに、まずドッキリ。その空気を引きずって第1主題も視線を落としたまま進行。皮脂分を削ぎ落としたスッキリとした音像を貫きながら、音楽は根底からうねり続けるので、独特の寂寥感が胸に迫ります。クラリネットの第2主題に入ると少しは希望の光が差し込むのが常ですが、音楽に浮揚感を与えるのはまだ先。8:29からようやく格調高いダイナミズムを打ち立てますが、ここでも音色を汚さず、全声部が完璧なバランスを保ち、その高潔さを確保したまま、11:28からは内燃パワーを大噴出させるのです。そしてコーダのテンポ設定の巧妙さ!例のルフト・パウゼがこれほど胸を突き刺すのも珍しいでしょう。
なお、この楽章は一部のパートが音の入りを間違えてアンサンブルが崩壊寸前の箇所がありますが、なんとか乗り切っています。
第2楽章は再び孤独の世界。リズムを垂直に一定に刻む箇所はほとんどなく、終止憂いの限りを尽くします。それなのに、情緒過多の印象を与えず、音楽全体が澄み切っているのです。
終楽章は実に壮大。それが華美なお祭り騒ぎにならないのは言うまでもありません。場面が変わるたびに違うテンポと表情を湛えるので、先の進行への期待と不安が入り混じり、それはあたかもチャイコフスキーの人生の生き写しのように響きます。最後は誰もが納得の大団円ですが、パワーを野放図に放射させまいとする強力な意志が働いているので、そこにもまた、アッカーマンの指揮者としての熱い信念を感じずにはいられません。【湧々堂】

TRE-141
マイラ・ヘス〜モーツァルト&ブラームス
モーツァルト:ピアノ協奏曲第14番K.449
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番Op.83*
マイラ・ヘス(P)
ブルーノ・ワルター(指)NYO

録音:1954年1月7日、1951年2月11日*(共にライヴ
※音源:米 Bruno Walter Society PR-36、BWS-736*
◎収録時間:70:21
“ヘスとワルターの親和性が最大に発揮された2大名演!”
■音源について
ワルター協会LPの1枚半分を収録。録音状態は年代相応ですが、ヘスの芸術性を実感するのに何ら不足はないと思います。

★英国の代表的ピアニスト、マイラ・ヘス(1990-1965)はワルターのお気に入りのピアニストの一人。派手なヴィルトゥオジティと無縁なのは他の英国ピアニストと同様ですが、常にヴィジョンを明確に携え、気品を持って音楽を飛翔させるピアニズムはかけがえのないものです。
モーツァルトの「第14番」では、まず曲の素晴らしさをつくづく実感。まろやかでありながら芯を絶やさないヘスのタッチは、最後まで心を捉えて離しません。第2楽章の説明調に陥らない語り口の妙と余韻は、特に格別。ワルターの伴奏は重厚な響きながら決して大味ではなく、全ての音に迷いがなく至純そのもの。ワルターが奏でたモーツァルトの中でも出色の名演ではないでしょうか。終楽章の1:28からの低音タッチの呟きとワルターとの掛け合いのシーンは、ニュアンスの自然発生的な一体感が筆舌に尽くし難いく、こういうのを「神が降リてきた瞬間」というのでしょう。
ブラームスは、ヘス、ワルター共々、大きな構えによる重厚な響きを志向し、最後まで造形的な崩れを見ず、ブラームスの音楽の醍醐味をとことん堪能させてくれます。第1楽章の15:44以降の、響きの熱い凝縮と決して華美に走らない高揚感は、これぞブラームス!第3楽章は、冒頭のチェロのソロから感涙もので、これほど肩肘を張らずに切ないロマンが零れる演奏は他に思い当たりません。それに続くヘスのピアノはたっぷりと潤いを湛えたタッチで陰影の限りを尽くし、6:25からの静謐美は比類なし!ヘスの破格の芸術性を象徴するシーンです。終楽章の終結は、ライヴともなれば白熱的に突進することも珍しくないですが、ここでは安易な熱狂とは違い、一定の矜持を持って精神を一途に高揚させることで、希望の光を放射するかのよう。
マイラ・ヘス自体、日本ではなかなか注目されませんが、この2つのライヴから、彼女固有のの芸術性を少しでも認識していただければ幸いです。【湧々堂】

TRE-142
ジャンヌ=マリー・ダルレ/サン・サーンス:ピアノ協奏曲集1
サン・サーンス:七重奏曲Op.65*
 ピアノ協奏曲第2番**
 ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」#
ジャンヌ=マリー・ダルレ(P)
ルイ・フレスティエ(指)
フランス国立放送局O
ロジェ・デルモット(Tp)*
ガストン・ロジェ(Cb)*
パスカルQ団員*

録音:1957年6月*、1957年4月27-28日**、1957年4月15-17日#
※音源:仏PATHE DTX-252*、DTX-176
◎収録時間:68:14
“作曲家直伝という箔を超越したダルレの恐るべき色彩力!”
■音源について
2枚の良質なパテ盤を使用。既存CDでは感じにくい打鍵の衝撃と、ダルレが愛奏したピアノ、ガヴォーのが放つ香気を十分引き出していると思います。

★サン・サーンスのピアノ協奏曲は、技巧の切れ味で押し切ることも可能でしょうが、だからといって、ベートーヴェンのように深刻に弾かれるとシラケることも多々あります。サン・サーンスの音楽の醍醐味を、プーランクの皮肉っぽさとも違う「優雅なウィット」だとすると、それを最も自然に満たしている名演として筆頭にあげたいのは、やはりダルレ女史の演奏。ダルレはサン・サーンス自身に師事したこともあるので、様々なアドバイスを受けたと思いますが、この演奏に流れるニュンアンスの魅力は、ダルレ自信が地道に育んだセンスの結晶と言えましょう。ダルレが愛奏したピアノ、ガヴォーのブリリアントな響きも格別。
「第2番」第2楽章で上下降するパッセージにおける、単なる粒立ちの良さだけでない洒脱さ、同第2主題で一切媚びずにイン・テンポを保持する洗練美は、何度聴いても唸らせます。終楽章は、軽いタッチに高い求心力を与えるという滅多に耳にできないピアニズムの勝利!
「第5番」は、まず第1楽章のソナタ形式の堅固さを際立たせた造形力の何と素晴らしいこと!展開部の表情の濃密な抉り方も聴きもの。第2楽章はダルレのタッチのコントロールの絶妙さに舌を巻くばかりで、一音も聴き逃せません。ピアノが入る冒頭、高音で連打する箇所で異国情緒を一気に印象づける演奏はそう多くはないはず。1:50からの木片を叩いているような風合いも、他とは違う説得力。この楽章は、ダルレの想像を絶する色彩力の全てを投入した名演と言っても過言ではありません。エキゾチシズム満点のこの楽章をショパンかラフマニノフのように流すピアニストのいかに多いことか!ただ、そのエキゾチシズム、鼻をつくような土臭さとは一線を画し、お洒落な衣を纏っている点が、他に代えがたい魅力なのです。フレスティエの指揮も申し分なし!
七重奏曲は、弦5部+ピアノ+トランペットという独特の編成による色彩を活かした楽しい佳曲。その華麗さの中核を成すのはトランペット(デルモットはパリ・オペラ座管の主席)ですが、全体に独特のエレガンスを与えているのはピアノ。第3楽章には哀愁が漂うものの、決して深刻にならないのはいかにもサン・サーンス。ピアノは単純明快な伴奏音型を繰り返しますが、そこへダルレはさり気なくウィットを滑り込ませているのがニクイところ。弦のユニゾンの甘美な色彩にもご注目を。【湧々堂】

TRE-143
ジャンヌ=マリー・ダルレ/サン・サーンス:ピアノ協奏曲集2
ピアノ協奏曲第1番
ピアノ協奏曲第3番
ピアノ協奏曲第4番##
ジャンヌ=マリー・ダルレ(P)
ルイ・フレスティエ(指)
フランス国立放送局O

録音:1956年5月、1955年4月##(全てモノラル)
※音源:英HMV ALP-1593、仏PATHE DTX-176##
◎収録時間:74:45
■音源について
「第1番」と「第3番」はイギリス盤を使用。LPでは、現在最も演奏頻度の低いこの2曲をカップリングして発売していたのです!この2曲を1枚に収めたCDを見たことがなく、それどころか、ここ数年はサン・サーンスのピアノ協奏曲のCD自体が激減しているのは、危機的状況です!

「第1番」は、サン・サーンス23歳時の作品ながら、サン・サーンス独自の屈託のない音楽性と発想力、巧みな構成を表面化させない天才的な筆致力はこの頃既に完全に備わっていたことを痛感させる演奏にはなかなか出会いません。その理由はただ一つ。作品に入れ込んでいないためです。ダルレが両端楽章で見せる無邪気な弾け方!ベートーヴェンやブラームスばかり勉強していてはこうはいかず、人生の粋を体現していなければ、第2楽章も陳腐なムード音楽に成り下がってしまうでしょう。
更に難物が「第3番」。第1楽章冒頭で、ピアノはアルペジョを繰り返すだけで、主題を提示するのはオケなので、指揮者のビジョンまで問われます。ダルレとフレスティエが完全に同じ方向を向き、展開部で熾烈な緊張の渦に本気で身を投じていることを知った瞬間から、これを「地味な曲」などと言えなくなるはず。全集録音のための急場しのぎの演奏では得られない手応えを感じていただけることでしょう。
「第4番」の素晴らしさも今さら申すまでもありませんが、終楽章での「このスタイル以外は有り得ない!」という強烈な主張を持った打鍵の連続技に接すると、単に腕が達者なだけでは太刀打ちできないことを思い知るばかりです。【湧々堂】

TRE-142-143(2CDR)
ジャンヌ=マリー・ダルレ/サン・サーンス:ピアノ協奏曲全集&七重奏曲
上記2点をセット化したもの
ジャンヌ=マリー・ダルレ(P)
ルイ・フレスティエ(指)
フランス国立放送局O
ロジェ・デルモット(Tp)*
ガストン・ロジェ(Cb)*
パスカルQ団員*

録音:1955-1957年
※音源:仏PATHE DTX-252、DTX-176、英HMV ALP-1593
◎収録時間:68:14+74:45

TRE-144
ヴェルディ:レクイエム グィド・カンテッリ(指)ボストンSO
エルヴァ・ネルリ(S)
クララマエ・ターナー(A)
ユージン・コンリー(T)
ニコラ・モスコーナ(Bs)
ニュー・イングランド音楽大学cho

録音:1954年12月17日ライヴ
※音源:米Discocorp IGI-340
◎収録時間:79:57
“大伽藍に傾かず、歌の力を引き出すカンテッリの統率力!”
■音源について
このレコードを最初に聞いたときは音があまり良くないと感じましたが、よく確認すると、開始から3分の1ほどの音量が低めであることがわかり、今回はこれを修正したことでそのストレスが軽減しました。演奏直後に起こる盛大な拍手は、余韻をかき消してしまうのでカット。また、演奏時間は80分を少し超えるので、1枚に収録するために曲間のインターバルを少し短縮しています。

★カンテッリがこの作品のセッション録音を遺してくれなかったことは残念ですが、こんな感動的な録音が存在するのは幸せなことです。無理に構えず、深刻ぶらず、一途にニュアンスを注入するカンテッリの姿勢はここでも同じで、宗教的な敬虔さと音楽的な訴求力を兼ね備えたこの演奏は、この曲につきまとう大げさな印象を一切与えず、この曲の再現の理想形と言えましょう。
まず合唱の巧さが特筆もの。“Agnus Dei”のユニゾン部、“Libera me”の無伴奏部などで明らかなように、潜在的な技量の確かさに加え、熱狂の渦に身を任せすぎないようにフレージングが制御されており、それでいて音楽は常に伸びやか。祈りのエッセンスが聴き手の心にしっかり伝わります。そして独唱陣の素晴らしさ!スパー・スターこそ配していませんが、ネルリやモスコーナはトスカニーニの指揮でも歌っているので、その教訓もここに生きていることは想像に難くありません。バスのモスコーナによる[04]“Mors stupebit”は、オペラ的な語り口に傾きすぎず、安定的に情感が滲み出し方が絶妙。更に素晴らしいのが、ソプラノのネルリ。強靭な高音からソフトに囁くピアニッシモまで、まさにリリコ・スピントの最良のスタイル示す名唱を聴かせてくれます。その魅力が核となった“Lacrymosa”の四重唱と、全体を深く大きく呼吸させるカンテッリの指揮が一体となった音楽は、筆舌に尽くしがたし!
オーディオファイル的な興味を集める作品でもありますが、それよりも歌の威力を全身で浴びたいのでしたら、是非この演奏をお聴きいただきたいと思います。【湧々堂】

TRE-145
J・B・ポミエ/チャイコフスキー&ベートーヴェン
チャイコフスキー:ピアノ・ソナタ.ト長調Op.37
 「ドゥムカ」-ロシアの農村風景Op.59*
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」#
ジャン=ベルナール・ポミエ(P)
ディミトリ・コラファス(指)
ラムルーO

録音:1964年6月18-25日&10月20-22日&11月4日、1964年10月20-24日&11月4日*、1962年#(全てステレオ)
※音源:東芝 AA-8022、仏Club Francais 2300#
◎収録時間:79:53
“10代から備わっていたポミエの美麗タッチと造形力!”
■音源について
イヴ・ナット、サンカン門下のポミエが、1962年のチャイコフスキー・コンクール4位入賞(1位はアシュケナージ&オグドン)直後に行った録音。チャイコフスキーは、国内初期の赤盤を採用。赤盤は音質に定評があるものの、チリチリ音が混入していることが多いのが悩ましいところですが、ここでの使用盤は、ノイズがほぼゼロです!

★ロシア人以外のピアニストによるチャイコフスキーのソロ作品の録音で、まず筆頭にあげたいのがこのポミエ盤。「ソナタ」は30分を要する大曲ながら、ベートーヴェンのような堅固な構造を期待する向きには敬遠されがち。しかし、ポミエの瑞々しい切れ味と感性を誇るピアニズムに掛れば、そんな心配はご無用。チャイコフスキー特有のロマンチシズムと郷愁がストレートに胸に迫り続けます。特に第2楽章で、冒頭の瞑想的な主題のみならず、中間部の活気ある主題にも満遍なく情感を宿しているのは、作品への共感が本物であることの証しでしょう。
チャイコフスキー・コンクール入賞直後に録られた「皇帝」がまた凄い!この時ポミエはなんと18歳!この大曲を前にして一切気負うことなく、無理に背伸びした感を一切与えず、正直な音楽性を余すことなく注入。ハッタリとは無縁で、瑞々しい音色とタッチが作品に見事な推進力を与えており、いかにも皇帝風の威厳というよりも、人生の喜びを全身で表現したような清々しさ、一途さに心奪われます。第1楽章で頻出する音階風のフレーズにも常に歌が通っており、第2楽章は、気品と温もりのあるタッチで魅了。ホールの響きと溶け合って導かれる空気感が、更に雰囲気を倍増させています。終楽章の素晴らしさに至っては、史上屈指!若々しい感性を発散しながらも決して青臭さを感じさせず、テンポも先走りせず、安定感抜群。後年のソナタ全集(Erato)で見せた造形力の確かさが、この頃既に備わっていたことに驚きを禁じえません。
史上屈指と言えば、コラファスの指揮も同様。伴奏以外の録音が見つからず、詳細な経歴も不明ですが、このダイナミックな音作りと呼吸の深さに絶対的な自信と確信が横溢。第1楽章後半、16:59からのクレッシェンドの効かせ方!只者ではありません。【湧々堂】

TRE-146
カンポーリ〜ブルッフ、サン・サーンス&ラロ
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
サン・サーンス:ハバネラ*
 序奏とロンド・カプリチオーソ*
ラロ:スペイン交響曲#
アルフレッド・カンポーリ(Vn)
ロイヤルトン・キッシュ(指)新交響楽団
アナトール・フィストラーリ(指)LSO*
エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム(指)LPO#

録音:1951年4月17日、1953年11月10日*、1953年3月3-4日#
※音源:英DECCA ACL-64、ACL-124#
◎収録時間:77:08
“作品の様式美を踏み外さないカンポーリの芳しい歌心!”
■音源について
全てACL(溝)盤を使用。ACLは時折音がざらつき気味のものにも出会いますが、これらは問題なく良い音で鳴ってくれました。なお、ブルッフの1〜2楽章間は一瞬音が途切れますが、元々そのように収録されています。

★アルフレッド・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれですが、少年期にロンドンへ移住。イタリア的な明るさを持つ美音と英国風の折り目正しいフレージングを融合したを魅力は、かけがえのないもの。ここでは、そんなカンポーリの魅力を端的に示す名演として、濃厚な味を持つ作品ばかりを集めていますが、特にご注目いただきたいのは、作品の濃厚さを逆手に取って聴衆に媚びるような表現はせず、気品溢れる音楽に結実させている点。
例えば、サン・サーンスの「序奏とロンド〜」の冒頭は、リズムを立てず、しっとりと歌われるのが常ですが、カンポーリはそんなお約束とは無縁。5小節目の下降音の32分音符にカラッとした軽みを与えているように、この作品の魅力は決して演歌風の表情付けではなく、各楽想を丁寧に描くことで自然に滲み出るということを教えてくれます。それでいて、多くの人が期待する「お涙」も過不足なく湛えているのですから、なんという芸の奥深さ!
そういう常套手段に甘んじない気品溢れる芸風は、スペイン交響曲で最大に開花しています。第1楽章の最初のソロに、カンポーリのアプローチの魅力のすべてが凝縮されています。情緒たっぷりのアゴーギクも、血を滾らせたような上げ弓も用いずに切々と歌われるフレーズは、音の勢いで蹴散らしてはもったいないと言わんばかり。天下の美音を誇りながら感覚美を志向せず、熱い音ではなく、熱い共感こそが説得力を生むのだということを思い知らされます。第2楽書の可憐さも、あくまでも自然体だからこそ聴き手の心をくすぐるのです。第3楽章の主題で、音の高低差を大げさに対比するような真似も、カンポーリの美意識が許しません。したがって終楽章も、力任せの演奏では聴こえてこない香り高いニュアンスの連続!美しい歌とは何か…、その答えが3:34から導き出されます。安易なエキゾチシズムに依存しないという演奏は他にもあるかもしれませんが、それを綺麗事で終わらせず、慎ましさの中に華のある表現で聴き手を酔わす演奏となると、他に思い当たりません。そして忘れてならないのは、ベイヌムの指揮の凄さ!カンポーリとは対照的に、高凝縮力を誇る迫力満点の音楽を展開していますが、内面から確信するニュアンスを貫徹させる信念は共通しており、両者が反発し合うことなく見事にブレンドされている点も特筆ものです。【湧々堂】

TRE-147
G・L・ヨッフム〜シューマン&ブラームス
シューマン:交響曲第1番「春」Op.38
ブラームス:交響曲第2番ニ長調Op.73*
ゲオルク・ルートヴィヒ・ヨッフム(指)
ベルリンRSO、スウェーデンRSO*

録音:1951年6月10日、1957年7月5日*(共にモノラル)
※音源: RVC RCL-3310、BIS LP-331/333*
◎収録時間:64:52
“高名な兄以上の統率力と高潔な精神力を感じさせる凄演!”
■音源について
オイゲン・ヨッフムの弟、G.L.ヨッフムの録音は極めて少なく、ウラニアのブルックナーの交響曲が知られる程度。その演奏でも、G.L.ヨッフムの指揮の特徴ははっきり聞き取れますが、なにせヒトラー肝煎りのオケによる演奏ですので、先入観なしに味わうのは難しかもしれません。その点ここに収録した2曲は、心置きなく感動していただけると思います。シューマンは、日本で発売されたG.L.ヨッフムのLPは、伴奏もの以外ではこのシューマンが唯一と思われます。

★私のG.L.ヨッフム初体験は、ブルックナーではなくこのシューマン。聴いた途端に大いに感動したと同時に、かつてナチ党員だったという理由だけで葬り去っては大損失だと確信しました。その音楽作りは、兄オイゲンが南欧的でロマン主義的とするなら、G.Lヨッフムはもっと現代的で、造型のメリハリ重視型。響きの凝縮力とオケの統率力は、兄よりも上かもしれません。トスカニーニほどザッハリヒではなく、フレージングにしなやかさと美しさを湛える資質はブルックナーでも存分に発揮していましたが、ここではその高次元の芸術を更に良い音で堪能できるのです!
シューマンは、まさに春爛漫!第1楽章主部は一途な推進力に溢れながら、細部にまで配慮が行き届き、第2主題の木管を支える弦の刻み(2:26〜)など、ジョージ・セルのような緻密さを見せます。展開部で金管楽器の補強措置が当然のように響くのは、G.Lヨッフムの並外れたバランス感覚の証左。第2楽章は更に求心力絶大。この楽章だけでも並の名演ではないことを実感いただけることでしょう。長い音を引き伸ばす際に独特のクレッシェンド効果を与える(第1楽章7:42〜など)のは、他の録音でも聴かれる特徴ですので、G.Lヨッフムの趣味かもしれませんが、これはスタイルとしてはむしろ旧タイプ。そうした単純にカテゴライズできない独自のスタイルを堪能するのも一興です。
このシューマンだけでも手応え十分ですが、ブラームスがまた凄い!第1楽章第1主題の弦のシルキーさ、第2主題の心震わせた歌に心奪われない人がいるでしょうか?フレーズの冒頭に明確な意思を持ってアクセントを配して音像を明瞭化させるなど、音楽を曖昧模糊とさせない徹底した配慮にも要注目。第2楽章は、テンポのメリハリ感が強烈。それに伴い感情の起伏が生々しく表出されます。終楽章は8分台の高速モードですが、高潔な精神が最後まで漲らせながら手に汗握る高揚を築き、聴後は最良のブラームスを味わい尽くしたという満足感で満たされること請け合い!
ちなみに、2曲ともライヴ録音ながら拍手も会場ノイズもないので、放送用録音と思われます。【湧々堂】

TRE-148
L・ルートヴィヒ〜「未完成」&「新世界」
モーツァルト:歌劇「イドメネオ」序曲*
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界から」#
レオポルド・ルートヴィヒ(指)
ハンブルク国立歌劇場O*、LSO

録音:1960年代中期*、1959年11月17日、11月16日#(全てステレオ)
※音源:独EUROPA E-177*、日COLUMBIA MS-1102EV
◎収録時間:68:11
“斜に構えず、誇張せず、音楽の魂をひたむきに追求!”
■音源について
2つの交響曲はエヴェレスト音源ですが、全帯域に渡りバランスが良く、プレスにもムラがない日本プレス使用しました。

★シューベルトもドヴォルザークも、ロンドン響の機能美と潜在的な表現意欲を出し尽くした素晴らしい演奏。埋もれたままではあまりにも惜しい逸品です。
「未完成」の第1楽章は、衒うことなくごく標準的なテンポで進行しながら、内省美と内なる炎を兼ね備えたニュアンスを常に携え、特に展開部の充実ぶりが忘れられません。第2楽章は、 シューベルトに共感しきれない指揮者ほど間が持たず、音楽に過剰なコントラストを施しがち ですが、ルートヴィヒにはそんな誤魔化しは無用。6:41からの木管の旋律と弦のリズムが一体 となって進行するシーンは、木管を透徹した響きで際立たせる演奏もありますが、ルートヴィ ヒは決して音楽の構造を解析するような真似はしません。しかもロンドン響には珍しく、人肌 のぬくもりを持つ音色で一貫しているので、より心に染みます。 その素朴な音色を活かして、人間味満点の演奏に結実させているのが「新世界」。ケルテス、 ロヴィツキ、C.デイヴィスと、ロンドン響による「新世界」は全て逸品揃いですが、研磨剤を 用いない「作りたての味」と純粋な情熱という点で、他とは大きく一線を画しています。中でも特筆したいのは、第3楽章の結晶度の高さ! テンポも相当速いですが、どこにも無理がなく、その自然発火的な勢いが完全に作品と一体化 しているのです。終楽章もライヴ録音のような白熱ぶり。コーダの9:22から、トランペットの みならずホルンも同じテンションで全身で吹きまくる様は、何度聴いても鳥肌が立ちます。 ルートヴィヒは、決して地味な指揮者ではありません!【湧々堂】

TRE-149
アルトゥール・ローター〜劇付随音楽集
ウェーバー:「オベロン」序曲
 「プレチオーザ」序曲*
シューベルト:「ロザムンデ」(抜粋)**
 序曲/間奏曲第3番/バレエ音楽第2番
メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」(抜粋)#
 序曲/スケルツォ/夜想曲/結婚行進曲
アルトゥール・ローター(指)
ベルリン国立歌劇場O

録音:1956年9月16日、1956年6月16日*、1957年6月20日**、1957年3月27日-4月3日#(全てステレオ)
※音源:独TELEFUNKEN SLT-43011、SLT-43010**,#
◎収録時間:68:58
“聴き手の感性を刺激する究極の音の紡ぎ出し!”
■音源について
シューベルト&メンデルスゾーンのレコードは、スタンパー番号1と2を入手。一般的にスタンパー番号が若いほど、メタルマザーの劣化は少ないはずですが、ここではスタンパー番号2の方が明らかに音抜けと奥行き感は上でしたので、それを採用しました。ウェーバーは、6曲収録した「序曲集」から抜粋。1989年にCD化されましたが、その音は雑味皆無ながら、オケの響きの魅力が消滅し、古臭いステレオ音にしか聞こえませんでした。

★劇場叩き上げ指揮者の典型であるローターの魅力が満載!ベルリン国立歌劇場のオケの燻し銀の響きと相俟って、決して説明調ではない、聴き手のイマジネーションを掻き立てる雰囲気作りは、昨今の指揮者ではなかなか見られない至芸です。劇場での下積みを経た指揮者は現在でも存在しますが、こういう雰囲気を出せる指揮者もオケも、もはや絶滅状態。効率最優先の時代ですから、仕方ないのかもしれませんが…。
「ロザムンデ」序曲の序奏部の響きからして、何という深みでしょう!その響きそのものが音楽的であり、この先どんなニュアンスの音楽が流れるのか、たちどころに判るのです。1:22からゆったりと弦が下降する場面の手作り感も、主部3:20から第2ヴァイオリンが一瞬クレッシェンドする呼吸感も、後付けの共感では成し得ないでしょう。フォルテの出し方にも常に人間味が宿り、単に音の大きさではなく、包み込むような懐の深さで感動を引き出してくれるのです。そのスタイルで「間奏曲」を奏でたらどれだけ心を打つか、お察しいただけると思います。
「真夏の夜の夢」は、全曲版でないのが実に残念。メルヘンチックな雰囲気を積極的に作り込む手法を取らず、丹念な音の紡ぎ出しに徹するのは、L・ルートヴィヒやホルライザー等の職人気質の指揮者に共通するスタンスですが、逆にあれこれ趣向を凝らされたら、聴き手の感性など出番はなく、夢も描けず、こういう噛めば噛むほど味が出る演奏は生まれないはずです。テンポはどこを取ってもエキセントリックとは無縁。序曲後半の静謐の浸透力は、曲が終わった後まで芳しい香りとともに余韻として残りますし、「結婚行進曲」では、ティンパニ・パートの追加の絶妙な効果と一体となって、隅々までゴツゴツとしたドイツ流儀の響きの魅力がビリビリ伝わります。中間部の呼吸の深さもお聴き逃しなく。
ウェーバーは、「プレチオーザ」が聴きもの。この曲は鳴り物が加わった途端にお祭り騒ぎとなることが多いですが、ローターは鄙びた雰囲気と、素朴な愉しさの表出に終始。その独特のゆとりが得も言われぬ味に直結しています!【湧々堂】


TRE-150
シェルヘンの二大過激名演集
ハイドン:交響曲第100番「軍隊」
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」*
ヘルマン・シェルヘン(指)
ウィーン国立歌劇場O

録音:1958年7月、1958年9月18日*(共にステレオ)
※音源:Westminster WST-14044、WST-14045*
◎収録時間:66:58
“伝統美を完全放棄!過激さの裏に迸る絶対に譲れない信条!!”
■音源について
いろいろ聴き比べましたが、結局この本家ステレオ初出盤を凌駕するものには出会えませんでした。この音の生々しい生命感、鋭利な切れ味、ハイドンの第2楽章後半のド迫力など、驚きの連続です。なお、「英雄」は、第2楽章だけティンパニが左から聞こえます。ヴァイオリンの位置は変わってないようなので、全体を左右逆転するわけにはいかず、そのまま収録しましたが、5:22頃に一瞬だけ右側へ移る珍現象が起こり、ここだけは左右反転の処理を行いました(CDでは確かそのままだったと思います)。この定位の不安定さは、ウェストミンスターのステレオ初期録音によく見られる現象ですので、ご了承下さい。

★一口に「過激」とか「爆演」と言っても、その内容や意味合いは様々。私が知る限り、そのことを最も痛切に考えさせられのがこの2つの録音で、シェルヘンという指揮者の独自の芸術性を知るうえでも不可欠だと思います。
正直、「軍隊」終楽章の気が触れたとしか思えない高速テンポに初めて接した時は、思わず吹き出しましたが、次第に笑い事では済まない強烈な確信力に引き込まれてしまったことを昨日のことのように思い出します。第2楽章は、ゆったりとした優美さを貫くと思いきや、そのテンポを後半の金管・打楽器の壮麗さに転嫁させるという設計の巧みさ!ステレオ効果を意識した楽器配置にもドッキリ!
「英雄」は、前回1954年録音のオーソドックスな解釈を放棄し、この録音では異常な高速モードに激変!アンサンブルの正確さ、音の綺麗さなど二の次。でも、決して音楽をオモチャにしているわけでも、上から目線で作品を蹂躙しているのでもなく、シェルヘンは「真剣」であり、「夢中」なのです。DVD化されてたシェルヘンのリハーサル風景では、あまりにも長いシェルヘンの演説に呆れている団員の姿が映っていましたが、彼にとって音楽が全てであり、団員に好かれることなど眼中にないのでしょう。この「英雄」も、自分たちの音楽に誇りを持つ団員たちがシェルヘンの解釈に心酔してと言うよりも、「そこまで言う死ぬ気でやってやる!」的なスタンスで、ウィーンの伝統を一旦放棄してその棒に必死で食らいついている様子が目に浮かびます。
指揮者が通常とは異なる解釈を示した場合、それが聴き手に深く長く訴え掛けるかどうか、瞬間的なショックで終わってしまうか、その命運を分けるものは何か?結局、正しさを追い求めるより、何を表現するかが肝心だと、この2曲を聴くといつも痛感する次第です。【湧々堂】

TRE-151
エフレム・クルツ〜マーチの祭典
R=コルサコフ:「皇帝サルタンの物語」組曲*
 ドゥビーヌシカOp.62*
 組曲「雪娘」〜道化師たちの踊り*
■行進曲集
ヴェルディ:歌劇「アイーダ」〜大行進曲
プロコフィエフ:「3つのオレンジへの恋」〜行進曲
R=コルサコフ:組曲「金鶏」〜結婚行進曲
マイヤベーア:歌劇「予言者」〜戴冠式行進曲
ベルリオーズ:「ファウストの劫罰」〜ハンガリー行進曲
スーザ:星条旗よ永遠なれ
シューベルト(ギロー編):軍隊行進曲
ベートーヴェン:「アテネの廃墟」〜トルコ行進曲
シャブリエ:楽しい行進曲
J・シュトラウス1世(ウィンター編):ラデツキー行進曲
チャイコフスキー:スラヴ行進曲
エフレム・クルツ(指)
フィルハーモニアO

録音:1963年6月26-29日&7月1-3日*、1959年(全てステレオ)
※音源:HMV SXLP-30076*、東芝 AA-8022
◎収録時間:75:58
“解釈のスリルではなく、音楽の楽しさをしみじみ感じたい方に!”
■音源について
「マーチ集」は、音質も盤質も極めて優秀な赤盤を採用しました。奥行きと広がりを兼ね備えた音像を見事に再現しており、「アイーダ行進曲」冒頭のトランペットの輝きなど、本当に惚れ惚れします!ちなみにこの盤では、英盤で1面に収録されていた曲が2面に収録されており、ここでは英盤の順番で収録しています。

★エフレム・クルツ(1900-1995)はサンクトペテルブルク出身ですが。若い頃から欧洲で活躍したせいか、ロシア的な野趣をほとんど感じさせないすっきりとした音作りが特徴的。
R=コルサコフ
でも、熱い共感を顕在化せず、色彩も華美に表出することなく、和やかでメルヘンチックな雰囲気を大切にしているので、感覚的にスリリングな演奏から得られない余韻が醸し出されます。
聴き手に作品のイメージを強烈に植え付けるような力技を用いない謙虚さは、バレエ指揮者としてステージ上の演技の盛り立て役に徹してきた経験から培われたものと思われますが、ショスタコーヴィチの交響曲第10番のような重量級の作品でも、ここに収録した「マーチ集」でも、首尾一貫しているのが興味深いところです。
「星条旗よ〜」でも「スラヴ行進曲」でも、自身の個性や解釈の痕跡を一切残さない姿勢は、ともすれば、単に無気力と誤解されかねねませんが、聴き進むうちに、さり気なく縁の下から作品を息づかせるという地味な凄技に気付かされることでしょう。
確か1970年代頃に、作品への共感も表現力も持ち合わせず、評論家の目を意識しすぎて表現を放棄してしまったかのような無機質な演奏に対して「中庸の美徳」という美辞が安易に使われたことがありました。クルツは個性を前面に出さないからと言っても、そんな駄目指揮者とは大違いです。こういう気の置けない作品たちを素朴に「良い曲だな〜」と聴き手に実感させる…、それこそが本当の意味で「ツボを心得た指揮」というものではないでしょうか。フィルハーモニア管のセンスもいつも通り。【湧々堂】

TRE-152
ワルベルク〜モーツァルト&シューベルト
モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550*
シューベルト:交響曲第3番ニ長調D.200
 交響曲第5番変ロ長調D.485
ハインツ・ワルベルク(指)
バンベルクSO

録音:1961年3月*、1962年12月(全てステレオ)
※音源:日COLUMBIA MS-4*、独Opera St-1985
◎収録時間:77:26
“ただの純朴指揮者ではない!ワルベルク流の音楽の息づかせ方!”
■音源について
全て独Operaへの録音ですが、モーツァルトは優秀な日本盤を使用。当時のバンベルク響の木目調の風合いをしっかり伝えています。Opera盤のジャケットは例によってシンプルな統一デザインなので、ここではOrbis盤のジャケを使用。

★決して作品を弄り回さず、音楽を窮屈なものにしないワルベルクの魅力が満載!強烈な個性を売り物にしないアーチストは、どんなに心を尽くした演奏を繰り広げても「歴史的名演」という賞賛を得られないのが世の常ですが、ここに聴くシューベルトは、Opera盤で聴くことで、まさにその名に値する逸品だと確信しました。通常なら「誠実な良い演奏」くらいの評価でしょうが、とんでもない!聴けば聴くほど、ベームやビーチャム等の有名盤と拮抗するか、それ以上の魅力に気付かされます。
まず、そのベースを担っているのがバンベルク響の温かな響き。それがワルベルクの飾らない人柄と一体化するのですから、いかに音の全てが琴線に触れるか想像いただけると思います。しかも曲が、シューベルトの音楽性が最も自然体に表れている「3番」「5番」というところもポイント。この三者のブレンド効果は筆舌に尽せず、これほど条件の揃った演奏は例を見ません。
「第3番」は、1楽章主部や第3楽章のテンポ、響きの厚み加減、リズムの弾力と、これぞシューベルト!と膝を打つこと必至。特に第3楽章は史上最高の名演!、恣意性皆無の絶妙なリタルダンドを経て滑り出す中間部を聴いて、他の演奏を聴きたくなる人などいるでしょうか?いったいどうやったら肩の力を入れることなく、これほど自然に音楽の感興を導き出せるのでしょう。単にオケに引きたいように弾かせるだけでは、これほどの味わいは生まれないはずです。
「第5番」ではその秘訣がちらっと垣間見えます。第1楽章コーダ4:46から、弦が実体感を伴って駆け上がる走句もそうですが、さらにハッとするのが第2楽章冒頭。通常は第1音からレガートで弾かれますが、ここでは第1音で一旦弓を弦から離しています。これは、アウフタクトの意味をしっかり捉えている証しで、これぞ叩き上げ指揮者のこだわり!それでもそこに厳格性を感じさず、あくまでも音楽があるべき姿で息づいていることを感じていただけるでしょう。
「渋い」とか「素朴」といった形容で済まされる演奏家に対しては、その本質を探る余地がまだまだあることを改めて思い知らされました。【湧々堂】

TRE-153
モーツァルト:レクイエム K.626(ジェスマイヤー版) ヨーゼフ・クリップス(指)
ウィーン宮廷O&cho
ヴェルナー・ペック(Boy-S)
ハンス・ブライトショップ(Boy-A)
ヴァルター・ルートヴィヒ(T)
ハラルト・プレーグルヘフ(Bs)

録音:1950年6月
※音源:KING RECORD ACD-13(Jp)
◎収録時間:55;44
“厳格ではなく厳粛な空気感が心に染みるクリップスの至芸!!”
■音源について
これも様々なプレスが存在しますが、ここでは英メタルを用いた日本プレス盤を採用。今までCDを聴いて、音にも演奏スタイルにも古臭さしか感じられなかった方でも、これを聴けばこの演奏の比類なき魅力を実感していただけると思います。なお、オケの実体はウィーン・フィル、合唱団はウィーン少年合唱団とされますが、ここではレコードの表記のままとしました。ジャケにはフランスの10インチ盤のものを使用。収録時間60分未満につき特別価格。

★この演奏に関して、どうしても特筆したい点が2つあります。第1は、女人禁制だった18世紀の教会の慣習を尊重し、独唱の女声パートをウィーン少年合唱団員が受け持っていること。但し、「伝統尊重」がこの演奏の最大の眼目ではありません。作曲当時のスタイルの検証・考察は、近年のピリオド派の演奏家にとっては最大の責務かもしれませんが、クリップスは決して学術的領域には踏み込まず、音楽家の領分の範疇で、いつものように一心に愛情を込めた音楽を繰り広げ、その愛を注入し尽くそうとする意思が、全体に伝播する浸透力が尋常ではなく、優美さを湛えながらも全員一丸となって確信的な愛の塊と化した音楽の感動は例えようもありません。
第2に、二人の少年独唱の巧さ!特にボーイソプラノというと、多少音程が怪しくても、「純粋さ」故に寛容に受け止められることが多いですが、ここではその音程が確かであるばかりか、音楽の感じ方が尋常ではなく、しかも訳知り顔で背伸びしたような嫌らしさもなく、音楽のニュアンスが本当の意味で純粋に引き出されています。その凄さと、クリップスの見事な采配に触発されるように、合唱もまた渾身の歌唱。第1曲4:10から音が段階的に上行する際の魂の過熱ぶりなど信じ難く、最高潮点から下る際の僅かなポルタメントにもスタイルの古さを超えた必然性を感じさせるのです。テノール、バスの濃厚な歌唱もここでは場違いな印象を与えず、これらが渾然一体となった第4曲“奇しきラッパの響き”は必聴!そして、続く第5曲の「レックス!」の発し方の素晴らしいこと!決して絶叫ではなく、心のそこから畏れ、救いを求めて振り絞った発声が、かなり遅めのテンポを最大限に活用して迫る様に言葉も出ません。
この録音は、クリップスの人間力が総動員されたとびきりの名演と言っても過言ではありません!【湧々堂】

TRE-154
ラインスドルフ&ボストン響〜厳選名演集Vol.1
マーラー:交響曲第5番
エーリヒ・ラインスドルフ(指)
ボストンSO
ロジャー・ヴォワザン(Tpソロ)
ジェームズ・スタグリアーノ(Hrnソロ)

録音:1963年11月17,23,26日(ステレオ)
※音源:英RCA SER-5518
◎収録時間:64:31
“外面的効果を排し、芸術的な昇華力で勝負した記念碑的名演!!”
■音源について
この「5番」はLP3面分(4面にはベルクの「ヴォツェック・抜粋」を収録)を使っているので、余裕の鳴りっぷり!しかも、この英盤ならではの欧風サウンドで味わう感動は、既発のCDでは到底太刀打ちできません。ちなみに、バーンスタインがニューヨーク・フィルと同曲を録音したのは、同じ1963年の1月のことでした。

★まだマーラーの録音自体が少なく、その解釈もワルターに代表されるようなマーラーの人間性と感情の起伏を押し出した演奏が主流だった頃、それを一旦リセットし、作品を等身大の芸術作品として確信を持って表現した演奏として、決して忘れてはならない名演であり、ラインスドルフが遺したマーラーの最高峰と確信しています。
第1楽章最初の弦の主題は、高潔さと温かさを兼ね備え、さりげないアゴーギクを携えたフレージングに早速惹きつけられます。「突然、より速く、情熱的に荒々しく」でも高潔さを失わず、上滑りせずにしなやかな歌を展開。ヨーロッパ調の美しい響きを保ったまま音楽を内燃させます。7:05からは、憔悴しきった響きに偏らず、決然とした意思を持って響きをブレンドさせる妙味にご注目を。8:51のティンパニソロの巧さにも唖然。その直後の弦の柔和な滑り込みは、ラインスドルフがこの頃完全にミュンシュとは違う指向の音をオケに植え付けていたことを裏付る、象徴的なシーンと言えましょう。
更に、オケの機能美も高次元に引き上げていたことを実感させるのが第2楽章。木管の内声パートは常に明確な主張を持って発言しつつ、全体は温かで自然なブレンドで一貫。7:31以降のアンサンブルの熾烈な緊張増幅と、破綻皆無のレスポンス、それらをベースにして情感が余すことなく高揚する様は、オケの技術が向上した現在でも滅多に出会えるものではありません。
第4楽章
は、かつてボストン響の響きが最もヨーロッパ的と形容されていたことの意味をとことん実感。その甘美な楽想ゆえに、「第5番」そのものを高く評価しない向きもありますが、それはひとえに演奏次第。音楽の構成への配慮と、過不足のないロマンの香気を同居させたこの演奏で聴く味わいは、他に類を見ません。
時に冗長で外面的と評される終楽章も同様。私自身、この楽章を味わい尽くしたと言い切れる演奏は、このラインスドルフ盤以外には殆ど出会ったことがありません。
ラインスドルフという指揮者自体に、「禁欲的」「無機質」という印象をお持ちの方も多いことでしょう。これまた、以前の私がそうでした。それがこの英プレス盤に触れて一気に払拭されたのです!
ひ、ボストン響全盛期のサウンドの醍醐味と共に、ラインスドルフの真価を実感していただければ幸いです。【湧々堂】

TRE-155
アルトゥール・ローター/オペラ序曲・合唱曲集
J・シュトラウス:「ジプシー男爵」序曲*
 「くるまば草」序曲*/「こうもり」序曲*
ニコライ:「ウィンザーの陽気な女房たち」〜序曲#/月の出の合唱
ウェーバー:「魔弾の射手」〜狩人の合唱/花嫁のために冠を
ワーグナー:「タンホイザー」〜大行進曲/巡礼の合唱
 「さまよえるオランダ人」〜水夫の合唱
 「ローエングリン」〜エルザの大聖堂への入場/婚礼の合唱
 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」〜目覚めよ,夜明けは近いぞ
ヴェルディ:「トロヴァトーレ」〜朝の光がさしてきた
 「ナブッコ」〜行けわが思いよ,金色の翼に乗って
アルトゥール・ローター(指)
ベルリン国立歌劇場O*,#
ベルリン・ドイツ・オペラO&cho

録音:1958年6月9-10日*、1956年3月5日#、1960年代前半(全てステレオ)
※音源:独TELEFUNKEN SLE-14211*、SLT-43011#、6.42885
◎収録時間:78:18
“魂の飛翔!劇場叩き上げの本領を発揮した比類なき説得力!”
■音源について
全てドイツ盤を採用。「合唱曲集」のみ70年代のレコードを用いましたが、演奏のコシの強さとハリは失われていません。

★名匠ローターのトレードマークとも言えるオペラ名曲集。J・シュトラウスは、響きの渋さといいカチッと固めた構成力といいウィーン風でないことは確かですが、フレージングまでドイツ訛で押し通しているわけではなく、ローターのシュトラウスに対する惜しげもない愛を感じさせる歌心が、独特のアゴーギクと共に満遍なく盛り込まれている点にご注目!
「くるま草」のワルツ主部の弱拍の末端まで頬擦りするような愛おしさ!3:50からのフレーズでクレッシェンドとディミニュエンドをあからさまに繰り返す演奏をよく耳にしますが、ここではフレーズの冒頭から結尾まで感じきった歌が続くので、そんな操作など一切不要。
J・シュトラウスへの愛の試金石とも言える「こうもり」のオーボエによる“ロザリンデの嘆き”は、音の隈取が克明な上に、対旋律の隅々まで心の震えを反映しきっており、4:35からの一瞬のリタルダンドも溢れる涙を反映するように反射的に音量を上げて吹いているこので、単なる慣習に沿ったたけの演奏とは、ニュアンスの真実味が違います。
「合唱曲集」は、ドイツ・オペラの真髄の端的に示す歴史的録音。体に染み付いた歌とはまさにこのこと。ウェーバー「狩人の合唱」の“ラララッ、ラララッ”の高音跳躍の突き抜け方!楽譜を追っていてはこうは行きません。「オランダ人」の「水夫の合唱」は、うかうかしていると体をどこかに持って行かれそうな牽引力。ムーディーに流れず、目の詰んだハーモニーを確信を持って紡ぐ「ウィンザー〜」の美しさも筋金入り…。ヴェルディの2曲は、もちろんドイツ語歌唱。【湧々堂】

TRE-156
オドノポゾフ〜ブラームス、サン・サーンス他
サン・サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ
 ハバネラOp.83
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲*
リカルド・オドノポゾフ(Vn)
ジャンフランコ・リヴォリ(指)ジュネーヴRSO
カール・バンベルガー(指)フランクフルト歌劇場O*

録音:1955年頃、1954年頃*(全てステレオ)
※音源:日Concert Hall SM-2250、仏Prestige de la Musique SR-9653*
◎収録時間:65:49
“甘美な音色と厳しい造形力を駆使した「語り」の妙味!!”
■音源について
コンサート・ホールのステレオ・バージョンは、特に協奏曲においてソロとオケが溶け合わないことが多いですが、これらは合格。特にブラームスは全体のブレンド感に違和感が無く、同レーベルの協奏曲録音の最高峰と言えます。このステレオ盤は、日本の名曲全集の中の一枚と、アメリカ盤、この70年代のフランス盤しか発見できませんでした。ここでは、オドノポゾフの音色美を最大限に引き出している70年代のフランス盤を採用しました。ジャケ写は独盤。

★リカルド・オドノポソフ(1914-2004)は、アルゼンチン出身。13歳でベルリン音楽大学ヘ入学し、後にカール・フレッシュのもとでで研鑽を積みました。1932年にはウィーン国際音楽コンクールで優勝。同時期に、ウィーンフィルのコンサートマスターに迎えられました。戦時中はアメリカを拠点に活動しましたが、戦後再びウィーンへ戻り、ウィーンアカデミーの教授に就任し、後進の指導にあたりました。
まず、最初の3つの小品でで、オドノポゾフの魅惑的な美音をたっぷりご堪能ください。音の端々まで愛情を注入し、人柄を映したような温かな歌が、音楽のフォルムを逸脱することなく切々と表出され、技巧が表面化することもないので、聴き手の心への浸透力が破格です。特に、ツィゴイネルワイゼン!後半の急速なアレグロに転じる前の「泣き」の凄さ。しかもオドノポゾフが鼻をすするような音まで聞こえ、それほど感極まったのかもしれません。それでも音楽を崩さずに気品を貫く心意気が、また泣かせるではありませんか!
そしてブラームスの究極芸!第1楽章の入り方は、今まで聴いた演奏の殆どは野放図な切込みで誤魔化していたのでは?と思えるほど、音楽を「語る」ことしか念頭にありません。トリルがこれほど心のときめきと直結しているのも珍しいでしょう。第1主題(4:16〜)はオドノポゾフの美音の真骨頂。決して感覚的な美しさにとどまらない慈愛一筋に流れるフレーズに涙を禁じえません。ブラームスにシゲティのような厳しさを求める向きでも、楽章ラストのカデンツァを聴けば、音の意味を一滴も漏らすまいとする集中力と息の長い呼吸に支えられて、芸術的昇華の極地を見せていることを認めざるをえないでしょう。オケが再び加わってから主題が少しづつ上昇するシーンに至っては、オケとの溶け合い方も含めて、これ以上に美しいのものを知りません。ブラームスらしい滋味を象徴する第2楽章でさえ、その真の美しさを湛えた語り口によって、決して音楽が低迷することがありません。終楽章も、切れ味とパワーで押し切る演奏では味わえない、入魂の語り芸!強烈な弓圧で圧倒する瞬間などどこにも存在しません。
このディスクによって、オドノポゾフの芸術性はもちろんのこと、このブラームスの協奏曲の魅力も再発見していただけるものと確信しています。【湧々堂】

TRE-157
サージェントの「わが祖国」
スメタナ:連作交響詩「わが祖国」
マルコム・サージェント(指)ロイヤルPO

録音:1964年(ステレオ)
※音源:独ELECTROLA SME-80937-38、伊EMI SQIM-6384
◎収録時間:73:31
“歴史的背景に囚われず純粋な音画描写に徹した潔さ!”
■音源について
イギリス盤、ドイツ盤、イタリア盤の各ステレオ初出盤をを比較試聴した結果、最も色彩とスケール感を感じられたのはドイツ盤とイタリア盤でした。「高い城」冒頭のハープの潤いからしてイギリス盤と異なり、ましてや既出CDの平板な音とも違います!ここでは、ドイツ盤を使用しましたが、一部プレス上の不備(ボコボコノイズ)が顕著な箇所はイタリア盤を採用しました。

★「わが祖国」の演奏に際しては、一般的にはチェコの歴史的背景や風土を理解することが不可欠とされます。特にチェコ出身の指揮者によるチェコ・フィルの演奏ともなれば、体に宿るDNAを活かして演奏することはごく自然なことで、説得力も生みます。しかし、サージェントにはそういう土壌がありません。にもかかわらず、あえて全曲録音を敢行したという事実だけでも、この作品への並々ならぬ愛着を窺わせますし、表面的にチェコ流を模しても無意味とばかりに、低徊趣味とは無縁の、純粋で伸びやかな音楽として再現しているのは、なんと潔いことでしょう!通常は意味深長にテンポを粘るシーンで、サラッとインテンポで進行されると一瞬戸惑いますが、聴き進むうちにそれは共感不足ではなく、サージェントの正直で純粋なアプローチの表われだと納得させられるのです。
まず「高い城」冒頭のハープからして魅惑的で、サージェントの純粋な感性をそのまま写すかのようです。「モルダウ」は変わったことは何一つ行なわず、2つの源流が合流し、農民の踊りを眺めつつ夜になり…といった場面転換の強調とも無縁ですが、その自然な進行が夜のシーンの静謐美を一層際立たせます。最も劇的な「シャールカ」では、サージェント独自のダイナミズムを披露しますが、後半ホルンの合図で始まる騎士の殺戮場面でも、残虐さを誇張せず、色彩的な音画描写に徹しているのは、サージェントの素直な志向の現れでしょう。歴史的背景と最も密接な最後の2曲では、ドイツ風のプラミッド型の重厚さとも違うサージェントの音色志向が更に顕著となり、重いテーマを純粋な歌として捉える清々しさが貴重!「ターボル」の最後をティンパニ強打で締めくくるのも、なんと人間的くさいことでしょう。終曲コーダも、チェコの勝利宣言としてではなく、明るい人間讃歌として響きます。
これは、「わが祖国」の名盤として挙がることは少ないですが、少なくともサージェントの音楽作りの確固たる信条を知るには、絶対不可欠な録音だと確信する次第です。【湧々堂】

TRE-158
ウォーレンステイン〜ベートーヴェン&メンデルスゾーン他
ベートーヴェン:交響曲第8番
メンデルスゾーン:交響曲第5番「宗教改革」
シャブリエ:ハバネラ*
 狂詩曲「スペイン」*/楽しい行進曲*
アルフレッド・ウォーレンステイン(指)
ロスアンジェルスPO

録音:1953年3月、1953年2月*(全てモノラル)
※音源:米DECCA DL-9726、英Brunswick AXTL-1063*
◎収録時間:64:24
“剛毅な進行にも作曲家の息吹を絶やさない「宗教改革」の理想像!”
■音源について
全て、米デッカ音源。ブラームス他(TRE-020)、シューベルト他(TRE-036)でも触れたように、これらもロス・フィルの一時代を築いたウォーレンステインの高次元の音楽作りを知るために欠かせない名演揃いです。なお、小さい作品は通常は冒頭に収録しますが、シャブリエは2つの交響曲とは毛色が違うので、アンコール風に最後に収録しています。

★ブラームスの「第2番」等で、既にウォーレンステインの実力を実感された方は、このディスクでも大いにご納得いただけるはず。ここでもウォーレンステインのドライブ能力によってロス・フィルの機能美とセンスを引き出して集中力の高い名演を展開しています。
ベートーヴェンは、この作品の愛くるしさスケール感の両面を表出し、高い推進力を誇りながら決して勢いに任せず、常に音楽の内容に肉薄する意思と一体化したニュアンスで貫かれています。第3楽章0:48からの何気ない弦の刻みが、これほど愛おしく響くのも珍しく、終楽章は、これぞアレグロ・ヴィヴァーチェ!かなりの高速テンポながら、強靭な造型は貫徹。腰のあるリズムの躍動とともに、まさにシンフォニックな響きの醍醐味を堪能させてくれます。
メンデルスゾーンでは、その凝縮性の高い音楽作りが更に開花し、モノラル時代の同曲屈指の名演!淀みない推進力を基調としたアプローチはミュンシュに近いと言えますが、それを熱すぎると感じる方には特にオススメです。第1楽章の序奏から実に晴れやか。しかも単に健康的なのではなく、その中から丁寧にハーモニーの色合いを抽出し、それを感じていることが実感できます。主部以降は、芯の熱い音楽が進行。特に展開部は、メータ以前のこのオケの意欲的な発言力を徹底的に思い知ると共に、ウォーレンステインの地に足の着いたダイナミズムの凄さに圧倒されます。
第2楽章もただの楽園的な音楽ではなく、自然な凝縮力を効かせつつ、各声部を緊密にブレンド。可憐なピチカートも、決してデフォルメとして響くことがないのは、いかにもメンデルスゾーンらしい楽想への配慮が行き届いている証しではないでしょうか。終楽章は高潔なスケール感が見事!コーダでは型通りの締めくくりに飽き足らず、ワーグナー風の大伽藍に塗り変えてしまう演奏も少なくないですが、ウォーレンステインは一切見栄など切らず、単刀直入。聴後は、良質のメンデルスゾーンを味わったと実感していただけることでしょう。【湧々堂】

TRE-159
フレッチャ〜リーダーズ・ダイジェスト名演集1
ロッシーニ:「セミラーミデ」序曲*
チャイコフスキー:「エフゲニ・オネーギン」〜ワルツ#
 弦楽セレナード〜ワルツ#
 「眠りの森の美女」〜ワルツ**
 スラブ行進曲Op.31##
 交響曲第4番ヘ短調Op.36
マッシモ・フレッチャ(指)
ローマPO、ウィーン国立歌劇場O#

録音:1960年8月4日*、1961年6月23-25日#、1960年8月2日**、1960年8月5日##
1961年12月11,15,21-22日(全てステレオ)
※音源:日Victor SFM-3*.**.##、
米Radars Digest RD4-178-2/4(エフゲニ・オネーギン )、RD4-178-2/5(セレナード)、RD4-178-2/10(交響曲)
◎収録時間:76:19
“イタリアの血と汗と歌で染め尽くした驚異のダイナミズム!”
■音源について
マッシモ・フレッチャは、1960年代にリーダーズ・ダイジェストへポピュラー名曲を精力的に録音していますが、CD化されたのは「幻想交響曲」などごく一部。ここで使用したのは、日本のステレオ初出ボックスと米盤のチャイコフスキー名曲ボックス。マニアからは見向きもされないレコードですが、共にウィルキンソンによる鮮烈録音の威力をしっかりと伝えています。

★マッシモ・フレッチャ(1906-2004)は、イタリアの指揮者。1960年代にポピュラー名曲を精力的に録音していますが、彼の名前を目にするのは、ミケランジェリの伴奏指揮者としてくらいでしょう。ここには、フレッチャのことをいっぺんで好きになること請け合いの知られざる名演、「セミラーミデ」「スラブ行進曲」「チャイ4」を収録。
「セミラーミデ」序曲は、ロッシーニの序曲の中でも最も大規模な作品ですが、その特性を徹底的に押し広げ、かつ「ロッシーニ・クレッシェンド」の醍醐味を猛烈な意気込みで聴き手に突きつける大名演!気心の知れたオケとの連帯感も尋常ではなく、多少テンポが前のめりになっても性急さを感じさせず、確実に興奮の坩堝ヘ導く手腕を知ったら最後、フレッチャの名前は脳裏から離れないことでしょう。
「スラブ行進曲」は、チェスキーのCDではパールマンが弾くチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の余白に収録されており、オケ名はロンドン・フィルと書かれていました。ところが、このレコードではローマ・フィルと記載されており、これはどちらかが誤植で、音もCDよりレコードの方が何倍も豪快だと思っていましたが、どちらも早合点!なんと、フレッチャは同曲を同レーベルにオケを変えて2回録音していたのです!つまり誤植ではなく、オケが違うのですから、音の印象が違うのも当然。ただそれほどこの2種の演奏は、注意深く聴かなければ気づかないほど瓜二つなのです。そして更に入念に聴き比べた結果、オケが変わっても同じニュアンスを付している箇所と、そうではない箇所を発見するにつけ、その差異からフレッチャの信念、オケの個性の生かし方、ドライブ能力、音作りの特徴等をまざまざと実感するに至ったのでした。2種の演奏の明らかな共通点としては、この曲の野趣に焦点を当てながら入念に歌を注入していること、後半の2小節間のティンパニ・ソロに極度にドライな強打を要求し、推進力を露骨に表出している点などが挙げられます。特に、ティンパニ・ソロの箇所は、大抵は落ち着き払って「ボン,ボン,ボン,ボン」と叩くのが常ですが、スコアには“ピュモッソ(躍動して)”の指示があるのです。それをそのままストレートに解釈するあたり、嬉しいじゃありませんか!相違点は、3:12からの金管の吹かせ方。短い音価をより短く詰めるのは、ワルター・ゲールの「チャイ5」(これもローマ・フィル!実体が同じかは不明)でも見られた現象。ロンドン・フィル盤では楽譜通りなので、イタリア・オケならではのセンスと言えましょう。
交響曲第4番は、その確信的なダイナミズムをそのまま持ち込み、情感のうねりを丸出しにしているので、その凄さはご想像いただけるでしょう。これこそが正真正銘の「爆演」です!
第1楽章第1主題の、先のドラマを予見させるヴェルディ風の歌い込み方から、コーダ(7:07〜)の奈落のどん底に落ちて茫然自失のルフト・パウゼまで、聴き手をの心を掴んで離しません。第2楽章は、本気の嗚咽の連続。それは単に思いつきの感情ではなく、微妙な強弱と色彩の陰影を敏感に察知しながら形成されたニュアンスばかりなので、最後のファゴットが消え入る瞬間までまで、表面的に響くことなど皆無。そして、凄すぎる終楽章!冒頭バス・ドラムの最後の一撃がここまで腹に響くことなど滅多になく、優秀録音の成果だけではなく、フレッチャの妥協のない意思を込めた砲弾のよう。1:35からの民謡主題は結尾をテヌート気味に奏でますが、この人間くさい歌がまた泣かせます。コーダは、これまで積み上げた艱難辛苦を根こそぎひっくり返す大洪水!まさか、この演奏に物足りなさを感じる方はいないと思いますが、逆に、やり過ぎだと一笑に付されないことを願うばかりです。【湧々堂】

TRE-160
レオポルド・ルートヴィヒ/ハイドン:「ホルン信号」他
モーツァルト:「コシ・ファン・トゥッテ」序曲*
 「ドン・ジョヴァンニ」序曲*
ハイドン:交響曲第31番「ホルン信号」#
 交響曲第73番「狩猟」
レオポルド・ルートヴィヒ(指)
ハンブルク国立歌劇場O*、
バイエルンRSO
クルト・リヒター(Hrnソロ)#

録音:1960年代中期*、1966年4月6&8日ビュルガー・ブロイ・ホール(ミュンヘン)全てステレオ
※音源:独EUROPA E-177*、独ELECTRORA SME-91601
◎収録時間:63:05
“指揮者の存在感を極限まで消して作品の様式美を徹底表出!”
■音源について
ハイドンは、ルートヴィヒが1960年代中頃にエレクトローラに遺した重要な録音の一つ。使用したのはドイツ盤・金レーベルの第2版です。

★ローター、ホルライザー、ワルベルクような職人気質の指揮者には、特に古典作品においては何よりも作品の様式感の表出を最優先し、自身の解釈を前面に立てないという共通点があります。このルートヴィヒも例外ではなく、ベートーヴェンの第7交響曲(TRE-023)でさえケレン味皆無のスタンスを貫徹していましたが、ここでの2曲のハイドンは、自分の存在自体までも消し去り、背後で勘所だけを締めるまさに職人芸の究極形!楽譜の余白を埋めるようにスリリングなスパイスを注入するアーノンクールのようなスタイルとは好対照なので、どこをどう味わえばよいか戸惑う方も多いかもしれませんが、聴き進むうちに、作品の内なる声を引き出すことに意識を傾注することの大切さと、古典の様式そのものに典雅な味わいが宿っていることをしみじみと思い知らされ、ハイドンが思い描き、当時の聴衆が期待したものに合致する音楽再現を目指すなら、当時の楽器や奏法を模倣するより、まずこの「自分を消す」スタンスこそ不可欠と思えてきます。
自己主張よりも作品自体の主張に耳を傾ける姿勢は、「ホルン信号」第2,4楽章のホルン、ヴァイオリン、チェロなどが協奏曲風に活躍するシーンでも同じ。各奏者は決してソロとして前に出ず、音楽の一部分としての立場を弁えながら、いつも通りに奏でるだけ。バイエルンのオケの技量の高さは言うまでもありませんが、そのことに気づかないほど空気のように流れる音楽…、これ以上に音楽から邪念を排除し、純化させることは不可能ではないでしょうか?
決して指揮者の個性的なアプローチを楽しむための演奏ではありません。古典音楽に対する指揮者の矜持と抑制の美学が、作品を活かすことだけに使われている最高の実例として、是非とも一聴をお勧めします。わずかな共感だけで作品に臨み、何の余韻も残さない演奏とはどこがどう違うか、感じていただければ幸いです。【湧々堂】

TRE-161(2CDR)
クナッパーツブッシュ〜ブラームス・プログラム
悲劇的序曲
ハイドンの主題による変奏曲
交響曲第3番
ハンス・クナッパーツブッシュ(指)
シュトゥットガルトRSO

録音:1963年11月15日(モノラル・ライヴ)
※音源:Private HKV-TY4/5
◎収録時間:81:48
“いびつな造型の先にある昇華を極めた芸術性!”
■音源について
1963年11月15日の全演奏曲目を収録した2枚組LPの全てを復刻。交響曲と変奏曲はHanssler(SWR)からCD化されていますが、ステレオ的な広がりを加え、ノイズを過剰に消した人工的な音に違和感を感じた方も多いはず。このLP盤の音は、もちろん無修正で自然体。クナ最晩年の芸術を心ゆくまで堪能していただけると思います。

交響曲第3番はクナの十八番だけに、数種存在する録音の全てが魅力的ですが、中でも異彩を放つのがこのシュトゥットガルト盤!この優秀な放送オケ特有の機能美と指揮者の意図の咀嚼力により、「巨大でいびつ」なクナの巨大造型が、極端な誇張としてではなく、芸術的に昇華した形で聴き手に迫ります。
第1楽章の第2主題直前の長いスパンでのリタルダンド、再現部直前の雑念を配した清明なニュアンス、第2楽章4:15からの幽玄美、第3楽章のチェロの対旋律の官能的な呼応、超低速をもて余すことなく音楽を感じきったホルン・ソロ、唐突さ以上に儚さが心に染みるルフト・パウゼ(6:30)などは、全体を貫く超低速テンポとともに、「枯淡」の一言では済まない最晩年ならではの精神的な高みを象徴するニュアンス。終楽章の再現部(7:31〜)のティンパニ追加は他にも類例はありますが、強烈な意思の注入力はクナがダントツ。これも、ウィーン・フィル盤(1955年)の方が感覚的なインパクトは上かもしれませんが、奏者の側、あるいはクナ自身の魂胆が露骨に出過ぎている感もなきにしも非ず。その点、シュトゥットガルト盤はやっていることは同じなのに、完全に雑念を超越し、強固に結実しきったニュアンスとして響くのです。
崇高な精神を湛えたこのニュアンスは、他の2曲でも全く同様で、これら抜きの名演選びなどあり得ません!
「ハイドン変奏曲」は、第4変奏ではテンポこそ標準的なものですが、音符の隅々まで物憂げなニュアンスが充溢し、一方、第6変奏は通常の倍のテンポですが、少しも異様に響かず、このオケには珍しく鄙びた音を発する冒頭ホルンの味も含め、これを聴いてしまうと、他の演奏を想定できなくなるほどの説得力。故宇野功芳氏も「クナッパーツブッシュのベスト演奏の1つに数えられるだろう」と述べています。
そして「悲劇的序曲」の感動的なこと!第1主題は拍節感を失う寸前の低速の極みですが、その分、各音の情報量が尋常ではありません。第2主題(3:50〜)に差し掛かると、このテンポ設定がツボを得たものであることも痛感。「クナ=超低速」とイメージされがちですが、そんな単純ではないことは展開部で明らかに。7:23からの進行は、標準的テンポよりむしろ速め。この対位法的楽句が次第に高揚する過程での決然とした意志力、それが沈静化して第2主題が再現されるまでの彼岸のニュアンスは特に聴きものです。【湧々堂】

TRE-162
デ・ブルゴス〜「カルミナ・ブラーナ」
オルフ:カルミナ・ブラーナ
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(指)
ニュー・フィルハーモニアO
ルチア・ポップ(S)
ゲルハルト・ウンガー(T)
レイモンド・ウォランスキー(Br)
ジョン・ノーブル(Br)
ワンズワース・スクール少年cho

録音:1966年
※音源:英EMI SAN-162
◎収録時間:60:51
“人生の光と影に様々な角度から光を当てた画期的なアプローチ!”
■音源について
この曲も、「春の祭典」「ツァラトゥストラ〜」等と同様に、録音技術の進歩に伴い、オーディオファイル志向に傾き、音楽的な味わいの幅を狭まってしまった感が否めない一曲。そのことを最も痛烈に実感させるのが、このブルゴス盤です。思えばステレオ初期までは、有名なヨッフム盤はもちろんのこと、あのストコフスキーでさえ外面的な効果よりも、歌のニュアンスが最優先でした。使用レコードは、SANの第2版。

★ブルゴスの「カルミナ」と聞くと、ラテン的な熱血漢の演奏を想像しがちですが、実際はまるで正反対。音響効果を念頭に置かず、詩の内容をじっくり炙り出すことで、この作品の陽気な人間讃歌としての側面だけはなく、人生の影にも焦点を当て、極めて含蓄に富んだ作品として再現しているのです。
最初にハッとするのが、[05]《見よ,今は楽しい(合唱)》。冒頭を囁くようなソフトな響きで開始し、美しい花園をゆっくり堪能するような風情を醸し出しています。デリケートなニュアンスが逃げないように育みながら進行するスタンスは、この演奏全体に通底しています。
オケだけによる[06]《踊り》も決しては発散型ではりありません。[09]《円舞曲(合唱)》では、この演奏が歴史的名演であることをますます確信。ニュアンスの多彩さは尋常ではありません。特に弱音のニュアンスにご注目を。
ニュアンスの細やかさでは、[12]《昔は湖に住まっていた》のオケ冒頭部も同様。続くテノールのアプローチは、よくありがちな「泣きわめき」ではなく、自身の不運をひたすら語り、聴き手が耳を傾けてくれることをじっと待つかのような絶妙な雰囲気を醸しています。
[14]《酒場に私がいるときにゃ(男声合唱)》もまた絶品!テンポの切り替えと詩のニュアンスとの見事なシンクロ技で、訴え掛けの強さは並ぶものなし!音量パワーで圧倒する演奏ではこうは行きません。
独唱陣も粒揃いですが、何と言ってもポップのパーフェクトな歌唱が光ります。[17]《少女が立っていた(ソプラノ独唱)》はソフトなロングトーンが求められますが、それが完璧な音程で実現されることは極めて稀。[21]《天秤棒に心をかけて(ソプラノ独唱)》は、クリーミーでありながら決して芯を欠かない美声が最大に生き、[23]冒頭の弱音を維持したままでの九度跳躍は、歌唱が軽薄な絶叫に傾いてしまうことが多いですが、ポップは非の打ち所がありません!【湧々堂】

TRE-163
リシャルト・バクスト〜ベートーヴェン
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番「熱情」
ピアノ・ソナタ第14番「月光」
ピアノ協奏曲第3番ハ短調*
リシャルト・バクスト(P)
スタニスワフ・ヴィスロッキ(指)
ワルシャワ国立PO

録音:1963年頃(ステレオ)
※音源:MUZA SXL-0166、SX-0167*
◎収録時間:77:44
“ベートーヴェン弾きとしてのバクストの芸術性を思い知るい一枚!”
■音源について
ポーランドのピアニスト、リシャルト・バクスト(1926-1999)の録音は少ないのですが、こんな至高のベートーヴェンを遺してくれたことは嬉しい限り。もちろんショパンの録音もありますが、それ以上に高次元に昇華した芸術がここにはあります!

★あまりにも有名なこれらの全ての作品において、バクストは独自の美学に裏打ちされた名演を展開!特にピアノ協奏曲第3番は、作品の質までも数段引き上げたとさえ思えるほど感動的な演奏で、精神と技巧の美しい調和を貫徹した例も他に知りません。タッチそのものが美しい上に、ニュアンスには奥行きを感じさせ、第1楽楽章展開部では、それが独特の憂いを帯びて流れ、カデンツァでは高潔な精神を輝かしい音像に注入し、打鍵の強さに頼らずに威厳を引き出します。第2楽章の瞑想感はリヒテルを思わせ、終楽章はやや遅めのテンポを着実に感じながらの進行が、孤高の空気を醸し出します。ここでも乱暴な強打とは無縁。美しいタッチは美しい精神から生まれることを実感するばかりです。コーダ前の7:46からの何気ない音型の説得力はどうでしょう。オケの有機的な絡みもご注目。
「悲愴」も、あからさまな激情とは無縁。あくまでも心の奥底の悲しみと詩情に焦点を当て続け、「ありがちな名演」とは一線を画します。
詩情といえば、「月光」!あざとさを感じさせない幻想性の徹底表出ぶりとテンポの安定感は、あまたの名演の中でも軍を抜いていることは明らか。第1楽章中間部、旋律線が消えて3連音の音型だけで進行する楽想が、緩やかに美しい弧を描きつつニュアンスを醸成する様は感動の極み!これを聴かずして「月光」を安易に語ってほしくないものです。 【湧々堂】

TRE-164
コンドラシン〜ドビュッシー,ラヴェル、ヒンデミット
ドビュッシー:イベリア
ラヴェル:スペイン狂詩曲
 ラ・ヴァルス
ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容*
キリル・コンドラシン(指)モスクワPO

録音:1961年(ステレオ)
※音源:Melodiya C-01783-4、蘭PHILIPS 835264AY*
◎収録時間:67:39
“ロシア音楽以外で堪能するコンドラシンの比類なき洗練美!”
■音源について
クリアな響きで繊細かつダイナミックな音像を目指すコンドラシンの音楽作りは、フランス音楽には打ってつけ。かつてのソ連勢が奏でる西洋音楽は、ロシア風のダイナミズムをそのまま持ち込んだ表情に乏しいものが多かった中、テンポも響きの厚みも色彩も自在に使い分けるコンドラシンの柔軟性は、驚異的と言えましょう。

★特に心を掴んで離さないのが、「イベリア」の第2曲“夜の薫り”。しっとりとした空気が頬を撫でるようなフレージングは官能の香気を導き出し、アゴーギクは憂いを帯び、音符の動きだけを追っていては表出し得ないニュアンスに酔いしれるばかり。“祭りの日の朝”のシャキッとした色彩も聴きもの。
スペイン狂詩曲も、同曲屈指の名演。「イベリア」第2曲でも実証済みの、コンドラシンとエキゾチックな楽想との抜群の相性をここでも思い知り、録音の優秀さも相まって、色彩の移ろいが遠近感を伴ってリアルに迫ります。“前奏曲”コーダのリタルダンドはその典型。“祭り”は、精妙を極めたアンサンブルの凄さに加え、中間部のニュアンスにはどこにも借り物の要素ながく、生々しいことこの上なし!
そして、どうしても特筆したいのがヒンデミット!やりようによっては野暮ったい音楽に堕落しかねない曲ですが、コンドラシンは持ち前の洗練されたダイナミズムを極限まで行使し、モスクワ・フィルの機能性もフル活用することで、そんな危険を完全に回避。恐ろしく盤石な作品に蘇らせています。
まず、第1楽章の速さにびっくりしますが、その快速感の中で音楽を愉しむゆとりを見せるので、無機質に陥ることはありません。第2楽章は、打楽器の連携の巧妙さと、木管の動きの面白さがこれほど際立った例は稀。第3楽章は、響きの硬軟の微妙な変化を克明に捉えていますが、当時のソ連の指揮者の中でこういうセンスを持ち合わせた指揮者が他に思い当たらないことを考えると、コンドラシンの才能がいかに異彩を放っていたか一層思い知ります。
偉大な指揮者ほど確固とした「自分の音」を持っていました。ムラヴィンスキー以外のソ連の指揮者でそれを実感できる人として、コンドラシンを筆頭に挙げることに何の躊躇がありましょう。 【湧々堂】

TRE-165
フェレンチクのベートーヴェン
「シュテファン王」序曲
交響曲第2番ニ長調Op.36*
交響曲第4番変ロ長調Op.60
ヤーノシュ・フェレンチク(指)チェコPO

録音:1961年1月2-5日*、1961年10月14-17日(全てステレオ)
※音源:SUPRAPHON SUAST-50025*、瑞西Zipperling CSLP-6014
◎収録時間:75:20
“いにしえのチェコ・フィルだけが放つ芳しさと温もり!”
■音源について
ウィーン・フィルやドレスデン・シュターツカペレ等と同様、チェコ・フィルも、グローバル化の波に押されてその独自の音色美は失われてしまいました。ノイマン時代まではその独自色を感じられますが、それ以前のステレオ初期には、さらに素朴な手作り工芸品のような風合いがあり、響きそれ自体が音楽的ニュアンスを濃密に湛えていました。その当時のオケの素の魅力は、「チェコの指揮者によるチェコ作品」以外で聴くことにより、一層浮き彫りにされるように思われます。その音源として、フルネやボドが指揮者したフランス音楽と共に欠かせないのが、フェレンチクによるベートーヴェン!フェレンチクとチェコ・フィルのスプラフォン録音は、この他に「献堂式」序曲があるのみ。2つの交響曲は廉価CDで発売されたこともありますが、なかなかカタログに定着しません。

★フェレンチクといえば「穏健、地味」という印象を持たれる方多いと思いますが、まずは、「シュテファン王」序曲でそのイメージを払拭していただきましょう。作品のフォルム内でニュアンスを内面から育み、安定した造形美を確立する手腕は、誰も侮れないはずです。
交響曲第2番は、第1楽章序奏部からアーティキュレーションに並々ならぬこだわりを見せ、その姿勢が全体に凛とした気品を付与し続けます。主部以降の脂肪分を抑えたすっきりした音像は、まさに当時のチェコ・フィルならではのものですが、それに頼るだけでなく、確固たる意志による制御が効いているので、音楽の軸がぶれないのです。第2楽章は音色美の宝庫!木管がさりげないスパイスとして作用した温かい風合いは必聴。特に1:25からの木管と弦の対話は、お聴き逃しなく。第3楽章は、何一つ変わったことはしていませんが、他のアプローチを想定させないほどの求心力が横溢。終楽章は、オケを自然に乗せ、高揚させ、聴き手を引き込む手腕が流石。背後に隠れながら手綱は絶対に緩めない、まさに職人芸の極み!
「第4番」も楷書風の進行を崩しませんが、小さく凝り固まることなく、音のニュアンスが余すことなく表出されます。ここでも、木管の豊かな風情に特に心奪われ、特に後半2楽章でフルートが加わった一瞬のフレーズに、ほのぼのとした光が差し込む様は実に魅力的。そして、終楽章0:58からの木管の相の手で、音をスパッと切る効果の絶妙さ!普段めったに冗談を言わない人が、急にダジャレを口にしたような、不思議な面白さがふわっと沸き起こるのです!
なお、交響曲第2番第1楽章は、提示部リピートなし。第4番は、第1,第4楽章のリピートを慣行しています。 【湧々堂】

TRE-166
リンパニー/リスト&プロコフィエフ
リスト:ピアノ協奏曲第2番*
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第1番
 ピアノ協奏曲第3番
モーラ・リンパニー(P)
マルコム・サージェント(指)ロイヤルPO*
ワルター・ジュスキント(指)フィルハーモニアO

録音:1962年10月*、1956年5月2-3日(共にステレオ)
※音源:伊RCA GL-32526*、英WRC T-735
◎収録時間:61:09
“リンパニーの飾らない気品を堪能する協奏曲集!”
■音源について
★プロコフィエフは、迷わずW.R.C盤を採用しました。ステレオ最初期とは思えぬ高音質で、ホールの空間に音がしっとりと浸透する様子を感じていただけると思います。リストは、リーダーズ・ダイジェスト音源。

★濃厚な色彩や激情を狙わず、ひたすら音符の意味の丁寧な表出に専念するリンパニーの特徴がはっきりと示された協奏曲録音。3曲とも華麗なヴィルトゥオジティを前提とした作品ながら、そこに照準を合わせないのがリンパニー。特にプロコフィエフでは、土俗趣味を排し、独墺系作品と何ら変わない堅実なアプローチに終止しているので、アクロバット的なスリルではなく、じっくり音楽を味わいたい方に納得していただけると思います。
「第1番」は、使用音盤の質の良さも手伝って、第1楽章冒頭から、ホールのトーンと見事に溶け合ったタッチが豊かに広がり、一気に心奪われます。プロコフィエフ特有の打楽器的筆致とリンパニーならではの気品溢れるタッチが絶妙に融合したニュアンスも魅惑的。終楽章では、打鍵の力感だけで押し通す演奏では味わえない、楽想自体が持つ表情がひしひしと伝わります。第1楽章主題が回帰するコーダの高貴な響きも、とくと御堪能下さい。
有名な「第3番」は、近年はテンポが高速化の一途を辿っているようですが、聴き手を驚かす手法とは無縁のリンパニーは、ごく標準的なテンポによる誠実な演奏で一貫。すぐに分かる刺激に訴えることなく、噛めば噛むほど染みてくる演奏とはまさにこのこと。第1楽章展開部の都会風のオシャレな空気感や、終楽章冒頭で、打鍵のエッジを立てずに穏やかに語るような仕草が、特に忘れられません。ロシア音楽に定評のあるジュスキントの指揮も、ツボを決して外しません。
リストも、リンパニー生来の気品が息づく名演。作り込んだ上品さとは違うことを実感していただけるでしょう。この曲はどうしても派手なパッセージに注目しがちですが、アレグロ・モデラート([03])で、リストの音楽の純真さ、リリシズムが確実に引き出すリンパニーのアプローチは無視できません。最後のグリッサンドも、、見世物的なパフォーマンスとは無縁。どのピアニストも大向こうを唸らせるようなアプローチばかりで飽き飽きしている方は、是非ご一聴を!【湧々堂】

TRE-167
アントルモン〜ショパン&「展覧会の絵」
ショパン:バラード第3番/夜想曲Op.27-2
 即興曲第1番Op.29/タランテラOp.43
 スケルツォ第1番/ポロネーズ第5番
 軍隊ポロネーズOp.40-1
ムソルグスキー:展覧会の絵*
フィリップ・アントルモン(P)

録音:1958年(モノラル)
※音源:米EPIC LC-3316、米COLUMBIA ML-5301*
◎収録時間:78:49
“誰も語ってくれないアントルモンの本来の実力!”
■音源について
アントルモンのメジャー・デビュー当時の録音。ショパンは、後年のステレオ録音は繰り返し発売されていますが、このモノラル盤の説得力には遠く及ばないと思います。

★「なぜアントルモン?」と怪訝に思われるかもしれませんが、ここに収録した録音は、「アントルモンの最高傑作」であるだけでなく、有名名盤と堂々比肩し得る超名演だと断言させて頂きます。アントルモンというピアニストには、レパートリーは広く、技巧も申し分ないのに、どこか物足りなさを感じる方が多いと思います。米コロンビアは、この若手ピアニストを強力に売りこもうとしていたことはバーンスタイン、オーマンディという看板指揮者と惜しげもなく有名協奏曲の録音の機会を与えたことでも明白ですが、その期待とは裏腹に、ホロヴィッツ、ゼルキンという巨匠とも比較されたことでしょう。そんなジレンマの中、とにかく録音スケジュールをこなすことに追われて、自己を見つめる余裕などなかったのが、その要因かもしれません。少なくとも、M・ロンやJ・ドワイアン門下であることを窺わせる香りはほとんど感じ取れません。ところが、ここに聴くアントルモンは違います!20代前半の演奏ですので、感覚的に瑞々しいのは当然ながら、感じたままをそのまま表面化するのではなく、更に思慮深く音楽を見つめ、内省的な美しさも湛えながら一本筋の通った名演奏を展開しているのです。それもショパンで言えば、たまたま1、2曲が良いのではなく、7曲全てが絶品!今の自分の表現で納得できる作品だけを厳選したと思われる選曲も、成功の大きな要因だと思われます。
バラード第3番は、第2主題が現れるまでの間だけでも聴きどころ満載。拍節感を保持しながら音楽を停滞させず、1:40からの高音の可憐な囁きでも魅了。第2主題直前の間合いの良さは空前絶後。その第2主題は、ニュアンスを十分に発揮しつ制御が効いているので、音楽の豊かさ、深さが一層際立ちます。夜想曲第8番は流麗な中にも芯の強さがあり、ニュアンスが結晶化された逸品。あえてベスト1を選ぶならこれ!…と思いましたが、他の曲を外す理由が見つかりません。スケルツォ第1番は鋭利なダイナミズムのみに走らず、根底からフレーズを突き動かしながら歌い、聴き手の心に根付く表現を慣行。中間部のフレージングは、それこそ後年の録音からは感じにくい有機的ニュアンスの連続。実は、私がアントルモンのイメージを一旦リセットする必要性を感じたのは、ポロネーズ第5番をある場所で聴いたのがきっかけでした。瑞々しいのに若さに任せず、ドラマチックなのに誇張を感じさせないそのセンス!一音ごとのニュアンスの吟味の深さも尋常ではありません。
「展覧会の絵」も、アントルモンの身の丈にあったスケール感を素直に表出した名演。各曲の性格描写には一切誇張や嘘がなく、聴き手にダイレクトに訴えかける力があります。“テュイルリーの庭”は、強弱の盛り込みが全てツボにはまり、続く“ビドロ”は、変に大風呂敷を広げず、後半の鎮静に向かうシーンには一抹の郷愁さえ感じます。
CD時代に入って、アントルモンの名を目にするのは、寄せ集め名曲集の類いばかり。一体誰が彼をそんな扱いにしてしまったのでしょうか? 【湧々堂】

TRE-168
ボンガルツのドヴォルザーク
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番*
ドヴォルザーク:交響曲第7番
ハインツ・ボンガルツ(指)
ゲルハルト・ボッセ(Vn)*、
フリーデマン・エルベン(Vc)*
ハインツ・ヘルチュ(Fl)*、
ハンス・ピシュナー(Cem)*
ライプチヒ・ゲヴァントハウスO*
ドレスデンPO

録音:1960年代初頭*、1962年12月17-20日(共にステレオ)、
※音源:羅ELECTRECORD STM-ECE-0672*、独ELECTROLA STE-91328
◎収録時間:62:42
“豪華絢爛な響きでは気づかないドヴォルザークの真価!”
■音源について
ドヴォルザークはエテルナ音源ですが、ここでは良質なエレクトローラ盤を採用。ただし、ピッチに異常が見られたので、修正を施しました。

★ドヴォルザークの「第7番」は、ドイツ様式への傾倒を示した作品とされますが、演奏スタイルも、ドイツの職人気質で押し通すとどう響くか、その最高の具体例がこのボンガルツ盤です。
ドレスデン・フィルは、ケーゲルとの共演で知られるまではシュターツカペレの影に隠れて目立ちませんでしたが、1870年の創立以来、東ドイツの音楽文化に大きく寄与。ブラームスやドヴォルザーク等も指揮しています。戦時中は一時解散の憂き目に会いますが、戦後再結成。それ以来1960年代までオケを支え続けたのがボンガルツです。
第一音が鳴った途端にハッとするのが、いかにも旧東独的な燻しきった響き。しかも演奏には、効果を狙う素振りもなく、各ブロックを丁寧に積み上げるという実直な姿勢に終始。しかし、その遊びの一切ない渋さが、ドヴォルザークの純朴さを映すかのようで、確かな味わいとしてじわじわ迫るのです。
第1楽章の第2主題には、単に丁寧に譜面を追っているだけではない、句読点をはっきり意識したフレージングに共感に満ちた呼吸が息づき、展開部は革張りのティンパニの響きが中核をなす堅牢な構築が見事。コーダが静かにたそがれる様にもご注目を。第2楽章は白眉!。以外にもさらりとした進行で開始しますが、主部旋律(1:24〜)の緻密な美しさに触れれば、この演奏の質な高さを実感できるはず。第3楽章のコーダ直前に現れるワーグナー風のフレーズは、このオケで聴くことで魅力倍増。終楽章は小節ごとに噛んで含めるようなニュアンスの醸し出し方!音楽を先に進めて欲しくないと思わせるほどの余韻を生むという、素晴らしい至芸です。4:14からの自然なテンポの落とし方とニュアンスの育み方も流石。 
とにかく「渋味尽し」ですが、渋いことが良いのではなく、全ての渋さに音楽的な意味が備わっているのが凄いことなのです。音像を肥大化させた金ピカの演奏とは対極的なこの演奏で、ドヴォルザークの音楽の奥深さを再認識していただけることでしょう。【湧々堂】

TRE-169
ブランカール〜モーツァルト&シューマン
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調 K.281
 ピアノ・ソナタ第5番ト長調 K.283
 ピアノ・ソナタ第15番ハ長調 K.545
シューマン:ノヴェレッテンOp.21*
ジャクリーヌ・ブランカール(P)

録音:1951年10月、1955年*
※音源:日King LY-34、英DECCA LXT-5120*
◎収録時間:78:08
“音楽の自律的な推進性を引き出すブランカールの至芸!”
■音源について
モーツァルトは、あえて国内初期盤を採用。当時のプレスの優秀さを実感いただきたいと思います。LXT-5120はチリパチが気になるものが多く、3度目にようやく良質盤に出会えました。

★ジャクリーヌ・ブランカール(1909-1979)はパリ出身の女流ピアニスト。パリ音楽院でイジドール・フィリップに師事。国際フォーレ・コンクルで優勝して注目を浴び、ラヴェル:左手のピアノのための協奏曲の世界初録音を果たしたことでも知られますが、録音数はごくわずか。コルトーが書いた『ピアノ・テクニックの合理的原理』を初心者向けに要約した『初心者のためのピアノ・テクニックの基本原理』の著作でも知られるように、コルトーの良き協力者でもありました。
モーツァルトの国内盤のジャケット解説には、ブランカールのピアノの特徴を「いかにも女性らしい」とか「フランス風」といったいう紋切り型の説明しかありませんが、明晰なタッチで作品のフォルムをきちんと描き、聴き手に迎合するような安直な表現に流れず、まさに時代を問わない普遍的な洗練スタイルは、もっと注目されるべきだと思います。フランス的な香りは結果的に後から付いてくる程度。フレージングは常に自然体。しかがって、L・クラウスのような、人間味を全面に押し出すスタイルとは対極的と言えましょう。その特徴は、K.281の第1楽章でも明らかですが、同3楽章のとぼけたような和声の変化にも身じろがず、誇張もせず、それによってかえって音楽の面白さを増しています。単に「女性的」という表現で済まされないことを最も痛感するのが、K.545。タッチ自体はデリケートですが、音楽の芯は骨太。それが展開部では見事な生命感として放出されます。注目は第2楽章!なんと凄い曲なのでしょう!特に中間部では内面からドラマを一気に引き出し、一瞬で聴き手を別世界に引き込んでしまう、その牽引力を体感して下さい!
ノヴェレッテンは、クララのために書かれた幸福感溢れる小品集ですが、ブランカールの演奏は、その情感を無理に演奏に投影するのではなく、作品を大きく捉えて音楽を伸びやかに推進させます。第1番などぶっきらぼうに聞こえるほどですが、決して乱暴ではなく、純粋な活力が音楽を息づかせます。急速な第2番も一見淡白ですが、中間部の媚びないエレガンスに触れると、それら全てが有機的に連動しているに唸らされます。フランス流エレガンスと言えば、第4番。「舞踏会のテンポで」と書かれていますが、ブランカールはそれを意識して凝ったアゴーギクなど見せず、フワッと香る余韻で魅了。第7番も、音楽の多彩な側面が自然に炙り出されます。
アンドラーシュ・シフのような入念さ、ソフロニツキーの独特の奥深さ等とと聴き比べるのも一興かと思います。【湧々堂】

TRE-170
オドノポゾフ〜メンデルスゾーン&パガニーニ他
ショーソン:詩曲*
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番
リカルド・オドノポゾフ(Vn)
ジャンフランコ・リヴォリ(指)
ジュネーヴRSO

録音:1955年頃*、1962年(全てステレオ)
※音源:日Concert Hall SM-2250*、英SMS-2205
◎収録時間:72:19
“オドノポゾフの「美音の底力」をたっぷり堪能!”
■音源について
★ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(TRE-156)に続くオドノポゾフのステレオ・バージョン録音の復刻。コンサート・ホールのレコードは、スイス盤かドイツ盤を使用することが多いですが、協奏曲では英盤を採用しています。

★オドノポゾフの「美音の底力」をここでもたっぷり堪能。ショーソンは、その音色が持つ温かい情感によって、作品に流れる陰鬱な空気を和らげ、透徹しきった演奏にはない魅力を発揮。この作品の新たな側面に光を当てています。 メンデルスゾーンでは、その美音は旋律に気品を与え、切々と語ることで曲想の魅力が膨らみます。何とか他者との差別化を図ろうと、意図的に豪快に演奏されることもありますが、この作品には何よりも「慈しみ」が不可欠であることをオドノポゾフは教えてくれます。10:35からの音の置き方に象徴されるように、「弾き飛ばし感」がゼロなのです!その音作りは、第2楽章で更に開花。多くの人がこの曲に期待する全ての要素が盛り込まれていると言っても良いでしょう。名盤ひしめく超名曲とはいえ、この演奏を度外視する理由などどこにもありません!
このメンデルスゾーンとパガニーニは、オドノポゾフ40代の最充実期に行われいることも、重要なポイントですが、特にパガニーニでは、それを実感。グリュミオーが遺したステレオ録音は、持ち前の音色美に技巧の衰えが影を落としていたことが残念だったことを思うと、オドノポゾフがこの時期に録音できたことは実に幸運でした。しかも演奏の魅力が破格!この曲の理想を実現した数少ない名演だと思います。御存知の通り、この曲はベートーヴェンとは違い、技巧が命。とは言え、技巧ばかり押し付けられると虚しいばかり。そういう危うさとは全く無縁のところで、技巧と表現を見事に調和せさせ、自己の美学を徹底貫徹したこのがこ演奏です。パガニーニだからといって変な魂胆を持たず、7:48からのトリルに表れている通り、メンデルスゾーンと何ら変わりない慈愛の心でフレーズを積み上げていることが伝わります。この曲を聴いて痛快さは何度も味わったけれど、「いい音楽を聴いた!」と痛感したことがないという方、必聴です!なお、オーケストラ・パートは短縮版が採用されています。【湧々堂】

TRE-171
バルビローリ〜「ブラ4」・旧録音
ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番
ウェーバー:「オベロン」序曲
ブラームス:交響曲第4番ホ短調*
ジョン・バルビローリ(指)ハレO

録音:1959年4月、1960年9月*
※音源:英PYE GSGC-2038、GSGC-1*(全てステレオ)
◎収録時間:64:25
“渋味に逃げず果敢に愛をぶつけたバルビローリの代表盤!”
■音源について
通常は、既存CDの音に満足出来なくて復刻を決意することが多いですが、これは全く逆!Pye音源のブラームスは、PRTレーベルによる初CD化盤の音が実に鮮烈で、復刻のディスク選定にあたっては、その音に近づくことを念頭に置きました。そして出した結論は、“黒金ラベル”盤。バルビローリの魂が聞こえます!

★バルビローリのブラームスといえば、ウィーン・フィルとの全集があまりにも有名ですが、あえてこのハレ盤ををご紹介する理由は、もうお判りかと思います。ウィーン盤を全否定する気はありませんが、素晴らしすぎるハレ盤を差し置いてまでウィーン盤を持ち上げる評論家の方々には同調できません。メジャー・レーベルでもない、メジャー・オーケストラでもない、全集でもない、だからハレ盤なんて聴こうともしない、というのが原因だと思いますが、それでプロと言えましょうか?そのアーチストに同曲異盤が存在する中で一つを取り出して評価するなら、全種類を聴き比べた上で最良盤と位置づけるのが当然なのですが…。
最も顕著な違いは、オケの響きの差。言うまでもなく、ウィーンフィルの方がどう聴いても上質です。しかしそれ以外の要素は全てハレ管が優っていると言わざるを得ません。演奏に掛ける意気込みは、強固なピチカートにも、雷鳴のようなティンパニにも確実に反映されており、どこか遠慮がちな(良く言えば滋味溢れる)ウィーン・フィルとは大違いです。第1楽章コーダでは、全体が早くも決死の覚悟を表明。最後のティンパニのロールは、バンッ!と一撃して締めくくりますが、これはセルと同じ手法。しかし、意味合いがまるで違って聞こえます。第2楽章は特に感動的!3:30からの弦のテヌート処理はウィーン盤でも行なっていますが、流れの豊かさは比べものになりません。8:08からのテーマはアーベントロートとは対象的に実に素朴な人間味に溢れており思わず感涙!第3楽章はテンポの良さが印象的で、決して浮かれず、地に足の着いた進行が次の終楽章への覚悟のよう。その終楽章は興奮の渦!オケは作品への共感と、バルビローリの意思を120%実現しようとする意思が融合して、とてつもないパワーを発揮。しかも内燃に徹しているので、本物の音楽を聴いているという実感を、手に汗握りながら最後まで味わうことが出来ます。特に5:51以降の大噴射以降は、異常なまでの凝縮力!古式ゆかしい様式との調和を保ったまま、どこまで音楽に生命感を注入できるか、それに挑んだ最大級の名演として心の底からおすすめする次第です。【湧々堂】

TRE-172
マイラ・ヘス〜モーツァルト&ベートーヴェン
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番*
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番**
ショパン:ワルツOp.18#
ブラームス:間奏曲Op.119-3#
スカルラッティ:ソナタL.387#
マイラ・ヘス(P)
ブルーノ・ワルター(指)NYO*
エイドリアン・ボールト(指)BBC響**

録音:1956年カーネギーホール* 、1953年1月ロンドン**、1949年3月17,18日イリノイ大学# (全てライヴ)
※音源:米 Bruno Walter Society PR-36*、加ROCOCO RR-2041**,#
◎収録時間:74:13
“懐の深さをもって作品を捉えるヘスのピアニズムの大きさ!”
■音源について
ROCOCOのLP1枚分と、ワルター協会LPの反面分を収録しています。

★まずモーツァルトが、TRE-141で紹介したK.449と並ぶ歴史的名演!ヘスは、第1楽章の滑り出しを後ろ髪を引かれるように開始しますが、少しも大袈裟ではなく、むしろ恥じらいの表情を湛えます。第2主題は、いかにもモーツァルトらしい屈託のない微笑みの表情で魅了。それが再現部で短調に転じると、提示部の微笑みと表裏一体であることを実感させる、得も言われぬ悲哀の表情を浮かべるのです。カデンツァも必聴。ヘスのピアノが決して感覚的な繊細さを目指すものではなく、いかに豊かで深いものか、思い知らせれます。第2楽章に至っては、奇跡と呼びたい素晴らしさ!かなり大胆にアゴーギクを投入していますが、常に「心からの語り」と一体なので、少しも時代掛かった印象を与えません。どんな弱音でも音が痩せることはなく、慈愛を込めぬいたタッチの最高の実例がここにあります!第2楽章が終わった途端に、会場からパラっと拍手が起きますが、その気持は実によくわかります。そして忘れてならないのは、ワルターの指揮。これは、この曲の指揮としてはもちろんのこと、誰もが認めるモーツァルト指揮者でありながら、全ての要素の調和が取れた演奏が意外と少ないワルターにとって、最高の出来栄えと言えましょう。特に終楽章は充実の極みです。
一方、ベートーヴェンは指揮がボールトなので、全体的に折り目正しく進行しますが、芯のぶれない確固たる表現とタッチは、ヘスそのもの。第2楽章の2:47の些細なタッチをアルペジョ風にして、独特の幻想味を醸し出していますが、こんなことを嫌味なくできるピアニストなど、もういなくなってしまいました。
その点では3つの小品も同様。アンコール演奏ですの表現は奔放ですが、全てのフレーズが、聴き手の心を芯から溶かすようなニュアンスで一杯!こんな芸当は、単に腕が立つだけでは不可能でしょう。【湧々堂】

TRE-173
フランティシェク・ラウフ/リスト&ショパン他
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番
 アンダンテ・ファヴォリ
リスト:ピアノ協奏曲第2番*
ショパン:ピアノ協奏曲第2番*
フランティシェク・ラウフ(P)
ヴァーツラフ・スメターチェク(指)プラハSO

録音:1965年11月15,18-19日、1964年6月17-18,20,22日&9月3日*(全てステレオ)
※音源:SUPRAPHON SUAST-50743、SUAST-50603*
◎収録時間:76:16
“真心から紡ぎ出されるタッチに宿る幽玄のニュアンス!!!”
■音源について
ラウフによるスプラフォンのステレオ録音集。特に協奏曲のレコードは、盤によってオケの響きが違って聞こえますが、ここでは数種聴き比べの上、最良のもの(青盤)を選択しました。

★フランティシェク・ラウフ(1910〜1996)は、チェコを代表するピアニスト。プラハ芸術アカデミーでの教育活動が中心だったので、フィルクスニーやモラヴィッツ等のような知名度はありませんが、その配慮の行き届いたピアニズムは教育者らしい堅実さにとどまらず、独特の閃きと奥ゆかしさを湛えています。
ベートーヴェンの「30番」冒頭は媚びた表情などどこにもなく、それでいて聴き手に優しく寄り添う独特の語り口が心をくすぐります。楽想の変化に器用に対処するというよりも丹念にその意味を刻印しながら進行。したがって、第2楽章などは無骨にも聞こえますが、そこに流れる精神は至純そのもの。その純粋さがタッチにもフレージングにも反映し尽くされた終楽章は涙を禁じ得ず、これほど各変奏曲が優しく連動しながら語りかける演奏には、そうそう出会えません。
リストの協奏曲は、派手な作品の影に隠れがちなリストの繊細な筆致に焦点を当てた演奏。中だるみしがちなモデラート以降([07]〜)でも丹念なニュアンスが光ります。最後のアレグロ・アニマート([09])に入る前のカデンツァが、ここでは省略されています。
ショパンは更に聴きもので、同曲屈指の名演!第1楽章でピアノが第1主題を奏でただけでも、行き届いたペダリングとフレージングによって、レガート偏重のムーディさとは違う別次元に誘われます。特に2:59からの明確な分散和音化処理は一歩間違えれば安易な感傷に傾きますが、ラウフが弾くと芳しい空気が流れるのです!第2楽章最初にトリルは、慎ましさの中に魂の育みが感じられ、「真心のタッチ」の真髄を知る思いです。テーマが繰り返される2:34からは、そこに瞬間的に威厳が加わり、神々しいニュアンスを一気に敷き詰めるのですから息を呑むばかり。タッチの強弱操作だけで引き出されたニュアンスではないだけに、感銘もひとしおです。そして、最後の一音の密やかな置き方!絶対お聴き逃しなく!終楽章冒頭の装飾音が纏わりつく主題は、ポーランド風に仕立てるのに多くのピアニストが苦心していますが、ラウフは完全ストレート直球。それでいて少しも淡白にならないのは、音符の背後にある本質を感じきっている証しでしょう。第2主題(2:15〜)も同様。作品を過度に肥大化させず、音符の意味を丁寧に炙り出すことに終止するラウフの美学が完全に結実した逸品です!【湧々堂】

TRE-174
フランティシェク・ラウフ/ベートーヴェン&ショパン
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12番*
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番「葬送」
 ピアノ・ソナタ第3番ロ短調Op.58
フランティシェク・ラウフ(P)

録音:1965年11月15,18-19日*、1966年11月-12月(全てステレオ)
※音源:SUPRAPHON SUAST-50743*、SUAST-50893
◎収録時間:70:13
“ラウフの高貴で敬虔なピアニズムが十二分に生かされた不朽の名演!”
■音源について
ラウフによるスプラフォンのステレオ録音のなかで、TRE-173の収録曲とともに重要な名演!

ベートーヴェンの「第12番」第1楽章の主題をツェルニーは「高貴で敬虔」と評しましたが、これはそのままラウフのピアニズムに当てはまります。各変奏の表情を丹念に表出しながら、同時に豊かな流動性も確保しているので、変奏曲形式が苦手な方もこれには心奪われることでしょう。第3楽章は「英雄の死を悼む葬送行進曲」という副題の意味に囚われない実直さで一貫。それだけに、消え行くコーダでの静かな余情が際立ちます。
ショパンがまた言葉で言い尽くせないほどの大名演!少なくとも2つのソナタを収めたれレコードとしては、史上屈指の存在だと確信しています。
「第2番」は、荒々しいタッチで劇的な楽想に追い打ちをかける手法とは異なり、ラウフが目指すのはあくまでも内面性の微妙な移ろい。第1楽章第2主題が誰よりも浄化しきった精神を湛えていること、展開部のドラマ性が打鍵の強さではなく内的な葛藤から生じているのを目の当たりにすると、ラウフの思慮深さ、芸の深さを痛感するばかりです。第2〜3楽章も、精神的な高潔さは比類なし。特に第3楽章は中間部に突如として繊細な静謐美を注入する例が多いですが、ラウフのピアノは最初からピュアなので、中間部でも唐突な印象を与えず、連綿と美しいニュアンスが続くのです。
「第3番」は、日頃からどこか底の浅い演奏が多いと感じていますが、この演奏にはそんな瞬間は皆無。第2楽章は、意外にもピアニスティックな効果を発揮しますが、そこにも懐の深さを感じます。第3楽章は豊かなホールトーンとも相まって高潔な幻想性が広がり、皮相な演奏との違いをまざまざと思い知ります。特に中間部のラストは必聴!終楽章も驚異的!ラウフの演奏で聴くと、ショパンがソナタの最後を締めくくる音楽を築くのに苦心した形跡など感じさせず、まさにショパンの等身大の音楽としてストレートに迫ってくるのです。造形美を立体的に再現しつつ、音楽を硬直化させないセンスも超一級!この作品、ピアニストの技巧が音楽的な感度と一体化したものかどうかを量る試金石かもしれません。【湧々堂】

TRE-175
オーマンディ〜「パリの喜び」
ワインベルガー
:歌劇「バグパイプ吹きのシュヴァンダ」〜ポルカとフーガ
ビゼー:交響曲第1番ハ長調*
オッフェンバック:バレエ音楽「パリの喜び」(ロザンタール編)#
ユージン・オーマンディ(指)
フィラデルフィアO

録音:1955年12月24日、1955年12月4日*、1954年5月9日#(全てモノラル)
※音源:米COLUMBIA ML-5289、英PHILIPS GBL-5505#
◎収録時間:73:22
“音のお花畑!オーマンディの第一絶頂期を知る痛快名演集!”
■音源について
ワインベルガーは、全4回の録音うちの3回目、ビゼーとオッフェンバックは、全2回の録音のうちの1回目。オッフェンバックの再録音は抜粋でしたが、この1回目録音は全曲版です。この1曲だけで両面を使用したPHILIPS盤のパリッとした響きは、演奏の特質とも見事にマッチ!

★オーマンディの魅力は、モノラル期以前の録音を聴かない限り本当に知ったことにはならない!そのことを私が最初に実感したのは、このビゼーの交響曲でした。とにかく、リズムの感じ方、意味の持たせ方が、60年代以降の録音とは別人のようだということを、この一枚で徹底的に実感していただきたいと思います。
第二絶頂期とも言える60〜70年代の豊満な音作りもかけがえのないものですが、少なくとも作品の魅力の大部分を「リズム」が占める作品においては、この時期特有の瑞々しさと爽快感は絶対不可欠!
ただ、全てにおいて「極端さ」を嫌う姿勢は生涯を通じて一貫していました。特にテンポの選択は、オケを蹂躙するような暴走など決してせず、華やかさと和やかさを併せ持つ雰囲気は、まさにオーマンディを聴く醍醐味と言えましょう。終楽章など、まさに音のお花畑!これ以上テンポが速くても遅くても、この香るようなニュアンスは生まれなかったことでしょう。
リズムとテンポの冴えが更に突き抜けているのが、オッフェンバック!ここでも、生命感の大開放が見られますが、注目すべきはテンポの速い曲がのものすごい速いこと。それが同郷のショルティのような無慈悲な縦割りの打ち込みではなく、温かみをもって躍動ししているので、子供がおもちゃ箱をひっくり返して喜んでいるようなワクワク感が一杯!どなたも自然と心奪われること必至です。弦のピチカートをアルコに変えたり、別の楽器を追加する等の部分的改変もさり気なく、センス満点。これを聴けば、少しくらいの悩み事なら、1分で吹き飛びます!モノラル最後期なので、音も鮮明。【湧々堂】

TRE-176
若き日のオスカー・シュムスキー
ヴィエニャフスキ:華麗なるポロネーズ第1番 ニ長調 Op. 4*
シューベルト:華麗なるロンドOp.70**
サン・サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ#
ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第22番(ピアノ伴奏版)##
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」+
オスカー・シュムスキー(Vn)
ピアニスト不明*
レオニード・ハンブロ(P)**
ミルトン・カティムズ(指)NBC響#
ウラディミール・ソコロフ(P)##
トーマス・シェルマン(指)小管弦楽協会O+

録音:1940年8月15日*、1951年6月23日**、1950年4月22日#、1950年##、1956年頃+ (全てモノラル)
※音源:DISCOPEDIA MB-1040、Music Appreciation Records MAR-5613+
◎収録時間:78:53
“音楽を弄ばず、奉仕者に徹する信念が強固なニュアンスを形成!”
■音源について
モーツァルト以外は、SP音源からの復刻LPです。あらかじめご了承下さい。

★オスカー・シュムスキー(1917年-2000)は、フィラデルフィア生まれ。7歳でフィラデルフィア管と共演し、ストコフスキーから「いまだかつてない神童」と絶賛され、後にカーティス音楽院で学び、晩年のレオポルト・アウアーのもとで研鑽積みました。教育活動に熱心だったため、録音数は極めて少なく、広く認知されるようになったのは、晩年になってからのニンバス等への録音からでしょう。
ヴィエニャフスキは軽妙に躍動し、多彩な表情を交えて雄弁に語りる付けますが、聴き手に媚びるような嫌らしさがなく、すすり泣くフレーズでも背筋のピンと伸びた意志の強さが宿り、音楽を女々しくさせません。サン・サーンスも同様で、決して流れが停滞せず、呼吸の求心力の高さに思わず惹き込まれます。
ヴュータンの第2楽章は可憐な囁きが心に染みますが、安易なポルタメントに逃げず、ここでも折り目正しい造形力が際立ちます。
その造形力が古典的なフォルム維持に生かされ、独特の手応えを与えてくれるのが、モーツァルトの協奏曲。
第1楽章主題は陽の光をたっぷり浴びたハリのある音色美を放射。第2主題のリズムは、気分に任せる素振りも見せず、ニュアンスが凝縮。このシーンに限らず、ショーマンシップを見せつける箇所がほとんど存在せず、カデンツァでさえ決して大道芸的な立ち回りとは無縁。それこそまさに、シュムスキーの教育者、作曲家に奉仕する芸術家としての象徴と言えましょう。終楽章も実にニヒル。微笑みを振りまくのではなく、フレージングの微妙な陰影と呼吸の妙味で多彩な表情をしっかり引き出し、作品の核心に肉薄しようとする意思が音楽全体を引き締めているので、決して堅苦しさを与えずに音楽の全体像をしっかり実感することができるのです。
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲はどんな名盤を聴いても、どこか食い足りないものを感じるという方には、特に傾聴していただきたいと思います。【湧々堂】

TRE-177
ロベール・カサドシュ/ベートーヴェン:「皇帝」他
ウェーバー:コンツェルトシュテュック ヘ短調 Op. 79
フランク:交響的変奏曲
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」*
ロベール・カサドシュ(P)
キリル・コンドラシン(指)トリノ放送SO
ハンス・ロスバウト(指)アムステルダム・コンセルトヘボウO*

録音:1960年5月6日ライヴ、1961年2月3日* (全てステレオ)
※音源:伊FONIT CETRA LAR-18、独FONO-RING SFGLP-77699*
◎収録時間:66:12
“本質追求ヘの強い意志を分かち合ったカサドシュとロスバウトの強力タッグ!”
■音源について
FONIT CETRAは、“ARCHIVIO RAI”シリーズでチェリビダッケ、バルビローリ等の1960年頃のステレオ・ライヴ録音をリリースしていますが、これもその一環。この時期のステレオとしては極めて優秀。「皇帝」はPHILIPS音源ですが、ここではシャキッとした音が演奏の性質とマッチしているFONO-RING盤を採用。今までどのCDを聴いても表現が中途半端に聞こえましたが、これで聴くと音の意味が手に取るように分かります。

★カサドシュの協奏曲録音で共演する指揮者は、フランス風のエレガンスを湛えた人よりも、セルをはじめとして硬派な指揮者との共演が多いですが、これは単にレコード会社の都合ではなく、カサドシュの意向が作用していことを強く窺わせるのがここに収録した3曲(全てカサドシュの十八番)です。コンドラシンもロスバウトも、ワルターのような柔和さとは対極的な引き締まった音像を志向する指揮者。一方のカサドシュも、清明なタッチによるしなやかなフレージングを見せながらも、特に独墺の古典作品(特にバッハの素晴らしさ!!)においては、無駄を排して造形力を際立たせ、意志の強さを感じることが多いので、シェイプアップ型指揮者との相性が抜群なのです。
中でも、ベートーヴェンの「皇帝」は、指揮者とピアニストの共通認識の強固さという点で、多くの同曲名盤の中でもトップクラス!カサドシュが、ロスバウト化して言えるほど、互いの方向性が同じ一点に完全一致しているのです。
第1楽章冒頭からイン・テンポを基調とした高潔美が横溢。決して音像を肥大化させず、毅然とした意思をもって造形する姿勢をここまで貫かれると、重戦車型の演奏は場違いとさえ思えてきます。白眉は第2楽章!何度聴いてもこの楽章の史上最高峰の演奏という確信は揺らぎません。カサドシュの結晶化しきったタッチそのものが詩情を醸し出し、それ以上のことは何せず、澄み切った空気感を表出。それに比べ、テンポを落としてしっとりと歌おうとするほど本質から逸れてしまう演奏の如何に多いことか…。
終楽章は、引き締まった音像の中の強烈な意志力がさらに高次元で燃焼し、これ以上ない凝縮しきった音楽を展開。安直な人間味など寄せ付けないほどの本質追求型の演奏の場合、指揮者とソリストは「融合」より「緊張」が際立つものですが、ここではその両方を同時に体感できるのです!【湧々堂】

TRE-178
フェレンチクのベートーヴェンVol.2
序曲「献堂式」Op.124*
交響曲第1番ハ長調Op.21
交響曲第8番ヘ長調Op.93
ヤーノシュ・フェレンチク(指)
チェコPO*、ハンガリー国立O

録音:1961年1月5日*、1964年7月14-23日(全てステレオ)
※音源:SUPRAPHON SUAST-50025*、HUNGAROTON HLX-90002
◎収録時間:65:28
“音楽を決して淀ませない、フェレンチク流の指揮の極意!!”
■製作メモ
フェレンチクはベートーヴェンの交響曲を複数回録音していますが、この2曲は後の全集とは別の最初の録音。ここで採用した重量盤は、演奏の温かみと奥深さを余すことなく伝えています。

★既にTRE-165でご紹介した「交響曲第2番&第4番」と並んで、50歳代のフェレンチクを象徴する名演。フェレンチクが終生持ち続けた衒いのない丹念な造形力はこの頃すでに確立しており、同時にオケを禁欲的な窮屈さに閉じ込めることなく、伸びやかに息づかせる手腕にも長けていたことを実感できます。
「第1番」は、これぞ真の中庸美。単に当たり障りのない解釈という意味での「中庸」とは違うのです。全楽章を通じて無利のないテンポを採用しながら、手作りの風合いを持つ響きが魅力的で、本当の意味でのアクセントとして響くティンパニの何気ない一打にも、見識の深さ感じさせます。第3楽章中間部の木目調のハーモニーは、この指揮者とオケのコンビネーションで味わう醍醐味。終楽章は力こぶを振り上げず、オケの自発的な推進力に任せながら、音楽の古典的な骨格を自然に表出させるという、指揮の極意を見る思いです。
「第8番」第1楽章は、意外にも爽快なテンポ。しかもそのテンポ選択に説明的な嫌らしさが纏わりつくことなく、何も気負わずに進行するので、その爽やかな空気は心にすんなりと浸透するのです。その自然な進行のうちに、気づくと展開部では見事な高揚感に到達していますが、そこにも邪念による煽りなど一切なし。第2楽章もテンポこそスタイリッシュですが、このオケの純朴な響きがそのままニュアンス化され、心に染みます。チェコ・フィルとはまた違うローカル色を持つこのオケの手作り感は、この楽章を弾くために存在するかのよう。これは3分台で演奏された同楽章の録音の中で、間違いなく屈指の名演です!
一切の効果を狙わない音楽作りはイメージ的には地味ですが、結果的に聴き手の琴線に確実に触れる効果を持つ演奏を実現しているのですから、そこにはとてつもない極意が注入されていると言わざるをえません。
なお、2曲とも提示部リピートを行なっています。
実は、私はこのコンビの演奏を聴くたびに、かつてその来日公演のFM生放送にゲスト解説者として招かれていた日本のクラシック音楽評論の重鎮の一言が脳裏をよぎります。なんと「随分と埃っぽい音ですね〜」とポロッと発言したのです!まだ高校生だった私は、こんな貧困な感性しか持ち合わせずにその道の権威として君臨していることに愕然としたのでした。さすがに今の時代、ベルリン・フィルやウィーン・フィル以外の非主流派オケは全て二流、と見下す人などいないと思いますが…。とにかくこのディスク、ブランドの重みより音楽の本質に触れたいと願う全ての方々にお届けしたいのです!【湧々堂】

TRE-179
ベラ・シキ/ショパン:スケルツォ&バラード
スケルツォ第1番 ロ短調 Op. 20
スケルツォ第2番 変ロ短調 Op. 31
スケルツォ第3番 嬰ハ短調 Op. 39
スケルツォ第4番 ホ長調 Op. 54
バラード第1番 ト短調 Op. 23*
バラード第2番 ヘ長調 Op. 38*
バラード第3番 変イ長調 Op. 47*
バラード第4番 ヘ短調 Op. 52*
ベラ・シキ(P)

録音:1953年5月、1952年4月*
※音源:英PARLOPHONE PMA-1011、PMA-1008*
◎収録時間:73:50
“明晰なタッチでショパンを哲学する、ベラ・シキ独自のピアニズム!”
■音源について
ベラ・シキは、1950年代にショパン作品のうちソナタ、即興曲などをParlophoneに集中的に録音しており、このスケルツォ、バラードもその一環。LP2枚分を全て収録。

★ベラ・シキは、1932年ハンガリー生まれ。あのディヌ・リパッティの弟子で、若き日は「コンクール荒らし」と言われるほど数々の国際コンクールに入賞しましたが、次第に活動の場を教育に移し、多くの門下生を輩出。日本の宮沢明子もその一人です。したがって、録音の数は極めて少なく、中でも知られているのは、同郷のゲザ・アンダと録音したサン・サーンスの「動物の謝肉祭」(指揮はマルケヴィチ)でしょうか。。そしてこのショパンを聴いて最初に感じたのは、師のリパッティの影響よりも、まさにそのゲザ・アンダとの共通点。アンダはベラ・シキの10歳年上で、共にブタペスト音楽院でエルンスト・フォン・ドホナーニに学んでいるので、兄弟子となりますが、雰囲気に流されない実直さ、明晰な打鍵など、ベラ・シキとよく似ています。
スケルツォ第1番は、ベラ・シキの硬派なピアノズムとの相性が抜群。前半と後半の厳しい切れ味にその特質が最大限に生きていますが、中間部の聴き手に媚びないけ高潔なピアニズムもまたベラ・シキならでは。スケルツォ第3番、第2主題に現れる下降アルペジオも決してパラパラ散らず、一音一音の意思を注入するかのよう。スケルツォ第4番は特筆すべき名演!冒頭主題での音の跳躍とリズムにも浮かれることなく品格の空気を敷き詰めた後、中間部では表面的な美しさを超えた至純の精神が脈打ち、汚れなきタッチが真の美を導くのです!
バラード第1番は、標準的なアプローチによる推進性、ドラマ性とは異なり、極めて思索的に進行。そのため3:14からのフレーズの全ての間合いに思いが充満。4:25からの第2主題の飛翔でも開放感を封印。音のニュアンスを厳しく吟味。このシーンで陽の光を取り込まない真意は、コーダでのどこか物憂げなニュアンスと通底するものを感じさせます。
バラード第4番のコーダ前も露骨に強打をぶつけることも可能でしょうが、内面のニュアンスを見失うことなく、コーダでは爽快な切れ味とは違う余韻を携えながら締めくくられるのです。
作品の構成を見据えながら、自らを厳しく律し、ショパンの思いに少しでも近づこうとする真摯な姿勢は、手っ取り早く効果を狙う昨今の演奏家とは全然違い、そもそも音楽をする目的自体が異なるとしか思えません。【湧々堂】


TRE-180
スワロフスキー/チャイコフスキー&サン・サーンス
チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」
サン・サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」*
ハンス・スワロフスキー(指)
ウィーン国立歌劇場O
フランツ・エイブナー(Org)*
※ウィーン楽友協会ホールのオルガンを使用

録音:1956年6月26-29日(ステレオ)
※音源:URANIA USD-1026、SAGA XID-5283*
◎収録時間:76:14
“色彩の厚塗りを避け、スコアの筆致を信じた実直路線が結実!”
■音源について
2曲ともURANIA音源で、世界初のステレオ録音と思われます。チャイコフスキーの「1番」「2番」も含めてこの4日間に録音されているので、ほぼ一発録りなのでしょうが、1956年とは思えぬ良好なバランスのステレオサウンドには驚くばかり。ちなみに、サン・サーンスの「オルガン」が初演されたのは、この録音のちょうど70年前でした。

★ロマン派以降の交響曲の演奏に際しては、指揮者も録音スタッフも、とにかくまず「立派」に聞こえることを優先し過ぎてはいないか、聴き手も、それが当たり前に思ってはいないだろうか…。「聴き映え」のことなど全く眼中にないスワロフスキーの実直な指揮に触れると、そんな思いが頭をよぎります。
チャイコフスキーは、民族的な色彩を上塗りせず、ただスコアを丁寧に炙り出しているだけですが、まろやかな情感が滲み、決して無機質に陥ることがないのは、オケの音色自体がすでに音楽的であることを熟知し、それを有効活用しきった成果と言えましょう。意外なのはテンポ運びが極めて洗練されていること。第1楽章第2主題でもテンポを落とさず素直な歌に徹し、そこから純朴な活力を引き出しています。コーダの俊敏なレスポンスも見事。実にメルヘンチックな第2楽章、ピチカートの瑞々しさに惚れ惚れする第3,4楽章も、ウィーンのオケの特質なくしてはありえない味。終楽章では、ワーグナー的な響きで圧倒しようとする演奏では引き出せない、素朴な生命の躍動に心奪われます。手綱を程よく緩めたこの絶妙な開放感は、まさに指揮技術の極意でしょう。
サン・サーンスも演出皆無。もちろんオーディオ効果など念頭に置いていないので、金ピカ壮麗な響きとは違う、人肌の温もりと包容力で魅力する比類なき名演奏として結実しています。サン・サーンスのオーケストレーションの魅力を素のまま伝えるこに専心しているので、第1部の後半でも瞑想感の上塗りなど一切せず、これ以上ない素朴な空気が支配しますが、6:25以降のピチカートに乗せて主題が回帰するシーンでは、信じがたいほど香り高きフレージングを実現するのです!第2部は、アンサンブルを締め付けすぎないゆとりが、懐の深いニュアンス作りに直結。シルキーな弦の魅力を思う存分堪能した後に訪れる後半部は、ゆったりとしたテンポを貫徹。表面的な興奮にも背を向けたその足取りには強い確信が漲り、当然のようにイン・テンポで締めくくるコーダも、巨匠級の風格美を醸成。この曲に一切のハッタリ持ち込まず、味わい志向に徹した演奏をお望みなら、これを聴かない手はありません!【湧々堂】


ヨーゼフ・クリップス
TRT-001
ハイドン:交響曲第99番
チャイコフスキー:交響曲第5番*
ヨーゼフ・クリップス(指)VPO

録音:1957年9月9-14日、1958年9月15-16*(共にステレオ)
※音源:DECCA SXL-2098 , SXL-2109*
◎収録時間:66:52
“宇野功芳氏激賞の意味を真に伝える、極上フラット盤の威力!”
■製作メモ
このクリップスの「チャイ5」こそ、まさに自主復刻スタートのきっかけとなった録音。ギレリスのベートーヴェン(DG)で初めてCDの音を体験した時、ノイズがないということがこんなに心地良いものかと衝撃を受けた一方、この「チャイ5」のCD(確か初CDは米盤)を初めて聴いて、あまりにも貧相な音に失望したことは今でも忘れられません。以降、何度もCD化が繰り返されましたが、どれを聴いてもその失望を払拭できません。宇野功芳氏が激賞する意味も、既存のCDでは体現できないはずです。それだけ思い入れが強いだけに、レコードも10種類以上は聴き比べましたが、最終的に極上と判断したのが、このSXL-2098(スタンパー=ZAL2D,ZAL2E)。但し、英国盤ではなく稀少なスペイン・プレス。約210グラムの重量フラット盤です、金管のバリバリ張り出す力感、ティンパニの微かな衝撃と余韻など、これ以上に肌で感じることができる盤はまずないと思われます。

ハイドンの「99番」は、楽想の変化の妙とウィーン・フィルの持ち味が融合することで、同時期に録音した「驚愕」以上にワクワクさせられる名演。
クリップスのチャイコフスキー録音は、他に「悲愴」があるだけ。当時のウィーン・フィルにとっても、「チャイ5」は十分体に染み付いている作品ではなかったはず。だからというわけではないでしょうが、クリップスは音楽のイメージの大枠だけを示し、あとはウィーン・フィルの流儀で伸び伸び演奏させることに徹しており、結果的に「ロシア的な哀愁とダイナミズム」とは全く別世界の独自の音楽を確立することができましたという、特異な名演と言えましょう。
特定の声部をデフォルメしたり、ニュアンスのコントラストを強調する素振りも皆無。オケの響きのバランスは弦が主体で、金管はあくまでもスパイス。随所で顔を出すポルタメントも、完全に素のウィーン・フィルそのもの。それらが音楽的な味わいに全面的に作用することを前提として成り立った名演であり、だからこそ、激しい激情の放出も甘美な演出もなく、第2楽章締めくくりのテンポが誰よりもそっけないく通りすぎても、無機質どころか独自の魅力として胸に迫るのでしょう。
テンポも、ウィーン・フィルにとっての自然体が生かせるものが常に選択されていますが、、終楽章の展開部の途中から加速するのは非常の珍しい現象なので、妙に興奮を掻き立てられます。また、これだけウィーン流儀に徹しながら、第3楽章ではウィンナ・ワルツの片鱗を見せず、独自のメルヘン世界を築いていいる点にも、控えめながら決してこだわりは捨てないクリップスの意思が感じられます。
ウィーン・フィルは、この後マゼール、シャイーとも「チャイ5」の名演を遺すことになりますが、ここまでウィーン・フィルの魅力を全面に立てた演奏は他に無く、次第にこのオケがウィーン・フィルらしさを失っていったという事実を差し引いても、これだけ魅力的な演奏に結実したというのは、奇跡に近いのではないでしょうか?例えば、このコンビは同時期にJ・シュトラウス作品集を録音していますが、これは何度聴いても「ウィーン・フィルらしい演奏」という以上の感興が湧き上がってこないことを考えると、なおさらそう思えてなりません。【湧々堂】 →
さらなる詳細コメントはこちら。
ワルター・ゲール
TRT-002
チャイコフスキー:弦楽セレナード*
交響曲第5番ホ短調Op.64
ワルター・ゲール(指)
ローマPO*、フランクフルト室内O

録音:1955頃(ステレオ)
※音源:英CONCERT HALL SMSC-2188*、仏 PRESTIGE DE LA MUSIQUE SR-9629、日CONCERT HALL SM-6108
◎収録時間:76:04
“オケのイタリア気質と相まった濃厚な節回しで翻弄する「チャイ5」!”
■製作メモ
コンサート・ホール(C.H)のステレオ録音は、バイノーラル方式を採用したものが多いため、それが不自然な音でないことを確認しなければ、安易にステレオ盤を採用するわけには行きません。この2曲のステレオはかなり上出来で、演奏の特徴をより効果的に伝えていると判断して採用しました。しかし、「チャイ5」の最良盤選びには苦労しました。ステレオでの発売は、米・仏と日本のセット物だけだと思われますが、音質的に最良なのは日本盤。ところが、2楽章後半でピッチの揺れがあったため全面採用を断念。そのため、、日本盤と音質的に大差のない仏盤(1969年頃発売)を選択するしかないのですが、たまたま誤って同じレコードを2枚購入してしまったことから思わぬ発見がありました。両者を聴き比べると、一方だけ特に2楽章のひずみが多く、音も曇り気味。それぞれのマトリックスを見ると、マスター自体が異なることが判明したのです。ここでは、ノイズの少なさも含め、その2枚から楽章単位で「いいとこ取り」をすることとしました。ジャケ写には、最もアーティスティックな独盤を採用。

★この「チャイ5」は、世紀の大奇演!ワルター・ゲールという指揮者は、作品の持ち味を生かすことに主眼を置きつつも、オーケストラの個性との相乗効果を取り込むことも重要視していたと見え、どんなニュアンスを引き出すのか、聴くまで全く予想がつきません。このチャイ5も例外ではありません。
いきなり驚かされるのが、作品の核であるクラリネット主題冒頭の付点四分音符を思いっきり引き伸ばし、複付点音符のように奏でていること。この現象は、終楽章最後のトランペットまでほぼ一貫していることから、単なる思いつきでも奏者のクセでもなく、ゲールの指示であることは明らか。スコアを神聖化し過ぎずに、オケに染み付いている歌心を極端なまでに刻印せずにはいられないゲールの芸術家魂に、まず拍手を送りたいのです。
最大の聴き所は、何と言っても終楽章。小さいことに拘らない大らかさが、曲の終盤へ向かうに連れて王者の風格へを変貌を遂げる様は惚れ惚れするばかりで、スコア表記の意味を考えすぎた演奏ではこうは行きません。特に、モデラート以降の風格は、コンサートホールのバイノーラル録音としては異例のバランスの良さとも相俟って、圧倒的な感銘をもたらします。「大らかさ=大雑把」ではないことを痛感するばかりです。
なお、ゲールの「チャイ5」は、Forgotten Recordsによるモノラル盤復刻も存在しますが、「製作メモ」に記したように、この演奏の面白さをより強く感じさせるのは、明らかにこのステレオ盤です。
一方の「弦セレ」は、これに比べるとはるかに誠実な演奏ですが、決して凡庸な演奏ではなく、フレージングの端々から心からの共感が感じられ、ニュアンスのコントラストに配慮した素晴らしい演奏を聴かせてくれます。【湧々堂】
コンスタンティン・イワーノフ
TRT-003
チャイコフスキー:フランチェスカ・ダ・リミニ
交響曲第5番ホ短調Op.64*
コンスタンティン・イワーノフ(指)
ソビエト国立SO

録音:1955年、1956年*(共にモノラル)
※音源:Melodiya C-1024221-009、独TELEFUNKEN LT-6624*
◎収録時間:69:23
ローカル色に安住せず、入念にニュアンスを注入したイワーノフの真価!”
■製作メモ
第5交響曲は、既にVISTA VERAレーベルからCD化されていますが、全休止が完全無音状態になるなどノイズ・リダクションが強過ぎ、弱音の音量を意図的に上げたような編集も気になり、これを聴いた際のレヴューでは結果的に「どこか焦点が定まらない演奏」という判断をせざるを得ませんでした。ところが、改めてレコードで聴き直したら、思いも寄らなかったニュアンスが続出!特に、古い音源を使ったCDは全面的には信用出来ないよいうことをまたしても思い知った次第です。

「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、イワーノフならではの豪快な音楽作りの典型。細部へのこだわりを感じさせない推進力とダイナミズムを信条としながらも、よく聴くと各楽想の扱い方に明確な主張が隠されており、単に勢いに任せた演奏ではないことが分かります。序奏部から入魂の限りを尽くし、主部以降は血で血を洗うような壮絶なドラマを展開。そして、中間部冒頭クラリネット・ソロの完全孤独の空気との対比!ソ連勢のこの曲の演奏としては、ムラヴィンスキー、ロジェストヴェンスキーの各レニングラード・フィル盤と共に無視できない名演です。
それが交響曲では、豪放なイワーノフのイメージとは、ちょっと様相が異なります。まず特徴的なのが、まるでドイツ系の指揮者のように構成を見据えた正攻法であること。その上で、第1楽章序奏に象徴されるように、行き場のない孤独感を表出し、ダイナミズム放射を抑え、「内向的なチャイコフスキー」に比重をおいたアプローチを行っているのです。極端なコントラストも持ち込まず、ド迫力で圧倒する瞬間も少ないですが、ただ渋いだけの演奏だと思ったら大間違い!第1楽章だけでも、イワーノフが慣習的なロシアン・スタイルから一旦離れて、スコアを丁寧に読み込んでいることが窺えます。第2主題の直前(4:31〜)では、管楽器を抑えて弦の響きをキリッと立たせたり、第2主題冒頭のスフォルツァンドは、これほど求心力を持った例は稀。副次主題が現れる直前(5:44〜)の木管の音型は、わずかにディミニュエンドして弦との橋渡しが実に流麗。大詰め495小節から一瞬ピアニッシモにしてからのクレッシェンドする見事さ等々、パワーで押し切ることを第一に考えていては成し得ない技ばかりでう、全てに細やかな共感が息づいています。そのよう繊細な配慮を持ちながらも、音楽自体は十分に大きく輝かしく聳えているところが、また魅力です。第2楽章のホルン・ソロも、屈指の名演奏で、まさに風格美で魅了。
これは、ロシア的な臭みが苦手という方にも、その臭みこそ命と信じる方にも、両方に訴え掛ける力を持つ名演奏と言えましょう。オケがもしもバイエルン放送響あたりだったら、更に普遍的な価値を誇る存在になったことでしょう。【湧々堂】
さらなる詳細レヴューはこちら。
フェレンツ・フリッチャイ
TRT-004
ハイドン:交響曲第100番「軍隊」
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調Op.64*
フェレンツ・フリッチャイ(指)
ベルリンRIAS響、ベルリンRSO*

録音:1954年5月4日、1957年1月24日ライヴ*
※音源:伊LONGANESI PERIODICI GCL-70、GCL-38*
◎収録時間:66:19
“安定感も燃焼度も申し分なし!フィリッチャイの比類なきロマンチシズム!”
■製作メモ
ハイドンは放送音源。チャイコフスキーはAuditeのCDでも演奏のテンションの高さは伝わりますが、唯一気になるのが、ホットな演奏にもかかわらず、音自体に熱量があまり感じられないこと。マスタリングに際し、高域を少し持ち上げて明瞭に聞こえるように調整したせいかもしれません。この復刻では、そのような齟齬は感じず、迫真の表現が更にダイレクトに突き刺さります!

★フリッチャイ特有の妥協なき共感の注入ぶりは終始凄まじいばかりで、命がいくつあっても足りないと思えるほど燃焼の限りを尽くした凄演です。テンポ設定等の基本構成はベルリン・フィルとのスタジオ録音から大きく変化はしておらず、映像にも残っているようにここでも緻密にリハーサル行なったことを十分に伺わせますが、フリッチャイの演奏は、演奏しているまさにその瞬間におけるオケとの精神的な一体感、高揚感の共有の微妙な差が、本番の演奏の密度もダイレクトに反映されやすい、危険を孕んだスタイルであったとも言えるでしょう。第1楽章はストックホルム盤が終始音楽が激高しているのに対し、こちらでは各シーンの表情のメリハリがより強調され、特に提示部と再現部の暗い翳リの表情と、展開部のイン・テンポで一貫した決然とした推進力のコントラストは見事。第2楽章は命を擦り減らすカンタービレの応酬。第3楽章でも決して気を抜かず、最後の最後まで綿密な設計と情感の融合を実現。終楽章は明らかにストックホルム盤を上回る素晴らしさで、阿吽の呼吸でオケが反応しなければ実現不可能。まさに体で感じきり、アンサンブルの点でも高次元に昇華された演奏が繰り広げられます。最後のプレスト以降のテンポの速さは凄まじく、しかも音楽としての重みを損なうことなく熱い塊として決死の勢いで迫り来る様は圧巻。フリッチャイのチャイコフスキーとしては、ORFEO盤の「悲愴」と共にお勧めしたい録音です。【湧々堂】 さらなる詳細コメントはこちら。
オッド・グリューナー=ヘッゲ
TRT-005
グリューナー=ヘッゲ/グリーグ&チャイコフスキー
グリーグ:「ペール・ギュント」第1組曲Op.46
 「ペール・ギュント」第2組曲Op.55
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調Op.64*
オッド・グリューナー=ヘッゲ(指)
オスロPO

録音:1959年、1958年6月*(全てステレオ)
※音源:RCA CCV-5019(UK)、Camden SND-5002(UK)
◎収録時間:78:28
“静かな闘志と確信がセンチメンタルなチャイコフスキーを払拭!”
■製作メモ
幼き日にグリーグに音楽的な才能を認められた、グリューナー=ヘッゲの名演。チャイコフスキーは、ReDiscoveryといレーベルからCDRが発売されていましたが、過剰なノイズ除去のため、無残な音に変質していました。ジャケ写は、米Camden盤を採用。

★グリューナー=ヘッゲ(1899-1973)はノルウェーの名指揮者。ワインガルトナーに師事し、1928年に指揮者としてデビュー。生涯を通じてノルウェーに本拠を置いていたので世界的な認知度は低いですが、幸いにもRCA(Camden)の録音で、静かな確信が宿るその音楽性を知ることができます。
グリーグは、指揮者もオケも正真正銘の本場物。しかし演奏にはその意地を誇示するような大げさな表情は一切なく、ひたむきに丁寧に音楽を紡ぎだしているところに、かえって強い自信が窺われます。特に、「オーゼの死」や「ソルヴェーグの歌」のような静かな曲での慈しみは比類なし。同曲の最も信頼の置ける歴史的名演と言えましょう。
一方のチャイコフスキーは、打って変わってかなり大胆。終楽章で短縮版を採用している点も大きな特徴ですが、まず第一に印象的なのが、オケの響き。北欧のオケにはドイツ系の指揮者の客演が多かったせいか、ここでのオスロ・フィルの響きも、いかにも北欧的な透明さよりも、かつての北ドイ放送響のような渋みを感じさせます。それがプラスに作用し、第1楽章序奏は、腰の座った低弦の響きを基調とした鬱蒼としたニュアンスが心を捉えます。主部以降は、繊細さを装うことのない男性的な推進力が見事!スコアに書かれた極端なまでのテンポ指示もセンス良く中和し、その勢いを決然と貫徹。第2楽章のホルン・ソロは、ピカピカの一流品ではないものの、音楽の感じ方はまさに一級。弦が歌う主題(3:58)も、綺麗事の弱々しい音など皆無。第3楽章も、優美さよりも野武士的な雰囲気が濃厚です。終楽章は、主部を低速で開始して次第に加速する点や、展開部でメンゲルベルクと同様のカットを行うあたりに古いスタイルの片鱗が見られますが、押し付けがましくないので、その勢いに自然に惹き込まれてしまいます。ケンペンのような男らしいチャイコフスキーをお好みの方は、必聴です!【湧々堂】

TRT-006
スタインバーグのチャイコフスキー
チャイコフスキー:弦楽セレナード
交響曲第5番ホ短調Op.64*
ウィリアム・スタインバーグ(指)
ピッツバーグSO

録音:1953年11月30日&1954年4月14日シリア・モスク・ピッツバーグ、1953年頃*
※音源:米Capitol P8290、英mfp MFP-2008*
◎収録時間:75:08
“潔癖でありながら綺麗事ではないフレージングの意味深さ!”
■製作メモ
スタインバーグが、ピッツバーグ響の音楽監督に就任(1952年)した直後の録音。交響曲の録音日は判然としませんが、1954年のシュワンのカタログには掲載されているので、ここでは1953年頃としておきます。交響曲の音源には、初出のキャピトル盤が高域がきついため、mfp盤を使用。なお、交響曲の第3楽章に、消去しきれないノイズがありますこと、ご了承下さい。ジャケ写は、初出のキャピトル盤。

★スタインバーグの録音は、何を聴いても「誠実だけど胸に迫らない」という印象しか得られなかったのが、この2つのチャイコフスキーには、時を忘れて聴き入ってしまいました。音楽を歪曲しない誠実さの背後には、鉄壁なまでのアーティキュレーションへのこだわりが垣間見え、それが音楽の清潔な流れと呼吸の源となって確実に音楽を突き動かしていることに気付かされたのです。
弦楽セレナード」は、冒頭の弦のブレンドの美しさと清潔さに釘付け!その決して表面的ではない心の襞を震わせた美観は、スタインバーグの他の録音にも宿っていたのなら、猛省して全て聴き直さなければなりません。主部以降の躍動感と無理なく伸びやかに推進するフレージングも瑞々しいことこの上なし。第2楽章はさらに感動的。テーマの結尾のキュートな微笑み掛けに続き、0:31では心の衝撃を映したようなルフト・パウゼの鮮やかさ!弦の音程が正確で質感が統一されていないと、これほど意味を持って響かなかったことでしょう。第3楽章は、響きのみならず、そこに込める感情にも汚れ許さぬスタインバーグの信念が結晶化。主部冒頭のピチカートの一粒一粒に、切なくも希望を感じた光が滲んでいるのには、涙を禁じえません。声部間の絡みも単なる音の行き来ではなく、身を焦がすような愛の交感と化しているのです。
清潔なフレージング対する確固たる信念は、ドイツ生まれのスタインバーグの血のなせる技とも言えますが、交響曲においてもその資質が十分に生き、情に溺れない清新な作品像を打ち立てています。最大の特徴は、テンポの緩急、強弱の変動に極端なコントラストを与えていないこと。ニュアンスを強調する箇所が皆無に近いので、感覚的には堅物な印象しか与えないかもしれませんが、決して楽譜絶対主義ではなく、聴けば聴くほど各フレーズを最も自然に息づかせる絶妙な柔軟性が終始一貫していることに敬服するばかりです。特に第2楽章は、スタインバーグの美学が満載。108小節の弦のピチカートなど、こんな含蓄のある響きを聴いいたことはありません。その直後の弦のテーマにはポルタメントが掛かりますが、こんな古さも汚れもないポルタメントがあり得ることに驚きを禁じえません。思えば1950年代前半は、19世紀的なロマン主義的な演奏スタイルから離脱する過渡期でしたが、オーマンディなどと同様に、現代的アプローチとの折衷スタイルが現れた瞬間としても興味深いものがあります。終楽章後半、全休止後のテーマの斉奏は、これほど弦のボウイングの使い分けを徹底した例を他に知りません。しかもそれを無理強いした痕跡など皆無で、当然のように自然にこなしているのは、この時期オケが既にスタインバーグの音楽性に全幅の信頼を置いていた証でしょう。だからこそ結果的に力技ではない、独特の清々しさを誇る推進力に結実しているのです。
スタインバーグは1952年から20年以上も音楽監督を務め、もちろん歴代最長。そもそも真面目なだけではこれだけの年数を務め上げることなど不可能だということに、もっと早く気づくべきだったと猛省するばかりです。【湧々堂】 「チャイ5」詳細レヴュー

TRT-007
ジョージ・ハースト
ジョージ・ハースト
ジョージ・ハースト〜シューベルト&チャイコフスキー
シューベルト:交響曲第8番「未完成」*
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調
ジョージ・ハースト(指)
デンマーク王立O*、
ハンブルク・プロ・ムジカ

録音:1959年頃(ステレオ)
※音源:英SAGA XID-5029*、STXID-5381 & STXID-5046
◎収録時間:66:25
“ラトルに指揮者になるきっかけを与えた、ジョージ・ハーストの剛毅な芸風!”
■製作メモ
この復刻には紆余曲折が。当初、ハインリヒ・ヘラー(Heinrich Heller)指揮による「チャイ5」を復刻するつもりでしたが、この指揮者の経歴が皆目不明。それもそのはず、様々な特徴から、日本の廉価盤によく登場するハンス・ユルゲン・ワルターの録音と全く同じ演奏であることが判明。しかも、H.J.ワルターの録音はステレオなのに、ヘラーは不自然なモノラル。これは、契約の関係でH.J.ワルターの名を別名に変更したというよくあるパターンではなく、無断で音源を流用したことを隠すために指揮者名変更のみならず、わざわざモノラル化したものと思われます。ところが、更に驚いたことに、ここに紹介するジョージ・ハーストの録音も、H.J.ワルターの演奏と全く同じだったのです!ハースト名義のレコードはモノラル盤も含めて何種類も発売されており、ジャケットにも指揮者の経歴がきちんと掲載されていることから、この録音の指揮者はハーストと見て間違いないと思います。
実は、H.J.ワルターのレコードを最初に聴いたとき、過剰で人工的な残響が気になっていました。ハーストのチャイ5は、結局、品番違いで4種ほど聴きましたが、そんな残響はどこにもありません。したがってこの残響付加も、流用の隠蔽としとしか思えません。
それにしても、なぜハーストの録音がカモにされるのか?それに、ヘラー名義のレコードも問題ですが、明らかに実存するH.J.ワルターという人は、どんな了見で仕事をしていたのでしょうか。自分が関わっていないレコードに自分の名前が載っていて、何とも思わなかったのでしょうか?
ここで使用したのは英SAGA盤ですが、プレスが荒いものが多いのが悩みの種です。何種類も購入したものの、必ずどこかに不安定な音が出現します。そのため、最も良質な2種のステレオ盤を使い分けることとしましたが、それでも修正しきれない箇所もあります。ご了承下さい。

★サイモン・ラトルが指揮者になる決意をした最初のきっかけは、少年時代に聴いたジョージ・ハースト指揮によるマーラーの「復活」だったそうです。その演奏がどれほど衝撃的だったか、このシューベルトとチャイコフスキーを聴けば容易に想像出来ます。ハースト(1926-2012)は、イギリス・エジンバラ出身ですが、父はルーマニア人、母はロシア人。第二次大戦が始まるとカナダへ移り、トロント王立音楽院で研鑽を積み、帰国後1958年から10年間、BBCノーザン管(現BBCフィル)の主席指揮者を務めました。その芸風は、血筋からも分かるように英国風の穏健さとかけ離れた直截なダイナミズムを誇り、後年のシャンドス、ナクソスへの録音もありますが、この2曲はその個性が最も強く刻まれた名演として忘れるわけにはいきません。
まずは、「未完成」に仰天!女性的にしっとり奏でられる演奏に喝を入れるという意味では、C・クライバーをはるかに凌ぐうえに、呼吸は大きく深く、第1楽章展開部では、ただでさえ速めのテンポを更に急かせて、暴風雨状態!再現部直前の7:29からのクラリネットのフレージングの陰影にもご注目を。第2楽章も求心力が極めて高く、決して静謐に安住しません。潔癖な声部バランスを保ちながら心の奥底から歌いぬき、決然たる推進力で聴き手を心を鷲掴みにするのです。もう月並みの「未完成」では飽き足らないという方は、特に必聴です!
チャイコフスキーでも、その男性的ダイナミズムに溢れるスタイルは盤石。表面的にフレーズを撫でているだけのシーンなど全くありません。第1楽章でも明らかなように、楽想を内面から抉りすことと、ダイナミックな音像と推進力を導き出すこと、これら全てを共存させた演奏は、説得力絶大です。第2楽章冒頭の低弦の歌わせ方も、指揮者の本気度とセンスが象徴されています。それなりに美しく奏でるだけでも一定の雰囲気は醸し出されますが、ここに聴くような、オケが自発的にフレージを膨らませているような風情は、まさに指揮者の手腕の賜物と言えましょう。終楽章はテンポこそ標準的ですが、音楽の感じ方が半端ではないので、何もしていないようでいて、各ニュアンスが重みと密度を持って迫ります。【湧々堂】 →更なるレヴューはこちら

TRT-008
オーマンディ没後30年記念
シェーンベルク:浄められた夜*
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調
ユージン・オーマンディ(指)
フィラデルフィアO

録音:1950年3月19日アカデミー・オブ・ミュージック(フィラデルフィア)*、1950年11月19日タウン・ホール(フィラデルフィア)
※音源:米COLUMBIA ML-4316*、ML-4400
◎収録時間:77:00
Cover Art Design By Alex Steinweiss
“年々熟成を重ねたオーマンディ・サウンドの原点がここに!”
■音源について
オーマンディの「チャイ5」は、5回のセッション録音が行なっていますが、これは2回目の録音。「浄められた夜」は、1934年に続く2回目の録音。

★オーマンディは、シェーンベルクをこれ以外には「変奏曲」しか録音していないことからも、無調音楽へは共鳴してなかったことは明らかですが、この「浄夜」もあくまでもブラームス、ワーグナーの延長線上の音楽として捉えています。色彩的にはストコフスキーの影響を残しつつも、官能よりも人間的な温かみが優っているのが特徴。しかも、音の求心力が極めて高く、50年代初頭のオーマンディならではの直截な表現意欲が聴き手の心を奪います。トラック1の最後からトラック2に掛けての渾身の波しぶきなど、後年の録音では不可能だったことでしょう。
十八番の「チャイ5」も、古い録音ほど魅力的。前回の41年盤は、オケに染み付いたストコフスキー・イズムを味方につけた解釈だったのに対し、今録音ではオーマンディ自身の解釈として練り上げられており、5種の録音の中で最も発信力の高い名演奏として結実しています。
まずは、リズムのエッジを鋭利に立てないこと、旋律線を明瞭化するために強弱の対比を明確にすること、エキセントリックなテンポの激変を避けること、これらのオーマンディこだわりが、この時期に完全に備わっていることがポイント。これが年を経るに従って安定感重視型に傾き、RCAの録音方法の影響もあると思いますが、リズムも緩めに変質していったのは否めません。その点、ここでのリズムの冴えと響きの凝縮力の高さは実に魅力的です。
ロシア的な民族色や作曲家の真意よりも、オーマンディ自身の美学に基づいて音楽を魅力的に輝かせることこそ使命だということが、溢れかえるニュアンスの端々から感じられ、特に2楽章と終楽章では、奏者にストレスを与えることなく弾かせながら音楽の輪郭を浮き彫りにするアイデアが満載。そのどれもがあざとい演出性など微塵も感じさせないところに、オーマンディの職人芸の奥深さを思い知るとともに、オーマンディの絶頂期は50代だったのでは思えてなりません。録音状態も、古臭さを感じさせません。 【湧々堂】 →更なるレヴューはこちら

TRT-009(2CDR)
カンテッリ〜チャイコフスキー:交響曲集
交響曲第5番ホ短調Op.64*
交響曲第6番ロ短調「悲愴」
グィド・カンテッリ(指)
ミラノ・スカラ座O*、
フィルハーモニアO

録音:1950年9月23-25日*、1952年10月
※音源:W.R.C SHB-52
◎収録時間:44:53+42:53
“ストイックなのに柔軟!作品の魅力を再認識させるカンテッリの天才性!”
■製作メモ
「第5番」は、英HMVの第1回LP発売の筆頭を飾るレコード(ALP-1001)がとかく珍重されますが、それよりも素直に演奏のニュアンスを感じ取れた、EMI傘下のWRC盤をここでは採用。世界初CD化となった日本盤は第1楽章のピッチが高く、音はこもり気味。「板起し」と思われる処理の不手際も散見されて問題外。それ以降の再発CDと比べても、発信力は雲泥の差。「悲愴」も曇りのない音像を体感していただけると思います。

★ミラノ・スカラ座管は、1950年にサバータ、カプアーナ、カンテッリと共に戦後初めて英国を訪れ、カンテッリは、“モツ・レク”、“ベト7”、“チャイ5”を指揮。ここに収録した「第5番」は、その時に急遽組まれたセッションで、単にイタリア的という言葉では済まない、カンテッリの天性の音楽性が十分に盛り込まれた名演です。第1、第4楽章で顕著なように、本能の赴くままにテンポや表情を施すのではなく、基本的にインテンポを守り、その中で克明に各フレーズのニュアンスを熱い共感を込めながら描き切っているのが特徴です。第2楽章では歌の意味、漫然と流れがちな長いフレーズの中でのアクセントの重要性を痛感させられ、音楽にメリハリを与え、独特の瑞々しい音像を確立するのに効を奏しています。全楽章を通じて最も心の染みるのが第3楽章。軽く流されがちなこの楽章を最初の一音から心の底から奏で、メカニックな響きがどこにもありません。各奏者も十分に音を聴き感じながら音化しているのが手に取るように分かります。この楽章だけでも、カンテッリの天才は疑いの余地はありません!
「悲愴」は、「第5番」の後に聴くと、オケの巧さをつくづく実感。そして実に大人の解釈!しかも、無理に枠に嵌めようとした感がなく、音楽は常に瑞々しく息づいているのですから、説得力は絶大です。第1楽章第2主題でも全く小細工を加えないことでも明らかなように、感覚的な痛快さに傾く素振りさえ見せない真摯さを貫きつつ、伸びやかなフレージングも確保する絶妙さ!そして、再現部13:43以降の決然とした直進力!これが32歳の青年の技でしょうか?第3楽章も表面的な爆演とは無縁。ノリに任せない9分台という演奏時間だからこそ気付かされる音楽的ニュアンスも頻出。ただの行進曲ではありません。終楽章も悲壮感を過剰に煽ることなく、作品のフォルムの美しさを維持したうえでの渾身の歌が横溢。中間部主題の冒頭も、ためらいもなくインテンポで滑り出しますが、内面で結晶化した悲哀が心を打ち続けるのです。【湧々堂】

TRT-010
サヴァリッシュ〜チャイコフスキー
チャイコフスキー:バレエ音楽「白鳥の湖」から
 第2幕;情景/第1幕:ワルツ
 第2幕;小さい白鳥たちの踊り
 第2幕;オデットと王子のパ・ダクシオン
 第4幕;情景
交響曲第5番ホ短調Op.64*
ウォルフガング・サヴァリッシュ(指)
フィルハーモニアO、
アムステルダム・コンセルトヘボウO*

録音:1957年9月-1958年2月28日、1962年1月*(全てステレオ)
※音源:仏EMI CVD-955、蘭PHILIPS 835116AY*
◎収録時間:62:53
全盛期のコンセルトヘボウ管の魅力が、意欲満点のサヴァリッシュの棒で大全開!”
■製作メモ
交響曲は、音にパンチ力のある米初出盤も捨てがたいのですが、力感のみならず、当時のコンセルトヘボウ管ならではの音色の魅力までしっかり感じ取れるオランダ盤を採用しました。日本の初CD化盤では、ニュアンスの焦点が定まらない凡演にしか聞こえなかったのに対し、これはサヴァリッシュの意思がビリビリ伝わり、とても同じ演奏とは思えません。当然、以前のレヴューとは評価は激変しました。

サヴァリッシュのフィリップス録音は名盤揃いですが、この「チャイ5」も例外ではなく、コンセルトヘボウ管のステレオ初期の録音の中でも傑出した名演奏です。オケにはメンゲルベルク、ケンペン時代を知る奏者が残っていたと見え、その残像が随所に垣間見えますが、その余韻とサヴァリッシュの堅実な音作りとが強力に結合して、絶妙な味わいを醸し出しています。スコアに小細工を施さないサヴァリッシュの真摯さは後年と全く変わりませんが、“遊びが無さ過ぎる”という批判はここでは当てはまりません。ロシア的な情緒に拘泥せず、あくまでも絶対音楽として対峙しながら、スコアから感じたニュアンスに確信を持ち、どこまでも音楽が瑞々しく羽ばたくのは、オケがこの作品を十八番としていることを踏まえ、手綱を締めすぎない配慮が効いているのかもしれません。
そのサヴァリッシュの絶妙なコントロールが最大に生きているのが終楽章。土俗性を洗い流し、スコアのテンポ設定を鵜呑みにすることなくすっきりとしとた造型を確立する中で、各奏者の感性が自発的に沸き立ち、結果的に、一発勝負的な熱い演奏に結実しているのです。奏者の感性、技巧の素晴らしさを挙げたらきりがありませんが、必聴はトランペット!そして、後半の全休止後の音楽の突き抜け方!コーダをイン・テンポのままバシッと決める瞬間まで、瑞々しくも芸術的香りを湛えた進行に心奪われます。
思えば、コンセルトヘボウ管が遺した「チャイ5」の録音は、メンゲルベルクからハイティンクまで全てが例外なく歴史的名演で、一つのオケが違う指揮者によってその都度名演を実現している例は、他にはウィーン・フィルくらいでしょう。【湧々堂】

TRT-011
セルのチャイコフスキー&R=コルサコフ
リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲
チャイコフスキー:イタリア奇想曲*
 交響曲第5番ホ短調Op.64#
ジョージ・セル(指)
クリーヴランドO

録音:1958年2月28日&3月14日、1958年2月28日*、1959年10月23-24日#(全てステレオ)
※音源:米EPIC BC-1002、BC-1064#
◎収録時間:76:07
“セルの美学貫徹により初めて思い知る作品の真価!”
■製作メモ
エピックの金盤のどこかザラッとした感触も捨てがたいですが、ここではセルが志向したと思われるヨーロピアン・サウンドと、既出CDや後期LPで消え去った生き生きとしたニュアンスを最も感じられる青盤を採用。エピック録音のチャイコフスキーの「5番」やドヴォルザークの「8番」は、室内楽な響きに傾きすぎるという印象をお持ちの方も多いと思いますが、私見ではこれは元々の録音の特性であり、その後のコピー・マスターによる再発盤の平板なサウンドが、さらにそのイメージを助長してしまったと思っております。

★土俗趣味には目もくれず、あくまでも音楽のあるべき姿だけを希求するセルの信条をここでも徹底的に貫徹しています。まず特筆したいのが、2つの「奇想曲」の空前絶後の素晴らしさ!セルの厳格さを持ち込むと、これらの作品の伸びやかさが失われて窮屈にしてしまうのでは?という懸念は一切無用。むしろ、そのこだわりが、アンサンブルの引き締めだけでなく、細部のニュアンス形成に注入されてるので、最大公約数的なニュアンス作りでやり過ごした演奏とは雲泥の差の説得力で聴き手に迫るのです。
「スペイン奇想曲」の"ヴァイエーション"(1:12〜)のマイロン・ブルームのホルン・ソロは、清潔で温かみのある歌が心に染み、"ジプシーの歌"(6:58〜)は、フルートからクラリネットとソロが受け継がれるシーンのエキゾチシズム、シンバル一打までの絶妙な間合い、誰もが徹底しきれないホルンのスフォルツァンド効果の貫徹ぶりなど、無敵のニュアンスの連続。
「イタリア奇想曲」も単に陽気な音楽ではないことは言うまでもなく、全体の構成に対する眼力と響きの求心力が尋常ではないので、交響曲を一曲聴くような手応えに恐れ入るばかり。弦のテーマは、その結尾でディミニュエンドとリタルダンドを優しく注ぐ配慮に真の共感が滲み、第3部のティンパニ強打にも惚れ惚れ。最後の追い込みでも、厳格なアーティキュレーションを崩さず、トロンボーンの頭の音を明確に鳴らすのも、他では類を見ません。この2曲がこれほどの名曲であることに、初めて気づく方も多いのではないでしょうか。
「チャイ5」は、セルがクリーヴランド管と録音た唯一のチャイコフスキーの交響曲であり、「純音楽的表現」の魅力という点で、忘れる訳にはいきません。全体に漲る高潔さ、一貫した集中力、精緻を極めたアンサンブル、各ソロパートの巧さは、ムラヴィンスキーと堂々と比肩。特にテンポ、アーティキュレーションの緻密な設定に関しては厳格にこだわりを徹底させ、それが頑固な意地の誇示としてではなく、洗練されたしなやかさを携えて純化しきった音楽として迫るところが、まさにセルの真骨頂!その洗練の奥に熱い共感を込め抜いているからこそ、アンサンブルの美しさが音楽的な感銘に直結するということを思い知らされます。終楽章502小節でのシンバル追加処理は、この演奏だけの特徴。【湧々堂】 →「チャイ5」詳細コメント

TRT-012
岩城宏之&N響〜ミュンヘンでの「チャイ5」
リスト:ハンガリー狂詩曲第5番
 ハンガリー狂詩曲第4番
チャイコフスキー:交響曲第5番*
岩城宏之(指)
ウィーン国立歌劇場O、NHK響*

録音:1963年4月-5月バイヤリッシャー・ホール、1960年9月26日ミュンヘン・コングレス・ザールでのライヴ*(全てモノラル)
※音源:日Concert Hall M-2381、日Victor JV-2001*
◎収録時間:70:15
“大和魂炸裂!全てを攻めの姿勢でやり尽くしたN響!”
■製作メモ
岩城&N響によるチャイコフスキー:交響曲第5番は、モスクワ公演がキングインターナショナルからCD化されましたが、残念ながらマスターの劣化による音の潰れ等が気になりました。こちらはミュンヘン公演のライヴ。当時、公演の模様はバイエルン放送が中継放送をしたそうなので、そのテープをビクターが 買い取ったのかもしれません。もちろん音の安定感は抜群で、しかも使用盤は新品同様!これ程の極 上盤は、もう入手不可能と思われます。 ハンガリー狂詩曲は、ステレオ・バージョンもありますが、ここはあえて音質を統一するためモノラル・バージョンを採用しました。この力感みなぎる音の方を好まれる方も多いと思 います。

★1960年のN響の世界一周演奏旅行は、シュヒターの猛特訓を受けたN響が、その成果のみならず、戦後の復興を成し遂げた日本の文化水準を世界に知らしめたという点でも極めて重要な意味を持っています。まさに国を背負った演奏者側の意気込みも並大抵のものでなかったことは、外山雄三がアンコール用にあの「ラプソディ」を作曲し、岩城は演目に各国に因んだ作品を盛り込むことを提案したことなどからも窺えます。
最初の訪問国のインドから次のソ連に移動したときには、団員の多くが急激な気温差で体調を壊しそうですが、モスクワでの「チャイ5」は、そんな不調を吹き飛ばす勢いで、ロシア情緒とは違う独自のロマンと激情を敢然と表現していました。ただ、やや気負い過ぎの面も無きにしも非ず…。
一方、ツアー中盤の西ドイツにおけるこの演奏は、「有り余るやる気」が良い意味でこなれ、足場を固めながら進行するゆとりが感じられ、全体の統一感も格段に向上しています。とは言え、お行儀の良さはどこにもなく、昨今では誰もやらなくなったテンポの激変、ポルタメント、バランスを破るティンパニ強打など、テンションの高さはやはり尋常ではなく、それらが決して借り物ではない自分たちの流儀として確信的に発せられるので、説得力が半端ではないのです。
第1楽章冒頭クラリネットは、モスクワ公演では異様な遅さが際立ってましたが、ここでは確実に美観が備わり、表情の結晶度が上がっています。第2主題は、綺麗事を許さぬ骨太な推進。副次旋律への移行直前のテンポの落とし方は、この作品を完全に手中に収めている証し。コーダでの骨身を削った猛進も感動的。第2楽章は、何と言っても千葉馨のホルン・ソロが超絶品!これだけ即興性をもってフレージングを行い、同時に音を感じきっている演奏など、古今を通じて殆どありません!これを世界に突きつけただけでも、このツアーの意義は計り知れません。微に入り細に入り、工夫と共感を凝らした岩城のテンポ・ルバートにも脱帽。後年の演奏でこんな絶妙さを感じたことはありません。9:14以降の激情の煽り方は体裁など二の次で、フォルテ4つの頂点までの呼吸の持久力と大きさも、N響による最高の成功例と言えましょう。第3楽章も西洋風のエレガンスに向かわず、どこか農耕民族らしい逞しさを感じます。終楽章も音楽の感じ方が実に直感的で、その表出もストレート。持って回った小賢しさが一切ないので、その迫力たるや壮絶を極めます。終盤10:12からのトランペットの主題斉奏時に、ティンパニが一貫して強打を刻み続けますが、これほどバシッと決まった例は他に思い当たりません。間違いなくN響の、いや日本人によるチャイコフスキー演奏の最高峰に位置する名演です。
「ハンガリー狂詩曲」でも、若き日の岩城の意欲的な表現の魅力を徹底的に思い知ります。コンサートホール・レーベルが、レコード売上実績など全くない日本の無名な若手指揮者を抜擢したのです!その実力だけを確信して。スタッフの誰かが、1960年のN響の演奏を聴いていたのかもしれません。採算しか考えない今のレコード会社にはできない芸当です。【湧々堂】

TRT-013
クーベリック&VPO名演集Vol.1
シューベルト
:交響曲第4番「悲劇的」
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調*
ラファエル・クーベリック(指)VPO

録音:1960年1月14-20日、11月21-24日* ウィーン・ムジークフェライン大ホール(共にステレオ)
※音源:独ELECTROLA C053-00651、STE-91135*
■音源について
クーベリックはステレオ初期(独エレクトローラ)に、ウィーン・フィル、ロイヤル・フィルを使い分けて多くの録音を行なっています。このプロジェクトは、オケと良好な関係を保ちながら進めたからこそ、レコード1〜2枚で終わることなく進行し、「全てが名演」と言う輝かしい成果をもたらしたのだと思います。しかしその後は、不当に冷遇され続けているのはご承知の通り。CD化されても、いつも廉価盤扱い。しかも、養分を削ぎ落とした平板な音では、その真価を知ることなど到底出来ません。ジャケ・デザインは、英国盤。

レコ芸2017年6月号・交響曲・再発盤ページにクーベリック盤のレヴューが載っていましたが、「あまりにも事務的な進行」とか「統率能力不足が甚だしい」など、極端に的外れなコメントに愕然とした方も多いことでしょう。。昔から、単にきちんと演奏されているだけで「推薦」を乱発することは珍しくなく、心ある読者ならそれを額面通りに受けることもないでしょう。しかし、その逆となると断じて看過できません!名演たる要素をふんだんに含む演奏に対し、それを感知できず、ネガティヴにしか捉えられない人のコメントなど、百害あって一利なし!
第一に、クーベリックはデッカにウィーン・フィルと1950年代に集中的に録音を行い、その全てがオケの特性を活かしつつ、独自の感性を確実に刻印した名演揃いであること。第二に、劣化したマスターの使用など、復刻の仕方によっては音の精彩が減じてしまう場合があること。このどちらかさえ認識していれば、たとえその再発盤の音が物足りなくても、本当はもっと説得力の有る音だったかも?と想像力が働くはずですから、こんな事実誤認はあり得ないのです。単に好き嫌いだけでで書いているとしたら、もはや評論ではありません。もしかして、それを自覚しているから「評論家」とは名乗っていなのでしょうか?他にも突っ込みどころ満載の文言が2ページにも渡って載っていますが、いちいち添削しても虚しくなるだけですので、以下にこれらの録音の本当の魅力をお伝えします。
シューベルトは、いわば「ウィーン・フィル側」の音楽ですが、クーベリックはオケに全てを委ねているようでいて、根底で優しく統制を効かせ、清潔なアンサンブルと造形美を獲得。その40歳代後半とは思えぬ懐の深い指揮芸術に感服するばかりです。第1楽章は、過度に深刻さを避けた清らかな歌が横溢。序奏から深いコクを湛えた響きと心を震わせたフレージングが常に訴えかけ、0:55の縦の線の揃い方は、オケがクーベリックの力量に心底心酔し、どこまでも付き従うことの決意表明のよう。主部以降の流れの清らかさは、クーベリックの音楽に対する姿勢がそのまま投影されており、僅かな弦のポルタメントも絶妙な隠し味として作用。第2楽章は、弦のみならず、木管の些細なフレーズまで哀愁が滲ませながら、感傷に溺れない冷静な制御も生き、芸術的に昇華したハイレベルなフレージングの連続。第3楽章はゆったりとしたテンポ感で一貫しながら音楽は弛緩せず、野暮ったさとも無縁なのは、初めからテンポを決めて掛かったのではなく、コーダの最後の一音まで、音の意味を噛み締めて進行し続けた結果ではないでしょうか。終楽章は、かつてもウィーン・フィルの魅力が大全開。物々しく厚い響きで塗り固めた演奏では、こういう木綿の風合いは生まれません。弦の細かいリズムの刻みの全てが、抑えがたい心のときめとして響く演奏など、他にありましょうか?もし全集録音が実現していたら、ケルテス盤以上の不朽の名盤と認識されたことでしょう。
チャイコフスキーの「5番」のウィーン・フィルによる録音はクリップス以降の全てが名演ですが、中でもクーベリック盤が最も地味な存在。そうなってしまった理由は、クーベリクの責任ではないことは賢明なファンならお判りのことでしょう。演奏内容は極めて濃密で、全てがウィーン流儀だったクリップス盤と比べ、ウィーン風の癖を少し抑え、スラブ的な情感を程よく付け加え、一層普遍的な魅力を増した名演となりました。決して音圧による威嚇に走らず、決して前のめりにならない落ち着きの中から、伸びやかなスケール感と風合いを湛えた音像が終始心を捉えて離しません。
第1楽章の展開部開始を告げるホルンは、ただの強奏ではなく強固な意思を湛え、再現部前の内燃エネルギーの高まり具合も、クーベリックとウィーン・フィルと結束の強さを如実に示すもの。第2楽章142小節以降の頂点へ登りつめるまでの熱い一体感も、両者が真に共鳴しあっていなければ到底不可能です。終楽章では、スラブ的な馬力よりも作品の造形への配慮を更に優先させますが、作品への共感度合いはもちろん不変。オケを強引に操作するのではなく、指揮者とオケが完全に納得の行く自然なアプローチに徹したたからこそ、全く惰性的に流れない感動的な演奏に結実したのでしょう。微に入り細に入り、注意深く聴かなければ気づかない、音楽を一層魅力的にする配慮も随所に散りばめ、聴きべ聴くほど唸らされるクーベリックの奥技を是非じっくりと御堪能下さい。【湧々堂】 ★「チャイ5」詳細レヴュー


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