湧々堂HOME 新譜速報: 交響曲 管弦楽曲 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック 廉価盤 シリーズもの マニア向け  
殿堂入り:交響曲 管弦楽 協奏曲 器楽曲 室内楽 声楽曲 オペラ バロック SALE!! レーベル・カタログ チャイ5



湧々堂が心底お薦めする"殿堂入り"名盤!!
シューベルト
交響曲



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シューベルト/SCHUBERT
交響曲全集

BR KLASSIK
BR-900712E(3CD)
シューベルト:交響曲全集(全8曲) ロリン・マゼール(指)
バイエルンRSO

録音:2001年3月ミュンヘンプリンツレーゲンテンシアター
“マゼールのこだわりと円熟!これぞシューベルト交響曲の進化系!!”
 これはバイエルン放送交響楽団の首席指揮者(1993-2002年)として活躍したロリン・マゼールの仕事の集大成!
マゼールというと独特なデフォルメや器用さが鼻につくという意見もありますが、この全集を聴くと、マゼールの芸風は、常に作品の持ち味を徹底的に掘り下げるという一途な使命感から湧き上がったものであることに気付かされます。その知的なアプローチは、深い共感と近年の円熟味と相まって比類なき感動をもたらしてくれるのです。
まず、めったに演奏されない「第1番」「第2番」のなんという立体感!すべての楽想の意味がこんなに浮き彫りにされて面白く聴けるとは予想外。特に、埋もれがちな対旋律を自然に際立たせて作品に可憐な味を加味するセンスは鮮やかという他ありません。
 「第3番」はキビキビとしたテンポで爽快な進行。しかし響きのシンフォニック厚みは確保され、しかもこの曲特有のチャーミングな雰囲気も十分に伝えます。
 「第4番」はこの全集中の屈指の名演!やはり全体にテンポは速めですが、彫琢の豊かさと声部の抉り出しが尋常ではありません。第1楽章コーダは意表をつくように落ち着き払った佇まいを醸し出しつつ、7:30では恐ろしく絶妙なタイミングでのティンパニの打ち込みも含めて格調高い音像を打ち出します。第2楽章では、マゼールの歌のセンスに御注目。決して上から目線で歌わせているのではなく、作品自体から旋律が気持ちよく流れだすように誘導する手腕に脱帽です。終楽章はかなり速いテンポで駆け抜けますが、ここでも決して対旋律が置き去りになることはないので、引き出される音楽の内容量に圧倒されるばかりです。気がつくと後半では焦燥感と漢気が入り混じった独特のニュアンスをギリギリまで炙り尽くしており、イン・テンポのまま最後を締めくくるのも粋!
 「4番」と双璧の名演が「第6番」。「グレート」よりもこちらのハ長調を愛するファンの方も多いと思いますが、そんな人でもこれほど面白い作品だったかと思い知ることでしょう。第2楽章など遊園地に居るような楽しさ!引き締まったアンサンブルから引き出されるメルヘンチックなニュアンスに酔いしれるばかり。あっという間に夢のような5分間が過ぎ去ります。終楽章は猛烈な速さ!アレグロ・モデラートの指示は完全に無視していますが、もうこれ以上考えられなくなるほど説得力絶大!今までの演奏は何だったのでしょうか?
 「未完成」も極めてシンフォニックなアプローチに徹して気宇壮大。感傷にふけることなく確信を持ってこの作品のリリシズムを浮き彫りにします。第1楽章提示部後半のティンパニ追加も実に自然。展開部の展開部での呼吸の深さも忘れられません。
 そして極めつけが「グレート」!第1楽章序奏部から金管のウラのパートまで徹底表出させ、いかにもマゼールらしいこだわりを見せまますが、物々しい場違いな音像にすり替える事は決してありません。主部突入のギアチェンジの滑らかさがまた驚異的。終楽章ではティンパニ追加や、フルートの突出によって作品の構築が最大限に明瞭化されますが分析的な冷たさは皆無。全曲を締めくくる最後のティンパニ一撃は鳥肌モノ!
 シューベルトの音楽独自の持ち味から逸脱することなく、各曲の個性を極限まで引き出したこの全集は、まさに全集としてリリースする価値があると心底思える逸品です。【湧々堂】

BRILLIANT
BRL-92778(4CD)
シューベルト:交響曲全集
「魔法の竪琴」序曲、
「ロザムンデ」〜 バレエ音楽第1番/第2番
リッカルド・ムーティ(指)VPO

録音:1987年(第9番)、1993年
原盤:EMI
“ブロムシュテットの端麗を極めた全集とは好対照の魅力が満載!”
 交響曲はリピート完全履行。「第3番」「第6番」は、恐らく史上最もスケールと迫力に満ちた演奏。「第3番」は、第1楽章冒頭の響きがあまりに豪快で、違う曲を再生してしまったかと思うほどですが、これこそがその後の物怖じしない求心力の高い進行を象徴する一撃。とにかくここにはビーチャムのようなチャーミングな微笑みは無用で、ひたすら決然とした“男のシンフォニー”として終始貫徹。それでも暴力的にならないのはウィーン・フィルの持ち味と、ムーティの歌心の為せる技。第2楽章もリズムが心の奥底から弾み、中間部で一切テンポが淀まず清々しい演奏は実に稀。第3楽章もリズムの縦の打ち込みの厳格さに妥協なし。
 「第6番」も同様に推進力満点。終楽章2:58のコントラバスの強烈なパンチはムーティでなければ踏み出せないでしょう。
 「未完成」はワルターと共に歴史的名演と讃えたい超名演奏!まず驚くのは、第1楽章冒頭の低弦による導入。どういうボウイングでどのようなリハーサルを行ったか知る由もありませんが、弓の返しの痕跡を一切感じさせない一息によるフレージングと極めて繊細な弱音の織り成す絶妙な漆黒空間の表出!主部以降はムーティならではの力感が横溢し、アンサンブルも精妙。そして、展開部冒頭の第1ヴァイオリンのヴィブラートの宝石のような美しさ!その後の展開はまさに「展開部」としての意味合いを徹底的に具現化し尽した強靭な彫琢に圧倒され、よくありがちな柔和な演奏など忘却の彼方に一蹴。コーダの緊張感も尋常ではなく、聴後の心地よい疲労に襲われるほど。楽章間のコントラストという点では、第2楽章を緩除楽章としての意味合いを明確にする為、第1楽章よりもゆったりとしたテンポに設定することが少なくないですが、ここではむしろ第1楽章よりも早めに設定している点がポイント。静かに瞑想する音楽ではなく、明るい希望を見出した音楽としてイメージしたことを、このテンポによって余すところなく実現し、透明感のあるハーモニーがさらにその魅力に拍車をかけます。対旋律を決して埋没させることのないこだわりはここでも捨て去ることなく、音楽が平板に流れることも決してありません。これだけの完成度の高さ、他の作品以上に相当厳しいリハーサルを経て録音に臨んだに違いありません。作品自体がシンフォニックな性格を持つ「第4番」はもちろん風格満点。
 「グレート」はムーティがウィーン・フィルと初めて行った交響曲録音。PMFの来日公演で聴かせてくれた驚愕の名演とほぼ同じスタイルとテンションの音楽が収録されています。ベートーヴェンへの憧憬どころではなく、その先人の前向きさを超越するような果敢なダイナミズムは、まさに本当にグレートな演奏。多くの人がこの作品に期待する全ての要素が凝縮されていると言っても過言ではないでしょう。「ロザムンデ」は、内声の充実があまりにも素晴らしく、男性的で筋肉質な響きの魅力もムーティならでは。序曲などヴェルディのそれのように豪快ですが、自身の感性を信じきった意思の力が天晴れ。【湧々堂】

シューベルト/SCHUBERT
交響曲第3番

EMI
5669992[EM]
シューベルト:交響曲第3番
交響曲第5番、
交響曲第6番
*
トーマス・ビーチャム(指)RPO

録音:1958〜59年、1955年* (全てステレオ)
“ビーチャム流のウィット全開!終始微笑み続ける魅惑のシューベルト!”
 ビーチャムがステレオ(スタジオ)で遺した交響曲録音の中でも出色の感動作!
 第5番はワルターの名演が知られていますが、終始微笑みながら優しい語り口で魅了するビーチャム盤が忘れられているのは全く不可解なことです。第1楽章の穏やかに漂うきめ細やかな表情、第3楽章のトリオでの夢のようなリタルダンド、終楽章のパリッとしたリズムの冴え等々、魅力は尽きません。
 第3番第1楽章、主部冒頭でのオーボエの小気味良いスタッカートのリズムの跳ね上げ方は、一度聴いたら耳から離れず、第6番のリラックスしたテンポ自体の魅力も、小手先の技術だけでは醸し出せない老練の味わいです。【湧々堂】

シューベルト/SCHUBERT
交響曲第4番「悲劇的」

TRITO
TD-0087
シューベルト:交響曲第4番「悲劇的」*
シューマン:交響曲第2番ハ長調 Op.61
ジャナンドレア・ノセダ(指)
カダケスO

録音:2010年4月30日、2009年4月29日*
サラゴサ(スペイン)、アウディトリウム、ライヴ
 弦はヴィブラートを抑え、ティンパニは固いマレットを用いたいわゆるピリオド・アプローチと言えますが、それによって得られるソリッドな響きは感傷を排して作品の構造美とシンフォニックな立体感を徹底表出しようとするノセダの意志と完全に合致し、嘘のない表現として湧き上がるので、その説得力たるや尋常ではありません。
 特に素晴らしいのがシューベルト。ひたひたと悲哀を滲ませる演奏とは正反対で、どこまでも表現が単刀直入でダイナミック。完全に終楽章コーダの勝利のただ一点に的を絞って突き進む姿勢を見事に貫徹した名演です。第1楽章序奏部からして堀が異様に深く、共感の熱さが迸り、守備はその熱さを完全に引き継いで、殊更高速ではないにもかかわらず、直進的なスピード感をもって駆け巡ります。第2楽章は中間部の抉り出しが物凄く、第3楽章もメリハリ感が強烈。のどかなな中間部でさえリズムの強靭さを緩めずに推進力を保持。終楽章は全てを払いのけて勝ち取った雄叫び!最後の締めくくりでも物々しくテンポを落とす細工を施さず、イン・テンポのまま決然と締めくくる決然さ!シューベルトを男の中の男に鍛え上げた達成感さえ感じさせます。
 シューマンも変に屈折した表現を避け、清々しいダイナミズムに溢れた演奏。悲哀に満ちた第3楽章でも、音彩の透明な美しさと一体となって過度な悲痛さに傾かず、希望の光が宿ります。終楽章は第2主題での各声部の緊密な連携が聴きもの。コーダでもティンパニ強打も決して皮相的ではなく、高揚し尽くした精神の到達として見事な響きに結実。
これらの名演を成し遂げたオケ(ノセダが首席指揮者)の功績も絶大なもの。バルセロナ郊外のカダケスで開催される「カダケス音楽祭」のために組織され、メンバーは、スペインの主要オーケストラの首席奏者や、ウィーン、ロンドン等の団員で構成されているので、その完璧なアンサンブルも大いに頷けます。
なお、提示部リピートは全て省略。ライヴ録音ながら、拍手も含めて会場のありません。【湧々堂】

Pentatone
PTC-5186.340
(1SACD)
シューベルト:交響曲第4番「悲劇的」
交響曲第5番変ロ長調D.485
ゴルダン・ニコリッチ(リーダー&Vn)、
オランダ室内O

録音:2008年12月
“ピュアなヴィブラートにシューベルトの心情を重ねた画期的な名演奏!”
 ゴルダン・ニコリッチは、ロンドン響のコンサート・マスターとオランダ室内管の音楽監督を兼務し、弾き振りにも積極的に取り組む名手ですが、その音楽性は破格!全く性格の異なる2つの交響曲から、かつて味わったことのないような新鮮なニュアンスを次々と引き出し、しかも全てがピュアでなナチュラル。
 「第4番」は必要以上に物々しく陰鬱な表情を加えた演奏もありますが、ニコリッチは十分にシンフォニックな構築性を確立しつつも、あくまでも「ベートーヴェンになりきれない」シューベルトの心情を代弁するような、心の内側の葛藤と歌心から音楽を紡ぎ出し、表情が実に多彩。
 第1楽章序奏部の陰影の深さから尋常ではなく、それが演出ではなく心の衝動として聴き手に迫ります。主部冒頭の弦のすすり泣きも同様。この弱音に因る弦のすすり泣きはこの後も随所に登場しますが、ヴィブラートを生かしきったこれらのニュアンスを聴けば、ノリントンの「ピュアトーン」信仰も一変するかもしれません。そうかと思うと、最初のトゥッティは恐るべきスケール感で聳え、第2主題では憧れの表情が涙をさそう、というように、「悲劇的」という一言で括れないこの曲の様々な意味を感じさせます。
 第2楽章はこれぞシューベルト!まさにセンス満点の泣き節全開。心をこめて歌うだけでなく、最後の1小節まで身を粉にして表情を与え尽くした演奏を他に知りません。
 終楽章ではハ長調のトゥッティに至る直前の切迫した悲しみにご注目。コーダでは物々しくテンポを落とすことなく、かといって意地でインテンポで通す強引さもなく、これまたセンスの勝利と言えましょう。
 ニコリッチの並々ならぬ音楽性は、「第5番」でさらに開花!何のビジョンも愛情も持ち合わせずに演奏すると、モーツァルトのセレナードの亜流のように流れるだけで、かと言って有り余るアイデアを注入し過ぎると曲が死んでしまいます。ニコリッチはこれらの問題を全てクリアしているだけでなく、弦楽器の特性を熟知(カントロフ門下)しているからこそ可能な、響きのブレンド加減が絶妙で、音楽を変に小さくしないで一本筋が通った造形美まで確立しているのです。何と言っても衝撃は第1楽章の冒頭。これに涙しない人がいるでしょうか!ヴィブラートとレガートがこれほど幸せに融合している例は過去に見当たらず、音楽のフォルムにも品格が溢れているのですからたまりません。展開部の終わり(4:58〜)で明確にレガートを打ち出す例は多いですが、ここまで恣意性を感じさせないで音楽だけが炙りだされた例も少ないでしょう。
 第2楽章は柔らかい情感が流れ、特に中間部の弦のテクスチュアの美しさは必聴。第3楽章はリズムの弾力が素晴らしく、それと見事にコントラストを成す中間部は、全く異次元のメルヘンの世界!この一音一音への惜しげもない愛の注入ぶりは、ワルターさえ霞むほど。
 終楽章の推進力には常に瑞々しさがあり、中規模のオケだからこそ可能と思われる響きの透明感が一層清々しい風をもたらします。【湧々堂】

シューベルト/SCHUBERT
交響曲第5番
Scandinavian Clasics
SC-220543
シューベルト:交響曲第5番
 アルペジョーネ・ソナタ(スタインベルクによるヴィオラと管弦楽用編)
プッチーニ:菊の花(D・シャリトによる弦楽版)
パウル・ノイバウアー(Va)、
シムカ・ヘレド(指)
イスラエル・フィル・ソロイスツ

録音:1998年
“自然な造形力一つで聴かせる第5交響曲の魅力”
 このアルバムの目玉はアルペジョーネ・ソナタの珍しい編曲ですが、その前にまず第5交響曲が実に素晴らしい演奏でびっくり!
 小規模な「第5番」は、「未完成」や「グレート」のようには演奏者の個性を強烈に反映しにくい作品だけに、演奏が見事でもなかなかクローズアップされない作品ですが、これこそ埋らせたままでは惜しい逸品です。第1楽章の冒頭数秒を聴いただけで、その音楽性の豊かさは明らか。リズムもフレージングも清潔で丁寧。ダイナミックスの処理も作品に相応しい節度を保たれており、単にほのぼのした雰囲気にとどまらず、作品の持ち味が明確に、しかも立体的に伝わってくるのです。
 第2楽章は、なんとなく平和な雰囲気のうちにやり過ごす演奏も少なくありませんが、ここでもしっかりとした表現イメージを持って演奏に望んでいることは明らか。冒頭の弦の溶け合い方から注意深くお聴きください。特に低弦にも臆せず表現を要求して、それが過剰にならずにシューベルトならではの歌の魅力をさらに開花させています。
 第3楽章は妥協を許さぬカチッとリズムの打ち込みをベースとして、これまた存在価のある音像を打ち立てています。トリオに入っても特にニュアンスを変えたりはしませんが、フレーズの息づきが自然で、共感に満ちた表情に一貫性が保持されています。
 全楽章を通じてテンポの良さも、作品を生き生きと蘇らせるための大きなポイントとなっています。なお、オケはイスラエル・フィルの精鋭が集結(コンマスもイスラエルPOのコンマス、イリア・コノワロフが務めています)しているだけに、その弦の豊かな響きも特筆ものです。
 世界初録音のスタインベルク版「アルペジョーネ・ソナタ」は、ニューヨーク・フィルの主席ヴィオラ奏者を6年間勤めたノイバウアーがソロを担当。チェロとピアノによる演奏に馴染んでいる耳にもすんなり受け入れられるアレンジで、カサド版に違和感を感じた方でも、ピアノ・パートをほぼそのまま弦楽合奏に置き換えたこのバージョンならしっくり来ることでしょう。演奏自体も一切小細工を弄さない自然さが魅力。 【湧々堂】

Altus
ALT-070
シューベルト:交響曲第5番
ブラームス:交響曲第4番
カール・シューリヒト(指)VPO

録音:1965年4月24日 モノラル・ライヴ
“神技の連続!最晩年も衰えなかったシューリヒトのロマンチシズム!”
 これはシューリヒトの最晩年の演奏の中で傑出した名演!2曲ともシューリヒトの芸術の最高のエッセンスが凝縮されていると言っても過言ではありません。
 シューベルトは、ワルターに代表される様な無理のないテンポ感と清々しいテクスチュアを一貫させ、強烈なアピールに乏しいこの曲の芯の魅力を余すところなく再現。提示部の最後のディミニュエンドや、展開部2:48以降の濃密なレガートはシューリにとならでは技、再現部は一層リズムに華を感じさせ、「シューベルト=素朴」と単純化できない味わいを残します。第2楽章冒頭の質句のような幻想的なニュアンスの聴きもの。こんな絶妙な美しさを他度したフレージングは他では望めません。
 中間部のスルックナーを予感させる敬虔な佇まいにもご注目。コシがしっかり入った第3楽章のリズム感も見事。VPOの特性も手伝って、この3拍子リズムがしなやかに躍動し続けます。そして、中間部へ全く間を空けずにスルッち」滑り込む絶妙さ!終楽章も絶品!単に軽妙に流すしか手立てのない指揮者が多い中で、微かな強弱の振幅がフレーズ全体に命を吹き込きこんでおり、VPOの精妙なアンサンブルにも息をのみます。憧れを胸に秘めた第2主題も胸に染みます。よく晩年のシューリヒトは精彩を欠く、などと言われますが、この演奏はその噂が全く的を得ていないことを証明しています。ましてや、続くブラームスを聴いたなら、誰もがそんなことは絶対にありえないと確信することでしょう。
 ブラームス
の4番は、古い様式への回帰を念頭に置くあまり、変に窮屈な演奏に堕してしまうこともありますが、このでのシューリヒトは有名なスタジオ録音の名演以上のロマンティックな情感を吐露し、シューリヒト持ち前の秘技をふんだんに駆使した恐るべき名演です。
 第1楽章冒頭の繊細を極めたロマンの香気からショッキング!バーンスタインのようにむせ返るような匂いではなく、ほのかに、しかし確かに深いニュアンスを伝えているのです。第2主題の深々のした歌、ホルンの絶妙なバックアップも流石。展開部7:30からの弱音による彼岸の風情はには思わず手を合わせたくなるほど。終結の11:44で突如テンポをギアチェンジして低速に転じ、圧倒的な格調美を確立している点も感動を煽ります。
 第2楽章、冒頭のホルンと木管のユニゾンが、これほど支援に響いたことがかつてあったでしょうか!続くクラリネットの息の長いフレーズは、単なる孤独とも違う枯淡の味わい。第2主題が回帰するシーンは、VPOの豊穣な弦の響きが最高に功を奏し、独特の音の厚みと威厳を醸成しています。
 第3楽章は、決してリズムが浮き足立たず、荘厳の極み。雄渾のティンパニが突出せずに全体と融合し、強烈なトゥッティを築いている点も印象的。終楽章は、もう言葉にならない高みを極めた超名演!内面から灼熱の炎をたぎらせ、各変奏ごとの入念の描き分けも比類なし。6:37では、なんと10秒以上もたっぷり余韻を保ってからトゥッティに突入するという神技が!シューリヒトといえどもこれに匹敵するニュアンスは二度と再現できなかったのではないでしょうか?コーダはほとんどインテンポながら、音の芯の熱さは極限に達し、圧倒的な凝縮力を見せて締めくくります。この演奏会は、シューリヒトとVPOによる最後の演奏会の一つですが、両者が心から尊敬し合い、またその気持ちが尋常でなかったことを示したという点でも、これ以上の演奏はないと思われます。

シューベルト/SCHUBERT
交響曲第8番「未完成」

Altus
ALT-061
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
ビゼー:「カルメン」第1組曲
 「アルルの女」〜ファランドール
ゴトヴァッツ(1895-1982):交響的コロ舞曲
ロヴロ・フォン・マタチッチ(指)
NHK響

録音:1973年12月27日NHKホール/ステレオ
“あまりにも感動的な「未完成」の透徹美!”
「未完成」が実に感動的!全ての音が神々しい閃きに満ち、マタチッチの並外れた音楽センスを改めて痛感させます。第1楽章はイン・テンポを基調とした早めのテンポで押し切り、男性的な力感を表出。第2主題でも決してフレーズが甘美になることはなく、意思を貫徹。しかも内面は、尋常ならざる悲哀を湛えているのです。展開部では、冒頭の低弦の唸りに象徴されるように緊張感がじりじりと増幅。再現部で主題が微妙に変化すると共にハーモニーの陰影も刻々と変化する様を、これ程リアルに立ち昇った例が他にあるでしょうか?コーダも空前絶後の神々しさ!第2楽章は一変して透徹した美の世界。この世の不条理を洗い流し、魂の浄化を映したような高潔なニュアンスは、どうしたら生み出せるのでしょう。
小品では「カルメン」前奏曲がド迫力!ブンチャブンチャと後打ちリズムまで徹底的に鳴らしきる凄みは、比類なし!1:50のトランペットの強烈な強奏は、こうでなくちゃと膝を打つこと必至!ゴトヴァッツはマタチッチと同郷の作曲家。「交響的コロ舞曲」は打楽器が乱舞する楽しい作品で、まさに血肉沸き踊る演奏が展開されます。【湧々堂】

ELECT
ERT-1025
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
交響曲第9番「ザ・グレート」
ジョルジュ・ジョルジェスク(指)
ジョルジュ・エネスコPO

録音:1963 年スタジオ(ステレオ)、1963 年ライヴ(モノラル。拍手有り)
“高潔でありながら温かいジョルジェスクの芸風が最高に生きたシューベルト”
 まず「未完成」が驚愕の名演!第1楽章はやや速めのテンポと、厚塗りを避けたすっきりとしたハーモニーをベースにした響きが弛緩なく流れ、シューリヒトを思わせる寂寥感とクールなフレージングが心を捉えます。展開部の冒頭が物々しくならず、それでいて緊張感が自然と増幅するあたりは特に必聴。
第2楽章は一点の曇もないハーモニーのセンスが更に生き、冒頭1分で、浄化され尽くした精神の深い宿りに息を呑みます。第2主題は弦のユニゾンがかくも美しく調和し、その調和に華を添えるよう管楽器が絡み、2:49からのクラリネット・ソロは、フレーズが切れる最後の一瞬まで心が通っており、4:00以降のシンフォニックに凝縮された響きは高潔の極み!特にトロンボーンとティンパニがこれ程雄弁に、かつ絶妙にブレンドした響きは滅多に聴けません。「未完成」録音史に残る超名演といっても過言ではありません。
 「グレート」は、「未完成」とは打って変わって人懐っこい表情を湛えた歌に徹した、これまた魅力的アプローチ。
第1楽章は序奏部から主部への移行でわずかにテンポをあげる程度で、ゆったりとしたテンポを受け継いだまま進行するのがまずユニーク。その柔和な雰囲気を絶やさず、濃密な音楽が滔々と流れ、メカニックな巧さを誇る演奏からは聴けないこの作品の大切なエッセンスが炙り出され、単に野暮ったい演奏とは一線を画します。
第2楽章はやや速めのアンダンテで開始し、中間部では「未完成」第2楽章で聴かれたような高潔な空気を一気に敷き詰めます。4:02からの第1ヴァイオリンのフレーズが、自然でありながら愛らしく語りかける演奏は、他に思い当たりません。
第3楽章は、3拍子のリズムを確かめるようなゆったりとしたテンポ感自体が魅惑的。そのテンポを守ったまま中間部に流れることに、これほど幸福を覚える演奏にかつて出会ったことがありません!
 終楽章のテンポは速すぎず遅すぎず、ジョルジェスクが望むニュアンスが確実に浮かび上がるテンポ感が万遍なく浸透。オーボエが吹く第2主題は軽いドッキリ。普通は8小節以上を大きなフレージングで歌わせますが、ここでは4小節ではっきりとブレスを入れています。スコアを見えると確かに4小節ごとにスラーが区切られており、そのとおり演奏することで、まるで子供が童謡を口ずさむような可愛らしい表情が浮かぶではありませんか!
サヴァリッシュ&ドレスデン盤と並ぶ名演として、強力にお薦めします!
 録音は、「未完成」が非常に良好なステレオ、「グレート」はモノラルですが、共にバランスが非常に良好。モノラル、ステレオを問わず、バランスを欠く録音で聴いた演奏だけで判断するとその評価を誤りかねませんが、このシューベルトを聴けば、ジョルジェスクとエネスコ・フィルがいかに高次元の妙技を展開しているか実感していただけることでしょう。【湧々堂】

ワーナー
WPCS-11110
シューベルト:交響曲第5番
交響曲第8番「未完成」、
「魔法の竪琴」序曲
トン・コープマン(指)
オランダ放送CO

デジタル録音
“聴き手の心も体も揺さぶる、コープマンだけのダイナミズム!”
 あの夢のようなモーツァルトを聴かせてくれたコープマンが、ここでも「私以上に音楽を愛する者はいない!」とばかりに、表情一杯の目の覚めるような演奏を繰り広げ、幸せな気分にさせてくれます。
 「第5番」は、単に軽やかなのではなく、強弱の変化が呼吸の振幅と完全一体化!これ以上にハジけた演奏は、なかなかありません。
 「未完成」も1小節たりとも、同じ表情がありません!切なさの限りを尽くしながら、希望の光もそっと差し込んでくれる…、そン名演奏が実現したのです。「序曲」は、序奏の神秘性に息を呑み、主部に入ってからは、弦の柔らかな表情が絶妙です。なお、使用楽器は通常の現代楽器で、古楽奏法を取り入れています。【湧々堂】

Profil
PH-08043
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
ブラームス:交響曲第3番ヘ長調Op.90
コリン・デイヴィス(指)
シュターツカペレ・ドレスデン

録音:1992年10月22日ドレスデン・ゼンパーオーパー(ライヴ)
※収録:MDR
 「未完成」は第1楽章冒頭で超弱音による神秘性を表出し、主部も内省的な味わいを十分に湛えたニュアンスが心を捉えますが、同時にシンフォニックな造形美も余すことなく押し出し、極めて豊穣な音楽が展開されます。展開部冒頭の弱音の幽玄のニュアンスや、全休符の間をたっぷりとりながら緊張が途切れないのも、デイヴィスの円熟を見事に象徴しています。第2楽章も実にスケールの大きな演奏ですが、驚くべきことに第2主題の4:20ほどで、弦にポルタメントがかかるなど、デイヴィスにしては珍しいスパイスも盛り込まれ、のめり込みの強い表現になっています。どこまでも純真な歌心にも心打たれます。
 しかし、それ以上に感動的なのがブラームス!ここ10年で最も心揺さぶられた「ブラ3」かもしれません。何という響きの充実度でしょう!第1楽章冒頭から響きのコクが生半可な演奏とはまるでことなり、第1主題の絶妙なアゴーギクにも尋常ならざる共感が満ち溢れています。当然提示部は繰り返されますが、この包容力に再び味わえることことはまさに至福。展開部は音楽が一層燃焼し、強靭な拍節感ひとつとっても表現意欲のかたまり。しかも音色は常に人間的な温かみに満ちているので、迫り来る高揚にも何かを排除するような威圧感がない分、聴き手への伝播力が違うのです。後半11:48からの追い込みはアンサンブルが乱れがちになることが多いですが、ここでは究極の燃焼を維持しながら縦の線がビシッと完璧!
 第2楽章はこのオケの持ち味の音色美が生き続けていることを証明。冒頭、管楽器の豊かなハーモニーのなんと心に響くこと!ただただ陰鬱になりがちな第2主題も、主旋律のクラリネットだけでなく、それを支える弦までもが伸びやかに呼吸を繰り返し、出てくる表情は実にきめ細やか。しかも音楽全体が大きくうねり続けるので、一旦心を掴んだら最後まで離しません。
 第3楽章はまさに男のむせび泣き!決して哀れさを湛えたものではなく、襟を正した凛とした風情をまいを崩さずに醸しだされるのですから、感動もひとしおです。自己顕示的なアピールに傾かない、純朴なホルン・ソロも聴きもの。
 終楽章もどんな細部にも曖昧さを残さず、スコアの奥底に徹底的に食い入りながらほかに選択の余地のない絶妙なニュアンスを連鎖させ、内面から燃え盛る演奏の素晴らしさを手に汗握るばかりです。その熱さは最後の鎮静へどうやって繋げるのか予想もつかないほどですが、そのコーダがまた絶世の美しさ!単に音楽を小さく終息させるといったものではなく、希望の光が全体を優しく包み、夢を抱きながら優しく微笑みかけながら終わる…、そんな情景が浮かぶ演奏にかつて出会ったことがありません。  【湧々堂】

King International
KKC-033
宇野功芳/傘寿記念ライヴ
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調Op.92
宇野功芳(指)
宇野功芳傘寿記念日本大学OB管

録音:2011年9月19日上野学園石橋メモリアルホール(ライヴ)
『第7交響曲は情熱のかたまりであるが、僕は第1楽章展開部に苦悩の痕跡を感じ取り、演奏ではそれにこだわっている。もうひとつの問題点は第3楽章スケルツォのABABAという5部形式で、これは明らかに冗長である。さすがのベートーヴェンも聴衆を退屈させまいと、2度目のAを少し変え、弱音部を長く続けているが、僕には弱気になっているとしか思えない。そんなベートーヴェンは見たくないので、本日はABAの3部形式で演奏することにした。おそらくこの試みは史上最初にして最後になるだろう。(宇野功芳。ライナーノーツより)』
 宇野功芳氏の傘寿(80歳)を記念した演奏会のライヴ。の当日は演奏に先立ち、宇野氏への花束贈呈と簡単なインタヴューが行われましたが、年齢の割に若く見える宇野氏のイメージは全く変わらず、指揮台の上がってからもその動きの全くの衰えを見せず、最後まで意欲満点の音楽を聴かせてくれました。試聴して驚いたのは、当日の会場の印象よりも音が生々しく、血肉をはっきりと感じさせる点。それによって、今までも度々触れてきた宇野氏独自のベートーヴェンが単なる熱演を狙ったものではなく、「心を抉ること」に心血を注いでいるかが改めて実感できるとともに、「マンネリの爆演」と呼ばせないだけのスコアへの飽くなき探求ぶりにも頭が下がるばかりです。オーケストラはこの演奏のためだけに集結したメンバーで構成され、同じ日大系でも今までとは顔ぶれがかなり異なり、音程の確かさも過去の演奏を明らかに上回っている点も需要なポイントです。
 前半に演奏されたのは「未完成」(このCDではベートーヴェンが先に収録されています)。ワルターの名演をベースにしたような歌と、巧妙にバランスさせた声部の彩が魅力で、アゴーギクを多用せずに繊細なシューベルトの佇まいが溢れます。
 第1楽章序奏は、弱々しい弱音を嫌う宇野氏ならではの明確に意思を打ち出したフレージングで開始。主部の弦のさざなみは、アマチュアとしては上等の音程で、神秘的なニュアンスを醸し出します。おそらく、このオケの水準を確保した上で満を持して望んだ「未完成」だったのでしょう。精度を注目は展開部。各声部の配分に細心の注意を払いながら立体的な音像を展開し、ベートーヴェンでは大きなテンポ変動を駆使して楽章全体の構成に山場を築くのとは対照的に、歌の流れを連綿と汲み出しています。展開部最後のピチカート(10:18〜)前代未聞の強靭さ!
 第2楽章も3:56からの精神的な高揚が感動的で、根底にはクナのような凄みが息づきます。特に4:34からの低弦とヴァイオリンの応酬の神々しい威容は是非ともお聴き逃しなく!
 メインのベートーヴェンは、宇野氏自身が最後の「ベト7」と公言しているように、長年こだわり続けた宇野氏の最後の結論であることが痛切に感じさせる素晴らしさ!。脳天を打ち砕くようなティンパニの強打、第1楽章展開部の壮大な山場の築き方、終楽章の猛烈なスピード感などは相変わらずですが、上記のような第3楽章への配慮だけでなく、今まで一貫してテンポを激変さていた箇所をインテンポのまま進行たり、変化させてもその差異を抑えるなど、ここへ来て軌道修正した部分もあり、いびつな造型を築くことの唐突感よりも、全体の整合性への配慮も志向している点が興味深いところです。だからと言って綺麗事に傾くことなどあり得ず、結果的に今までのどの7番よりも求心力の高い熱演を実現させているのです。
 何と言っても終楽章の最後のアッチェレランドの物凄さ!今までもそのスタイルで熱狂を煽ってはいましたが、ここまで確実にキマった演奏はなかったように思えます。
「ベト7」ファン、「未完成」ファン、共に必聴の演奏です! 【湧々堂】
RPO-HYBRID SACD
RPO-222894(1SACD)
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
クレール・ジボー(指)ロイヤルPO

録音:1994年デジタル
“女クライバー!クレール・ジボーの恐るべき求心力!!”
 「未完成」が画期的名演!クレール・ジボーはフランスの女性指揮者ですが、オペラでの活躍も多いせいか、呼吸が実にしなやかで、独特の凝縮力に満ちており、「女性指揮者=軟弱」というイメージを一蹴!
 第1楽章はテンポは早目。しかも、序奏部で強弱の振幅を取り入れる工夫を施しながらも、それが実に自然な風合い。主部以降はイン・テンポを基調として確固たる芯を持つ強靭な音楽を展開。一瞬C・クライバーかと思うほど、音楽に隙がなく、確信に満ちているのです。コーダで過度に神妙にならず、緊張感を保ったままドラマを終結させる手腕は、只者ではありません!
 第2楽章もやや早めのテンポ。心の霧が晴れたような清々しさが、オケの響きにも反映。ドラマティックな彫琢も豊かで、2:53からの管楽器も含めて一丸となったハーモニーの熾烈さは、特に聴きもの。このドライブ能力の高さ、瑞々しい感性は、単に「男勝りの」とう形容では言い表せない説得力で、多くの方に注目していただきたい隠れた名演です!【湧々堂】

EMI[cfp]
5748852
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
交響曲第9番「グレート」
ジョン・プリッチャード(指)LPO

録音:1975年 ステレオ
“渋みの極み!手作り工芸品を思わせるこの風合い!!”
 昔ながらの手法で丹念に仕上げた工芸品を思わせる風情がたまりません!「未完成」第1楽章の序奏の一見素っ気ない導入にも懐の深さを感じさせ、第1主題のオーボエ、第2主題を導くホルンも、木目調の感触を湛えながらしっとりと胸に迫ります。テンポはほとんど揺らさずニヒルそのものですが、第2楽章第2主題の木管と弦の織り成す不思議な幻影など、知性で凝り固まった演奏とは明らかに一線を画す奥深さす。全曲が静かに幕を閉じてからの余韻にも、またこの響きに身を委ねたいという気にさせる不思議な求心力があるのです。ティンパニが控え目に独自の改定を行っているのも特徴で、そのセンスがまた絶妙!
 「グレート」は、あのボールトの名演のわずか3年後の演奏ですが、これがまたボールト盤がピカピカの現代的サウンドに思えてくるほど、徹底的に渋い演奏!
 第1楽章(提示部リピートを慣行)ではヴァイオリン両翼配置の音色ブレンド感が先ず耳を捉えます。場面転換の切り替えも鮮やかさからは程遠く、コーダの「畳み掛け」を排した進行も不器用そのものですが、根底に繊細な共感が息づいているのを感じずにはいられません。第2楽章冒頭のリズムの軽やかさは意外ですが、それによって醸し出される晴れやかな音像が印象的。
 終楽章は、ドイツ風のどっしりとした響きではなく、シューリヒトのスタイルをもっと素朴にしたような感触。音圧で圧倒せず、コーダに至るまで室内楽的なテクスチュアで颯爽と直進し続けますが、それでも不思議と「滲み出るもの」があるのです。2曲とも、演奏側から積極的に迫ってくる演奏ではありませんが、曲のの風情をじっくりと味わいたい時に、これほど体に染み入る演奏もないと思います。【湧々堂】

BMG
BVCC-7906
廃盤

88697-046032(1SACD)
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
交響曲第9番「グレート」
シャルル・ミュンシュ(指)
ボストンSO

録音:1955年、1958年 ステレオ
“暴れん坊ミュンシュの意外な一面!『未完成』での繊細な詩情!!”
 「未完成」は、いつものミュンシュの直情一直線型の演奏を想像しがちですが、これが大違い!あのワルターの名演を更に柔らかな感触で包み、穏やかなテンポでしっとりと歌い上げたような、にわかに信じ難い演奏です。第1楽章は第1主題の木管の切なさ、第2主題を奏でるチェロの優しく微笑みを浮かべた風情は、ミュンシュをただの暴走指揮者だと思っている人には、あまりに衝撃的なことでしょう。
 一方「グレート」は、誰もが予想するとおりの猛進ぶり!縦割りリズムの強靭さは終始貫かれ、熱いパッションは止まるところを知らず、強固な造型が飽和するまで感動を押し広げています。終楽章のティンパニとトランペットのアクセントは、まさに血の噴出!【湧々堂】

DECCA
436-4072
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
「楽興の時」第3番、アヴェ・マリア、他
ベンジャミン・ブリテン(指)
イギリス室内O、
カーゾン(P)、L.プライス(S)、他

録音:1970年(「未完成」)、他
“全てステレオ録音!天才カンテルリの迫真の交響曲集!!”
 これを聴くと、第1楽章も第2楽章も同じように緩徐楽章のように演奏してしまう演奏のいかに多いことか、改めて思い知らされます。有名なワルターの名盤もそうですが、アレグロとアンダンテの差を明確にしながら全体に一貫した流れを築き、しかも音楽的な感銘を与える演奏となると実に稀です。この演奏もその意味で、忘れられてはならない名演奏です。
 第1楽章の序奏は意外なほど淡白に囁く程度で、主部に入っても、ホルン・ソロが登場するまで、第1主題を一気呵成ともいえるほどに直進させますが、もちろん捻じ伏せる印象はなく、一陣の風のような風情を醸します。これが、優しくも毅然とした第2主題(このフレージングのこだわりも注目!)と美しいコントラストを成すのです。コーダの入念極まりない呼吸の妙も感動的。
 第2楽章は、ブリテンにして初めて可能な至純のアンダンテ!クラリネット=オーボエ・・ソロの黄昏の美しさも心の染みます。モーツァルトと共に心を打つ、ブリテンが遺してくれたかけがえのない遺産です。
 なお、このCDは、クナの「軍隊行進曲」などを含む11曲を収めた、いわゆるシューベルトの入門CDですが、全て演奏が一級品なので、その点でもおススメです。

ORFEO DOR
ORFEOR-426981
シューベルト:交響曲第8番ロ短調「未完成」 
J.シュトラウス:エジプト行進曲、
 千夜一夜物語、ウィーンの森の物語、
 ピチカート・ポルカ、アンネン・ポルカ、
 南国のばら
ランナー:シェーンブルン円舞曲、
コムツァーク:バーデン娘
クナッパーツブッシュ(指)
バイエルン国立歌劇場O

録音:1955年〜1958年(モノラル・ライヴ)
“クナが珍しく感情むき出し!強暴な迫力が漲る『未完成』!!”
 「未完成」は、大地を舐め回すような異様な重量感で巨大な造型を築くのがいかにもクナ節で圧倒しますが、やがてトゥッティ目掛けていきなり隠していた爆弾を投げつけたようなド迫力を見せ付けるのですから、最後まで気を緩めるわけには行きません。比較的速めのテンポを基調としているのもクナには珍しく、息もつかせず次のフレーズになだれ込む凄味には、シューベルトから連想するナイーブさの入る余地などありませんが、その根底に流れる深く大きな歌心を聴き逃すわけにはいきません。一方の小品集も、超弩級の逸品ぞろい!続けて聴くと、大シンフォニーをたっぷり味わったのと同じ感動で満たされます。
 クナの十八番で、誰もその後怖くて録音できない「バーデン娘」は、明らかにスタジオ録音を上回る出来ばえで、腹の底から噴出する壮麗なスケールと、眩い色彩、怒涛のフレージングは、何度聴いても脳天にダイレクトに響きます。
 「エジプト行進曲」
は、コーダが欠落した劣悪エアチェック音源によるCDも出ていましたが、これはもちろん完全版。ここでも是非腰を抜かしていただきましょう!音質も良好。【湧々堂】

シューベルト/SCHUBERT
交響曲第9番「グレート」

Signum Classics
SIGCD-133
シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」 チャールズ・マッケラス(指)
フィルハーモニアOO

録音:2006年6月10日、クィーン・エリザベス・ホールでのライヴ
“絶滅寸前の古き佳きドイツに伝統美がここに!”
 このCD、うっかりして指揮者の名前も確認せずにプレーヤーで再生し始めたところ、なにやら古風なニュアンスが…。第1楽章冒頭ホルンも弦もノン・ヴィブラートで速めのテンポ。ヴァイオリンは両翼配置と、ピリオド・アプローチを基調としていることを窺わせ、主部へはそのテンポのまま自然に突入。かなり知的バランスの取れた指揮者である事に気づきますが、刺々しさは一切なく、音の重心が低くどっしりと据わり、ダイナミズムの振幅、アゴーギクの揺れ具合は一時代前の巨匠風。今どきこんな演奏をする人は誰だろうと考えつつ、音楽の求心力が極めて高いので、演奏を途中で切り上げられず、最後まで聴き通す羽目に。
 第2楽章は金管の抉り出しがかなり強烈。音楽全体の密度も濃く、特にコーダ、12:30以降の呼吸の切り替えの素晴らしさにどっと鳥肌が!ニュアンスの余韻を残しつつ、音の硬軟を自在に取り込むこんな技が可能な指揮者って…。名前を確認したい気持ちを抑えて第3楽章へ。リズムは小ざっぱりとして、声部バランスも完璧。しかし音楽から立ち上がるニュアンスは粗野な農民風。特に後打ちリズムに強靭なコシがあるので弾力性も抜群。さらに驚くのは中間部!素朴な牧歌どころか、音楽的な主張がこんなにリアルに現出する演奏はかつて経験したことがありません。しかも音楽の中身が熱い!
 終楽章は速めのテンポで颯爽と進行。ハーモニーはどこを取っても美しく整理されていますが、やはり音楽自体は綺麗事では済みません。これはマッケラスに違いない!と確信するのはコーダ。声部の絡みが混沌としがちなこの部分でこれほど見通しの良いテクスチュアと破綻の全くないダイナミックな畳みかけを敢行するとは、まさに向かうところ敵なし!なお、最後の一音はディミニュエンドをせずに豪放なティンパニの一撃とともに圧倒的な力感をもって締めくくられます。
 ハイペリオンからリリースされている「ベートーヴェンの交響曲全集」でもそうでしたが、この曲を振るために指揮者になったのでは?と感じさせる共感の熱さと驚異的なバランス感覚に、ここでも圧倒されっぱなしです。【湧々堂】

WEITBLICK
SSS-0126-2
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
 交響曲第9番「ザ・グレート」*
エフゲニ・スヴェトラーノフ(指)
スウェーデンRSO

録音:1986年9月8日ベルワルドホール・ライヴ(ステレオ)
1990年9月18日ベルワルドホール・ライヴ(ステレオ)*

※英語、日本語、ドイツ語によるライナーノート付。
“過去のどんな名演も引き出し得なかった、シューベルトの未知の魅力!”
N 響とのベートーヴェンやマーラーでも実証されているように、スヴェトラーノフはロシア的な流儀を無理強いはせず、作曲家でもある独自の審美眼を持って各作品の持ち味を最大に引き出すことを第一に考え、安定感抜群の数々の名演を聴かせてくれました。ただシューベルトとなると、スヴェトラーノフの音楽性から最も遠いのでは?と思われる向きもあるでしょう。ところがこれが素晴らしいのです!
 まずは「未完成」。内省的な旋律の魅力と立体的な構築を際立たせる箇所の配分が実に絶妙で、超名曲であるあることを十分認識していたつもりが、これほどの多彩なニュアンスを秘めた作品だと気付かされて驚きを禁じえません。第1楽章はまさに抑制の美学。ロシア的な重厚さやリズムの粘着性を完全に封印し、繊細で香り高いなフレージングに徹してますが、決して芯に欠けるぬるま湯的な演奏ではありません。展開部の8:35の弦の刻みから木管へかけての連動では強固な緊張が漲り、作品構成に立体感をもたらしている点も流石。第2楽章はさらに心に迫る演奏。1:10からの木管の旋律の克明さ、1:33〜1:44にかけてのフルートに宿る精神的な逞しさ印象的ですが、圧巻は3:10から訪れます!ここへ来て遂に内燃のエネルギーと堅牢な造形力を一体化させた精神的な高揚を見せ、一瞬スパイス的に効かせるティンパニの効果も加わって壮絶なドラマを繰り広げるのです。なお、終演後の拍手はなし。
 一方の「グレート」は音盤初出レパートリー。ミュンシュのような元気一杯猛烈な演奏でも説得力を持つ名演になる曲ですから、それこそロシア的な馬力全開モードでも様になるかもしれませんが、そんな安易な手法を取りません。サン・サーンスの「オルガン」では、「絢爛豪華」という作品の最大の魅力を徹底的に押し広げたのと同様に、ここでもあくまでもシューベルトらしい純朴な歌心を丁寧に引き出すことに主眼を置き、仰ぎ見るようなスケール感でそれを押しつぶすような暴挙に走らないところに、スヴェトラーノフの見識の高さを感じずにはいられません。
第1楽章序奏はゆったりとしたテンポで開始されます、ホルンに続いて弦が登場すると、実に繊細で陰りに満ちたニュアンスが現れ、早速このテンポ以外はありえないという説得力のあるフレージングに心打たれます。音の重心は常に低く保ち、フレーズの末尾まで克明に音化するのはいかにもスヴェトラーノフらしいですが、その揺るぎないテンポ自体の訴求力の高さと相俟って、味わいは格別。主部直前で加速することや、第2主題でテンポを落とすという伝統的な手法をそのまま踏襲していますが、そこには必ず明確なニュアンスの変化が伴い、決して漫然と流れることはありません。特に第2主題でテンポを落とすことで、再び異次元に誘うような演奏はあまり聞いたことがありません。このゆったりテンポを提示部の最後で回復させる解釈も新鮮。コーダのテンポ設定もセンスの塊!
 第2楽章も遅めのテンポで幾分ヌメリを帯びながら冒頭の弦が開始されますが、続くオーボエ・ソロの切なさに感涙!そして1:31からのホルンの強奏の意味深さ!それが構えの大きな音楽作りに大きく貢献していますが、少しもシューベルトから逸脱していません。3:44からの長調に転じてからのニュアンスはまさに天国的な美しさ!慈愛に満ちた演奏というのは過去にもいくつもありますが、大きな包容力で優しく抱かれる感覚は比類なし。コーダの締めくくり方は、もう筆舌に尽くし難い感動!14:48のオーボエから、ぜひ全神経を集中して味わい尽くして下さい!
 第3楽章は軽妙なリズムが人懐っこく、1:30では弦の音を短く切り上げてなんとも粋!この処理は再現部後半でも登場し、場面転換のメリハリ表出に大いに貢献。中間部に入った途端、外に飛び出して遊ぶ子供のような無邪気さがフワッと広がる…、そんな演奏が過去にあったでしょうか?
 終楽章はいわゆる「爆走」一辺倒ではない、瑞々しい推進力が横溢。展開部直前でチェロがスフォルツァンドで明確に句点を打ち込むのには一瞬ギョッとしますが、これまた粋な計らい。再現部ではティンパニの音程の変更あり。コーダ最後の締めくくりの方も聴きもの。スヴェトラーノフ・ファンならきっとニンマリすることでしょう。
なお、終演後には、鳴り止まぬ拍手の中、突然オーケストラがファンファーレを奏でます(13:14〜)が、演奏が素晴らしかった時に現地では こうして指揮者を讃える習慣があるそうです。
晩年のスヴェトラーノフはロシア以外にも活躍の場を広げましたが、その芸術性においても、ロシアのローカル色を超えた真の偉大さを獲得してことを改めて痛感させられる貴重な録音です。日本語解説には「彼らしい覇気が漲る」「最高な鳴りっぷり」というコメントがありますが、それどころではありません! 【湧々堂】

Signum Classics
SIGCD-133
シューベルト:交響曲第9番「グレート」 チャールズ・マッケラス(指)
フィルハーモニアO

録音:2006年6月10日、クィーン・エリザベス・ホールでのライヴ
“再録音でまたもや心境地!マッケラスの飽くなき表現意欲!” 
 このCD、うっかりして指揮者の名前も確認せずにプレーヤーで再生し始めたところ、なにやら古風なニュアンスが…。第1楽章冒頭ホルンも弦もノン・ヴィブラートで速めのテンポ。ヴァイオリンは両翼配置と、ピリオド・アプローチを基調としていることを窺わせ、主部へはそのテンポのまま自然に突入。かなり知的バランスの取れた指揮者である事に気づきますが、刺々しさは一切なく、音の重心が低くどっしりと据わり、ダイナミズムの振幅、アゴーギクの揺れ具合は一時代前の巨匠風。今どきこんな演奏をする人は誰だろうと考えつつ、音楽の求心力が極めて高いので、演奏を途中で切り上げられず、最後まで聴き通す羽目に。
 第2楽章は金管の抉り出しがかなり強烈。音楽全体の密度も濃く、特にコーダ、12:30以降の呼吸の切り替えの素晴らしさにどっと鳥肌が!ニュアンスの余韻を残しつつ、音の硬軟を自在に取り込むこんな技が可能な指揮者って…。名前を確認したい気持ちを抑えて第3楽章へ。リズムは小ざっぱりとして、声部バランスも完璧。しかし音楽から立ち上がるニュアンスは粗野な農民風。特に後打ちリズムに強靭なコシがあるので弾力性も抜群。さらに驚くのは中間部!素朴な牧歌どころか、音楽的な主張がこんなにリアルに現出する演奏はかつて経験したことがありません。しかも音楽の中身が熱い!
 終楽章は速めのテンポで颯爽と進行。ハーモニーはどこを取っても美しく整理されていますが、やはり音楽自体は綺麗事では済みません。これはマッケラスに違いない!と確信するのはコーダ。声部の絡みが混沌としがちなこの部分でこれほど見通しの良いテクスチュアと破綻の全くないダイナミックな畳みかけを敢行するとは、まさに向かうところ敵なし!なお、最後の一音はディミニュエンドをせずに豪放なティンパニの一撃とともに圧倒的な力感をもって締めくくられます。前回の録音との聴き比べも一興。
 ハイペリオンからリリースされている「ベートーヴェンの交響曲全集」でもそうでしたが、この曲を振るために指揮者になったのでは?と感じさせる共感の熱さと驚異的なバランス感覚に、ここでも圧倒されっぱなしです。【湧々堂】

CASCAVELLE
VEL-3155
シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレイト」*
ウェーバー:「オベロン」序曲
ヨゼフ・クリップス(指)
フランス国立放送O

録音:1957年10月10日(モノラル・ライヴ)、1954年10月4日(モノラル・ライヴ)*、パリ
“クリップスの温かい芸とフランス風の流麗さとの幸せな出会い!”
これは凄い!シューベルトの「グレート」ほど新旧の録音を含め次々と名演が出現する曲もないのでは?と思いますが、このライヴの味わい深さも並大抵のものではありません!
 まず1曲目の「オベロン」。これからして息を飲みます!冒頭のホルンは腐乱すのオケにありがちな振幅の大きなヴィブラートを感じさせず馥郁としたニュアンスが立ち込め、木管の急速な下降音型は春の訪れを告げるかのよう。そんな雰囲気を打ち砕くように、主部に入る際のトゥッティは重量級の一撃!その先は中低音のリズムをベースにした圧倒的な音圧を誇る音楽が滔滔と流れ、強靭なコシを持つリズムの躍動と共に堂々たる進行を続けます。第2主題のクラリネットの太い音色と弦のうねりとの美しい連携も聴きもの。もちろん衒いは一切なし。それだけに「なんていい曲なのなのだろう」とつくづく感じ入った次第です。
 そして更に感動的な「グレート」!偶然にもホルンで開始される作品ですが、これも「オベロン」同様ヴィブラートの癖を感じさせず、小細工のない純朴な共感に溢れ、オケの響きの透明さ、シューベルトの純真さ、クリップスの素朴さが完全に調和したハーモニーの素晴らしさに酔いしれます。主部は雄壮に進行、随所に挿入される木管のアクセントは、まさにフランスのオケの持つ明るい音色の魅力が効果的なスパイスとして作用して音楽の魅力を増幅。驚愕するのは終結部の13:05から突如テンポを落とすあまりにも意外な技!それによって生まれる安定感と味わいもさることながら、このギアチェンジをなんの計略性も感じさせずに愚直にやり抜いてしまう心意気に、思わず「名人!」と声を掛けたくなる衝動に駆られます。「皆さんどうです!」といった大見得とは違う夢の世界です!第2楽章がこれまたテンポといい響きといい美の極み。付点リズムのエッジを立てずまろやかな人間的な温もりを大切にしながらも、リズムは終始息づくという素晴らしさ。副部主旋律(3:10〜)のイン・テンポのまま進行しますが、移行の際のほんの僅かな揺らぎから滲む味わいは、単に楽譜通りに演奏したものとは一線を画します。第3楽章はリズムの威力が全開。オケの自発的な呼吸の振幅も感動を更に増幅。中間部の牧歌も泣かせます。終楽章は、昨今では細かいフレーズの動きをあの手この手で解析した演奏が増えていますが、ここではそれ以上に重要な音楽のエッセンスが満載!決して音がダンゴという意味ではなく、歌とハーモニーを融合し、塊にして結晶化させる技の違いを見せつけられる思いです。2曲は録音年代が離れていますが共に均質に明瞭な音質。DECCAのスタジを録音やOrefeoのライヴを遥かに上回るこの説得力の高い演奏、是非お聴きを!【湧々堂】

Channel Classics
CCSSA-31111
(1SACD)
シューベルト:交響曲第9番「グレート」
5つのドイツ舞曲D.89
イヴァン・フィッシャー(指)
ブダペスト祝祭O

録音:2010年6月、ブダペスト芸術宮殿(パレス・オヴ・アーツ)
 イヴァン・フィッシャーは2010年の同オケとの来日公演でもの「グレート」を取り上げ、独特の楽器配置、個性的な解釈に驚かれた方も多いことでしょう。当然ながらこの録音もユニークな解釈が満載!全体的なテンポ配分はベームのような旧来型から大きく逸脱していませんが、ホルンのゲシュトップ奏法の多用や楽想の替り目ごとのリタルダンド、内声を徹底的に浮き彫りにするバランスはフィアッシャーならではのこだわり。特に第2楽章の管楽器群の際立ち方は鮮やか。
 コーダの13:08では発作的なフィルティッシモに驚愕。第3楽章もフィッシャーの趣味を色濃く反映しています。リズムの躍動感にこだわり、従来の素朴さを感じさせるよりも、作品の骨格を顕にすることを何よりも重視。終楽章はテンポの変動を抑えた快速型。その爽快な進行の中でも内声強調の手綱は緩むことはありません。【湧々堂】

EMI
3393822
シューベルト:交響曲第9番「グレート」 サイモン・ラトル(指)BPO

録音:2005年6月ライヴ(拍手なし)
“全声部を解きほぐし、壮大に再構築した目の覚めるシューベルト!”
 今まで聴いてきたラトルの交響曲の最高峰と断言したい感動作!微細に渡ってラトルのこだわりが張り巡らされているのはいつも通りですが、そのこだわりの全てが、音楽的なニュアンスに直結。シューベルトらしい素朴な歌から外れるどころか、その歌心に一層の瑞々しさを添えて繰り広げる手腕に心底驚愕する録音です。特に中間の2つの楽章に、ここまで念入りに表情を刻印しつくした演奏がかつてあったでしょうか?
 第1楽章は、冒頭のテンポの扱い方によって、オーセンティックな解釈を志向しているかのか、伝統的なスタイルにを踏襲するのか、ある程度さ兆候が窺えるものですが、ここでは実に穏やかなテンポで、温かみを持ってフルーズを息づかせているのがまず意外。しかも、聴き進むにつれて、その一見素朴な歌の風情が、過去の名盤から聴かれるそれとは全く異なる立体感を持って湧き上がり続けることに更に驚くことになります。最初のホルンは抜群の安定感(おそらくシュテファン・ドール)で、スタイリッシュな美しさを湛え、弦に移るとアーティキュレーションを明快にしながらふんわりとした呼吸感を持たせて、それが説明調に陥らずに共感の表われとして自然流れを築いているのです。ヴァイオリン両翼配置の対話感も見事。終楽突入の仕方も、直前でテンポを上げるなどの手法はとらず、過去に例がないほど自然な滑り込み!第1主題は4小節ごとにクレッシェンドを施し、その後区切る小節を変化させながら歌に膨らもを持たせますが、ここまで手を掛けるとシューベルト本来の歌からかけ離れてしまうと思いきや、計算ではなく心からのフレージングとして響くので、実に新鮮。なんというバランス感覚でしょう!第2主題への突入では意地でもインテンポを貫く演奏が増えていますが、ラトルはここも従来どおり自然なリタルダンドを行ない、別の心象風景を細やかに描き上げます。テンポの変化に関しては、終楽章に至るまで一貫してエキセントリックな解釈をを排除し、シューベルトの温かな歌を最優先させているのが分かります。終結では15:06で弦に一瞬レガートが掛りますが、これまたチャーミング。コーダの最後の一音まで歌を置き去りにせず、今まで聴いてきた演奏がいかにもコーダらしい構築に比重を置き過ぎていたか、改めて思い知らされます。
 第2楽章は最初の低弦の抉り方と確固たリズム、アクセントに意思を持った進行を予感させますが、すぐにそれを打ち消すかのようにしっとりとオーボエの主題が始まり、この硬と軟の対比で最後まで一貫させているのが特徴的。副主題の人間味溢れるフレージングも感動的で、特に4:25から第1ヴァイオリンを最弱音で囁かせるニュアンスは感動の極み!一方、トゥッティの厚みのある響きでは、かつてのBPOのそれを彷彿とさせる雄渾さも見せます。最高潮点の後に訪れるチェロの旋律がここまで愛情に溢れている演奏も他に思い当たらず、11:51からはヴィオラの対旋律を延々と浮き立たせる素晴らしい配慮!この後も最後5分間は、夢にも思わなかったニュアンスの連続で、人生の機微の全てを集約したような深みに言葉を失うのみです。
 第3楽章も、テンポそのものは伝統的なものですが、3拍子の拍節感をキリッと表出しているのラトルならでは。ここでも強弱の変化、フレージングの区切り目に細心の配慮を施しつつも、レントラーの素朴さを封じ込めるような真似は決してせず、オケの団員が共感の限りを尽くして歌い上げている姿が目に浮かびます。なお、中間部ではホルンのゲシュトップが意外なスパイスになっています。
 終楽章は第2楽章とともに他ではまず考えられない感動的な演奏。まず、スピード感に興じることなく、この楽章に及んでもまだ歌を忘れない執念にも頭が下がりますが、今までの楽章で一貫して見せたアーティキュレーションやアクセントのこだわりがその集大成として凝縮され、極めて密度の濃い名演になっています。スコアの出典は不明ですが、展開部で4:34の弦の走句をレガートで繰返し、繰返し後半でソリッドなアクセントを施すのが斬新。更に驚くのが、あのボールトの名演奏と同じ箇所で、ティンパニを激しくい強打している点!特に最後に第2主題が弦のユニゾンでうねる直前の激打は、粉砕力の点でボールトを一気に引き離しています!この楽章はリピートを回避(第1楽章提示部はリピート敢行)していますが、ここではそれも十分頷けます。
 ラトルの徹底したこだわりとシューベルトの歌心の双方がお互いを必要とし、奇跡的な形で結実した稀有な「グレート」です!【湧々堂】

WHRA
WHRA-6022(8CD)
モストゥー&ボストン響/1950年代ライヴ
(1)メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
(2)ハイドン:交響曲第94番「驚愕」、
 シューベルト
:交響曲第9番「グレート」
(3)シューマン:交響曲第3番「ライン」
(4)チャイコフスキー:交響曲第5番
(5)エルガー:エニグマ変奏曲
(6)ストラヴィンスキー:「春の祭典」
(7)ストラヴィンスキー(モントゥー選曲):組曲「ペトルーシュカ」
(8)チャイコフスキー:幻想曲「ハムレット」、
 モーツァルティアーナ
(9)チャイコフスキー:協奏的幻想曲Op.56
(10)プロコフィエフ:古典交響曲(
(11)チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
(12)ダンディ:イスタール変奏曲
(13)バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第2番
(14)シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番
(15)ワーグナー:「パルジファル」第1幕前奏曲、
(16)ドビュッシー:「聖セバスチャンの殉教」(最後の2曲をカット)
(17)ワーグナー:「神々のたそがれ」〜ラインへの旅/ジークフリートの死と葬送行進曲
(18)ドビュッシー:「映像」〜ジーグ/イベリア
(19)チャイコフスキー:交響曲第4番
(20)ストラヴィンスキー:「ペトルーシュカ」
ピエール・モントゥー(指)ボストンSO
(9)ヴェラ・フランチェスキ(P)(
(13)トッシー・スピヴァコフスキー(Vn)
(14)ロマン・トーテンベルク(Vn)

録音:(1)1957年4月13日
(2)1956年2月24日
(3)1955年1月28日
(4)1957年4月12日
(5)1957年1月18日
(6)1957年4月13日
(7)1955年1月28日
(8)1955年2月4日
(9)1955年2月4日
(10)1958年1月3日※ステレオ
(11)1955年2月4日
(12)1956年2月17日
(13)1954年2月6日
(14)1955年1月28日
(15)-(18)1951年12月1日
(19)1958年1月3日
(20)1958年1月3日※ステレオ
“全声部を解きほぐし、壮大に再構築した目の覚めるシューベルト!”
モントゥーの音楽性、特にその表現の大きさを再認識するのにはうってつけのセット。凡演など一つも存在しませんが、中でもシューベルト、シューベルト、チャイコフスキーの「第5番」の各交響曲は圧倒的な名演奏!
シューベルトの「グレート」は第1楽章序奏のチェロのフレーズの優美さにイチコロ。序奏から主部への移行や、第2主題への移行時のテンポ設定の鮮やかさ、終結部の容赦ないイン・テンポと高揚の相乗効果も絶妙の極み。第2楽章は速めのテンポを基調とし、憂いに浸るそぶりを見せずに大きな愛でパワーを投与。「くよくよしたって何も始まらない」という前向きなスタンスに徹した解釈は、それだけで刺激的。後半7:19移行の激しさにも言葉を失います。第3楽章も一心不乱。ミュンシュを上回る劇的な演奏ですが、音楽は終始晴れやかで愛の塊り!終楽章はテンポこそ標準的なものですが、心血を注ぎ尽くしたリズムの躍動自体が素晴らしく、その弱拍の末端まで感じきっているのが手に取るように分かります。コーダの白熱ぶりも尋常ではありません。しかしそれでも、音楽のフォルムは高潔さが保たれているのです。終生枯れることを知らなかったモントゥーですが、この演奏は単に音楽が若々しいとだけでなく、注入する表現意欲の想像を絶するほどの旺盛さとその徹底ぶりに驚くばかりです。
シューマンの「ライン」も大スケールで圧倒。特に終楽章の内容の濃密さ、鳴りの強烈さは驚異的。
チャイコフスキーの交響曲は後期の3曲が揃っていますが、なんと言っても十八番の「第5番」がダントツの素晴らしさ。こちらで詳述しています。
ハイドンは元気一杯。ビーチャムのスタイルにも似ており、音もリズムも自体が翳りを寄せ付けない明るさに満ちています。第2楽章後半の物凄いリズムの蹴り上げ、第3楽章の瑞々しい躍動感など聴きどころ満載。
エルガーも音楽自体が巨大。ニュアンスの幅のとてつもなく広く、改めてモントゥーの妥協のない職人芸に打たれます。終曲は壮麗の極み。
でな内容無意味な音がどこにもなく、いで、音楽自体下yとごれ、への
チャイコフスキーの協奏的幻想曲でソロを務めるフランチェスキは、37歳の若さで白血病で亡くなったイタリア系アメリカ人の女流ピアニスト。そのタッチの美しさと、華麗なテクニックを堪能できるのもありがたい限り。
ステレオ録音による「古典交響曲」と「ペトルーシュカ」は、予想をはるかに上回る高音質で、モントゥーの色彩センスを改めて痛感。特に「ペトルーシュカ」は、表情が精彩に富んでいることはもちろんですが、スタジオ録音]以上に音楽が艶やかなのに驚かされます。
なお、この種のライヴ音源を集めたセットは音質にばらつきがあるものも存在しますが、その点このセットは、当時の水準並みでどれも明瞭です。【湧々堂】

ARKADIA
CDMAD-012
シューベルト:交響曲第9番「グレート」
交響曲第3番ニ長調
*
ブルーノ・マデルナ(指)
バイエルンRSO、
ハーグ・レジデンティO*

録音:1971年4月22日、1967年10月18日* (共にステレオ)
“時代先取り!楽譜を徹底凝視したマデルナの超辛口シューベルト!”
 マデルナは1920年生まれのイタリアの作曲家、指揮者。シェルヘンに指揮を学び、現代音楽の旗手として名を馳せましたが、録音が少なく、このような有名曲の録音は、彼の音楽的志向を知る上でも貴重です。で、このシューベルト、とにかく驚きの連続!'70年代の「グレート」の演奏といえば、ベームのような素朴路線が主流だった中、このスピード感とシューベルトの柔和なイメージに流されない決然とした進行はまさに異端!古今を通じてもスコア指示への洞察と冷酷なまでのイン・テンポで一貫した演奏は例を見ません。
 特に第1楽章の異常な速さは今でもダントツではないでしょか。ホルンの序奏の小気味よい足取りから仰天!この分だとこのテンポのまま主部になだれ込むと思いきや、更にテンポアップしてひたすら進軍。しかも提示部リピートを敢行し、コーダもそのままスパッと終わる痛快さ!
 第2楽章も本来のアンダンテの意味以上に快速。しかも、抑えきれない共感の熱さでフレーズがむせ返っているからたまりません。終楽章は、第1楽章の超快速ぶりからすると普通に聴こえますが、各声部の統制が完全に行き届き、オケの機能性と相俟って核心となるパートの表出が自然になされているのに驚かされます。シューベルトの自筆譜はアクセント記号とディミニュエンド記号の区別が曖昧なのは有名ですが、ここでは最後の音はアクセントではなくディミニュエンドと解釈。こうすると感覚的に奇異に聴こえる場合が多いのですが、ここでは実に自然に聴こえるのが不思議。
 第3番も皮相な雰囲気作りには背を向け、常に問題提起し続ける冒険的名演。ハンス・ツェンダー(ヘンスラー盤)と同じような路線とでも言いましょうか、音の凝縮力が尋常ではありません。なお、2曲とも放送音源と思われ、見事なステレオ録音であるのも嬉しい限りです。【湧々堂】

Altus
ALT-084
シューベルト:交響曲第9番「グレート」
フランツ・シュミット:軽騎兵の歌による変奏曲
ハンス・クナッパーツブッシュ(指)VPO

録音:1957年10月27日 モノラル・ライヴ
“クナの最高のコンディションを示す、常軌を逸した構築美!”
 DGから発売されていたものと同一。「グレート」は、拍手が鳴り止まぬうちにとっとと開始するのがいかにもクナ流。序奏部は意外なほど快適なテンポで進みますが、音圧とカロリー価とは満点。終楽章に移るとワグナー風のアクを含む粘り越しのフレージングで一貫。第2主題に入る前の金管の走句をいちいちクレッシェンドして独特のうねりを醸し出す妙味、再現部直前の低弦の怪物的な呻きにも戦慄を禁じ得ません。コーダの超低速ルバートもクナのみに許される至芸。
 第2楽章は、冒頭のオーボエからリズムの立ち上がりが生命感満点で、弦のとてつもない陰影の濃さと一体となっての説得力は、緩徐楽章の概念を完全に突き破っています。後半の大激高の威力と、その直後のVPO特有の甘美な弦のピチカートのコントラストの意味深さにも唖然。
 第3楽章も生易しいスケルツォでは収まらず、巨大な牛車を牽引するような重量級の音圧が、トリオも含めて一貫して聴き手に襲い掛かります。
 終楽章は13分を超える超低速の必然性を思い知らされる、破格の内容量!冒頭の破壊的な金管の咆哮に先ず度肝を抜かれ、極度に重心の低い弦の響きが超低速で表われますが、その後も快速テンポに転ずることなくそのテンポで通すのですから、恐れ入ります。弱拍の金管を生々しく突出させるなどの裏技も含めて、このテンポでリズムが灼熱の沸きかえりを見せるのも、クナの並外れた感性の賜物です。コーダの弦のユニゾン部分でさらにテンポを落とし、ただでさえ異常なスケール感がさらに倍層!聴後は、厳粛な宗教儀式に参加した後のような、不思議な充実感で満たされます。音質も聴きやすい良好なもの。各変奏で生々しいドラマを盛り込んだF.シュミットもとても気楽に聴ける代物ではありません!【湧々堂】

ARKADIA
CDGI-715(廃盤)



Audite
AU-95640
シューベルト:交響曲第9番「グレイト」
ショパン:ピアノ協奏曲第2番
ユリアン・フォン・カーロイ(P)
レオ・ブレッヒ(指)RIAS響

録音:1950年6月4日ベルリン=シュテークリッツ、ティタニア=パラスト(ライヴ・モノラル)
“優美なロマンと激情が交錯する、個性的なアプローチ!”
 シューベルトは、クライスラーの伴奏指揮で有名なブレッヒの芸術性を知る貴重なCD。
第1楽章序奏の優雅なロマンの香り、超スローテンポによるしっとりとしたフレージングから心をつかんで離しません。主部への突入もほんの少しテンポを加速するだけで、スローテンポをそのまま引継ぐのですが、驚きはその後!提示部後半に差し掛かるとどんどん加速し、展開部に入るとまた悠然としたテンポに戻し、またもや後半で加速する…というように、音楽が高揚するたびに加速を伴うというユニークな展開に手に汗握ります。しかもコーダでは、金管が主題を高らかに斉奏するあたりから、今までのどの箇所よりも凄い粘着度でその主題を印象付け、圧倒的な風格を見せ付けるのです。締めくくりに弦のユニゾンで弾かれるテーマの熱さも空前絶後!
 第2楽章の濃厚なロマンも印象的。ここでもテンポは一筋縄ではなく、楽想が変わるごとに緩急を入れ替え、この先どこへ向かうのか全く予測不能。しかしそこに宿る歌心に嘘はなく、その愚直までに自身の感性に正直なアプローチが胸に迫ります。後半の高潮点に向かう際にも、またしても大加速が出現。その後の弦のピチカートは、魚が跳ねるような瑞々しさ!締めくくりの悲哀も涙を誘います。
 終楽章の冒頭は、フルトヴェングラーのような粘り腰で開始しますが、極端にテンポを変動させることなく安定した構築の中で男性的な推進を見せます。コーダの最後の一音をクレッシェンドするのは驚愕!これを聴く限り、ブレッヒは決して器用な人ではなかったようですが、全てのアイデアが高い訴求力に裏打ちされていたからこそ、オケもここまで完全に彼の意に付き従うことができたのでしょう。なお、これは以  以前Arkadiaから発売されていたものと同じ演奏ですが、音質はもちろんこちらが上。
 カーロイのショパンも絶品!ブレッヒの指揮による伴奏は厚い響きで、多彩なテンポ・ルバートに心血を注ぎ、いかにも古色蒼然とした雰囲気を漂わせますが、カーロイのテンポ・ルバートは、第1楽章の第2主題の軽妙なフレージングが象徴するように、濃厚なロマンを湛えながらも洗練味も併せ持っています。そして、真珠のようなまろやかな光を放つタッチも実に魅力的。8:09からのテーマのフレージングが、これまたエレガンスの極み!
 第2楽章ではアゴーギクは控えめにしながら微妙にタッチの芯の強さを自在に操作し、スタイルの新旧にとらわれない普遍的な美を確立。そこには甘美な雰囲気に溺れず常に前に見据える精神的な強さが宿り、同郷のゲザ・アンダにも通じる音のロマンを感じずにはいられません。終楽章も明確な意思を持った安定感に満ち、高潔なピアニズムは充実度満点!2:23から少しずつディミニュエンドするフレーズのタッチの色合いの微妙な変化をお聴き逃しなく!【湧々堂】

BBC LEGENDS
BBCL-4072
シューベルト:交響曲第9番「グレート」*
ケルビーニ:「アナクレオン」序曲**

コルネリウス:「バグダッドの理髪師」序曲#
エードリアン・ボールト(指)
ロイヤルPO*、BBC響

録音:1969年*、1963年**、1954年#、ライヴ録音 (シューベルトのみステレオ)
“ボールトの知られざる激情を体感できる貴重なライヴ!”
 「グレート」は聴後に放心状態に陥ること必至!冒頭の安定し切ったホルンの佇まい、悲しみに暮れた弦…と早速心をとらえ、主部に入ると彫琢し尽くした圧倒的音像を構築。第2楽章も安易な感傷とは無縁で、「神の音楽」と呼ぶ他ない威容を湛えています。終楽章に至っては老紳士の衣から遂に脱却!金管、打楽器を根底から轟かせて内燃エネルギーの限りを尽くし、完璧なフォルムで極限に達するという至芸を見せつけるのですから、これが落ち着いて居られましょうか!Vn両翼配置による音色のブレンド感も絶妙!

ORFEO DOR
ORFEOR-566012(2CD)
シューベルト交響曲第9番「グレート」
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
ズビン・メータ(指)VPO

録音:1985年 ステレオ・ライヴ
“ウィーン・フィルの味を蘇生させたメータ快挙!”
 ウィーン・フィルと相性の良い指揮者の一人、メータの味わい深い名演です。「グレート」は、ベームに代表されるようなオーソドックスなスタイルを貫き、驚くような細工も一切ありませんが、重心の低さ、剛直な音の芯、柔和な音色など、VPOだけの持ち味に溢れ、聴後しばらく余韻が消えないほどの味わいを残します。どんな指揮者が振ってもウィーン・フィルはウィーン・フィルに変わりないですが、'60年代までの音色とは明らかに違うということは、よく言われることです。
 しかしこれを聴くとVPOは決して変わりきってしまったのではなく、その独特の音色に潜むコクと深みまで引き出し得る指揮者がいなかっただけだと思えてなりません。メータについても、あのロス・フィル時代の生気がすっかりなくなってしまったという言われ方をされますが、それがいかに一面的な印象でしかないか、この演奏で実証されます。本当にいい演奏を聴いたというこの味わいは、何物にも代えがたい魅力です。
 「ハルサイ」
は、ライヴでこそ燃えるメータの表現意欲が全開です。特に第1部の“春のロンド”の超低速で大地を嘗め回すような妖艶さには、言葉を失います!【湧々堂】

Telarc
CD-80502
シューベルト:交響曲第9番「グレート」
交響曲第8番「未完成」
チャールズ・マッケラス(指)
スコットランドCO

録音:1998年 デジタル録音
“全声部を解きほぐし、壮大に再構築した目の覚めるシューベルト!”
 金管を中心に古楽器を使用している分、総奏でのフォルテの威力は絶大!しかも弱音はとろける様なまろやかさ!そこへマッケラスの、音符の裏側の意味まで感じ取る力と比類なき和声バランスが加わり、男性的で瑞々しいシューベルト像を打ち立てています。
 最大の注目は「グレート」の最後のアクセント記号の処理。シューベルトは悪筆だったため、横に長く伸びた“逆くの字”が、アクセントなのかディミニュエンドなのか判別しにくいことで有名ですが、さんざん盛り上がった挙句に消え入るように終わる手法をとった場合(テンシュテットなど)、どうしても不自然に聴こえてしまうのは否めません。そこをマッケラスはどう処理するか?何と「大きなアクセント」として響かせているのですから仰天です!もちろん感覚的にそう感じただけで、専門的な考察によるものではありませんが、そのように感じて、思いを巡らすこと自体、楽しいことではありませんか。(おそらく、最新のベーレンライター版を採用していると思われますが、ライナーにその辺の真意が書かれている可能性が書かれている可能性もあります。)
 「未完成」も聴き慣れた曲とは思えぬ衝撃の連続で、特に第1楽章展開部の入りの低弦のトレモロの響きに注目ください!【湧々堂】

EMI
5627922[EM]

シューベルト:交響曲第9番「グレート」 
ブラームス:大学祝典序曲、
 アルト・ラプソディ
エードリアン・ボールト(指)LPO、
J.ベーカー(Ms)、
ジョン・オールティーズcho

録音:1972年、1970年(ステレオ)
“artリマスタリングで蘇ったボールト最晩年の至宝!”
 超名演と絶叫せずにいられないのがこの「グレート」。日本では故・三浦淳史氏以外にこの演奏の偉大さを語った人がほとんどいませんが、この彫琢の限りを尽くした造形、微かに黄昏た歌のニュアンス、高潔な推進力を目の当たりにしてどうして無感動で居られましょうか!素朴でありながら神々しさを孕んだ第1楽章冒頭ホルンはそのまま弦に受け継がれ、早くも至高のニュアンスを現出。侘び寂にも似た空気に身を委ねているうちに、議論の的となる主部突入に差し掛かりますが、次第に加速してアレグロへ雪崩れ込む慣例は取らず、直前で急激にアレグロへ転換。それが分析的にならずに自然な佇まいを保持しているのは正に老練の技としか言いようがありません。ティンパニのエネルギー増減を伴う呼吸の大きなうねりにも心揺さぶられます。
 第2、第3楽章では透明度の高い音像表出と、曲そのものに語らせる究極の奥儀を徹底的に思い知らされます。特に、ヴァイオリン両翼配置による音色のブレンド感、すっきりと音が立ち上がる木管のハーモニーや、小さなつなぎのフレーズにもセンスが光るティンパニは絶対注目!
 しかし、なんと言っても圧巻は終楽章!80歳を超えた老紳士とは思えぬ快速ぶりだけでも手に汗握る上に、更に信じ難いティンパニの激烈な強打が追い討ちをかけるのです!まず再現部冒頭で痛烈な一撃。その先の8'59"、10'21"でもはっきりと山場を築いて、渾身の力感を誇示。それでも粗野に流れる箇所など皆無で、改めて全4楽章が格調高く調和していることに気付かされ、更なる感動に包まれるのです。なお、
 このCDは'80年代後半に一度CD化されて以来の復活で、以前はLPと比較して曇り気味だった音の輪郭がartリマスタリングによってクリアになり、臨場感がグッと増しているのも嬉しい限りです。【湧々堂】


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