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器楽曲S〜シューベルト



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シューベルト/SCHUBERT


Treasures
TRE-089(1CDR)
エッシュバッハー/ベートーヴェン&シューベルト
ベートーヴェン:「失われた小銭への怒り」Op.129*
 エリーゼのために**/ロンドOp.51-1#
 エコセーズWoO.83##
シューベルト:即興曲Op.90/即興曲Op.142
アドリアン・エッシュバッハー(P)

録音:1950年9月19日*、1950年頃**、1950年9月20日&5月24日#、1951年8月4日##、1953年4月22&23日
※音源:独DG 30323、29313(シューベルト)
◎収録時間:75:31
これぞシューベルトの理想郷!たとえようもない霊妙さ!!”
■製作メモ
2枚のレコード(ベートーヴェンは7インチ)の全てを収録。シューベルトの初出は2枚の10インチ盤ですが、ここでは、打鍵の質感を克明に捉えた後発の“COLLECTION”シリーズを採用しました。

★シューベルトの「即興曲」は、作品自体の持ち味よりも、ピアニストの自己顕示が上回ってしまい、どこか座りの悪い演奏が多い気がしてなりません。その点エッシュバッハーの演奏は、打鍵の強さ、アゴーギクのセンスなどが理想の極みで、まさに即興的なフワッとした音楽の湧き上がりを楽譜への忠実な再現の中から引き出し、類例のない風情を生み出しています。
エッシュバッハーは、1912年スイス生まれ。チューリヒ、ライプツィヒで学んだ後、ベルリンでシュナーベルに師事。フィッシャー、バックハウス等と並ぶ名手とされながらも、わが国ではフルトヴェングラーと競演したブラームスなどで知られる程度。これを聴けば、このピアニストのセンスの高さを誰も否定なできないでしょう。
Op.90-1は、冒頭の和音の打ち込み方から、ピアニストのこの作品の捉え方を如実に示しています。ハーモニーのバランス感覚と、少しでも踏み外すと風情が壊れかねない絶妙な音量、気品と格調の高さ!符点リスムの肩の力が抜け切ったさり気なさ、自然な香気を感じたあとに訪れるアルペジョに乗せたフレーズのなんと軽く伸びやなこと!楽想が変化しても不用意にテンポを動かさず、全くの自然体でありながら、曲の最後まで次々と異なった色合いを引き出した夢のような演奏です。Op.90-2は細やかに分散するパッセージが実に丁寧に表出し、実に美しい弧を描きながら音楽を豊かに呼吸させます。中間部のリズムが厳格でありながら軽やかさと夢のような感触は失わず、転調に対する鋭敏な反応も見事。Op.90-4では珠のようなタッチの美しさを心行くまで堪能できます。Op.142-2は内省の美を湛え、ひそやかな希望の光が音色に宿っています。エッシュバッハーの節度を保った自己表現の妙が端的に示された一曲です。Op.143-3も師のシュナーベルよりもアゴーギクを抑制し、実直さを感じさせますが、そこはかとなく漂う可憐さ、ごく微妙な音価の伸縮が独特の雰囲気を生んでいます。変奏が行われるごとに、夢の世界の深部へ侵入するようなこの感覚は、他の演奏ではなかなか得られないものです。最後のOp.142-4はテンポがかなり速いのにまず驚きますが、もちろん機械的になることはなく、一筆書きのような筆致で切迫感を表出。しかも力みを一切感じさせず、タッチの美しさとフレーズの飛翔感を失わないセンスには脱帽…、というように、全8曲全てが、均質に高い水準を保っているのです。
一方ベートーヴェンの小品は、軽妙であっても軽薄さは皆無。「エリーゼのために」の可憐な曲想におもねることのない実直なアプローチは、エッシュバッハーのピアニズムの象徴と言えましょう。【湧々堂】


Pentatone
PTC-5186.329(1SACD)
シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番イ長調D.959/楽興の時D.780,Op.94
マーティン・ヘルムヘン(P)
録音:2007年
N響との共演などの来日公演の成功によって日本での知名度を上げたヘルムヘンは、この第20番のソナタを来日公演でも取り上げており、この作品への思い入れの深さを窺わせますが、実際の録音でも、腕が立つだけではどうにもならないシューベルト特有の歌心とリリシズムを自身の音楽性と同化させ、一貫性のある表現に結実させたすばらしいものになっています。特に第2楽章は心を打ち、タッチにも表現にも誇張の一切ない純朴さがシューベルトの息遣いをストレートに伝えてくれます。第3楽章の中間部での憂いも嘘がありません!終楽章は肩の力の抜けきったこのたおやかさ、まろやかな風情こそシューベルト!と叫びたくなります。それを上回るほど素晴らしいのが「楽興の時」。いつまでもその空気の中に埋もれていたいという思いに駆られたのはカーゾン、シフ以来久々のことです。
思わせるの。第1曲の動機がリズミカルでありつつ、柔和で翳りもあるといった軽い錯綜感が何ともいえぬ余韻を残しながら曲は進行。第2曲は、構成感を置き去りしに、ハーモニーの微妙な揺らめきひとつで緩やかに流れるこの曲の特質を、深い歌心で丹念に紡ぎだし、心を打ちます。有名な第3曲は第2主題への以降直前などのニュアンスとへーもニーの色合いが微妙に変化する節目において軽く一呼吸が入る以外は全くのインテンポ。そのテンポの柔らかな弾力が曲のニュアンスを一層引き立て、これまた理想の極み。第4曲の右手と左手の付かず離れずのバランスにも要注目。第5曲で、中間部動機が最後に一瞬弱音で顔を出すシーンのなんと詩的なこと!
ヘルムヘンは難関とされる「クララ・ハスキル・コンクール」グランプリ受賞という栄誉以外は特に輝かしい経歴の持ち主ではありりませんが、こんな心のピアニズムを持ち合わせる人にとって、立派な肩書きなど、むしろ不釣合いと言えましょう。

ピアノ・ソナタ第2番、ピアノ・ソナタ第3番、ピアノ・ソナタ第6番
ゴットリープ・ヴォーリッシュ(P) デジタル録音
NAXOS
8.557639
“ベートーヴェン+シューベルトの魅力を絶妙に表出!”
ベートーヴェンの影響を強く感じさせるシューベルトの初期のソナタは、後期の作品ほどは頻繁に演奏されませんが、このウィーン出身のヴォーリッシュの演奏で聴くと、今まで気づかなかった魅力が次々と立ち上ってきます。「第2番」はほんの少しシューベルトらしさが顔を出す程度で、ほとんどベートーヴェンの曲と言っても良いくらいですが、そのかすかなシューベルトの歌の片鱗を丹念にすくい上げ、はっきりとした主張を持って再構築を図ったこの演奏の魅力は絶大。一切の曖昧さを感じさせないタッチも魅力。「第6番」は4楽章構成版(終楽章をロンドD.506で代用)で演奏。

ピアノ・ソナタ第4番、第7番、第15番「レリーク」
ミヒャエル・エンドレス(P) 1994年 デジタル録音
CAPRICCIO
490753

廃盤
“シューベルトの権威が奏でる正調シューベルト!”

ソナタ全集
49456[CA](6CD)
シューベルト国際コンクールで優勝し、ヘルマン・プライの伴奏者も務めたエンドレスのシューベルトは、ただただ楽譜どおりに弾いているだけのようでいて、そこから自然なニュアンスがじっくりと流れ出ます。自我ををどこかに注入しようとする気配が全くないので、感覚的に極めて地味ですが、シューベルトの音楽の佇まいだけをじっくり堪能したい人は必携の一枚でしょう。第4番第1楽章の展開部の終盤で、右手が軽く上行する箇所など、痛快に切り上げることも可能ですが、ここにあるのは「丹誠」の一語。第2楽章の幸せを一人静かに温めるようなニュアンスも、決して意図して作られた感じがしません。未完の傑作「レリーク」ともなると更に競合盤も多く存在しますが、彼の誠実なピアニズムはここでも独自の存在感を示しています。ここではさすが造形力に磨きがかかり、作品の持つ内容をがっちりと再現していますが、第1楽章の第2主題で、絶えず調性が変化しながら微妙に音楽の色合いが変わっていく様を柔和なタッチでじっくり紡ぎ出すのは、シューベルトを集中的に演奏してきたピアニストにして初めて可能なことでしょう。第2楽章もピアニストの存在を感じさせず、ただ自分のためだけにシューベルトが弾いてくれているような錯覚に陥ります。

ピアノ・ソナタ第9番、第11番(4楽章版)、第13番、楽興の時
スヴャトスラフ・リヒテル(P) 1979年 ステレオ・ライヴ録音
BBC LEGENDS
BBCL-4010
“シューベルトに固執したリヒテルの感動的英国公演!”
シューベルトの音楽の核心を抉り出した至高の名演!特に、各曲の緩徐楽章(特に第9番!)は、詩情溢れる曲調の中に、リヒテル自身の激動の半生を投影したかのような異様な意味深さを感じさせます。第9番の襲いテンポ゚による絶妙なアゴーギク、陰影の濃さ、とてつもない深い呼吸は、この頃のリヒテルの真骨頂です!リヒテルのCDは、一日の演目を通してステレオで聴けるものが少ないので、その点でもこれは貴重です。ちなみに、リヒテルはこの年にドイツ、日本でも同様の演目で公演しています。

ピアノ・ソナタ第13番、さすらい人幻想曲、即興曲Op90(全4曲)*
レオン・フライシャー(P)、ネルソン・フレイレ(P) 1963年、1967年* ステレオ・ライヴ録音
SONY
SBK-47667
“師シュナーベルを彷彿とさせる、フライシャーの知られざる歌のセンス!”
ここでのフライシャーは、ヴィルトゥオーゾ作品を弾いている時とは別人のような無垢なタッチだけをバランスよく抽出し、シューベルトの音楽に不可欠な力みのない歌心と自然な呼吸で聴き手を魅了します。ソナタの第1楽章の途中に突如現われるオクターブの上下行も、センスの良いスパイスとして生かされ、第2楽章はフライシャーの持ち前の沈静の美が横溢し、夢のような空間が広がります。終楽章は、表情のメリハリ具合がこれまた絶妙!ピアニスティックな面をしっかり引き出しながら、決して歌を忘れていません。「さすらい人」は、華麗なピアニズムの表出はお手の物としても、目まぐるしい調性変化に伴う色彩の移ろいを自然に流動させる手腕には、改めてフライシャーの才能を思い知らせれます。アダージョに移ってからの暗さは、絶望の一歩手前!この瞑想的なニュアンスにアルペジョが可憐に加わる瞬間の色彩の妙は例えようもありません。

ピアノ・ソナタ第16番、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番
イリーナ・メジューエワ(P) 2002年 デジタル録音
若林工房WAKA-4105 “作品に対する真摯な態度が感動に直結!”
まず、シューベルトが感動的!この曲を心から愛していることがいることが十分に伝わってくるだけでなく、それに自ら溺れず、聴き手にその素晴らしさを丹念に伝えることに喜びを見出しているような、独特の説得力を持って迫るのです。音の全てに主張を込める(「主張をしない」という主張も含めて)は当然としても、このような音楽の再現者としてのバランス感覚は、なかなか他に類を見ません。ましてや曲がシューベルトであれば、なおさらその誠実さが生きてきます。第1楽章、第2主題の呼吸の増幅ぶり、毅然とした音像表出、第1主題と第2主題が交互で現われる箇所の緊張、展開部でシューベルトの天才的な色彩の揺らめきをドラマチックに再現し、コーダで遂に持てるパワーの全てを投影して荘厳な打鍵を放つまで、全く息もつかせず聴き入ってしまいます。第2楽章でも、愉悦感に自己満足せず、聴き手にその風情をじっくり伝えるゆとり感じます。終楽章は、全ての音が完熟の味わい!不覚にも、この曲が全楽章を通じてこれほど完成され尽くしたた凄い曲だとは気付きませんでした。一方のベートーヴェンも、並みの説得力ではありません。彼女の演奏の全てに当てはまる「真摯」という言葉が、ここでもぴったり!スコアに書かれた音符の正確な再現に止まらず、その音符に込めたベートーヴェンの思いを自分のことのように再現する態度が真摯なのです。第2楽章のリズムの沸き立ちを惜しげもなく強調するのも、その現われでしょう。しかも、そのパワーに任せて音を外へ向かって放射し尽くすことなく、急激に音を弱めて音価を慈しむという繊細な配慮を織り交ぜながら、無鉄砲ともいえる音の跳躍感、強弱のコントラストを見事に再現し尽くしているのです。第3楽章も、安易に悲嘆に暮れることなく強い意志が漲っていますが、1:57の一瞬の装飾音のきらめきもお聴き逃しなく!終楽章直前でテーマが回帰する箇所での音の切り上げも、ドラマ性を心から感じている証し。終楽章のマーチ風楽想を本来の音価を逸脱してでも曲想のイメージを膨らませるセンスと感性にも脱帽です。

ピアノ・ソナタ第19番、楽興の時
ユーリ・エゴロフ(P) 1982年(ソナタ)、1987年 ステレオ・ライヴ録音
CHANNEL
CLASSICS
CG-9213
“リパッティのブザンソン・ライヴと並ぶ感動ライヴ!!”
このシューベルトは、ただもう奇跡と言うしかありません!ソナタの冒頭の打鍵から物凄い意思が漲り、ベートーヴェンの影響が濃厚なこの曲の核心を抉り出そうとする集中力にいきなり圧倒されます。第1楽章の再現に入る前の弱音の粒立ちの美しさの裏にも、一貫した精神が脈々と流れていて、説得力絶大です。第2楽章の瞑想的なニュアンスは涙なくしては聴けません!単なる美しさを超えたこの黄昏の色彩は、彼が真の天才であったことを十分納得させるものです。終楽章の目まぐるしいテンポの中での豊かなフレージングと至純のタッチの横溢ぶりにも声が出ず、聴後は何も手につかなくなること必至です。「楽興の時」は彼の最後のリサイタルから収録。この翌年、エゴロフは33歳の若さでこの世を去ることになりますが、彼の音楽は脆弱さを感じさせず、第5曲などたった1分弱の間に熱いタッチにありったけの激情を込め抜いて駆け抜けます。しかし、有名な第3曲や終曲には、完全に無我の境地を悟った人間にしか表出し得ないなニュアンスが静かに流れ、この世のものとは思えぬ佇まいを前にすると、死を予感していたかもしれない…などと考えずにいられません。とにかく、この尋常ならざる演奏を言い表せる言葉は、この世には存在しません!

ピアノ・ソナタ第20番、3つの小品
フランク・ブラレイ(P) 1994年 デジタル億音
H.M.F
HMN-911546
“エリザベート・コンクールの覇者が聴かせる誠実なシューベルト!”
20番のソナタは、シューベルトのソナタの中でも特に華やかな曲ですが、ブラレイのピアノは一言で言ってかなり地味。天才的な閃きで異彩を放つわけでもなく、こちらから聴く姿勢で臨まない限り耳を素通りしてしまうほどですが、その代わり聴けば聴くほどその真面目な構築から、シューベルトの持つ静かな詩情や激情が滲み出ているのに気付かされます。第2楽章は、前半の沈静と、一見唐突なシューベルトらしい激高とのコントラストが実に明確に描き分けられてはいますが、自己顕示的なところがなく、冒頭主題が彩りを添えて再現される頃には、その歌の意味深さにすっかり魅了されてます。シューベルトならではの歌のツボを押さえた終楽章も、この曲を初めて聴く人をも魅了させるに違いない丹念な表情付けと、心地よい緊張で貫かれています。最後にテーマの断片がひっそりと現われては消えていく部分の、絶妙な呼吸も見事!

ピアノ・ソナタ第21番12のドイツ舞曲、「最後のワルツ集」より4曲、2つのドイツ舞曲、アレグレット・ハ短調、
ディアベルリのワルツによる変奏曲
フー・ツォン(P) 1997年 デジタル・ライヴ録音
MERIDIAN
CDE-84390
“現代の孤高詩人、フー・ツォンに聴くシューベルトのドラマ性!”
たっぷりとペダルを効かせ、しっとりと、時にはブリリアントに心の共感をタッチに滲ませた名演奏。「舞曲」の色彩の陰影と、リズムの湧き上がりの素晴らしさは、あのショパンのマズルカの名演を彷彿とさせるもので、特にGなどの短調の曲から香る哀愁は、まさにフー・ツォン節!メインのソナタには、温かなタッチに彼岸の微光が揺らめき、各フレーズのなんとニュアンスの多彩なこと!終楽章の羽毛のような軽やかな主題提示と、凄い激高部分との対比は、鳥肌モノです!

ピアノ・ソナタ第21番、第16番、第7番、第6番、アレグレットD.900、小品D.60
トッド・クロウ(P) デジタル録音
MSR
MS-1033
(2CD)

“シューベルトの素晴らしさを体で知りえた人だけが表出可能な自然なニュアンス!”
シューベルティアン必携アイテム!21番は、多くの競合盤の中でもシューベルトらしい素朴さを大切にしながら、作品自体の素晴らしさを信じ切った演奏としとしてはダントツの名演奏!冒頭からまろやかなタッチで静かに幸福を噛みしめる風情が魅力的で、次第にタッチの硬度を強めて高揚していく流れの自然なこと!第1楽章展開部直前の間合いのよさ、素直な表情の中に煌く語りのセンスは、強烈な自己アピールなしに惹きつけてやまない魅力が一杯です!鳥肌が立つのは、展開部の前触れを示す短調の和音(9:40)!直前の可憐さから急に翳りを帯びるこの瞬間のタッチの色彩の変化の妙は、魔法としか言いようがないほど自然そのもの。第3楽章の内省的なニュアンス、慈しむようなリズムの扱いには、クロウの人柄がそのまま反映されているように感じられます。作品に全面的に身を委ねながら音楽的な発言をしっかり行なうクロウのピアニズムは終楽章で更に開花。最初のテーマのこんこんと湧く泉のような音の流れ出しからして、シューベルトの音楽の容量からはみ出さない細心の配慮が素晴らしく、しかも教科書的な味に乏しい演奏とは明らかに一線を画しています。コーダで、いかにも「これで締めくくります!」といった印象を強く刻印せずに、余韻を残しながら終わるこのセンス!しかし更に白眉が第16番!最初の1分間でもう釘付けです!がっちりとした構築感を基調として独特の風格と悲哀の入り混じる作風の魅力を余すところなく繰り広げています。第1楽章の行進曲風の走句の威容とタッチの輝かしさは、人口的な磨き上げの跡を感じさせないだけに音楽的な訴え掛けが絶大!最後2分ほどでハーモニーの厚味を更に加えながら、最後に渾身のフォルティッシモにまで登りつめるまでの緊張はまさに圧巻!変化に富んだリズムの沸き立ちを洒落たセンスで描ききった第3楽章にも息を飲みますが、終楽章のあまりのニュアンスの溢れ出しに全てを受け入れるには、聴く側も許容量を確保しておかなければなりません。

シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 、楽興の時D.780
デヤン・ラツィック(P) 2004年 デジタル録音
“この超難物ソナタから誰も引き出し得なかったニュアンスが一杯!”
Channel Classics
CCSSA-20705
(1SACD)
¥3255

この最後の長大なソナタについては、謎めいたメッセージ性を云々されることが多いですが、ラツィックの手に掛かると、曖昧性を全く感じさせず、全てが肯定的で、完成させた超一級の芸術品としてのあり様を鉄壁なテクニックで披露し、今まで気付かなかったこの曲が持つ表情が次々と現れます。第1楽章の冒頭の不気味な低音トリルの箇所までで全てが決まる!などと勝手に思っていましたが、そんな線引きはここでは通用しません。つまり、あのリヒテルのような全神経をいきなり凍らせる個性的な演奏とは対照的に、何の変哲もない普通の演奏に聴こえるのですが、その発展のさせ方が尋常ではないことに次第に気づくのです。主題がじりじりとクレッシェンドして頂点に達すると、唐突に元気になる演奏もありますが、ラツィックは底へ上り詰めるまでの持久力がまず見事。提示部を繰り返す直前の4:48からほんの数秒の右手のアルペジョのなんと言う美しさと余情!この付近は音符同士の隙間が極端に多いですが、その全ての間(ま)に、違った意味合い持たせていると言っても過言ではないほど、休符にまで音楽が浸透しているのです。展開部の長調と短調の微妙な揺らめきの感じ方も並ではありません。第2楽章の孤独感と虚無感、そこから中間の風格に自然につなげる手腕にも脱帽。第3楽章はリズムの敏捷性がいかんなく発揮されていますが、自己アピールが先に立つことがなく、タッチも単に軽やかななだけでなく適度に湿度を保っているので、音楽味満点!終楽章はテンポが快適な上に、アーティキュレーションが明確なので、これまた磐石な手ごたえ。有り余る表現力を冷静に丹念に配分し尽くし、コーダの最高音で、硬質に輝く打鍵で有無を言わせずに締めくくるという鮮やかな設計に至っては、もう完全ノックアウトです。それぞれの小品たちに違った彩を添えた「楽興の時」も、ラツィックの感性が横溢!有名な第3番では、響かせ過ぎないメゾ・フォルテの完璧なフォームに唖然!第4曲では、前に進むのを拒むような表情が独特ですが、小手先の思いつきでなく、曲自体がそう語っているように響くのです。第5曲は凄まじいタッチの切れ味、瞬間的なタッチ強弱の変化に釘付け!

ハンガリー風デヴェルティメント、フランスのモチーフによるデヴェルティメント
アンドレアス・シュタイアー、アレクセイ・リュビモフ(フォルテピアノ) デジタル録音
WARNER
2564-60811
“太鼓・シンバルが炸裂!異色コンビによる画期的デュオ!”
グラーフ製のフォルテピアノの復元楽器を使用。2曲とも、ソナタという形式に縛られず、自由にシューベルトの歌心を飛翔させた傑作ですが、そのことを実感させるファンタジー溢れる演奏はこれが始めてではないでしょうか?「フランスの〜」の第2楽章からこぼれ出る悲哀は、実に心に染みます。このCDの目玉は、“5つのペダル”を持つ特殊なフォルテピアノの効果音!その第5番目のペダルを踏むと、打楽器音が炸裂するのです。モーツァルトの「トルコ行進曲」でも、シンバル音を伴う演奏がありましたが、こちらは更にエキゾチック!


CLAVES
50-1213(1CD)
シューベルト:ソナタ第21番 変ロ長調 D.960
楽興の時 D.780
ファブリツィオ・シオヴェッタ(P;Steinway&Sons)

録音:2011年4月27-29日、スイス
“シューベルトを弾くために生まれたピアニスト、シオヴェッタ!”
1976年ジュネーヴ生まれのファブリツィオ・シオヴェッタはパウル・バドゥラ=スコダ門下。ソロ作品ではこれまでにシューマンのピアノ作品をリリースしていますが、Clavesレーベル初登場となるこのシューベルトは、彼の音楽センスを証明する画期的といえる演奏です。
2曲とも名曲だけに多くのピアニストが工夫をこらした演奏を遺していますが、これほど素直でピュア、作為の欠片も感じさせすシューベルトを堪能させる演奏というのは、ありそうでなかったと思います。特にソナタは、第1楽章提示部は、楽想が変わるごとにテンポを変化させるようなことはなく淡々と進行しているようで、音はデリカシーに溢れ、流れに淀みがありません。思索の限りを尽くしたことが透けて見える演奏とはことなる、シューベルトだから可能と思われるこの味わい!しかし展開部冒頭では打って変わって不安の空気を敷き詰め、これまでの波風を立てない穏やかさを掻き消し、ドキッとするほどの衝撃をもたらします。第2楽章はシオヴェッタのデリケートなピアニズムが決して作りものないことを実証。第3楽章は軽妙さだけでなく、フレージングの丁寧な扱いにより歌が生き生きと立ち昇ります。終楽章はフレージングの息を長く取り、その中で絶妙なアクセントと交えて陰影を持たせるので、まるで音楽が自発的に鳴り出しているかのよう。音楽を自然に息づかせる術を完全に心得たこの演奏こそが、この大曲の本来の有り様を示しているのでは、と思えてなりません。
「楽興の時」も自然体であありながら、悲しみの表情をかなり濃厚に盛り込んでおり、これまた心を打つ名演奏!特に第4曲!!何もかもがパーフェクト。ファブリツィオ・シオヴェッタの今後の活躍に期待せずにはいられません。【湧々堂】

さすらい人幻想曲*、即興曲集Op.90&142
カール・エンゲル(P)*、パウル・フォン・シルハウスキー(P) 録音:1958年(ステレオ)
Accord
4769002[AC]

“第2楽章に漂う苦悩と慰めの交錯!”
エンゲルが弾く「さすらい人」が絶品!F・ディースカウやプライの伴奏者として厚い信頼を寄せられていた理由をこれほど中右折に感じさせる演奏はないのではないでしょうか?決して自己の存在を表面に立てることなく、作品の息遣いを丹念の描き出すセンスとタッチの安定感、静かでありながら根底に緊張が宿る呼吸感…。その流れに身を任せて歌えば、歌手の潜在能力がどんどん湧き出ることでしょう。第3楽章のリズムの瑞々しさと、フレージングを大きな弧として形成しながら豊かにイメージを膨らませ、聴き手を別の空間へ誘う自然な訴求力は、エンゲルというピアニストはシューベルトを弾くために生まれてきたのではと思えるほど魅力的。中間部の珠のようなタッチは、それ自体が音楽!ポリーニのような硬質でソリッドなタッチとは正反対ながら、終楽章ではハーモニーの立体感がこれほど際立つというのも驚愕。しかし何とっても感動的なのが第2楽章。第1楽章の陽気さから極端なほど真っ暗な世界に突き落とす音楽ですが、「なんだかやたらと暗い」という現象しか伝えてくれない演奏が少なくない中で、エンゲルの演奏は心底「歌」を感じさせるのです。些細な低音のアルペジォさえ、心の奥底の慟哭そのもの。作曲家の揺れ動く心情が和声の陰影の変化と完全に同化。4:56から急速に高音から下降するフレーズのの何という儚さ、美しさ!この音に触れてハッとしない人がいるでしょうか!これは、カーゾンと双璧、否それ以上と言っても過言ではない演奏です。 



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