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殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE!! レーベル・カタログ チャイ5



湧々堂が心底お薦めする"殿堂入り"名盤!!
モーツァルト
交響曲



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モーツァルト/MOZART
交響曲第25番

DECCA
4443232(2CD)
モーツァルト:交響曲第25番、第29番、
第38番「プラハ」、第40番、
セレナータ・ノットゥルノ
ベンジャミン・ブリテン(指)
イギリスCO

録音:1968年、1970年、1971年 ステレオ録音
“気品と閃き!切々と琴線に触れる、全モーツァルティアンの至宝!!”
 数多いこれらの曲の録音の中で、これ以上に端正な造型の中で天才的な閃きをちりばめた美しい演奏は見つかりません。
 「第40番」は、第1楽章は、速めのテンポで切迫感を携えた厳しい造型が意外なほどですが、威圧感がなく、提示部を繰り返す際に一瞬ルフト・パウゼのような間を持たせたり、木管のフレーズの音価を微妙に伸ばしたりと、音楽の繊細な感じ方が尋常ではありません。どこまでもたおやかに情感が流れる第2楽章も、この世のものとは思えぬ美しいさ!恣意的な表現がどこにもなく、モーツァルトの音楽がブリテンの体に完全に染み付いていて、それをそのまま再現しているとしか思えない至純の美がとうとうと表出され、しかも繰り返しを完全に実行しているので、16分もかけてその雰囲気を持続させ、心を潤し続けてくれるのです。第3楽章はきりりとした造型が一層際立って、リズム自体は心地よく弾ませながら、内面には憂いを湛えるという絶妙なニュアンス!ヴァイオリンの独特なクレッシェンド効果、音価の独特な保ち方など、個性的な解釈も見られますが、どれも取って付けたような表情にならないのはもちろんのこと、そうでなければ音楽にならないと思わせる必然に満ちています。最後の締めくくりの音をそっと置く優しさは、ブリテンのモーツァルトへの愛情の結晶!終楽章のしなやかな推進力と緊張の持続も完全無欠です。
 「第25番」も、イギリス室内感の透明なテクスチュアが最高に生き、内面に熱い精神をびっしり張り巡らせた名演奏。第1楽章の展開部の最後で、天才的霊感に満ちた弦のレガートが気品と憂いを湛え、そこから絶妙なクレッシェンドで再現に入る瞬間だけでも、この演奏の価値は不滅です!終楽章は、冒頭の息の潜め方、そこから浮上する呼吸の妙、清潔な響きと生命力の完全融合など、5分間の中にこれだけのドラマを感じさせる演奏で、これまた類例を見ません。
 モーツァルトの、人生が楽しくてしょうがないという気持ちを美しいフォルムに凝縮した「第29番」も必聴!第2楽章など、母の胎内で聴くような安らぎ。これをじっくり聴けば、ドロドロの血液もサラサラに浄化されそうです。
 セレナータ・ノットゥルノ
も忘れるわけにいきません。この曲をかくも格調高く演奏した例があったでしょうか?縦に真っ直ぐ刻まれることのないリズムには内容がぎっしりと詰まっていて、それをじっくりかみ締めるような悠然とした進行が最後まで保たれるのです。セレナードのイメージを変えたと言っても過言ではありません。
 ブリテンのモーツァルトの中であえて1曲となれば「プラハ」!序奏から哀愁と愛情を込め抜いた豊かな呼吸の膨らみ、濁りの一切ない響きを総動員して、濃密な音楽を展開。その余韻さめやらぬように滑り出す主部の冒頭のニュアンスも並みの思い入れでは表出できるものではありません。第2楽章は、人の手を介しているとは思えぬ天国的な美しさ!終楽章は、天才の曲を天才が奏でるときだけに可能な無限のイマジネーションの広がり!「音楽とは何か?」という答えがここにあります。【湧々堂】

CBC
SMCD-5150
モーツァルト:交響曲第25番
交響曲第41番「ジュピター」、
アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク*
マリオ・ベルナルディ(指)
ヴァンクーヴァーSO、
ナショナル・アーツ・センターO*

録音:1995年
“端正な造型美でじっくり聴かせる技を心得た、ベルナルディの至芸!”
 カナダの指揮者ベルナルディは、並みのモーツァルティアンではありません。どの曲も奇を衒ったところが全くなく、ただ丹念に音符を紡ぎ出しているだけですが、全ての音がモーツァルトそのものの表情を湛え、音楽の素晴らしさが前面に出てくるという理想を見事に実現しています。
 まず「第25番」が絶品!典型的な中庸のスタイルですが、音色はあくまでも温かく、悲劇性を煽ることなく、微妙な陰影を自然に醸し出しているのが素晴らしく、終始心を捉えて離しません。第1楽章は、鍵となるオーボエの巧さが印象的で、深いところで感じきった弦の刻みとの見事なコントラストが印象的。第2楽章は包み込むような優しさと気品に溢れ、主題の結尾を本当に微妙にディミニュエンドしていく隠し味が、意図的なものを感じないだけに心に染みます。第3楽章は、遅めのテンポ自体が意味深く、微かな不安の色を滲ませるセンスにびっくり。中間部の管楽器のアンサンブルの妙も、至福の空間を導きます。終楽章は、ベルナルディの至芸の結晶!心の底からモーツァルトの息吹を感じ、強引さのない緊張がしっかり張り巡らされたフレージングの素晴らしさはは、そうそう耳にすることはできません。
 「アイネ・クライネ〜」も、全てが理想的!これも昔ながらのオーソドックなスタイルですが、モーツァルトのあの微笑以外何も浮かばないこの自然なニュアンス!パッと部屋の空気が明るくなり、雰囲気満点の録音も効を奏して、芳しい香気を引き出しています。第2楽章の黄昏の色彩の表出、ハーモニー変化の繊細な感じ方も、並みの感性ではありません。終楽章も、優美なリズムの弾み、主題の結尾でヴィオラが下行音型を弾く際の可憐な表情など、魅力は尽きません。実は最近この曲にはすっかりご無沙汰しているのですが、この演奏だけは別で、無性に聴きたくなる時があるのです。【湧々堂】

モーツァルト/MOZART
交響曲第29番

Audite
AU-95596
モーツァルト:交響曲第29番イ長調K.201
交響曲第39番変ホ長調K.543*
交響曲第40番ト短調K.550#
フェレンツ・フリッチャイ(指)RIAS響

録音:1955年5月31日ベルリン高等音楽院(ライヴ)、1950年5月3日イエス・キリスト教会(セッション)*、1952年3月17日ティタニア・パラスト(ライヴ)#
 フリッチャイは、全てDGにスタジオ録音も遺していますが、この録音はフリッチャイと一心同体と言えるオケとの共演だけに、そのフレージングの求心力の高さ、強弱のメリハリの意味深さ、アンサンブルの精度などの点で、その差は歴然。
 特に「第29番」が絶品で、決して先を急がない優雅な空気感を最後まで保ちながら、リズムは決して重くなりません。第1楽章は音楽の余韻を感じながら進行する風情が素晴らしく、コーダ直前5:39からリタルダンドと、さりげないルフト・パウゼの間合いの良さにも唖然。第2楽章は愛が横溢!音楽自体は極めてシンプルなのに、どうしてこれほどニュアンスが充満するのでしょうか。第3楽章はリズムのエッジの立て方が実に精妙。鋭利過ぎず、柔らかすぎず、その楽想が生きる唯一のリズム感を表出することで、生まれたてのような瑞々し情感が息づいています。終楽章はもっと速いテンポをとることも可能でしょうが、このゆったりとしたテンポ感がまた意味深く、1:03からの走句の微妙な色彩の妙などは、これ以外のテンポでは炙り出されるとは思えません。展開部がここまで彫琢の豊かに現出された例も少ないでしょう。全体的に室内楽的な趣きを全面に出す演奏が多い中、あくまでもシンフォニックな構築と弾きの豊かさを追求し尽くした演奏として忘れるわけにはいきません。
 「40番」
はステレオのスタジオ録音も第1楽章が超低速でしたが、ここではそれに輪を掛けて低速感が意味深くのしかかり、説得力も一段上。第2楽章の翳りの濃さも同様で、その徹底したロマンティックな解釈が暑苦しい不快感を与えず必然に満ちているの絶頂のフリッチャイならでは。終楽章だけは恐るべき凝縮力を発揮し、悲しみの渦中をまっしぐらに疾走。その風圧たるや相当なもので、聴き手はただただその緊張の空気に身を委ねるしかありません。【湧々堂】

MUZA
PNCD-494(4CD)
モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K.136
交響曲第29番、第33番*、第34番、
第35番「ハフナー」、第36番「リンツ」*、
第38番「プラハ」、第39番、第40番、
第41番「ジュピター」
イェジー・セムコフ(指)
ワルシャワ国立PO、
ポーランド国立放送カトヴィツェSO*


録音:1970〜1981年 (全てステレオ)
“「第29番」ファン必聴!セムコフ一世一代の名演奏!”
 ハイキン、ムラヴィンスキー等の薫陶を受けたセムコフ(1928-)が母国のオケを振ってのモーツァルト。学究的なアプローチとは無縁、従来の大編成によるオケを用いて純朴な視点で臨んだ演奏で、一見何の変哲もない演奏のように聞こえますが、モーツァルトへ愛情が音の端々に込めており、不思議と惹きつける魅力を持っています。まずDisc1の最初に収録されているディヴェルティメントが、そんなセムオフのアプローチを象徴する味のある演奏。リズムはキリッと引き締まり、フレージングは流麗。最後までおおらかな表情を絶やしませんが、音楽が軽くなることはありません。第2楽章でフレーズごとに丁寧にニュアンスを描き分けるあたりにセムコフの誠実な音楽性を感じさせ、終楽章はスタッカートの切れの良さ、内声のバランスのよさが印象的で、まさにモーツァルト特有の愉悦感が満点!
 そのバランスのよい内声がさらに味わい深いエキスとして宿っているのが、このCDの最大の聴きもの、交響曲第29番。ここでも特定の声部を意図的に浮き立たせるようなことは一切していませんが、第1楽章の導入から主旋律と低弦の融合によって醸し出される自然で深い表情、第2主題の滑り出しにおける慈しむような語りかけだけでも、この演奏が月並みのものでないことは明白。展開部の陰影の表出にも求心力があるのです。第2楽章も単なる美しさにとどまらず、セムコフのモーツァルトへの並々ならぬ愛情をまさに身をもって体現した素晴しい演奏。誰でも同じようになぞることができそうな素朴そのものの表現ながら、心から感じず、表面的にそれらしく通しただけの演奏を思い浮かべれば、この演奏がいかに理想的なものであるかが実感していただけるのではないでしょうか。第3楽章は生きたリズムの連続に目が覚める思い。これぞモーツァルト!と唸る瞬間の連続のこの名演奏。この曲を愛する方はもちろん、通を自認されるモーツァルティアンの方々にも強力にお勧め!
 ところが「プラハ」は、これとは好対照のアプローチでびっくり!まず第1楽章序奏の遅さ!装飾音風に駆け上がることを厳に戒め、この序奏部全体を「ドン・ジョヴァンニ」の幕開けのような不気味な空気で埋め尽くしているのです。主部のテンポは普通で、リズムもしっかり立ち上がっていますが、音楽の内向性が強く、どこかケーゲルを思わせる風情さえ感じさせます。終楽章でもどこか屈折したものを孕んでいるようで、不思議な後味を残します。「第29番」が、まさにモーツァルトでしたが、これはセムコフ自身の比重が高くなっているとも言えましょう。
 そのスタイルをさらに進化させたのが「第39番」。第1楽章序奏のなんと荘重なこと!ティンパニの響きがさらに音像をスケールアップさせ、モーツァルトを超えて荘厳な典礼の始まりを告げるかのようです。主部は息の長いフレージングの振幅感が絶品!第3楽章は3拍子の拍節がよく効いて存在感絶大ですが、トリオではテヌートの使い分け独自の見識が垣間見れます。【湧々堂】

モーツァルト/MOZART
交響曲第32番

ARTS
ARTS-473652
モーツァルト:交響曲第32番、
第35番「ハフナー」、
交響曲第36番「リンツ」
ペーター・マーク(指)
パトヴァ・ヴェネトO

デジタル録音
“全身音楽漬け!時流に背を向けたマークの信念!”
 カザルスやヴェーグのモーツァルトを愛する方は特に必聴!あらゆる声部を剥き出しにして、蒸留水のようなモーツァルトに真っ向から対抗する、恐るべき内容量を誇る名演です。
 第32番の構築の頑丈さから前代未聞!「ハフナー」第1楽章展開部最後の弦の掛け合いの不気味さ、第2楽章の主題の強弱のとてつもない膨らませ方と、驚きは尽きません。終楽章の音を割った金管の血の出るような勢いにも驚愕!「リンツ」は、更にじっとして聴いていられない壮絶な牽引力!マークの独特の芸術の集大成とも言うべき仕上がりになっています。【湧々堂】

モーツァルト/MOZART
交響曲第35番「ハフナー」

SWR music
93-152
モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」
(2)交響曲第38番「プラハ」、(3)交響曲第40 番、
(4)歌劇「魔笛」〜「なんと美しい絵姿」、
(5)コンサートアリア「いいえ、いいえ、あなたにはできません」K.419、
(6)歌劇「フィガロの結婚」より、愛の神よ、安らぎを与えたまえ
カール・シューリヒト(指)
シュトゥットガルト放送SO、
(4)フリッツ・ヴンダーリヒ(T)、
(5)ルート= マルグレート・ピュッツ(S)、
(6)エリーザベト・シュヴァルツコプフ(S)

録音:(1)(2) 1956年7月4 日ルートヴィヒスブルク,、1961年5月19日シュヴェツィンゲン音楽祭、(4) 1959年4月12日、(6) 1959年4月6日シュトゥットガルト・ゼンデザール・ヴィラ・ベルク、(5)1959年4月9日シュトゥットガルト・リーダーハレ
“「プラハ」に聴く、絶頂時のシューリヒトの天才技!!”
 交響曲では特に十八番の「プラハ」が聴きものです!パリ・オペラ座管との有名な名演やEMIから出たザルツブルク音楽祭ライヴ等、数々の音源が存在し、どれもがシューリヒトの芸風を象徴する個性的な演奏ですが、この演奏はオケの機能性や、シューリヒト自身の気力の点でもベストではないでしょうか?序奏部の低弦には意思の力が漲り、主部の快速テンポはいつものことながら、その中でも、どのフレーズを取ってもしなやかな歌心と天性の閃きが充満!展開部冒頭、弦パートが次々に橋渡しをする箇所で、各冒頭が明確に浮き立ち、その後はさらに緊張を深めながら立体感を強めていく様は、シューリヒトの絶頂時ならではの至芸でしょう。
 第2楽章の主題の息の長いフレージングも漫然とすることなく着実に幻想を滲ませ、不意に登場するレガートも聴き手を不思議な世界へ誘いますが、3:56以降テンポを落とし、主情を込め抜いて歌う箇所は美しさの極致!しかも恣意的な印象を与えない即興的な後味!こんな技、他の誰が可能でしょうか?'60年のVPOとのザルツブルク盤でもこの箇所でテンポを落としますが、オケの個性のせいか、これほど不思議な妖気が立ち昇ってこないようです。7:40付近のヴィオラのトレモロも強調こそしていませんが、心からの震えそのもので、その直後の透徹のレガートへ繋がっていくのはまさに神技!
 終楽章は快速テンポで一気呵成に直進し続けますが、暴力性はもちろん皆無。このテンポでリズムが上滑りしないのは、このオケが完全にシューリヒトの分身になりきっていることを痛感させます。特にコーダ付近の凝縮力には唖然。
 「40番」の終楽章、弦が奏でる第2主題でテンポを落としてこってり歌い、2度目に登場する際は更に陰影を深める設計にもご注目!
 声楽の伴奏が聴けるのもありがたい限りですが、これがまた絶品!シュリーヒトがオペラを遺してくれなことが惜しまれてなりません。歌手の虚急にぴったりとあわせると同時に、歌手を心地よく導く呼吸感!マルグレート・ピュッツの美声にもうっとり…。ワJ・シュトラウス:桑

モーツァルト/MOZART
交響曲第36番「リンツ」

Linn
CKD-350(2SACD)
モーツァルト:交響曲集Vol.2
交響曲第29番イ長調K.201
交響曲第31番ニ長調K.297「パリ」
交響曲第31番ニ長調K.297「パリ」〜第2楽章(異稿)
交響曲第32番ト長調K.318
交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」
交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」
チャールズ・マッケラス(指)スコットランドCO

録音:2009年7月11日−17日、グラスゴー・シティ・ホール/プロデューサー:ジェイムズ・マリンソン/エンジニア:フィリップ・ホッブス
 ここに収録されている曲全てが、モーツァルトの交響曲演奏の金字塔といっても過言ではありません。ピリオド奏法を取り入れた演奏で、綿密にアーティキュレーションを施したマッケラス解釈ですが、全体のニュアンスが以前に増して温かみと自然な息遣いに溢れているのが特徴的。もちろんそこには老いの影など微塵もなし。
 第29番の第1楽章の短い展開部は、何という色合いの多彩さ!終楽章のリズムは鋭く沸き立ちますが、決して無慈悲に突き刺すそれではなく、養分をたっぷり含んだニュアンスで手応え十分。打楽器を伴わない楽器編成にもかかわらず、この作品を極めて立体的に構築し、シンフォニックな醍醐味を感じさせる手腕はいつもながら敬服させられます。「パリ」もこれまでの録音以上にスケール感が増し、分析的な臭いが更に洗い流されて人間的な生命感が満点!第1楽章で急速に駆け上がる上行音型の有機性、3:16からの転調に伴う呼吸のうねりの振幅感、4:28からの内声部の熾烈な葛藤は比類なし。
 32番はイギリス室内Oとの旧録音との差が最も顕著な一曲。とにかく音楽のつくりが大きく、ハーモニーのブレンドの美しさは天下逸品。「ハフナー」はこの作品の祝典的な雰囲気を十二分に引き出すだけでなく、そこにスコア根底から音楽のエッセンスを余すことなく引き出そうとする強力な意志が働いているので、迫真の推進力が息づいているのです。もちろんスケールOも十分。第2楽章は、装飾音の扱いに象徴されるように、良い意味で角の取れた自然な流れが心に染み、知的な解釈がここまで自発的に湧き出るようになるには、やはり経験がものを言うのかと痛感させられる次第。第3楽章は冒頭の突入の凄まじさにビックリ!中間部のこのリズムの弾力!同じことを表面的に模したらどんなに空虚なことか…、そう考えると、こういう自然に沸き立つ演奏の重みをまざまざと感じます。
 そして白眉は「リンツ」!ある意味で原点回帰、マッケラスのモーツァルト解釈の最終結論とも言える、かつての試行錯誤を咀嚼しつくした深みとコクのある表情が満載です。第1楽章から一度惹きつけられたら気を逸らす暇など与えない訴求力。楽器の受け渡しの俊敏さ、些細な合いの手のような走句にも人間くさい表情を加味する愛情もさることながら、惰性で鳴っている楽器などまったく存在しない幸せな緊張感!各小節を細切れに刻む演奏ではなく、全体を大きな弧として膨らませる第2楽章、第3楽章に続き、終楽章は、弱音で出てくる冒頭数秒間のハーモニーのバランスを注意深くお聴きください。こんな絶妙なバランスが他で聴けるでしょうか?マッケラスのモーツァルトへの愛、いや音楽へののめりこみの熱さを示す瞬間と言えましょう。単なる楽天的主義的な演奏とは次元を異にする、全世界を平和で埋め尽くすようなオーラはコーダ至って極限に達し、ほんのわずかにアッチェレランド気味に突進する様に全身を捧げたくなる気持ちを抑えられません。  【湧々堂】

Arte Nova
74321-49700
モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」
 交響曲第25番、
L・モーツァルト:交響曲ト長調「新ランバッハ」
マルティン・ジークハルト(指)
リンツ・ブルックナーO

録音:1997年
“繊細な歌とはじけるリズムのセンスに心奪われる、「リンツ」の新名盤!”
 ジークハルトのCDは決して少なくありませんがが、どれも大きな話題となることがないのが残念です。このモーツァルトは、ジークハルとの音楽センスがいかに素晴らしいかを伝える恰好のCDです。
 「リンツ」は、自分たちのための曲だという熱い思い入れを反映したような、入念極まりない表現力にびっくり!序奏から音の芯が熱く、弱音のきめ細かい表情と融合して一気に心が奪われ、主部に入るとしっかりとした重心で見事な推進力を見せます。しかもそこには何ともいえないコクを湛えているのです。第2楽章の主題(0:15)の透明感も印象的。終楽章も造型はいたってオーソドックスながら、どの音も愛情に満ち溢れ、聴き手のほうへ音楽が擦り寄ってくるのです。
 25番
は、引き締まったアンサンブルを基調にして、ここでもセンスを感じる歌を全体に滲ませます。父モーツアルトも、目の覚める快演。ヴァイオリンの両翼配置も美しく功を奏しています。あくまでも堅実な音楽作りながら、曲に生命感を吹き込み、聴き手に確実に手応え感じさせるジークハルトの手腕は本物です!【湧々堂】

モーツァルト/MOZART
交響曲第38番「プラハ」
EMI
5757992(cfp)
モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」、
交響曲第38番「プラハ」
交響曲第32番*
チャールズ・マッケラス(指)LPO、
マカール(指)LPO*

ステレオ録音
“通奏低音付き!'70年代のマッケラスのモーツァルト演奏の結論!”
 古楽器ブーム到来前の録音とはいえ、原典の尊重するマッケラスとしてはオケが大編成なのが意外!弦はしっかりとヴィブラートをつけ、ベーム全盛期にも似た緊張を湛えながら、古風でふくよかな情感を醸し出しています。
 「プラハ」第1楽章の序奏部の重心の低い神秘的な響きなど、「ドン・ジョヴァンニ」さながらのドラマの前触れを予感させます。
 また 「リンツ」も含めて、チェンバロの通奏低音を追加しているのが特徴的で、後年レヴァインも同様の処置を行ってはいましたが、'70年代前半に既にこのような見識を示していたのですから、マッケラスの真の音楽への探究心は、やはり今に始まったことではないのです。もちろん全リピート敢行!【湧々堂】

ARTS
ARTS-473642
モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」、
交響曲第39番
ペーター・マーク(指)
パトヴァ・ヴェネトO

デジタル録音
“常識を覆すロマンチシズムの宝庫!”
 マークの強弱の対比、フレージング、内声バランスは、全く独自の感性に基づくもので、全てがかつて味わったことのない感動に結びつきます。
 「プラハ」
の冒頭から衝撃的なスフォルツァンド、ヴィオラの遠近感を表出するクレッシェンド、主部に入るとホルンが突出して、クレッシェンド効果が更に興奮を煽ります。第3楽章の第一音の激しいスタッカートも、一瞬何事かと思いますが、その後の美しい造型を決定付ける伏線だということにすぐに気付かされます。
 第39番も、一小節たりとも簡単に素通りすることのない濃厚な演奏。白眉は第3楽章!中間部がクラリネット・ソロのみを主役に立てるのではなく、他のパートも完全に共鳴しあっている演奏が他にあるでしょうか?オケの艶やかな音色美と、各奏者のセンス、アンサンブル能力の高さも実に見事です。【湧々堂】

ORFEO DOR
ORFEOR-486981
モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」、
交響曲第41番「ジュピター」
シャンドール・ヴェーグ(指)
ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ

録音:1996年、1992年 デジタル・ライヴ
“老齢とは思えぬ凄まじい緊張の連続!”
 テンポ、強弱の振幅が実に大きく、音楽をする楽しさを全身で表現するヴェーグの指揮ぶりが目に浮かぶようです。
 「プラハ」の第1楽章、第2主題の濃厚なロマンをふんだんに盛り込んだ歌い口は、古楽器的奏法が主流の昨今では特に新鮮な衝撃をもって迫ります。
 「ジュピター」は更に凝縮力の強い演奏!冒頭の3つの和音をクレッシェンドする手法に早速ドラマチックな志向を見せつけ、見事な推進力を発揮。第2楽章は、ハ短調の旋律を支えるリズムの沸き立ちも新鮮で、しかも中間部では、伴奏音型をレントラー風にしているのは驚きのアイデアです!【湧々堂】

モーツァルト/MOZART
交響曲第39番

HUNGAROTON
CLD-4025
モーツァルト:交響曲第39番
交響曲第41番「ジュピター」
ヤーノシュ・フェレンチーク(指)
ハンガリー国立O

録音:1968年(ステレオ)
“手作りの工芸品の味わい!心から湧き出る豊かな風情!!”
 古楽器を用いた鋭利なモーツァルトに疲れた耳を優しくいたわる、かけがえのない名演奏。ベームの偉大なモーツァルトばかりに脚光が集まっていた頃、ハンガリーにおいては、それに勝るとも劣らない風格豊かな演奏が繰り広げられていたのです!
 「ジュピター」
は全ての音が慈しみに溢れ、第2楽章のバスの主題の歌い口など、心のときめきそのもの。
「第39番」
も斬新さは皆無ながら、味一つで勝負。ここでも、低弦の丹念な扱いにご注目を!

モーツァルト/MOZART
交響曲第40番

WEITBLICK
SSS-0162
スヴェトラーノフのモーツァルト
交響曲第40番ト短調K.550
交響曲第41番ハ長調「ジュピター」*
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:1988年9月10日、1993年9月18日(共にライヴ・デジタル) ベルワルド・ホール*
※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
“数々のロシア音楽の名演を築いたスヴェトラーノフの音楽性の源がここに!”
 モーツァルトの交響曲で、全てのニュアンスを漏らさず聴き取らねばという衝動に駆られたのは、何年ぶりでしょう?もちろん編成を切り詰めることのないかつての大編成スタイルですが、決して大味にならず、持ち前のロマンの息吹を吹き込みつつ、心の奥底から奏でたモーツァルトというのは、ワルター以来と思えるほど。
 「40番」冒頭から、なんと音がときめいていることでしょう!全音域をむらなく響かせつつも厚塗りに傾くことなく、遅めのテンポを貫いてじっくりと楽想を紡ぎます。第1楽章は、裏の声部まで孤独な感情が繊細に滲み出ており、その音色は聴き手を慰めるような温かさ。第2主題の陰影の豊かさにも感動を禁じえず、この音楽の感じ方こそ、スヴェトラーノフの音楽性の核であり、だからこそ、チャイコフスキーやラフマニノフの大音量でも音圧だけではない浸透力が生まれるのでしょう。提示部リピートが、これほど必然性を持つ演奏も稀。第2楽章はデフォルメのない純粋な響きで魅了。常に音価を長目に保っているので、昨今のパリっとした晴朗さとは正反対ですが、そこから生まれる内省的な味わいが各格別。第3楽章は、3拍目を長く引き伸ばすことで腰の座ったリズムを生み、フレージングは愛のかたまり。終楽章でも提示部、再現部のリピートを慣行。再現部の1回めの演奏の最後は薄い響きにしてから繰り返す配慮にも、スヴェトラーノフの繊細な感性が表れています。展開部4:29以降の声部の絡みの「優しい緊張感」は必聴!作品の構成を緻密に制御しつつ、静かなドラマが確実に迫るのです。
 「ジュピター」は、愉悦感溢れるリズムをきっちり表出し、音楽にしなやかな推進力を与えていますが、これまたトキメキの連続!スヴェトラーノフは、ここでも古典音楽としてのモーツァルトの佇まいを弁え、決して大伽藍風の響きなど片鱗すら見せません。それでいて、全ての声部が意味を持って鳴り、極めて含蓄に富んだ音楽が形成されるのです。ハ長調であるにもかかわらず、楽天的でも祝典的でもない、どこか憂いを含む独特のニュアンスは、他では味わえません。提示部リピート慣行。第2楽章はテンポを停滞せさない意志の強さが際立ちます。1:29からの音楽の抉りの強さは、まさにスヴェトラーノフ節。それがモーツァルトの枠からはみ出ることなく美しく収まった響きの充実ぶりと言ったら、とても言葉が出ません。第3楽章は意外にも速目のテンポですが、3拍子としての安定感は比類なし。そして、究極の名演、終楽章!声部の有機的な連携が、意図的な解析を全く感じさせずに大河のごとく流れる様は、フーガを形成するこの楽章に大々的に効力を発揮。コーダでは複雑な声部の綾が一切の取りこぼしなく再現され、風格と品格を携えてまさに宇宙的な広がりを現出させるのです!
近年、ロシア音楽以外の録音で、スヴェトラーノフの音楽性の本質を再認識させられる機会が増えていますが、性格の全く異なるモーツァルトの二大傑作をこれほど感動的に再現する手腕は、ムラヴィンスキーが極めてレパートリーが限られていたことを思うと、本当に驚異的でなことです。【湧々堂】

King International
KKC-2060(2CD)
プレヴィンのモーツァルト
歌劇「フィガロの結婚」序曲
ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
交響曲第39番変ホ長調K.543
アイネ・クライネ・ナハトムジークK.525*
交響曲第40番ト短調 K.550*
交響曲第38番ニ長調「プラハ」#
アンドレ・プレヴィン(P,指)NHK響

録音:1998年5月9日、1995年10月19日*、1999年5月28日# NHKホール
 これがプレヴィン初のモーツァルト交響曲集!ピリオド・アプローチが当たり前の昨今、「これこそが人間の感性に訴えかけるモーツァルト像」という信念は揺るぎなく、シンプルなモーツァルトのスコアから豊麗な響きを引き出している点にまず拍手!
 中でも「第40番」は、ワルターへ憧憬を込めた琴線に触れる名演奏で、得も言われぬ安定感と安心感のうちに至福の時が流れます。第1楽章はゆったりとしたテンポで心ゆくまで歌いぬき、推進性を排しながらもリズムは芯から息づき、楽想の魅力をふんだんに堪能させてくれます。驚くのは展開部後半(6:35)に登場するルフト・パウゼ!例のワルターと同じスタイルとっているという事実だけでもいかにその憧れの強さを伺わせますが、迫って来る音楽が決して借り物ではなく、プレヴィン自身の言葉としてふくよかに香ってくる点が魅力的。第2楽章の語りの巧さもlスタイルの新旧など云々させぬ説得力。終楽章も攻撃性などお呼びでなく、じっくり熟成させた音だけを丹念に紡ぐことに専心。N響初登場から2年後のこの演奏は、オケのプレヴィンへの「惚れ込み」がアンサンブルの精度にも反映して程よい緊張を生み、プレヴィンの統率力も盤石。なおプレヴィンは、この曲を2009年の定期演奏会でも取り上げていますが、1楽章のルフト・パウゼはなく、アンサンブルもやや散漫になっていたので、その点でもこの日の演奏はかけがえの無いものです。
 ふくよかな歌をを確保しつつも立体的な構築力も見せる「プラハ」、軽快テンポで運びながらリズムを鋭利に立てず微笑み続ける「フィガロ」、終楽章でのホルンの強調など、隈取り明確な音像を目指した「第39番」も聴き逃せません。【湧々堂】
※アーティスト・ロイヤリティの関係で、他のタイトルよりも値段が高く設定されています。 (Ki)

TAHRA
TAH-763(2CD)
ワルシャワのアーベントロート
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550*
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調Op.92#
ヘルマン・アーベントロート(指)
ワルシャワPO

録音:1953年9月22日(ワルシャワ・ライヴ)
1954年5月16日(ワルシャワ・ライヴ)*
1954年5月16日(ワルシャワ・ライヴ)#
以上、ポーランド放送音源
“アーベントロートだけが可能なモーツァルト&「ベト7」での入魂技!”
 どれも当時の旧東欧放送音源としては、明瞭な音質。
ディスク1の「英雄」は、第1楽章の快速テンポによる荒くれた迫力からしてアーベントロート節。第2楽章は、冒頭から心の底から悲痛な嘆きが溢れ、フレーズの端々から嗚咽が漏れます。強弱のコントラストも大きいですが、その全てが心を抉ります。終楽章は弾丸モードで突進しつつ、2:16では思い切り音を引き伸ばすなどの大見得も見せるなど、スリル満点。コーダに至っては演奏不能寸前の加速で一気に畳み掛けます。
 ディスク2は更に凄い!まずモーツァルトのなんと感動的なこと!第1楽章の冒頭からノックアウト。やるせなさ一杯で、前に進むのを拒むような陰りを強弱の繊細なコントラストによって表出。もちろんアーベントロートのことですから悲しみに暮れたままでは済まさず、ワルター以上の濃厚な表情を放ちながら男性的な闘志を全開させます。第2楽章も音の筆致が太く強く、典雅さとは無縁。しかし、2:11からの入念極まりないフレージングと、弦に対する細かい弓遣いへの指示でも明らかなように、表面的に綺麗に仕上げた演奏にはない、極限まで音楽を息づかせようとする意欲に感動を禁じえません。第3楽章も快速テンポの中でニュアンスが渦を巻き、オケに対しかなり厳しく細かい指示を要求していることがわかります。そのどれを取っても音楽的な感銘に結びついているので、息をするのを忘れるほど聴き入ってしまいます。特に中間部でこれほどに大きく呼吸膨らませる演奏は類例なし。
アーベントロートがこの作品について長年熟考し、温め続けた続けた最終結論を存分に出し尽くしたような確信に満ちたニュアンスの数々…。この作品のアプローチの一つの規範として光り続けるであろう圧倒的名演です。
 モーツァルト同様、ベートーヴェンの「7番」も意外にも音盤初出曲。それこそアーベントロート向きの作品ですが、その期待を裏切らない感動作!もちろんこれも男性美の塊ですが、第1楽章序奏部で顕著なように、怒涛のように突き進む中でも、声部のバランスを精緻に制御している点が、アーベントロートの築く音楽に確固たる説得力をもたらしていることを再認識させられます。第2楽章でも音の隈取は極めて克明で、消しててテヌート過多の粘りなど見せません。驚くべきは、ヴァイオリンがテーマを弾き始める1:36以降の刻々と変化するニュアンスの素晴らしさ!弓の保ち方から強弱の振幅まで徹底したこだわりをギュッと結晶化させた得も言われぬニュアンスをお聴き逃しなく!第3楽章は中間部の包容力の大きさが印象的。クナとは違うピュアな共感が心を打ちます。そして、テンポ設定が一筋縄ではいかない終楽章!単にテンポが速いだけで「爆演」とされがちですが、真の爆演とはまさにこのこと!このコーダ目掛けて全ての理性を捨て去った狂気は昨今望むべくもありません。アーベントロートの魅力を十分認識しているファンはもちろんのこと、全てのオーケストラ・ファン必聴です!【湧々堂】
Pentatone
PTC-5186.322(1CD)
モーツァルト:交響曲第40番、
ベートーヴェン:交響曲第7番
ハンス・フォンク(指)セントルイスSO

録音:1998年9月24日−25日、1999年1月8日&9日* パウエル・シンフォニー・ホール・ライヴ
“丹念に作品の姿を再現する究極の職人芸!”
 特にモーツァルトが絶品!ブロムシュテットやC・デイヴィスのように一切奇を衒わず、丹念に造型を築くタイプのモーツァルト。第1楽章は完全にイン・テンポで進行しますが、音楽の流れは決して単調に陥らず、内面で脈々と呼吸が伸縮し続けるので、人間味豊かな。第2楽章はセントルイス響のハイセンスな資質が十分に生かされた声部の見通しの利いた清潔感が印象的。特に楽章開始直後の0:30からのヴァイオリンの最弱音の透き通った美しさには唖然。第3楽章はリズムが上滑りせず、拍節感も律儀に表出。そこにはアカデミックな冷たさはなく、ただモーツァルトの息遣いだけが聞こえます。超絶品なのが終楽章!第1楽章同様、洗練されたイン・テンポを貫き、アンサンブルの凝縮力が見事。速めのテンポを採用していますが、音を外に放射せず、まさに「悲しみの疾走」と言える向こう見ずな推進力に息を飲みます。展開部の中低域の弦の細かい動きのなんと有機的なこと!この作品独特に緊迫感を最初から最後まで絶やすことなく、美しいイフォルムで構成し尽くた究極の職人芸です!
 ベートーヴェンも期待を裏切らない素晴らしい演奏で、その職人芸がただ頑固さだけに支えられているのではないと言うことを証明するのが終楽章の0:30!ホルンの雄叫びで開始されるこのフレーズは、木管が下降していくのに対しホルンが高音へ跳躍しますが、フォンクは前半をホルン、後半を木管にと主役を自然に受け渡すのです。これを説明調にならずにサラッとやってのけるのですから恐れ入るばかりです。コーダは全てのパートが芯から灼熱! 【湧々堂】

QUADROMANIA
222152[QU](4CD)
モーツァルト交響曲第25番、第28番、
第29番、第33番、第35番「ハフナー」
第36番「リンツ」、第38番「プラハ」、
第39番、第40番、第41番「ジュピター」
エルネスト・ブール(指)
バーデン・バーデン南西ドイツRSO

録音:1964年〜1978年 ステレオ録音
“現代音楽のスペシャリストが描く、感動的なト短調交響曲!”
 なんと4枚組で、廉価CD1枚分の価格という、とんでもない廉価シリーズ。しかも、ジャケットには堂々とカタカナでレーベル名がドン!なんとも怪しげですが、内容は凄すぎます!ロスバウト(1948-62主席指揮者)の後を継いでこのオケの主席となったブールは、前任者同様に多くの現代曲を手掛けましたが、レパートリーは古典以降のほぼ全てを網羅するほど広いものでした。ブールといえば、以前Astreeレーベルから、ラヴェルやストラヴィンスキーなどのCDが立て続けに発売されました。その演奏は色彩感や人間的なぬくもりよりも、アンサンブルの機能性が優った演奏だったと記憶していますが、あれからほぼ10年ぶりに登場したこのモーツァルトも、一見ドライな印象を受けますが、聴き進むうちに、血の気の失せたメカニックなだけの演奏とは一線を画す、ただならぬモーツァルトだということに気付きます。演奏スタイルは、録音年代から察せられるように、ベームなどに代表される大編成によるどっしりとした造型を基調としたもの。
 まず感動的なのが第40番!最初の1小節目のヴィオラの刻みから完璧なうえに微かな悲しみのニュアンスが溢れ出し、いきなり胸を打ちます。第1楽章はやや速めのインテンポを貫きますが、その緊張から滲み出る不思議な切迫感が実に見事。しかも、随所に合いの手を挟む木管の美しさは、めったに聴けるものではありません!第2楽章も繊細なテクスチュアを大切に紡ぎ出していて、心に染みます。第3楽章は、たっぷりと弓を使い切って纏綿と歌い上げ、トリオに入ると、また木管の室内楽的な極美のニュアンスに耳を奪われます。
 木管のセンスで印象的といえば、第39番の第3楽章、トリオのクラリネットも聴きもの!こんなに美しいフォームで感じきった演奏は他に思い当たりません。
 第28番
は、終楽章のゴリゴリと唸る低弦の凄みが魅力。エキセントリックにならずに、この曲独特の推進力を表出しています。弦を主体としたアンサンブルの妙とリズムの華やぎを味わえると同時に、各声部の発言力のバランス統制が万全な第29番第33番も必聴!
 「プラハ」は、第1楽章展開部の各パートの絡みの緊張が尋常ではなく、思わず息を呑みます。コーダのトランペットの輝き(12:07)も鮮烈!なお、第1楽章序奏部で、通常と音が違う箇所がありますが、根拠は不明。ブールは本領が現代音楽のせいか、声部が複雑に絡むほど、それらを完全に裁こうとするセンサーが働くのでしょうか?
 「プラハ」第1楽章ですらそうなのですから、これが「ジュピター」終楽章のコーダとなるとどうか?案の定、凄いことになっています!まさに全声部総動員の世紀のエンディング!録音状態はどれも非常に良好なステレオ録音(おそらくAurophon原盤)。なお、蛇足ながら、録音年は全ての曲に、「1964年から78年の間」と記されていますが、これはブールがこのオケの主席を勤めたほぼ全ての期間で、まさか14年掛けて1曲録音したわけではないでしょうから、1曲ごとの正確なデータを記載して欲しかった…というのは贅沢でしょうか?【湧々堂】

TUXEDO
1069[TU]
モーツァルト:交響曲第40番、
交響曲41番「ジュピター」
ペーター・マーク(指)
フィルハーモニア・フンガリカ

ステレオ録音
“機能美とは全く無縁!全身にじっくりと浸透する珠玉のモーツァルト!”
 オケに現代的な巧みがないので古めかしい印象をもたれがちですが、聴けば聴くほど尋常でない共感を湛えた生きたニュアンスと、マークの丹念な音楽作りが融合したこのモーツァルトは、心に染みます。
 「第40番」第1楽章は、後年ほど細部を立体的に浮き彫りにせず、何の変哲もなく快速インテンポで突き進んでいるだけのようでいて、内声の深部に至るまで心が通い、音が熱いのがいかにもマーク的。弦のヴィブラートが心の震えに直結している第2楽章も印象的。終楽章も小器用なところが一切なし。
 「ジュピター」を聴くと、いかに最近この曲が精密機械のように鳴らされ、「奏でる」ことが為されていないかを思い知らされます。冒頭の和音の縦の線がビシッとキマっているわけではなく、響きも洗練からは程遠いものです。しかし、育みぬいた響きが全パートに共通しており、それらが一体となったふくよかなニュアンスは、単に「素朴」という一言では片付けられません。第2楽章では、このオケの弦と木管の質感、センスの高さを痛感させ、曲の持ち味を活かすということがどういうことか、この演奏が教えてくれます。終楽章の特に展開部以降で、弓が弦から離れる直前までニュアンスを湛えて弾ききり、各声部が熾烈に緊張し合う様や、人工的な構築性を全く感じさせない最後のフーガの丹念なニュアンス表出も、一度その魅力に気付いたら、マークと共に音楽を慈しみたくなります。【湧々堂】

ORFEO DOR
ORFEOR-498991
モーツァルト交響曲第40番
交響曲41番「ジュピター」
ラファエル・クーベリック(指)
バイエルンRSO

録音:1985年(デジタル・ライヴ)
“心の琴線に触れる「40番」冒頭ヴィオラのすすり泣き!”
 「40番」冒頭ヴィオラの刻みからこんなに心を捕らえる演奏が他にあるでしょうか!第2楽章もデリケートな詩情が香り、そのロマンをそのまま引きずるように始まる第3楽章は、チェロの主題に答える第1Vnの大きな呼吸感が絶妙!キリッと締まったリズムと凝縮力で迫る終楽章の勢いもスタジオ録音にない魅力。
 「ジュピター」
は、全曲のエッセンスを内包するような開始和音の打ち込みにご注目を!終楽章での端正な造型、息もつかせぬ推進力との完全調和ぶりは、この巨匠のまさに真骨頂でしょう。このCDは,クーベリックを語る上で絶対に外せません! 【湧々堂】
お客さまレヴュー

モーツァルト/MOZART
交響曲第41番「ジュピター」

GRAND SLAM
GS-2077
モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」
交響曲第41番ハ長調「ジュピター」
ブルーノ・ワルター(指)コロンビアSO

録音:1959年1月13,16,19,21日アメリカン・リージュン・ホール
1960年2月25,26,28,29日アメリカン・リージュン・ホール
使用音源:Columbia (U.S.A.) MQ 436 (オープンリール・テープ、19センチ、4トラック)
録音方式:ステレオ(セッション)
まさに人類の宝!これぞモーツァルト!!
 好評のオープンリール・テープ復刻の中でも、今回のものは出色出来栄え。針音ノイズがないのは当然ですが、全音域にムラがなく、ハーモニーに厚みがあり、ワルターの音楽作りの入念さを再認識させられます。
 「ハフナー」第1楽章第1主題の細やかな強弱やアクセントへの配慮も明確に聴き取れ、しかも何と有機的なことでしょう!第2楽章の音価の保ち方に宿る優しさ、第3楽章では遅いテンポ設定が鈍重にならず語りに徹し、終楽章の0:30からの第1ヴァイオリンのリズムがこんなにキリッとした瑞々しさを湛えていたとは今まで気づきませんでした。
 「ジュピター」も散々聴き尽くしたと思っていたのに、これほどリズムに生気に満ちていたとは!ワルターの演奏は「常に微笑んでいる」と形容されますが、この復刻ではその微笑みが音楽ニュアンスの重要な要素であることは痛感させられます。第1楽章2:28からのテンポを落としてレガートで歌う箇所も、ワルター以外には通用しない奥義!終楽章の味わい深さも、このじっくりとしたテンポだからこそ湛えきれていると確信。音楽があふれるとはまさにこのことです!木管の声部をこれほど強調しても、強引さや学究的な嫌らしさを微塵も感じさせません。5:16からコーダに差し掛かるまでの間はまさに音楽ニュアンスの豊穣さの極み!そしてコーダの情報量の多さを目の当たりにすると、今後どんなにオケの性能が上がっても、否、上げれば上がるほど、この優しさと厳しさを絶妙に織り交ぜた立体的なフーガの構築美はもう望めないことを痛感するばかりで、この復刻に感謝せずにはいられません。十分に聴きこんだつもりでも、きっと新たな発見があるはずです!
解説書のボールトによるワルターの思い出もユーモアを交え、読みごたえあり。 【湧々堂】

King International
KKC-2081(2CD)
カイベルト/ブルックナー他
ハイドン
:交響曲第94番「驚愕」
モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」#
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」*
ヨゼフ・カイルベルト(指)
NHK響

録音:1968年5月14日、21日*、22日# 東京文化会館(ステレオ)
“カイルベルト、死の2ヶ月前の壮絶ライヴ!”
 カイルベルトの死の2ヶ月前、最後の来日時のあまりにも感動的な名演集。質実剛健なその至芸をたっぷり堪能することが出来ます。
 ハイドンは、媚びるような表情が一切なく、どこまで言ってもスコアを上の音符を立体的に構築することに専心。第2楽章でも中低音を重視した響きで構えが大きく、極めて純音楽的進行を貫くのが逆に新鮮。びっくりにの一撃は、レオノーレ第3番序曲の冒頭のような勇壮さ。ニヤリとする素振りすら見せません。第3楽章ではリズムの重心が常に下方へ向かい、無骨さの極み。終楽章に至っても吹きれたような晴朗な空気が立ち込めることを固く禁じた強固な音楽が流れます。聴き手を夢見心地にさせないという点ではクレンペラー以上かもしれません。
 そのスタイルが更に作品と融合し、強い説得力を放つのがモーツァルト。第1楽章第1主題で弦の音価を厳格に統制し、0:35からのフレーズを鉄壁のイン・テンポで押し切る男らしさにシビれる方も多いことでしょう。弱音の多用を避けた第2楽章での克明なニュアンス表出も絶品!これを聴くと、多くの指揮者が繊細さに囚われるあまり音楽を萎縮させてしまっていることに気付かされます。終楽章は、カイルベルトの尋常ならざる意思力に圧倒されっぱなし。0:31で一瞬ルフとパウゼを挟むのは旧スタイルの名残りですが、その確信的なアプーローチを前にして、古臭いなどという印象など微塵も与えません。
 ブルックナーは、精緻な演奏に慣れた耳には大掴みな演奏に感じるかもしれませんが、少なめの残響と、今ほど技術的に洗練されていないオケの機能性が、良い意味での雑味となってかけがえのない味わいに転じています。音楽の築き方はハイドン、モーツァルトと基本的に同じで、後付けのニュアンスなど一切ない実直なダイナミズムに溢れたもの。第1楽章展開部の猛々しい響きはカイルベルト節そのもの。第2楽章も主張が強く、瞑想的なニュアンスとは一線を画します。終楽章の内容の濃さも圧倒的。5:29〜6:30までの響きの充実ぶりには当時のN響の持てる力のすべてが凝縮れており、その最後の一音まで渾身の音を出し尽くしているのが分かります。そして腰を抜かすほど凄いのがコーダ!「格調」とか「透徹」といった衣を完全に脱ぎ去った異常な高揚感!どんな敬虔なブルックナー・ファンでも、これほどの音楽的な衝動に異を唱えることなでできましょうか!
 とにかく、ブルックナーの音楽のゴツゴツとした造型の妙味をこれほど痛感させる演奏はなく、もちろん将来も望めません。【湧々堂】

Medici MastersMM-019(1CD)
モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」*、
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
エイドリアン・ボールト(指)LPO

録音:1977年4月17日&5月10-15日、1974年9月23日&10月* アビー・ロード・スタジオ(共にステレオ)
原盤:EMI
“全て!”
 80分を超える長時間収録。2曲ともボールトの格調高い芸風が反映された素晴しい演奏です。
「田園」
はこれが初CD化。第1楽章は墨絵を思わせる、色彩を徹底して抑えた朴訥としたアプーローチが特徴的。第2楽章はさらに情景の視覚的描写を完全に廃した表現で、楽譜をあるががまに再現する手法は朝比奈隆以上。これはボールトの録音の中でもかなり渋い部類に属すると思いきや、第3楽章に入ると音の張りと量感が一気に増します。とは言っても、第4楽章はカラヤンのように音を外に向かってスパークさせるアプローチとは正反対でまさに老練芸の極み!音の威力で圧倒することなく含蓄を十分に湛えた巨木のような音像が繰り広げられます。
 一方の「ジュピター」は、かつてRoyal Classsicsから発売されたことがあり、“殿堂入り”候補でありながら入手困難なため、なかなか取り上げずにいたところのCD化!第1楽章は込みに良いテンポ運びがボールトにしてはやや意外。編成は昔ながらの大編成のままのようですが、音楽が大味になることなく、むしろ室内楽的な透明なアンサンブルを繰り広げている点に、この巨匠の深い見識を感じさせます。第2楽章は実にノスタルジック。第3楽章は恰幅の大きな造型と共に歩みを進め、英国紳士らしい佇まいがこの楽章の楽想と絶妙にマッチしています。これだけなら「味わい深い演奏」という域に止まったと思うのですが、“殿堂入り”の決め手となったのが終楽章のあまりの素晴しさ!一言で言ってこれは究極の腹芸!管楽器は常に神々しく主旋律に絡み、弦には張りがあり、演奏に掛ける魂の結晶がそれらの音の隅々から感じられるのです。展開部へ進むと一層その思いを強くし、恣意的な操作を感じさせない自然体の威厳が感動を誘います。提示部も展開部もリピートを敢行しますが、それの何とありがたいことか!極めつけはコーダの築き方!あらゆる声部が渾然一体となり、「ドー・レー・ファー・ミー」の主題を次々に橋渡しするフリッチャやセルなどにみられた声部分析の痕跡は一切感じさせず、まさに宇宙の混沌を象徴するカのような高揚にまで達するのです。そして締めくくり最後の和音はなんと光に満ちた響きでしょう!この終楽章の演奏は、シューベルト「グレート」のそれと共に、ボールトの独墺系録音の中で群を抜く感度作であることは間違いありません。
EMI
5676012[EM]

モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」
クラリネット協奏曲、ファゴット協奏曲
トーマス・ビーチャム(指)
ロイヤルPO
ジャック・ブライマー(Cl)
ギディオン・ブック(Fg)

録音:1957〜1959年(ステレオ)
“全て!”
 ビーチャムと言えばモーツァルトよりもハイドンというイメージですが、モーツァルトの天才的な筆致に独特の華やぎを与えるモーツァルトも決して無視できません。
 「ジュピター」の冒頭を次第にクレッシェンドするのは、モノラル期の録音(SONY)でも聴かれる解釈ですが、「単純な音型反復なんぞ耐えられん!」と言わんばかりで、完全に納得させられてしまいます。終楽章の最後のフーガでは何とトロンボーン(?)が和声の補強を行なって荘厳さを醸し出し、締めくくりにはティンパニを連打させて終わるという華々しさですが、嫌らしさは微塵もなく、モーツァルトの楽譜に手を加えるという普通では考えられない荒業も「そうあるべきもの」として響くのですから、全く恐るべき御老体です!
 そんなビーチャムが微笑ながらも涙を滲ませるクラリネット協奏曲も感動的。ビーチャムが指示したに違いない超スローテンポは、さすがの名手ブライマーも持ち堪えられるか心配になるほどですが、そこから香る空気とBoosey&Hawkes製の名器による深くまろやかな音色が絶妙にマッチして、最後まで心のこもった歌を聴かせてくれるのです。【湧々堂】


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