湧々堂HOME 新譜速報: 交響曲 管弦楽曲 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック 廉価盤 シリーズもの マニア向け  
殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE!! レーベル・カタログ チャイ5



湧々堂が心底お薦めする"殿堂入り"名盤
 ブルックナー
交響曲



・掲載しているCDジャケットとそのCD番号は、現役盤と異なる場合があります。
・[御注文ボタン]を設置していないアイテムに関してご購入を希望される場合は、
 メールでお知らせ下さい。最新の入荷の見込み状況、価格などをお返事いたします。



※表示価格は、全て税込み。品番結尾に特に表記のないものは、全て1CDです。

ブルックナー/BRUCKNER
交響曲全集

ELECT
ERT-1013(10CD)
ブルックナー:交響曲全集
(1)交響曲第1番(リンツ稿)
(2)交響曲第2番ハ短調
(3)交響曲第3番ニ短調
(4)交響曲第4番変ホ長調
(5)交響曲第5番変ロ長調
(6)交響曲第6番イ長調
(7)交響曲第7番ホ長調
(8)交響曲第8番ハ短調
(9)交響曲第9番ニ短調
クリスチャン・マンデアル(指)
クルジュ=ナポカPO(現トランシルヴェニア国立PO)

録音:(1)1986年7月、(2)1984年10月、
(3)1984年10月、(4)1989年7月、
(5)1988年6月、(6)1988年7月、
(7)1986年6月、(8)1987年6月、
(9)1988年7月
全曲アナログ・スタジオ録音(ステレオ)
※CD日本プレス。英語、日本語によるライナーノート付
“ブルックナーの純朴さ敬虔さを本当に解する指揮者がまだ存在したのです!”
マンデアルは既にArteNovaレーベルに感動的なブラームスの交響曲全集を録音しているので、このブルックナーにも大いに期待してはいたものの、まさかヨッフム、ヴァント、朝比奈等、名だたるブルックナー指揮者とは全く別の次元で独自のアプローチを貫徹する指揮者だとは思いも寄りませんでした。当初は全9曲の中から特に感動的なものだけをコメントするつもりでしたが、この全9曲が例外なく心を揺さぶる奇跡的な全集を前にしてそんな中途半端なことは許されません。
第一に特徴的なのが音の質感。朝比奈の死後、金ピカのサウンドに耳が慣れてしまった事にギョッとするほど。そのサウンドはどこまでも素朴でありながら決して野暮ではなく、声部バランスは明晰を極め、遅めのテンポを基調にしながら各ニュアンスがじっくり練り上げるのは、師のチェリビダッケの影響とも思えますが、符点リズムを曖昧にせず、フレージングを克明に描くので鈍重なイメージを与えないのです。
馴染みの薄いクルジェ=ナポカ・フィルのクオリティの高さも驚異的。ブルックナーの音とはいかなるものか、マンデアルは相当仕込んだとは思いますが、この全体を通じてのニュアンスの深さはそれだけで補えるとは到底思えず、まるでブルックナーを演奏するためだけに組織されたとさえ思える間合いの良さ!体中にブルックナーが染み付いていなければ出せないニュアンスを発しているのです。
最初にこの全集が只事ではないことを確信するのが「第2番」。各音の意味合いを吟味しながらじっくり進行するという基本姿勢は全9曲で一貫していますが、ここでは第2楽章が特に感動的!3楽章もテンポ感がこれ以外のものを想定できなくなる説得力を持っています。
「第3番」は録音の点でバランスが最も良好。第1楽章〜10:41からフレージングの中できめ細やかな表情。その直後のトゥッティにおける、過度な重装備に陥らないブルックナーにふさわしい雄大さ。コーダ直前のティンパニ、19:17に象徴されるように裸のままのサウンドが全体の響きの中核を成しています。3楽章のテンポの遅さ!リズムの腰の強靭さが物を言い、中間部の愉悦感はこれだと膝を打つこと必至!終楽章は再現部が空前絶後!7:58から頻出する強弱対比がこんな意味深い演奏は過去に聴いたことがありません。
「第4番」。第1楽章冒頭、ホルンの複符点リズムを決して蔑ろにしません。この符点へのこだわりは相当なもので、全曲を通じて曖昧な箇所が全くないのも驚きです。終楽章が息の長いルバートも聴きもの。
「第5番」。80分超える長時間時間。音楽は終始緊張を保ち、この作品独特の堅牢な造型を意思的に表出。第1楽章、10:15からの経過句で音像が霧の中から次第に姿を現すニュアンスの美しさ!第2楽章第2主題も同様。こんな神秘的で深遠な響きがどうしたら生まれるのでしょう?こんなシンプルな楽想は、真の共感無くしては単にムーディに流れるだけでしょう。
「第6番」。意味深長な冒頭の弦の刻みから雄渾な響きへ広げます。ピアニッシモの繊細な響きは、チェリビダッケを彷彿とさせます。第2主題の弦が高潔な響きを絶やさない点にまず唖然。第2楽章は、オーボエを核とした深遠なニュアンスの注目。第2楽主題直前の茫洋とした空気の中にも神秘のニュアンスが漂い息を呑み、その第2主題はヴァイオリンとチェロのハーモニのなんという高潔さ!外面性を徹底的に排した第3楽章を経て、終楽章は以外にもスピーチに開始しますが、響きのニュアンスを欠くことはありません。これはチェリビダッケ的と言うより絶頂期のシューリヒト風。どんな大音量でも混濁しない第3主題直前の4:19からのヴァイオリンのトレモロは、まるで泉から突然女神が現れるような美しさ!6:51〜7:27の孤独感も前代未聞。12:49からの追い込みでの響きの凝縮力の高さ、構築の盤石さも忘れられません。
「第7番」。第1楽章冒頭のトレモロからイチコロ!ピアニッシモを活かそうとするあまり弱々しいだけの演奏とは異なり、隈取を明確に描いた筆致が心を直撃。ハーモニーの高潔さは相変わらずですが、その根底には確かな意志が常に宿り、この作品を立体感的に再現することを意識した演奏。ここでもチェリよりもシューリヒトを彷彿とさせるフレージングの微妙なニュアンス表出に心を奪われ続けますが、呼吸の大きさ、深さに関しては有名なシューリヒト&ハーグPO番を凌ぐといえる説得力を誇ります。それどころか、5:31からの弦の主要動機の味わいとリズムの意味深さは過去最高とさえ言いたい!これが決して大げさな形容ではなく、偶然の産物でもないことは第2楽章でいよいよ明らかとなります。この楽章、とにかく全てがツボ!もはやその素晴らしさは説明不能で、涙なしに聴き通すのが不可能です。終楽章では強弱の変化に伴ってニュアンスも変わるという当たり前のことを愚直に行うことが、特にブルックナーに於いてはいかに大切であるかを痛感。つまり音量を増減させているだけにしか聞こえない演奏がいかに多いかということを思い知ることになるのです。そしてコーダ!11:54からのホルン。これ以上の響きが考えられるでしょうか!!
「第8番」は、チェリビダッケ晩年の大伽藍のような壮大さではなく、室内楽的な緻密な声部の積み重ねを大切にした演奏。第1楽章第2主題のフレージングの弛緩の一切ない呼吸と、テヌートではあってもべとつかない響きの質感によって、普段聴き慣れた演奏以上に音楽の高潔さが際立つ結果となっています。展開部導入での繊細で深いニュアンスと声部間の見通しの良さも特筆もの。。第3楽章がこれまた絶品!冒頭の開始はまるで深い溜息のよう。しかし響きに濁りがなく、祈りの精神が着実に宿っているの、その美しさたるや例えようもありません。今まで影を潜めていた低弦の渾身のうねりを経て、ハープが加わる頃には完全にノックアウトですが、この演奏の凄さはこれにとどまりません。この楽章の素晴らしさは誰もが認めるところで、今までにも多くの感動的な演奏が誕生していますが、マンデアルの行きに達していた演奏がどれだけあったでしょうか?とにかく、惰性で鳴っている箇所など1秒もありません!終楽章は一見地味で、もちろんティンパニの派手な強打などありません。その代わり徹底的に目の詰んだハーモニーから醸し出されるニュアンスは全てが至純の極みで、この大曲がこのようの自発的に湧き上がるという現象も驚異的と言うしかありません。再現部の主題斉奏後にシンバルが加わるのは意外な選択。
「第9番」。第1楽章冒頭、ホルン、ティンパニ、トランペット、全てがこれ以上の響きはあり得ません!その直後の果てしなく深い呼吸、毅然とリズムが立つ弦…何もかもが信じられません。しかも第2主題の深淵さといったら、シューリヒトもレークナーも小粒に感じるほどの求心力!第2楽章は宇宙の怒りを再現。しかし、リズムのエッジを尖らせて恐怖を露骨に表面化させることなく地殻変動のように音楽を根底から揺さぶるのです。トリオがまた驚愕!これほど入念なアゴーギクを施し、そのコントラスに意味を持たせた演奏を他に知りません。そして第3楽章は宇宙の神秘。鬱蒼とした森の闇を突き抜けた別次元の音楽であることを再認識させてくれます。なんといっても凄いのは、25:13以降の最高潮点。弦のアルペジョ音型がこれほど胸を突き刺す演奏が他にあったでしょうか?
 それにしても、40歳代前後でこんな含蓄に富んだブルックナーが実現できるとは!この全集に心の奥底から感動を覚える一方で、還暦を過ぎてもR・シュトラウスのようなサウンドに置き換えて満足している指揮者が現存するのは本当に腹立い限りです。
なお音質はメジャーレーベルのような安定感はありませんが、音楽の興を削ぐものではなく、むしろこのスッピンの録音がブルックナーの音楽を生かしているさえ思えてしまうのですから、この全集が尋常ではないということはお察しいただけると思います。【湧々堂】

ブルックナー/BRUCKNER
交響曲2番ハ短調 WAB.102

King International
KKC-2009(2CD)
ブルックナー:交響曲第2番(ノヴァーク版)
交響曲第4番「ロマンティック」(ノヴァーク版)*
オットマール・スウィトナー(指)NHK響

録音:1980年11月27日NHKホール/ステレオ、1971年12月6日東京文化会館/ステレオ*
スウィトナーらしい、重厚でありながらも一切深刻ぶらないブルックナー。
「第4番」は、スウィトナー初来日時の演奏で、ライナーに掲載されている大木正興氏の文章にある通り、N響の自発性がいかんなく発揮されているのが特徴的。第1楽章から実に清々しく、第2主題がこれほど虚飾なく素直に歌われることも珍しいのではないでしょうか。第2楽章さえも常に明るい日差しが立ち込め、和声の見通しもよく、インテンポを貴重とした進行が清々しい空気を運びます。第3楽章は荒削りなほど推進力満点。終楽章も一切身構えた所がなく、音楽の輪郭を明確にしながら生の歓びを謳歌。9:42からの極めてロマンティックなはずの弦の楽想が、野武士のように荒くれているのにも驚愕。
 更に感動的なのが「第2番」。これは、マタチッチ晩年の「第8番」と並ぶ名演奏と叫ばずにはいられません!
必要以上に表情を後付けせずに、素直な進行を目指した点では「第4番」と同じですが、この9年間のスウィトナーの円熟には目を見張るばかりです。第4番とは曲想が異なる点を差し引いても、内省的な深みが格段に増していることは第1楽章第2主題で既に明らかで、スウィトナーの持ち味である歌の要素もバランスよく配合。そしてコーダの響きの雄渾さ!第2楽章は最初の出だしからオーラを感じ、ホルンの副主題が登場する前の静謐さや、3:31からの主題回帰のしなやかさは心を捉えて離しません。コーダの難関ホルンも敢闘賞もの。第3楽章も粗野な楽想をそのまま放出せず、音の凝縮ぶりが素晴らしく、格調高い緊張が漲ります。
 その緊張は終楽章で更に熱く強固となり、N響もコンディションを崩さず、自発的な音楽奉仕に専心。魂を感じない音など一音も存在しません。この名演だけでスウィトナーをブルックナー指揮者と格付けなどできませんが、少なくとも「第2番」に関しては、曲の構造面のみならず、音の全てに精神を凝縮し尽くした点で、古今を通じて決して忘れてはならない存在だと確信した次第です。【湧々堂】

ブルックナー/BRUCKNER
交響曲第3番ニ短調 WAB.103

Coviello
COV-30614(1SACD)
ブルックナー:交響曲第3番(第1稿ノヴァーク版) マルクス・ボッシュ(指)アーヘンSO

録音:2006年5月6日(ライヴ)アーヘン/聖ニコラウス教会
“第1稿の先鋭さよりも深遠なニュアンスを引き出した画期的名演!”
 聖ニコラウス教会の豊かな残響を十分に生かしつつ、ハーモニーを混濁させず美しい音像を繰り広げ、フレージングの求心力も抜群。なによりも研究レポートのような理屈で固めた演奏とは一線を画す純朴な音楽性に心奪われます。第1稿を使用しているにもかかわらず過度にエキセントリックに走ることなく、ブルックナーの音楽の呼吸感を直感的に理解している人ではないでしょうか。
 第1楽章展開部最後の沈静のニュアンスも、全く衒いを見せずに淡々と表出させながら余韻を残すのは、決して教会の響きのせいだけではありません。
 第2楽章も何もしていないに等しいくらいですが、「心を込めたフレージング」の意味を痛感させてくれるのは近年稀です。第2主題の微妙な陰影も、ブルックナーに心から共鳴していなければ表出不可能でしょう。
 第3楽章はテンポ運びが素直で、素朴なダイナミズムが遺憾なく発揮されます。終楽章ではこの演奏の素晴らしさとボッシュの音楽センスの高さはいよいよ決定的となります。一般的な第3稿に比べて刺激的な響きが目立つ第1稿において、ここまで自己アピールを捨てて、音楽一途に奉仕できるものでしょうか。ドイツ最古のオーケストラのひとつであるアーヘン響の力量と響きも大貢献。 【湧々堂】


QUERSTAND
VKJK-1017(1SACD)
ブルックナー:交響曲第3番(1873年第1稿) ヘルベルト・ブロムシュテット(指)
ライプツィヒ・ゲヴァントハウスO

録音:2010年9月ライヴ
“初稿版「ブル3」の基準とすべき、確信に満ちた名演奏!”
 ブロムシュテットは、1998年のゲヴァントハウス・カペルマイスター着任コンサートでも、初稿版「第3番」を演奏しており、N響定期でもたびたび取り上げるなど、この作品へ並々ならぬ共感を示しています。そのN響との共演においてもこの版の革新的な響き、アンサンブルの難所をむしろ楽しかのように指揮していたのが印象的でしたが、このCDでも響きのユニークさ、一見いびつとも思える楽想転換をかけがえのない魅力として聴き手に伝え、決して失敗作などではないことを実感してもらいたいという熱い思いがひしひしと伝わる感動的な演奏となっています。
 特徴的なのは、ホールのトーンとオケが持つ響きが渾然一体となったニュアンスの深み。それに瑞々しい推進力!もったいぶったアゴーギクを回避して、常に前進を目指したアプローチにも関わらず、元気すぎる軽薄な音楽に堕していないのはさすがブロムシュテット。特に第2楽章で見せる、繊細なの歌心と敬虔な祈りと一体となった佇まいや、第3楽章でリズムの躍動を意図的にゴリゴリと抉り出すのではなく、全パートが一丸となって自然発生的な弾力感を表出しているのは、まさにブルックナーへの本物の共感の証し。終楽章では、オケの機能美が全開。冒頭部分は快速テンポで疾走しますが、響きに透明感を確保しているので、脂ぎった猛進に陥ることはありません。展開部の難所(7:39〜8:30)のアンサンブルの鉄壁さには思わず鳥肌が!
 オケが巧すぎてアンサンブルに軋みがなさ過ぎると、ブルックナーらしい渋みが吹き飛んでしまうと思われがちですが、この演奏ではむしろその巧味と自然な音楽の流動性によって、極めて純朴で人為的な演出など受け入れない素のブルックナーの息遣いがストレートに伝わってくるのです。【湧々堂】


WEITBLICK
SSS-0042
ブルックナー:交響曲第3番 ヘルベルト・ケーゲル(指)
ライプチヒ・ゲヴァントハウスO

録音:1986年(ステレオ・ライヴ)
“勇猛果敢!ドイツ魂炸裂の「ブル3」決定盤!!”
 以前PILZから発売された「ブル8」も迫力満点で感動的でしたが、この「ブル3」は、曲の性格からもその熱い没入スタイルが隅々までプラスに作用し、ドイツ流儀の雄渾なブルックナー・サウンドが真正面からストレートに迫る名演です。ゲヴァンとハウス管は、マズア(ケーゲルの宿敵)が指揮するようになってから、本来の音の厚味みを欠いてしまったと言われたりしますが、コンヴィチュニー時代を髣髴とさせる重厚さを決して捨て去っていなかったことを知るだけでも大収穫です。神秘の森を手探りで進むうちに突如巨木が出現するような第1楽章冒頭から完全ノックアウト!いぶし銀の音色で貫徹した壮大な響きもそれ自体が感動的で、決然とした意志が漲るコーダまで、聴く側も緊張の連続です。
 第3楽章の中間部は、呼吸といい伸びやかなテンポといい、これぞレントラーの真髄と言える瞬間。
 終楽章に至っては、荘厳さと素朴さが完全融合。5'20''から最高潮点への登り詰め方は、前代未聞のスケール感で手に汗握ります。これは、ブルックナー・ファン、ドイツの伝統的なオケの響きを堪能したい方にはこたえられない魅力がたっぷり詰まった一枚です。
  【湧々堂】


BBC LEGENDS
BBCL-4079
ブルックナー:交響曲第3番(第2稿・エーザー版) ロヴロ・フォン・マタチッチ(指)
フィルハーモニアO

録音:1983年(デジタル・ライヴ)
“祈りを湛えながら、全身で作品の核心に肉薄する驚異の名演奏!”
 マタチッチの死の2年前の豪放かつ神がかり的な演奏で、彼のブルックナー録音の中でも特に傑出して感動的な名演奏です。第1楽章序奏の弱音には強靭な精神が宿り、第1主題が圧倒的な逞しさで聳え立つところから、紛れもないマタチッチ流。展開部では、火の中に飛び込むような怒涛の突進と、続く弦の透徹した弱音が鮮烈な対比を見せますが、感情剥き出しの一歩手前の所で音像が結晶化し尽しているので、神の宣告のような光を湛えながら迫ります。
 第2楽章も表面的な美しさとは無縁。後半で音楽が熱く高揚しても、そこには常に祈りがあります。第3楽章は、ティンパニ(全体を通じ、ティンパニの巧さは必聴!)の急速な強弱変化の激烈さ、地底から沸き立つようなリズムのうねり、中間部の木管の些細なパッセージから低弦の抉りに至るまで満遍なく光を湛え、異次元的な空間を表出する様は、通常のスケルツォの概念をはるかに超えています。
 終楽章に至ってはもう圧巻!冒頭の弦の刻みは、まさに大宇宙の律動として響き、第1主題のとてつもない迫力がそれに追い討ちを掛け、続く弦のフレーズ結尾のクレッシェンドが峻厳さを加味するというように、作品の根源的な意味に肉薄する表現の連続技に、息つく暇もありません。コーダの雄渾を極めたまさにブルックアー・サウンドは、いつまでも鳥肌が引かないほど感動的で、この響きがどちらかというと小起用なイメージのフィルハーモニア管から発せられていることのも驚きを禁じ得ません。

 デジタル臭がなく、自然な臨場感を捉えた録音も特筆もの。
  【湧々堂】

ブルックナー/BRUCKNER
交響曲第4番ホ長調 WAB.104

Signum Classics
SIGCD-256
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(ハース版) クリストフ・フォン・ドホナーニ(指)
フィルハーモニアO

録音:2008年10月30日、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール・ライヴ
“自ら主張せず、どこまでもブルックナー自身に語らせた理想の名演!
このレーベルの今までのドホナーニ&フィールハーモニアOの録音は全てが名演でしたが、このブルックナーもクリーヴランドOとの旧録 音から20年を経て、今やすっかり巨匠の風格を備えたドホナーニの円熟芸を堪能できる一枚。小細工を施さず実直にスコアに対峙する姿勢は変わりませんが、造型の安定感と、声部を混濁なく自然に融合させながら豊かな風合いを編み出す手腕は着実に進化を遂げているのがわかります。一見穏健な進行を見せているようで、
 第1楽章展開部などは抉りの利いたニュアンスも見せ、9:07の抜群にうまいホルンのフレーズからは、陰影豊かな表情が心を打ちます。バランス感覚の素晴らしさという点では第3楽章が聴きもの。十分に推進力を湛えたテンポ感といい、オケの機能美(特に木管の細かい音型の自然な生かし方!)といい、パーフェクトとしか言いようがなく、中間部はフレージングの間合いの良さが比類なく、それによって単なる素朴な風情を超えた異次元に聴き手を誘うのです。しかも造型のなんと堅牢なこと!
 終楽章はまず、冒頭木管群のオクターブ進行に漂うニュアンスにご注目を!技術的な巧味もさることながら、自然で穏やかな表情を見せながらも強烈な主張を内面にタップリと温存したような独特の含蓄を持つ響き!これこそが80歳を目前にしたドホナーニの到達した境地ではないでしょうか。1:13〜1:16の呼吸の溜めの絶妙さ、その後の決然としたティンパニ強打が最大に生きた音像の圧倒的な聳え立ちは、筆舌に尽くしがたい素晴らしさ!5:21からは全体が一丸となった豪壮な鳴りっぷりですが、感覚的で皮相な響きはどこにもなく、もちろん場違いなマッチョな響きとも無縁。真にブルックナーを理解し、響きの有り方を十分に吟味し尽くした指揮者だけが引き出し得る響きであることを痛感するばかりです。
 ブロムシュテットのブルックナーを心から素晴らしいとお感じの方なら、きっと共感いただける感動作です!【湧々堂】


King International
KKC-2081(2CD)
カイベルト/ブルックナー他
ハイドン
:交響曲第94番「驚愕」
モーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」#
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」*
ヨゼフ・カイルベルト(指)
NHK響

録音:1968年5月14日、21日*、22日# 東京文化会館(ステレオ)
“カイルベルト、死の2ヶ月前の壮絶ライヴ!”
 カイルベルトの死の2ヶ月前、最後の来日時のあまりにも感動的な名演集。質実剛健なその至芸をたっぷり堪能することが出来ます。
ハイドンは、媚びるような表情が一切なく、どこまで言ってもスコアを上の音符を立体的に構築することに専心。第2楽章でも中低音を重視した響きで構えが大きく、極めて純音楽的進行を貫くのが逆に新鮮。びっくりにの一撃は、レオノーレ第3番序曲の冒頭のような勇壮さ。ニヤリとする素振りすら見せません。第3楽章ではリズムの重心が常に下方へ向かい、無骨さの極み。終楽章に至っても吹きれたような晴朗な空気が立ち込めることを固く禁じた強固な音楽が流れます。聴き手を夢見心地にさせないという点ではクレンペラー以上かもしれません。
 そのスタイルが更に作品と融合し、強い説得力を放つのがモーツァルト。第1楽章第1主題で弦の音価を厳格に統制し、0:35からのフレーズを鉄壁のイン・テンポで押し切る男らしさにシビれる方も多いことでしょう。弱音の多用を避けた第2楽章での克明なニュアンス表出も絶品!これを聴くと、多くの指揮者が繊細さに囚われるあまり音楽を萎縮させてしまっていることに気付かされます。終楽章は、カイルベルトの尋常ならざる意思力に圧倒されっぱなし。0:31で一瞬ルフとパウゼを挟むのは旧スタイルの名残りですが、その確信的なアプーローチを前にして、古臭いなどという印象など微塵も与えません。
 ブルックナーは、精緻な演奏に慣れた耳には大掴みな演奏に感じるかもしれませんが、少なめの残響と、今ほど技術的に洗練されていないオケの機能性が、良い意味での雑味となってかけがえのない味わいに転じています。音楽の築き方はハイドン、モーツァルトと基本的に同じで、後付けのニュアンスなど一切ない実直なダイナミズムに溢れたもの。第1楽章展開部の猛々しい響きはカイルベルト節そのもの。第2楽章も主張が強く、瞑想的なニュアンスとは一線を画します。終楽章の内容の濃さも圧倒的。5:29〜6:30までの響きの充実ぶりには当時のN響の持てる力のすべてが凝縮れており、その最後の一音まで渾身の音を出し尽くしているのが分かります。そして腰を抜かすほど凄いのがコーダ!「格調」とか「透徹」といった衣を完全に脱ぎ去った異常な高揚感!どんな敬虔なブルックナー・ファンでも、これほどの音楽的な衝動に異を唱えることなでできましょうか!
 とにかく、ブルックナーの音楽のゴツゴツとした造型の妙味をこれほど痛感させる演奏はなく、もちろん将来も望めません。【湧々堂】


BBC MUSIC MAGAZINE
BBCMM-238
入手不可
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」 イオン・マリン(指)
BBCスコティッシュSO

録音:2001年11月2日スコットランド・アバディーン・ホール(デジタル・ライヴ)
“恐るべき才能!透明感と重厚感の絶妙バランス!”
 イオン・マリンの作品に対する敬意と自己表現との絶妙なバランス感覚は、N響定期演奏会でも実証されていますが、それをブルックナーにおいても全く変わりなく実現できるとは、やはり只者ではありません!
とにかく、これほど瑞々しいブルックナーも珍しいでしょう。この作品特有の美しい旋律線を臆することなく表出しつつ、ブルックナーならではの幽玄さはスコアの力だけを信じて自然に引き出せるとい確信が全編に生き、音楽に自然な息遣いを与えているのです。
全体にテンポは遅めで、ニュアンスは常に入念。華麗な音響のデモンストレーションに陥る心配などどこにもありません。
 第1楽章展開部では、それまでの透明感重視の音作りに豪放さも加味し、音楽が一層豊かなな風格に溢れます。その設計の確かさ、造形力の高さが最大に発揮されるのが終楽章。冒頭の弦のアルペジオに微妙な強弱を与えていますが、これが実に自然。曲が進むに連れ、白亜の殿堂のような音像を引き出し、力任せではない荘厳な空気感を炙り出すという手腕には、驚きを禁じえません。そして驚異のコーダ!こんなに呼吸が大きく、楽器を鳴らしきりながら華美に走らず、圧倒的な感銘を与えてくれる演奏は、少なくとも今世紀初の体験です!アバディーン・ホールの豊かな響きが、この名演をを支える重要な楽器としている点も、忘れるわけにいきません。【湧々堂】


Pentatone
PTC-5186.321
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」 ハンス・フォンク(指)
セントルイスSO

録音:2001年4月19日〜21日パウエル・シンフォニー・ホール(ステレオ・ライヴ)
“高潔美!ハンス・フォンクの恐るべき芸術性を再認識!”
 この録音を聴くと、フォンクのブルックナーは高評価を受けながら全集の形で録音を遺してくれなかったことが悔やまれてなりません。まず、オケの響きの素晴しさ!知らずに聴いたらアメリカのオケだと気づく人はほとんどいないでしょう。そのヨーロッパ的なサウンドの魅力をたっぷり湛えた響きにのせて醸し出されるのが世にも美しい「ロマンティック」!スクロヴァチェフスキのような理知的で凝縮力の強い造型を目指すアプローチとはある意味対極にあり、あえて言えばケンペのブルックナーに近いかもしれません。全編を通じて息づく温かな詩情がこの作品固有の魅力を引き立て、ヒューマンな印象を与えながらマーラーのようなドロっとした人間臭さには陥いらない、その絶妙なバランス感覚に脱帽です。フォンクの音色に対するセンスをもっとも痛感させるのが第3楽章の中間部。弦も管もヴィブラートを徹底的に抑えて素朴さの極致!そのあえて感情を注入しない淡々とした流れがこの楽想の自然発生的な美しさを十二分に伝えているのです。このヴィブラート抑制は、アーノンクールなどが行なうのとは全く意味合いが異なることにもご注目下さい。
 終楽章は当然のことながらもっとも力感に満ちた演奏ですが、トゥッティの美しさと精神的に浄化し尽された響きの魅力に言葉を失います。素朴な美しさを保った第2主題は弦に移行するとややテンポを速めますが、緊張感も共感の度合いも薄まることなく音楽を有機的に連鎖させていく手腕にもハッとさせられます。コーダは予想通り一切もったいぶらずストレートな進行でありながら、爽やかな開放感とは無縁の精神的高揚を実現するとは、何という含蓄に富んだ至芸でしょう!そして最後の大斉奏!こんな高潔で内燃力を孕んだ締めくくりが他にあるでしょうか!!
 ブルックナーの交響曲の中でももっともロマンティックでありながら、情に傾きすぎるとブルックナー自体が死んでしまいかねない第4交響曲ですが、その意味でもフォンクの芸術性と見識の高さに心から敬意を表さずにはいられません。
  【湧々堂】


TAHRA
TAH-9901(2CD)
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」
交響曲第7番
ハンス・シュミット・イッセルシュテット(指)
北ドイツRSO

録音:1966年(第4番)、1968年(第7番)
※共にステレオ
“偉大なる素朴さ!名コンビによる至高のブルックナー!”
 VPOとのベートーヴェン録音の穏健さから一気に突き抜け、信念の熱情を徹底注入した感動的なブルックナーです。カイルベルトを思わせる剛直な構築をベースに、一切の虚飾を排しながら、一途にスコアをありのまま鳴らせ、特にトゥッティの響きの厚みと、高潮へ向けてのストレートな畳み掛けは、ドイツ音楽を愛する方なら、これだ!と膝を打つこと請け合い!
 「ロマンティック」の第3楽章の金管(特にホルン!)の深い響き、終楽章冒頭の菅のオクターブ跳躍での、人間味と峻厳さを兼備したニュアンスなど、音を美しく整えることばかりに頓着している指揮者には到底表出不可能でしょう。
  【湧々堂】


LPO
LPO-0014
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(ハース版) クラウス・テンシュテット(指)LPO

録音:1989年12月14日ロイヤル・フェスティヴァル・ホール(ステレオ・ライヴ)
“テンシュテットの同曲解釈の最高に結実!”
 EMIの録音がややマーラー的な生命力を感じさせ、デジタル録音初期の特徴であるややキンキンとした音だったのに対し、ここでは常に音楽が内面の熟成を湛え、ドイツ的な響きでブルックナーの醍醐味をとことん痛感させる名演となっています。第1楽章の原始霧から意味深く、木管のテーマも実に丁寧なフレージング。金管の響き(5:46〜等)が決して輝きすぎることなく、低弦の彫琢(5:55〜等)もこれまた見事!そしてコーダのがっちりと凝縮された熱い響き!
 神秘的なロマンが深々と流れる第2楽章も感動的。そのニュアンスは、テンシュテットの解釈として浮き立つことなく、ブルックナーが持つ構築性の中で息づいているので、語りかける力が一層強く感じられます。LPOが持てる最高次元のアンサンブルを披露している点にもご注目を。
 第3楽章はEMI録音でも元気一杯の演奏でしたが、ここでも金管を中心とした咆哮が凄まじく迫ります。しかし、テンポの急緩の差が音楽にメリハリをつけることに確実に作用していることが分かり、何よりもこれほどの推進力を見せながら響きが軽薄にならず、意志の力を込めぬいた演奏も珍しいのではないでしょうか。
 終楽章は感動の極み!最初のティンパニ一撃のなんと雄渾な響き!例によってシンバルが追加される版を採用してはいますが、音が外に向って放射される感を与えないので、説得力抜群。レンジが極めて広く、隅々まで良く鳴り響くブルックナーで、その点でテンシュテットのブルックナーをを敬遠されてきた方も、この極限まで完熟を見せた言っても過言ではない演奏には心打たれるに違いありません。終結部でのじりじりとした音像の浮上のさせ方と呼吸の広大さ!言葉が出ません。
 ライヴながら会場の伊豆がほとんどなく、音そのものも極めて明快なのもありがたい限り。同レーベル第1弾のワーグナー作品集と同質の感動がここにあります。 
  【湧々堂】

ブルックナー/BRUCKNER
交響曲第5番ロ長調 WAB.105

東武レコーディングズ
TBRCD-0012
ブルックナー:交響曲第5番 ペーター・マーク(指)
東京都SO

録音:1986年4月10日東京文化会館、デジタル録音(第233回定期演奏会ライヴ)
※解説(日英)、サウンド・マスタリング:WEITBLICK
 この感動を何とお伝えしたらよいでしょう!チェリビダッケに代表されるような作品の構築性を全面に打ち出した大伽藍様式の演奏と対極にある演奏で、第4番の延長線上に位置づけ、自然から宇宙へと連なる大自然交響曲として捉えた画期的な名演と言っても過言ではないでしょう。辺りを払うような威厳よりも極めて純度の高いハーモニーを絶やさず、伸びやかに颯爽と繰り広げられる、この作品に潜んでいた魅力を続々と現出させる魅力に取り付かれた最後まで気が抜けません。しかも、一見自由な解釈を行っているようでいて、最終的にはきちんとブルックナーの音楽に帰結させる手腕!やはりマークの音楽的センスと才能は尋常ではなかったのです!
 まず第1楽章はそのテンポの速さにびっくり。従来の作品の構造的な側面を念を押すように抽出する手法に背を向け、メロディーラインとハーモニーの豊かさに心を傾注させていることはこの時点で明らかで、同時に、この作品がロマンなの豊穣な息吹を湛えていることをつくづく痛感させられます。第2主題のピチカートには意志の力とデリカシーが息づき、これこそ本物の共感の証し!展開部に入るとテンポの緩急とフレイージングの濃淡に更に拍車がかかりますが、そこには常に人間的なぬくもりが宿っているので意味深さはひとしお。
 第2楽章は、弦が刻むリズムは自然の律動そのものとして迫り、恐ろしく成業されたイン・テンポによって説得力が増幅。第2主題の草書風の佇まいと大きく清々しい呼吸も聴きもの。
 第3楽章は金管が熾烈にぶつかりながらも全く煩さを感じさせじさせず、マーラーのような感情剥き出しの音楽とは明確に一線を画している配慮にもマークのなみなみならぬ配慮を感じ感じずにはいられません。5:11以降の連打音の驚異的な精密さにもご注目を!終楽章は、この演奏会が、チェリビダッケと並んで日本で鳴り響いた「ブル5」の最高峰であることをいよいよ確信させる凄演!7:50以降のとてつもなく深い情感と弦が一貫して弾き通す持続音の至純の美しさは言語を絶します。そしてコーダの大感動!
 部分的に見ればユニークな解釈に事欠きませんが、作品に対峙する姿勢には一切ハッタリや誇張はなく、ブルックナーの思いに心しながら豊かに音楽を奏でること集中した結果出来上がった、紛れもなく骨の髄までブルックナーの音楽なのですシューリヒトのブルックナー愛する方なら、この演奏の凄さをきっと痛感していただけることでしょう。それと忘れてならないのは都響の巧さ!終楽章の最後までマークの指示に完全に従い、集中力も全く途切れません。
 私はこの「ブル5」をこんなにも愛おしいと感じながら聴き通した経験はかつてありません。 【湧々堂】


TAHRA
TAH-247(2CD)


TAH-661(2CD)
ブルックナー:交響曲第5番 オイゲン・ヨッフム(指)
アムステルダム・コンセルトヘボウO

録音:1986年12月3-4日(ステレオ・ライヴ)
“あらゆる条件が完備!ヨッフムの最後のアムステルダム公演ライヴ!”
 重厚かつ敬虔な響きに溢れた演奏は、ブルックナーを味わう上での最大の醍醐味ですが、その点でこの演奏はまさに極めつけの名演奏!特に対位法の経典とも言うべき「第5番」は、リズムが老朽化してしてしまってはその構築の妙が埋もれてしまいがちですが、この演奏はまさに磐石!晩年のライヴですが、単なる旧態然として演奏ではなく、リズムが終始瑞々しく、コンセルトヘボウ管もかつてのいぶし銀の深みを湛えて、体全体で共感しながら巨匠と音楽を体感していることがひしひしと伝わります。第1楽章冒頭の減のピチカートに続いて現れるアルコの導入部旋律のなんという幽玄さ!トゥッティの荘厳なニュアンスも、一気にブルックナー特有の宇宙へ誘発する力が宿っています。第1主題が現れる直前の盛り上がりで見せる呼吸の持久力と威容は、まさにヨッフムの絶頂を示すものです。主題のフレージングの豊かな伸縮性も、程よくごつごつした感触を残しながらも符点リズムを息づかせる技も、ブルックナー・ファンを唸らせること必至の魅力。続くピチカートの第2主題!単に正確なだけでは表出され得ないこの奥深さは、ここだけ繰り返して聴きたくなる衝動を抑えられません。第3主題は、次第にスケールを増すうちにずんぐりとした野暮ったさが表に出てしまう演奏が多い中で、この神々しい造型の聳え立ち方は比類なし。
 第2楽章はACOの管のまろやかさ、弦のしなやかな音色がいっそう味わい深く迫ります。特に4:50からの走句神秘的な佇まいは印象的。心の底からブルックナーに浸りたいと思うとき、これこそそれに相応しい空間を築いてくれる演奏と言えましょう。
 急き立てながらも決して前のめりにならない第3楽章冒頭もブルックナーを真に体得した巨匠ならではの奥義!中間部の清々しい情感表出も見事ですが、冒頭のホルンの一音がこんなに心に迫るのはなぜでしょうか?また、ブルックナー特有の強弱の急激な段差が、豊かなホールトーンとともに絶妙に融合することによって醸し出される独特の温かなトーンも忘れられません。
 終楽章冒頭、最初に密やかに奏でられるクラリネットのオクターブ跳躍。このあまりの巧さにさっそく鳥肌!金管のコラール後、7:44からの浄化され尽くしたピュアな音色に至ってはもう奇跡としか言いようがありません!その後延々と続く対位法的な連鎖がかくも音楽的に流れるさまもめったに出会えるものでは有りません。部分的な魅力を記したらきりがありませんが、とにかく、「ある一部の大事な要素が欠けている」と思わせることがないと言っても過言ではないこの演奏。クラシック・ファンの宝です!音質もきわめて優秀なステレオ録音。
  【湧々堂】


BBC LEGENDS
BBCL-4033
ブルックナー:交響曲第5番 ヤッシャ・ホーレンシュタイン(指)
BBC響

録音:1971年9月15日(ステレオ・ライヴ)
※DESCANT盤、MUSIC&ARTS盤と同一音源。
“ホーレンシュタイン特有の巨大造型と曲の特性が絶妙にマッチした凄演!”
朝比奈のような素朴さとは正反対のブルックナー。ホーレンシュタインの巨大に聳える音響志向と、ハーモニーの潔癖さ、勘所でのティンパニ強打、暗い音色などは、ブルックナーよりもマーラーで威力を発揮し、実際に「第3番」等の超名演を遺していますが、この「ブル5」は曲の複雑な対位法的な絡み合いと、頑丈過ぎるくらいの構築感が、ホーレンシュタインの資質と見事に融和し、絶大な説得力を生み出しています。第1楽章の冒頭は、さっそくホーレンシュタインならではの暗さで、「ハルサイ」の一場面の思わせるほどの不気味な息の潜め方ですが、トゥッティでは真っ直ぐに天まで伸びる勢いの壮大な音像に圧倒されます。フレージングは独特の緊張に満ち、アゴーギクは最少。じりじりと胸に迫るのではなく、深い部分で曲に共感しながらも現実的な音の表出に徹しているので、曲の仕組みが生々しく提示されることになります。そのため、第2主題のピチカートは超然とした偉容を誇り、第3主題も素朴な雰囲気など曲の本質とは無関係とばかりに、リアルなな音像が迫ります。第3楽章のティンパニの重量感もホーレンシュタインならではの凄み。圧巻は終楽章!クラリネット・ソロの跳躍の太く克明な吹かせ方に戦慄が走り、直後にはティンパニが剥き出しの激烈強打を2発!怪物のように襲いかかるバスの第1主題!これを機に一変にアンサンブルがギュッと凝縮され、延々と緊張を持続しながら曲の内部構造を赤裸々に現出します。第2主題第3群(5:40)の箇所のスケール感は、宇宙の大律動そのもの!この異常なまでに巨大な音楽は、このロイヤル・アルバート・ホールででなければ収まり切らなかったことでしょう。特にスクロヴァチェフスキのようなタイプのブルックナーがお好きな方は、それをもっと骨太にしたようなこの演奏は必聴!音質も良好。  【湧々堂】

ブルックナー/BRUCKNER
交響曲第7番ホ長調 WAB.107

WEITBLICK
SSS-0102-2
ブルックナー:交響曲第7番(ノヴァーク版) ジョルジュ・プレートル(指)
ベルリン・ドイツSO

録音:2006年5月1日ベルリン・フィルハーモニーに於けるライヴ録音
※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
“「ブルックナーらしさ」よりも音楽的な感動を優先したい人のための必聴盤!”
 なんという伸びやかなブルックナーでしょう!しかもかつて誰も引き出しえなかったこの作品の魅力を「拡大解釈」を用いずに引き出した功績はいくら讃えても足りないほどです。
 第1楽章冒頭の弦のトレモロを聴いただけで、名演奏であることを確信させるほど、詩的なニュアンスがふんわり立ち上がります。そのトレモロはかなりの弱音で開始しますが、決して無機質ではなく繊細な心のときめきとして響き、なおかつ通常のブルックナーのイメージを突き抜けた、夢色の色彩が微妙な陰影を伴いながら広がる様にワクワクさせるものが孕んでいるのです。第2主題は全く粘らず、春風のような清々しさを放つのはいかにもプレートル的ですが、感覚的な魅力だけでなく、そうもそうそういう瑞々しい生命の息吹を湛えた音楽であるのだという確信に裏打ちされたニュアンスの求心力の高さに心打たれるのです。第3主題も同様。ある意味でシューリヒト以上にシューリヒト的とも言えましょう。そしてコーダでは物々しい鎧を完全に取り払い、全身で生を謳歌!これは画期的解釈という次元ではなく、自身の感性を信じることがいかに重要で、聴き手を感動に与える必須条件であることを痛感させる必聴シーンです。
 第2楽章は弦のテーマが伸縮硬軟自在の豊かなフレージングにこれまたノックアウト!しかも全声部が完全に融合しきった窮極の響きが何の力みもなく自然発生的に湧き出るのですからたまりません。羽のように軽妙な第2主題の香しさ!心の底から歌いながらも歌い込み過ぎによる停滞感などあり得ず、有機的な流れを絶やさないまさに熟練技。
 第3楽章もかつてないほどの健康的な明るめの響き。いわゆる「ブルックナーらしさ」に囚われていては思いも付かないニュアンスの連続です。今までねじ伏せられていた音符たちが一斉に命を吹き返したような活力が「やりすぎ感」や「場違い」のイメージを与えることなく当然のように鳴り渡る、これぞプレートルの芸術の真骨頂でしょう。
 終楽章も表面的にはサラッとした感触ですが、内容は濃密。展開部冒頭テーマはなんという堅牢さ!ベルリン・ドイツ響が乾坤一擲、鉄壁のアンサンブルを披露しているのはプレートルへの絶対的な信頼の現れと言えましょう。コーダは第1楽章と同様に一気呵成型ですが、もちろん熱気で興奮を煽るそれとはことなります。「音の凝縮させる」という本当の姿を体現いただけるはずです。演奏後は聴衆もすぐには拍手をせず、一瞬ど惑いのような空白がありますが、聴衆の各々の引き出しにはない想定外の感動にあっけにとられたに違いありません。【湧々堂】
※演奏タイミング:[17:51][21:44][9:19][11:07]


WEITBLICK
SSS-0089-2
ブルックナー:交響曲第7番(ノヴァーク版) オイゲン・ヨッフム(指)ミュンヘンPO

録音:1979年11月8日ヘルクレスザール・ミュンヘン,ステレオ・ライヴ
※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
“作品の持ち味とヨッフムの音楽性が渾然一体となったかけがえのない名演奏!”
 細部を緻密に積み上げると言うより、全体のおおらかなニュアンスを大切にしたアプローチが美しく結実した名演奏!第1楽章で第2主題が現れるまでの自然で伸びやかなフレージングには淀みや音色のくすみがなく晴朗そのもの。リズムにも張りがあり、決して枯れていません。展開部冒頭のチェロの鬱蒼とした響きも、深みを湛えつつ沈鬱にはならずセンス満点。終結部は実に感動的で、遠近感を確保したホルンの響きと弦のトレモロとのコントラスト、大仰な見得を切らずにストレートに高揚しながら天高く舞い上がる清々しさは、この楽章独特の持ち味を心得た巨匠ならではの技でしょう。
 第2楽章に第1主題は、望洋のチューバが奏する箇所のあまりの呼吸の深さに驚ろかされ、弦のテーマが登場するとそれが惜しげもない愛情の発露に変化。ただでさえ美しいメロディーがこれほど切々と慈しぬいた例は他に思い当たらず、特に3:46からの弦の高音トレモロがせせらぎのように囁くのは、まさに心のときめきの結晶と言えましょう。
 第3楽章もリズムが一切もたつかず、しかもアゴーギクのツボが完全に染み付いているのでメカニックに響くことなど皆無で、素朴で人間臭いが躍動が自然に立ち上がります。特にフレーズの繋ぎ目で微妙にリタルダンドすることで生まれる味わい、綺麗な3拍子を振るだけでは決して表出されず、中間部の5:58からの弦のフレーズとホルンの掛け合いは、信じ難いほど絶妙!
 終楽章は感動の極み!特に「ブルックナーらしい響き」にこだわる方は尚のこと必聴!冒頭のリズム自体に主張が明確に宿り、聴き手の意識を一気に惹きつけます。ここでも響きを厳しく制御しているという痕跡を感じさせない至芸に脱帽するばかり。すべての楽想が意味深く表出されながら押し付けがましくなく、自然に発生的に沸き立たせるのはヨッフムの音楽作りの特徴の一つですが、その資質が作品の持ち味の中で最大限に生かされることによって、この楽章がこれほど内容の濃い音楽だったかと気付かされ方も多いことでしょう。3,4楽章はオマケのように言われることもありますが、もちろんこの演奏には当てはまらず、コーダの圧倒的な風格美を目の当たりにすると、構造的な第5番や第8番と異なり、この曲に限っては年輪を重ねなければ絶対に表現しきれない要素があると痛感ぜずにはいられません。【湧々堂】


QUADROMANIA
222116[QU](4CD)
ブルックナー:交響曲第7番
交響曲第4番#、第8番#、第9番*
ハンス・ロスバウト(指)南西ドイツRSO
ユストゥス・フランツ(指)フィルハーモニー・デルナシオーネン#、
ウィルヘルム・フルトヴェングラー(指)BPO*

録音:1959年ステレオ、1944年モノラル*
“決して冷徹ではない!構築美と崇高な精神の見事な融合!”
マーラーと共にブルックナーも得意としていたロスバウトのこの「第7番」は、ロスバウトならではのインテンポを基調とした隙のない構築美と、引き締まったリズムの冴えを生かして、絶大な説得力を生んでいます。しかも、変化に乏しい無機質な演奏に陥らず、オケの特性も手伝って音色にも微妙な陰影と奥行きがあり、あのシューリヒトの表現に近いものを感じさせます。
 第3楽章の完璧に正確なテンポに潜む不思議な推進力!終楽章では、強靭なピチカートや飾り気のない金管の高鳴りが確信に満ち溢れ、よく指摘されるこの楽章の存在感の弱さなど感じさせずに、崇高なニュアンスを表出し続けます。
  【湧々堂】

ブルックナー/BRUCKNER
交響曲第8番ハ短調 WAB.108

Altus
ALT-225(2CD)
ウィーン・フィル・ライヴ・エディション〜クナッパーツブッシュ
ブルックナー
:交響曲第8番
ハンス・クナッパーツブッシュ(指)VPO

録音:1961年10月29日、ムジークフェラインザール(モノラル・ライヴ)
“音楽的な条件の全てを持たす、クナの「ブル8」の最高峰!”
 クナッパーツブッシュの「ブル8」といえば、1963年のウェストミンスターのステレオ録音があまりにも有名ですが、2年前のこの録音では、オケ自体の馥郁たる持ち味とクナ晩年の巨大造形力が一体となって一層深い味わいをもたらしてくれます。第1楽章冒頭の主題が強音で繰り返される際の長い間合いと、あまりにも生々しい音像は、情報量の多さにのけぞるほどですが、感情の過剰な放射に傾くことなく、そのエネルギーの圧縮力に打たれます。第2主題の構えの大きさも驚異的で、この悠然たるテンポと極めて克明な音の隈取をそのまま真似しても、指揮者にそれを支える感性がなく、オケの響きに豊穣さなければ、恐ろしく退屈な演奏になることは容易に想像できます。
 第2楽章のリズムの重量感もまさにブルックナーを聴く醍醐味の極地。ピチカートの対旋律に象徴されるように内声の抉り出しも容赦なし。決して安らぎを与えることなく、強固な緊張を維持して新天地へ乗り出すような異様を示す中間部も絶品。ハープの響き(6:44)にもご注目を。この楽器が加わった途端に艶やかでしっとりとた空気を醸し出すのが普通ですが、ここではそれまで築いてきた艶消しの風合いを完全に引き継いだ音色で一貫しており、いかにクナのブルックナーに対するヴィジョンが明確であったかを窺わせます。
 第3楽章は白眉!出だしの弦のフレーズから滲み出る幽玄のニュアンスは、ウィーン・フィルの弦のヴィブラートがあればこそ実現した「揺らぎ」の妙!ノリントンは「ヴィブラートは純粋な響きを損なう」と言いますが、少なくともここでクナが目指す音楽の範疇ではそれは当てはまらず、例えば2:17からの弦がゆるやかに下降するフレーズの至純さを前にして、不純物を感じることなどあり得るでしょうか?
 終楽章は、冒頭のティンパニがカッコよく立ち回る痛快さとは無縁。各声部が各々の役割を弁えて音楽への奉仕に専念することがいかに重要であることか、また通常はティンパニの痛快さに大事な音楽的な要素を聞き逃していたかことか、つくづく思い知らされます。第2主題の呼吸は深く長いなどという次元ではなく、超人的な高み。第3主題はウェストミンスター盤よりも陰影が濃厚。11:42でのルフト・パウゼの意味も絶大。そして再現部冒頭では、この演奏がいかに桁違いの名演奏であるかを確信するに至ります。これに並ぶ内容量を湛えた渾身の響きが他にあるでしょうか?そして遂に訪れるコーダ!ウィーン・フィルが死ぬ気で最強音を発したらどういうことになるか、とくと体感して下さい。
 良い意味での手作り感を保ちながら、クナ独自の解釈が唐突感を与えることなく最後まで確信を持って響き、オケの演奏意欲も途絶えることがないという、音楽的な味わいを得るための条件が揃った、クナの「ブル8」の最高峰と言えましょう。ORFのアーカイヴからの復刻で、音質もモノラルながら鮮明。ピッチも正常。【湧々堂】


WEITBLICK
SSS-096-2
ブルックナー:交響曲第8番(ノヴァーク版) ジョルジュ・プレートル(指)
ウィーンSO

録音:2008年2月20,21日ムジークフェラインザール・ウィーン(デジタル・ライヴ) ※ 英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
“枯れない完熟芸!伝統とは無縁の真実の音楽”
 枯れずに完熟を極めるプレートルの芸術が、あの感動的なマーラーのみならずブルックナーでも横溢!ムジークフェラインの響きもプレートルの純粋な音楽作りに全面的にプラスの効果をもたらしています。ことにブルックナーとなると神格視する向きもありますが、プレートルは、プーランクであろうとドイツの重厚な交響曲だろうと、臨むスタンスは同じなのでしょう。ことさらに構えるのではなくただただ愛情一筋。その愛を注入せずにはいられないその衝動そのものが、音楽に瑞々しい説得力を与える原動力になっているのではないでしょうか。プレートルのマーラーはバーンスタインのように情念剥き出しタイプではないですし、このブルックナーは朝比奈のような愚直なまでの頑丈さもありません。それでも聴後にずっしりと手応えを感じさせるのは、決して上から見下ろして作品を料理するのではない、渾身の一体感の為せる技であると痛感することしきりです。
 第1楽章は、速いテンポで爽やかに開始するのがいかにもプレートル流ですが、決して軽い音楽に堕していない点が流石。フレーズは常に生命の躍動躍動そのものと化して脈打ち続け、一切淀むことがありません。第2楽章は誰よりも垢抜けた見通しの効いたハーモニーに溢れ、一般的ななイメージの無骨さとは無縁。それでも曲の持ち味とブルックナーならではの息の長いフレージングの有機性が維持されているのは、リハーサルにおいては相当綿密な指示を与えていることが窺われます。
 第3楽章のニュアンスの陰影も、旧来のドイツの指揮者のそれとは大きき異なりますが、ブルックナーの音楽特有の敬虔さが十二分に滲み出た感動的な演奏。第2主題第1句(5:19〜)のチェロが、しなやかな流線を描きつつも平板に滑ることなく丹念に置かれていく、その呼吸のなんという迫真性!
 終楽章は冒頭で鋭利にエッジを立ててガッガッと畳み掛けるのが意外ですが、続くティンパニの連打が前のめり気味に襲い掛かるのがこれまた強烈なインパクト。それでももちろん音楽が汚れることはありません。第3主題直前の弦の奔流の生々しさも、音楽を停滞させかねない鈍重さとは一線を画します。終結部は主旋律とそれを取り巻く対旋律群の明瞭なコントラストの熾烈さが感動に一層拍車をかけ、彼岸へ達する直前の音楽ではなく、これから新たな一歩を踏み出す希望の光と活力を満々と湛えているのです。そして締めくくりは大聴く音を引き伸ばして一気に終息させる鮮やかさ!
 この演奏は、ブルックナーの音楽を勇気を持って埃まみれのお堂から白日にもとに担ぎ出した快挙と呼びたいくらいです。【湧々堂】


AUDIOR
AUD7001(2CD)

廃盤


MYTHOS
NR9000-14-GH-G
(2CDR)
NR9000-14-GH-PRO
(2CDR)


東武レコーディングズ
TBRQ-9009(2CD)
(UHQCD)
ブルックナー:交響曲第8番 セルジュ・チェリビダッケ(指)
ミュンヘンPO

録音:1994年1994年4月23日 コリセウ・リスボン(ポルトガル国営放送(RTP)によるデジタル・ライヴ)
“マイクに収まらないはずのチェリ晩年の極限造型の威容を見事に捉えた奇跡の録音!”
 マニアの間で,チェリビダッケ生前中から珍重された「リスボン・ライヴ」ですが、このディスクから怒涛のように流れる感動の塊は、一部のアングラ的な楽しみとして閉じ込めておくだけではあまりにももったいなさ過ぎます!チェリビダッケの晩年の来日公演の中でも、特にこの「ブル8」を聴かれたうえで彼の死後に発売された正規盤をお聴きになった方は、会場で受けたあの衝動とディスクのそれがあまりにも異質で、落胆した方も多いのではないでしょうか?チェリビダッケの演奏に限らず、今まさに目の前で巻き起こっているる感動的な音楽がそのまま空気の波動に乗って自分の耳に到達する感動と、マイクを一旦通した音では、生での感動が大きいほど両者のギャップ歴然とするものです。ましてやチェリビダッケのように、寸分のずれでも生じたら全てが崩壊しかねないほど精妙を極めた音楽ならなおのことです。ところがこのリスボン・ライヴは、奇跡的にそのギャップをほとんど感じさせないばかりか、ダイレクトに感じたあの感動を改めて蘇らせ、これこそが交響曲という形態の極限の姿ではないかと確信させるほどの内容量を誇っているのです。
 第1楽章第3主題の弦のピチカートの極度の緊張を孕んだ連鎖は、衝動的に「美しい!」と声に出したくなる代物とは異なる意味深さで、第2主題の逆行型旋律がしなやかな雰囲気から壮麗な構築に発展する様は、まさに晩年のチェリのならではの感動的な至芸です。
 しかし、感動などという言葉で収まりきらないのが第3、第4楽章!なんと33分にも及ぶ第3楽章は、この世のあらゆる美を超越した空間が現出されます!冒頭から絶え間なく続く荘重なオルガンの響きを思わせる低音のニュアンスは、完璧な弦のピッチが最高に生き、弦楽によるハーモニーを聴いていると意識させないほどの空間を築き、そこにハープがブレンドされてからの天国的なテクスチュアには、気の遠くなるほどの深い呼吸が宿っています。極限まで浄化された音像と飽和スレスレの呼吸の振幅が30分以上続くのですから、聴き手もそれなりの覚悟が必要です。
 終楽章に至っては、よく「大伽藍」と形容されるそのままの超壮大な響きが徹底的に繰り広げられ、第3主題の異様なテヌートのうねりの感覚美を越えたハーモニーが放つ、宇宙的な空間の広がりは、クナの、朴訥とした中からじんわりと滲み出る風情とは対極的です。7:46以降のザードロの強固なティンパニの主張も他のどの盤よりも磐石!コーダ直前の23:20からは、再び独特の霊妙なレガートが出現しますが、まさにここで立ち昇る幽玄な空気は、まさに会場で流れ出たものと比べても遜色がなく、逆にその不思議な雰囲気に埋没しがちな音の精妙な綾が、ここで生々しく再確認することができます。この長大な作品の壮大を極めた演奏を締めくくるために用意されたコーダの凄さは、とても言葉にできません!
 これを聴いてしまうと、他のあらゆる演奏が生半可なものに思えてしまうかもしれませんので、その点だけお含みおき下さい。
  【湧々堂】


ARIOSO
ARI -110(2CD)
廃盤
ブルックナー:交響曲第8番(ハース版)*、
テオドラキス:交響曲第7番「春」
ヘルベルト・ケーゲル(指)
ライプチヒRSO
*
カーリ・リヴァース(S)、
ヴィオレッタ・マジャロヴァ(A)、
セルゲイ・ラリナス(T)、
グンター・エマーリヒ(Bs)、
リトアニア国立フィルハーモニーcho、
ドレスデンPO

録音:1970年、1987年(ステレオ)
“激情爆発!これ以上望めぬ過激なブルックナー!!”
 フルトヴェングラー以来、これ程人間の情念をむき出しにした演奏は皆無でしょう。ケーゲルの芸風はどの作曲家の曲であっても、作曲家が曲を書かずにいられなかったその瞬間の衝動、情感を自分のことのよう露骨に曝け出すことを最も信条としていたと思うのですが、ここでもブルックナーに不可欠とされる敬虔さなどに執着せず、作品の劇的な展開と、裸一貫で苦難に立ち向かうケーゲル自身の生き様を重ね合わせたような独特の凄みと迫力で一貫しており、こうなるとただその威力に降参するしかありません。第2楽章の重量感と特有の粘り腰のフレージング、ティンパニの強打、第3楽章の絞り出すような悲痛な叫び、
 終楽章のあらゆる抑圧から解放されたような猛進ぶり…。これら全てが、持てる生命力の全てを掛けて表出され、緊張は絶えることはありません。クラシック通を自認する人が「これじゃマーラーだよ」といかにも捨て台詞を吐きそうな豪快すぎるブルックナーではあります。しかし、ケーゲルにとってこれが偽りのないブルックナーであり、音楽として破格の説得力を持っているのは事実なのですから、そんなことを言ったらケーゲルは浮かばれません!テオドラキスはレークナーなどとともに積極的に取り上げた作曲家ですが、これまた見事!これは1983年に書かれた独唱と合唱を伴い50分を超える大交響曲。テオドラキスらしいエキゾチックなダイナミズムに溢れ、オルフの「カルミナ」がお好きな方はきっと共感されることでしょう。最後にオルガンが加わっての壮麗な盛り上がりは圧巻!
  【湧々堂】

EMI
5697962

ブルックナー:交響曲第8番 ロリン・マゼール(指)BPO

録音:デジタル
“マゼールの緻密な構築力が光る、壮麗なブルックナー!”
 マゼールとBPOのコンビによる録音の中でも傑出した感動作!各パートの入念な表情付けはマゼールならではですが、どれを取ってもブルックナーの敬虔さから逸脱しておらず、チェリビダッケにも似た彫琢を施して荘厳な空気を醸し出しています。第1楽章コーダのクラリネット・ソロの寂寥感は間ゼールが心からこの曲に奉仕していることの表われとして胸に迫りますし、終楽章楽章のティンパニの打ち込みも誰よりも強力ですが、表面的な響きに陥らず、奏者のセンスと相まって絶大な説得力を誇ります。いつもマゼールにどこかわざとらしさを感じている方は、特に感動もひとしおのはずです。なお、国内盤では2枚組でしたが、輸入盤は1枚に収録。    【湧々堂】


BBC LEGENDS
BBCL-4067
ブルックナー:交響曲第8番(ハース版) ジョン・バルビローリ(指)ハレO

録音:1970年5月20日(ステレオ・ライヴ)
“バルビローリ、死の3ヶ月前の涙のブルックナー!”
バルビローリはホーレンシュタインなどと同様(音楽の志向性は異なりますが)、マーラーとブルックナーの両方を重要なレパートリーに据えながらも、断然マーラーの方に自身の音楽性を投影し尽くした指揮者でした。しかし、このバルビローリのロンドンでの最後の公演ライヴは例外中の例外!とても涙なしでは聴けません!ヴァントや朝比奈の演奏と比べるとかなり異質ではありますが、人間の生き様、抑え難い感情の波を徹底的に盛り込んだ解釈を前にして、「ブルックナーらしくない」などと言っている場合ではありません。特に白眉は第3楽章!このコンビの持ち味である濃厚なビブラートによるすすり泣きが全編を覆い、自身の死期を悟ったかのような絶望と安らぎが交錯した空気も醸成されるのです!終楽章の激烈なドラマも必聴!このCDは、酒、人生、音楽をこよなく愛したジョンの最後の感動ドキュメントとして、不滅の光を放ち続けることでしょう。    【湧々堂】


QUERSTAND
VKJK-0604(2SACD)
ブルックナー:交響曲第8番 ヘルベルト・ブロムシュテット(指)
ライプツィヒ・ゲヴァントハウスO

録音:2005年7月1日ゲヴァントハウス・ライプツィヒ(ステレオ・ライヴ)
“ブロムシュテットのゲヴァントハウス管・カペルマイスター退任記念公演!”
 このコンビによるブルックナーの素晴らしさは、DECCA録音の「第9番」でも実証されていますが、このライヴによる「第8番」完成度、ハーモニーの緻密な積み重ねを目の当たりすすると、これらの名演奏が偶然の産物ではなく、ブロムシュテットの熟練の技とその薫陶を一身に受けたゲヴァントハウス管のコンビネーションが常に絶妙の極みになってしたいたことを再認識させられます。コンドラシンが振った後のオケに客演した亡き岩城宏之氏は、大掃除したようなオケの緻密なアンサンブルに驚愕したそうですが、そんな真のオーケストラ・ビルダーとしての力量を兼ね備えた指揮者は、今やブロムシュテットくらいしかいないのではないでしょうか?ここに聴くブルックナーは、もがきながら搾り出すような音楽ではなく、どこまで行っても自然体。朝比奈のようなごつごつした感触もなければ、スクロヴァチェフスキのようなソリッドな造形が際立つものでもなく、はたまた教条的にブルックナーとはかくあるべきと捻じ伏せるようなそぶりも見せません。あるのは作品への一途な共感とオケの力量、センスを完全に引き出しながら、全ての音符に瑞々しい生命が宿っているということのみ。つまり、オケを恣意的に鳴らしている瞬間が皆無なのです。特にこの大作に対しては、大伽藍のようなスケール感こそが名演の絶対条件のように思いがちですが、敬虔なクリスチャンでもあるブロムシュテットが導き出す音楽は、音楽と神に対し真摯に仕えるというのはこういうことかと気付かせてくれる比類なき価値を誇るものです。
 第1楽章、第1主題の弦に応答する管のフレーズの何と克明な息遣い!弦は絶えず丁寧に音楽を育みつつ有機的に振幅を続けます。トゥッティでもハーモニーが混濁せず、呼吸の溜めも熟練の妙味!第3主題が現れる直前の木管のリズムと響きが、これほど心に刻まれることがあったでしょうか?展開部直前はかなりたっぷりと歌わせてはいますが、もちろん単なる感傷ではなく、まさに祈りを体現することによって得られる至高の空間。展開部は早くも感動の極み!全てのパートがセンス満点ですが、特にティンパニが、その一打一打が他には考えられない程に他との完璧なバランスを保ちながら意味深く打ち込まれることだけでも、胸が一杯になります。全体を通じて言えることですが、符付ありと符付点なしの音符の実直なまでの描き分けも、野暮ったさを信条とする演奏には望めない高潔さを醸し出す要因の一つとなっています。
 かつてのスケルツォの概念を大きく押し広げた第2楽章は、その容量を満遍なく使い切り、一身に共感を注入し尽くし、これまた感動の連続!トリオも、かくも表情がくっきりと立ち上がる演奏を他に聴いたことがありません。フレーズのニュアンスが全くぶれず、リズムも正確な律動を繰り返していますが、機械的な響きが一切せず、このビリビリと心に迫って来るものは何なのでしょうか。
 更に音楽の深部に迫る第3楽章に至っては言葉が出ません!第1主題の最初の2小節から全てを奉げたくなります!あえてヴィブラートを抑えていますが、音程の磐石さといい呼吸の沈静具合といい、優しくひそやかに語りかけるといった生半可なものではなく、いくら名匠ブロムシュテットといえども、これに匹敵する表情は二度と沸いてこないのではと思えるほどの奇跡的なニュアンス!その複符点4分音符〜16分音符が消える瞬間の優しさ、高音域から半音階で下降する音型の高潔さ!過去に接した全ての名演が忘却の彼方へ追いやられます。その後現れるハープの巧さにも唖然。第2楽主題における、チェロが導く鬱蒼とした森の闇とヴァイオリンのトレモロの光が織り成すコントラストは常人には思いも寄らぬニュアンス…。この楽章に盛り込まれた敬虔な美しさを音楽的な感銘と共に再現したという点で、これ以上のものが今後出現することなど考えられません。
 終楽章は、堅いバチによるティンパニが豪快に打ち込まれるだけでカッコイイ思ったことがある自分に思わず赤面…。そんな表面的なニュアンスなどどこにもなく、聴く側が全ての邪念を取り払い、ブロムシュテットと同じ心持ちで音楽に同化しようとしない限り、その恥ずかしさにも気づかなかったかも知れません。ベートーヴェンを肥大化したような豪放さとは一線を画し、まさに宇宙的な神秘性を湛えた、この曲のみに有効なスケール感が表出されているといっても過言ではありません。その感動を更に助長するのが聴衆の拍手!最後の余韻が消え入るまで全員がその身に浸透させきってから拍手し出すと言うこの感性!それくらい全ての聴衆を感動の極地へ誘った証拠ですが、日本では滅多に見かけられない現象です。朝比奈、ヴァント、チェリビダッケ等、どの名演奏からも垣間見えなかったブルックナー像がまだ存在したというこの現実に是非触れてみてください。
 それにしても、こんな空前絶後の超名演を築き、ゲヴァントハウス管を究極の名器にまで押し上げたブロムシュテットがこれをもって勇退するという現実。これほどの至宝を上回るどんな価値観を優先して下された結論なのでしょうか!!   【湧々堂】

ブルックナー/BRUCKNER
交響曲第9番ニ短調 WAB.109

QUERSTAND
VKJK-1215(1SACD)
ブルックナー:交響曲第9番
(コールス校訂版,2000年)
ヘルベルト・ブロムシュテット(指)
ライプツィヒ・ゲヴァントハウスO

録音:2011年11月24-26日ライプツィヒ・ゲヴァントハウスにおけるライヴ
“峻厳な第2楽章に象徴される、ブロムシュテットの「ブル9」解釈の集大成!”
 前回のDECCA録音も大変な名演でしたが、ここではさらに深化を遂げたブロムシュテットの円熟芸を堪能できます。第1楽章冒頭の呼吸の深さ、同第2主題の静謐な美しさ、至純さ、流れの淀みの無さは、まさにブロムシュテットの真骨頂。
 驚くべきは第2楽章の意志の強靭さ!レークナーと双璧の戦慄を覚える凄みに圧倒されます。前回の録音もそうでしたが、ここでもリズムの縦の線を徹底して垂直に打ち込み、宇宙の怒りを象徴するかのような響きを醸し出しています。ブロムシュテットの穏健なイメージを払拭するのに十分な力感。中間部でも一切テンポを緩めず、特に7:50以降の厳しさ、求心力の高さには唖然するばかりです。
 終楽章冒頭のハーモニーの美しさも比類なし。しかも前回録音よりも明らかに深遠さを増しています。コーダ21:45からのテンポ運びのセンスにもご注目を。これより少しでも遅ければノスタルジックに傾きかねないぎりぎりの線で、芯のある音楽を貫徹させています。
 なお、この録音はアーノンクールと同じくコールス校訂版を使用していますが、一般的なノヴァーク版との差異はほとんどありません。  【湧々堂】


Profil
PH-06045
ブルックナー:交響曲第9番 ギュンター・ヴァント(指)
ミュンヘンPO

録音:1998年4月21日ミュンヘン、ガスタイク(ライヴ)
“全ての条件が揃わなければ実現し得ない、奇跡的ニュアンス!”
ヴァント・ファンとかブルックナー・ファンとか関係なく、クラシック愛好者ならこれを聴かない手はありません。2曲ともBMGに録音がありますが、次元が違います!「未完成」の導入の超然とした空気から尋常ではなく、綿密に構築された造型が人の手を介していると思えないほどの自然さで湧き上がるのです。木管のふとした立ち昇りも虚無の境地。第1楽章展開部の立体感にも戦慄を禁じ得ません。不純物皆無の第2楽章からは、ただただ全てをを悟った慰めの表情がこんこんと流れ、一朝一夕には成し得ない芸術の到達点を目の当たりにする感動は言葉になりません。このニュアンスがそっくりブルックナーにも持ち込まれているのですから、いかに透徹を極めた演奏になっているか想像してみてください。チェリビダッケに鍛えられた精緻なアンサンブルと、他の声部を聴き合う奏者全員の強固な連携が存分に発揮され、録音の透明度、ホール・トーンなど、全ての条件が揃わなければ実現し得ないニュアンスがここにあるのです。第1楽章冒頭の金管による動機から、いきなり宗教的な荘厳さと悟りの優しさが入り混じる空気を現出!第1主題のトゥッティの緊張が増幅し尽くすまでの呼吸も、感動的な高揚に結びついた少ない例ではないでしょうか。裏の裏の声部まで緊張が漲る第2楽章も、リズムが一貫して峻厳に刻まれるので、超然としたニュアンスが際立ち、安易に近寄れない威容で迫ります。ここでもアンサンブル機能性と声部バランスの完璧さは只事ではなく、これほどの凝縮しきったアンサンブルは、チェリビダッケの指揮でも聴いたことがありません。終楽章は、19:21からの最高潮点の人間が生み出し得る最高次元の最強音をはじめとして、信じがたいニュアンスの連続で、それらを伝える相応しい言葉が見つかりません。以下の「ブル9」の3大名演と共に必聴です!    【湧々堂】


DECCA
458-9642
廃盤
ブルックナー:交響曲第9番
弦楽五重奏曲からのアダージョ(シュタットルマイヤー編)
ヘルベルト・ブロムシュテット(指)
ライプチヒ・ゲヴァントハウスO


録音:1995年
“まさにブルックナーの音!崇高にそびえる燻し銀の大宇宙!!”
 ドイツの伝統様式がしっかり身体に染みこんでいるブロムシュテットとこの名門オーケストラは、まさに理想的な結びつきだと思いますが、彼らの録音が大々的に話題になることがほとんどなく、この演奏に関しても、ブルックナーに一家言をもつ宇野功芳氏の評価も決して高くなかったと記憶しています。しかしこのブルックナーは、同じコンビの「ブラ4」の素晴らしさを痛感した人はもちろん、ブルックナーの音楽を愛する全ての人に聴いて頂きたい理想の「ブル9」の一つだと思います。意味を込めぬいた弦のトレモロから、第1主題が格調高くトゥッティで高鳴るまでの緊張の保ち方、音色のブレンド感、ティンパニの完全な融合など、この時点でブルックナー以外の何物でもない理想の音像を目の当たりにすることになります。第2主題にフレージングは繊細を極めながら過度に神経質にならず、強弱変化にも堅実に対応しながら自然な息づかいは絶やさない、まさにブルックナーの心象風景そのもののような佇まいを最後まで絶やしません。展開部から再現部にかけては、特に音が芯から熱しっていますが、見事の制御力でうるさい響きに陥ることはありません。コーダ冒頭の木管の神秘的な呼応も格別ですが、そこから勿体ぶって見得を切るようなことはせず、ストレートに楽章を完結させるのにも、ブロムシュテットの高潔な音楽センスを感じます。
 第2楽章はテンポは中庸ながら、ピチカートの縦の線が完璧に揃い、なおかつ鋭利に立ち上がりる音色が意味深く迫ります。主題フレーズの最後で、ティンパニが全体に溶け合いながらもしっかりアクセントを打ち込むというこの絶妙さ!
 終楽章は、ブロムシュテット独特の一見すっきりした造型の中に堅固な筋を貫く音楽作りが、至高の次元にまで達しています。第1主題、第2主題とも、弦の響きは洗練美に溢れていますが、その美しさが感覚的なものではなく、この曲を神に捧げたというブルックナーの至純の祈りそのものを反映した響きとして迫るのです。ゲヴァントハウス管の健在ぶりを知る上でも、このCD価値は無視できません!
    【湧々堂】


EMI
5566992(2CD)
廃盤
ブルックナー:交響曲第9番 セルジュ・チェリビダッケ(指)
ミュンヘンPO


録音:1995年9月、ミュンヘン・ガスタイク・ホール(デジタル・ライヴ)
“極限の感動!チェリビダッケ生涯最後のブルックナー演奏会!!”
 チェリの最後のブルックナー演奏が9番だったというのはなんとも意味深ですが、演奏はこれまたチェリビダッケの最晩年特有の美学に裏打ちされた名演の中でも最高の感動作!こうなると、いったい今後は誰に何を期待してよいか分からなってしまいます。第1楽章の第2主題などはまさに奇跡!テンポはもちろん誰よりも遅いですが、無限とも思える呼吸の深さ、音色の高潔さは、既にこの世のものを超越。異様に太い芯を湛えた音色で立ち登る木管郡に導かれる、終結部のスケール感も空前絶後です。
 第2楽章はピチカートの克明な刻みが凄い主張で迫り、超低速にも拘わらずリズムは極限の緊張を伴って鼓動し続けます。
 終楽章に至っては、もはや神がかり!神秘の楽想が、チェリの至純の音楽性と100%一体化した時の大伽藍のような空間表出は、神に近い人間のみに許された技と思えるほど。なお、リハーサル風景も収録されていますが、ここでチェリは意外とも言える言葉を連発。「もっと心から感動して!」このリハーサルの臨み方からも、本番での演奏が如何に凄いものか想像いただけるでしょう。録音もこの一連のリリースの中でダントツ
の良さ。このチョイスはあまりにも月並みですが、あえて掲載しました。
   【湧々堂】


このページのトップへ


このサイト内の湧々堂オリジナル・コメントは、営利・非営利の目的の有無に関わらず、
これを複写・複製・転載・改変・引用等、一切の二次使用を固く禁じます
万一、これと類似するものを他でお見かけになりましたら、メール
でお知らせ頂ければ幸いです




Copyright (C)2004 WAKUWAKUDO All Rights Reserved.