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殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE!! レーベル・カタログ チャイ5



湧々堂が心底お薦めする"殿堂入り"名盤!!
マーラー
交響曲



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マーラー/MAHLER
交響曲第1番ニ長調「巨人」


BMC
BMCCD-188
マーラー:交響曲第1番「巨人」(花の章つき) ゾルタン・コチシュ(指)
ハンガリー国立PO

録音:2004年2月29日/3月30日(フランツ・リスト音楽院コンサート・ホール(ライヴ)
“病的ニュアンスを一掃!青春讃歌「巨人」の瑞々しさ!”
 バルトークなどの録音でもコチシュ指揮者としての力量は既に実証済みですが、この「巨人」も、誰の亜流でもない自己表現に徹しており、最後まで聴き手を惹き付けて止みません。最大の特徴は、感情表現にも響きにも、一切濁りがないこと。病的に音楽を沈殿させることなく、常に健康的にまっすぐ感情をぶつける痛快さがたまりません。しかたって、全楽章が通常よりもかなりテンポは高速。もちろんテンポを最初から決めてかかったのではない、イメージした表現に不可欠なテンポとして迫るので、音楽の真の勢いが宿るのです。
 一方で、声部の見通しを徹底的に効かせ、精緻なバランスも崩さないのですから、その統制力の凄さに舌を巻くばかり。室内楽的とも言える透明なテクスチュアは、「花の章」で見事に開花。悲嘆のニュアンスを強調するあまり、リズム感をあえて緩めることが多い第3楽章では、正確なリズムを取り戻すことにより、過剰などん底に嵌ることをサラッと回避。
 そして圧巻の終楽章!録音の鮮明さもあって、まず冒頭打楽器の強固な打撃力に度肝を抜かれます。甘美ながら陶酔しないキリッとしたフレージングと、その妥協なき縦割りダイナミズムが交錯したまさに縦横無尽のニュアンスは他に類を見ません。緊張の糸が緩むことなく到達するクライマックスでは、オケのアンサンブルの精妙さを思い知るとともに、やみくもに大音量を放射するだけではないコチシュの音像凝縮力に鳥肌を禁じえません。終演後はもちろんお決まりの手拍子拍手。これ以上に瑞々しい「巨人」はちょっと考えられません。【湧々堂】

リトアニア国立響
LVSO-M01
マーラー:交響曲第1番「巨人」 ギンタラス・リンキャヴィチウス(指)
リトアニア国立SO

録音:2009 年 6 月ヴィリニュス・コンサート・コングレス・ホール
 こうこいう耳馴染みのない地方オケを聴くときに、ベルリン・フィルのようなサウンドを期待するのはいかがなものかと思いますが、「地方オケらしい素朴な演奏」という先入観を持って聴くことも、本質を見失いかねません。この演奏はまさにその良い例でしょう。
 指揮のリンキャヴィチウスの解釈は終始全うで、1楽章の舞台裏トランペットが堂々と舞台上で鳴る以外は特に新手の解釈もありませんが、誠実なスコアの読みを通して、この作品本来の瑞々しさを呼び覚ましてくれる素晴らしい演奏です。オケの響きにはローカルな味が漂ってはいますが、強調したいのは、それを逆手に取って演奏の持ち味にすり替えるのではなく、心の底からマーラーを演奏しようとする心意気が結実しているということ。
 第2楽章中間部の人懐っこく、しかもきめ細やかな表情など、単に田舎風として片付けられましょうか?
指揮者の統率力とオケの技術が水準以上であることを実証するのが終楽章。最大の特徴はテンポの切り替えの鮮やかさとその安定感。一瞬のルフトパウゼ後、10:01からのトゥッティの着実なテンポは運びは、指揮者の強固な確信とオケの技術がなくては達成できなかったでしょう。
 是非、オーディオファイル的な視点ではなく、音楽表現としての結実ぶりに耳を傾けていただきたいと思います。きっとバーンスタインからインバルからも体感したことのない手応えを感じていただけることでしょう。【湧々堂】

King International
KKC-2031(2CD)
マーラー:交響曲第1番「巨人」
交響曲第2番ハ短調「復活」*
オットマール・スウィトナー(指)
NHK響、曽我栄子(S)、辻宥子(Ms)、
国立音楽大学cho

録音:1973年1月12日東京文化会館、1979年1月12日NHKホール*
共にステレオ・ライヴ
マーラーに対する基本姿勢を明確に刻印した熱きライヴ!
 スウィトナーの素直で純朴な歌心が生きた演奏であると同時に、スウィトナーのマーラーに対する基本姿勢を改めて窺わせる、実に意義深い復刻です。
 「巨人」第1楽章序奏部の春の日差しを思わせる明朗で温かな響き!これこそまさにスウィトナーのマーラーを象徴するものではないでしょうか。主部以降は、自然な流れに任せているようでいて木管の些細なフレージングにも愛情を滲ませ、表情にもデリカシーが香り、頬に吸い付くような風合いの音楽が流れます。
 「明朗」といえば、第3楽章冒頭のコントラバスのソロの伸びやかさにはには一瞬驚かされます。息も絶え絶え歩むイメージとは正反対で、過剰な女々しさや消沈を露骨に晒すのはスウィトナーの趣味とは反し、「希望の光のない音楽なんて耐えられない」という声が聞こえてきそうですが、それで脳天気な音楽に成り下がるどころか、嘘のない共感が聴く側の心を捉えて離さないのです。イタリア人の血も引くスウィトナー特有のカンタービレの魅力も満載。
 終楽章ももったいぶった表情は避けることでかえって音楽の構造がクッキリと浮上し、4:18からの弦の熱い愛情迸るカンタービレもビリビリと胸に迫ります。必要十分な推進力とダイナミズムもしっかり確保されていることは言うまでもなく、コーダの熱気は圧巻。終演後の聴衆の熱狂も大いに頷けます。
 更なる名演が「復活」!深刻にならざるをえないこの曲でもスウィトナーのスタンスは同じで、いわゆる「毒」を前面に出さないのですが、音楽の充実感は破格で、特に9:07付近からの厳格に低速を貫徹して強固に意志を刻印するシーンでも明らかなように、内容自体は踏み込みの強い濃厚なものとなっており、それが感動に直結!この感覚、プレートルのマーラーに心底共鳴された方ならお分かりいただけるのではないでしょうか。
 辻宥子が歌う「原光」は稀に見る名唱ですが、終楽章の素晴らしさといったらもう尋常ではありません!アンサンブルの精度も含め、N響のマーラー演奏史上これは屈指の名演奏と言えましょう。合唱の歌い始めのニュアンス!明らかに普通のモードではありません!しかもこの合唱の奇跡的な素晴らしさはこの一瞬の出来事ではなく、コーダでは絶対的な存在感を示し、スウィトナーのとてつもなく大きな包容力とともに宇宙規模のスケール感に発展するのです。 【湧々堂】

GRAND SLAM
GS-2095
マーラー:交響曲第1番「巨人」 エイドリアン・ボールト(指)LPO

録音:1958年8月10日-13日、ロンドン、ウォルサムストウ・アッセンブリー・ホール(ステレオ)

使用音源:Everest (U.S.A.) STBR 3005 ( オープンリールテープ、2トラック、19センチ)
“名人芸!作り込み過ぎない解釈の背後に宿る強烈な共感”
 マーラーの交響曲の演奏スタイルが確立されていないこの時期にあって、自身の端正な造形力とマーラー独自の孤独な精神世界を融合させ、比類の無い味わいをもたらす名演!後年、様々な指揮者がマーラーのエキセントリックな側面を盛り込むことに工夫を凝らしていますが、ボールトの解釈はモーツァルトやベートーヴェンノン額に退治する姿勢と全く変わらずピュアそなもの。
 第1楽章序奏からして気負いが一切無く、アゴーギクは最小限。それなのに、どこか芳しく柔らかな空気を醸し出します。主部以降も大仰さは一切無く、イン・テンポを基調として、時代を問わずに普遍的な価値を持つと確信させる慈愛に満ちたニュアンスが続きます。後半の盛り上がりでやっと感覚的効果を狙ったテンポの溜めがチラリと見えますが、それが実に粋!提示部繰り返しあり。
 第2楽章は、5分台で駆け抜ける史上最速クラスのテンポにビックリ!時にウィンナ・ワルツを思わせるほどの軽みですが、造型はあくまでも端正で、軽薄さとは無縁。後半5:24からはクレツキ&VPO盤同様のティンパニ追加有り。
 第3楽章も速めのテンポで、絶望のどん底というより、どこか諧謔的。オーボエの主題旋律の隈取を極限まで抑えて柔和な歌を奏でるシーンは必聴。ボールトの色彩に対する配慮の深さが窺えます。
 終楽章はまさに名人芸の連続。緩急の落差をほとんど付けないスタイルが、何度も訪れれる山場を経ても緊張感を維持することに大きく貢献。一見淡白に見える流れの中にあって、5:54からの打楽器などは猛烈な強打ではないにもかかわらず、こちらに伝わる衝撃度が絶大な点もお聴き逃しなく。
 それと、この年代としては驚異的にクリアな録音も特筆もの。既出のEVC-9022がやや高域寄りだったのに対し、今回の復刻はよりアナログ的な体温を感じさせるもので、テープ特有のヒスノイズもほとんど気になりません。【湧々堂】

Relief
CR-991068
マーラー:交響曲第1番「巨人」
ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死*
ウラディミール・フェドセーエフ(指)
モスクワRSO


録音:2000〜2001年、1999年*(共にライヴ)
“常識破り!独自の感性で捉えた新感覚のマーラー!”
 聴きなれないアーティキュレーション、アゴーギク、楽器バランスが縦横無尽!しかし、全ての表情が奇を衒ったものでなく、そうせずにいられない必然性を感じたら最後、今度はいつどの角度から未知の核心を抉ってくれるのか、ワクワクし通しで聴き入ってしまいます。もちろん、鳴るべきところは容赦なく鳴り渡りますが、決して野放図なならず、細部まで厳しい制御が効いているので、単にローカル色で押し通した爆演とは異なる確かな説得力を持って迫ります。
 第1楽章の前半は、木管が吹く“カッコウ”の明瞭さと弦のしなやかなカンタービレが絶妙なコントラストを見せ、シンバル一撃後も安定度抜群で、格調高い空間が広がります。
 第2楽章は完全にショスタコ調!冒頭から低弦が戦慄の凄みを効かせ、リズムは頑として粘着質。しかしティンパニの超強打を契機に、中間部ではとろけるような官能世界に一変!バレエの1シーンを見るような甘い歌い口はフェドセーエフの面目躍如ですが、それでも格調を失わないのは、真の芸術家(オケも含めて)だから為せる業でしょう。
 第3楽章の暗さも真に迫ったもので、第2主題が弦ですすり泣く直前(3:12)の一瞬のピチカートの意味深さは、突然呼吸が止まったような怖さ!その後のカンタービレがこれまた極美で、弦が絹のような肌触りで摺り寄るのです。
 終楽章は、冒頭をインテンポを貫徹する、その強靱な意志の力に完全ノックアウトです。各楽想の連動振りも見事で、熱烈な共感から発する呼吸の深さが例えようもない感動を誘います。そのコーダに達して遂にパワー全開となりますが、注目すべきは、ここでまた冒頭での強靱なインテンポ進行が顔を出し、完璧な起承転結を築いているのですから、手応えも尋常打破ありません!徹底した職人気質と芸術家魂を併せ持つフェドセーエフに、心底感服せずにはいられない一枚です。【湧々堂】

Barbirolli Society
CDSJB-1015

マーラー:交響曲第1番「巨人」
パーセル(バルビローリ編):木管,ホルンと弦楽のための組曲*
ジョン・バルビローリ(指)ハレO

マーラー=1957年(Pye原盤)、1969年(EMI原盤)*(全てステレオ)
“「巨人」の終楽章に聴く、バルビローリの熾烈なヴォルテージ全開!”
 「巨人」は世界初のステレオ録音として有名ですが、ポルタメントを駆使したとろけるような歌い回し、裸一貫の壮絶な迫力など、バルビ節の真骨頂が味わえる点でも忘れられません。
 第1楽章はクラリネットの“カッコー動機”の結尾をリタルダンドし、さっそく独自の演出が出現。フレーズの抑揚の大きさは尋常ではなく、展開部以降は堅い撥のティンパニ効果もあって、各パートが流血戦さながらの熾烈な迫力で圧倒します。
 第2楽章は遅いテンポでカチッと3拍子をk刻み、しゃくりあげるポルタメントの鮮やかさもバルビローリならでは。中間部のヒューマンな温もりにも魅了されます。
 第3楽章では、コントラバスの主題をスコア通りに1小節ごとに確実に区切り、憔悴しきった表情がいっそう浮き彫りに。中間部に入ると鳥肌物が!全ての音にポルタメントが掛かっていると言って良い程で、その甘美な音色と陶酔的フレージングには溜息が出るばかりです。
 終楽章ともなると、バルビロールの芸術の集大成ともいうべきニュアンスの宝庫!冒頭から打楽器軍が耳を刺す強打(特に大太鼓)で、完全ノックアウト。頬を撫でるような第2主題を経て、最後の2分間はもう機能美など二の次の異常なヴォルテージ。灼熱の音の塊は、マイクに入りきる限界に達しています。手に汗握るとはこのことでしょう。最晩年録音の組曲では独特のロマン性は完熟の味と化し、Hのコールアングレの涙に濡れた哀歌、Iのホルンと弦の高貴なハーモニーはひしひしと胸に迫ります。【湧々堂】

Chandos
CHAN-9308
マーラー:交響曲第1番「巨人」 ネーメ・ヤルヴィ(指)
スコティッシュ・ナショナルO

録音:1993年
“「なんでも屋」の汚名返上!画期的解釈が光る入魂録音!!”
 かつてないテンポ設定、強弱変化が次々と現われますが、どれをとっても音楽的な脈略を感じさせるのが見事!第1楽章前半の、子供に歌って聴かせるような優しさと、後半の凄まじい盛り上がりの対比の絶妙なこと!第3楽章は、誰も思いもよらない小気味良いテンポにまずビックリ!そうしておきながら、中間の夢見るような美しさを露骨なまでにクローズアップすることになるのですから、たまりません!これぞ、ワルター、バーンスタインの路線を継承するマーラーだと、叫ばずにいられません。も絶妙です。【湧々堂】

EMI[cfp]
5735102
マーラー:交響曲第1番「巨人」 チャールズ・マッケラス(指)
ロイヤル・リヴァプールPO

録音:1991年 デジタル録音
“「スコアを尊重する」というのは、こういう演奏のことです!”
 とにかく鳴りの良さは天下一品!隅々まで音の輪郭が明確で、それでいながら音楽が窮屈にならず、品格を湛えながらどこまでも伸びやかに歌い抜いた感動的なマーラーです。
 第1楽章展開部の透徹した弱音の緊張感、金管の清潔な輝き、天に抜けるようなホルンの壮絶トリル(15:00)など、鮮烈な表情が細切れにならずに、有機的な流れの中で連綿と鳴り続けます。
 第2楽章のパステル調の音彩もマッケラスならでは。リズムをまくまでも軽妙に弾ませながら自然に強拍が生かしているので、全く音楽が淀まないのです。中間部も、テンポを過剰に揺らしたりせず、憧れのニュアンスを醸し出すのは老練の味!
 第3楽章は、冒頭ティンパニとコントラバスの音程の良さにまずびっくり!ここにも過度なすすり泣きはなく、背景で鳴るドラのエキゾチックな音色の生かし方、中間部でテーマがヴァイオリンに移行する際(3:02)のデリケートな風合いなど、マーラーのスコアを徹底的に作曲家の意図したとおりに再現した結果生まれた、瑞々しいニュアンスの連続です。
 終楽章は何度聴いても鳥肌もの!ここまでマーラーに付き物のアクを取り除き、純粋な音の構築に徹して破格の説得力で迫る演奏は他に聴いたことがありません。単なる気分で施された表情など皆無!徹底的に音符の意味を掘り下げ、徹底的に機密に声部を絡ませながら、機械的にならずに全ての音に共感を込め抜くという離れ業は、マッケラス以外の誰にできましょうか!一貫してインテンポを基調とし、核となるパートを徹底的に鳴らし、アクセントが随所で生きているので、音楽が平板にならないのです。高潮点9:46のスピード感とティンパニの完璧な強連打、コーダの安定感も比類なし!ヴァイオリンの両翼配置も効果絶大です。【湧々堂】

KOCH
374052
マーラー:交響曲第1番「巨人」 クリストフ・エッシェンバッハ(指)
ヒューストンSO

録音:1997年2月3日(ライヴ)
“ムジークフェライン大ホールに轟く、優美かつ壮麗な『巨人』!”
 欧州演奏旅行時のウィーンでの熱狂ライヴ。ライヴ特有の振幅の異様に大きなダイナミズムもさることながら、慈しむようなウィーン風の優美さと素朴さを盛り込んだ、かつてない味わいを残す「巨人」です。
 第2楽章、第2主題結尾の微妙な失速加減は絶妙の一言!終楽章の第2主題の息の長さと、その裏でじりじりと魂を燃焼する様は、あのミトロプーロスと双璧!激烈を極めるコーダに達するまでの巧みな設計は、ライブとは思えぬ完璧さです。管楽器群の巧さとセンスの高さは、モーツァルトの管楽器のための協奏曲集でも実証済み。この曲自体聴き飽きたという方にこそ、是非お聴きいただきたいものです。【湧々堂】

TAHRA
TAH-9903(2CD)
マーラー:交響曲第1番「巨人」
交響曲第4番*
ハンス・シュミット・イッセルシュテット(指)
北ドイツRSO
ルート・マルグレット・ピュッツ(S)

録音:1969年(ステレオ・ライヴ)、1966年(モノラル・ライヴ)*
“イッセルシュテットのフレージングのセンスに改めて開眼!”
 イッセルシュテットというと質実剛健というイメージですが、息の長いフレーズを入念に呼吸させ、実に律儀な拍節感から自然に情感を湧き上がらせるのも彼の芸風の魅力の一つ。ドヴォルザークの「弦セレ」などと同様、この「巨人」もニュアンスがふわっと香る瞬間が随所にあります。
 第2楽章は、テンポの遅さにまずびっくり!しかも、中低域重視のテクスチュアは確保しつつ、思いもよらぬ表情が表出されるのです。終楽章は大音量に達しても決して絶叫はせず、音色のブレンド具合が素晴らしく、それでいながら迫力で圧倒するツボもきちんと心得ているのですからたまりません。第4番も内容量で勝負。この曲の「軽さ」を物足りなさを感じている人も、この重量級の演奏には手に汗握ることでしょう。 【湧々堂】

Novalis
NOV150-033
マーラー:交響曲第1番「巨人」 コリン・デイヴィス(指)バイエルンRSO

録音:1988年4月
“穏健一辺倒ではない、C・デイヴィスの表現意欲に脱帽!”
 バイエルン放送響の機能性をフル稼働させ、デイヴィスの音楽性も100%投入しつくした感動作です!デイヴィスは数曲しかマーラーをレパートリーにしていませんが、これを聴くと他の大曲も聴きたくなること必至。テンポ、強弱の変動のこだわりは尋常ではなく、その説得力も絶大!BMGに録音した「第4番」と共にもっと大いに注目されてしかるべき壮麗な名演奏です。【湧々堂】

WEITBLICK
SSS-0033(2CD)
マーラー:交響曲第1番「巨人」、
交響曲第2番「復活」
ヘルベルト・ケーゲル(指)
ライプチヒRSO、
エリザベート・プロイル(S)、
アンネリーゼ・ブルマイスター(A)、
ライプツッヒ放送cho
録音:1978年、1975年(ステレオ・ライヴ)
“ケーゲルの前ではバーンスタインも出る幕無し!”
 これは、ケーゲルが遺した交響曲のライヴ録音の中でも、録音の良さも含めて絶品中の絶品!人間の持つ情念の全てを放射した恐るべきマーラーで、分析臭など入り込む余地などなく、2曲とも全楽章を通じてヴォルテージに緩みが全くないのも驚異です。
 「巨人」は、第2楽章冒頭の異様なテンポの溜めや、中間部での気紛れに移ろうテンポなど、一見大袈裟な表現が、きっちりと作品のフォルムに収まって説得力を発揮するのはまさに職人技!
 終楽章はいきなり血の大噴射!徹底的に深い呼吸で歌いまくる弦のカンタービレは官能の渦と化しています。段階的にテンポを加速するコーダの築き方は、もう全身鳥肌ものです!
 「復活」も、何がここまで彼を駆り立てるのか、ケーゲルの表現意欲は最初から最後まで衰えを知りません。表面的に後付けしたような表情はどこにもなく、異様な緊迫感に彩られた決死のニュアンスで圧倒し続けます。完全に全体が一丸となったときのオーケストラ演奏の凄みをまざまざと思い知らされます。【湧々堂】

マーラー/MAHLER
交響曲第2番ハ短調「復活」

ORFEO DOR
ORFEOR-837112(2CD)
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」 キャスリーン・バトル(S)
クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)
ウィーン国立歌劇場cho
ジェイムズ・レヴァイン(指)VPO

録音:1989年8月19日ザルツブルク、祝祭大劇場(ライヴ・ステレオ)[ORF収録]
 とろける弱音から灼熱の高揚まで、あらゆる条件を満たした奇跡的名演奏!89分という演奏時間が象徴するように、レヴァインがVPOという名器を率いて臨んだこの演奏の意気込みは尋常ではなく、そのVPOの最良の持ち味の全てを出し尽くして極めて入念で彫りの深い演奏を繰り広げており、ライヴ盤として発売されたディスクの中でも最高峰に位置する名演と言えましょう。
 第1楽章冒頭の切り込みからその意気込みは如実に現れ、VPOの弱点とも言えるアンサンブルの縦の線の緩みも皆無で、本当の本気モードであることを窺わせます。その集中力は終楽章まで途切れることはありません。皮の衝撃を直に感じさせるティンパニの強固な打ち込み、ゴリゴリ唸る低弦の抉りも鮮烈。第2主題の弦のピアニッシモの囁きは甘美さの限りを尽くし、展開部ではさらに彫琢の度を高め、内面から吹き出す情念が最高潮に達しますが、それは決して感覚的な響きではなく、熱いニュアンスが飽和状態から破裂する寸前で封じ込めたような独特の緊張を保持しているのです。こういう技がレヴァインの棒から生まれるとは意外に思われる方も多いことでしょう。19:01からの弱音の意味深い訴えかけもVPOならではで、一音も聴き逃せません。最後の下降音型はかなり遅目のテンポで締めくくりますが、これもあざとさ皆無で、不思議な余韻を残すのです。
 第2楽章は、まず出だしの操作性を感じさせない自然発生的なテンポ感が最高。しかも響きが終止内側に向かって微かな不安を孕み、舞曲的な愉悦に傾かない内省的な歌が涙を誘います。
 第4楽章は、熟成を極めたルートヴィヒの歌唱がこれ以上考えられないほどの含蓄を誇り、金管コラールやヴァイオリン・ソロと絡んだ際のイマジネーション豊かな空間表出は溜息が出るほどの美しさ!
 終楽章はどんなに言葉を尽くしても足りない感動の嵐!激烈な開始の後の最弱音の動機がこれまた夢の様な幻想を湛えて唖然。ヴァイオリンのトレモロに乗せた動機が現れるまでのシーンの味わい深さも信じ難く、人間的な温もりの全てを内包したようなそのニュアンスは他に類例を見ません。行進曲調の展開部は響きの凝集力が強烈な緊張を生み、そのスケール感たるやVPOの演奏史上でも稀と思われる凄み!夜鶯を表すフルートとピッコロの巧さも驚異的。合唱が加わると、男声と女声のユニゾンの音量バランスのあまりの絶妙さに驚愕。ルートヴィヒのソロはここでも心を打ち、馥郁たるバトルの美声とのコントラストも聴きもの。そして圧巻のコーダ!ここまで愛の絶対的な愛の力を信じて徹底注入し、塊として放出された響きに過去出会ったことはありません。録音も雰囲気満点で、ウィーン・フィルの美観をあますところなく捉えています。【湧々堂】
Relief
CR-991069
マーラー:交響曲第2番「復活」 ウラディーミル・フェドセーエフ(指)
モスクワ放送SO

録音:2002年2月6日〜12日 デジタル・ライヴ
“フェドセーエフとモスクワ放送響の音楽性の極限を示した感動ライヴ!”
 第1楽章冒頭は、CDプレイヤーが壊れたかと思ったほど類を見ない高速テンポで切り込むのに驚愕!低弦がゴリゴリといきり立ち、独特の逞しい造型と有無を言わせぬ迫力で圧倒しまくります。しかも、テンポの急緩の差が激烈!それぞれのフレーズの持つ意味を徹底的に印象付けなければ気が済まないフェドセーエフのバイタリティは、止まるところを知りません。打楽器、金管の咆哮も並ではないことは言うまでもありませんが、絶対に無節操に鳴らず、全体の凝縮力が尋常ではないので、その芸術的な説得力も並大抵ではありません。
 第2楽章は独特の濃密なロマンがこってりと迫り、第3楽章の重心の低い腰の据わったリズムそのものが説得力絶大。第4楽章は、アルトのペツコヴァーが感動的!翳りのある美声とヴィヴラートに全くムラがなく、格調の高いフォルムの中で深い心情をを吐露しているのが心を打ちます。
 終楽章は、冒頭の極限の大音響にまたしても打ちのめされます。第4主題の金管による斉奏の荘厳さと、その直後のテンポの切り替えの鮮やかさもフェドセーエフならでは。合唱のバスの地鳴りのような響きは最弱音でも変わらず、音程も鉄壁なので、オケのヴィルトゥオジティと共に言葉を失うばかりです。コーダ最後の2分間は、溢れ出る音のあまりの内容量の多さに、聴き手の側もあらかじめ受け入れる許容量を最大にしておく必要があります!ヴァイオリンは両翼配置、コントラバスは左手後方に位置。【湧々堂】

リトアニア国立響
LVSO-M02(2CD)
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
リュッケルトの詩による5つの歌曲*
交響曲第3番〜第4楽章
ギンタラス・リンキャヴィチウス(指)
リトアニア国立SO、
カウナス国立cho
ヴィオレータ・ウルマーナ(Ms)*
シグテ・ストニテ(S)
アンゲリカ・シュヴァツカ(MS)

録音:2005 年ヴィリニュス・コンサート・コングレス・ホール(ライヴ)
 折しもこれを視聴している現在、リトアニアの政治情勢は大変な混乱状態下にありますが、馴染みのない地方オケの演奏であることも合わせて全て頭から取り除き、無心でお聴きいただきたい素晴らしいマーラーです。
 強固な意思に支えられた彫琢力、入念を極めた情念の注入など、「巨人」終楽章で特に顕著だったリンキャヴィチウス堅固な構築力がここでも確実に実を結んでします。どこを取っても表情が完全に音化しており、第1楽章6:22以降の有機的フレージングなど、久々に心奪われました。再現部第2主題のげんのうねりの迫真ぶりも感動的。
 「原光」のウルマーナの歌唱は、素直な歌い口からじんわり情感が滲みます。終楽章を聴けば、この演奏が生半可な名演奏でないことを更に痛感していだだけることでしょう。リンキャヴィチウステンポ設定の巧みさが生き、この作品を暑い共感を持って徹底的に追求し、各楽想に絶対的な確信が漲っているので、途中で飽きたり、冗長だと感じさせることなく、最後までドラマティックな展開に酔いしれることができます。このライヴはオン・マイク気味の録音のために高級感のあるサウンドではないのですが、それを安っぽい演奏と誤解することは大損失です。表面的には立派でも、作品の壮大さに頼っているだけで、内容を掘り下げた痕跡のない演奏がいくらでもあるのですから。合唱が登場するまでの緊張感の保ち方、コーダでの持久力のある呼吸の妙など、本物の証です。合唱のテクスチュアの統一感、音程の正確さも聴きもの。【湧々堂】
※CDの解説書によると「復活」の第4楽章「原光」のみウルマーナ、第5楽章がシュヴァツカの演奏とのことです。

QUERSTAND
VKJK-0608
(2SACD)
マーラー・交響曲第2番「復活」 ファビオ・ルイージ(指)
MDR響(ライプツィヒRSO)、
クリスティアーネ・エルツェ(S)、
藤村実穂子(Ms)

録音:2005年4月17日(ライヴ)
“ライヴとは思えぬ完成度!純音楽的解釈で感動を築いた画期的録音!”
 1997年のウィーン・トーンキュンストラー管との録音に続く、ルイージ2度目の「復活」。このシリーズのルイージのマーラーは、どれもエキセントリックな表現や局部的なデフィオルメなどは施さず、純音楽的アプローチにに徹しながらもありきたりの演奏に陥らず、尋常ならざる共感が隅々にまで行き届いた素晴らしい演奏ばかりですが、この「復活」はその際たるもの。ジョルダン盤とともに、この長大な曲に接する際はそれなりに身構えるものですが、聴き進むうちにそんなことは忘れ、ルイージの妥協を許さぬ入魂ぶりに引き込まれます。
 第1楽章冒頭の低弦の唸りは、その発言力が延々と持続するところにまずご注目を。続く弦のフレーズは見事に均整がとれて実に美しく流れます。演奏時間はたっぷり24分をかけていますが、その荘厳なテンポの弛緩のなさも、ルイージの統率力の高さを実証するもの。6:12からの聞こえるぎりぎりの最弱音は、柔らかなテクスチュアと共に至純の極み!逆に大音響の場面は決して煩く感じさせず、格調の高さを維持。テンポの切り替えの設定にも演出めいたところが一切無く、歌の妙味を心の底から感じながら発していることがひしひしと伝わります。18:40からの憧れと気品に満ちたポルタメントも必聴!第2楽章は、甘美な愛に包まれた感動作!独特のテンポ・ルバートのセンスの魅力が満載です。レントラーならでは素朴さに洗練味を融合した絶妙なニュアンスは、他では得がたいものです。3:09からのチェロの対旋律が惜しげもなくヴィブラートを利かせ、思いのたけを連綿と伝えるシーンは何度聴いても涙を誘います。第3楽章は、そんな第2楽章と強烈なコントラストを形成するように、激しい切込みで開始。しかし暴力的な威圧ではなく、全体のフォルムが気高く構築されているのです。第4楽章は、清らな美声で迫るひた藤村実穂子が感動的な歌唱を繰り広げます。そして圧巻の終楽章!ここへ来て、音のエネルギーの放射力が、第1楽章とは明らかに異なって、芯から熟成し、熱していることに気づかされますが、それがライブならではの高揚感というよりも、全体を締めくくるに当たっての巧みな構築の結果として確かな重みを持って迫る点がポイント。したがって安易な祝典ムードに陥ることなどなく、感動的な祈りの響きが着実に根を下ろしながら聴く側に迫るのです。演奏終了後、拍手が湧き起こるまでしばらく間がありますが、いかにこの演奏が聴衆の胸に深く迫ったものであるかを如実に物語っていると言えましょう。普段この作品を敬遠されている方も含め、あらゆる音楽ファンに接して欲しいと願わずにはいられません。【湧々堂】

MEDIAPHON
MED-72169
マーラー:交響曲第2番「復活」 アルミン・ジョルダン(指)
スイス・ロマンドO、
シルク・カイザー(S)、
コルネリア・カリッシュ(Ms)
ジュネーヴ・モテットcho
ジュネーヴ大劇場cho

録音:1996年(ライヴ)
これを聴いてもまだジョルダンを無視し続けますか?”
 アンセルメ時代からは信じられないほどの緻密なアンサンブルを獲得できたのはまさにジョルダンの功績であると、この感動的なマーラーを聴くたびに思い知らされます。大げさと揶揄されがちなこの曲にこれほど優美なテクスチュアを施し、音量で煽るポイントと歌うべきツボをバランス良く浮き彫りにした演奏は他に例を見ません。
 例えば第1楽章、第2部最後に突如湧き上がる主題や、第3部の最高潮点は異様な重量感で襲い掛かりますが、フォームはあくまでも美しさを保持。第2楽章は、マーラー自身が語ったような“汚れなき陽の光”に相応しい柔らかな詩情が横溢。
 第4楽章のMsソロに続くトランペットは、溜息が出る程の巧さ!カリッシュの至純な信仰心を滲ませた名唱も忘れられません。
 しかし最大の聴き所は終楽章!ジョルダンの知られざる洞察力と色彩感、ダイナミズムが凝縮。全曲を通じて最も大音量で満たされる第2部で、精力的なパワーが完璧なバランスを保持したまま放射される様は、正に圧巻!物々しくなりすぎずに絶大な手ごたえを感じさせるコーダの築き方も、合唱の見事の質感と相俟って感動的です。 【湧々堂】

EMI
CZS-5751002(2CD)
マーラー:交響曲第2番「復活」*
ラヴェル:マ・メール・ロア、
エルガー:エニグマ変奏曲、
ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕前奏曲**、
プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」第1幕〜3曲#
ジョン・バルビローリ(指)
シュトゥットガルトRSO*、LSO**、
ローマ歌劇場O#、ハレO、
ヘレン・ドナート(S)*、
ビルギット・フィニレ(Ms)*、
レナータ・スコット(S)、
カルロ・ベルゴンツィ(T)#

録音:1970年ステレオ・ライヴ(マーラー)、1957年モノラル(ラヴェル)、1956年ステレオ(エルガー)、1969年ステレオ(ワーグナー)、1966年ステレオ(プッチーニ)
“愛の力を信じる人に贈りたい究極の人間ドラマ!”
 マーラーは、バルビローリの死の直前のライヴで、これがマーラーの交響曲の最後の公開演奏となってしまったのでした。この演奏には近代的な竹をスパッと割ったようなガツンとくる痛快さとは無縁で、人間の心の深部に焦点を当て続け、大きな愛で聴き手を包み込むバルビローリの音楽性が美しく開花し、ただただ無垢な音楽性だけが息づいています。入念なリハーサルは行えなかったのか、アインザッツがずれるところもありますが、それで音楽の興を削ぐことなく、独特の愛の泉が一貫して湧き上がり続けます。
 第1楽章のコーダの前(15:57以降)のとろけるようなフレージングは、バルビローリでななければ品格を落としかねない究極の技!
 第2楽章の3:13以降、テーマをチェロとヴァイオリンがこれほど愛の表情を湛えて美しく対話しているのを聴いたことがなく、何度聴いても自然と涙が零れてしまいます。
 終楽章は、オケの機能美も含めて全ての表情が完熟の極み!合唱が静かに歌いだすところから弦がしなやかに滑り出す箇所までのこの世のものとは思えぬ美しさに触れて何も感じない人は、音楽にも愛にも無縁の人だど敢えて言わざるを得ません!ドナートの美声の溶け合い方がまた絶妙!この愛の光で世界を包み込むようなマーラーの後に置かれているのが、「蝶々夫人」の“愛の二重唱”。またしても選曲の妙が泣かせてくれます!スコット、ベルゴンツィの全盛期の歌唱とともに、ピンカートンが蝶々さんに“その手にキスさせておくれ”とせがむ場面で、オケの中のシロフォンが色彩とリズムを放射させるほんの一瞬もどうぞお聴き逃しなく!ワーグナーは、「英雄の生涯」の録音セッションの合間に収録されたもので、バルビローリの追悼LPで発売されて依頼の登場!録音日が一日しか費やされていないので、おそらくほとんど一発録りだと思われます。11分を要する超スローテンポで悠々と迫る威容は、Pye録音の凝縮力が優った演奏とは趣を異にし、大河を思わせる深いフレージングが並々ならぬ共感と共に溢れかえり、コーダの包容力は、演奏がその人の人格を映し出すという事実をを改めて痛感させられ、感動もひとしおです。これをワーグナーらしくないという理由だけで退けられましょうか!【湧々堂】

EMI
5668672[EM]
マーラー:交響曲第2番「復活」 オットー・クレンペラー(指)
バイエルンRSO
ヘザー・ハーパー(S)、
ジャネット・ベイカー(Ms)

録音:1965年(ステレオ・ライヴ)
“ぎりぎり1CDに収まった圧倒的重量感と濃厚なロマン!”
 フィールハーモニア管との競演盤がクレペラーにしては意外と淡白な流れに終始した通好みタイプの演奏だったのに対し、こちらはライヴ特有の高揚感、重心の低いオケのサウンドが功を奏してそれより数倍感動的に胸に迫ります。
 第1楽章のコーダの凝縮力を極めたフォルティッシモ、第2楽章の普段気付かないクレンペラーの音の色彩への緻密な配慮が実に印象的。
 第3楽章は冒頭ティンパニの異様な強打から最後の強靭なリズムと拍節間の重みで圧倒します。しかし、なんと言っても終楽章が圧巻!コーダーに向かってじりじりとボルテージを上げついに灼熱の頂点に達します。最後のティンパニも比類なき一撃!それにしてもバイエルン放送響というオケ。客演した巨匠たちが持っている構築力を更に深化させて凝縮力の高い音響を披露してくれるのには毎度感心させられます。オーマンディ然り、ベーム然り。このマーラーもその典型的名演と言えるでしょう。【湧々堂】

マーラー/MAHLER
交響曲第3番ニ短調

DREYER-GAIDO
DRECD-21065(2CD)
マーラー:交響曲第3番ニ短調 ガブリエル・フェルツ(指)
シュトゥットガルトPO、
アレクサンドラ・ペーターザマー(Ms)
ブルノ国立フィルハーモニーcho、
カルヴ・アウレリウス少年cho

録音:2010年4月30日ライヴ・レコーディング
※日本語解説つき(フェルツ氏のインタビュー形式、譜例を引用したフェルツ自身の分析)
 マーラーの現時点での最高の演奏と言っても過言ではない確信に満ち溢れた名演奏です!!ガブリエル・フェルツは1971年ベルリン生まれアルテンブルク・ゲラ歌劇場(チューリンゲン州立歌劇場)の音楽監督に2001年に就任、2004年からシュトゥットガルト・フィルの音楽監督と、バーゼル歌劇場の主席客演指揮者に就任。既に発売されている録音でも、フェルツの才能は実証済みですが、ここでもスコアの原点に立ち返り、徹底的に読み込み検証を重ねながらも学究的な窮屈さを感じいさせない素直な共感をもって音楽的主張を明確に伝えきっているのが頼もしい限りで、少なくともマーラーの解釈に関しては、ラトルなどの世代の次の世代を担うべき逸材と言えるのではないでしょうか。
 第1楽章冒頭の響きの凝縮度からして、フェルツの牽引力が凄さを痛感。第4主題以降の行進曲の何という瑞々しい推進力と迫力!展開部へ入る際には大きくテンポを落として先へ繋げますが、その大河のような流れな巨匠級の技!展開部のトロンボーンとイングリッシュホルンのソロによる荒涼とした雰囲気も実に自然に湧き上がり、陰湿さ皆無。20:07からの低弦の小刻みなフレーズの後、クラリネットの雄叫びを合図にガラっとテンポを速めるのはユニークですが、この後の行進曲と興奮の渦への前触れとして功を奏していることに気づきます。その打楽器乱舞が凄まじいこと!しかもオケの巧さ!コーダは大スケールで圧倒しますが、ここまで一貫していた金管・打楽器とが巨大なトゥッティの中でも完璧なバランスで妥協なく鳴り切る様がここでも全く揺らがないのも驚異です。
 第3楽章の木管に取る鳥のさえずりの後に現れるヴァイオリンの動機では、音の色彩ニュアンスが克明に変化させ、新たなメルヘン世界に聴き手を誘います。中間部のポストホルンのセンスもホールとの距離感も抜群。
第4楽章は、ペーターザマーの癖のない澄んだ声がこの作品に不可欠と思わせるほど素晴らしく、決して目立ち過ぎることなく世界の神秘を優しく歌います。
 第5楽章は合唱とユニゾン鳴らされる鐘の音のバランスが絶妙!それにしても、気がつくとここまでの楽章を一気に聴き進めているという経験は何年ぶりのことでしょうか。それだけ音楽の求心力が全く弛緩しないのです。
最終楽章はフレージングが高潔で響きは透明。精神が浄化する様をリアルに表現した感動的な演奏で。精緻でありながら人間的な温もりを失わないアーティキュレーションにも、フェルツの音楽センスの高さを窺い知ることができます。特に最初の約5分間はこんなにも深々とした深みを湛えた音楽だったかと認識を新たにするほど心に染み入ります。そしてコーダのティンパニ連打の力感の見事さ!単なる力演ではなく、最後の一音に至るまで少しづつクレッシェンドする配慮を見せて、この巨大な交響曲を受け止めるのに相応しい結末を築き上げています。
 なお、終演後に拍手が入りますが、長い余韻を味わいつくしてから鳴り始めるというタイミングの良さで、興を削ぐことがないのも嬉しい限りです。録音も極めて良好。【湧々堂】

WEITBLICK
SSS-0108-2(2CD)
マーラー:交響曲第3番 ニ短調 ジュゼッペ・シノーポリ(指)
シュトゥットガルトRSO
シュトゥットガルト放送女声cho
ケルン放送女声cho
シュトゥットガルト賛美歌児童cho
ワルトラウト・マイヤー(A),

録音:1996年7月2〜5日シュトウットガルト・リーダーハレに於けるライヴ(ステレオ)
*シュトゥットガルト放送提供音源
“マーラーの深層心理に肉薄した同曲最高峰の名演奏!”
 シノーポリの音楽作りの魅力が全面に出た感動的な演奏で、オケの技術の高さと言い、音質の良さと言い、間違いなく同曲の最高峰の名演。
 第1楽章冒頭から強弱対比が凄まじい説得力で迫りますが、その指示の徹底ぶりとそれを完全履行するオケの意気込みにまず唖然。この先1時間以上もの長丁場をこのテンションのままで乗り切れるのかと心配になるほど。
 第1楽章第3主題には、シノーポリの純粋なロマンが濃密に投入され、とかく「頭脳明晰」なイメージの強いシノーポリは、実は心の音楽家であったことを痛切に思い知らされます。録音が極めて優秀な上に一切の綻びを見せずにオケが鳴りきっているので、構築力の堅牢さが印象的ではありますが、楽想転換や一見陽気な行進曲であっても、単純に拍節を刻んでいるだけのシーンなど皆無。常に暗い心情が通底していることでも明らかなように、この演奏の至上命題は、あくまでもマーラーの心情へ肉薄すること。
 2楽章も極めて甘美に歌い上げ、響きも十分に透明度を保っていますが、どこかその美しさに酔い切れない不安が見え隠れし、独特の陰影をもたらします。
 第4楽章のソロを歌うマイヤーも、陰影の濃いシノーポリのアプローチと完全に歩調が一致しており、張りのある発声法から、真実のニュアンスが溢れる名唱を聴かせます。
 終楽章は感動の極み!音楽を産毛の先まで感じ、ここまで身を粉にして歌い抜いた演奏は、なかなか聴けるものではありません。主要主題が2回目に登場する際の、音像の広がりと凝縮の見事な均衡を聴くにつけ、この指揮者の早すぎた死が悔やまれてなりません。
締めくくりのティンパニは2台要求しているにもかかわらず、他に埋没して聞こえないことが多いですが、ここではホーレンシュタインほどの強打ではないものの、見事なバランスでこの長大なコーダを支えている点も流石です。【湧々堂】

VIRGIN
5625152[VI](2CD)
マーラー:交響曲第3番
ツェムリンスキー:抒情交響曲*
アルミン・ジョルダン(指)
スイス・ロマンドO、
ローザンヌ女声cho、他
ヤドヴィガ・ラッペ(A)、
エディット・ヴィーンス(S)、
アンドレアス・シュミット(Br)*

録音:1994年、1995年* ライヴ録音
“マーラーがこの曲に込めた自然への愛を美しく昇華させた感動ライヴ!”
 「復活」と共にこの「3番」も必聴!同曲のデジタル録音の頂点に君臨すべき高潔の名演奏です。冒頭のホルンの強奏からしてなんと美しいこと!硬質で強靭なティンパニの打ち込みはライヴの意気込みも手伝って凄い迫力!平和な第3主題が登場するまでの間、あくまでも美しい音像を崩さずに、混沌の中でもがく様子がリアルに表出されるのは、他の演奏では決して体現できません。クラリネットの第4主題(11:08)まで差し掛かると、マーラー特有のアクを前面に押し出すことを避けることによって次々と現れる新鮮なニュアンスにワクワクすることしきり。もう途中でき切り上げるわけには行かなくなり、「スコアを信じる」と言うことの本当の意味を痛感させられます。大上段に構えずストレートな直進を見せながら灼熱の高揚を築くコーダは圧巻!
 第2、第3楽章はスイス・ロマンド管の奏者の質の高さ自体にうっとり。透明感の高いアンサンブルがここでも美しいのですが、その感覚的な磨き上げの陰で、そこはかとない憂いを垣間見せるセンスも是非お聴き逃しなく。第4楽章のラッペの名唱も聴きもの。シュトゥッツマンのような「強さ」を感じじさせない理想の脱力感が真に迫り、、ジョルダンの清潔な音楽作りと見事なコントラストを成しています。マーラーの「第3番」と言えば、ホーレンシュタインの巨大造型美を誇る名演奏を無視するわけにはいきませんが、その衝撃の次元の差をはっきり確認できるのが最終楽章。コーダでの圧倒的な勝利の確信に向かって荘重に進行するホーレンシュタインに対して、ジョルダンはひたすら音楽への感謝の念を込めながら切々と歌い上げます。短調に転じる8:57からの感傷の極みのフレーズも決して泣きを煽ることなく、フレージングの自然な揺らめきを確保。最後の5分間はただひたすら眼を閉じて、ジョルダンと共に音楽に埋没したくなる気持ちを抑えられません。最後の大団円も全く自然体ながら、ティンパニの強打が全体と見事にブレンドしながら強固に轟く様も、更に感動に拍車をかけます。一方の  ツェムリンスキーも、あらゆる点で理想を行く録音。ツェムリンスキーらしい色彩の感覚的な面がが誇張されて描かれる(録音される)ことも少なくない曲ですが、まさに作曲者が範としたマーラーの「大地の歌」との連鎖を感じさせる、かすかに灰色の混じった色彩の交錯が見事に再現されています。全てのニュアンスは、マーラー以上にアグレッシブで、第1曲の後半は、入魂のシュミットの歌唱を向こうに回すほどの壮絶なうねり!第6曲で瑞々しい美声から溢れ出すヴィーンズの濃厚なニュアンスと、それに追い討ちをかけるジョルダンの決死の激情放射にも唖然。後期ロマン派の名残りとしてではなく、完熟のそれとして再現しつくした画期演奏です。2曲とも録音状態も極上で、ヴィクトリア・ホールの豊かな響きまで完璧に捉えられています。【湧々堂】

BBC LEGENDS
BBCL-4004(2CD)
マーラー:交響曲第3番 ジョン・バルビローリ(指)
ハレO、cho、
ケルスティン・メイヤー(Ms)、他

録音:1969年(ステレオ・ライヴ)
“「生」の喜び大全開!晩年のバルビローリが築く壮大な宇宙!”
 バルビローリの死が1ヵ月後に迫っているとは思えぬ活力漲るマラ3。どなたもこの人間味満点のニュアンスには頬擦りしたくなることでしょう。ここでは「6番」で見せたような滅亡感は皆無。子供のように純真な唄心に満ち溢れていますが、それががかえって涙を誘います。第1楽章のトラック4の行進曲の懐かしさ一杯のテンポ設定、第2楽章のワルターを思わせるロマンの香気、第5楽章の子供の「ビン!バン!」合唱の全身での無邪気な弾力など、聴きどころは尽きませんが、白眉は何といっても終楽章!一見さらりと流しているようでいて、フレージングは実に入念。魂を完全浄化した至福のニュアンスが溢れる様に心動かされない人がいるでしょうか!コーダ最後の和音で間を取るのも、バルビローリならでは!【湧々堂】

マーラー/MAHLER
交響曲第4番ト長調

Signum Classics
SIGCD-219
マーラー:交響曲第4番 サラ・フォックス(S)
チャールズ・マッケラス(指)
フィルハーモニアO

録音:2006年2月16日、クイーン・エリザベス・ホール(ロンドン/ライヴ)
 徹底して楽器を鳴らしきった画期的な「マラ4」の登場です!天国的イメージにとらわれず、またここでは、やや弦楽器のヴィブラートは抑制はしているものの古楽奏法を用いることなくアグレッシブなアプローチに徹することで、今まで埋もれていたこの作品のニュアンスに光を当てようとするマッケラスの意欲がひしひしと伝わる演奏。
 第1楽章の出だしは通常より速めで、そこから目まぐるしく緩急を付けて精妙なアンサンブルを聴かせます。アクセントは常に明快。音の線にも一切曖昧さを残さず。ジョージ・セルの演奏を更に現代の視線で徹底させた演奏とも言えましょう。とにかくどのパートがどういう意味を持ってそのフレーズを弾いているのかが手に取るように分かり、そうなると聴いていて次第に疲れてくることにもなりかねませんが、全てにおいてそれらのバランスが保たれ、意味があるのでそんな心配は全く無用です。 第2楽章は、冒頭から29秒間、最後のティンパニの一打に至るまで全てのパートが緊密に連携し、揺るぎない一本のラインを形成。その集中力の高さと、オケの精妙なアンサンブル能力には驚きを禁じえません。各楽器の奏法を厳格に指示することで、色彩の幅が今までの演奏よりも格段に広がっているのも特筆もので、それでいて音楽が萎縮するどころか、無限の伸びやかさと広がりを見せるのです。些細なことながら、6:31の付点のリズム!これがこんなに弾力性を持って浮上した例もかつてなかったでしょう。瞑想にふけることなく、音の輪郭を保ってクリアな音像で色彩を広げるのは第3楽章も同じ。これほどニュアンス豊かな音楽だったかと認識を新たにする方も多いことでしょう。
 第4楽章のフォックスのソロがまた絶品!リリカルなメルヘンに傾きすぎることなく、丁寧に音符を紡いでいるだけですが、発声の立ち上がりがまろやかで耳に心地良く、情感を力みなく表現しています。マッケラスはここでも遠慮することなく自己の音楽的主張を貫いていますが、2:53からのフルートとソプラノとのユニゾンに聴かれるように、完全にソプラノ独唱と呼吸を一つにしているので、煩く感じることなどないのです。
 ライヴとは信じ難いほどノイズが皆無なのもありがたい限りです(最後は拍手あり)。【湧々堂】

SUPRAPHON
SU-4081(2CD)
カレル・シェイナの芸術
(1)モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲
(2)交響曲第38番「プラハ」
(3)歌劇「皇帝ティートの慈悲」序曲
(4)ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
(5)シューベルト:交響曲第8「未完成」
(6)マーラー:交響曲第4番ト長調
全てカレル・シェイナ(指)チェコPO

(1)録音:1962年11月19日プラハ、ルドルフィヌム(ステレオ)
(2)録音:1953年8月7日、9月11日プラハ、ルドルフィヌム(・モノラル)
(3)録音:1956年4月5日プラハ、ルドルフィヌム(モノラル)
(4)録音:1953年3月6−7日&9日プラハ、ルドルフィヌム(モノラル)
(5)録音:1950年5月3日プラハ、ドモヴィナ・スタジオ(モノラル)
(6)マリア・タウベロヴァー(S)
録音:1950年4月6、7、29日&5月2日プラハ、ドモヴィナ・スタジオ(モノラル)

※2012年最新リマスタリング(エンジニア:ヤン・ルジチャーシュ)
 ドヴォルザークの交響曲6番(1951年録音)などでは、作品のローカル色を気品漂うフォルムで覆って味わい深い演奏を聴かせてくれたシェイナですが、ここではいわゆるお国もの以外から選曲されているので、シェイナの堅実な職人気質を認識することができ、またかつてのチェコ・フィルの音色の魅力をすべての曲から実感できます。
 「フィガロ」は、完全にイン・テンポによる洗練されたスタイルで一貫。「プラハ」もインテンポ路線を曲げず、個性的な表現は一切ありませんが、無機質になることなく、あくまでも作品に語らせようとする強固な信念が伺えます。そのカチッとした構成力と当時のチェコ・フィルの音色の深み、アンサンブルのセンスが生きているのが「皇帝ティートの慈悲」。
「未完成」は、第1楽章の独特の憂いを湛えた音色と、前へ進むのをためらうような伏し目がちのフレージングが印象的。
 マーラーは、昨今の精妙に再構築された演奏を聴き慣れた耳には朴訥そのものに響きますが、指揮者の個性を全面に出さないことがオケの潜在能力を十分に発揮させることとなり、9:56以降では、当時のチェコ・フィルでしか成し得ない色彩の妙味を堪能することができます。最大の聴きものは終楽章のタウベロヴァーの歌唱。1911年生まれの彼女の正式デヴューは、まさにこのマーラーの4番で、共演はワルター指揮チェコ・フィルでしたので、表現が練りこまれていることも頷けますが、なんと言ってもリリカルで清楚なニュアンスがこの作品にうってつけ。かなりポルタメントを多用しているにもかかわらず古さを感じさせないのは、音程は極めて正確で、フレーズの途中でブレスを挟むといった無神経な箇所など皆無なので、音楽自体が実に清潔。作品のフォルムの中で切々と詩情を香らせるという点では、あのバーンスタイン盤のレリ・グリストをも超えているかもしれません。【湧々堂】

PentatonePTC-5186.323(1CD)
マーラー:交響曲第4番 エスター・ハイデマン(S)
ハンス・フォンク(指)セントルイスSO

録音:2002年5月3日&4日パウエル・シンフォニー・ホール・ライヴ
 これがフォンク&セントルイス響のラスト・コンサート!しかし病魔の影は微塵も感じられず、生き生きとした表現意欲と、フォンクの最大の資質ともいえる、決して自身が出しゃばり過ぎることのない絶妙なバランス力は健在。木目調の純朴な響きを基調とした誠実な解釈で、安心して作品の素晴らしさに身を委ねることができます。しかし模範的な演奏といのに止まらず、聴けば聴くほど味わいの宝庫!例えば第2楽章7:31からのフレーズは無駄を排したイン・テンポですが、それが単なるイン・テンポ以上の豊穣なニュアンスが香り立つのです。第3楽章4:20以降、ホルンの持続音に続くオーボエのフレーズの何という儚さ!
 更に聴き逃せないのが終楽章のソプラノ。ハイデマンの声はリリカルでありながら粘着味も帯びており、マーラー特有のロマンを描くにはまさにうってつけ。その声の魅力を最大に生かして、どこかウェットな情感に惹きつけられます。中高域に掛けての音程が抜群に良いのも注目点。【湧々堂】

EMI(cfp)
5734372
マーラー:交響曲第4番 フランツ・ウェルザー・メスト(指)LPO
フェリシティ・ロット(S)

録音:1988年
“全てが完璧!ウェルザー=メスト一世一代の名演奏!”
 LPOのマーラー「4番」といえば、ホーレンシュタインの恐ろしく彫りの深い演奏が忘れられませんが、そのスケール感に加えて甘美なロマンと内声の豊かな表出を見事に実現した演奏で、録音の良さとも相まって、過去の歴史的名演奏と堂々と肩を並べるべき逸品です。音の重心は常に低く保たれながら音楽が決して重くなることな、しなやかに大きな弧を描きつつ、どこまでも有機的に情感が湧きあがるののです。
 第3楽章など、当時まだ若手といわれた指揮者の技とは思えぬ懐の深さで、フレージングが全く停滞せずにテクスチュアの美しさを最後までキープ。最後のトゥッティも力みを見せ、巨匠級の威容を見せ付けます。更に驚異的なのが終楽章!ソプラノの伴奏に徹する演奏も少なくない中で、ソプラノの陰になり日向になり精妙な表現力を絶やさないこんな素敵な演奏がかつてあったでしょうか?しかもソロが絶頂期のF・ロット!シュワルツコップの鉄壁ながら粘着質なアクを持つ声を敬遠される方は、特に必聴です。声質の美しさ、ヴィブラートの使い分け、音程の正確さ、息継ぎ箇所の適切な選択、語りの巧さ等々、シュワルツコップを超えるとさえ言いいたい素晴しさ。特に弱音が延々と続く後半6:42以降は、ウェルザー・メストの温かな包容力と共に涙なしには聴けません!【湧々堂】

BBC LEGENDS
BBCB-8004
マーラー:交響曲第4番
さすらう若人の歌、
子供の不思議な角笛(抜粋)*
ベンジャミン・ブリテン(指)LSO
ジョーン・カーライル(S)
アンナ・レイノルズ(Ms)、
エリー・アメリング(S)*

録音:1961年、1972年、1969年(全てステレオ・ライヴ)
“シューリヒトを思わせる繊細さ!ブリテンが描く至純のマーラー!”
ヘンリー・ウッド指揮のマーラーを聴いて以来マーラーの音楽の虜になったというブリテン。彼のマーラーは精妙に歌いつつもバーンスタインのように感情を剥き出しにすることなく、しっとりと人間愛を湛えていて感動的!テンポの急緩も自然な呼吸と一体化し、あのモーツァルトの名演のようにふわっとニュアンスを香らせる天性のセンスが発揮され、聴後の余韻も格別です。各独唱陣もそんなブリテンの音楽性と完全融合。特に、「角笛」を歌うアメリンクには注目です!【湧々堂】

BMG
09026-62521
マーラー:交響曲第4番 コリン・デイヴィス(指)
バイエルンRSO
アンジェラ・マリア・ブラシ(S)


録音:1993年
“堅実派デイヴィスが一世一代の表現欲を開花させた感動作!”
 この曲を聴き栄えのしない軽い作品だと思っている方は特に必聴です!レパートリーを限定し、作品へ誠実に奉仕することを信条とするデイヴィスですが、ここでは単なる堅実さに止まらず、この作品のメルヘンチックな雰囲気から一歩も二歩も踏み込んで、内面に潜む人間的なニュアンスを惜しげもなく抉り出す意気込みの凄さに打たれます。
 第1楽章の滑り出しは実に小気味良いので、ここまま軽いテクスチュアで通しながら過不足のない進行を続けるのかと思いきや、主部の入り口のリタルダンドの呼吸のしなやかさに息を飲み、この瞬間から確実に聴き手を別世界に誘います。アクセント、強弱も明確にコントラストを付け、その熱い呼吸を伴った意味深いフレージングは吸引力抜群!0:44から再びテーマを繰り返しますが、こんな鮮やかなテンポの切り返しは他に聴いたことがありません!第2主題に入るとまた別の世界を現出!美しい歌に満ちているのはもちろんのこと、ドラマチックな音楽として蘇らせようとする強靭な精神さえ感じさせるのです。ヴァイオリン・ソロが登場して以降は更に彫琢の度を深め、8:11からの内声のあぶり出し方は何としてもお聴き逃しなく!ヴァイオリン・パートの強弱のレスポンスと発作的なホルンの強奏などを交えながら、オケの高性能ぶりも手伝って戦慄を禁じ得ません!気の遠くなるようなピアニッシモを経ててコーダの締めくくりは、一切もったいぶったところがなク、意外なほど爽やかな終わり方ですが、それによって逆に、今までいかに濃厚なドラマの奔流の中に居たカということを思い知らされるのです。そんな後味を残す演奏が他にあるでしょうか?
 第2楽章の意味深さも尋常ではありません。冒頭は通常よりも弱音気味で通すことによって、内面の屈折した精神がじわじわと染み出し、木管ソロなどで即興的なアゴーギクをふんだんに駆使。細部まで徹底的に凝視したこの生々しい表現を実現するのに、一体どのようなリハーサルを行なったのでしょうか?しかもそれらの全てには、意図的に計算したような嫌らしさが一切ないのです。この演奏で、いわゆる「天国的な癒し」を感じさせる唯一の楽章が第3楽章。しかし、ただ美しいだけでないのは今までと同じ。ブルックナーのような深々とした敬虔な祈りが潜む弱音!オーボエ・ソロが現れてからのニュアンスの意味深さといったら、にわかに信じ難いほどです。そして最後の風格に満ちた高揚!終楽章がまた凄い説得力で、歌手の伴奏に徹しているだけの演奏がいかに多いことか気づかされること必至です。とにかく他の楽章同様、テンポへのこだわりはここでも尋常はなく、そのテンポにぴったりと寄り添って確かなニュアンスを醸し出すブラシの歌唱も見事。オケの巧さについては言うまでもありませんが、このバイエルンのオケの巧さでなければ絶対に困る!と思わせる程の本物の巧さはやはり特筆ものです。そして録音のバランスの良さも。これほど画期的な名演奏でありながら、これまた日本ではサッパリ話題になりませんでした。この程度の演奏なら他にもある、と言うのなら是非教えてください!【湧々堂】

BBC LEGENDS
BBCL-4014
マーラー:交響曲第4番
ベルリオーズ:序曲「海賊」
ジョン・バルビローリ(指)BBC響
ヘザー・ハーパー(S)

録音:1967年1月3日スメタナ・ホール(ステレオ・ライヴ)
“バルビローリのライブ録音の中でも出色の感動作!”
この曲は、バルビローリの音楽的資質と完全にマッチしているせいか、全ての表現がダイレクトに胸に迫ります。
 第1楽章から唸り声と共に遅いテンポで主情たっぷりに歌い上げますが、開放的なバーンスタインとは対照的に徹底した内面熟成型。ただ、コーダだけは現実に立ち返ったように決然とした意志の力でリズムを刻むのが印象的です。第3楽章は、弦のポルタメント、固いバチによる大仰な強打等、一見時代掛かった表現で埋め尽くされていますが、全くいやらしさを感じさせないのは、それが心の底から発せられている証拠でであり、バルビローリのセンスの賜物でもあります。終楽章冒頭の符点リズムの大きな揺れ、第3動機が現れるたびにテンポをガクッと落して切々と歌い上げるのも、ハーパーの美声と相俟って更に感動を掻き立てます。なお、以前発売されていたDISQUES REFRAIN盤と演奏は同一と思われます。【湧々堂】

VANGUARD
08616471[VA]
マーラー:交響曲第4番  モーリス・アブラヴァネル(指)ユタSO
ネタニア・ダウラツ(S)

録音:1968年(ステレオ)
“ダウラツの可憐な美声が光る、天上のマーラー!”
 世界初のマーラー交響曲全集の中の忘れえぬ1枚。ややドライな感触を基調とするアブラヴァネルのマーラーの中でも、これは温かな情感と一体となったテンポの変化が絶妙な味を残し、オケの反応もしなやかで、自然に至福の雰囲気を醸し出しているのが特徴。特に、弦の艶やかさとまろやかさを併せ持つ響きは信じ難いほどで、第2楽章のポルタメントも少しも下品になることなく、とろけるような甘さを引き出してくれます。終楽章は、カントルーブの名唱で知られるダウラツの、歌い込みすぎることのないチャーミングな表情が心に染みます。【湧々堂】

マーラー/MAHLER
交響曲第5番嬰ハ短調

オクタヴィア
OVCL-00460(1SACD)
マーラー:交響曲第5番 マンフレッド・ホーネック(指)
ピッツバーグSO
ウィリアム・カバレロ(Hrn)
ジョージ・ヴォスバーグ(Tp)

録音:2011年5月20日-22日ピッツバーグ、ハインツホール・ライヴ(拍手なし)
 ホーネックのマーラー・シリーズ第4弾。前作の第3番以上に、ホーネックと作品との相性の良さを示し、入魂を極めた素晴らしい演奏を展開しています。
 第1楽章冒頭のトランペットは骨太で荘厳。その響きは、作品全体のアプローチを早くも象徴しています。弦の主題は単に暗さを演出するのではなく、表現意欲を隠さないのがいかにもホーネック流。強弱対比を綿密に盛り込みながら表情に変化を与えます。第2トリオ前の、驚異的に正確な音程のティンパニ・ソロも聴きもの。
 第2楽章は9:17以降の怒涛のうねりに圧倒され、金管と弦との緊密な一体感もホーネックの手腕の確かさを証明しています。第3楽章はまさにウィーン出身のホーネックの面目躍如!冒頭ホルンからウィンナ・ワルツ風の拍節を明確に表出し、それは弦にもしっかり引き継がれて行きます。しかしのどかな雰囲気を全面に出すのではなく、音楽の内面には常に意志の力が内包されていて、音像は常に確信に溢れています。第1トリオでも女性的なしなやかさに傾かず、深い呼吸を絶やしません。カバレロのホルンもホーネックの確信的な音楽と同様に堂々たる響きを披露し、コーダ直前の鳴りっぷりは驚愕。それでも、スタンドプレー的な嫌らしさがないのです。 
 第4楽章はやっと聞こえる程度の最弱音で開始。その夢か現かわからない雰囲気をハープによってわずかに覚醒させて滑り出します。ここでも音楽への真摯な打ち込みは並々ならぬものがあり、虚飾排した息の長いフレージングが、決して「サロン音楽」ではないと実証するかのように深い瞑想感を醸し出します。
 終楽章は立体的な音像の築き方が見事!特に対旋律の意味深さは心を捉え、多彩な表情変化を交えて堂々と進行。冗長さを感じさせずに、圧倒的なクライマックスに達します。
 マーラーの交響曲の中でも特に競合盤の多い作品ですが、もう色々聴き尽くしたという方でも、これにはきっと感動を新たにされることでしょう。【湧々堂】

TUDOR
TUD-7126(1SACD)
マーラー:交響曲第5番 ジョナサン・ノット(指)バンベルクSO

録音:2003年9月15-19日 ヨゼフ・カイルベルト・ザール
“ジョナサン・ノットとバンベルク響の幸福な融合!”
 録音の優秀さも含め、この作品に期待する全ての要素を内包していると言いたいほど素晴らしい名演奏!確かな造形美の中でマーラーの深層心理にどこまで接近できるかに掛ける意欲は最後まで貫徹されています。
 第1楽章冒頭トランペットからして、奏者にお任せの無秩序とは無縁で、心に突き刺さる死の宣告。囁くようなティンパニ・ソロに続く10:33からの弦の旋律のデリカシーは、テクスチュアの美しさとも相俟って儚さの限り。その後のトゥッティ(11:58)の響きはただの大音量ではなく、精魂尽き掛けの最後の絶叫のよう。そういう生々しい表情に演出めいた嫌らしさがないので、心にダイレクトに迫るのです。
 第4楽章も耽美的なメロディーを誇示する素振りは見せず、ひたすら一途な愛情を持って音化に専念。バンベルク響の弦の響きの美しさも格別。
 終楽章は前半では歓喜に湧き立つのはグッと堪えて内省的なニュアンス表出に専心。中盤以降で次第にリズムに強靭さを加味しながら男性的な力感を段階的に増幅していく手法が素晴らしく、冗長になりがちなこの楽章が明確なコントラストを伴った訴求力の高い音楽に昇華されています。注目すべきはコーダ品格!14:35からのティンパニとのハーモニーをきちんと表出し、最後の一音までたがを外すことなく毅然と締めくくります。
 2000年にイギリス出身のジョナサン・ノットがバンベルク響の音楽監督に就任したことは当時は意外な結付きに思われましたが、これを聴くと互いの魅力を高め合う幸福な出会いであったことを痛感せずにはいられません。 【湧々堂】

ICA CLASSICS
ICAC-5091B
マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調 ハンス・ロスパウト(指)ケルンRSO

録音:1951年10月22日(モノラル)
※初CD化
“比類なき構築と燃焼!冷たいだけではないロスバウトの決死のマーラー”
 ハンス・ロスバウトは、クールでストイックな現代音楽のスペシャリストと認知される場合が多いですが、この異様なまでに内燃の炎をたぎらせた「第5」を聴くとそんなイメージは吹き飛ぶばかりか、ワルターともバーンスタインとも違うマーラーの心情への独自の肉薄ぶりに驚きを禁じえず、マーラー演奏の一つの規範として位置づけるべき存在であることを確信させられます。
 第1楽章の導入は遅いテンポで悶絶の限りを尽くして絶望の真っ只中。しかもハーモニーのバランスと各音の輪郭が極めて克明なので、主情に任せただけの演奏とは違うひんやりした恐ろしさが漂い続けます。ところが第1トリオに入ると、「突然より速く情熱的に荒々しく」の指示通りにアクセル全開で狂気の世界へ一気に転落。このコントラストがこんなリアルに表出された例も稀でしょう。7:18からのザラッとした色彩感覚は放心のまま彷徨うマーラーを象徴するかのよう。そして最後を締めくくる一音!強くもなく弱くもなく、こんな含蓄のある響きはめったに聴けません。
 第2楽章も強固な立体感を打ち立てながら音楽は常に熱く、微温的なフレーズなど一切存在しません。第3楽章もホルンに続いて最初に鳴らされる打楽器の響きで明らかなように、楽しい舞曲的な雰囲気などなく、妥協のないリズムの打ち込みと共に、無理やり人生を肯定するような独特の意志の力によって推進力に満ちた演奏を貫徹。アンサンブルのレスポンスの高さも特筆もの。
 多くのロスバウトのイメージを払拭する最たる例が第4楽章。夢の余音から抜け出せないままふわっと滑りだす第一音!単に心を込めて奏でているだけではないロマンのエッセンスを集約したような独特の感覚はこの楽章全体を貫き、遂には強弱、緩急、硬軟全てを柔軟に駆使して禁断の領域へ踏み込んだような生々しいドラマへと発展させるのです。これほど全てをやり尽くした演奏があったでしょうか?
実は個人的に、この作品のどんな感動的な演奏を聴いた後でも決まって「終楽章だけもうちょっと何とかならないのか?」という贅沢な願望が頭を過るのですが、そんなことを考えも及ばず聴き入ってしまったのはマッケラス以来の体験でした。どんな演奏でもそれなりに盛り上がる楽章ですが、単に享楽的な作風に乗っかるだけではなく、作品の構築を限界まで炙り出して起承転結をつける指揮者の力量が問われる恐い音楽なのかもしれません。
録音も年代のわりには極めて明瞭。拍手なし。【湧々堂】

EVEREST
EVERCD-011
マーラー:交響曲第5番 ルドルフ・シュヴァルツ(指)LSO

録音:1959年頃(ステレオ)
“丁寧なフレージングから溢れ出す熱きロマン!”
 ルドルフ・シュワルツ(1905-1994)はウィーン生まれ。作曲をR・シュトラウスなどに学んだ後、ウィーン・フィルのヴィオラ奏者となり、1924年指揮者としてデビュー。戦後は主にイギリスで活動し、ボーンマス響、バーミンガム市響、BBC響のシェフを務めました。録音はほとんどが協奏曲の伴奏なので、この録音は非常に貴重。しかも忘れ去られるにはあまりにも惜しい名演奏です。
 ちょっと古臭いステレオ録音だな…と思いながら聴き始めると、なんだか只ならぬ予感。曲が進むに連れて徐々に引き込まれ、そのイメージはすぐに確信へと変わります。誇張は一切ないにもかかわらず、何とも言いえぬ重苦しい空気感が漂い、音楽を末端まで感じ切っているのが聴き手にもひしひしと伝わります。不安から抜け出す糸口が見つからないまま焦燥する心の様が、とても生々しい形でひたひたと迫り来るのです。
 第1楽章展開部は勢いに乗せて直進するのが通例ですが、ここでは足かせを取り払うことなく重心を低く保ったまま、渋いサウンドで昇華。ほとんどインテンポを貫徹していますが、決して縛り付けたようなそれではなく、枯淡の境地さえ滲みます。ティンパニ・ソロが内面から抉り出すような音を発しているのも印象的。そのティンパニが、コーダではトレモロに変更されているのがユニークで、これがまた意味深! 第2楽章もテンポは遅め。力みが一切なく自然体の構築の中から 嘆きの歌が滔々と流れ出ます。7:20からの明るいフレーズのクラリネットの何という巧さ!その後の金管の応酬の素晴らしさ特筆。全体のリズムは現代風に弾むことはありませんが、心の奥底からの呼吸が伝わります。
 第3楽章はタックウェルと思われるホルン・ソロの巧味に加え、やはり古風な佇まい、中低域をがっちりと固めた音像から、表面的な可憐さを越えた精神的な重みを感じる音楽性が魅力。第4楽章は纏綿たるロマンを放つのではなく楷書風。音楽の流れも表明上は淡白ですが、声部間の緊張度は高く、後半に進むに連れて音楽の振幅が大きくなるのが特徴的。
 終楽章も格調高い表現を最後まで貫徹。【湧々堂】

BMG
75605-51318
マーラー:交響曲第5番 ダニエレ・ガッティ(指)ロイヤルPO

録音:1997年
“『マラ5』の歴史を塗り替えた史上空前のダイナミズム!!”
 最初のトランペットのソロ(イアン・バルメイン)から、いきなりノックアウト!これほどまでに間(ま)をたっぷりとって、入念かつ精妙、決然とした意思を伴って鳴り響いた例はないでしょう。続く弦の主題は凛とした表情を変えないまま、呼吸は徹底して深くとるという驚異の技で、この時点で誰もが言葉を失うことは必至!第2楽章は、クライバーもびっくりの推進力と強烈なニュアンスの応酬で、トロンボーン・パート(8:46)は、その機能の限界ぎりぎりの速さで圧倒!アダージェットは、自らは決して溺れず、聴き手を完全に陶酔の世界へ引き込む巨匠芸!録音も鮮烈で、これらの魅力を余すところなく伝えています。【湧々堂】

Priory
PRCD-649
マーラー:交響曲第5番
(D.ブリグスによるオルガン編曲版)
デイヴィッド・ブリッグス(Org)

録音:1998年
“荘厳!神の声と化した戦慄の『マラ5』!”
 これは単なる“ゲテモノ趣味”と笑って済まされません!冒頭を数秒聴いただけで、ブリッグスがいかに全身全霊を傾けてこの前人未到の偉業に着手したかが実感できます。彼は14歳で初めこの曲に触れて以来、その魅力の虜になったそうですが、編曲の完成度、壮麗さは、単なる愛情以上の技の勝利で、マーラー独自の多声部の絡み合いが恐ろしくリアルに描き出され、聴き手に相当の緊張を強いる程の圧倒的な音像を打ち立てているのです。「アダージェット」の現実離れした美しい空間表出は、まさにオルガンだからこそ可能なもので、作品本来の核心に最も接近したものに感じられる瞬間、思わず合掌したくなります。【湧々堂】

TAHRA
TAH-242
マーラー:交響曲第5番 カレル・アンチェル(指)
トロントSO

録音:1969年11月4日(モノラル・ライヴ)
“祖国を捨てて新天地で轟かせた壮絶なマーラー!”
 アンチェルのトロント響音楽監督就任直後の貴重なライヴ。ナチスによって彼の家族が惨殺された無念をも込めたような、尋常ならざる音楽の噴出ぶりに、感動を抑えることが出来ません。しかし、音そのものには一切不純物はなく、ただ音楽の核心のみが塊となって迫るのです。第2楽章冒頭の、大地が陥没しそうな異常なうねりと破壊力、終楽章のヴォルテージの高さも壮絶ですが、第4楽章の綺麗ごとでは済まされない心のレクイエムは、涙なくして聴き通すことなどできません!CBC放送音源のため音質も良好で、新天地でのアンチェルの意気込みを知るのに十分なものです。【湧々堂】

EMI
7637812

マーラー:交響曲第5番 チャールズ・マッケラス(指)
ロイヤル・リヴァプールPO

録音:1990年
“不純物ゼロ!スコアの隅々まで鳴らし切ってマーラーのイメージを刷新!”
 スコアに書かれた音符の全てを本来あるべき形で再現させる手腕に掛けてはマッケラスの右に出る指揮者はいないと思いますが、ここでも、今まで気付かなかった裏の旋律、リズムの意味が次々と解明されています。それが単なる分析に終わらず、音楽のエキスだけを集約した演奏の説得力の高さをまざまざと思い知らせれるのです。いきなり第1楽章冒頭、主題の1拍ごとの音の重みと、強靭に打ち込まれるリズムの威力に驚愕!強拍には徹底的にアクセントを施し、歌うべき箇所では絶妙なアゴーギクと共にセンス満点のポルタメントを随所に付加、細かいトリルの最後の一音まで鳴らし切るなど、マッケラス一流のこだわりが見事に凝縮されています。コーダを締める最後の弦の一撃の凄まじさは鳥肌もの!第4楽章はもちろん高純度を誇り、どこまでも透見通しの利いたテクスチュアをベースに、深い呼吸で一途に歌い込む様が感動的です。これ以上に機能美と内面的な掘り下げの両面を兼ね備えた演奏が他にあれば、是非お教えください!【湧々堂】

RUSSUAN REVELATION
RV-10049
マーラー:交響曲第5番 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(指)
モスクワRSO

録音:1973年(ステレオ)
“ロシア臭全開!このコンビだから許される掟破り!!”
 誰もが予想するとおり、容赦ない豪快な鳴りっぷりの常識の全く通用しないマーラー!冒頭のトランペットから早速ギラギラしたヴィブラートが強烈ですが、第2楽章の第2主題、チェロが切なさ一杯の歌を聴かせていることもお忘れなく。各声部のバランス感覚と安定感は、ロジェヴェンならでは。耳慣れない表現でも、そういうものだと納得させられる力を孕んだ凄演です。【湧々堂】

マーラー/MAHLER
交響曲第6番イ短調「悲劇的」

Hanssler(SWR)
94-217
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」 キリル・コンドラシン(指)
バーデン=バーデン&フライブルクSWR響(旧南西ドイツ放送交響楽団)

録音:1981年1月13日-15日バーデン=バーデン、ハンス・ロスバウト・スタジオ(ライヴ・ステレオ、拍手なし)[SWR収録]
 コンドラシンの死の2ヶ月前のライヴ。贅肉を削ぎ落した洗練された響きによって、マーラーのスコアをリアルに音化した鮮烈な演奏。セルの精密さとショルティの強靭さ、ミトロプーロスのアポロ的凄みまでも内包する恐るべき名演と言っても過言ではありません。
 第1楽章冒頭の切り込みから不純物を寄せ付けない研ぎ澄まされたイン・テンポ進行に緊張が走ります。アルマの主題はぐっとテンポを落とした濃厚な歌を繰り広げますが、擦り寄るような甘さではなく、音の緊張を維持したままアグレッシブな主張を続けるのが印象的。提示の繰り返さないのもここでは推進力維持のため大きく功を奏しています。8:19からのヴァイオリンソロには綿密に強弱のニュアンスが盛り込まれているうえに、ハリのある響きで強烈な求心力を放つのには驚ろかされます。強弱対比といえば、チェレスタを伴う夢遊病的なシーンの直後(12:23)に現れる弦のシャープな色彩コントラストは、まさにコンドラシン節全開!コーダの音像の強烈な引き締めも比類なく、確信の満ち溢れ方が尋常ではありません。
 ソリッドに聳える第2楽章(スケルツォ)も推進力のみならず、並外れた呼吸の瞬発力が手に汗握る緊張を生み、素朴なトリオさえもプロコフィエフのような刹那感。
 かつてコンドラシンが指揮した後にそのオケを振った岩城宏之が、オケの響きが大掃除したみたいに変貌していたのに驚いたと語っていましたが、そのコンドラシンの響きの統制力と、透明感のあるテクスチュアを形成する能力を痛感させられのが第3楽章。これ以上高潔な音があり得ましょうか?
 終楽章は第1主題のスピード感が猛烈!しかもパートの受け渡しが手に取るように分かるほど音の隈取が明瞭。例えば第1主題が再び現れ(7:23)、それが低弦に引き継がれ、管楽器へつなげるまでのプロセスが完全に数珠つなぎとなって連鎖するなど、他では聴けないものでしょう。第2展開部で鞭が登場するシーンがこれまた超高速。しかもアンサンブルは驚異的精巧さ!第3のハンマーは通常通りなし。【湧々堂】

オクタヴィア
OVCL-00516(2SACD)
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」 エリアフ・インバル(指)東京都SO

録音:2013年11月2日横浜・みなとみらいホール、11月3日東京劇術劇場・ライヴ
 インバルのマーラーとなれば聴く前から名演であることは予想されますが、聴後の今では、容易に入手できるディスクとしてはこれを超えるももは当分出てこないという確信に変わりました。インバルのマーラー体験の集大成が凝縮され、不要なものは削ぎ落とし、不可欠なニュアンスは徹底的に具現化するスタンスが比類なき説得力を持って聴き手に迫ります。録音の優秀さも言うまでもありません。
 第1楽章は悲劇性や攻撃性を前面に立てず、瑞々しい情感を引き出すことに重点を置いており、アルマのテーマが誰よりも憧れに満ち心から歌い抜いていることからもそれは明らか。提示部の最後で思い切りテンポを落としますが、わざとらしさなど皆無。展開部のカウベル登場以降はインバルの唸り声に象徴されるように、身を焦がす切なさが溢れ感動的。チェレスタが入る18:03からの忘我的な楽想後半でガラッとニュアンスを変え、続くフレーズへと美しく連動させる技にもシビレます。 第2楽章はリズムを重く刻みながら推進性は確保。第3楽章は、純潔な歌が横溢。当然のようにインバルの唸り声(歌声)も頻出。後半12:18以降は、マーラーが書いた最も幸福で開放的な音楽であることを痛感させるほど、色彩感もフレージングも最適最良なものが厳選されています。終楽章はインバルの造形力を大発揮!全てが筋金入りで神々しささえ覚えます。オケの技術もきちんと弾ききっているという次元を超え、マーラーは自分たちの音楽という確信に満ち溢れ、そつのない演奏をする欧米のオケにぜひ聴いてもらいたいものです。
 ところで、普段はネガティブな要素があるならそもそもコメントなどしないというのを旨としていますが、先に触れたインバルの唸り声だけは触れておくべきでしょう。それを想定した上でお聴きいただくほうが良いと考えるからです。とにかくグールドもびっくりの唸りっぷりで、大音量のトゥッティならまだしも、静かな曲調の第3楽章でそれを延々とやられると、ドキッとすることもたびたび。ホルンのフレーズとユニゾンで歌われると興が削がれます。「ライヴの雰囲気を伝える」と言えば聞こえはいいですが、聴衆は指揮者の真横で聴いているわけではないのです。編集で何とかならないものでしょうか?だからと言って、この演奏の偉大さは揺るぎようもないことは、改めて申し上げたいと思います。【湧々堂】

EMI
CZS-5754712(2CD)
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」*
R・シュトラウス:7つのヴェールの踊り
ドビュッシー:「海」
ベルリオーズ:「ロメオとジュリエット」〜5曲
ディミトリ・ミトロプーロス(指)
ケルンRSO*、NYO

録音:1959年(マーラー)、1956年(シュトラウス)、1950年(ドビュッシー)、1952年(ベルリオーズ)  全てモノラル録音
“ミトロプーロスの“狂気”を集約した恐るべき2枚組み!”
 まず、間違ってもマーラーの前に「7つのヴェールの踊り」を聴かないようご注意下さい!それほど異常なテンションで貫かれ、R.シュトラウスの管弦楽法の枠さえも破裂させる勢いで露骨な激情を放射し尽くしているのです。冒頭の打楽器の狂乱で聴き手を打ちのめした後、オーボエの絞り出すような悶絶が鋭利なアクセントを伴って迫り、テンポの揺れも巧妙なアゴーギクどころではなく、生身の人間の鼓動そのもの!弦のユニゾンに突入すると、ドロドロの官能一色で、とてもスピーカーの前で平静では居られなくなります。後半の急速テンポの狂乱も命がけで、まるでミトロプーロス自身の日頃押し潰している欲望の全て一気に吐き出したかのような異常な激高には、もう手も足もでません。こんな演奏をしていたら、長寿を全うできる道理がありません。
 一方のマーラーは、それこそミトロプーロスの常識破りのダイナミズムと透徹しきった歌、強烈な緊張の持続で聴き手を呪縛し続ける超名演で、録音がモノラルであることが逆によかったと思えるほど、強烈なインパクトの連続です!
 第1楽章冒頭の低弦の切込みから血生臭く、テンポ自体はごく標準的ながら、どこまで行っても音の全てが灼熱にいきり立っています。全くもったいぶらず、直線的に飛び込んでくる第2主題もフレーズの内面のうねりが尋常ではなく、ミトロプーロスならではの神々しい音像を打ち立てています。展開部でVnソロとホルン・ソロが絡み合う場面の艶かしさも、口で説明しただけでオケに伝わる技ではありません。
 第2楽章のリズムの切れも皮相な表現の入り込む余地なし!トリオに入っても素朴な安らぎなどなく、全ての音が切迫しおり、聴き手を優しく包むのは第3楽章に入ってから。もちろんその美しさは感覚的なものに止まらず、諦観のニュアンスに満ち、5:23からの迫真の呼吸には言葉を失います。終楽章も相当の覚悟をしなければ聴き通せないほどの極度の緊張が横溢。特に最初のハンマーが叩き下ろされて以降のヴォルテージはまさに超人技!また、この演奏では3回目のハンマー打撃を実行(しかも前2回よりも強烈!)していますが、この世の終わりのような壮絶な内容を誇るこの演奏にして初めてその意味を持つことを痛感させられます。ケルン放送響の破綻のないアンサンブルも驚異的!【湧々堂】

Chandos
CHAN-9207
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」 ネーメ・ヤルヴィ(指)
スコティシュ・ナショナルO

録音:1993年
“問答無用!豪快に爆進を続ける灼熱のマーラー!”
 第1楽章の冒頭から切迫した激情むきだしの速いテンポで圧倒!そのまま有無を言わせず突進し続けますが、ショルティのような強引さは不思議と感じられず、人間的な温もりをふとした瞬間に垣間見せるあたりが実に味!終楽章も相当の迫力ですが、ただの絶叫で終わらず、悟りにも似た充足感に溢れ、結末の手応えも破格です!【湧々堂】

CPO
CPO-999477
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」 ハンス・ツェンダー(指)
ザールブリュッケンRSO

録音:1973年(ステレオ)
“この上ないスコアの読みの深さで迫る、ツェンダーの至芸!”
 決して感情の溺れず、埋没しがちな重要なパッセージを白日の下にさらしながら、見事な緊張感と推進力で迫る名演。とにかく、スコアの掘り下げと、その意味の持たせ方において圧倒的な存在感を誇っています。テンポは、イン・テンポとルーバートを明確に使い分け、そのコントラストは絶妙の極。第1楽章、アルマの主題の直前、弦の痛いくらいのピチカートは、続くそのテーマの輝かしさと見事な好対照をなしています。15:26の弦の刻みはあまりにも生々しくショッキング!第3楽章も、軟弱さとは無縁の彼岸のニュアンスを完全表出。小手先のマーラーに飽きている方は、特に聴き逃せません!【湧々堂】

マーラー/MAHLER
交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

BBC LEGENDS
BBCL-4051
マーラー:交響曲第7番 ヤッシャ・ホーレンシュタイン(指)
ニュー・フィルハーモニアO

録音:1969年8月29日(ステレオ・ライヴ)
※DESCANT盤と同一音源
“高潔な精神と宇宙規模の造型が、クレンペラーの影さえ掻き消す!”
 クレンペラー存命中のこのオケから、その音色とは全く違う、縦に真っ直ぐ伸びる巨大な造型を構築させ、この曲の懐の深さを痛感させる凄演に仕上げています。ユニコーン録音の「巨人」や「第3番」でその凄さを知っている方も、尋常でない音の重量感、粘着力の強いリズムの打ち込みと相俟った迫力、壮絶なドラマ展開力には圧倒されること必至!
 第1楽章のコーダの執拗な楽想の繰り返しの全てが、見事なメリハリを伴って雄叫びを上げ続ける様には、会場の全員が完全降伏している様子が目に浮かびます。アゴーギクは最少ながら、不思議な屈折感で埋め尽くされている第2、第3楽章も独特の濃密な味。束の間の安らぎの第2楽章中間部でさえ根底で情念が燻り続け、コレレーニョはもちろん、カウベルの響きまでも不気味。
 第4楽章の美しいセレナードもどこか「痛い」ニュアンスが漂い、極美のマンドリンが、その心の傷を広げるかのように囁くのです。終楽章はまさに重戦車!ここでも楽天的で唐突な楽想が軽妙に弾むことはありません。ティンパニの発言力を最大に引き出すホーレンシュタインの特質も大全開。終演後は堰を切ったような大拍手が巻き起こります。【湧々堂】

マーラー/MAHLER
交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」

BBC LEGENDS
BBCL-4001(2CD)
マーラー:交響曲第8番「一千人の交響曲」 ヤッシャ・ホーレンシュタイン(指)
BBC響

録音:1959年(ステレオ・ライヴ)
“感動の即席ライヴ!BBCの総力を結集した“一千人”!!”
ホーレンシュタイン独自の仄暗い音色感覚と、剛直な構築力は、まさにマーラーを指揮するために備わった資質と言っても過言ではないと思いますが、メジャー・レーベルへの録音が極端に少ない演奏家の常ながら、日本ではその評価が未だに定まっていないのはなんとも残念なことです。この演奏も、彼の稀有な音楽性を如実に証明していますが、なんとこの録音は、BBCの予算を消化するために急遽組まれたもの。膨大な人数をかき集め、まだ放送では実験段階だったステレオシステムで録音する事で、当初の目的は達成されましたが、驚きは、そんな状況下の録音にもかかわらず、演奏自体の燃焼度、完成度が尋常でないこと!いくらマーラーの権威者ホーレンシュタインとはいえ、合唱、ソリストの隅々にまで、独特の骨太の構築と、暗いトーンの音色表出を徹底させてしまうのには、驚きを禁じ得ません!【湧々堂】

マーラー/MAHLER
交響曲第9番ニ長調
Relief
CR-991072(1CDR)
マーラー:交響曲第9番 ウラディーミル・フェドセーエフ(指)
モスクワ放送SO

録音:2002年12月5日〜7日6日 デジタル・ライヴ
“ごまかしのない迫真の最弱音が、聴き手の魂の響く!!”
 この曲の演奏には死のイメージと彼岸の境地、独特の諦観が不可欠ですが、そうなるとフェドセーエフの常にリアルな音像で迫る音楽作りとは馴染まないのでは?と思ったら、フェドセーエフはさらに遥か上の次元で、高潔極まりない演奏を繰り広げているのです!できるだけ旋律線をぼかし、生命感を押し殺した演奏が多い中で、デリカシーを極める箇所と、灼熱のリズムを沸き立たせる箇所のメリハリをはっきりとつけることで、音楽が淀むのを徹底的に回避し、スコアに書かれた音符の意味の全てを音化し尽しているのです。
 第2楽章冒頭のファゴットの上行音型が、快速で決然と駆け上がる箇所や、第3楽章の弦パートの目まぐるしい絡み合いの隙のなさは、意思の力が真に宿っている証しで、だからこそ、最後の楽章の透徹の美しさが一層感動を誘うのです。
 その終楽章は弱々しさ一辺倒ででごまかさず、徹底的に内声を抉り出しながら、マーラーの精神に肉薄する集中力が最後まで弛緩することはありません。延々と最弱音が続く9:10程からの透明感は、感覚的な美など無縁。息を潜めたコーダでも音が痩せず、最後の一音まで音楽として響かせるこだわりが見事に効を奏しています。ニュアンスを込めぬいた呼吸から次第に芯が抜けていくようなコーダの消え入り方は、このまま死んでしまいたいくらい…。この弱音で聴き手を牽引できる技を持つ指揮者が、今どれだけいるでしょうか?湧々堂・【湧々堂】

読響アーカイブ
YASCD-1003
マーラー:交響曲第9番ニ長調 ハインツ・レークナー(指)読売日本SO

録音:1988年3月8日東京文化会館ライヴ
(サウンド・マスタリング:WEITBLICK)
“シューリヒトを彷彿とさせるしなやかで精緻な息遣い!”
 2012年に創立50周年を迎えた読響の秘蔵音源。このオケと縁の深かったレークナーのマーラー:「第9」は正規録音がないというだけでも貴重ですが、演奏内容も高密度。既発売の録音でも明らかなように、ここでもレークナーは神経過敏なマーラー像を避け、響きの室内楽的透明感、伸びやかなフレージングを重視しています。第1楽章から一切勿体ぶらずサクサク進行しますが、内燃エネルギーは凄まじく、無機質になることがないのはシューリヒトのライヴを彷彿とさせます。コーダでの最弱音でのポルタメントなど息をのむ美しさ!終演後の拍手は、綺麗に取り除かれています。【湧々堂】

フォンテック
FOCD-9525(2CD)
マーラー:交響曲第9番 山田一雄(指)
新日本フィルハーモニーSO

録音:1986年6月7日東京文化会館ライヴ
※DSD Mastering
“日本で鳴り響いた「マラ9」の最高峰名演!”
 これはファン垂涎の録音であるということが大いに納得させられる感動的なライヴ!それどころか、日本の地でこれ以上に入魂のマーラーがあり得ることなど想像できないほどの、一線を超えた名演と呼ぶしかありません。山田一雄といえば、死の直前にN響を振ったモーツァルトも心に直接迫る素晴らしい演奏でしたが、やはり本領を存分に発揮し尽くせるのは、古典的な形式を超え、ロマンを豊穣に湛えた作品であることを改めて実感させられます。
 第1楽章から音の太い筆致がいかにもヤマカズ。どこまでもゆったりとしたテンポで連綿とフレーズが流れ、全ての音に心のときめきと震えが反映されています。響き全体の洗練よりも内面的な叫びを優先するスタイルが貫かれますが、18:29からのVnソロ、クラリネット、フルートと連動するフレーズでは、早くも現実離れした美を表出。
 第2楽章は一変して小気味よいテンポで活力を漲らせ、リズムが根源的に沸き立ちます。第2レントラーでは更に野趣に溢れ、第3レントラーは、近年滅多に耳に出来ぬ濃厚なアゴーギクを披露し、この楽章が舞曲的な愉しさに留まらない意味深さを持つことを知らしめます。特に後半の充実度は格別!
 第3楽章も確信に満ちた颯爽たる進行。声部同士がぶつかり合う衝撃から生まれる火花のどれを取っても求心力を孕んいます。中間部の宇宙的な広がりもヤマカズの音楽作りの真骨頂と言えましょう。
 そして終楽章はただただ言葉を失うばかり。もはや、誰の指揮のどこのオーケストラによる演奏かという事実は忘却の彼方へ飛び去り、出てくる音は現世を離れた霊妙を極めた光に彩られています。ホルンが主題を吹いた後の弦の呼吸の深さたるや尋常ではなく、ヤマカズ特有の没入スタイルが完全に芸術的に昇華されている瞬間を体現することになります。しかも胸が張り裂けんばかりの渾身のニュアンスの渦!最後の10分間は、あまりの緊張に聴いていても呼吸が苦しくなるほど至純な音の塊!クライマックスでのシンバルがスパークする力感、最弱音の信じ難いクオリティの高さなど、まさにそれ以外の演奏など想定できない極限の感興を持って迫り、演奏にたっぷり30分を要したことの必然性も大いに痛感。
ムーディな残響とは無縁の東京文化会館での録音という点も、この生々しい感動に大きく貢献しています。【湧々堂】

Altus
ALT-201(2CD)
マーラー:交響曲第9番 若杉弘(指)ケルンRSO

録音:1983年6月11日東京文化会館(ステレオ・ライヴ)
 これは2010年の締めくくりに相応しい、そして確信を持って本年リリースされた交響曲のCDの最高峰と断言します!
 第1楽章冒頭から、ただならぬ甘美な空気感が聴き手の五感をくすぐります!冷徹な分析臭はどこにもなく、ロマン派の頂上を極めた作品の醍醐味をとことん痛感させます。強弱の使い分けには常に愛情が宿り、特に弱音の後の余韻に味わいはひとしお。そして、第1楽章コーダの消え入り方!これほど余情深く、想像力を掻き立たせるニュアンスはあまり例がありません。全体的に響きを洗練させ過ぎることなく、人間的なぬくもりを大切にした育みながら丁寧に進行させますが、第2楽章はやや遅めのテンポで、無骨なリズムを際立たせ、愛くるしい表情満点。特に中間部は他に例がないほどのの味わい深さ!カチッとしたリズムの打ち出し方には、若杉らしい古き佳きドイツ流儀を踏襲する姿勢が如実に反映されていて、そのどこか懐かしい雰囲気と相まって、なんと良い音楽家と実感させられます。同様に第3楽章も内容の充実ぶりが破格で、もちろん威嚇するような猛進ともスマートなカッコ良さとも無縁。3連音の各音価をこれほど入念に描ききった例があるでしょうか?
 とかく、両端楽章に比べて軽く見られがちな第2、3楽章において、これほどの説得力と深みを確保しているという事実だけでも、この演奏がいかに破格の名演かお察しいただけると思いますが、終楽章に至ると、もはや奇跡としか言いようのない、どこまでも無垢な展開されるのです!
 いわばバーンスタインとは何から何まで対極的なアプローチですが、少なくとも私個人は、指揮者の存在を忘れ、発せられる音の全てが体内に優しく吸収されていく感動を、モーツァルトならともかく、マーラーの交響曲で実感したことは、後にも先にもこの演奏だけです。若杉の徹底して作品に奉仕する姿勢と共感がまさに本物であると神が太鼓判を押し、本気で味方したとしか思えません。 是非、やるべき仕事をすべて片付け、雑念を完全に取り払ってこの空気に身を捧げてみてください!【湧々堂】

WEITBLICK
SSS-0145(2CD)
マーラー:交響曲第9番 ニ長調 エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:2000年1月21日ベルワルド・ホール,ライヴ(デジタル)
※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付
“スヴェトラーノフが最晩年に遂に到達した「愛と悟り」の境地!”
 好むと好まざるとにかかわらず、この作品を聴くにはそれなりの心の準備が必要だと思いますが、第1楽章の弦のテーマが鳴り出した途端に、完全にスヴェトラーノフが引き出す温かな音の感触の虜になること必至!柔和な雰囲気を湛えた演奏なら他にもありますが、これほど微笑み掛け、包み込むような慈愛を込め抜いて冒頭主題を奏でた例がかつてあったでしょうか?スヴェトラーノフはこの作品が後の後輩に多大な影響を与えたことを切り離し、完全に爛熟したロマン派交響曲として描ききり、広大なスケール感の中で独特の色彩を充満させるのです。24:16からのフルートとホルンの対話の神秘性は誰よりリアルで、ハープが鳴り響く26:01からは、それまでの混沌を全て洗い浄化するような安らぎをもたらします。
 第2楽章は人間味満点。遅めのテンポでゆったり弾む晩年のスヴェトラノーフ節ですが、これほど多彩なニュアンスを内包する楽章だったとは!最初の舞曲の1:52から更にブレーキを踏む操作をあえて表面化させるお茶目さ見せ、しかもその後に音像の色彩がガラリと変わっている点に是非ご注目を!
 第3楽章は意外にも前のめりなほどの推進力に満ちながら、音はあくまでも重量級で情報量満点。
 終楽章は冒頭の弦のテーマのハーモニーの美しさは古今を通じてダントツ!単なる綺麗な響きではなく、全人類の煩悩を優しく鎮めるような、この時点でスヴェトラーノフが到達した悟りの境地が完全に楽音に投影されていると言っても過言ではありません。頭で考えたのではない真の慈愛のニュアンスは最後まで途絶えることなく、これを涙なしで聴き通せる人などいるのでしょうか?音質も極上。【湧々堂】

Signum Classics
SIGCD-188
マーラー:交響曲第9番 エサ=ペッカ・サロネン(指)
フィルハーモニアO

録音:2009年3月22日、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール(ロンドン)でのライヴ
“希望を信じて諦めない!人間の生命力を投影した画期的アプローチ!”
 私は、この曲がこれほど瑞々しく響いた例を他に知りません。この作品を聴くときは、「巨人」を聴くのとは違ってどこか身構える方も多いと思いますが、この演奏は違います。 フレッシュな感性で素直に伸びやかに歌われ、悲痛な楽想でも決してどん底に沈まず、かと言って自信過剰のポジティブ路線に走らず、その絶妙な精神バランスは、まるでモーツァルトを想起させます。オケの機能性は極めて高水準で、鳴るべき声部は全て鳴りきっていますが、細部を微視的に捉えず、大きな視点で構築しているので、音楽が収縮することなくしなやかな躍動を続けるのです。
 第1楽章第1主題は、諦観よりも希望の光を信じたフレージングで一貫。ニ短調の第2主題でさえ瑞々しさは変わりません。第2楽章はレントラーであることを強く意識したテンポに乗せながら、音楽を野暮ったくせずに清潔な音像を自然に導く手腕に脱帽。諧謔的な舞曲Bは、その性格をデフォルメされることも多いですが、サロネンはアプローチは実に素直で、人懐っこさが何とも魅力的。
 第2楽章はオケの機能美が大全開。そして奇跡的と呼びたい終楽章の素晴らしさ!冒頭主題の主役が、第1ヴァイオリンから微妙に移ろう様をどうぞお聴き逃しなく!それによって生じる陰影は、感覚的な衝撃のみならず、心の深部に優しく手を差し伸べ、そして導かれた最後の希望の光にようで、聴く者の心に突き刺さります。5:27からのヴァイオリン・ソロは、ロウソクの最後の灯を思わせる絶妙な音色!どうしたらこんな音を出せるのでしょう?ホルンによる主題の回帰(6:11〜)も同様。とにかくあらゆるニュアンスが心に迫り、絶望の淵を回避し、最後まで明るい未来を信じた人間だけが到達できる究極の美の楽園としか言いようがありません。
 解釈の視点がバーンスタインの最後の来日公演とは好対照ですが、結果的に、絶大な説得力で訴えかけ、とてつもない名曲であることを再認識させる点では、何ら変わりはありません。
 なお、これはライヴ録音ですが、会場ノイズはほとんど皆無。最後の拍手も自然にカットされているのは嬉しい限りです。【湧々堂】
LIVING STAGE
LS-1084(2CD)
マーラー:交響曲第9番
ブラームス:交響曲第2番*
サー・ジョン・バルビローリ(指)
トリノRAI響、バイエルンRSO*

録音:1960年 ステレオ・ライヴ録音、1970年モノラル・ライヴ*
“表現意欲横溢!BPO盤を上回る共感の熱さ!!”
 マーラーはARKADIA(CDMP403)ででていたものと同一。バルビローリには後年のBPOとの録音があまりにも有名ですが、オケの機能性がトップクラスと言えないにも拘らず、このトリノ盤を愛するファンが多いという事実は、これを聴けば聴くほど頷けます。第1楽章の冒頭から思い入れたっぷりで、持ち前の表現意欲を惜しげもなく発揮。第2楽章はパロディ精神が絶妙に盛り込まれ、中間部以降のオケのノリは痛快そのものです。白眉は終楽章!アンサンブル、集中力がこのオケの極限と思える次元にまで昇華。響きの密度、熱さ、共にBPOを上回るほどで、感動もひとしおです。ブラームスはOrfeo盤と同一ですが、モノラル。【湧々堂】

ANDROMEDA
ANDRCD-9033(3CD)
マーラー:交響曲第9番、
交響曲第7番*、大地の歌#
ハンス・ロスバウト(指)
南西ドイツRSO、ケルンRSO#、
グレース・ホフマン(Ms)、
エルンスト・ヘフリガー(T)

録音:1954年1月7日、1957年2月18-20日*、1955年4月18日#
“ワルター盤と共に語り継がれるべき奇跡!”
 「現代音楽のスペシャリスト」と簡単に括られることの多いロスバウトですが、この「第9番」は、そんな一言では片付けられないい感動的な演奏。
 第1楽章冒頭の主題から終始一貫のイン・テンポを基本としながらも微妙に揺れ動くアゴーギクがなんとも味わい深く、作品への尋常ならざる共感の深さを物語っています。第2主題を弦が弾き始めるとそれを掻き消すように木管が割り込むレスポンスの良さはロスバウトなら。第3主題の輝かしさも鮮烈ですが、最後まで衝撃的なのは、管楽器からヴァイオリン・ソロに至るまで、あらゆる独奏パートがこれ以上考えられないような霊妙なニュアンスを発し続けている点。6:23のフルートのスフォルツァンドには戦慄が走り、15:14のトゥッティの物凄い凝縮力で圧倒した後に現れるティンパニは結晶の極みを見せ付けるなどほんの一例。17:03からの第1主題再現以降も奇跡的としか言いようがない素晴しさで、各パートが極めて高い解像度で表出されながらも渾然一体となってハーモニーを形成していることをまざまざと痛感させる演奏は他にありません。しかも音の全てに毅然とした意思が強固に宿っているので、訴求力が破格。ここまで聴き進めると、アンサンブルの精度の高さだけでなく、ここまで音楽的な求心力の高さを誇る演奏は、有名な名演のなかでもなかなか存在しないことに気づきます。
 第2楽章は意外と遅めのテンポですが、その足取りの何と確実なこと!フレーズを長く取るというよりも、一音一音に思いを込めてかすかに憂いの影を落としているのがたまらない魅力。第2レントラーのリズム感はもちろん磐石ですが、その弾力性が見事で、取り澄ましたような冷たさなど微塵もありません。その後のアッチエレランドとリタルダンドのタイミングの良さにも唖然。
第2〜第3楽章は、スケルツォというか終楽章への中継ぎのようにある肩の力を抜いて演奏されることがほとんどですが、ロスバウトの場合はそうは行かないのです。実は終楽章がももちろん感動的名のですが、この演奏の凄さを最も端的に示していると確信して止まないのが第3楽章なのです。第2楽章同様にリズムは強固な意志に貫かれて頑丈に立ち上がりますが、何か根底の部分でもがいている様な屈折感が最後まで聴く側に重くのしかかってくるのです。そんな演奏、他にあったでしょうか?1:07からティンパニが打ち込まれるわずか3秒間では、オケの音程の正確さとセンスの高さ、響きの融合の妙を痛感。あらゆる対旋律に至るまで全く均質のテクスチュアで統一され、インテンポの徹底的に制御されていますが、機械的に響くところが全くないというのは、まさに指揮芸術のの極意と言うべきでしょう。突如現れる二長調のトランペット旋律(6:09)は、まさに天国的なニュアンスに溢れていますが、周りを優しく取り巻くパートは決して緊張の意図を緩めません。10:59以降コーダまでは音楽は灼熱と化しますが、バーンスタインのように感情を剥き出しにはせず、内面から情念が噴出する様に感動を禁じ得ません。
終楽章は序奏から減のハーモニーの素晴しさに息を呑みますが、続くテーマが単なる優美さを超えて均整が完全にとれたテクスチュアで幽玄のニュアンスを瞬時に立ち上がらせているのには言葉も出ません。2:24のホルンによるテーマ再現、ハープの伴奏と共に囁く木管の極限の孤独感など、心にビリビリ迫る瞬間は枚挙に暇なし。14:04からの弦の強烈なユニゾンは、音の出だしをわずかにずらしてそれらしく聴かせるといった姑息な手段に逃げずとも確実にマーラーの思いがリアルに表出されること実証。放送用録音のため、モノラル音が鮮明なのもありがたい限り。ワルター&VPO並んで、真に価値のある歴史的名演として末永く語り継がれるべき演奏です。【湧々堂】


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